ノート:死刑

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記事統合・分割等の議論

死刑執行との統合提案と死刑存廃問題からの記述の一部転記提案

前者については死刑執行のノート、後者については死刑存廃問題のノートにおいて議論が行われています。ご意見がある方はそれぞれのノートにお越しください。--Plisoner 2007年1月15日 (月) 14:53 (UTC)[返信]

前者については、死刑執行の記事そのものに問題があり、削除となったため終了しました。後者の議論については継続中です。--Plisoner 2007年3月9日 (金) 02:22 (UTC)[返信]

苦情

このページ全体に渡って、既存の統計的事実の評価の論理的誤りなどにより、死刑制度廃止が「先進的」かのような誤解を与える表現が多いです。--以上の署名のないコメントは、59.157.179.129会話)さんが 2008年3月13日 (木) 22:57 (UTC) に投稿したものです。[返信]

読者のご感想として承りました。
そりゃあんたの立ち位置の問題でしょう。おれは死刑存続派側なんだが、まあそれなりに悩ましいところまでひっくるめて言うなら「微妙なバランスは取れている状態」だと思いますよ。死刑存続派から見れば中立的記述は死刑反対派なんだし、死刑反対派から見れば中立的記述は死刑存続派なんだ。そのあたりの立ち位置とランドスケープを認識するのが、最初の関門だと思います。--Nekosuki600 2008年3月14日 (金) 14:24 (UTC)[返信]

ウェキペディアでは中立的な立場で他の人間に伝えたほうが良いと思います。 K50705_EX会話2022年2月12日 (土) 02:45 (UTC)[返信]

法務大臣が死刑執行命令を出している為、~~、

「法務大臣が死刑執行命令を出している為、政府が積極的に死刑制度推進を進めているといえるため、」の記述についてお伺いします。法務大臣が命令を出すことがなぜ則、積極的に死刑制度推進を進めていると言う結論に至るのかご説明下さい。ピノキオ 2009年3月1日 (日) 00:07 (UTC)[返信]

(コメント)2008年7月の毎日新聞に掲載された鳩山邦夫氏の発言で「死刑執行が犯罪抑止になる」と主張しており、そのため死刑執行を進めたという主旨の発言があります。また2003年12月18日に政府が「犯罪に強い社会の実現のための行動計画」を策定しており、そのなかで刑罰の厳罰化を推進することが明記されています。よって犯罪の厳罰化で死刑適用を推進し、かつ実際に死刑執行をする政策になっているといえます。実際に1993年から2005年までに処刑された死刑囚は47人でしたが、2006年から昨年までの死刑執行者は28人であり、明らかに執行ペースが倍以上になっており、法務大臣の死刑制度の推進をしているのは明らかです。また、死刑廃止論者の団藤重光も著書『反骨のコツ』(朝日新聞社、朝日新書、2007年)のなかで「自由民主党政権が死刑制度推進を進めている」と主張していますし、国際連合の人権委員会の勧告を国連日本代表が日本政府の立場として内政干渉として応じないとの意見を表明しており、政府として死刑制度推進を進めていると結論付けができます。なによりも裁判所が死刑判決を出しても法務大臣が署名しなければ死刑執行ができないのですから。--Carpkazu 2009年3月1日 (日) 05:18 (UTC)[返信]

私は死刑制度にはニュートラルな立場を堅持しますが、「なによりも裁判所が死刑判決を出しても法務大臣が署名しなければ死刑執行ができない」のは法手続き上の問題でありこれが政府が率先して「積極的に死刑制度推進を進めている」ことの論証にはならないと考えます。日本で死刑制度がなくならないのはむしろ広範な世論が死刑制度の推進を後押ししているのが実態であるように考えますがいかがでしょうか。ピノキオ 2009年3月1日 (日) 12:03 (UTC)[返信]

(コメント)広範な世論が死刑制度の推進しているといわれますが、これは日本における死刑にも書いていることであり、あらためて記述する必要はないです。それに厳罰化にも世論についても記述されています。個人的な立場についてはコメントしませんが、世論を理由にして政府が推進しているとしても、もしそれが政府が演出したものである、という指摘も可能であり(出典はありませんが、あくまで可能性です)、政府が刑事政策の一端としてやっているとするのが自然だといえます。政府が世論に迎合しているという指摘も自然でありますが、これが死刑囚や死刑執行に関する情報公開を意図的に行わない行刑密行主義がありますので、もし公開した場合には世論はどう反応するかがわかりませんから。余談ですが実際に一般人が殺人者に会えるとすれば裁判所の法廷ですが、マスコミの報道と実際に目で見たりした印象とは違ったりしますね。反省なき人間に刑罰を科しても、というのが一部死刑囚に対する感想です。--Carpkazu 2009年3月2日 (月) 22:24 (UTC)[返信]

名古屋・千種拉致殺害(闇サイト殺人事件)でも、被害者家族の死刑を求める署名運動に数十万人が賛同し、被害者が1人でも死刑判決がでましたが、マスコミ報道を見る限り判決に対する批判は殆どないように思います。 やはり政治主導と言うよりは広範な世論の後押しがあるように考えます。ピノキオ 2009年3月19日 (木) 03:46 (UTC)[返信]

注目を浴びるような事件ではそのようなある意味でイエロー・ジャーナリズムの影響があるように思えます。私の同級生などは従兄弟に殺害されたのですが全国的に全く報道されなかったので、砂浜で生きたまま焼き殺されたのにわずか懲役7年でした。もっともこれは傷害致死事件であり、状況から妥当な判決であったといえます(個人情報が絡むので詳細にはかけませんが)。死刑判決の何百倍も理不尽な事件は存在するのは事実でありますし、自分がもし死刑判決をいいわたされたらという事を考えたことはありますか?--Carpkazu 2009年4月26日 (日) 00:13 (UTC)[返信]
私も死を持って償わせるほかない犯罪もあると感情的には思いますが、記事を書けば廃止されるべき刑として書くし、仮に投票があるなら廃止に賛成することになるでしょう。
ただ、>法務大臣が死刑執行命令を出している、刑訴法第475条2項で、命令は、判決確定の日から六箇月以内にこれをしなければならない。とあるからです。反対に法務大臣が署名しなければ死刑執行ができない、というのは、執行官が全て拒否すれば、というのと同じ気がします。大臣が署名しないのも、結局世論(一部にせよ)が後押ししていることと思います。--T34-76 2010年1月1日 (金) 16:38 (UTC)[返信]

中立性について

本記事は全体として中立性を逸脱し、死刑廃止論、反対論に誘導しているような印象を受けます。量的にも平等に反対、賛成にも併記するような形で記述をお願いいたします。--How I Learned to Stop Worrying and Hate the Bomb 2009年4月23日 (木) 23:08 (UTC)[返信]

おれは死刑存置論側に立っているんですが、現状で特に「どちらかに強く偏った内容」になっているような気はしません。ほとんどのひとの立ち位置はテキストの立ち位置とは異なっており、それぞれの観点から「廃止論側に寄りすぎ」「存置論側に寄りすぎ」という感想を抱くだろうと思うんですが、まあ許容範囲じゃないでしょうか。
なお、死刑は古くは「あって当然の刑罰」であり、死刑の正当性を裏付ける論理というものは必要とされませんでした。死刑の妥当性をめぐる議論では、あとから出てきた死刑廃止論側がより精緻な論理構成を求められたという歴史的経緯があり、ある程度は量の格差が生じるのはいたしかたないものと考えます。というか、そういう歴史的経緯を無視して「量的にも賛否を等しく」とかいうのは、機械的平等論・形式的平等論に偏る視点であり、実質的平等論とは無縁であるだけではなく、説明する上でも適切ではないのじゃなかろうかと考えます。--Nekosuki600 2009年4月24日 (金) 03:05 (UTC)[返信]
まず、「Wikipedia:中立的な観点」に目をお通しください。
なぜ私の上記の記述から私が「歴史的経緯を無視」したという解釈が出来るのか不可解ですが。これについては「ストローマン」もご参照ください。--How I Learned to Stop Worrying and Hate the Bomb 2009年4月24日 (金) 13:06 (UTC)[返信]
両方の立場の意見を記述するのは難しいことですが、両方書くことでどちらかに偏っているかのようになる場合もありえることです。しかし、死刑存廃問題の議論と同じく死刑に関する問題は水掛け論であるので、双方とも自分の意見とは違う記述について反発する傾向にあり、それに対し『偏向編集だ』と反感を持つのはいたしかたないことであります。これがたとえば科学分野であれば「相対性理論はウソだ」という意見に対し客観的情報で反論することは可能ですが、死刑に対しては賛成論、反対論双方を記述すると互いに『偏向編集』として編集合戦を始める傾向があります。個人的意見としては賛成論に立つ場合は、事例によって幅がありすぐる遺族感情重視や刑罰の威嚇力のためよりも、凶悪犯の社会からの危険性除去のための究極の手段としての機能があるから存在しているのだといえますし、反対論に立つなら冤罪と誤判の可能性および死刑執行手続きの不透明問題があるから反対といいます。ところで、余談ですが、あなたは人が自殺する瞬間にたちあってしまったことはありますか?--Carpkazu 2009年4月26日 (日) 00:05 (UTC)[返信]
Carpkazuさん
> 自分がもし死刑判決をいいわたされたらという事を考えたことはありますか?--Carpkazu 2009年4月26日 (日) 00:13 (UTC)
> ところで、余談ですが、あなたは人が自殺する瞬間にたちあってしまったことはありますか?--Carpkazu 2009年4月26日 (日) 00:05 (UTC)[返信]
意味ありげに、意味の無いことは書いて何を誘導したいのですか?第三者が見ても「だから何?」としか思えませんが。署名のないのは。118.19.99.194さんです
犯罪者は死すべきということを主張する以上は人間の死を考えたことはあるかということを言いたかっただけです。死刑を肯定する以上は死を考えてのことかということです。悪人であっても処刑するには、論理的になければいけません。そのうえで死刑は必要だというのであれば結構ですが。ただ殺せば良いというだけでは殺人者となんらかわりありません。--Carpkazu 2009年4月26日 (日) 06:18 (UTC)[返信]
あーの。ここは死刑廃止論とか死刑存置論とかの演説をやるところじゃないから。「死刑廃止論側に偏りすぎているっ、もっと死刑存置論の説明を!」てのも「死刑の問題点への言及が少なすぎるっ、もっと死刑廃止論の説明を!」てのも、どっちもいらないのよ。--Nekosuki600 2009年4月26日 (日) 06:28 (UTC)[返信]
そうですね、How I Learned to Stop Worrying and Hate the Bomb|How I Learned to Stop Worrying and Hate the Bombさんが不毛な死刑存廃問題論争を死刑に持ち込んだのが原因ですね。初心に立ち戻り死刑の制度の説明のみに専念すればいいです。それにしても多数の意見が正しいわけでも正しくないわけでもないから、中立性云々は議論しずらいです。当方としてはHow I Learned to Stop Worrying and Hate the Bomb|How I Learned to Stop Worrying and Hate the Bombさんは死刑制度の賛成論をもっと書くほうがよいとの主張のようにおもえたのですが。--Carpkazu 2009年4月26日 (日) 13:26 (UTC)[返信]
そうなんじゃないの? なので「どっち側も演説の場にするな」って書いたわけ。--Nekosuki600 2009年4月26日 (日) 13:42 (UTC)[返信]

Carpkazu (2009年4月26日 (日) 13:26 (UTC))氏に対して
私は両説併記に量的バランスを求めただけです。 貴兄が「あなたは人が自殺する瞬間にたちあってしまったことはありますか?」「犯罪者は死すべきということを主張する以上は人間の死を考えたことはあるかということを言いたかっただけです」「ただ殺せば良いというだけでは殺人者となんらかわりありません。」と議論の文脈から外れた書き込みをされて、それに対して8.19.99.194さんより 「意味ありげに、意味の無いことは書いて何を誘導したいのですか」とご注意を受けたことを思い出してください。その挙句反論の矛先を向けるに事欠いて今度は「不毛な死刑存廃問題論争」とされるのですか、ずいぶん身勝手ですね。--How I Learned to Stop Worrying and Hate the Bomb 2009年4月26日 (日) 13:47 (UTC)[返信]

勝手な物言いですいません。ですがHow I Learned to Stop Worrying and Hate the Bombさん。あなたは中立ではないとしてタグを貼り付けた上に、「本記事は全体として中立性を逸脱し、死刑廃止論、反対論に誘導しているような印象を受けます。量的にも平等に反対、賛成にも併記するような形で記述をお願いいたします」と記述していますが、具体的に死刑廃止論、反対論に誘導しているようなに思うのかを、列挙していただきたい。そう主張される以上には立証する義務があります。人に「反対、賛成にも併記するような形で記述をお願いいたします」とお願いする以上は改善点を提案すべきではないでしょうか?そうしなければ、あなたが主張する「中立性」にかなった内容かがわかりません。Nekosuki600さんは問題ないといっているように、あなたは何を問題にしているのかがわかりません。ずばり、あなたは死刑賛成論が絶対的に正しいというのですか?そのように思うのでしたら本文編集に参加すべきではありませんか?--Carpkazu 2009年4月26日 (日) 15:39 (UTC)[返信]
追記、私はHow I Learned to Stop Worrying and Hate the Bombさんは、何を求めているかをきちんと主張してほしいです。あなたの記述を拝見すると反対意見のみで建設的なものが見出せないからから、どうすべきかを具体的にしてもらいたい。悪いとは思いませんが個人的にはあなたの言論からするとHow I Learned to Stop Worrying and Hate the Bombさんは死刑制度に賛成する立場のように見受けられます。そうであれば、自分で賛成論を記述してください。そうすれば、あなたがおしゃる「量的にも平等に反対、賛成にも併記するような形」になるはずです。ちなみに私はどちらにも組みするつもりは現在のところありません。--Carpkazu 2009年4月26日 (日) 15:46 (UTC)[返信]
How I Learned to Stop Worrying and Hate the Bombさんには、中立ではないとのタグを貼り付けた以上、本文の編集に参加してください。お願いです。出来ないのであれば、どのような内容が良いが記述してください!--Carpkazu 2009年4月26日 (日) 15:54 (UTC)[返信]
◆それ、おれは、やだ。
長いハンドルのひと(呼びかけるのが厄介なほど長いハンドルってのはもう対話姿勢に問題があるような気がしてます。まあこれはおれの個人的感想だけど)に死刑存置論・死刑賛成論なんか書いてほしくないです。そういうわけでアムネスティと付き合いがあっても折れる気がないくらいにおれは筋金入りの死刑存置派なんだが(とか言っても長いハンドルのひとは信じていないだろうけど。なお、全世界的に死刑がOKではなく、発展途上国などにおける政治犯への死刑には同意できません)、この問題を説明するときには「感情的死刑存置派」と「感情的死刑廃止派」は等しく邪魔になることをいままで幾度経験してきたことか(そういう意味で、心情に訴える方向でノートでの議論を展開したCarpkazuさんも同様の問題を抱えています)。
なお、すでに書きましたが、「両論併記=量的平等」ではありません(そして、それに対する長いはハンドルのひとの反論は、「事実上何も言っていない」ものにすぎなかったと、おれは受け止めています)。
まあとにかくなんだ。こういうややこしい項目なんだ、淡々と事象を説明する方向でいきましょうや。一部憲法学者の教科書みたいに、自分が支持する学説を延々と書き連ねるようなことは、誰にもやってほしくないです。ここは百科事典作りをやろうっていうサイトなんだからな。--Nekosuki600 2009年4月26日 (日) 16:51 (UTC)[返信]

本記事は全体として中立性を逸脱し、死刑廃止論、反対論に誘導しているような印象を受けます<法学的な観点からは当然でしょう。法学において、死刑廃止が世界の趨勢だからです。そのようなことを無視して、情緒的な感想を述べられても対応できません。中立とは、巷のモードを追求することではありません。学問的に政治的観点から独立した中立という意味です。--T34-76 2010年1月1日 (金) 15:58 (UTC)[返信]

死刑の歴史について

うーん。うーんうーん。うーんうーんうーん。

個人的には、なんで「死刑の歴史」なんていう項目が作られたのか、どうして「死刑」から歴史部分がごっそりと移動されなくちゃならなかったのか、えらい釈然としません。できればこっちに呼び戻してきたいくらいだったりするが。しかしなんだ、とりあえずあっち(=死刑の歴史)に歴史関連がごっそり移動しちゃっているんで、こっちにはごく簡単に書くにとどめておくが無難なんじゃないかと思う。こういうときに両方に同じ主旨の項目を作っておくと、たいてい両方とも一人歩きをして、そのうち食い違った内容が記されるに至るからです。整合性なんか考えもしないやつがけっこういるからなあ。

あと、「死刑は人命を奪う犯罪に対して適用されるもの」というのは、現代日本的な常識なのであり、それを安易に持ち込まない方がいいと思うんだがなあ。特に歴史の説明の部分には。歴史的には、死刑というのはけっこう多用された刑罰であり、別段重罪向けの刑罰でなどなかったのだし。--Nekosuki600 2009年4月28日 (火) 10:38 (UTC)[返信]

分けたのは、単に長くなりすぎたからです。ガイドラインにはないのですが文量が100,000バイト以上になると、通信速度の遅い回線を使用しているユーザー(ダイヤルセットアップのユーザーではなくADSLの低速度ユーザー)から、ダウンロード速度が重たくなりすぎて迷惑という苦情が実際にきたことがあります。よく分割して例としてはアニメ・漫画作品(実例としては犬夜叉犬夜叉の登場人物(さらに犬夜叉 (架空のキャラクター)日暮かごめとして細分化)と犬夜叉 (映画))の記事が肥大化しすぎちゃって複数の項目に分割されるケースです。まあ、あんまり細分化されても「スタブ未満」記事だらけになっちゃって、それはそれで迷惑なことですが。一人歩きをして、そのうち食い違った内容が記されるのが嫌だというのでしたら、簡単に言えば「あとはそちらで見てくれ」という編集をすればいいんです。死刑関連だけで全て一緒にすると500,000バイト以上になるので細分化はやもうえなかったようです。英語版も分割されています。興味がおありでしたらen:Category:Capital punishmentを見てください。
あと、「死刑は人命を奪う犯罪に対して適用されるもの」というのは、日本における死刑にも説明がありますが、日本の刑法では祖国を裏切って外国の軍隊を侵略させる外患誘致罪や、放火罪爆発物取締罰則違反では、たとえ人が死んでいなかったとしても死刑になりえます。そのため、厳密にいいますと間違いです。また内乱罪でも人を殺害していなくても死刑になる可能性があります。--Carpkazu 2009年5月10日 (日) 15:03 (UTC)[返信]

タグを外せるようにするには

2009年11月に、ノートに問題点の提起もないまま、「独自研究」と「出典の明記」のタグがつけられた状況のまま現在に至っています。確かにそう指摘されてもおかしくはない点も見受けられますが、このタグをつけた人からの問題点の提起がないという疑問もあります。死刑の関連項目全般に言えることですが、死刑廃止および死刑存置双方の立場からすると互いに相手を中間的観点に反すると指摘する傾向にあるので、こういったタグの貼り付けは少なくないです。
そこで提案ですが、これら、タグを外すにはどのような編集をしていけばいいかを皆様に意見を募りたいと思います。当方としては、現状から死刑の関連項目に転記を進め、死刑の項目自体は死刑関連項目のダイジェスト版みたいにする方向が良いと思います。この死刑関連の記述は簡潔に記述するにはあまりにも複雑すぎる問題を抱えていると言えますので、よろしくおねがいします。--Carpkazu 2010年1月22日 (金) 16:55 (UTC)[返信]

タグ削除

議論が停止しているので削除しました。削除したタグ、または、別のタグを問題提起する場合は、具体的な箇所と理由を新たに問題提起して、タグを添付してください。--Fugen 2010年10月17日 (日) 13:58 (UTC)[返信]

死刑をテーマにした作品

確か、ブラックジャックでも見たことがあったような・・・--上條穂士輝会話2022年7月26日 (火) 04:15 (UTC)[返信]