ノート:永田絃次郎

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一説には[編集]

一説には炭坑や収容所で亡くなったとも言われているがそれも定かではない。[1]より引用)

高崎宗司・朴正鎮編著『帰国運動とは何だったのか』(平凡社)p.41において、次のような記述がありました。”一月二九日の第六次船で、テノール歌手金永吉(芸名永田絃次郎)が日本人妻とともに帰国した。…(中略)…金永吉は最近復権したようである [鈴木、三二一頁]”。その本の参考文献によると、「鈴木」とは、鈴木琢磨「暗殺に怯える『独裁者』金正日」『文芸春秋』2004年5月号のようです。

私の手持ちの資料だと孫引きになってしまうので、今は書きませんが、文献を元にしてはっきりとした表現にした方がいいと考えます。--Tatsujin28 2008年4月13日 (日) 03:02 (UTC)[返信]