ノート:殉教

    民族独立のために死ぬ者を殉教者と規定していましたが、殉教の「教」の字は宗教の教であり、民族ではありません。「民族 殉教」でググると、ウィキペディアを含め10件。確実に民族独立のための殉教という文脈で使っているのはウィキペディアだけでした。民族のための殉教とは、直訳で入り込んだ誤用ではないでしょうか。Kinori 14:06 2004年3月20日 (UTC)

    安重根を念頭に私が書きました。近年では日本の教会内でも理解が進んでいますが、一致した見解とまでは言えないので、殉教者とされる場合もあると書きました。韓国での状況もはっきりとは分からないです。Johncapistrano 14:15 2004年3月20日 (UTC)

    それは知りませんでした。失礼しました。教会関係者がそれを殉教と言っているなら、とりあげるべき事項です。が、殉教全体の説明で出すよりも、個別のトピックとして、固有名詞を挙げて語ることのような気がします。細かな論理構成を知らずに書くと変なものができそうで、自分にはできませんが・・・。知らないことに注文をつけたようで、重ねてすみません。Kinori 08:28 2004年3月22日 (UTC)

    いえ、もう一寸調べて書いた方がよかったかと思っています。謝って頂かなくていいです。いつかもっと調べます。Johncapistrano 08:56 2004年3月22日 (UTC)

    多数の「」の意味は?[編集]

    Cathyさんはこのページのキーワードに多数のかぎかっこをつけ、殉教を「と認定」「示すとされる」云々と書き直しました。私にはその意図がよくわかりません。こうした変更によって何かが改善されるのでしょうか。Kinori 2004年9月18日 (土) 11:53 (UTC)返信[返信]

    致命者[編集]

    なおキリスト教の一教派である正教会(日本ハリストス正教会)では殉教との語を使わず、致命(ちめい)・致命者の語を用いる。

    「致命」というのは日本ハリストス正教会の独自用語ですか?他国の正教会ではカトリック教会と同様に「殉教」という概念が用いられているみたいです。正教会の概念(μάρτυς)とカトリック教会の概念(martyr)が同じようなことを指しているはずです。なぜ日本だけでその概念を宗派によって区別しているのでしょうか?従来、「致命」という日本語の言葉には「殉教」の意味が含まれていないし、μάρτυςとmartyrの発音は同じなのに・・・--202.71.90.139 2009年1月13日 (火) 15:21 (UTC)返信[返信]

    独自用語というか、日本のカトリックやプロテスタントと正教会とで違う翻訳をした、というだけのことではないでしょうか?例えば、ウクライナ語やロシア語、ポーランド語の文法では「生格」と呼ぶが、ドイツ語では「二格」、他の言語では「属格」と呼ぶ、というような。基本概念は同じだと思います。
    日本だけ翻訳がいろいろできてしまったのは、日本がアルファベット言語でないからでしょう。ヨーロッパはどこでも自分の国のアルファベットに置き換えるだけでギリシャ語を「直輸入」できますが、日本ではどうにかして翻訳して入れないと、内容が理解できないのです。日本語の用語をウクライナに輸出することを考えてみればおわかりいただけると思いますが、「日本国」を同じ漢字圏の中国語に訳すときはそのまま「日本国」と書けばよいでしょうが、ウクライナ語だと「Yapons'ka derjzhva」なのか「Derzhava Yaponiya」なのかといった翻訳バリエーションが生じ得るでしょう。
    神学には詳しくないので専門的に説明できませんが、漢字の語義から説明すれば、「」には「おくりとどける」という意味があるので、恐らく、「致命者」というのは「(信仰のために)命をおくりとどけた者」という意味なんじゃないでしょうか。「教えに殉じた者」と意味するところに大差はないと思います。--PRUSAKYN 2009年1月17日 (土) 15:21 (UTC)返信[返信]
    202.71.90.139さん
    PRUSAKYNさん仰る事と被る部分については言及を避けますが、教派ごとに別の用語を用いて居るのは日本のキリスト教であればどこでも見られる現象であって、正教会にのみ見られるものではありません。例えば"en:deacon"につき、正教会は輔祭、カトリック教会は助祭、聖公会は執事の訳語を用いています。
    ただ、その教派ごとの理解は訳語に反映はされていますから、「単なる訳語の違い」で片付けられる問題でも無い事は明記する必要があるでしょう。教派が分かれる前に術語が確定していった西欧・東欧における言語体系と、教派が分かれてから久しい時期に術語が訳語として形成されていった日本語の体系とでは、術語の教派を越えた汎用性に差が出て当然であります。
    >従来、「致命」という日本語の言葉には「殉教」の意味が含まれていない
    それは世俗で一般的な日本語の言葉という意味でありまして、正教会での日本語にはしっかりとそのような意味が含まれて居ます。もし一般的でない言葉は全て一般的な言葉で書き表すべき、などと言い出したら、キリスト教用語よりも仏教用語記事の方が深甚な打撃を受けるでしょう。なお、「致」の漢字の語義についてはPRUSAKYNさん仰る通りですので繰り返しません。--Kliment A.K. 2009年1月19日 (月) 09:00 (UTC)返信[返信]
    202.71.90.139さんのコメントの意図は、多分、たんに質問だと思いますよ。用語をまぜこぜにしようとかいう意図はないものと思います。
    実際、おかげさまで私も勉強になりました。的を得た解説、ありがとうございました。特に「教派が分かれる前に術語が確定していった西欧・東欧における言語体系と、教派が分かれてから久しい時期に術語が訳語として形成されていった日本語の体系」というご指摘は、まさにそのとおりだと思います。--PRUSAKYN 2009年1月22日 (木) 17:37 (UTC)返信[返信]