ノート:池田礼子

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

オランダ訪問に関する件[編集]

渋谷節子とも共通して、この人物の経歴に、現皇后雅子さま(当時皇太子妃)が一家でオランダ静養されたときに「同行した」という記述がありますが、出典に当たったところこれを「同行」とは読めないものとなっていて、他にも問題があるため、両方の記事でこの一説を除去することにします。以下にその詳細な理由を述べます。

出典とされた「紀子妃「厳戒ご出産」と雅子妃「サル公園の笑顔」」『週刊ポスト』第38巻37号(2006年9月15日号)、小学館、2006年、40-41頁。 (ところでページ数も記事タイトルもないので探すのに苦労しました。国立国会図書館まで利用するとなると大変なんです)では、雅子さまと実家の家族に関する記述は非常に少なく「滞在半ばに差しかかった8月23日には、ヘット・アウデ・ロー城を雅子妃の両親、小和田恒夫妻に加えて妹夫妻が訪問し、家族で水入らずの時間を過ごした」「26日(中略)そして夕方からは、ハーグの小和田邸に入り、再び夕食を共にした」これだけです。「同行した」だと日本から一緒に飛行機に乗っていったみたいですが、実際は現地で、滞在の中頃から終盤にかけて一日二日会っただけです。そして「妹夫妻」としか書かれてないので、これが池田夫妻か渋谷夫妻か、両方だったのかが特定できません(これ一点をもっても書くに値しません)。こういう乏しい内容を元に、出典中でもさして重要に扱われてもいないのに、人生の一大エピソードとして経歴に加筆するのは無理があります。編集した人物が“話を盛っている”すなわち独自研究に当たり、容認できません。また唐突ですし、どうせ書くならもっと資料を集めて、彼女たちもそれぞれ家庭を持っていたが、家族としてこういう形で病気の姉を支えた、的な流れを作れば記事として自然なのですが。

というわけで除去いたします。それと履歴を見ていて思ったのですが、これを含め多数加筆しているのはブロックされた初版作成者(LTA)のブロック破りではないのですか。皇室関連だけに頻繁に加筆する傾向がそっくりなんですが。--Garakmiu3会話2019年5月23日 (木) 17:52 (UTC)[返信]

コメント 容易にアクセスできない雑誌出典を確認して頂き、誠に有難うございました。そもそも「週刊ポスト」は、特に「存命人物の伝記」においては慎重に扱わねばならない情報源ですが、くだんの記述は当然除去されるべきものです。
また、問題のある加筆が多く行われており、しかもそれがLTAのブロック破りと思しき同一利用者が行ったものばかりである、としたら大問題ですね。
私も、ソックパペット行為を行っていたとして無期限ブロックされた利用者が、書籍を出典として提示しつつ、参照ページも内容もまるでデタラメな加筆を大量に行っていたのに出くわしたことがあります。その利用者が出典として提示している本が複数、私の手元にあったことでデタラメが判明しました。その利用者の「出典が提示されていても全く信用できない」加筆については、「本人の会話ページに警告を行った上で、一律に除去」することで解決せざるを得ませんでした。
Garakmiu3さんが発見なさったLTAのブロック破りと思しき同一利用者も、「オンラインでは確認できない紙ベースの出典、さらに、書籍ではなく、新聞や雑誌のようにアクセスが容易でない出典を多用する」傾向があるのではないですか?だとしたら、同様に「警告を行った上での一律除去」が適当かもしれません。--Pooh456会話2019年5月23日 (木) 19:07 (UTC)[返信]
オンラインでない紙の出典は悪いわけではなく、むしろ推奨されるものなのですが(オンライン出典はいずれ消える可能性が高いです)、この記事はなぜか国立国会図書館サーチでは記事検索できず、近隣図書館にバックナンバーもなかったので所用のついでに直接国会図書館で現物を見ました。こういうときにページ数がわかってたらコピーを取り寄せるサービスなどもあって便利なのでなるべく詳細にデータを置いといてくれないと検証する側に不親切だということです。
また皇室関係、わけても皇后さまに関係する部分は昔から彼女のアンチや、皇室関係への妙なこだわりを押し通そうとするユーザーが跋扈してて、いい加減な情報をもとにネガティブな加筆をすることも多くありました(ノート:皇后雅子Wikipedia:進行中の荒らし行為/長期/Milky palaceなど参照)。今後情報のあいまいな部分は除去を進めていきたいと思います。--Garakmiu3会話2019年5月24日 (金) 14:37 (UTC)[返信]