ノート:森永ヒ素ミルク中毒事件

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「中坊氏はかつて森永ヒ素ミルク事件について度々発言を行っているが、「森永製品不買運動は私が指導した」「今では被害者は森永に感謝している」といった事実とは異なる内容も非常に多く」の、この二つの発言の出典を教えてください。

ヒ素重金属元素には違いありませんが、半金属であり、わざわざ「重金属」と記載する必然性は感じなかったので削除しました。いかがでしょうか。--KAWASAKI Hiroyuki 2005年1月25日 (火) 09:41 (UTC)

森永乳業のページには[編集]

森永乳業のあゆみ[1]によると、 昭和30年8月 粉乳中毒事件発生 と、ありますね。 一切触れていないとは言えないと思いますが、本文はそのままにしておきます。 気になったらどなたか直して下さい。

指摘のとおり、確かに森永乳業サイトには事件のことが(かなり長期間に渡って)表記されていることが分かりましたので該当部分を消去しました。Modeha 2005年9月18日 (日) 11:05 (UTC)


「森永乳業の社員教育はまずこの事件から始まる。あまりに徹底している…」 ここまでは事実だと思いますが、その続きの、 「入社後すぐにノイローゼになってしまう新人もいるほどだと言う。」 この部分のソースはありますか? なければ削除すべきと思います。--219.125.7.19 2009年1月27日 (火) 14:53 (UTC)

出典[編集]

「皿に注がれたお茶を舐めるように飲むなどの日常を強いられている」「今もなお精神的に苦しんでいる被害者の親らも多いといわれている」「これについて、当時をよく知る関係者は(中略)と指摘する」「また同事件では重症者も多いが、(中略)と被害者家族は指摘している」という記述には出典が必要です。--121.87.113.228 2010年1月11日 (月) 20:15 (UTC)

2012年1月からの当該ページへの大規模改変の問題点[編集]

相対化手法の悪用による「白紙化」

平成24年(2012年)1月頃より、ウィキペディアの限定されたスペースへ、バランスを欠いた大量の解説(特定団体の事業報告 受益者や一般市民から法的手段を伴って批判されている事業内容)を投入することで、読者に対して、現実とは異なる印象を与えるという手法に基づく追加が集中的・継続的に行われている。また、実名を挙げて、一個人や任意の市民団体に対し、出典・根拠のない「主張」「攻撃」が多数展開されるようになっており、ウィキペディア全体の信憑性を著しく毀損しかねない内容へ変貌を遂げている。 「相対化」については、次のような例えができよう。ある自治体が大規模な不正経理という不祥事を起こして社会から批判されているとしよう。その事件が指摘されているページに、自治体の福祉行政に関する部分(“これだけ弱者にお金をばら撒いています”といった)の事業報告書をテキスト化して、従来の本文を上回るほどの規模で大量に流し込めば、読者は大いに混乱する。これは、ウィキペディアが禁止している事実上の「白紙化」であり、そこには、相当な政治的悪意を観察することができる。もはや百科事典というよりプロパガンダの場に置き換えられているというべきであろう。相対化による白紙化とはそのような行為をさすものである。

社会全体に存在する意見や議論をバランスよく示すことは必要であるが、そもそも、ウィキペディアは、特定の団体(それが仮に公益法人であっても)の事業を一面的に宣伝する場ではない。それらは、団体独自の宣伝手段で行うべきである。バランスを欠いた記述者の姿勢は、それ自体が、百科事典の趣旨から外れている。

例えば2012年1月12日以降、ページ構成全体が大掛かりに改造されるにあたって、「関係者」という項目が新設され、順位をつけて人物を配置しているが、その記述内容を見ると、掲載順位が一定の主観的な評価基準に基づく優先順位付けと等しい扱いとなっており、公正な箇条書きとはいえない。歴史的事実の記述にあたり、全体の文脈から、個人を抜き取り恣意的に選別するような手法を作為をもって適用すると、読者をいかようにも欺くことができる。

また2012年1月12日以降の連続的加筆者は、岡山地裁で提起されている名誉毀損訴訟について、「いずれにしても係争中」と加筆し、一見“ 裁判所に判断をゆだねている ”かのように中立的装いで書く一方で、同時に、その原告を出典記載もなく一方的に「暴力的」な市民団体の創設者と書き込んでいる。(以下) 「いずれにしても、この能瀬氏が起こした訴訟は係争中である。ちなみに能瀬氏らが結成した「森永告発」は、被害者の会総会などに暴力的な行為を行ったため…」この直後に、「…なお、能瀬氏自身が暴力的行動を行ったわけではない…」と続けている。 このような、ウイキペディアの公正方針をかいくぐるかのようなレトリックを使い、読者を混乱させ、文法的にも著しく滑稽な形となっている。これは、一般的に、暴力という言葉のもつ定言命の効果を利用し、最後に形式的な前言否定をアリバイ的に配置しつつも、最終的に「恐怖」の印象だけを読者に植えつける詭弁論理の応用といえる。非常に悪質で、かつ扇動活動に手馴れたものと指摘せざるを得ない。 「暴力」という刑事犯罪に相当する言辞を、出典を明示せずに使用し、原告に対する「独自主張」を展開する一方で、裁判所への提出文書に対しては「…しかしその文書の出所や信憑性については不明である…」などと書き込んで(信憑性不明という根拠明示なし)、主観的主張を展開。さらに一方では「…これは、守る会運動とひかり協会事業を、能瀬氏からの攻撃から守るために必要な措置であったと守る会側は主張している。…」などと被告側の主張めいた内容を加筆しているが、やはり出典明示はない。 さらに 「…被害者と森永との関係は明らかに敵対関係から協力関係に変化している。…」との「主張」には、人間的な社会通念との本質的な部分での齟齬と矛盾が見られる。公害の原因企業、つまり加害企業に対して、被害者が協力する必要性を説く社会とは、一体どんな社会を想定しているのか? 被害者が声を大にして、殺人犯のことを「よくやってくれている」と褒め称え、殺人犯側へ協力(協力とは確かに双務的援助を想起させる言辞である)の義務を負う社会とは、一体どのような社会なのか。これについての別途詳しい説明責任が加筆者には問われることになろう。

以上、相矛盾した強固に主観的な「主張」と「加筆」の連続的行為は、読者をないがしろにするだけでなく、真実性の追求というウィキペディアの基本理念を否定するものである

いうまでもなく、個人攻撃はウィキペディアがもっとも忌避する行為であり、そもそも人道主義に反するものである。誰かが「暴力」をふるったかのような表現を使う者は、その刑事犯罪の法的記録を明確に示さない限り、個人への尾篭な誹謗中傷として逆に係争に発展しうるものであることを猛省していただきたい。ウィキペディアではこのような個人攻撃は通常、5分以内に訂正されるべきことになっている。だが、2012年1月12日以降の連続的加筆者の代表格であるHN夢の正氏には、訂正の意志がみられない。すでに、1ヶ月以上、この、相対化による白紙化と、個人攻撃という無法状態が放置されている。 このような状態が放置される限り、ウィキペディアは産業公害などの企業犯罪に関しては全く無力で、真実性が担保されないシステムという評価を社会に与えてしまいかねない。

なお、公害事件の熾烈なやりとりにおいて、被害者が、加害企業に対して、激しい憤りを表すことは通常のことである。また被害者同士が方向性を巡って激しく争うこともあるだろう。水俣病でも、チッソの社長につかみかかった被害者に対して、加害企業が「暴力を振るった」と理不尽にも刑事告発する事件まで発生した。犯罪には人間の感情が激しく交差する。犯罪への中立的記述というものが、果たして可能かどうかというテーマも市民によって提起されている。被害者より、長期に生き残る企業によって、膨大な時間と経費がかけられ、ウィキペディアへの歴史偽造の作為が行われる場合、一体、どう対処するのかという本質的問題も今後提起されよう。

いずれにしても、この加筆者は、そのような問題を取り扱うページを大規模に改変するにあたって、果たして公害事件への基本的な歴史認識を有しているのだろうか。そうは思えない。にもかかわらず、個人一人一人への細部にまで到る「評価」を加筆し続けているのはなぜだろうか? そこには政治的意図があるのだろうか? すでに改変から2ヶ月になろうとしている。可及的速やかなる、訂正と原状回復を実施されたい。--真実の声 2012年2月29日 (水) 09:32 (UTC)  

指摘の前の版まで差し戻したうえで、逆に現守る会やひかり協会について攻撃することを企図されたと思われる記載を除去しました。急速に変貌を遂げていく、とかそういう主観的な記述が逆側からの主観的な記述の呼び水になってしまっていたものと認識しています。--水原紡 (会話) 2012年3月2日 (金) 02:43 (UTC)

水原紡様 コメントありがとうございます。 中坊公平氏の言動に関しては、いくつかの作家から疑問点が指摘されています。中坊氏は、とくに森永事件への言及が多く、住民運動の当事者が鬼籍に入ったあとから、発言を加速され、大手の雑誌上で、森永乳業役員との円満対談も行うなど、政治的な動きを見せたことがありますね。同氏のおびただしい量の主張、特に「被害者が加害者に感謝している」という彼の発言に影響された既述がウィキペディアに登場したので、そのような展開に対する疑問と義憤にかられた指摘が、かつてなされているのでしょう。私は今回の大量改変の契機は、中坊公平氏の主張の紹介にまでさかのぼる必要があるとの意見を提示しておきます。

また、組織への批判は、攻撃とは同義語ではないことも指摘しておきます。出典記載以前に重要な自明の事実かどうかの認識、信頼に足る出典、そして節度遵守、人道にもとる行為は行わない、個人攻撃の禁止というウィキペディアの精神が守られているかどうかが、重要な指針となると考えます。 仮に個人攻撃を行っている組織を評価している記事が掲載された場合は、その組織が行っている個人攻撃の事実が、諸規定を遵守したうえで加筆されることは当然だと思います。 ただし、出典未記載の記事については、このさい削除してきれいにしておきましょう。--真実の声 (会話) 2012年3月2日 (金) 04:12 (UTC)

はじめましてポパイ君です。調査に基づく出典の明記と、出典明記の整備による警告タグの削除を実施しました。図書館でしらべましたら、『森永砒素ミルク闘争二十年史』がありました。重厚な内容の本です。この問題はあまりに根が深いですね。ちなみに、中坊公平さんの著作には、森永事件の部分で、前掲などの他の文献と比較対照すると、事実とは異なる記述がいくつも見受けられました。ご本人様が、意図して書かれたか、そうでないかまでは、よくわかりません。しかし、確かに、重要な局面での事実誤認、たとえば、森永乳業が和解交渉に際して強気であったかのような語り口は、 当時の客観的情勢を見誤らせ、被害者が森永乳業の意向を尊重しなくてはならない形で救済事業が開始されたかのような、おかしな印象に結びつきかねませんね。「被害者たちとの対面を渋る国と森永を引っ張り出すために水面下で動き続ける」必要はなかった。むしろ逆の状態であったことは、事実として確認できました。--ポパイ君 (会話) 2012年3月2日 (金) 06:03 (UTC)
(真実の声さんへ) 履歴を粗く調べましたが、中坊氏のコメントについてはこの版にて批判と同時に追加されてるようですよ。中坊氏サイドの書き込みが契機だったというご意見なら、それはたぶん違う、かと。まあ、未来を見まして、いくつかの作家から疑問点が指摘されているということですので、具体的な文献提示の上でこういう指摘がある、として書く方向がよろしいかと思います。
(ポパイ君さんへ) 実際には、とか事実である、と言い切ってしまうのはまずいように思います。中坊氏の発言と食い違う記載が為されている点について淡々と書いて、後は受け取る側に任せませんか。
誰が正しいか、を判断するのはWikipediaの役割ではないように思います。--水原紡 (会話) 2012年3月2日 (金) 09:10 (UTC)
(水原紡さんへ)受け取り側に任せるというのはおっしゃる通りですね。ただ、この事件を調べれば調べるほど、現在でもなにか大きな情報操作が続いているように感じました。私は、それについての率直な感想を書いたまでですが、これ以上は受け手にまかせて、中坊公平氏の発言と違う内容があるということにとどめておきましょう。
ただ、ひとつ発見があります。「中坊公平氏サイド」というものがあるかどうかは別にして、中坊さんが登場するのは、この版のようです。水原紡さんのご指摘より3年前の2006年2月6日で、批判と同時ではないようです。この頃までに、中坊さんは盛んに書籍を出版され、その内容の冒頭に森永事件が出て来て、自分が自分がと書かれているので、彼がこの事件の救済運動の指揮官だと誤解された方はきわめて多いと思います。
私がもっとも興味を覚えたのは、彼が患者側の指導者に一度も言及していない不自然さです。
一方、患者の方にとっては、患者本人の指導者がいるのは自明ですから。彼が「被害者は森永に感謝している」と言えば、反発する患者は確かに多いと思います。実は私は彼の講演を聞いたことがあるのです。だからあまりに違う別の事実の存在を知って余計に愕然としています。
私が、書くことにおいて忘れていたのは、社会的事実の中にある人間の情念を共有することだと気がつきました。傍観者的な視点では何も見えてこないと反省しています。もちろん、私も水原さんの言われるとおり、誰が正しいかを評論するつもりはありません。人物評価より、事実の記述を優先させるべきだと考えています。ただ、履歴を調べていると、中坊公平さんがこの場所に突然出てきたことが、いびつになるきっかけかもしれないと、逆に思えてきました。
でも、私は中坊氏にまったく他意はありませんし、彼を議論する場ではないのでこの辺でやめておきましょう。--ポパイ君 (会話) 2012年3月2日 (金) 12:01 (UTC)
どもです。中坊公平氏の発言と違う内容があるということにとどめておきましょう。というお言葉頂けましたので、とりあえずで記事のほうから「実際」「事実である」を外す編集しました。
少し微妙な文になってしまったので、いい文案ありましたら直していただけると幸いです。
中坊氏のコメントのタイミングについての発言意図ですが、中坊公平氏の主張の紹介にまでさかのぼる必要がある、との真実の声さんのご指摘に対し、中坊さんのコメント乃至主張が取り上げられたタイミングでは批判と同時に記述されている、というお返事をしようと思ってのものです。
中坊さんの名前がひょこっと出てきたのはご指摘の版ですが、それは主張の紹介でもないのでまた別の話ではないかな、と。--水原紡 (会話) 2012年3月2日 (金) 12:28 (UTC)

水原様 ポパイ君様、お忙しい中、コメントありがとうございます。 私が先般、「同氏のおびただしい量の主張、特に『被害者が加害者に感謝している』という彼の発言に影響された既述がウィキペディアに登場したので、そのような展開に対する疑問と義憤にかられた指摘が、かつてなされているのでしょう。」と書いたことで、「感謝発言」の登場を基準に探されたんですね。それなら2009年になりますね。 これは説明不足で失礼しました。私が指摘したかったのは、“中坊さんが当時展開されていた主張に、違和感を覚える患者がいただろうから、彼が森永事件の歴史に登場した時点で際限のない議論が始まるだろう”という意味なのです。当時もっとも「感動的」だとメディアで取り上げられていた話が「いまでは被害者は加害者に感謝」しているというオチです。個人的には、演繹的に導き出されたストーリテライズの手法だと想像します。そうかどうか、中坊公平さんがこのページに登場されたあとに、その発言が批判的な視点から取り上げられていますね。それは患者さんからしたら、当然だと思いますよ。 問題は、「国民がいかに過去の惨事として忘れてしまっても、実際には継続中である惨事について、事実の一部を語らずに、一弁護士が、自分の活躍をそれに置き換えて、事実を私的に解釈しなおし、別の印象を及ぼしてしまった」ということです。 彼がご自分で多くの書籍や番組で、数々の住民運動の指揮官であるかのように語っていたのです。彼を「正義の味方」として「時期首相候補に」という掛け声まであったのをご存知ですか。たしか、内閣顧問にまでなったのです。一時的にせよ、それほど知名度の高かった方ですから、救済的住民運動の記述において、中坊氏だけがポンと森永事件の歴史解説に登場すると、「指揮官のはずの彼が何を言うか」という形で耳目が集まります。 「彼が登場した時点」を問題にしたのは、このような形で知名度の高かった彼の主張「被害者が加害者に感謝」や「か弱い自分ばかり責める被害者の親(=加害者を責めていない??)」のイメージをめぐって議論が収斂してしまうので、それが、火種のひとつを形成しているのではないかとの提起です。彼の個人的評価をしているわけではありませんし、彼個人にはほとんど関心はありません。誰かが「自分からは言えない何か」を彼に語らせていたかどうかなんて、考えても仕方ないことですからね。--真実の声 (会話) 2012年3月2日 (金) 13:13 (UTC)