ノート:毛利隆元

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「多治比元就の嫡男」という記述の除去[編集]

隆元の出自について、「多治比元就の嫡男」または「毛利(多治比)元就の嫡男」とする記述を毛利元就に戻しました。

毛利元就#家督相続に記載してあるとおり、多治比猿掛城在住時の元就が「多治比元就」「多治比殿」などと呼ばれていたのは事実ですが、隆元の記事で掲載する必要性は無いものと判断します。隆元は大永3年(1523年)4月生まれですが、同年8月に元就は毛利宗家の家督相続をしており、これからさらに遡る永正14年(1517年)の有田中井手の戦いの勝利で既に「毛利元就」の名が世間に知られていたわけですので、隆元出生時に「多治比」を特筆する記述に有意性があるのか疑問です(毛利元就の記事での多治比の解説で必要十分)。隆元の記事で、多治比元就とわざわざ記述すべき理由があれば出典が必要かと思います。--TT mk2会話2019年6月20日 (木) 10:20 (UTC)[返信]