ノート:李登輝

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「黒金政治」に関する記述の是非について[編集]

11月13日の編集で不適切な記述として削除された

>日本では「親日総統」、「民主化総統」として現在でも絶大な人気を誇るが、台湾本国では蒋経国政権ではほとんどなかっ>た汚職が激増し、「黒金政治」とも呼ばれる状態を招いた事や、自身の汚職疑惑などの負の側面による批判も根強い。

についてですが、

台湾本国での李登輝政権の評価の中には蒋経国政権時代まではほとんどなかった汚職が激増し、「黒金政治」とも呼ばれる状態を招いた事や、彼自身の汚職疑惑などの負の側面を指摘する声も聞かれる。

に修正のうえで復帰できないものでしょうか?

功罪両面を記述することは中立性の確保の上でも必要な事かと思うのですが、いかがでしょう?219.16.228.50 2004年11月22日 (月) 16:19 (UTC)[返信]

「蒋経国政権時代まではほとんどなかった汚職」とありますが、国民党は腐敗と汚職で中国人民に唾棄されたのであって、さらに、『外来政権下の生と死』などにもあるように、国民党支持者以外からは国民党政権が台湾に来てから台湾に汚職が蔓延したと捉えられています。「汚職がほとんどなかった」というのは、なにか根拠があるのでしょうか?新聞報道が増えたという意味であれば、独裁体制から民主化に向かう中で、メディアが自由に報道できるようになったと捉えるべきであって、汚職そのものが増えたという風に解釈するのは、独裁政権下における特殊なメディア事情を理解していないと思われます。
つまり“「黒金政治」とも呼ばれる状態を招いた”と事実であるかのように書いているのは中立性を欠いています。事実認識、そして、李登輝氏との因果関係について説得力がありません。
台湾本国での李登輝政権の評価の中には「蒋経国政権時代まではほとんどなかった汚職が激増し、『黒金政治』とも呼ばれる状態を招いた」という声や、彼自身の汚職疑惑などの負の側面を指摘する声も聞かれる。
というかたちで、復帰させたいのであれば、事実かどうか未確認であるということを示す必要があります。--以上の署名のないコメントは、219.15.64.89会話投稿記録)さんが 2004年11月24日 (水) 09:25 (UTC) に投稿したものです。[返信]
レスありがとうございます
>「汚職がほとんどなかった」というのは、なにか根拠があるのでしょうか?
蒋経国は一時父と仲違いして共産党に走っていた時期があったという事情も手伝って、汚職に対するスタンスも父とは違っていて、父と仲直りした後になってもその政権運営に共産主義的価値観を踏襲してる側面があります。
蒋経国は大陸時代の1939年に江西省贛県の省長に赴任後、典型的な「貪官汚吏」の土地柄だった贛県で地元有力者の誘惑を撥ね退けて賭博やアヘン、売春の取り締まりに成果を上げ、その性急ぶりは「中国版ソ連社会主義」と揶揄する者もいたようです。戦後になっても上海で経済監督官として不正暴きをしようとしたものの、父・蒋介石直系の特務や義母・宋美齢の権益まで侵そうとしたために妨害が入り、うまくはいかなかったそうです。
台湾に移って中華民国行政院長に就任してもこの種のスタンスはあまり変わらず、父の実務を委譲された時には蒋介石のお気に入りだった高官にまで摘発がおよんだといいます。
台湾人の間では蒋経国時代は政界と財界の往来は厳しく制限された事から清廉潔白なイメージを持たれているようです。
とはいえ今の台湾社会が蒋経国時代を懐かしむ事はあっても、特務が幅を利かせた恐怖政治の時代に戻りたいという人もこれまたいない事は確かでしょうけど。
李登輝に話を戻しましょうか・・・
国民党はかつて全国に張巡らされた特務システムを通じて恐怖政治を維持してきました。
しかし民主化後には国民党も選挙を通じて政権維持を図る必要から、集票システムとして地元暴力団や財界に傾斜するようになります。この傾向は李登輝時代の前半から指摘されていて、国民党は「黒金」への依存を強める事になります。
いわば李登輝時代は民主化の一方で別の形での腐敗のシステムが確立されたという側面がある訳ですね。
実際、蒋経国時代には規制されていた政界と財界の往来も緩和されて腐敗の土壌がひとつ増えたという指摘もされています。これらの理由から本省人まで含めた李登輝批判が存在する事は確かです。
戒厳令下の独裁政権から民主政権に変わって報道が自由になったという事情を加味しても、李登輝ほど金にまつわる噂が多い総統も珍しいと言わざるをえません。フランスからのフリゲート艦購入時や国民党の資金運用の一環の投資プロジェクトなどの際の李登輝へのキックバック疑惑や総統府直属の国家安全局が李登輝承認のもとで秘密講座を開設、裏金を日米政界へのロビー活動に使用していた疑惑。これらの真相はいまでも闇に包まれています。
李登輝は2003年秋に複数の疑獄事件で証人として出廷しています。
彼はすべての疑惑に対して「我関せず」と無関係を強調し、不正資金の有無、責任の所在については口をつぐんだままです。この辺の事情についてどこまで本文で触れるのか議論を続けたいと思います。
まあ、李登輝は歴史上の重要人物でもある事ですし、全体に記述をもっと分厚くした方がいいと思っていた事ですし、
この議論が有意義な物になる事を願ってやみません。219.16.228.50 2004年11月29日 (月) 17:26 (UTC)[返信]
上記の提案についてのご意見が現在のところないようなので一応復帰しました。
上記の提案の妥当性についてのご意見・ご叱正は引き続き承る所存です。219.16.228.50 2004年12月28日 (火) 04:58 (UTC)[返信]

共産部分の削除表明と、政治手腕への意見[編集]

李登輝氏は終戦後、台湾大学に編入され、48年に卒業されました。そして、確かにマルクス主義に没頭した時期があり、終戦後、日本共産党の講演を聴いていた時期はあるようですが(本人は、そのことを「危なかった」と言っています。) 学生の身分で48年まで中国共産党に入党と言う点に関しても、中国共産党が、大陸の覇権を得たのが中華人民共和国が成立したのが49年であることを考えても、整合性がないと思うので、一旦削除しておきます。ソースが見つかり次第、再提示して下さい。 ついでに上の方への意見ですが、まず李登輝氏になって金権政治と言いますが、言われている通り、元から明るみに出なかった問題が、民主化で明るみに出たという話でしょう。 もう一つは、李登輝氏の時期に、台湾は「大陸反攻」のための有事体制が終了します。 それによって、温存されていた老人議員にやめてもらうため、 退職金を割り増しして、話を付けたという事などは公言されていますし、 きわどい選択を迫られる環境にあり、比較的、カネを独断で使ったのは事実でしょう。 アメリカがF16を売らないため、フランスからミラージュを大量購入し、 それによりアメリカにF16を売らせたという例、 台湾地震の際に、市町村長に緊急の金を200万元手渡した事も公言されています。 しかし当人は、財産としては、自宅も自分の物にしていません。 台湾の状況が予断を許さないことや、緊急時である事をを考えれば許容される話でしょう。 李登輝により腐敗が広まったというのは無理あるかと。 今の記述の通り、旧ソ連のグラスノスチのように、情報公開で発覚し、 それを統一派マスコミが党派的に広めている事を考慮した方が良いかと。 そちらの記述はいじりません。--219.187.68.68 2007年5月30日 (水) 13:52 (UTC)[返信]

再修正されたようですが、提示されたソースを見る限り、沈崇事件への参加は記述されてなく、在党期間は「二年」など曖昧な物です。沈崇事件は1949年1月であり、その参加に関しての根拠は「全ての暴動に参加した」の一言のようです。このソースでは根拠にならないので、再度ソースが見つかり次第、提示して下さい。--219.187.68.68 2007年9月10日 (月) 03:34 (UTC)[返信]

日本での軍歴について[編集]

陸軍予備士官学校 (日本)を編集している者です。こちらの「習志野陸軍予備士官学校(日本陸軍予備士官第11期生)の見習士官に任命され」という記述に疑問を感じています。

  1. そもそも「習志野陸軍予備士官学校」なるものの存在があやしい。
  2. 仮に上記の予備士官学校が存在したとしても1945年(昭和20年)7月以降であるはず。
  3. 名古屋で少尉として終戦を迎えるには7月に上記学校にいたのでは期間が短すぎる。
  4. 「日本陸軍予備士官第11期生」は「陸軍予備士官学校第11期生」ではないのか。
  5. 見習士官は陸軍予備士官学校を卒業した後に任ぜられるもので表現が不自然。

習志野以外のどこかの「陸軍予備士官学校第11期生」であれば1944年(昭和19年)か1945年早々に卒業し、その後に見習士官に任じられたようです。そしてそれから習志野の近所にあった千葉陸軍高射学校で専門教育を受けた後で「名古屋の高射砲部隊に陸軍少尉として配属」されたのであれば辻褄が合います。しかしそれはあくまでも私の想像でしかありません。Wikipediaは何が真実かではなく出典が提示されれば良い(後に続く「ちなみに」から始まる記述などがまさにその例ですね)のだそうですから、「習志野陸軍予備士官学校(日本陸軍予備士官第11期生)の見習士官に任命され」たという出典をどなたかお願いします。--220.102.104.34 2012年10月26日 (金) 07:16 (UTC)[返信]

外部リンク修正[編集]

編集者の皆さんこんにちは、

李登輝」上の1個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年10月7日 (土) 10:18 (UTC)[返信]