ノート:杉原千畝

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「年表」の記載の仕方についての提案[編集]

本記事の「年表」の部分の記載の仕方について提案させていただきます。

現在、「年表」の節は単年では改行がなく、非常に見づらいものとなっているように感じます。そのため、年表の記載にアスタリスク「*」を2つ以上使用することを提案します。

具体的な考えとしては、

  • 2012年(平成24年) - 2月27日、来日したリトアニアのクビリウス首相が野田佳彦首相に「故杉原氏がユダヤ人を助けたことはリトアニアの日本理解に大きな影響を与えている」と述べる。3月22日、フロリダ州ボカラントン市で千畝の功績を記念する式典が挙行され、ニューヨーク総領事館から川村泰久首席領事をはじめ約100人が出席。5月5日、年4回の季刊誌として、杉原千畝研究会から『せんぽ -- The World of Chiune Sugihara』が創刊される。

とされている書き方を、

  • 2012年(平成24年)
    • 2月27日 - 来日したリトアニアのクビリウス首相が野田佳彦首相に「故杉原氏がユダヤ人を助けたことはリトアニアの日本理解に大きな影響を与えている」と述べる。
    • 3月22日 - フロリダ州ボカラントン市で千畝の功績を記念する式典が挙行され、ニューヨーク総領事館から川村泰久首席領事をはじめ約100人が出席。
    • 5月5日 - 年4回の季刊誌として、杉原千畝研究会から『せんぽ -- The World of Chiune Sugihara』が創刊される。

とすることを考えており、こちらの方が見やすいのではないかと思います。

このような編集はノートページで議論しなくても良いかもしれませんが、本記事において過去に良質な記事にするために多くの努力がなされ、その結果良質な記事に選定された事情を考慮し、慎重に編集を行うため編集前に一旦提案させていただきます。--A22112212会話) 2015年9月21日 (月) 08:59 (UTC)

そうですね。一段下げた方が見やすいと思います。ご指摘、ありがとうございます。Tizizano会話) 2016年2月27日 (土) 10:53 (UTC)

退職の経緯[編集]

現在(2015年11月25日 (水) 00:12 (UTC))、「1947年6月13日、岡崎勝男・外務次官から退職通告書が送付され、6月7日に外務省を依願退職。」という時系列が逆になっているような文章になっており、いささか疑問を感じます。脚注に「日付と宛名だけが手書きで書き込めるようになっている」とあるので、「6月13日」は実際に書類が送付された日付ではなく、後日記入されたものかもしれません。その辺の事情について、もう少し補足説明が必要だと思います。119.246.42.176 2015年11月25日 (水) 00:12 (UTC)

ご指摘、ありがとうございます。後ほど訂正させて頂きます。Tizizano会話) 2016年2月27日 (土) 10:55 (UTC)

節タイトル[編集]

「終わらざるドラマ」というテレビのバラエティ番組のような情緒的な節タイトルは百科事典サイトには似つかわしくないと思います。「死とその後」くらいでいいのではないでしょうか?--Tonbi ko会話) 2016年6月12日 (日) 18:35 (UTC)

そのように変更させて頂きました。ご指摘、ありがとうこざいます。Tizizano会話) 2016年9月8日 (木) 07:57 (UTC)

出生地をめぐる問題について[編集]

出生地が、八百津町ではなく戸籍に基づけば上有知町である、という件については、岐阜新聞などでも取り上げられているので問題ないと思いますが(CBCの番組では手記の書き換え疑惑というものも放送したようです [1])、「明治31年の戸籍法の立法趣旨を検討すると、八百津HPの説明は誤っている」という注釈の考察については出典がありません。この法律を絡めた考察については、それを述べた研究文献などが無いと、誰が導き出した考察か分からないため独自研究に抵触しそうに思われるのですが、いかがでしょうか。出典が無くてもいい自明の理とはちょっと思えないのですが。--松茸会話) 2017年1月1日 (日) 10:54 (UTC)

保護依頼を提出させて頂いた者です。「出生地は上有知町」ということについては、岐阜新聞等の出典を用いて記述する分には問題ないと考えます。一方で、「戸籍法の立法主旨云々...八百津町HPは誤っている」という記述は、結果的に「八百津町生まれではない」という意味では確かに誤りであるのかもしれませんけれども記事本文であれ、注釈であれ、現在のような、出典がない形で記述をするべきではないと考えます。「出典がなくても良い自明の理」であるとは思えません。Wikipedia、およびWikipediaの執筆者が、「物事の正誤」について何らかの「考察」をしたり、「判断」を下すべきではなく、考察および正誤の判断はあくまでも「対象から独立した第三者的二次資料」に委ねるべきでしょう。・・・ここしばらくのこの記事の履歴を見る限り、Wikipediaが、杉原家の「お家騒動」に巻き込まれている、あるいは片棒を担がされているのではないか、という気がしてなりません。Wikipediaはあくまでも「百科事典」であって、「批判・告発サイト」ではないのですが・・・。--Rienzi会話) 2017年1月1日 (日) 12:58 (UTC)
コメントコメント依頼から。上記の件、(small部も含めて)お二方のご指摘通りと思います。「先般戸籍を確認すると」なんてくだりもどうでしょう。この日本語では主語が足らないし(誰が戸籍を確認したの?)、ウィキペディア的には、「(aに基づく)Aという説と(bに基づく)Bという説がある」まででしょう。そのあとの「千畝という珍しい名前は、その地名に由来すると考えられる。」あたりも「珍しい」「由来」とダブルで独自研究ですし、全体としてまだ大いに改善の余地がありそうですね。一般的に生誕地に関する表現ってビミョーなところがあって、「C町にあるM家の息子として生まれたんだけども、実際に母親のお腹から出てきた瞬間の座標は母の実家のあるD村だったよ」なんて場合でも「C町にあるM家に生まれる。」て書いたりしますからね。--柒月例祭会話) 2017年1月2日 (月) 03:11 (UTC)
コメント記事本文を読み直してみましたが、「出生」に関する部分に典拠不明の独自研究が多く、問題があります。個人的に「これは・・・」と思った箇所を拾いだしてみました。
  • 「近年まで加茂郡八百津町生まれというものも一部にいたが」→「八百津町生まれ」を「誤り」と断定する立場(NPOスギハラ側)での記述。「加茂郡八百津町出身とされているが」あるいは「加茂郡八百津町出身とされてきたが」もしくは「加茂郡八百津町出身とされている。一方...(以下上有知町についての記述)」といった記述に置き換えるべき。
  • 杉原千畝#cite_note-6(脚注3:少なくとも八百津町の「人道の丘」建設の事業計画書の時点…)→典拠不明で独自研究の疑い。人道の丘公園#cite_note-8の記述を見ると「事業計画書」の記述を典拠としていることがわかるが、「事業計画書」はアクセシビリティの観点から問題あり。
  • 杉原千畝#cite_ref-8(脚注5:明治31年に民法が制定され…)→個人的な考察で独自研究の疑い。
  • 「千畝という珍しい名前は、その地名に由来すると考えられる」→独自研究。
ふと気になって人道の丘公園の記事を見てみましたが、さかきばらたいら氏により、本日付けで人道の丘公園#公園建設と出生地をめぐる数々の疑惑報道との節が設けられており、杉原千畝の記事におけるものと同様の状態(事実上の八百津町批判・告発記事)になっています。紙媒体の週刊新潮週刊朝日はともかく、映像媒体の中部日本放送のテレビ報道を出典とすることはWP:TVWATCHの観点から問題があるかもしれません。(というか、新潮の記事も、「第三者が研究・検証」というよりも「当事者たる杉原伸生氏のインタビュー」であって、中立性という点でどうかなぁ・・・と思いますが・・・
この「出生地問題」に関しては、少なくとも現時点では「両論併記」が妥当でしょう。一方では「八百津町生まれ」とされ、もう一方では「上有知町生まれ」とされている、その、それぞれの「事実」を第三者的出典に基づき淡々と書くべきです。
現在、論争中の事柄について、論争の当事者がWikipediaを「利用」しようとしているように感じます。これは百科事典として憂慮すべき事態だと感じています。--Rienzi会話) 2017年1月2日 (月) 04:57 (UTC) 一部編集除去。--Rienzi会話) 2017年1月2日 (月) 16:18 (UTC) 追加で一部除去。--Rienzi会話) 2017年1月2日 (月) 16:21 (UTC)
  • 返信 当方のアカウントと他の動画サイトのアカウントとの関連について論じられていますが、当方のプライバシーについて、ここで論じられることは不当といわざるをえません。速やかに記載の削除をお願いします。また「NPOスギハラ側の当事者または支援者」という憶測も困ります。八百津町を含む東海地方のエリアにおいて中部日本放送で報道がされ週刊誌等でも全国で報道されそれを多くの人が見たのでしょうが、報道で知って収集した関連した事実を記載したら「NPOスギハラ側の当事者または支援者」となるのでしょうか?そうはならないと思います。報道があった事実を無視して反対に非常に偏った見方をされていると言わざるを得ません。こちらについても同様に削除をお願いします。出生地や民法戸籍法うんぬんについて、もともとの(利用者:Highesteverさんが編集した)記載内容について当方は差し戻しをし、その後手を加えたのですが、「独自研究に当たらない」というのは、民法が明治31年に施行され「厳密化」が図られた事実に基づいて「当然」の考察が脚注として、しっかり書かれていたからです。千畝の戸籍(本ウィキに公開され一般に「確認」できる状態におかれている訳ですが)に記載された出生地と異なる説明こそ厳格化された民法・戸籍法に反し誤った解釈であるという当然の内容が書かれているのです。それ以外に言説を挙げる必要があるのでしょうか?また柒月例祭氏が考察されているケースについては、戸籍の出生地の記載についてはありえません。出生届の際には厳格に出生場所の書かれた出生証明書を添付することを要し、その出生場所が戸籍に出生地として記載されるからです。--さかきばらたいら会話) 2017年1月2日 (月) 15:47 (UTC)
  • 返信 (さかきばらたいらさん宛) ご指摘のあった箇所について、編集除去という形をとらせて頂きました。大変失礼いたしました。件の脚注について、「事実に基づいて『当然』の考察」とおっしゃられていますが、Wikipediaの記事上では、編集者が何らかの「考察」を行なう事は好ましくありません。Wikipedia:独自研究は載せないにおいて、Wikipedia上における「独自研究」という用語は「未発表の事実、データ、概念、理論、主張、アイデア、または発表された情報に対して特定の立場から加えられる未発表の分析やまとめ、解釈」と定義されています。件の「明治31年の戸籍法の立法主旨に照らして八百津町HPの記述は誤り」という主旨の脚注は「発表された情報に対して特定の立場から加えられる未発表の分析やまとめ、解釈」、言い換えれば「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」に該当します。「○○はこう言っている」「○○はこう書いている」ということであれば、出典さえあれば書く事が可能なのですが、「私はこう考える」ということをWikipediaの記事(本文および脚注)に書く事はできない(あるいは極めて難しい)ことにご留意頂ければと思います。--Rienzi会話) 2017年1月2日 (月) 16:18 (UTC)
コメント 件の記述について、Highesteverさんが会話ページにおいて、「石川一三夫中京大学名誉教授が詳細説明」という考察の出所らしきものを述べられているのですが、戸籍問題について八百津町が糾弾する立場の団体の方が、私的に尋ねた質問に対する回答がFacebook上に掲載されているに過ぎず([2])、Wikipedia:信頼できる情報源とは言い難い状態でしかないようです。この教授の方が学術論文なりコラムなり文章化して、しかるべき雑誌とか書籍化するならともかく、これは出典としては使えなさそうです。現状のまま適切な出典が出ないようですと、除去されるのもやむを得ないことをご了承ください。
なお、もしもTwitterのこのアカウントが、WikipediaのHighesteverさんと同一人物であるのなら、Wikipedia:自分自身の記事をつくらないを熟読されることをお勧めします。完全な関係者である以上、Wikipedia:中立的な観点などの関係で、現実に論争のあるこの問題についてWikipediaで記述するのはまずいでしょう。ウィキペディアは演説台、広告宣伝の手段ではありませんので、八百津町の誤りを糺すとかそういう目的にWikipediaを利用するべきではありません。この問題については、利害関係者が直接記述するのではなく、第三者によって出典に基づいて中立的に記されるべきです(…それが本来のWikipediaの編集方針なのですが)。--松茸会話) 2017年2月3日 (金) 03:27 (UTC)
コメント 松茸さんのご意見に同意します。Highesteverさんが「考察」の出所とする「石川一三夫名誉教授のコメント」を確認しましたが、この「出生地問題」における当事者(もしくはその当事者を支援する団体・個人)がFacebook上にアップロードしているだけではおっしゃる通りWikipedia:信頼できる情報源とは言えません。そもそも、この「出生地問題」に関しては、私が調べた限り、「学術的な結論」というものはまだ一つも出ておりません。(中部日本放送はそのうち一方について相当否定的に報じていますが、筆跡鑑定さえも二種類の異なる結果が出ています)そうした状況下で、岐阜県および八百津町を糺すような編集を当事者(あるいはそれに準ずる方)がするべきではないと考えます。八百津町および美濃町 (岐阜県)における杉原千畝の出生地関連の記述は、Wikipedia:信頼できる情報源に合致するものを用いて、出来る限り両論併記となるように私Rienziのほうで書き改めてありますが、この「杉原千畝」の記事も同様に「学術的な結論が出るまでは、両論併記」にすべきだと考えます。現在までに、本ノートページで指摘の入っている箇所については、記述を改めるか、除去が必要でしょう。--Rienzi会話) 2017年2月3日 (金) 08:42 (UTC)


                               【出生地に関する注記の誤り】親族が千畝の本籍地である八百津町の戸籍を確認したところによれば、出生地は武儀郡上有知町(こうずちちょう、現在の美濃市)であることが判明した[4]。加茂郡八百津町では、千畝直筆の手記を根拠として、千畝が同町で出生したと主張していた[4]が、戸籍の記録から「千畝は現在の美濃市で生まれた」と研究者らが主張。2016年末、日本ユネスコ国内委員会の求めに応じ、"生誕地"としていた申請書の三か所を"出身地"と書き換えた[5]。 2017年4月に米国で開かれた米国ユダヤ協会(American Jewish Committee)が主宰する「日本のシンドラーホロコースト救援事件における外交のモデル」と題する各国大使が集まる公式会合において、外務省の冨田浩司・在イスラエル特命全権日本大使は、各国大使を前に「杉原の出生地である美濃市」と言及し美濃市が生誕地であること表明[6]している。

(1) この親族というのは、杉原千畝氏の四男伸生氏であり、何度も問題ある書き込みをしているHighestever氏がの伸生氏本人です。このような主張をしてるのは、杉原千畝の家族の中で唯一人です。 (2) 注[4]の“千畝氏の出生たどる 戸籍記載の美濃市の寺 四男が訪問”. 岐阜新聞.は典拠になりません。杉原千畝は、1985年(昭和60年)1月17日付の『東京新聞』の記事にはっきりと「岐阜県八百津町出身」と答えており、これは杉原千畝の伸生氏以外のどの親族に尋ねても同じです。明治の初めに戸籍と出生地が異なるなどざらにあることであり、戸籍にある住所は、父親の好水の赴任地であるに過ぎません。 (3)「日本ユネスコ国内委員会」は伸生氏の言い分をそのまま転記しただけで、日本ユネスコ国内委員会内に、杉原千畝に関する論文や著作のある者は一人もいません。 (4)「外務省の冨田浩司・在イスラエル特命全権日本大使は、各国大使を前に「杉原の出生地である美濃市」と言及し美濃市が生誕地であること表明」など、もろちん何の信憑性もありません。 (5)「教泉寺の住職が2016年に語ったところによれば、千畝がここで出生したかは不明だが、寺の庫裏で間借り人が共同生活を送っていたという」← こんな撞着するデタラメな典拠が堂々と載っているのに疑義がない方が不思議でしょう。 (6)NPO 杉原千畝命のビザは、千畝の直系の親族で運営されており、その構成員の誰一人、また千畝に関して論文や著作のある研究者のだれ一人として「八百津町」出生以外を主張しているものはありません。どうしてこのような間違った出生地記述が残されているのか理解に苦しみます。Tizizano会話) 2017年10月18日 (水) 09:08 (UTC)

ですから、【杉原千畝は、岐阜県加茂郡八百津町で生まれた [注] 父の好水はそれを岐阜県武儀郡上有知町の役所の届けでた】← これが正しい記述であり、千畝が岐阜県武儀郡上有知町で生まれたなど人を欺く歴史の改竄以外の何ものでもありません。Tizizano会話) 2017年10月18日 (水) 10:40 (UTC)
ええと、この Highetever さん、つまり杉原伸生氏がいなくなった以上、私は誰と「合意」をすればいいんですか?投稿禁止にしてまで追い出し以上、上に名前が挙がっている方々には答える義務があるでしょう。イスラエル大使がどう表明しているかなど何の意味もありません。千畝本人が八百津町生まれと言っており、出生地と称している寺、つまり父の好水の寓居地の寺の住職でさえわからないとしいています。「戸籍にある」とはそこを出生地として届け出たというだけで、「出生地である」ことと等価ではありません。私の実母も実際の出生地と「出生地として届けた戸籍」は別であり、そのようなことは戦前の日本社会では仕事の都合でいくらでもあることなのです。そもそも戦後に生まれ、高校卒業時にイスラエルに言った伸生氏だけが別の出生地を知っていて、妻やずっと一緒に暮らした長男夫妻にウソをなど奇妙な話があると思いますか? ... さて、私は誰と合意を求めたら良いのでしょう?Tizizano会話) 2019年2月24日 (日) 13:27 (UTC)
要約欄でがなり立ててばかりいないで、ノートページで合意を図るなど、大人の行動をご検討ください。もろもろご賢察願います。--maryaa(会話) 2016年11月29日 (火) 01:05 (UTC)

あなたはブロックされました。 あなたはブロックされました。しばらくウィキペディアの編集を行うことはできません。

非常識な「大人の対応」をしていないのは、呼びかけがあるのを知りながら、2年も3年も放置しているそちら側なので、必ずこの質問には答えて貰いますよ。Tizizano会話) 2019年2月24日 (日) 13:31 (UTC)

● 存続 - 2009年4月29日 (水) 10:58 (UTC)提出の削除依頼

● この「杉原千畝」は良質な記事の選考によって良質な記事に選出されています この天地の隔たりのように、素人というのは何もわかっていないんですよ。しかも、途中から Highestever なる杉原千畝氏の四男の伸生氏が登場して宣伝まがいの書き込みをして追放される。出生地の書き換えは、この混乱状態に起こっていたことですよ。小学生雑誌に千畝が自分自身が「八百津町に生まれた」と書いているのにわざわざ絡んできておかしな言い分。しかもその学習雑誌は、千畝が中東訪問した際に一緒に撮った写真なんですよ。何十年も前に撮影したもの。伸生氏と長男家は、新聞で報じられたように、版権等々と裁判があり敗訴しているのであり、そういうどうでもいいような争いに、本来百科事典である Wikipedia まで巻き込まれてしまっている。しかし、新聞や戸籍にあるからって、本当にお笑い草です。 戸籍に記載がある地名は、公務員であった父親の好水の勤務地であり、当時の女性は実家に帰ってそこで出産するのです。だから、戸籍の地名にある教泉寺の住職も「戸籍にある」とは言えても「ここで生まれた」などとは言えないのです。そこで生まれたなら、千畝ほどの有名人なら産婆の子孫も名乗り出すはずです。私はちゃんと「八百津町」と書いておいたのですから、ウソ情報をそのままにして、後で問題になったら、それは書き換えを指示した人々の責任ですから、この点も覚えておいて下さい。Tizizano会話) 2019年2月25日 (月) 07:05 (UTC)

ユネスコの世界遺産登録や長男家と四男家との争いに巻き込まれてしまっていることさえ理解できない。私が当初書いたままにしておけば何事もなかったのに、わざわざ余計な火種を持ち込んだ人々は、各自心辺りがあるでしょうから、各自が責任を追って下さい。私はこんなどうでもいいことには関心がありません。Tizizano会話) 2019年2月25日 (月) 07:10 (UTC)

外部リンク修正[編集]

編集者の皆さんこんにちは、

杉原千畝」上の28個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年10月7日 (土) 07:57 (UTC)

参考文献節の問題点[編集]

「参考文献」という名前の節は、本来は、その記事の出典として使用されている文献を記入するためのものです(ガイドラインWP:LAY#参考文献を参照ください)。したがって、もしも出典として利用されていない文献が「参考文献」節に混入している場合には、その文献は参考文献節から除くべきものでして、WP:LAY#参考文献にもそのように記されています。現在の杉原千畝#参考文献節は、そのような「出典でないもの」が混入していると判断されかねない(事実そうなのかもしれない)状態になっていますので、その詳細をここでお知らせしておきます。

杉原千畝#参考文献という節には多数の文献が含まれています。過去にこの節に文献を加筆してきた利用者のうち、利用者:Tizizano氏の加筆内容を調べてみたところ、同氏の加筆した文献の中には、「その文献が杉原千畝の記事のどの文言の出典であるのか」を示す脚注類が全く無いものが複数あります(それに該当する文献を以下にリストで挙げておきます。各URLは加筆時の差分を示します)。

Tizizano氏が参考文献節に記入してきた文献群は、杉原千畝のどこの文言の出典であるかが不明(加筆当時も、現在の最新版においても不明)なものを複数含む(その具体例が下記です)ため、それらの文献は実は参考文献(=記事の出典)ではないのではあるまいかとの懸念を抱いた私は、先日同氏にその点を問うたところ、同氏は現在も、「出典であることが確認されていないものが杉原千畝の参考文献節に混入していることはない」という認識を維持しているようです(参照)。

Tizizano氏が参考文献節に加筆してきたこれらの(下記の)文献が、現在の杉原千畝の出典であるならば、当然ながら、どの文献の何ページ目が、記事内のどの文言の出典であるのかを同氏が個々に示す(=脚注を付ける)ことが可能であるはずですし、それがなされないならば、これらの文献が記事の出典であることの具体的な証拠がWikipedia上には示されないということになります(本日現在、その状態です)。これらの文献を「参考文献」として記入し、かつこれらが「出典である」と認識しているらしいTizizano氏に、記事内のどの文言の出典なのかを示すよう要望済みです。

今後、ある程度の時間が経っても、これらの文献が杉原千畝のどの文言の出典であるのかが個別に明らかにされないようでしたら、これらの文献は杉原千畝という記事の出典ではないと判断されて参考文献節から取り除かれてもやむを得ないと思います。記事の出典であることが具体的に確認できない文献が「参考文献=出典」として掲載されているのは紛らわしく、ガイドライン的にも不適切でしょうから。

  • https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%9D%89%E5%8E%9F%E5%8D%83%E7%95%9D&type=revision&diff=36230664&oldid=35771098
    • 「金子マーティン 『神戸・ユダヤ難民 1940-1941』みずのわ出版、2003年 ISBN 4-944173-23-7
    • [仏訳] Yukiko Sugihara, Visas pour 6000 vies, traduit par Karine Chesneau, Paris, Ed. Philippe Piquier, 1995.
    • 丸山直起 『太平洋戦争と上海のユダヤ難民』法政大学出版局、2005年 ISBN 4-588-37703-5
    • 山本祐策 『ユダヤ難民救助者の法的評価 – ヤン・ツバルテンディクと杉原千畝』近代文芸社、2006年、ISBN 4-7733-733-7389-X
    • 関根真保『日本占領下の上海ユダヤ人ゲットー』昭和堂、2010年、ISBN 978-4-8122-0972-1
    • 白石仁章「いわゆる“命のヴィザ”発給関係記録について]」(『外務省外交史料館報』第9号、1996年3月)
    • 野村真理「杉原ビザとリトアニアのユダヤ人の悲劇」(『歴史と地理 世界史の研究』 山川出版社、2005年2月号所収)
    • 白石仁章「“杉原ヴィザ・リスト”の謎を追って」(『外務省外交史料館報』第23号、2008年12月)
    • 阿部吉雄「資料調査:上海のユダヤ人難民の観点から見た杉原リスト」(九州大学大学院言語文化研究院『言語文化論究』第23号、2008年)
    • 「杉原千畝 6000人のユダヤ人を救った外交官 『命のビザ』の決断」(PHP、『歴史街道』2001年3月号)
    • David Kranzler, Japanese, Nazis and Jews, Hoboken, NJ, Ktav Publishing House, 1976.
    • Alison Leslie Gold, A Special Fate. Chiune Sugihara, New York, Scholastic, 2000.
    • Seishiro Sugihara & Norman Hu, Chiune Sugihara and Japan's Foreign Ministry : Between Incompetence and Culpability, University Press of America, 2001.
    • Dom Lee & Ken Mochizuki, Passage to Freedom. The Sugihara Story, New York, Lee & Low Books, 2003.
  • https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%9D%89%E5%8E%9F%E5%8D%83%E7%95%9D&type=revision&diff=36288308&oldid=36242387
    • マービン・トケイヤー、メアリ・シュオーツ 『河豚計画』TBSブリタニカ、1979年 ASIN 0098-529015-6329
    • 西原征夫 『全記録ハルビン特務機関 -- 関東軍司令部の軌跡』毎日新聞社、1980年 ASIN B000J84G3K
    • 安江弘夫 『大連特務機関と幻のユダヤ国家』八幡書店、1989年 ISBN 4-89350-314-6
    • ユオザス・ウルブシス 『リトアニア 厳しい試練の年月』新日本出版社、1991年 ISBN 4 -406-01947-2
    • 下村二郎 『ホロコースト前夜の脱出』国書刊行会、1995年 ISBN 4-33603-75-4-X
    • 宮澤正典、デイヴィッド・グッドマン 『ユダヤ人陰謀説 -- 日本の中の反ユダヤと親ユダヤ』講談社、1999年 ISBN 4-06-209588-2
    • 松浦寛 『ユダヤ陰謀説の正体』筑摩書房、1999年 ISBN 4-480-05823-0
    • 芳地隆之 『ハルビン学院と満洲国』新潮社、1999年 ISBN 4-10-600561-1
    • ベン=アミン・シロニー 『ユダヤ人と日本人の不思議な関係』成甲書房、2004年 ISBN 4-88086-170-7
    • 畑中幸子 『リトアニア -- 民族の苦悩と栄光』中央公論新社、2006年 ISBN 4-12-003755-X

--Leonidjp会話) 2019年2月24日 (日) 02:09 (UTC)

「その詳細をここでお知らせしておきます」← 同じことは一回で良いので何度もしなくて結構です。文献をどう扱うなどあなたに督促されるすいわれなどありません。削除したければどうぞと行っているのですから、【同じ内容の趣旨のこと】を何度も送って来ないで下さい。何度もメールが来るのは不快極まりないことで、ここに厳重に抗議しておきます。Tizizano会話) 2019年2月24日 (日) 12:30 (UTC)
もう一度念を押しておきますよ。「今後、ある程度の時間が経っても、これらの文献が杉原千畝のどの文言の出典であるのかが個別に明らかにされないようでしたら、これらの文献は杉原千畝という記事の出典ではないと判断されて参考文献節から取り除かれてもやむを得ないと思います」← 自分で理由を作って自分で納得しないこと。こちらがいつするかしないなど、あなたに督促などされるいわれはありません。「出典ではないと判断されて」ということと「出典ではない」ということは【まったく別のこと】です。あなたは、論理的思考に欠けるようですから、この点も厳重に注意しておきます。Tizizano会話) 2019年2月24日 (日) 12:35 (UTC)
しかし、考えたら Wikipedia は誰が編集してもいいわけで、いちいち問い合わせがくるのもヘンな話です。改編でとてもおかしいと思えばこちらで直しますから、いちいちそのつどメールが転送されてくるようなうっとうしいことは止めて下さい。私が強い不満を持っているのは「出生地をめぐる問題について」の節に関する問題で、これに関して「話合え」とか「合意を作れ」とかいいながら、私の問いかけに相手が答えない状態が、実に2年も3年も続いています。これは管理人の怠業と言われても仕方ないでしょう。繰り返しますが、私はこの分野の職業的研究者であり、研究の現状も把握し、かつ著作も論文もあり、参考文献にもあります。この記事は、一般向きの啓蒙のために書いたもので、内容を充実させることに関して、私は特に Wikipedia に拘る理由も執着する理由もありません。こちらの言い分を2年も3年も回答も仲裁もない管理側に、私は特に期待もしておりません。この点、くれぐれも勘違いしないで下さい。Tizizano会話) 2019年2月24日 (日) 12:56 (UTC)

リストを追加しておきます。この差分↓の途中まで調べたものです。これ以降の加筆分にも存在している可能性は高いので、気になる方は調べてこのように掲示してみてください。

--Leonidjp会話) 2019年2月25日 (月) 00:26 (UTC)

どうも飲み込みが悪いようですので、もう一度念を押しておきます。Wikipedia は誰でも編集でくるとのですから、ご自分でやって下さい。私がやろうがやるまいが、あなたの指示などうけるつもりはありません。記載がある度にメールがとどくので、迷惑だと何度同じことを言ったらわかるのか ...Tizizano会話) 2019年2月25日 (月) 06:35 (UTC)
「気になる方」というのもおかしな話で、当該分野に通暁して著作がある者は日本で数名しかいないのに、素人に出来るわけないでしょう。Cf. とつければフォローするものが多いが、そんなことが研究者以外にできるわけないでしょう。参考文献に名前がある泰斗の内の3名はもう亡くなりました。従って、当該分野の通暁している者は、私を含めて日本に2、3名しかいません。だから、ただ「気になって」だけでは無理で、相応の知的訓練をした者以外は無理です。だから、削除したければ勝手にどうぞと何度も言っているでしょう。ここまで何度も説明してもわかりませんか?Tizizano会話) 2019年2月25日 (月) 06:42 (UTC)

さらにリストを追加しておきます。この差分↓もそうですが、記事の本文部分に加筆された文字量がさほどでもないにもかかわらず、参考文献節に加えられた文献数が急激に増えており、且つそのうちの少なからぬ文献は、記事内のどの文言の出典なのかを示す脚注が設けられていない(加筆当時も今も)ということが分かります。

  • https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%9D%89%E5%8E%9F%E5%8D%83%E7%95%9D&type=revision&diff=36288308&oldid=36242387
    • 岩村太郎 「杉原千畝とロシア正教」(恵泉女学園大学『人文学部紀要』15, 2003年)
    • 野村真理 「杉原ビザとリトアニアのユダヤ人の悲劇」(『歴史と地理 世界史の研究』 山川出版社、2005年2月号所収)
    • 野村真理 「自国史の検証 -- リトアニアにおけるホロコーストの記憶をめぐって」(金沢大学重点研究『地域統合と人的移動』お茶の水書房、2006年)
    • アレクセイ・A・キリチェンコ 「コミンテルンと日本、その秘密諜報戦をあばく」(産経新聞社『正論』2006年10月号)
    • 伊藤明「特集 ユダヤ難民に“自由への道”をひらいた人々」(日本交通公社『観光文化』別冊、2006年)
    • 白石仁章 「外交官杉原千畝の在ハルビン総領事館および『満洲国』在勤中の活動を伝える調書について」(東京国際大学『国際関係学研究』21、2008年)
    • 渡辺克義 「駐カウナス日本領事館臨時領事・杉原千畝夫人,杉原幸子氏との会談(1993年8月4日)覚書」(『山口県立大学学術情報』2、2009年3月)
    • 瀬戸昌久 「杉原千畝の決断を支えた信仰」(カトリック社会問題研究所『福音と社会』Vol.249, 2010年)
    • エヴァ・パワシュ=ルトコフスカ 「日露戦争が 20 世紀前半の日波関係に与えたインパクトについて」(防衛庁防衛研究所「平成16年度戦争史国際フォーラム報告書」)
    • 白石仁章 「インテリジェンス・オフィサーの無念 -- 史料が語る日本の情報戦」(『小説新潮』2010年3月号)
    • Ewa Pałasz-Rutkowska & Andrzej T. Romer, “Polish-Japanese co-operation during World War II ” in Japan Forum No.7, 1995.
    • Hideko Mitsui, “Longing for the Other : traitors’ cosmopolitanism”in Social Anthropology, Vol 18, Issue 4, November 2010, European Association of Social Anthropologists.
    • Abraham Kotsuji, From Tokyo to Jerusalem, Torath HaAdam Institute, 1975.
    • John J. Stephan, The Russian Fascists. Tragedy and Farce in Exile, 1925-1945, London, Hamish Hamilton, 1978.
    • Tessa Stirling, Daria Nałęcz & Tadeusz Dubicki, Intelligence Co-operation between Poland and Great Britain during World War II, vol.1, London, Vallentine Mitchell, 2005.
    • Reinhard R. Deorries, Hitler’s Intelligent Chief, New York, Enigma Books, 2009.
    • Michaël Prazan, Einsatzgruppen, Paris, Ed du Seuil, 2010.
    • 渡辺勝正、稲垣収、あべさより 学習まんが人物館『杉原千畝 六千人の命を救った外交官』小学館 2001年 ISBN 4-092701-13-6
    • 杉原幸子、杉原弘樹 『杉原千畝物語 命のビザをありがとう』金の星社、2003年 ISBN 4-323090-27-7

--Leonidjp会話) 2019年2月25日 (月) 07:39 (UTC)

「どの文言の出典なのかを示す脚注が設けられていない(加筆当時も今も)ということが分かります」← それで、それが何か?そもそも文献も持っておらず、文献の性質も知らず、記事の内容をまったく知らない者が、単に量の過多だけを問題にして何の意味があるのかね?研究というのは、僅か数行の主張に何十冊必要な場合もあるんだよ。古典になるような著作でも刊行してから説教をしてもらいたいものだね。多い少ないって、それは子供でもわかるが、何も言ったことにならない。Tizizano会話) 2019年2月25日 (月) 10:36 (UTC)
例えば、芳地隆之 『ハルビン学院と満洲国』(新潮社)には千畝の前妻のことが載っている。例えばも服部龍二 『広田弘毅 --「悲劇の宰相」の実像』は、自分の長男に弘樹と命名するくらい傾倒しており外交流儀をまなんだ上司の外交を知る上で重要だ。例えば、砂村哲也 『ハルビン教会の庭』は、千畝が情報収集のために利用していた白系ロシア人社会に詳しい … 学問研究とは、そういう気の遠くなるような積み重ねで出来ているんだよ。知ったかぶりもいい加減にしてもらいたい。そもそも読んだこともなく内容も知らない文献に言及するなど思いあがるのもいい加減にしなさい。編集の問題ではなく、あなたの指摘が一番問題。Tizizano会話) 2019年2月25日 (月) 10:43 (UTC)
Michaël Prazan, Einsatzgruppen, Paris, Ed du Seuil, 2010.だって、初めの方に杉原千畝への賛辞があり、リトアニアのユダヤ人迫害、とりわけ第九要塞における虐殺に関して詳しく、千畝がリトアニアを去った後のユダヤ人共同体の運命を知るのに重要だ。これを Cf. で付加したらあれにもこれにもかかわる。そんなことまるで分かっちゃいないだろう。適当な想像で、「記事内のどの文言の出典であるのかを同氏が個々に示す(=脚注を付ける)ことが可能であるはず」とか知ったかぶりで言っているが、学問の基本的構えを知らずに適当な中傷を繰り返さないこと。また改めて注意しておく。Tizizano会話) 2019年2月25日 (月) 10:52 (UTC)
>>単に量の過多だけを問題にして何の意味があるのかね?
誤解のないよう不言しておきますが、「量の過多だけが問題だ」などと言っている人はここにはいません。各参考文献が「記事内のどの文言の出典かわからない状態」であることが問題。
>>削除したければ勝手にどうぞと何度も言っているでしょう。
だそうです。では、Tizizano氏が参考文献節に加筆した文献のうち、「記事内のどの文言の出典であるか」を示す脚注が現在も付いていないものについては、参考文献節から除去することをいずれ提案します。リストアップが済んだらここに提案を出す予定です。--Leonidjp会話) 2019年2月26日 (火) 01:35 (UTC)
何度同じことを言ってもわからないようだが、わかりやすいようにいっておこう。凝った参考文献を手元に全部持っているのは、日本でおそらく私以外にはいないので、リストアップしてもただ放置されるだけ。もちろん、私はあなたに作業を督促されるいわれはない。だから無意味な手間におわるだけ。これでわかったかな?Tizizano会話) 2019年3月3日 (日) 13:57 (UTC)
併せて言っておこう。私は「出生地」に関する問題に関して累次に渡って問い合わせをしているのに、自分たちで合議しろといいながら、3年近くも何の音沙汰もない。こんな不誠実に対応しかできない者に協力せよとは図々しいにも程がある。まったく社会常識というものがまったくない。もちろん、あなたの「依頼」とやらに応じる所以もない。気が向いて時間があればする。このようなふざけた無礼極まる対応がが続けばしない。わかったかな?それから、どうでもいいような同じ要件でいちいち書き込みをしないでくれ、そのつどメールが来るので大迷惑といっており、これは何度もいっているはずだ。Tizizano会話) 2019年3月3日 (日) 14:03 (UTC)
  • コメント Leonidjpさん、Tizizanoさん、こんにちは。Rienziと申します。今回の一連の会話の流れを見て思った事を書かせて頂きます。まず、Leonidjpさんに申し上げておきたいのは、「Wikipediaにおいて、文中に脚注を入れ込む形での出典提示は必須ではない」ということです。Wikipedia:出典を明記する#記事末尾に参考文献を記載するをご覧いただければご理解頂けるかと思いますが、「一括参照法」はWikipediaでは禁じられておりません。私自身の体験を元にお話ししますと、ポスト・ファーニホウという、(おそらくある荒らし利用者が執筆した)現代音楽の記事で、まさに「本当に記事本文の内容と結びつくのかわからない、一括参照法での大量の参考文献(関連文献)提示」が行なわれており、これに疑いを抱いて私はWikipedia:削除依頼/ポスト・ファーニホウを提出いたしました。しかしながら、削除依頼の結果にありますとおり「一括参照法は禁じられていない」という大変きついお叱りを頂いたうえ、記事は存続で審議終了となりました。・・・ただし、先述のWP:GENREFにもありますとおり、「一括参照法」をとるには、「参照すべき場所、範囲を明確に示す。通常はページ番号を付記する」という付帯条件がございます。そこで改めて本記事でTizizanoさんが追加された参考文献を確認しますと、特段参照箇所、参照範囲の特定が可能な形になっていないものが見受けられます。Leonidjpさんには「Wikipediaでは一括参照法は禁じられていない」ということ、Tizizanoさんには「一括参照法をとる場合、参照箇所を明記する必要がある」ということをご留意頂いた上で、しきり直して議論を進めた方が良いのではないかと思いました。ひとつ提案なのですが、Leonidjpさんが「除去」を提案されていらっしゃる「本文と脚注で結びついていない文献」については、除去とせず「参考文献」節とは別に「関連文献」節を設けて、一旦はそこに移動しておく、という形はいかがでしょうか。せっかくの文献情報が消えてしまうのは、百科事典の利用者にとってあまり良いものではありません。長文失礼いたしました。--Rienzi会話) 2019年3月4日 (月) 05:15 (UTC)
Rienziさん、コメントありがとうございます。
>>Wikipediaでは一括参照法は禁じられていない
禁じられていないからそれは可能なのですが、WP:CITE#出典の示し方には「多くの人が編集するウィキペディアでは、本文中に注釈を入れる方式が推奨されています」ともあり、その立場で依頼してきました。しかしTizizano氏は脚注の記入は結局引き受けない様子なので、実行はされないと思います。
>>「参考文献」節とは別に「関連文献」節を設けて、一旦はそこに移動しておく、という形
それはまったくかまわないです。「関連文献」と見なすことに何ら問題は無いと思いますので。--Leonidjp会話) 2019年3月4日 (月) 06:25 (UTC)
>>一括参照法をとる場合、参照箇所を明記する必要がある
もしその明記が実行されることがあれば、その文献についてはWP:GENREFというガイドラインに則った状態になるので良いことだと思います。記事内のどこの文言の出典であるか/ないかを確認する作業も非常にしやすくなるでしょう。
現在の参考文献節をざっと見たところ、参照箇所とみられるページ番号などが個々に明示されてい文献はほとんどないようでした。--Leonidjp会話) 2019年3月4日 (月) 06:41 (UTC)
Leonidjpさん、お返事頂きありがとうございます。WP:CITE#出典の示し方にある通りで「注釈を入れる方式」が推奨されていますし、私も「一括参照法」よりは「脚注」派です。参考文献節、私も確認しましたが、そもそも脚注形式で本文と結びついているものが極端に少ないですし、おっしゃる通りページ番号まで明示されているものはさらに少ない状況です。挙げられている文献の整理のために、先のコメントで提案させていただいた「関連文献節を別途設ける」方向で進めてまいりたいと思います。引き続きよろしくお願いいたします。--Rienzi会話) 2019年3月5日 (火) 11:29 (UTC)
Rienziさん、お手数をお掛け致します。お時間あるときに「関連文献」でお願い致します。日本に杉原千畝に関する研究者は10人ほどで、さらに数か国語に通暁している者は2、3人しかいません。この記事を書ける者はわずかであり、国内の展示会等でもここの文章が使われています。追加文献は、研究者でも知らないものがあります。ですから、日本の研究発展に必要なものだと存じます。お気遣い、ありがとうこざいました。Tizizano会話) 2019年4月6日 (土) 12:19 (UTC)
2年間も放置しておいたのは、こちらの呼びかけに反対者が応えようとしないからです。私は杉原千畝の研究の総体も、出生地や親族をめぐるゴタゴタも全部知っている日本で唯一の研究者ですが、Wikipedia のような公開の場では書けないこともあるわけです。ところが親族が突然出て来て自分に有利なように記述を書き換え、知ったかぶりの素人がデタラメを書くに至って嫌気がさしたというわけです。この記事を書けるのは日本で私以外はおらず、だからこそ大枠を変えることができなかったのでしょう。事情をしらない者に、公にできないことを秘匿しながら説得するのは莫大な労力を必要とし、私は新聞や雑誌に書くこともできるし、著作や論文で訴えることもできるので、精一杯説明してわからないなら、記事をブラッシュアップする気持ちがないということで、そんないい加減な闖入者に協力する理由などないと判断したからです。以上、説明させて頂きました。Tizizano会話) 2019年4月6日 (土) 12:30 (UTC)

いい加減な編集と異常な指示[編集]

千畝も幸子夫人も在外ロシア正教会洗礼を受けていた[1]

この「著作物のある出典から引用していますので、被引用文は改変しないでください。著作権法20条1項の同一性保持権を侵害するおそれがあります」を誰が書いたのか?一連の騒動の中で、記事が破壊されたこともわかっていない。まず千畝が洗礼を受けたのは、前の妻の白系ロシア人のクラウディアと結婚する際にハルビンの教会でセルゲイ・パヴロヴィッチという霊名(洗礼名)を授かり、幸子夫人や長男の弘樹氏も洗礼を受けたが、それはお茶の水のハリストス正教会。この曖昧な記述だと、まるで両者が同時に洗礼を受けているように読者に思われかねない。幸子夫人は、遠野の神官の娘であり、宗旨は神道。Tizizano会話

--以上の署名の無いコメントは、Tizizanoノート履歴)さんが 2019年2月25日 (月) 07:36 (UTC) に投稿したものです。

  1. ^ 『六千人の命のビザ』p.153.