ノート:札幌育種場競馬場

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なかなか他の方が書いたもので、しっかりと出典が挿入されているものへうまく加筆するのは難しいので、こっちにいくつか書いておきます。

  • 『北区エピソード史』は、紙で刊行されたものと、北区HPで閲覧できるものは同じ内容です。
  • 『さっぽろ文庫』は、一部が札幌市HPからダウンロードが可能です。(閲覧ソフトもDLする必要があります。)特に、7の札幌事始p156-157は「競馬」節となっていて、本件のほか、中島公園、山鼻屯田の競馬に関してもエピソードが載っています。
  • 私にも直し方がわからないのですが、1911年版「札幌競馬沿革史」の近代デジタルライブラリーのURLの末尾に「。」がついてしまっていて、うまくリンクされていません。この「。」を削るとリンク先へ行けるのですが。
  • “琴似街道”という呼び方は、出典の文献でも使用されているのですが、実際に競馬が行われていた頃は、“銭函街道”と呼ばれていました。当時は、札幌に来る道がまだ確立されておらず、本土からは船で函館、松前、江差、岩内、小樽、銭函と来て、銭函から陸路で札幌に来るという感じだったので「銭函街道」でした。「琴似街道」は、今は「西25丁目通り」という呼び方が一般的です。(一部の道路地図なんかでは琴似街道と書いてある物もあります)この、“(のちの)「琴似街道」で行われていた競馬”を“琴似街道競馬”と呼称するのは、個人的にはどうかなあという気がします。どこでもそうですが、「◯◯街道」というのは◯◯ではない場所にあり、この競馬が行われた場所も「琴似」とはずいぶん離れた場所です。『札幌競馬沿革史』あたりでこういう名前で呼ばれてましたでしょうか。私が見たところでは、これといった定まった名称というのはなくて、「琴似街道の路上の奉納競馬」、「札幌神社の奉納競馬」とか「札幌神社の祭典競馬」と表現されていると思います(『新札幌市史』、『さっぽろ文庫68 札幌まつり』など。)。
  • 琴似街道の最初(明治5年)の「競馬」について、『馬政史』『北区エピソード』では「数十騎」、『蹄跡』では「10数頭」となっていて、ちょっと表現に開きがあります。どちらも、引用元まで確認していないのでどちらが正確かはわかりませんが、北海道のこの時期の歴史についてはおそらく原典があるので、がっつり調べれば原典が(たぶん道立図書館か開拓の村で)出てくると思います。
  • まあそもそも「数十騎」というのは言葉の受け取り方の幅がある(辞書的には「20から30、もしくは50から60」みたいな)わけで、そこらへんをぼやかしての「数十」なんでしょうけども。
  • 『札幌馬主協会50年史』社団法人札幌馬主協会、1998(ページ数はどうしてもメモが見つからない)には、「数十騎」とあるのですが、こちらには当時の札幌の人口・世帯数が書いてあるほか、2年目以降についても「多い年で30騎、少ない年で20騎」とあります。2年目以降はそれなりに段取って開催したから数が集まるとして、自然発生だった1年目が、「多い年で30騎」と同等かそれ以上集まるものかなあ、とは思います。10数騎ならなんとなくわかる。
  • とはいえ、これは我々がどうこう言ってもしょうがないので、出典に基づいて両論併記するしかないのかなあと思います。(以上追記--零細系統保護協会会話2014年6月7日 (土) 08:50 (UTC))[返信]
  • 松本十郎と岩村通俊のどちらが琴似街道の競馬を仕切ったか、ですが、琴似街道の競馬がいつ行われたか、にもよるのですが、札幌神社のお祭は6月14日から16日で(明治5年の9月14日はあくまでも一度きりの官幣小社への昇格祭で、例祭は6月です)、たいてい15日と16日に競馬をやっているので、明治6年も6月に競馬があれば岩村が7月に佐賀県権令に任命されたとしても、いちおう間に合います。あるいは、(これは然るべき資料をきちんと調べればすぐわかることですが)任命は明治6年7月でも、実際の赴任は少しずれていたのかもしれません。初代の北海道開拓使だって任命されても赴任しませんでしたし。また、「琴似街道の奉納競馬」がいつまでやっていたのかも微妙で、公的なものは8年に移ったとして、祭礼的なものは琴似街道で引き続きやっていたのかもしれません。(『新札幌市史』8巻には「琴似街道の路上の奉納競馬は明治5年以来欠かせないものになった」とあって、なんとく2,3年で無くなったという感じじゃない気がします。)もちろん、岩村という記述が誤りであるという可能性が一番高いかもしれません。松本は明治8年夏に失脚し、明治19年には岩村が北海道長官になっているので、トータルとしての競馬の庇護者としては、岩村もじゅうぶん名を挙げるに値するのだろうと思います。(岩村の伝記系の文献もたくさんあるので、時間をかけてじっくりやればいろいろ出るかもしれません。)
  • 年代は明確にかかれていないのですが、『札幌事始』では松本が毎年5月の節句に大通り(北0条に相当。「空知通り」でも、「ポップ園」でもない。)で競馬をやった、ということも書かれています。また、「いつから」かははっきりわかりませんが、札幌妙見堂のお祭りでも競馬が行われていて、明治中期(中島公園へ競馬場が移った頃)には、6月の札幌神社例祭、9月の札幌妙見堂大祭が、競馬の開催日でした。妙見堂の方は私もさっぱり知りませんが、札幌妙見堂には「毎年8月のお祭りが札幌最古の祭だ」と書かれており、だとすると「明治5年の札幌神社の祭り」よりも古くからお祭りがあったということで、そこで祭典競馬的なものがあったのかもしれません。現時点では出典皆無ですが。
  • (追記)「然るべき調査をすればわかることですが」というのは、「調べてくださいね」という意味ではなくて、「そのうち私が調べて報告すると思います」ぐらいの意味です。時期は確約できませんが、数ヶ月以内に、ぐらいの感じです。

--零細系統保護協会会話2014年6月5日 (木) 12:23 (UTC)[返信]

  • (追記)明治大帝の天覧競馬でのアイヌの競馬について、『新札幌市史』2巻p527では、「トコムというアイヌの競馬」が行われ、「トコムに賞品が下賜された」旨の記述があるのですが、「トコム」というのがアイヌ人の人名なんだか、「アイヌ流馬捕獲術」のことなんだか、よくわかりません。倭人が持ち込むまで北海道にはウマがいなかったので、「アイヌ流馬捕獲術」というのも違和感を感じますが、まあ出典にそう書いてあるのではしょうがないですね。--零細系統保護協会会話2014年6月5日 (木) 12:33 (UTC)[返信]
  • (追記)「共同競馬会社」の名前の由来について、『札幌馬主協会50年史』では、東京、函館の先行した競馬が「共同競馬会社」という名前をつかっていたので、これに倣った、とあります。--零細系統保護協会会話2014年6月7日 (土) 08:50 (UTC)[返信]

目黒の隠居です。これは詳しく調べてくださって感謝します。まずは「松本十郎と岩村通俊のどちらが琴似街道の競馬を仕切ったか」ですが、私も迷ったのです。『札幌競馬沿革史』1911年や『日本馬政史 第5巻』1928年では岩村通俊、しかし『続日本馬政史 第2巻』1963年と『日本競馬史 第3巻』1968年では松本十郎。『続日本馬政史 第2巻』1963年と『日本競馬史 第3巻』1968年は『札幌競馬沿革史』1911年のコピペを用いているので『札幌競馬沿革史』1911年が岩村通俊としているのを知りながらあえて松本に訂正していますので私は松本を採用しました。ただ、それ以上の根拠があって松本としたわけではありません。『日本競馬史 第3巻』1968年より信頼性が高そうな資料があればそちらに従うことに異存はありません。後の件は追って文献を見直してみます。--目黒の隠居会話2014年6月5日 (木) 14:54 (UTC)[返信]

目黒の隠居です。お待たせしてすみません。実は借りていた本の返却期限が迫っていたので中島遊園地競馬場の方にかかっていました。図書館の相互貸借で借りた本なので次に借りるのに時間がかかるもので申し訳ない。さて琴似街道については銭函街道に直しておきました。街道名については安易に出典に合わせてしまいました。『北区エピソード史』の北区HPのご紹介はありがとう。近代デジタルライブラリーのURLについてはカッコ悪いがリンクできるようにしておきました。銭函街道競馬の数十騎か十数頭か・・たしかにアバウトですね。注釈で十数頭としました。原典が見つかればいいですね。心に留めておきましょう。アイヌの件については、そういわれるとなるほどとおもいます。これも出典をそのまま引き写してしまいました。エゾシカでも捕まえるテクを馬に応用でもしたのでしょうか?この当時の日本馬はポニーですからね。「アイヌ流馬捕獲術」についても今後の課題ですが、現状は出典に合わせておきましょう。天皇に関する記述ですからアイヌが馬に何かして天皇が賜品を下されたこと自体は本当ではないかと思います。「共同競馬会社」についえは、『札幌馬主協会50年史』を確認次第直します。この文献はまったく見ていませんでした。-零細系統保護協会さんには多くの文献を当たってくださったようでありがたい。とりあえず来週図書館に行ってご案内の本を見てきますが今週のところはご指摘に対しての記事の訂正はこれまでとします--目黒の隠居会話2014年6月7日 (土) 11:31 (UTC)[返信]

  • (追記)『札幌競馬場100年史』からの情報をいくつか。
  • 「明治5年のくらべうま、数十頭か十数頭か」については、この頭数はあえて書かないでありました。(p30)
  • 「松本か岩村か」松本。松本は山形出身で、札幌神社がおかれた円山の開拓住民は山形出身者が多かったのでそれもあって、とあります。(p30) ここに円山の開拓者が酒田県出身だとありますね。
  • 「琴似街道」と「銭函街道」ですが、「いつから琴似街道と呼ぶか(いつから西25丁目通りと呼ぶか)」が判然としないようですし、こういうのは自然に呼ばれるんでしょうから、はっきりと明治◯年◯月◯日をもって琴似街道と名称変更する、というものでもないでしょう。いまの地図上は「西25丁目通り」ですが、札幌市内の通りに少し詳しく出ていますけども、要するにおなじ道路をいろんな呼び方をしたんでしょうね。私は「銭函街道にしたほうがいい」といいましたけれども、色々な出典が「琴似街道」と表記しているので、「琴似街道」として、注釈で銭函街道とか西25丁目通りとか別の名前をちょっと出すぐらいでいいのかもしれません。言うことが変わって申し訳ないです。--零細系統保護協会会話2014年6月8日 (日) 05:21 (UTC)[返信]
ども、目黒の隠居です。お世話になっています。今日は国会図書館に行ってご案内の本を読もうとしたのですが、『札幌競馬場100年史』、『札幌馬主協会50年史』共に国会図書館にはなく、東京および近隣県の図書館にもなく、読むことが出来ませんでした。ずいぶんと貴重な文献を見つけられたものですね。残念ながら文献に当たれないので困ってしまいました。
それと街道名ですがはやり「琴似街道」としている文献の方が多いです。ここはやはり「琴似街道」を本線にして最初に出てくるさいに「琴似街道(銭函街道)」としてもいいかと思いました。--目黒の隠居会話2014年6月10日 (火) 13:02 (UTC)[返信]
こんばんわ。これはすみませんでした。琴似街道の件は、「琴似街道」でいいと思います。銭函街道は注釈程度でいいかなと思います。お騒がせしてすみません。
文献の件ですが、たぶん100%確実にあるだろうと思うのは横浜・根岸にある馬の博物館です。10年か15年ぐらい昔には、渋谷のプラザエクウスにもかなり非売品の競馬文献が置いてあって、自由に閲覧できたのですが、記事を見る限り閉鎖されて新橋に移転しまったようで、そちらの状況は全くわかりません。根岸の競馬博物館は、基本的に書庫を自由開放はしていないですが、事務所で受付をして、身分証とか、調査目的とか、公開手段とかを申請書に書いて入れてもらえます。獣医系や西洋史や日本史系の学生さんと思しき方が毎日そうやって入室しているようです。私の場合はなにも肩書のない民間人なので、「趣味の調査」とか「インターネットで公開」とかそんなような事で申請しました。明確に文献名がある場合には、それを指定して持ってきてくれるのを待ちますが、目黒の隠居さんの場合には、ご自身で書庫で探したいと申請なさるといいと思います。まあはっきりいって宝の山みたいな状況になると思います。まず間違いなく『札幌競馬沿革史』も3版ともコンプリートしているだろうと思います。有料ですが著作権にしたがってコピーもさせてもらえます。我々が関心をもつような時代の文献はたいがい著作権は失効していますから、やる気があれば全ページコピーもできます。私も何度も足を運んで一日中入り浸りましたが、けっこう毎日、私一人じゃない程度にはそういう入館者がいましたので、事務の方にしてみればそんなに珍しいことじゃないんだろうと思います。とはいえここ5年以上は私も行っていないので、最近の様子はわかりません。一度電話で確認したうえで赴かれるといいかなと思います。--零細系統保護協会会話2014年6月10日 (火) 13:21 (UTC)[返信]
なるほど、馬の博物館がありましたか。カリールローカルや国会図書館サーチ、図書館相互検索でも見つからないわけです。そういえば馬の博物館の印刷物にはお世話になっているのに馬の博物館そのものには行ったことはありませんでした。貴重な情報をありがとう。馬の博物館は私の住まいからはそんなに遠いわけではないので、すぐにとは言えませんが、折を見て行ってみましょう。(紙の博物館にも行こう行こうと思いつつまだ行けてない状況でして、ついつい国会図書館に足が向いてしまいます)--目黒の隠居会話2014年6月10日 (火) 13:45 (UTC)[返信]

外部リンク修正[編集]

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ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年10月7日 (土) 06:52 (UTC)[返信]