ノート:東京聖書学院

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東京聖書学院のホームページによると。1904年の中央福音伝道館がルーツとされているということですが、1936年の日本ホーリネス教会和協分離の時に、柏木の聖書学院は、本来東洋宣教会のものであるが、中田監督の長年の功績により、中田側が使用することになったということが、米田勇著「中田重治傳」と山口幸子著「ホーリネスの流れ」に記されています。中田重治の葬儀も聖書学院で行われたということです。そして、車田派は聖書学校塾を練馬区茂呂長に建設しています。

しかし、「ホーリネスの流れ」を読むと、戦災で聖書学院が消失した後で、1950年に同じ柏木に聖書学院が再建されて、それは、1949年に日本基督教団を離脱した、車田秋次派の日本ホーリネス教団が所有したことになっています。中田側は聖書学院の土地を放棄してしまったのでしょうか?よく分かりません。

果たして、戦前の聖書学院と戦後の東京聖書学院は一体どのようにつながるのでしょうか。ご存知の方は是非教えてください。--More blessing 2010年2月8日 (月) 22:36 (UTC)[返信]

今までの研究よる結論から申しますと。(柏木)聖書学院と東京聖書学院は別の学校と考えるべきである思います。ですので、分割することを提案します。今まで、私の投稿でも(柏木)聖書学院と、東京聖書学院を混同していました。これからは、気をつけて記述します。--More blessing 2010年3月17日 (水) 08:53 (UTC)[返信]