ノート:栄誉称号

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定義自体の独自研究[編集]

一覧への出典[編集]

「一覧」についてですが、それぞれ「栄誉称号」と呼ばれていることが確認できる出典はありますか? 一般化は避けるべきと思います。たとえば特定の大学で○○が栄誉称号と呼ばれている、ということは、大学においてそれが栄誉称号と呼ばれる、ということを意味しません。後者の記述をしたければ、大学論の本などで、大学一般でそう呼ばれている、という出典に支持される必要があります。百科事典として必要なのは事例の列挙ではなく、なぜそう呼ばれたか、などの解説です。 --2001:240:2421:4B69:95FE:58F3:6664:CE74 2018年10月21日 (日) 05:16 (UTC)[返信]

まず、「栄誉称号とは」における狭義の理解と、栄誉称号として挙げた称号の類型、出典。それと一覧を照らしてご覧頂ければと思います。栄誉称号については法令上、概念としても登場する語であり、百科事典や報道でも使用される言葉でありながら、明確な定義がないことが出発点にあります。広義には一部で栄誉称号と呼ばれてしまうすべての称号を栄誉称号といえてしまうことなりますし、実際、一部の料理の業界団体で「栄誉称号」なる言葉を用いる例もあります。しかし、それでは際限がありませんし、ご指摘のように「特定の大学で栄誉称号と呼ばれている」ものも含まれてしまいます。少なくともそのような理解で掲示しているわけではないことは明記したく思います。

あらゆる公的・法的な文書、辞典や報道の取り扱い事例を踏まえ、狭義に「栄誉称号」と呼べる称号を、「法令(条例等を含む)に基づき付与される称号」と限定的に理解して掲載しています。 例えば栄誉称号とされる称号の類型とそれぞれの出典として

  • 法令(条例)では、「公立病院の院長」の栄誉称号と規定する事例(笠間市訓令 笠間市立病院長の栄誉称号の授与に関する取扱要領 ※記事文中で出典リンクを掲示)
  • 百科事典で「学位」を栄誉称号として解説する事例(国史大辞典編集委員会編『国史大辞典第3巻』(吉川弘文館、1983年)177頁)
  • 報道で英雄称号を栄誉称号として表記する例(「「ユーゴ軍死者は1,800人」空爆開始後コソボ駐留軍が初言及」『読売新聞』1999年6月3日東京朝刊7頁)。

などが確認されていますので、これを「栄誉称号とは」の部分で出典として明記しています(ただし、「爵位」は栄誉称号と形容する事例はなかったため、類似語として「貴号」という語を参照しました(貴号とは「栄誉を表す称号。主に爵位や学位をいう。」出典:『大辞泉』編集部編『大辞泉 増補・新装版』(小学館、1998年)634頁など)。 つまり、博士号、修士号など固有の称号ではなく、学位という称号の種類そのものを栄誉称号できるか否かで判別しています。また、海外の版で栄誉称号に該当する記事も参照しました(中国版「荣誉称号 (中华人民共和国)」)。 直接的な論拠としてはいませんが、すでに作成されていた「ソ連名誉軍事操縦士」などソ連軍で授与していた各種称号もそれぞれWikipedia内で栄誉称号で整理されていたこともふまえております。

特に学位であれ或いは大学の名誉教授についてであれ、日本では学校教育法に規定があり、とりわけ学位などは授与機関が公的機関か民間法人かに関わらず法的にその栄誉・権威を保障するものですし、軽犯罪法第1条15でも「官公職、位階勲等、学位その他法令により定められた称号若しくは外国におけるこれらに準ずるものを詐称し、又は資格がないのにかかわらず、法令により定められた制服若しくは勲章、記章その他の標章若しくはこれらに似せて作つた物を用いた者」に拘留又は科料を課すとして詐称を禁じています。これらの規定からも狭義における栄誉称号は法令に定め詐称を許されない称号の類(たぐい)というのが狭義の理解になろうかと思います。

翻って、大学独自の称号である名誉学長、特別栄誉教授、特別功労教授、名誉客員教授、名誉学員、名誉校友或いは名誉博士、名誉修士、名誉学士の称号などはたとえその授与機関が国立大学法人であっても法令上保障する性格の称号ではありません。よって、一覧には含めていません。つまり、複数の事例から狭義の概念を整理し、その類型に含まれる称号を一覧掲載している次第です。--海衛士会話2018年11月1日 (木) 13:28 (UTC)[返信]

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「複数の事例から狭義の概念を整理」したものである、と説明しておいでですが、それはまさにWP:ORで禁じられていることに該当しているとは思われませんか。

「明確な定義がないことが出発点にあります」「各種称号もそれぞれWikipedia内で栄誉称号で整理されていたこと」……これでは、ウィキペディアが栄誉称号という概念を定義しはじめた、ということになりかねません(というか、それを否定する証拠が見当たらないのですが……)。「これらの規定からも狭義における栄誉称号は法令に定め詐称を許されない称号の類(たぐい)というのが狭義の理解になろうかと思います」というのは貴殿の考察です(考察なさること自体はいいのですが、その発表場所にウィキペディアを使うのはどうか、ということです)。「明確な定義がない」のに、なぜ「狭義」の話が出てくるのでしょうか。現状では、名誉称号へのリダイレクト化の上、ある称号が名誉称号とも栄誉称号とも呼ばれたりする、という程度の説明を越える説明は、Wikipedia:独自研究に当たると思います。 --2001:240:2412:DADE:7543:9EEE:BD67:8497 2018年11月2日 (金) 09:08 (UTC)[返信]

ちょっと書き方が悪かったかなと思いますし、一瞬その通りかなとも思いました。しかし、解釈として飛躍というか違和感があったのは、記事文中をご覧になってのご指摘なのか。例示もご覧になった上のことかということでした。 結論からいえば、別に、定義も独自研究もしていません。栄誉称号もまったく客観的に存在が確認できないものを記事化したわけでもなく、内容についても出典をあげているので、無根拠に書いているわけでもなし。或いは、出典を付したからといって、そこから勝手な解釈を派生させているわけでもありません。むしろ、多義的に使用されることもあるため、出典に基づいて少なくともこういうものを栄誉称号というと書いたに過ぎないからです。 行ったのは、多義的に使用される栄誉称号の概念を事例ごとの性質に整理しただけです。「〇〇は栄誉称号である」という事例を法令、学術論文、書籍その他の著作、他の百科事典、辞典、報道記事の用例に基づきあげています。ただし、その中でさすがに「法令上規定されたもの」と「社会の一部で栄誉称号といわれているもの」は違いますし、前者は少なくとも法令で詐称を禁じている以上一緒にはできないと言っているに過ぎません。広義、狭義というのはそうした整理で用いただけのことです。--海衛士会話2018年11月2日 (金) 12:47 (UTC)[返信]

コメント栄誉称号」と「名誉称号」の両記事を拝読しました。「栄誉称号」の「栄誉称号とは」節第1段落で「栄誉称号については現在、明確な定義はないが、いくつかの類型に分けることができる」とした上で具体的な類型分けが行われていますが、こうした類型分けは初版投稿者の独自の見解ではないのでしょうか。また、「{{Otheruses}}」の箇所で「栄誉称号は主に法的・公的な称号であり、名誉称号は民間法人等における私的な称号である」旨が明確に述べられており、記事本文では栄誉称号と名誉称号の相違に関する詳細な考察とそれに応じた定義づけが行われていますが、これらは初版投稿者が考案した独自の定義づけではないのでしょうか。もし、こうした栄誉称号の類型分けや栄誉称号・名誉称号の定義づけが信頼できる媒体において既に発表されたものであるとするならば、当然、しっかりとした出典がつけられているはずです。しかるに、「栄誉称号は主に法的・公的な称号であり、名誉称号は民間法人等における私的な称号である」ということについて出典が全くつけられていない以上、こうした類型分けや定義づけは初版投稿者が新たに考案した「独自研究」であると考えるほかないと私は考えます。この公的か私的かによって栄誉称号と名誉称号とを峻別するということは「栄誉称号」と「名誉称号」両記事の根幹をなすものであるため、その根幹が独自研究である以上、両記事は「削除の方針 ケース E: 百科事典的でない記事」の「独自の研究結果の発表」に該当するものとして削除とするほかないと思料します。--Pinkpastel会話2018年11月4日 (日) 23:06 (UTC)[返信]

コメント 定義とはその概念規定をする、つまりある種、断定的な行為だと思いますが、ご両所のご意見をうかがうと類型という言い方は種類として規定する行為とらえられても仕方ないかもしれません。それが確立した見方のようにも聞こえるという意味で。ただ、あくまで用例として示すのが趣旨でした。

①栄誉称号の記事の必要性について。実際問題、たんなる用例としてではなく、明確な制度としての栄誉称号は存在します。一例として中国が政府なり人民解放軍が中国における栄誉称号と称して体系化された栄典として授与しているように国家の称号として確立しているものもある。あるいは学位を栄誉称号と規定したり国家として授与する称号の体系として栄誉称号として定義されているものある。該当箇所を読解頂いたかわかりませんが、実は記事の中では民間団体の授与する称号を栄誉称号と形容する例、公的機関の授与する称号を名誉称号と呼ぶ事例が事実存在することも出典をもって触れています。矛盾じゃないかといわれたら耳が痛いのですが、現在の内容の一部削除を含む改訂の中で解決する道はあるだろうと考えております。

②栄誉称号と名誉称号の統合について。上記で名誉称号についての存続の可能性について触れて頂いたのはおそらく、名誉であれ栄誉であれ、これらにまつわる記事そのものはあって良いとのご見解かと拝察しました。一方、統合という結論が妥当か、もう少し掘り下げて検討できれば幸いです。記事そのものではなく、あくまでこのノート内での考察として提起したいのですが、そもそも、栄誉と名誉とは国語的にも近しいのは確かです。要すれば「ほまれ」の意味ですから、かなり共通性があることは疑いありません。強いていえば栄誉は「輝かしいほまれ」というように、より強調表現的に解説されることでしょうか。

ただ、栄誉の用法としても、「ノーベル平和賞の栄誉に浴する」という意味と、「学位には国際通用性と価値・"栄誉"があります」という意味では同じ「ほまれ」でもニュアンスが異なります(文科省における具体的な解説例)。前者はいわば高い社会的評価、称賛を受ける場合に用いますが、後者は一定の学歴を修めた者が等しく受ける評価・保障です。博士、修士、学士などの学力・教育課程の水準によらず一律、学位=栄誉があるとみなすものです。

また、名誉の用法については必ずしも「ほまれ」の意味に限定されない場合があります。例えば、名誉職は「 他に本業をもつことができ、生活費としての俸給を受けない公職。古くは町村長・市会議員など、現在は民生委員・保護司などがこれに当たる。転じて、俸給などを受けず、形だけその職にあるような場合もいう。」(三省堂大辞林)のような意味でとらえられますが、要するに無給または名目上の職を指していると思います。名誉称号の場合も「ほまれ」=表彰・顕彰・称賛の証としての称号に限るものではなく、名目上の呼称として付与される例を含んでいます。さらに名誉棄損という語からひけば話は広がりますが称号の話から逸れるため割愛します。 いわば、この点を栄誉称号と完全に一致するものと見做すことができるのか。理解として正確性を期すことができるか。 ちなみに先に名誉称号に統合されたものに栄誉職があります。栄誉職については「ある職業などにおいて、長年の功績などがある者が就く職階の1つ。一般的に権能の伴わない場合が多い。」(はてなキーワード)という解説が確認できましたが、名誉会長などを称号と呼ぶ場合もありますし、妥当性があると思います。この点から栄誉と名誉という概念は一致する面もあれば、しない面もあると思います。 また、公的・法的な称号と民間の称号の区別も栄誉称号と名誉称号という分け方かはともかく、どこかで区分が必要はあると思います。大学の規程等でも法的な名誉教授と大学独自の称号規則をわけて制定したり(ある事例)、称号ごとに規程をわけて制定したり、最低でも名誉教授については「学校教育法〇〇条に定める名誉教授の称号」などのように一定の差別化は行っています。--海衛士会話2018年11月6日 (火) 10:17 (UTC)[返信]

上記の補足ですが、大きな誤解があるなと思います。まず栄誉称号の記事では「社会的な用例からいっても栄誉称号が公的機関の称号、名誉称号が民間法人の称号と峻別することはできない。」としています。用例の多寡でものを書いたのは是正の余地がありますが、公的・法的に規定された栄誉称号と民間団体の称号を栄誉称号という事例が存在することは明記しています。名誉称号についても両方の概念の違いについて仰せの通りの断定はしていません。そこの点だけ補足まで。--海衛士会話) 2018年11月6日 (火) 10:39 (UTC) すみません。上記のように申しましたが確かに断定する一文がありました。ひとまずその部分をカットしました。--海衛士会話2018年11月6日 (火) 14:44 (UTC)[返信]

  • 中国の栄誉称号は栄誉称号 (中華人民共和国)として単独立項すべきだと思いますので、一般的な「栄誉称号」の記事にそのことを詳しく書く必要はないのではないでしょうか?。また、「学位には国際通用性と価値・"栄誉"があります」というような表現もちょっとよくわからなかったのですが、学位は栄誉称号ではありませんので(海衛士さんが出されたこちらのリンク先でも学位と称号は違うということが書かれています)、栄誉称号の議論には関係ないのではないでしょうか?いずれにせよ、名誉称号栄誉称号を独自研究なしに別の記事として維持できるとは思えませんでしたし、やはり曖昧さ回避で事足りるのではと思います。--さえぼー会話2018年11月12日 (月) 01:28 (UTC)[返信]
  • 中国の栄誉称号を単立でたてるなら、それはそれでよろしいかと思います。それはそれで別の議論かと思いますが。ところで、「学位は栄誉称号ではありません」「学位と称号は違う」とのご理解ですが、かなりきっぱり断定を頂きましたが、本当にその理解でよろしいですか。私の提示した資料のみでご判断になりましたでしょうか?それとも事実確認をされておいででしょうか。ノートゆえ出典提示は求められませんが、客観的に正確に記述するのは、Wikipediaの根幹であり、であればこそこの議論もあるわけですよね。まず学位に価値・栄誉があることは上記短期大学士の制度を紹介するPDFにもありますから、まずはそちらでご確認頂ければ、私の勝手な作文というわけではないということはおわかり頂けると思います。学位と称号が異なるというのは学校教育法上の区別ですよね。一般の国語・日本語での区別と法律用語の混同がある気がします。学位か否か国際的な通用性の有無で区別されることは文科省が解説してくれていますのでこちらに委ねます。栄誉という語も出てきますのでご参考になれば(学位と称号)。そもそも称号とは広く「呼び名。特に、身分・資格などを表す呼び名」を指す普遍的な単語でもありますよね。では、学位はなんと説明なさいますか。同じサイトにある大辞林では「博士の称号」という例文までありますが(コトバンク)。その上で「学位は学位。称号とは異なる」と仰せになりますか。私がネットで簡易に引いて頂いてもコトバンクなどで各種の辞典が学位=称号つまり、学校教育法の区別によらず、学位が称号の一種であることは複数の文献が示してくれています(コトバンク)。さらに、独立行政法人大学改革支援・学位授与機構の解説では学士の学位を指して「さまざまな分野の職業に就く際に必要とされたり、あるいは有利に働いたりする公的な称号」とあります(独立行政法人大学改革支援・学位授与機構『新しい学士への途』まえがきより)。学改革支援・学位授与機構は大学評価事業と国立の大学校や短期大学・専修学校卒業生に一定の学修に基づき学位授与する独立行政法人で、確か学位制度の研究をしている機関でもありますよね(同機構発刊『学位研究』バックナンバー)。

海外では人名に、SirやDame同様、DrやPh.D.、MBAと付しているのは称号であるが故ではないのでしょうか。学位と称号という学校教育法の規定のみをとらえておられますが、博士号、修士号のように号であることは否定されていないと思いますが、それも称号の一種であるが故でないのでしょうか。

学位が栄誉称号であるか否かも百科事典での出典は示しております。例えば、日本の教育学者で元国立教育研究所教育資料・情報センター長の佐藤秀夫は執筆担当した百科事典で「学位 特定の学問領域において一定以上の学力があると認定するものに、公的に付与される栄誉称号。・・・」と定義しています(国史大辞典編集委員会編『国史大辞典第3巻』(吉川弘文館、1983年)177頁)。『日本大百科全書』にも版によって記述は違いますが「栄誉的称号」という形での記述も確認できました(相賀徹夫編著『日本大百科全書5』(小学館、1985年)13頁、14頁)。爵位や学位を指して貴号という場合もあります(新村出編『広辞苑 第六版』(岩波書店、2011年)670頁)。日中辞典でも「栄称 (爵位・学位等的)栄誉称号。えいしょう」(大连外国语学院・新日汉辞典编写组編『新日汉辞典』(生活・讀書・新知三联书店、1980年)208頁)という解説もあります。 そもそも、法的な意味でいう栄誉は「公に認められる名誉の表彰」などと解説されています(伊藤正巳『憲法』(弘文堂、1990年)725頁)。具体例を示す解説では「栄誉とは、博士の学位、名誉市民、国会表彰などをいう。特権とは、経済的(たとえば年金支給とか税金免除」(河野弘幸著『憲法略説』(法律文化社、1982年)67頁)と解説したり、「栄誉は名誉市民、名誉教授などの称号や・・・」(服部秀一著『法律学全集 第2巻』(有斐閣、1962年)72頁。)。また、「栄誉とは、学位、名誉市民、文化功労者、芸術院会員などをいう」上田正一著『日本国憲法概観』(高文堂、1991年)183頁。)などの解説もありますが。歴史的にも、日本であれば天皇大権の一つとして栄誉大権があり、叙勲や授爵を行っていた通り(勝部真長『日本思想の分水嶺』(勁草書房、1978年)248頁参照。)、君主は栄典を授与する権能すなわち栄誉権の独占してきた歴史的背景もあります(佐藤功著『君主制の研究:比較憲法的考察』(日本評論新社、1958年)156頁参照)。

もちろん、民間の称号を栄誉称号をいう場合もあれば、栄誉称号を名誉称号と同義で用いる資料の存在を確認することもそう難しいことではありません。実際、大相撲の横綱、落語家の真打、茶道の地位である「宗和」、フランス料理のシェフに対する「ディシプル・オーギュスト・エスコフィエ」という語を指して使用する報道記事でありました。 しかし、栄誉称号を「栄誉ある称号」と理解して広く使う場合と、憲法でいうところの公の表彰(ただし地方公共団体の名誉市民や大学の学位や名誉教授を含む)とは概念的に違うし、特に後者は法的概念に基づくものですから、そこは勝手な類型でもなんでもなく、出典で証明している事実に基づく整理の話だと思うので、わけて記述できるところかと思います。なお、上記には新たに提示した資料を含みますが、もともと栄誉称号の脚注をもって示している資料も多く含んでいます。原典の解説を示していない場合もありますが、脚注をご覧頂いた上での仰せなのか、ご本人なりに正確性を期したご議論なのか。失礼ながら疑問を抱きました。大学教育に身をおかれているやに覚えますが、通常、論文等の査読を受ける、行う立場であれば同一の語句でも概念的な区別や本文のみならず脚注を通じて客観的な裏付けをしたり、批判的検討を加えるものと思いますが、違いますか。--海衛士会話2018年11月12日 (月) 12:05 (UTC)(加筆修正時刻)[返信]

  • 私が「海衛士さんが出されたこちらのリンク先でも学位と称号は違うということが書かれています」と申し上げたのは、出典pdfに学校教育法の運用上は違うものだと書かれているというつもりでしたので、一般的な意味で学位が称号と呼ばれることがあるとか、学術称号のような概念に学位が包含されるということであればそうだと思います(なお、手元のブリタニカ国際大百科事典「学位」の項目には、「91年に改正された新しい学位規則により、明治以来初めて学士が単なる称号から正規の学位として認められることになった」とあるので、ただの称号ではないというのがポイントなのかと思います)。海衛士さんは「学位に価値・栄誉があることは上記短期大学士の制度を紹介するPDFにもあり」とおっしゃっておられますが、そうした記述はご呈示いただいたpdfに見つかりませんでした。「「学位」と「称号」とは、何が違うのですか?」という質問の答えとして、学位は「一定水準の教育を受け、知識・能力を持つと認められる者に与えられるもの」、「称号」について「「称号」は、特定の学校を卒業したことについて本人が称することができるもので、公に一定の価値・栄誉があります」とあり、このpdfでは学位と称号が別で、称号のほうに価値・栄誉があるものとされていますので、こちらの出典から「学位には国際通用性と価値・"栄誉"があります」ということを導き出すのは誤解を招くかと思います。
学位栄誉称号だという定義が過去に存在することに関しまして、現在大学につとめていて博士号を有している者としては実際の運用と極めて異なり、そのような言い方は聞いたこともなかったため(普通、大学で「栄誉称号」というと名誉学位などのことで学士号とか修士号などは含みませんし、博士号などを「栄誉称号」と言うと今はむしろ不愉快になる方も多いかと思います)、3日ほど調査してみたところ、非常に興味深い事実がわかりましたので、長くなりましたが調査結果を以下に記載いたします(ウェブで見られる論文は全てリンクで示してあります)。
戦前には学位を「栄称」とするのはかなり普通の考え方であったようで、それどころか「大学」じたいが「栄称」であったようです(国立教育研究所『日本近大教育百年史4』教育研究振興会、1974、p. 1217)。しかしながら1887年の学位令で「当時の帝国大学の五つの分科大学すなわち、法、医、工、文、理の五つの分科大学に照応する五種の博士号だけが、学位であることになった。学士がもっていた称号的性格と栄称的性格は、ここに分離され、前者は学士号に、後者は博士号にわかれた。学位の栄称化、その博士学位への一本化というこの措置をおし進めたのは、森有礼支相であった」ということになり、ここで日本における学位が栄称とされ、そしてその栄称は博士号のみとなりました。「博士より一段上の栄誉称号としての「大博士」」の導入も検討されましたが、この学位は出たことがなかったようです。これについて天野郁夫は「戦前期の博士学位が「職業学位」というより、功成り名遂げた学者の「名誉の称号」的な意味を持っていたことは、「推薦博士」や「論文博士」の制度の存在からもうかがわれる。専門職業人養成との関連では、戦前期を通じて最も多く授与された医学分野での博士号は職業学位に近かったが、これも医師の世界の階層制に関わる象徴的・名誉的な色合いが濃かった」(『大学改革の社会学』玉川大学出版部、2006、p. 135)と述べています。
戦後すぐについてはおそらく戦前と同じような意識があったと思われます。海衛士さんが提示された『国史大辞典』の記述では、学位は「栄誉称号」と定義されていますが、この記述は1953年に博士に加えて修士が学位として認められた時期までをカバーしています(学士についてはこの時期には学位になっていませんでした)。一方で大学運営においては、戦後になると「名誉〇〇」のみを「栄誉称号」と見なしている記述が見受けられます。1969年の『教務事務職員のための大学運営の法律問題と基礎知識』(学事出版)には名誉教授について「身分的なものでなく、単なる栄誉的称号と考えられるので、死亡した者に与えてもよいのではないかと考えられた」(p. 102)という記述があり(実際はダメだそうですが)、同じ記述は2002年版でも保持されています。
事情が変わったのは大学の一般化と、大学改革による学位の性質の変貌が起こってからのようです。天野は1970年代以降の大学改革について、「人文・社会系で入学定員の充足率や、課程修了による博士学位の取得率が低く、博士号が依然として「名誉の称号」的性格を持ち続けていることが厳しく批判され、大学に対して定員の充足と学位授与数の引き上げが求められた」(p. 138)とまとめています。現在では学士号はもちろん、博士号も「むしろアカデミック・キャリアの出発点で与えられる、研究者としての「資格要件」的なものとなっている」実情があります。海衛士さんは日本大百科全書については古い版を引かれていますが、現在JapanKnowledgeで閲覧できる最新の日本大百科全書(2017年7月19日版)「学位」では「栄誉」の語が一切用いられておらず、「名誉」については名誉学位の説明以外だと「近代の博士(はくし)は欧米のドクター学位を模してつくられたが、その名称に律令制からくる博士(はかせ)の名称を用いたことから、「末は博士か大臣か」ということばに象徴されるように、碩学(せきがく)泰斗の名誉的な称号という意識が生まれ、今日に至る学位制度混乱の原因をつくった」という表現があり、ここには学位を名誉的な称号として扱うことに対する批判の含みがあると考えられます。日本大百科全書の記述の変遷は、おそらく学位が「栄誉称号」から「資格要件」となったことを反映しているのではないかと考えられます。
なお、学位を「栄誉称号」とするのは、少なくとも現在においてはかなり日本中心的記述であるということも指摘しておいたほうがいいかと思います。英語版のen:Honorary title (academic)にあるように、英語においてはHonorary title (名誉称号/栄誉称号)はHonorary 〇〇という学術称号を示すもので、学位(degree)とは区別されます。学位の職業資格化が早かった欧米では19世紀からこの意識が強かったようで、マーク・トウェインは1898年の"Stirring Times in Austria"でオーストリアの博士号について"a self-granted title, and not an honorary one, but an earned one"「博士号は自称でもなければ、栄誉称号でもなく、実際自分で勉強して獲得したものである」(「オーストリア議会見聞記」長尾龍一訳『政経研究』37.3 (2001):239-285、p. 261)としています。
このため、過去に日本の学位が栄誉称号扱いであったというのは言えると思いますが、現在、日本の学位が栄誉称号として扱われているかということについては大きな疑問があり、むしろ日本の大学においては学位を栄誉的な称号ではなくするための改革が行われてきたものと思います。--さえぼー会話2018年11月14日 (水) 03:25 (UTC)[返信]

まずご多忙の中、詳細なるご回答を頂いたこと。研究者であられるかどうかは個人的属性とは思うものの、とても真摯なご姿勢で回答頂いたと理解し、深く敬意と感謝を申し上げます。

①学位の栄誉称号的性格について

なるほど、概念やその解釈、用法というのは歴史的に変遷を遂げる部分もありますね。なお、短期大学士の資料で価値・栄誉を示す対象が学位ではなく、直接的には称号であるというご指摘はその通りで読み込みの甘さは反省し、後段でもその解釈をひきずっていたところがありましたので、お詫びの上、訂正します(同時に学位に準ずる称号概念でも国内での栄誉性があり、しかも現代にその解説が生きているということは学位・称号全体の「栄誉」性をとらえる上でなおも参考材料にはなるかと思いました。栄誉称号の類似語といっても良い貴号も「栄誉ある称号。爵位や学位」という解説が最新とはいいませんが比較的新しい辞書でも複数確認できる点は留意したく)。 ご指摘を踏まえつつも憲法学上の解説は戦後である60年代、比較的最近の90年代でも変わらぬ解説が維持されています。さらにあれから30年でさらに環境変化があれば別ですが、当方では憲法学がそのための検討や概念的な解説を改めたとは寡聞にして存じ上げません。少なくとも管見の限りではりますが。 さえぼー様の研究者としての精緻な調査・分析から生まれた疑問点を素直かつ真摯に受け止めつつも、まだそれ自体、現時点で記事で明文化するときでもない気もしています。そもそも、憲法・法学的な見地でいうところの栄誉とは国家が法をもって授与なり、保障していることを指すもので、そこは2018年現在でも普遍だと思うのです。

名誉も栄誉も英語にしてしまえば、同じhonorですから、さえぼー様の仰せのように日本語中心の議論だという要素は否定しきれません。しかし、同じ漢字圏である中国の民法典でも名誉権と栄誉権を違う概念として用いています(天児慧編『岩波中国辞典』(岩波書店、1999年)507頁参照。)。中華人民共和国憲法第67条でも「栄誉称号」という概念が用いられ、(中華人民共和国憲法)、2015年には中国で国家勲章と栄誉称号法(関連記事」)も成立したようであります。さらに、仮訳との表記つきながら2003年の改正ラオス人民民主共和国憲法第67条や或いはベトナムの憲法には栄誉称号ないし国家栄誉称号の授与に関する記述もあります(改正ラオス人民民主共和国憲法第67条の10ベトナム社会主義共和国憲法第70条の12)。他にも外国の憲法典の邦訳の仕方も色々あるので、この3カ国の用例だけあげて確定的な論拠になるとはいいませんが政府資料として示されている以上、一定の客観的材料にはなるかと思います。日本国憲法にしても制定過程で、GHQが関与(どの程度の関与かは争いがあるにしても)があり、特に英文で書かれた草案を翻訳する作業を介したことは歴史的事実であって、その中でも憲法上、前文の名誉と、第14条の栄誉は区別され、しかも栄誉に対する特権の排除を明文化しています。その企図するところには帝国主義時代の君主権や専制政治の独占物としての栄誉権から脱却する文脈があったのだと解します(日本国憲法)。

もし、仮に学術的領域的見地から学位が栄誉称号的性格が過去の歴史であったと論証された場合にせよ、それはそれで歴史的な変遷として記述が可能であり、むしろ学位の歴史的変遷を知る上で公益に資する情報であるとすら思えます(もしそうなら『学位研究』などの媒体で取り上げて頂きたいくらい)。また、個人的に学術的・教育学的な概念整理がどうあれ、法概念がそれと常に同義であったり、概念の遷移が軌を一にするとも限らないと考えております。その点は多角的により慎重に見極めたいところです。

さえぼー様も栄誉称号というと、普通、名誉学位のことと仰せですが、なるほどアカデミシャンの世界での用法はあるかもしれません。ただ、それは国語-日本語としての栄誉称号ではありませんでしょうか。であればよく類似語、同義語など使い分けは個々によるところもあるので、仮に私立大学が世界各国の要人に贈る名誉学位(主として名誉博士号)を名誉称号と形容しても別に不思議もありませんが(早稲田大学web:トルコ共和国 エルドアン大統領へ名誉博士号贈呈 )。 ただ、文科省の若手研究者向けの科研費申請手続き資料では、学位としての博士を持つ方を応募要件とし、「名誉称号としての博士(例:名誉博士)は含まれません・・・」としています(科学研究費助成事業(若手研究))なお、所与のことと思いますので、あえてリンクではお示ししませんが、各大学の科研費申請書類についても、「名誉称号としての博士云々」について、この文科省の書式に準拠する記述があります。

このように、栄誉称号、名誉称号にしても用法も様々であり、時におおいに同義性を含みつつ、一方で慎重かつ厳格にわける場面も少なからずあることは確かかなと思うのです。法的な規定になっていることを考えてもです。いみじくも、学位の博士と名誉学位の区別の必要性はさえぼー様からも言及があった通りかと思います。さえぼー様は学術的な慣習や研究者の自負に関する意味でお答え頂いたように思いますが、そもそも学位は詐称すれば軽犯罪法に触れる公的なものです(軽犯罪法15条)。昨今は国立大学・公立大学などのの学位不正は刑事事件ともなりました(名古屋市立大学の学位審査をめぐる収賄容疑について)。近年は私立大学をめぐっても学位審査制度の信頼をゆるがす事案が相次ぎましたが、実に大きな問題だと思います(朝日新聞関連記事)。学位を栄誉称号とするか否か学界の受け止めはともかく、憲法上の栄誉概念が変更されたとまではいえず、かつ学位の持つ公的性格までが遷移・変容したわけではないことは確かに思います(余談ですが。学位、とりわけ博士号における栄誉性は国際儀礼でも際立っていますよね。博士号に限られますが、国際的な君主号や王侯貴族の爵位、大統領、首相、閣僚の官職に並び、Drは外交上の敬称として並び立っています。〔参考〕国際儀礼の基本講座。要人が博士号を有するときは、官職+本名に博士閣下を付すことも。〔参考〕国際農研ホームページ。ここにも学位、特に博士号を栄誉の具体例に挙げる理由があるように思います)。

②編集方針について

さて、そもそも、栄誉称号の存続か統合か、という議論が根底にありました。私自身も国語的な意味での栄誉称号と名誉称号が同義性を有する点について本文・ノートともはじめから一貫して否定していません。国家の授与する爵位その他の称号すら名誉称号と形容する事例なり文献は一定数あります。しかし、憲法上の規定からひいても栄誉称号なる語は公的な領域で確かに存在をし、軽犯罪法その他、厳格な判断の上からも区別すべきであることは疑いありません。勝手な独自解釈による判断と誤解された点は記述の修正、部分的削除の修正の必要性または可能性は認めつつ、記事そのものの削除あるいは統合についてはやはり違和感を覚えている次第です。--海衛士会話) --海衛士会話2018年11月14日 (水) 10:37 (UTC)※ただし、加筆修正時刻[返信]

③名誉称号について

さらに、栄誉称号と名誉称号をわけた方が良い理由として。さらに2点指摘したいと思います。 栄誉称号と名誉称号は文脈上の大きな使い分けがある点、さらに名誉称号がきわめて多義的概念である点です。 文脈上の使い分けについて。例えば、公的な称号を名誉称号という場合についても国家的な或いは社会的な特権を滅失した状態を指す例もあります。複数の辞典・百科事典類でも、その称号に付随する特権が滅失した場合に「名目上の名誉称号となった」(コトバンク准后)。「純然たる名誉称号と化した」(コトバンク爵位 日本大百科全書)という文脈で使用されていることに留意したく思います。封建貴族の爵位を栄誉称号という場合、それは貴族の栄誉が歴史的に高い階級、領土、封邑、貴族院での議席など特権が紐づくことがあったことが強く反映されていると思います。アメリカ合衆国憲法第9条8項でも貴族の称号を否定し、日本国憲法第14条第2項でも華族または貴族の制度を廃し、さらに同第14条第3項でも栄誉、勲章その他の栄典に関し特権をわざわざ排除していることも国内ではひとつの証左といえると思います。 近代立憲主義や民主主義を理解する上では近世・中世的価値観・帝国主義とその後の歴史的変遷を正しくトレースする意味でも有用性があるやに思います。その意味で、国家の法的な保障の有無という観点からも栄誉称号、名誉称号の使い分けがあり得るということを留意したいと思います。

一方、学位等は憲法上の意味での特権こそありませんが、単なる名誉称号というわけでないことは再三触れてきた通りかと思います。 日本でいえば学位は学校教育法(主に第104条)、文部科学省令たる学位規則に基づいており、これらの法的保障は進学や就職に必要だったり有利に働くのは大学改革支援・学位授与機構の解説の通りですよね。さえぼー先生のいわれたような研究者の職業資格だったり、科研費の申請資格との関わりからいってもそうです。詐称も軽犯罪法第15条の禁止規定がおり、研究者にとっては教員採用の適正な競争の担保であったり(ディグリーミルの排除)、研究者としての職位の保持において一定の機能性が認められるものと思います。文献によっては学位は学術称号という定義も確認できますが、教育学的文献で頻出かというとそうでないし、たんに学術称号という括り方であると法的なものと、そうでないものとの区別が付きにくいのもあろうと思います。 同様に名誉教授も学校教育法第106条に規定があって大学に授与権が付与されています。名誉教授についても大学教員に対して「本人の退職後その功労を顕彰する意味で当該大学が贈る栄誉的称号」とされておりますが(天城勲著『学校教育法逐条解説』(学陽書房、1954年)342頁参照。ちなみに国立大学ではこの定義はよく引用・参照されていると解します)、引退後もその呼称を使用することで社会的な信用を担保し得るもので、仮に詐称し詐欺を及ぶことがあれば刑事責任を問われるという意味で名目上の称号とは一線を画します。そして、これらは学位や名誉教授の栄誉的性格も憲法第14条の3に定める国家の栄誉に依拠するのは上述の河野弘幸ら憲法学の前掲文献等の示す通りかと思います(ちなみに、名誉教授の英訳professor emeritus / emeritus professorは名誉退職した教授的な解釈ですが、キリスト教の名誉司教/Episcopus Emeritusは引退した司教という意味のようですね。前職の職務・職権を離れ、名誉上の職名のみ許す前官礼遇的な使い方でしょうか。前後の文脈に関わらない余談です。失礼しました)。

次に、名誉称号の多義的概念である点についても大学の例が分かりやすいでしょうか。最近のWikipediaは単立記事として特別栄誉教授、特別功労教授もあがっているようですが、こういった大学がらみの称号も法的なものからさらに独自の発展を遂げていますね。しかも、法的な名誉教授としっかりわけて独自の称号を一括して名誉称号として扱ったり、名誉教授と大学独自の称号の区別化をしている例はいくつも確認されます(国際教養大学名誉称号規程)。 他にも大学教職員への称号に留まらず、名誉学位や寄附者への称号を名誉称号と規定する例もあり多岐に富んでいます(寄附者への名誉称号の贈呈)。さすがに正規の学位や名誉教授とは独自の名誉称号とは一緒くたにはできない部分もあります。加えて、最近の名誉称号は栄誉職を統合したばかりですが、官民問わず広範に存する栄誉職・名誉職の称号も多岐にわたり、近年は民間の最難関資格の上位に位置付けられた名誉称号と呼ぶ例もあるようです。

とりあえずのまとめ

根本に立ち返ると、栄誉称号か、名誉称号かを単なる字面としてでなく、概念の背景や歴史的意義、法的意義も含めて具体的用例も総合して用いる必要があるなと思います。たんに比喩や形容の仕方ーいわゆる普通名詞的な使い方なのか。それとも明確な制度に基づく固有名詞なのか。特定の称号を指すのか総称として用いるのか。もちろん、誤解を含め独自研究ではいけないので、出典とその解説にそった明確な解説が必要だと思いますが、 ただ、実際問題、爵位や学位はそれ自体が称号の総称だったりしますが、特にそうした総称を持たない場合、栄誉称号としてくくられる部類のものもあります。特に社会主義国の栄典は立憲君主国とは異なる発展を遂げ、かつソ連、中国、北朝鮮の人物研究においてはどういった人物を国家としてどの程度評価しているのか示す材料でもあります。実際に日外アソシエーツ刊行の『外国人名辞典』等では大部分の人物は学位なり栄誉職なり、社会主義圏であれば英雄称号なり特定の称号を記載するものはかなりの量で確認できるものになっています。実際、スポーツによる国威発揚という観点から、ソ連が五輪選手のメダリストにどの等級のスポーツマスター称号を付与し、称号保有者に支給される規定の年金額に対し、支給額がどうなっているか。さらに、歴史的にスポーツマスターの称号の授与数と等級分布を研究する論文やそうした研究を紹介する報道記事なんかもあるようです(「ソ連 五輪金メダリスト、スポーツマスターの称号 与えられていない」『毎日新聞』1986年3月15日東京朝刊11頁参照。)。

栄誉称号の制度体系についても「中国では今も栄誉称号制が、論功行賞についてとられている。功臣称号や模範称号の上に英雄称号があって、英雄には三級の段階がある。」(『歴史読本』編集部,『歴史読本』第17巻第13号,新人物往来社,1972年,p46 ※功臣称号とあると王朝時代のようですが、中華人民共和国の称号の一種です)みたいな説明は総称的な記事で書かないと個別の称号記事(労働英雄等)では説明しきれないところもあります。中国の制度ならば「栄誉称号 (中華人民共和国)」で足りるという選択もないではありませんが、第三国の憲法における邦訳にも栄誉称号の規定もあることも踏まえれば、もう少し普遍化した記事の存在はあって良いと思います。 いずれにしても、ご指摘を頂いたことで私自身、記述を振り返り、さらに論拠となる出典を固める契機を頂いたように思います。もし、存続適うならば議論で提示した資料も加味し、さらに修正を重ねることができればと思料します。結果的に特に社会科学領域になると思いますが、国際関係・国際政治的な意味であれ、スポーツ文化的意味であれ、その他の分野に関することも含めて特筆性は十分に満たす水準での記事足り得るのではと思う次第です。--海衛士会話2018年11月16日 (金) 13:39 (UTC)(修正時刻)[返信]

コメント 何万バイトも使って、どうもお疲れ様としか言いようがないのですが、そういうのは自分でサイトを作ってやった方がいいんじゃないですか? およそ百科事典的とは思えない記事を大量に作った挙句、さらにあなたの独自研究を長々と披露されても、我々の目的との乖離が明らかになるばかりであると思料します。--Xx kyousuke xx会話2018年11月16日 (金) 13:49 (UTC)[返信]
「特筆性」に関しては、情報源の有無が決め手となります。WP:Nには「IBMに関するソーブル著の360ページの本」という例があります。「栄誉称号」をテーマにした本はありますか? なお、「リダイレクト化」というセクションでしたが、すでに話がそれているので、「1」に変えました。 --2001:240:2420:4064:F46D:1F0D:D9DD:D0ED 2018年11月22日 (木) 23:39 (UTC)[返信]

「栄誉称号」の本文は現在、すでに出典に基づき「栄誉ある称号」と「憲法に定める栄誉に基づく称号」にわけておりますが、後者を念頭にお返事します。 「栄誉称号をテーマにした本は」とのお尋ねでしたが、書籍はもとより学術誌、それらに所収された論文等は少なくともWikipedia:独立記事作成の目安Wikipedia:信頼できる情報源に適合する文献との認識で確認しました。栄誉称号とは特定の称号の総称、属性を指す語でもあり、個別の称号を栄誉称号として定義した上でそれをテーマに取り扱う文献も含めました。また、この際、すでに本文及びノートでご提示した『新日汉辞典』(生活・讀書・新知三联书店、1980年)で栄誉称号=栄称という概念上の同義性を確認しておりますので、栄称という語で定義された文献を含めております。「栄誉的称号」という記述も確認範囲に含めました。

栄誉称号の法令・制度について

※『外国の立法』は国立国会図書館刊行の出版物で印刷版も頒布されておりますので、二次資料とみなし、掲載しました。

個別の称号、立場を栄誉称号或いは栄称としているもの(華族の栄称)

  • 浅見雅男『華族誕生 名誉と体面の明治』(講談社、2015年)ISBN 4062922754
  • 酒巻芳男著『華族制度の研究: 在りしの華族制度』(霞会館、1954年)ASIN: B000JB5PBE
  • 森岡清美著『華族社会の「家」戦略』(吉川弘文館,2002年)ISBN 4642037381

個別の称号、立場を栄誉称号或いは栄称としているもの(英雄称号)

  • 京楽真帆子著『英雄になった母親戦士 ベトナム戦争と戦後顕彰』(有志舎、2014年)ISBN 9784903426884

※ベトナムの栄誉称号「英雄的ベトナムの母」の受章者へのインタビュー式調査によってベトナム戦争後の母親戦士顕彰の実像を描いた文献

文献の中で憲法・法令における栄誉称号の規定を解説するもの(条文の掲載ではなく)

  • 西村幸次郎著『中国憲法の基本問題』(成文堂、1988年)ISBN 4792301491
  • 向山寛夫著『新中国の憲法』(中央経済研究所、1984年)ASIN B000J72PLQ
  • 高橋勇治, 中央政法幹部学校国家法敎研室, 浅井敦著『中華人民共和国憲法講義』(弘文堂、1960年)ASIN B000JAQB4K


文献の中で栄誉称号の制度体系を詳述するもの

  • 『歴史読本』編集部編『歴史読本』第17巻第13号,新人物往来社,1974年

※「中国では今も栄誉称号制が、論功行賞についてとられている。功臣称号や模範称号の上に英雄称号があって、英雄には三級の段階がある・・・」p.46

学校教育法上の名誉教授について

他にも色々ありますが、連休中ということもあり、環境的に不十分ですが、ひとまず手持ちの範囲でお返事します。--海衛士会話2018年11月24日 (土) 04:53 (UTC)[返信]

2[編集]

『新日汉辞典』が言っているのは、「栄称」という日本語が「栄誉称号」という中国語の単語もしくは文に対応する、ということですね。「栄誉称号」という日本語については、何も言っていないように見えますが。「概念上の同義性」を言うには、もっと確かな根拠が必要でしょう。「Xをテーマにした本」という表現について理解が異なっているようです。私が考えているのは、一冊のうち大半がXについて書かれた本、ということですが、栄誉称号についてそういった本はありますか。 --2001:240:2403:C6E2:F46D:1F0D:D9DD:D0ED 2018年11月28日 (水) 13:06 (UTC)[返信]

一冊はひとまず。外国語文献かつ中国の国家制度ですが。

  • 鄭淑娜『中華人民共和国国家勲章和国家栄誉称号法解読』(中国法制、2016)ISBN 9787509371978

栄誉称号は憲法制度の一部として論述されたり、総称的概念として使用されているので正直、栄誉称号自体を単体で、或いは大半を占める割合で書かれているものは少ないと思います。上記の書籍については勲章及び栄誉称号を取り扱うという意味では該当する文献には入るでしょうか。--海衛士会話2018年11月28日 (水) 16:23 (UTC)[返信]

記事を残す道があるとすれば、「国家栄誉称号法」等(あるいは「国家勲章と国家栄誉称号法」でしょうか?)という記事名にして、中国のそれだけを扱うのが好ましいように思います。海衛士さんは他の例と合わせて論じたいのでしょうが、文献上ではそこまで広い定義が確立していないようです。百科事典は文献上で確立した知識を紹介するものです。 --2001:240:2406:5DD0:CCE6:6BF8:A0A5:562 2018年12月9日 (日) 03:38 (UTC) これは上のさえぼーさんの2018年11月12日 (月) 01:28 (UTC)のご意見と一部共通するかもしれません。 --2001:240:2406:5DD0:CCE6:6BF8:A0A5:562 2018年12月9日 (日) 04:50 (UTC)[返信]
中国の「栄誉称号」について立項、執筆したい方への参考までに、中国語版にはzh:荣誉称号 (中华人民共和国)があり、「荣誉称号」はここへのリダレクトになっています(つまり中国語版では単に「荣誉称号」と言えば中国にある特定の法的な称号のこと、ということのようです)。 --2001:240:2412:5E4F:594D:C12C:23EB:E1EE 2019年1月9日 (水) 23:53 (UTC)[返信]

独自研究解消作業の実施について[編集]

  • 皆様の議論を拝見し、私も本稿が定義そのものからして独自研究であるというご指摘に同意します。
2019年までに相当踏み込んだ議論がなされており、その後反対の方(2021年中に活動履歴がある方も含め)から具体的な反論や有効な出典の提示なども行われていないようですので、可能な範囲で独自研究の解消に向けて作業してまいります。問題のある記述の除去から着手し、最終的にはリダイレクト化や削除依頼の提出も検討します。
なお、関連する記事としてノート:資格称号#独自研究の解消についての検討も行っております。また、名誉称号ノート / 履歴 / ログ / リンク元についても追って検討する予定です。--Leukemianwalt会話2021年12月24日 (金) 03:20 (UTC)[返信]