ノート:歴史的な津波の一覧

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歴史的とは[編集]

この記事は、議論を経て津波から分割された記事であることは承知しておりますが、個々の事例が「歴史的」か否かは主観的であるため、もう少しはっきりとした定義を設定しておいたほうがよいと思われます。20世紀から分割された20世紀の人物が、Wikipedia:削除依頼/20世紀の人物のような議論を受けて削除された例がありますが、同じ轍を踏まないように留意していただければと思います。--かぼ会話2014年2月16日 (日) 14:16 (UTC)[返信]

英語版en:List of historic tsunamisに相当する記事ということになりますが、現内容なら記事名は「主な津波の一覧」や「顕著な津波の一覧」あたりが妥当かも知れません。
「歴史的な・・」とは歴史地震に相当する津波と云うことでしょうか?観測が始まった年代は国によって異なりますし、例えば一般的には歴史地震とされる安政の大地震も東海地震や南海地震の津波はカリフォルニアの験潮儀による観測記録があり、定義は曖昧です。大森房吉(1913): 本邦大地震概説
掲載基準も問題となるでしょう。日本国外については今村・飯田の津波規模で[4]レベルのものを挙げていますが、日本の方は掲載に値しないようなものもあるように思います。--As6022014会話2014年4月8日 (火) 03:27 (UTC)[返信]

提案[編集]

上記の「歴史的」とは、はっきり定義することが困難ですが、古地震に倣って「(昨日までの)過去に起きた顕著な津波」で良いのではないかと考えます。東北地方太平洋沖地震の津波も歴史に残る大津波の一つです。

掲載基準を明確化することは困難ですが、今村・飯田の津波規模で3程度以上のものに限定してよいでしょう。津波が存在したというだけで掲載していてはキリがありません。特に日本付近で発生した津波の一覧については、掲載に値しない、或は掲載が適切とは言えないものもいくつかあるように感じます。

  • 887年7月29日の越後西部の津波 - 『大日本地震史料』で武者金吉は仁和地震津波との混同の可能性ありと註釈を付けています。863年の越後の地震との混同の可能性もあります。
  • 1293年5月20日の鎌倉大地震 - 13世紀後半頃の津波堆積物がこの地震に相当するとの説があり、相模トラフの巨大地震との説がありますが、史料からは多数の死者が出たとあるものの津波を示唆する記事は確認できません。掲載するとしても「13世紀と推定される津波堆積物との関連が指摘されている」とする程度でしょう。
  • 1614年11月26日の高田領大地震 - 地震の記録が実態不明であり、直江津沖の津波記録は疑問視されています。高田領以外で「津波被害甚大で多くの死者発生」の記録は確認できません。
  • 1616年9月9日の三陸地方の津波 - 慶長三陸津波との混同とも言われており、詳細は不明です。確かなのはこの日に仙台城が破損する地震が有ったということで、津波被害の史料は確認できません。
  • 1644年10月18日の出羽本荘の津波 - 今村明恒著『震災予防調査会報告第九十五号』に象潟の津波の伝説があるとしていますが、今村自身は同書でこの記事は疑問であるとしています。
  • 1751年5月21日の高田地震 - この地震の史料には津波の記録は確認できません。日本海側の震源域のものが岩手県沿岸で津波となるのも不自然。四日後に起きたチリ・コンセプシオン地震による遠地津波と考えられます。
  • 1763年3月11日の八戸沖地震余震 - 本震はともかく、余震は八戸の震害が中心で津波被害は小さいもので余震まで記述する必要性はありません。
  • 1802年12月9日の佐渡小木地震 - 「大津波」と書いているが史料では津波記録は確認できません。
  • 1804年7月10日の象潟地震 - 津波は発生はしたが、この地震では津波は副次的なもので被害の中心というわけではありません。
  • 1835年7月20日の地震 - 「天保大津波」と書いているが、大津波というほどの記録が確認できません。『地震の事典』では岩手県、宮城県下の史料で具体的に津波について記したものはほとんど無いとしています。
  • 1861年10月21日の宮城県沖地震 - 野蒜や綾里で文久年間に津波があったとされるも年月日が不明で、顕著な津波被害記録は確認できません。

これらは実際に顕著な大津波が存在したかも疑わしく、異論がなければ記事から除去して行きたいと考えます。その他、大宝地震や万寿地震も疑わしい部分もありますが、大津波が被害の中心とされているため許容範囲でしょう。ご意見よろしくお願いします。--As6022014会話2014年5月12日 (月) 08:04 (UTC)[返信]

賛成 佐渡小木地震では、記録では津波なしとされています。明らかな記録が残されている物のみを残すのが良いのではないでしょうか? "疑わしい"物を列記したらキリがありません。--Apple2000会話2014年5月12日 (月) 10:44 (UTC)[返信]
佐渡周辺の津波の記述は、ここ...外部リンク(pdf)を参考にした記述と思われます。--Apple2000会話2014年5月15日 (木) 06:07 (UTC)[返信]
賛成 顕著な津波を記事主題とするのであれば津波記録の確認できない地震や規模の小さな地震津波は除去しても構わないと思います。掲載基準も津波等級で3以上とするのが適切でしょう。疑わしいものに関しては大津波が主な被害とされるものは残しても構わないではないでしょうか。--窓家会話2014年5月12日 (月) 11:09 (UTC)[返信]
ご意見ありがとうございました。佐渡小木地震については佐渡島西部の隆起が、「潮退き」と記述され、これを津波と解釈する見方もあるかも知れません。小規模な津波が発生した可能性はあります。1835年のいわゆる「天保大津波」については『秦平年表』に「民家数百軒流失」等の記録が確認できるため、取りあえず残しておきます。
今村・飯田の津波規模で3程度以上の日本の大規模な津波はこのようなものが一覧としてまとめられています。日本の巨大津波の表
ただし、この内、康和地震に関しては史料からは津波記録は確認できません。「土左国田苑五十余万頃、没為海土佐国潮江庄康和二年正月□□四日地震之刻国内作田千余町皆以成海底」は津波と云うより地殻変動でしょう。文献史料からみた東海・南海巨大地震--As6022014会話) 2014年5月19日 (月) 08:09 (UTC)修正--As6022014会話2014年5月19日 (月) 08:26 (UTC)[返信]

出典差し替えの理由[編集]

歴史的な津波の一覧2012年1月5日 (木) 10:07 (UTC) の編集(差分)で追加された出典「高知県土佐市で2000年前のM9級超巨大地震の津波跡(50cm堆積物)を発見」(リンクは省略)を除去しました。理由は、現在はリンク切れとなっているこの記事のアーカイブを確認したところ、記事の前半は「M9級・超巨大地震! 2000年前、巨大津波か」(読売新聞、2011年4月25日14時47分。アーカイブ)に、後半は「研究拠点節電ショック つくば・学園都市」(東京新聞、2011年4月2日)に酷似しているにもかかわらず、サイト内にこれらの記事が出典として明記されていないことから無断転載だと思われたためです。著作権上の問題があり出典としては不適切だと考えて除去しました。代わりに、転載元と推定される読売新聞記事(アーカイブ)を出典として提示しました。--Æskja会話2015年12月5日 (土) 14:08 (UTC)[返信]