ノート:板倉聖宣

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生涯節の出典について[編集]

参考文献として

  • 板倉聖宣『私の生い立ちと今の私 ―幼年時代から旧制高等学校まで―』つばさ書房、1990年、全国書誌番号:92015683
  • 板倉聖宣「あとがき(著者略伝)」『科学者伝記小事典』、仮説社、2000年、 216-218頁、 ISBN 4-7735-0149-9
  • 庄司和晃「板倉聖宣」『現代人物事典』、朝日新聞社、1977年、 117頁、全国書誌番号:77012518

が挙げられており、「生涯」節の冒頭にこれらが提示されています。おそらくこの3つを用いて記載されたのだと思いますが、 どこの記述がどの文献を出典として書かれた記述が分かりません。自分はこれらの文献を持っていませんし、恐縮ながら本記事に割ける時間がそれほどないため、他の方に出典付けをお願いしたい次第です……。--Assemblykinematics会話2020年1月2日 (木) 18:12 (UTC)[返信]

  • 私はこの3冊を持っていないので、とりあえず手持ちの『たのしい授業』2018年3月号に掲載された「伝記風の自伝」で途中までつけてみました。こんな感じでいいでしょうか。--Yama-no-junin会話2020年1月3日 (金) 14:21 (UTC)[返信]
    • 返信 (Yama-no-junin様宛) 早速ご対応いただき、ありがとうございました。当初は{{R|伝記風}}という形で出典付けして下さっていましたが、著作のところに本記事を掲載しているため、{{Sfn|伝記風の自伝|2018|pp=6-25}} という形で脚注付けし直させていただきました(2020年1月3日20:02:44(UTC)の編集差分)。恐れ入りますが、もしお時間がございましたらより細かなページ数を指定していただきたい次第です。なお、微妙にニュアンスが違う可能性があったり、まだ出典付けできていない部分があったりしますので、山本海行様にも脚注の追記をお願いするつもりです。取り急ぎ……。--Assemblykinematics会話2020年1月3日 (金) 20:35 (UTC)[返信]
      • 返信 (Assemblykinematics様宛) ありがとうございます。さっそくページ数付け直しました。あと板倉夫人の喪主挨拶も付けたのですがrefタグの使い方がよくわからず変なことになっています。お時間があったら直していただけるとありがたいです。--Yama-no-junin会話2020年1月3日 (金) 22:43 (UTC)[返信]

返信 (Yama-no-junin宛) refタグのエラーについては解決できたようで良かったです。こちらは1月4日以降は日中に時間が取れず、早朝にしか編集できない状況でした。あと板倉聖宣#武谷三男の認識の三段階理論の影響節の加筆、ありがとうございました。こちらの編集で出典関係を中心に少し修正させていただいたのですが、この編集に関しまして、

  • 参考文献節の体裁を整えさせていただき、一部ref指定に変えたり主な著作節の論文にTemplate:Sfnrefを付けました。また、それに伴って若干Template:Sfnの指定方法を変えさせていただいていますので、ご確認願います。
  • このように板倉は武谷の三段階論を自身の科学史研究の中で重要な理論として使っている。」という部分については出典が付いておらず、誰の見解が分からなかったため、ひとまずコメントアウトさせていただきました。

の通り補足申し上げます。なお、

  • 節「武谷三男の認識の三段階理論の影響」は「利用者:山本海行/下書き5」からの転記だと思いますが、要約欄にはその旨記載されておりません。下書きページからの転記についてはあまり詳しくありませんが、元の下書きは山本海行様が執筆されていらっしゃるようなので、著作権的なものが気になりました。ご確認いただけると助かります……(「要約欄に記載を忘れても後からそれを補える」と、どこかで読んだ記憶があります)。

といった点についてもコメント申し上げます。細かな指摘ばかりで恐れ入りますが、以上よろしくお願い申し上げます……。--Assemblykinematics会話2020年1月4日 (土) 20:19 (UTC)[返信]

脳梗塞と入退院について[編集]

生涯」節中の「板倉研究所時代」のところに「2016年に脳梗塞で倒れたあとは入退院を繰り返し」という記述があり、「略歴」中にも「2016年 - 7月に脳梗塞で倒れる」と記載されていますが、

にある「2007年に脳梗塞を起こし、まもなく回復したものの2015年から入退院を繰り返していた。」という記述と少し矛盾しています。死去の詳細については

で確認できますが、脳梗塞や入退院については書かれていません。該当記述が記載されたこちらの編集を確認したところ、要約欄に「本日逝去されたと「仮説社」facebookから発表がありました。」と書いてありましたが、仮説社のfacebookの該当記事を今のところ確認できていませんし(会員でなくても読める記事でしょうか?)、信頼できる情報源という観点からは別の出典が欲しいところです。

正確な事情や出典についてご存じの方がいらっしゃれば、出典提示の上で修正・加筆いただけると助かります……。--Assemblykinematics会話2020年1月2日 (木) 18:12 (UTC)[返信]

2月7日逝去の箇所を書いた者です。年末から仮説関連の記事でたくさんのお手伝いをいただきありがとうございます。さて、お尋ねの件ですが、板倉研究室のサイト「板研情報局」によると、
板研の方が書かれたのでこれが一番正確な記述ですが、一次資料になるのでWikipediaでは使えないのでしょうね。なお雑誌『たのしい授業』は2018年3月号・4月号で特集を組んでおり、4月号では板倉夫人の挨拶として「77歳の時に最初の脳梗塞になりました」との記載もあります。これも一次資料なんでしょうか。--Yama-no-junin会話2020年1月3日 (金) 08:00 (UTC)[返信]
ありがとうございます 2007年(77歳)で脳梗塞になり、その後回復して活動していたものの、2016年7月に再度発症して入退院を繰り返した、という経緯だったんですね……。おそらく高橋記者は2016年を2015年と勘違いしてWeb論座の記事を書いたと考えられます。なお、『たのしい授業』の掲載記事は査読を通過しているはずですので、出典として使用可能です。一方「板研情報局」はブログ相当のため、信頼性に乏しい情報源になります。そのため、現時点で「板研情報局」を出典にしている逝去の部分も、『たのしい授業』に出典を差し替え方が無難です。
今回は情報提供いただき、改めて感謝申し上げます。ただ、大変恐縮ながら自分は『たのしい授業』にアクセスできる環境にありませんので、Yama-no-junin様や山本海行様に差し替えていただけると助かります。なお、もし記事主題と関係が深いために編集を差し控えたいということであれば、記事名や巻号、ページ数をここでご教示いただければ、こちらで編集いたします(仮に関係が深かったとしても、この程度の事実関係に関する編集は差し支えないと思います)。取り急ぎ……。--Assemblykinematics会話2020年1月3日 (金) 08:44 (UTC)[返信]
報告 ひとまず高橋真理子氏の「2015年」という言及は「2016年」の間違いであろうということについて、上に挙げていただいた板研情報局を出典として注釈の中で説明する形にしました(2020年1月3日20:02:44(UTC)の編集)。板研情報局のサイトは信頼性に乏しい情報源ですが、ひとまず注釈で記しておき、後日信頼できる情報源が見つかることを期待したいと思います。取り急ぎ、以上ご報告申し上げます……。--Assemblykinematics会話2020年1月3日 (金) 20:35 (UTC)[返信]