ノート:樺美智子

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  • 「自殺の疑い」の記述について

ソースをお示しいただけませんか? Buyobuyo 2007年1月19日 (金) 06:51 (UTC)[返信]

  • 125.192.16.80 氏の編集について

編集合戦になりかねない気配を感じますので、議論を行い合意を形成した上で編集すべきではないでしょうか?Buyobuyo 2006年10月29日 (日) 19:57 (UTC)[返信]

また同種の編集が行われました。再度繰り返されるようでしたら、保護申請をしたいと考えています。Buyobuyo 2006年11月9日 (木) 06:01 (UTC)[返信]

編集方針について[編集]

以前から、Template:共産主義を挿入したり、永田洋子大躍進政策文化大革命共産党などを関連項目に入れたり、 >一方で、この事件が戦後レジームの一里塚なり、戦後日本に本人の意思を越えた形で大きな禍根を残したのはまちがいないようである。 などと独自研究を挟む編集をするユーザーがいます。

まず関連項目については関連性が疑われるものが入れられすぎです。大躍進政策は「事件と同時期」という理由だけで追加されてますし、新左翼共産党は違います。永田洋子文化大革命にいたっては関連性の欠片も見出せません。(理由も書いてないですし)

Template:共産主義の挿入については、当時学生運動が安保闘争とリンクして大衆社会運動として認知され、今とは比較にならない数の人々が参加した事、また樺美智子さんが当時学生であった事などを考慮した場合、つけるのが妥当だとは思いません。当時の学生運動参加者には後に有名人になられた方もたくさんいらっしゃいますが、このような活動に参加歴があるだけで、いちいちTemplate:共産主義を挿入している記事は殆ど見かけません。また彼女が学生運動の主導的立場であった訳ではありません。あくまでも一学生としてデモに参加し、そこで亡くなった一般人です。活動家として長く携わった人物ではなく、このような記述には慎重さが求められるはずです。

独自研究については、出典も示さずにやたら挿入するのはただの荒らしです--豪烈 2009年6月5日 (金) 15:07 (UTC)[返信]

扼殺説について[編集]

村上義雄(朝日新聞社員、元『朝日ジャーナル』編集部。同姓同名の官僚とは別人)の著書には『朝日新聞』1960年7月22日、26日、8月7日付の記事の要約として、樺の死因について以下のように記されています[1]

(東京地検の発表と慶応大学法医学教室による死因鑑定書の説明)これに対し、別の専門家が「警官隊によって首を絞められた」として「扼死」を主張したが、東京地検側は、東大法医学教室に再鑑定を求め、胸腹部の圧迫による窒息死であるとして不起訴処分にした。

この「別の専門家」の名前を村上は挙げていませんが、これは当時の朝日新聞の記事でも匿名だったのか、村上が引用する際に名を伏せたのかがわからず、出典足りえないので本文に記述することができません。「誰の主張なんだ」と問われても返す言葉がないためです。当時の紙面をご存知の方はおられませんか。

加えて疑問なのは、この「別の専門家」はあくまでも扼殺を主張したというのであれば、なぜ粘り強くその主張を続けて広く世間に訴えかけようとしなかったのか、ということです。自分は安保関係の文献もいくつか読んできていますが、扼殺という話は同書でしか見たことがありません。自分の勉強不足かもしれませんが。主張を続けたのかそうでないのか、また、(もし続けたのであれば)誰もそれに対してまともに取り合おうとしなかったのはなぜか、という点が気になります。この点についてのフォローをお願いします。--Alexander Poskrebyshev会話2016年2月21日 (日) 19:05 (UTC)[返信]


  1. ^ 村上義雄 『「朝日ジャーナル」現代を撃つ』 朝日新書 208 ISBN 978-4022733085、204p

記述の除去について[編集]

樺が研数学館に通っていたという部分の出展となっている遠藤の著書ですが(この編集で追加された部分)、そのような記述はありません。研数学館について触れた部分は一箇所のみで、遠藤自身の浪人時代の経験についてです[1]。それ以外、同書にはこの予備校について触れた箇所はなく、樺美智子についての言及は全篇にわたって存在しません。同書は1974年初版という古いもので、金属活字時代のものであるため増刷を繰り返すと文字が読みにくくなり(自分が中古書店で見つけたのは1985年10月発行の27版)、通読がしんどかったのですが、何度読んでも記述が見つかりません。よってこれは出典の読み間違いだと判断し、除去しました。

落合信彦による陰謀説については、出典を探してページ数まで明記しました。同書の初版は1984年、これも探すのに苦労しました。

また、木村愛二の座談会における発言については、当日にロフトにいなかった人には検証できない内容であるため除去しました。この編集で追加された部分ですが、そこから現在まで約5年間も誰も問題視してこなかったことには首を傾げざるを得ません。ついでに書きますが、この加筆を行った利用者は、特定の項目にしか現れていないことが履歴で明らかであり、なおさら本来ならば問題視されなければならない記述です。なぜこの部分だけが看過されていたのでしょうか。見落とし? そんな話は通らないでしょう。5年ですよ5年。

松本健一の著書ですが、『思想としての右翼』はこれまでに都合3回(1976年、第三文明社 ISBN 4476030556/2000年、論創社 ISBN 4846001784/2007年、論創社新装版 ISBN 978-4846003203)出版されており、どの出版年の57ページなのかの出典を求めます。この編集で追加された部分です。

私が疑問に思うのは、常日頃から様々な項目に出典関係のタグをべたべたと貼って回っては、出典のない記述を除去しまくっている利用者(複数いる。そしてこうした利用者に限って出版物を出典として提示した加筆はほとんど行わない)が、このような項目には現れていない点(上記のロフトの件がいい例)です。そうした利用者群が、ある一定のバイアスの元に出没する項目を選んでいることが推測され、その利用目的がうかがい知れて、何となくイヤな気分にさせられます。そんな時間があるなら記述を行って項目に対する貢献を行うべきなのではないですかね(無出典記述を除去することは、項目のマイナスをゼロに近づけているだけで、プラスにはなっていない)。ああ、一応書いておきますが、無出典記述を擁護するつもりは毛頭ありません。--Alexander Poskrebyshev会話2016年5月15日 (日) 14:36 (UTC)[返信]

  1. ^ 遠藤周作 『わが青春に悔いあり 狐狸庵閑話角川文庫 [緑245-12] ISBN 4041245125、26p