ノート:本能寺の変/過去ログ2

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阿弥陀寺縁起とその可否について

  • Baaketinubukaさん、阿弥陀寺縁起の清玉上人が裏から生垣を割り入り家臣が荼毘にふしていた信長の遺骨を持ち出して埋葬供養したというのを「(信長公記では女性は生き延びていたことが明記されているので過ちを訂正」と『信長公記』に女房衆を逃がしたか僧と女性が出入りできたたからある話だというのは、Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料の「一次資料から得られる情報について、あなた自身が分析・合成・解釈・評価などをしてはいけません。代わりに、そのようなことをしている二次資料を出典としてください。」への違反です。「ウィキペディアにおいて一次資料を使用してよいのは、事実について率直な記述を行う場合のみであり、特殊な知識を持たない、普通の教育を受けた人が、その資料を参照して検証できる場合に限られ」るのです。さらに出典記載の記事を、無視して編集していてこれは違反です。これは独自研究にあたるのです。できる事は、何か出典になる研究書を探して並行併記してください。--奈良たかし会話2015年4月11日 (土) 09:40 (UTC)

Quark Logoさんによる検証タグ貼付の差し戻しについて

  • 出典・独自研究部分にタグ付けしたところ、Quark Logoさんに「多人数で執筆がされていることを理解すべきでしょう」という理由で差し戻されたのですが、理由がよく理解できません。「多人数で執筆しているのだから記事に出典がなかったり独自研究であってもしょうがないし許容すべき」ということなのでしょうか? ご説明をお願いします。--ねだーらんず会話2015年5月15日 (金) 08:44 (UTC)
大量に範囲タグより、節タグでよくないでしょうかね。戻したところは、徳川家康の動向の部分は利用者:Nederlands2会話 / 投稿記録氏が要約した書いたところを少し戻したのに、自分がそのまま使っていたところに要出典って意味わからないから、戻しました。いや、あなたが書いたものですよ、ということです。--Quark Logo会話2015年5月15日 (金) 08:51 (UTC)
返信 ざっと確認したところ、現在の記事はあまりにも未検証・独自研究に類する文章にあふれており、まるで個人のエッセイのような記事となっていて歴史記事としての体をなしていないようです。問題を整理して記事のクォリティを向上させる意味でも、問題点に対して逐一個別にタグ付けした方がよいかと思います。また、「私の書いた記事について自分自身で要出典タグを貼付して意味がわからない」とご指摘されていますが、Quark Logoさんによって文章をパラグラフされた影響で本来出典をつけていた箇所の出典がなくなっている部分もありましたので、ご指摘の箇所はおそらくそういった部分ではないかと思います。私自身としては、そもそも誰が書いた記事だなどということはあまり関係がなく、出典や検証が必要であると考えられる部分についてはタグを貼るべきだと思います。上記のような理由ですので、タグ付け箇所について消去しないようにお願いします。--ねだーらんず会話2015年5月15日 (金) 09:25 (UTC)

ざっと確認?・・・。自分で書いた時になぜ要出典を使わなかったか、そこが問題ありです。本来出典をつけていた箇所というのは、<ref>『フロイス日本史』</ref>という利用者:Nederlands2会話 / 投稿記録氏が追加したものでしょう? これは出典の書き方がそもそもこれはなってませんし、意味が分からない。しっかり確認すればあなたが追加した出典は存在しないことがわかると思います。そういう編集を利用者:Nederlands2会話 / 投稿記録氏はしていたわけで、出典付も消してますし、「問題点に対して逐一個別にタグ付けした方がよい」とは何目線なのでしょうか。いや、最初から問題点を逐一検証する姿勢ならば、わかりますが、そうじゃないでしょう。この豹変はなぜでしょうか。--Quark Logo会話2015年5月15日 (金) 09:44 (UTC)

返信 確認したいのですが、あなたが今行っている主張の目的はなんでしょうか? つまり、「ねだーらんずは実は主張を豹変させたるのだ、ねだーらんずの思惑には裏がある。その背後には黒幕がいるのだ!」などという主張をすることによって何を得られるのですか? いま問題とすべきは要出典タグの貼付であって、私の思惑の解明など全く無意味でしかも答えの出ないただの放言にしかならないものと思いますが。--ねだーらんず会話2015年5月15日 (金) 09:58 (UTC)

黒幕??????? 意味が分かりませんが。少なくとも私は利用者:Nederlands2会話 / 投稿記録氏に対してのみ話してます。

Quark Logoさんによって文章をパラグラフされた影響で本来出典をつけていた箇所の出典がなくなっている部分もありましたので、ご指摘の箇所はおそらくそういった部分ではないかと思います。

と書いてますよね。本来出典をつけていた箇所の出典がなくなっている部分というのが、『フロイス日本史』でしょう?違うのでしょうか。ほかの出典表記は前からある物ばかりです。何か私が出典をみたいな口調ですけど、違いますから。--Quark Logo会話2015年5月15日 (金) 10:12 (UTC)

返信 すいません、もう一度確認しますが、なにを目的として今現在あなたはこのノートに記述を行っているのですか? 一応言っておきますが、私は私の発言やあなたの主張について全面的に合意得たいなどとはこれっぽっちも思っていませんし、その必要もないと考えているのですが。ただ単に「出典タグの除去を辞めて頂きたい」と言う部分について合意を得られれば良く、それ以外の、私がどういう動機で出典タグを貼付したかだとか、私の記事をあなたがパラグラフした影響は実の所どうだっただとか、そういった事柄には一切興味もありませんし、記事の質の向上にもなんら役に立たないと思うのですが。--ねだーらんず会話2015年5月15日 (金) 10:36 (UTC)

だから大量の連続投稿、タグ付けを辞めてもらいたと言ってるんです。節タグで十分だから。リバートされて怒ってないとかいってますけど、結局、それに触発されたわけでしょうし、読みにくくなるのがわかっていて、文節ごとにタグを付けるのとか、今後、改訂するときも邪魔になって迷惑だからやめてもらいたいのです。自分で下書き書いて改訂する気があるわけですか?記事の向上とかいってるけど、自分がやらなきゃ誰がやるの? 細かくタグをつけても、1、2の箇所はいいけれど、十も二十も付けて放置で、向上するわけないでしょう。キレて荒らしてるだけにしかみえないので、そうではないとおっしゃるならば、とりあえず、やめてください。 --Quark Logo会話2015年5月15日 (金) 10:59 (UTC)

返信 もはや同じことの繰り返しです。「結局、それに触発されたわけでしょうし」については「私の動機を問うことに意味はありません」と返答しております。これ以上その旨の発言は行わないでください。また、「1、2の箇所はいいけれど、十も二十も付けて放置で、向上するわけないでしょう」については「編集者によって出典がつけられるかさもなければ記述は除去される」と返答しています。それを行うのはあなたかもしれませんし、私かもしれませんし、第三者かもしれません。今日かもしれませんし、3年後かもしれません。あなたが要出典のままだとまずいと思えば、どうぞ即座に出典を記載するか除去してください。あるいはここで議論を行ってください。ただし「今後、改訂するときも邪魔になって迷惑だから辞めてもらいたい」という発言は行わないようにしてください。それに関してはWP:OWN「何人も―どんなに熟練していて、コミュニティ内でどんなに高い地位にあろうと―ある記事を所有しているかのように振る舞う権利はありません」を参照してください。--ねだーらんず会話2015年5月15日 (金) 11:45 (UTC)

繰り返しというけれど、上下で同じこと書いていれば当然です。動機を問うなというけれど、急に15回も連続投稿を始めれば、そりゃ疑いますよね・・・。タグ付けるなとはいっていないので節度を持ってお願いします。善意で解釈するルールですけど、大量に要出典タグをつけるよりは、(出典を伴う)改訂をしていった方が、好意的に解釈できます。--Quark Logo会話2015年5月15日 (金) 12:02 (UTC)

返信 「急に15回も連続投稿を始めれば、そりゃ疑いますよね・・・」という主張については納得いたします。記事が長大であるためタグ付け作業を行うために節ごとに編集を行った結果ではありますが、なるほど、常ならぬことに感情的になってしまったというのは確かにありうることかと思います。これについては編集履歴を汚し、利便性に一時的に難が出るだろうとは予想しましたが、編集内容の要約にタグ付け作業であることを明記し、またタグ付け、tmp付けのみを行うことで可朔性に留意はしたつもりではありました。この点については「ご寛恕及びご理解ください」というほかありません。
また、「(出典を伴う)改訂をしていった方が、好意的に解釈できます」については、特に家康関連の記述に顕著ですが、出典の補強を行い、信頼のある記事を本文として例えば信頼性の低い徳川実紀に基づく記事は注釈に変更するなどといった編集を行ったところ、再び徳川実紀の記事が本文に戻り、事実関係や直接的関連性が見えないず信頼性についても疑わしいことからコメントアウトした佃島の記述が再度表示されるなどの編集が行われたことを鑑み、私が自ら文章を補強するよりも、私は問題を指摘するにとどめ、補強については長年本記事に携わり思い入れのある編集者諸氏に任せた方がよかろうと考えられることは既述の通りです。更には、タグ付けすることによって初めて、その記述が改善されたのか、それとも単に別の異なる主張に書き換えられただけなのかを判断することも可能になると思いますので、どうぞよろしくお願いします。--ねだーらんず会話2015年5月15日 (金) 12:43 (UTC)
コメント 追記ですが、家康の動向についての記述におけるパラグラフの理由について、後学までに伺ってもよろしいでしょうか?[1]の310行目以降です。先述したことですが、あえて徳川実紀に基づいた記述を前面に出されたのはなにか理由があるのでしょうか? また梅雪についてわざわざ注釈を入れる必要があるとも思えませんし、梅雪の死を「自害したという」という書きぶりにしているのも気になるところです。『徳川実紀』のような資料ではなく、『家忠日記』や『信長公記』を出典として挙げているのですから、伝聞調で記述すると不自然だと思います。また、先にも書きましたが佃島の由来については注釈あるいは注記として面白話の一つとしていれることができても、その信憑性は限りなく怪しく、本文に入れるのは不適当な気がするのですが。どういった考えに基づいて編集を行ったのでしょうか?
更に壬午の乱についても、家康が「河尻秀隆を降誘した」という話は寡聞にして聞いたことがありませんし、「北信濃を巡って真田氏や北条氏と支配権を競うことになった」という部分については、「家康が北信濃の支配権を競った」というのはなにを指しているのかわかりませんし(そもそも黒駒合戦の舞台は甲斐です)、「真田氏と支配権を競う」については、一体どういった事実を指してそのように記述しているのか理解できません。真田氏はむしろ前述のように依田信蕃の調略に応じて徳川方として北条と激しく争ったはずで、競うのは北条と徳川の和議が結ばれ、その中に沼田領の割譲が条件として入っていたからのはずではないですか? もし敵味方関係なくプレイヤーを挙げたのだとすれば、上野、佐久に根城を持ち北条と争った真田を入れて依田、諏訪、木曽ら信濃の有力豪族を入れないのはむしろ不自然じゃないでしょうか。少なくとも、徳川が競った相手として北条と並べるには真田はあまりにも不適切だと思います。
タグの合意の件に加えて以上編集方針についても、合わせてよろしくお願いします。--ねだーらんず会話2015年5月15日 (金) 15:35 (UTC)

家康の動向節について

元の内容

家康は、信長の招きで5月に穴山信君とともに[注釈 22]安土城を訪れた後、家臣30余名とともに堺に滞在した。6月2日朝、返礼のため長尾街道を京へ向かっていたところ、四条畷付近で京から駆けつけた茶屋四郎次郎清延に会い、本能寺の変を知る。家康はうろたえ、一時は京に行き知恩院で信長に殉じるとまで言ったが[49]、家臣に説得され帰国を図る。が、故郷から遠くに離れ彼方の異国に来ている状況で、すでに各地には信長が討たれたとの知らせは伝わり、信長の武力を背景にした抑えを失った状態になっており、各地の農民による落ち武者狩りや信長の家臣団に反感を抱いていた者たちに狙われるのは間違いない状況で、巨大な軍団は従えておらず、わずか数十名の家来しか従えておらず、誰かに殺されたりせずに無事に帰国できるか?と問えば、おそらく無理だろうと判断される状況だった。この状況は、後に「神君のご艱難」とも称され、家康の人生でも最大級の危機的場面だったとされている。(実際、堺まで同行しながらその後別行動を取った穴山信君[注釈 23]は山城国綴喜郡の木津川河畔の渡し(現在の京都府京田辺市の山城大橋近く)で、落ち武者狩りの土民に襲撃され全滅している。)

京周辺には様々な勢力がすでに入り混乱していて、また京から琵琶湖(安土城)へ抜ける道は特に狙われているに間違いなく、余りに危険であった。ともかく京周辺にいるであろう軍勢は避け、大きく南へ迂回した経路で伊勢国へ抜けるほうが良いと判断された。

家康は以前に大阪摂州多田で参詣しようとした時に摂州佃村の漁師たちに船に乗せてもらい助けられたことがあったが、今回その佃村の漁師が本能寺の変で逃走する家康のために急遽 船を出して助けてくれた[50]。(この時の命の恩を家康は忘れなかったらしい。明和三年(1766年)書き上げの「佃島由緒書」によると、こうした縁によって、家康が1590年に関東入りする時に、佃村の名主 森孫兵衛(もりまごべえ)をお供につれていき、さらに二代将軍秀忠の時に、森孫兵衛が佃村の隣村の大和田村の漁師33名らとともに江戸に移住し、江戸の佃島が作られ、関西の漁師の先進的な漁業技術が関東に伝えられることになった[50]。) また、この時の船の手配に携わった伊勢商人の角屋七郎次郎秀持は、家康より「汝の持ち船は子々孫々に至るまで日本国中、いずれの浦々へ出入りするもすべて諸役免許たるべし」と喜ばれ、以後廻船自由の特権を与えられた[51][52]。

こうして京を南に大きく迂回した判断は良かったが、結果として紀伊の山の中を通り伊賀あたりを越えなければならなくなった。だが、信長が伊賀衆をさんざん苦しめた過去があるので、信長の家臣である(/であった)家康が少人数でそこを無事に通過するなどということは到底無理だと思われた。しかも相手は伊賀衆(忍びの者の集団)であり、並みの相手ではなく、大軍で戦っても苦労する相手である。実際、途中、家康はもう生きて帰国することはできないと判断して自死しようとした場面もあった。が、止めてくれる家来がおり、すんでのところでそれを思いとどまった。(家康の苦難の伊賀越えに、その伊賀衆が協力してくれたのだが、彼らとの連絡には伊賀出身の服部正成が貢献したといわれている。三河到着後、伊賀衆は伊賀組同心として徳川家に抱えられ、服部正成の配下となった。) 「神君伊賀越え」も参照

(歴史の結果を絶対視する通俗物の歴史描写やテレビドラマなどでは、いつでも家康は未来を完全に見とおして泰然としていたかのように描かれてしまう傾向があるが)この時の家康はまさに「命からがら」の状態で、「紙一重の差」で家康は生き延びたにすぎず、この時死んでいても全然おかしくなかった状態、殺されてしまって、数多いる武将のひとりとして歴史にわずかに名を残すにとどまっていたほうがむしろ自然なほどの状況だったのである。

こうしていくつかの幸運が重なり、家康は、結果として、山城綴喜・近江・加太峠・伊賀の山中を通って伊勢へ抜け、伊勢湾を渡って本国三河に戻ることができた。

三河に帰った家康は、軍をととのえ光秀を討つために出陣し、熱田神宮まで来たが、山崎の戦いの報を聞き、引き返した。この時、先鋒酒井忠次は津島まで進軍していた。武田氏の滅亡後、甲斐・信濃の武田領国は織田家臣により統治されていたが、家康は信長横死後の混乱で空域化していた甲斐を相模後北条氏と争奪し(天正壬午の乱)、最終的には武田遺領を確保し東国の一大勢力となるが、豊臣政権下においては後北条領国が征服され、天正18年には家康の関東移封により家康の旧武田領国支配は終焉する[注釈 24]。

Nederlands2氏の変更

「伊賀越え」および「天正壬午の乱」も参照

家康は信長の招きで5月から穴山信君とともに上洛しており、本能寺の変前日は両名とも堺に滞在していたが、6月2日に本能寺の変の急報を受けると急遽帰国の途に就き[注釈 20]、伊賀から伊勢に抜けたのち海路により三河を目指した。途上では一揆の襲撃が激しく、家康に比べて少数の供廻りしかいなかった信君[43]は自害[44][45][注釈 21]、家康一行も雑兵二百余名を討ったと記録される程であったが[44][注釈 22]、6月4日に三河大浜に到着した[44]。

三河に戻った家康は光秀討伐の軍をまとめるとともに、岡部正綱、依田信蕃らと連携して旧武田領進出に備え、光秀が秀吉に討たれたという報を受けると、甲斐、信濃支配に注力し北条と競うこととなる。

原則として(仮に)利用者:Nederlands2会話 / 投稿記録氏が「信頼性の低い徳川実紀に基づく記事」という判断ならば、なおさら出典を明示しなければアウトです。ということでまず上記の変更では出典明示されてないのがまず問題で、家康の動向の元ネタとなっているのは、まさに徳川実紀からの逸話であるので、そこを注釈にいれるという判断はないです。この時代の逸話の信憑性はそもそも検証が難しいので、出典がはっきりあるものについては、素人が信頼性についてあれこれ考える必要はなく、ウィキペディアの方針からして、その話は何を出典としているか明示しなくてはならないし、すればいいのです。『〇〇』によれば、こういう話があるという紹介の仕方。しかしながらこういうルールに反して、利用者:Nederlands2会話 / 投稿記録氏の編集ではどこからもってきた話かよくわかりません。元の記事の「49」番がその話の出典を明示していた部分で、堺にいたとか、6月2日とかも全部なので、出典の表記をなくした、出所不明の記事への改変は、改悪になるので駄目です。削除編集においても、出典を見る必要があるわけで、適当に切って前より悪くしては意味がありません。利用者:Nederlands2会話 / 投稿記録氏は出典を追加してませんが、この変更で何を出典としたのでしょうか。前の出典表示も理解しないで、新たな出典も示さないで、かつ徳川実紀について利用者:Nederlands2会話 / 投稿記録氏は文句言ってますが、その根拠が不明ですけど・・・。

原文には創作と思われる箇所が続くので、そこはばっさりカットして差し支えりません。佃島の話は脈絡がよくわからないものの、出典がついているのでむげに消すことはできない類のものです。脚注に入れるのは妥当でしょう。

穴山梅雪については、この記事を読んできて突然出てくるので、説明とされていた前にあった注釈を戻す。『家忠日記』や『信長公記』では切腹したとなってますが、注釈にあるように、一揆勢とか落ち武者狩りで殺されたという話も有名であり、異説があることを示唆するものです。利用者:Nederlands2会話 / 投稿記録氏の編集のように、「信君は自害」と断定調で書くことの方が問題です。徳川実紀の内容について高飛車に攻撃してますが、全部が信憑性がないわけでもないし、どこのどの話が信憑性がないのか、あるのかを吟味するという作業は素人にできるものではなく、多説併記がウィキの方針なのだから、排除の原理で書かないのは鉄則です。こういう話もある、ああいう話もあると、紹介できる程度であって、信憑性について吟味することはウィキペディアの仕事でありません。そこも勘違いしていると思います。で、複数の説がある場合は断言がダメ。基本的に行が変わって出典タグが付いたら、出所が変わってるので、そういう技術的なルールも理解してもらいたいのですが。わざと改行しているわけで。利用者:Nederlands2会話 / 投稿記録氏の編集だと出典のわからない話がごちゃごちゃになって2行一段落にまとめられている状況ですよね。そういう編集は他の編集者から見ても分かり難い。

特に[43]の『フロイス日本史』という出典タグは、意味不明。まず『日本史』の長い記述のなかのどこか、何の話かが誰にも伝わらない。最悪、何の話かぐらいわかれば、探す手がかりになるものの、信君の直後に付けたら意味が分からない。信君の説明なのか、少数の供廻りしかいなかったことなのかも判別不能。家康と信君の供廻りの違いが『フロイス日本史』の記述で出てくるのかなぁーと思うものの、検証可能性を満たしてない。そもそも段落全体について出典がないので、家康の動向をどの出典から書いたのかわからないという話ですね。徳川実紀を排除して書けるのかっつうことなんですけど。

ついでに言うと、『家忠日記』は一行日記で、穴山は切腹したから打ち捨てたとあるだけで状況は書いてないし、小田七兵衛(津田信澄)が明智に味方したとも書いてある。信憑性とはこうも難しい。『信長公記』も、一般的に史料価値は高いとされるるものの、部分的にはハテナの部分もあったりと、基本的にはこれが正しいと断定できるような完璧な史料なんて存在しないのが、現実です。だから記述の出典を明示するというのが検証可能性だとされているわけ。

河尻は本多信俊が殺された話、北信濃を巡ってとはその先の第一次上田合戦などにも言及したものです。若干、先まで行きすぎですが、小田原合戦などを書くよりもこっちが先なので、利用者:Nederlands2会話 / 投稿記録氏の編集の「小田原征伐の遠因ともなった天正壬午の乱の発生」が頭にあるため若干雑に書いてしましましたが、滝川一益と真田昌幸やら北信濃・上野における本能寺の変が後の情勢については、もっと詳しく書く必要があるでしょうね。利用者:Nederlands2会話 / 投稿記録氏の編集も1/7ぐらいに短縮方向ですし、本能寺の変の項目なので長くなるのはよくないかもしれませんが、関連を広げていくという方向性もあると思います。枝を広げていくか、斬っていくかは、編集者の性格によるでしょう。あとで、加筆しようと思っていたら、利用者:Nederlands2会話 / 投稿記録氏のタグ爆撃が始まっていたので、すぐにできそうな状況でもなかったですけど・・・。編集について、もう一言いうと、常に最終段階ではないので、改善していくだけですから、編集妨害のようなことをやらないでくれるのが一番なのです。それが2時間の無駄、タグ付けで記事は改善しないということなのです。--Quark Logo会話2015年5月16日 (土) 04:21 (UTC)


返信 すいません、あなたがなにを言っているのか全く理解できないのですが。私の書いた文章に対する感想や抽象論は結構ですので、端的に
  • 「原文S」を「文章T」に変更、「O」を目的に「原記述P」を削除し「記述Q」を追記。「原文S」の問題点は「W」と認識。
といったような形で文章を対応させて個別具体的に提示して頂けませんか?
とりあえず前半のごちゃごちゃしたところは置くとして、後半部の「河尻は本多信俊が殺された話、北信濃を巡ってとはその先の第一次上田合戦などにも言及したものです。」以下については苦し紛れの言い訳にしか見えなていんですけど。あなたは「北信濃を巡って真田氏や北条氏と支配権を競うことになった。詳細は「天正壬午の乱」」って上田合戦じゃなくて天正壬午の乱の説明だって書いてるじゃないですか。というか上田合戦のことを述べたのだとしたら今度は「北条と北信濃を争った」という記述の意味がわからないし。そもそも「真田氏」なんていう私の版は当然として私の編集前の版にも出てきてない奇想天外な言葉をわざわざ付け足しておきながら出典がないし。どの口が「だから記述の出典を明示するというのが検証可能性だとされているわけ。」なんて言えるんでしょうか。誤りは殊更に恥ずべきことではないと思いますが、その誤りを認めず牽強付会を施す行為はとても恥ずかしい行為だと思いますけどね。
それと、あなたは「2015年5月15日 (金) 12:02 (UTC)」に「急に15回も連続投稿を始めれば、そりゃ疑いますよね」と感情的になったことによる行き違いが原因であることを示唆する発言をしたにも係わらず、今回再度「タグ爆撃」や「編集妨害のようなことをやらないでくれるのが一番なのです。」と私の行為を不当であると決めつけた発言を行っていますがこれもどういうことでしょうか? そもそも「編集妨害のようなこと」というのならば、リンク一つですむにも係わらず長大な引用を無意味に貼り付ける方がよっぽど迷惑だと思うのですけど。--ねだーらんず会話2015年5月16日 (土) 16:53 (UTC)

侘茶と本能寺の変の関係とは?

また、織田政権に対して従属状態にあった徳川家康の独立、東国における外交関係の変化をもたらし小田原征伐の遠因ともなった天正壬午の乱の発生、茶の湯御政道を背景に侘び茶を大成させる千利休と秀吉の接近など、後の日本史に大きな影響を与えた。

本能寺の変の”概要”としてこれが書いてあったのを消したのを利用者:Nederlands2会話 / 投稿記録氏が怒っているようなのですが、天正壬午の乱はわかるものの、8年後の小田原征伐はさすがに遠いし、千利休と秀吉の接近って、日本史にどんな影響を与えたのでしょうか・・・。脈絡がないと思うのは私だけ? どう考えても本能寺の変の概要ではないでしょう。本能寺の説明を外れているという判断です。--Quark Logo会話2015年5月15日 (金) 08:47 (UTC)

返信 ご返信ありがとうございます。別に私は執筆記事の消去や編集について怒りを覚えているわけではありません。Wikipediaのルール上、出典の明記のないものについては自由な編集が許されておりますし、記事の内容についても私の判断(概要部分がなんら理解の助けになっておらず、文章も散漫であってクォリティが低い。またその他の変「乙巳の変」等の記事と比べても内容がふさわしくない)で行ったことですし、そこに異論があればノートで議論なり確認を行うなりにて対応させて頂きますので、取り下げられたとしても特に疑問は感じません。また、現行の概要があまりにもひどいため、現行よりはまだマシといった暫定措置程度で行っただけですし、私自身出典も掲載していないので特に不満もないです。また、そのような動機で行ったことですので、概要に記載すべき内容の定義や私の知る記した事柄の根拠をの一つ一つを述べるのもあまり意味がないともいますので、ここでは控えます。--ねだーらんず会話2015年5月15日 (金) 09:09 (UTC)
怒ってないのはよしとしても、自分では「概要に記載すべき内容の定義や私の知る記した事柄の根拠をの一つ一つを述べ」ないのに、大量の要出典範囲を付けるわけですか? 明らかなダブルスタンダードですよね? その編集姿勢は非常に問題じゃないでしょうか。利用者:Nederlands2会話 / 投稿記録氏の記述は出典全くなしでも良くて、他の記述は問題視? ・・・コメント依頼が必要でしょうか。
Wikipediaのルール上、出典の明記のないものについては自由な編集が許されております
とは間違いですよ。ウィキペディアの内容に関する三大方針の1つであるWikipedia:検証可能性を熟読ください。--Quark Logo会話2015年5月15日 (金) 09:19 (UTC)
返信 「2.記事に新しい内容を加筆するときは、信頼できる情報源―出典(参考文献)―を明らかにすべきです。出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます(出典のない記述は除去されても文句は言えません)。」とありますね。この方針に基づき、「出典がない記述についてはその除去は問題とはならず、私の記述の出典がなかった部分についての除去については正当な行為である」と考えています。従って原理的にいえば今回私がタグを貼付したところについては消去を行っても問題はないわけですが、本記事においてはもしそれを敷衍すれば記事そのものを一から作り直すに等しいことになります。履歴やノートを確認し、本記事に係わる編集者の方々の姿勢を確認したところ、思い入れをもって編集をされているようでしたので(記事の正当性に対して個人の思い入れなどは本来意味のないことではありますが)、除去ではなくタグ付けを行った次第です。
ちなみに、節のタイトルにされてしまっているので私が記した概要について一言だけ付言しますが、侘び茶の成立が当時及び現在の日本ないし日本文化に与えた影響は大きく、本能寺の変なかりせば侘び茶が成立しなかったという観点で言えば、「本能寺の変は大きい影響を与えた」という趣旨を修飾する事実としては必ずしも不適切ではないと考えます(これについては研究論文などを提示して記事にすることも可能ですが控えましょう。また、本件について今後の言及は不要です)。--ねだーらんず会話2015年5月15日 (金) 09:44 (UTC)

×出典の明記がなければ出典なく書けるは、間違い、という理解したということでしょうか? ルールは正しくご理解ください。消されても良いから書くというのは、荒らし行為ですから、そもそもおやめください。特に要出典を相手に求める以上は、自分の基準も上げる必要があります。また、タグ付け自体は問題にしておりませんが、さすがに2時間ぐらいで15回ものほぼ連続の編集は異常でしょう。これは他の編集者の皆さんに聞くべきことかもしれませんが、記事を壊すという意図が感じられます。内容を見れば、他のページの要約と簡単にわかる箇所にも細かく要出典範囲をつけており、過剰な編集であると言えると思います。ウィキペディアは基本的にセルフサービスなんですから、他者依存ではなく、自分でも出典を探すという努力も必要で、なんでもかんでもタグを付けて放置して、誰かが何とかするだろでは、多人数で編集作業をしているという共同作業において、有害であると言えると思います。

基本的にですが、概要部分となる冒頭に、本文にない内容を書くのがまずダメです。侘茶の話は本文にありません。侘茶と本能寺の変の話を書きたいのなら、節を設けて本文に追加する必要があります。もちろん出典も必要です。利用者:Nederlands2会話 / 投稿記録氏の上記の四角内の記述は、このままではまさに独自研究です。研究論文などを提示して記事にするのが、そもそもウィキペディアの記事編集の目的です。控える意味が分かりません。要するに、本文に侘茶の内容があれば、冒頭の概要部分に反映されても、私は消しません。概要ですから、当然です。本文に書いてからお願いします。--Quark Logo会話2015年5月15日 (金) 10:05 (UTC)

返信 「出典がなくても正当であると他の編集者に評価されれば善意に基づいて記述の補強や出典の明示がなされるでしょうし、そうでなければ善意によって除去される、自らの記述の正当性を主張したければ適切な出典を明記する」というのがそもそものルールかと思いますが……。これを荒らし行為と述べるあなたの典拠は一体なんでしょうか?
また、過剰な編集と言いますが、本件の記事は比較的長大な部類に入るかと思いますが、その記述量に対して出典を示されていない記述が私の予想を超えてあまりにも多いと言わざるを得ない。私だって二時間もかけて本能寺の変の記事の信頼性の確認などはしたくないですし、要出典タグなど不要なすぐれた記事であればと望みましたが、内容があまりにもずさんであったために編集に労力を要した、というのが実情です。これについては私を責めるのではなく、ここまで記事を書き連ねておきながら出典に対してなんら注意を払わなかった編集姿勢に対して反省すべきだろうと思います。
あと、Wikipediaの目的や概要のあり方についてのご高説を述べられておりますが、それは単にあなたの恣意であってなんら根拠がなく、ここでは「はぁ」と答える以外にありませんので、今後その主張は控えてもらえれば幸いです。--ねだーらんず会話2015年5月15日 (金) 10:22 (UTC)

ちゃんと読んでくださいね。「消されても良いから書く」という姿勢が荒らし行為だと言いました。「出典がなくても正当である」内容について言及しておりません。それは正当な内容ですから当然、荒らし行為とは言えません。全然違います。内容じゃなくて姿勢ついての注意です。そして適切な出典を明記するが重要で、その努力をする作業が編集です。タグ付けは作業のうちにも入りません。知識も必要ないし、労力といわれても・・・は?という感じです。要出典範囲は一つづつ解消する作業は誰がするのでしょうかね。あなたはしないということなんでしょう。ちなみに利用者:Nederlands2会話 / 投稿記録氏がタグを付けた部分の大半は私が書いた文章ではありませんし、他の編集者は戻ってくるかどうかわからないということはわかってますか? 出典を持って検証する必要性があるわけで、爆弾みたいにタグを付けて回っても何の解決にも助けにもならないのは確かです。タグ付けは楽でしょうけど、出典を付けていく本当の編集作業は時間がかかるので、それを控えてもらえれば幸いです。利用者:Nederlands2会話 / 投稿記録氏が初めて発見したような口調ですが、本記事が改訂の必要があるのは、上記の話題があるように、皆がすでに分かってます。2時間も無駄な労力を費やさずとも、セクションか冒頭に一つタグを付けるだけで十分です。--Quark Logo会話2015年5月15日 (金) 10:46 (UTC)

返信 堂々巡りになって来ましたし、もはやあなたの主張がなんら根拠のない主義信条を前提としたものになってきたのでそろそろ切り上げたいのですが、とりあえず記事の補強についてはその記述をした執筆者である必要はないでしょう。繰り返しますが、当該記事を執筆した人だろうが今まで記述したことのない他人であろうかは問わず、タグをみかけた人が出典を知っており、記事を補強したいと考えたならば出典が追記されタグは除去されるでしょうし、誰も出典を知らなければそのままとなるかあるいはその記述はそのうち消されるでしょう。そのタグ自体が不適切だと考えられた場合はノートにて議論が提起されるでしょう。そしてこれもすでに述べたことですが、現在の記事はあまりにもずさんであるため、整理して記事のクォリティを向上させる意味でも、問題点に対して逐一個別にタグ付けした方がよいでしょう。そうでなければ、一体どの箇所が具体的に出典を欠いているのか、問題があるのかについて議論を行う手間が生じます。また、テンプレートはあくまで読者への告知であるという観点からしても、テンプレートがあればタグはいらないということにはなりません。--ねだーらんず会話2015年5月15日 (金) 11:00 (UTC)
返信 すいません、あと一つ追記します。「タグ付けは楽でしょうけど、出典を付けていく本当の編集作業は時間がかかるので、それを控えてもらえれば幸いです。」というのは、Wikipediaの編集者としての、あるいは学術的記事に係わる人間としての資質を欠くとすら言える発言だと考えます。猛省してください。--ねだーらんず会話2015年5月15日 (金) 11:12 (UTC)

は??? Wikipediaの編集者、学術的記事に係わる人間としての資質を欠くとは全く思いませんね。というかそもそも意味不明ですけど。理由が全然わからない。これ以上さらにタグを付けることが良いことだというのでしょうか?雑説だと分かってる部分に? その資質とやらは利用者:Nederlands2会話 / 投稿記録氏以外の人には理解不要だと思いますよ。連続投稿とタグの大量添附の方が、よっぽど皆に迷惑ですよ。ほかの編集者もそうコメントされるのではないでしょうかね。--Quark Logo会話2015年5月15日 (金) 11:27 (UTC)

理由がわからないというのならばWP:VERIFYを熟読してください。大量のタグについては各自協力して記事の質の向上を目指し、一刻も早く除去できるように努めましょう。--ねだーらんず会話2015年5月15日 (金) 11:55 (UTC)
ね、そういういことでしょう。全然通じてないでしょう。--Quark Logo会話2015年5月15日 (金) 12:08 (UTC)
コメントこの節のタイトルとは内容がずれましたし、前節と同じ問題を取り扱っておりますので、本件内容は前節に集約して一旦この節は区切りにさせてもらえればと思います。
ところでこれは別件ですが、記事の内容について本能寺の原因についての諸説は記事を分割した方がよいと思うのですが。当該記事は全体の1/3から半分ほどを占める上に、一般に本能寺の変とは別件で興味・論争のある部分でもり、また本節が多様な説を許容する方針であるとすれば今後も肥大していくことが予想されます。いっそ独立させてしまった方が内容を充実しやすくなりますし、「本能寺の変」本記事もすっきりし、原因説に引っ張られることなく編集が行えるかと思います。もし受け入れられる余地があるとすれば正式に提案して議論を行おうかと思うのですが、いかがでしょうか。--ねだーらんず会話2015年5月15日 (金) 13:02 (UTC)
コメント横から失礼します。管理者伝言板/投稿ブロック掲示板に書き込む権限がないので、こちらに書かせて頂きますがタグの乱用も立派な荒らし行為になるとおもいます[2](タグの不正使用)ので注意したほうが良いと思います。--I scream2001会話2015年5月18日 (月) 00:30 (UTC)

記事の編集について

Quark LogoさんはWikipediaの編集について独特な持論を強くお持ちの方らしいのですが、なぜか私が特別に目をつけられてしまったようで、本来自律した意思と知性のもと自由であるべきWikipediaの精神に反することであり、またこのような労力は本来ならば記事本編へ充てられるべきだとは思いますが、無駄な空中戦での議論や編集合戦を避けるために、実施した編集の内容と目的、解説を記述します。

とはいえ、これを機会として積極的で建設的な議論が行われるならばそれは大変素晴らしいことだと思いますので、そのように望む人であれば、どうぞ自由闊達な意見をご提供下さい。

この上記の記述は明らかに個人攻撃ですから、止めてください。いままでスルーしてましたが、一応、書いておきます。--Quark Logo会話2015年5月25日 (月) 04:14 (UTC)

概要

https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%9C%AC%E8%83%BD%E5%AF%BA%E3%81%AE%E5%A4%89&type=revision&diff=55629996&oldid=55622583

と変更しました。以下変更記述ごとの詳細を記します。


  1. 「説」によってはこの記述も問題の対象になりうる。また、事件の本質ではない。
  • 「天下統一を目前にした」
  1. 当時の状況の説明として付記。
  • 「妙覚寺に宿泊していた当主の織田信忠を襲撃した」
  1. 明智の動機が織田政権の掌握であれば信長だけでなく信忠殺害も必須となるが、多様な「説」があることを考慮すると必ずしも両者一体の事柄とは言えない。むしろ信忠殺害を含むことが特定の説を示唆することに繋がる。
  2. 本能寺の変=信長の死という先行イメージを考慮
  • 「クーデター(事変)である。」
  1. 「クーデター」としない「説」も存在する。
  2. そもそも「変」と「事変」は別物。(例、大寧寺の変と上海事変)
  • 前「寝込みを襲われて包囲された信長は脱出を諦めて自害を迫られ、信忠は二条御所に退いて戦ったがやはり自害した。代表的な[独自研究?]下克上の1つ[要検証 – ノート]。」
  • 後「信長だけでなく、信長の嫡男であり織田家当主でもあった織田信忠二条城で明智方の攻撃を受けて死亡したため、織田政権内に後継者争いが勃発し、織田氏の没落と羽柴秀吉による豊臣政権樹立の契機となった。」
  • 「寝込みを襲われて包囲された」
  1. 襲撃時の信長の状況については諸説有り、少なくとも当時の一級資料には寝込みであったことを否定する記述がある。
  2. 信長の状況については不正確な内容をもって説明する程重要性は高くない。(寝込みだろうが食事中だろうが体勢に影響はない)
  • 「信忠は二条御所に退いて戦ったがやはり自害した。」
  1. →前述の理由で除去。「退いた」かどうかは「説」や資料により異なり、また本質に関しないので記さず。
  • 「信長だけでなく、……契機となった。」
  1. 「概要」の目的に沿うため本能寺後の経過と歴史的意義を付記。
  • 「代表的な[独自研究?]下克上の1つ[要検証 – ノート]。」。」
  1. 下克上の定義に則さないので除去。
  • 前「光秀が反旗を翻した原因については、様々な人々が多種多様な仮説を発表しているが、いずれも確証に乏しく[独自研究?]現在でも定説は確立されていない[独自研究?]日本史上の大きな謎の1つである。[独自研究?](各説については変の要因を参照)」
  • 後「光秀が反旗を翻した原因については、21世紀に入っても様々な人々が多種多様な仮説を発表している。(各説については変の要因を参照)」
  • 「いずれも確証に……」→出典がないため除去。
  • 「21世紀に入っても」→時代を明記

--ねだーらんず会話2015年5月23日 (土) 19:43 (UTC)

変更後の計画

箇条書きにすると以下。

  • 利用者:Nederlands2会話 / 投稿記録氏の上記の記述は、単に具体性を排除しただけで、要約部分というエクスキューズを加味しても、内容が薄まっている印象が否めない。よって具体性は可能な限り、回復されなければならない。端的に言うと上記の変更は『信長公記』ベースで書かれていたものを、無出典コメントへの改変にされてしまった。
  • 上記に諸説について複数示唆されているが、本文にもなくノートでも示されていない。基本的な史料とされる『信長公記』に言及するならばそれを明示するべきで、諸説あるなら諸説を本文に書かなければならない。基本的事実関係について、この場合の異説は少数意見であり、俗説や未検証の説に属するものが多いので、なおさら明らかにしないと、編集者も読者も判断できない。よって出典はノートでもある程度は明示されなければならない。他説もあるから削除は、検証可能性を満たさない。複数説が入って、冒頭が長くなる場合は、概要節を設ければいいだけである。具体性を削除させるだけに陥った問題点の多くはここに関するところである。
  • 「天下統一を目前にした」はまさに根拠がない。俗によく言われる表現だが、実際には天下統一を目前にしていたわけではなく、不適切。
  • クーデターは一般的にいって×事変ではなく〇変である。通例としては、事変は一定の条件下の戦争を意味する。クーデターは一般には政変や変と訳される。クーデター=事変というNederlands2氏の認識が間違いで、事変とクーデターが別物である。すべての変がクーデターに相当するわけではないが、本能寺の変はクーデターの定義にあうと一般的に考えられており、また下克上でもある。クーデターという西洋の言葉を冒頭に残すかどうかは、別の問題として、クーデターは事変だというNederlands2氏の認識が奇異
上記の表記が紛らわしかったので誤解したので取り消します。--Quark Logo会話2015年5月25日 (月) 06:31 (UTC)
  • 下克上の定義に適っている。代表的とも十分言えると思うが、よしんばそこを削除するにしても、下が上に勝つという本能寺の変はまさに下克上である。この時代背景に即したものであるため、冒頭にも下克上の言葉はどこかに残すべきである。

--Quark Logo会話2015年5月25日 (月) 04:14 (UTC)

すいません、私を攻撃の的にするのは本当にやめて頂きたいのですが。今回も事実無根の話を作って私の名誉を棄損しているし。
  • 概要に具体性は必要かどうか、あるいは必要ならばどのような理由でどれほど必要なのかという話もありますがそれは置くとして、「内容が薄まっている印象が否めない」ってそれは単にあなたの印象を述べただけですよね? その根拠はなんなんですか? しかも前の概要が「『信長公記』ベースで書かれていた」と言っていますが、それはどこに明記されていたんですか?
  • 「上記に諸説について複数示唆されているが、本文にもなくノートでも示されていない」がどこのなんのことを指すのか全くわからないのですが、具体的にどういうことですか?
  • 「実際には天下統一を目前にしていたわけではなく、不適切。」について論説と出典をお願いします。
  • 「クーデター=事変というNederlands2氏の認識が間違いで」って、誰がそんなこと言いました? むしろ前の版に「クーデター(事変)である」という記述があったのを私が除去してるんですよね? 解説までつけているのにどうしてこのようなことを不用意に発言するのですかね? 少なくとも誤読をもとに私を攻撃し、不名誉な情報を流布するのは辞めて頂きたいのですが。この件については謝罪をお願いしたいですし、今後私の名前を出さないでもらいたいです。
  • 「クーデターは一般には政変や変と訳される。」についてはクーデターを「一般的に「変」と訳す」という事例を耳にしないので論拠をお願いします。「本能寺の変はクーデターの定義にあうと一般的に考えられており」についても同じく出典を提示ください。
  • あなたにとって歴史学における下克上の定義とは「下が上に勝つ」ということなのですか? だとすれば親や上司を殺したりというのが頻繁に行われている現代も、歴史学的に言えば下剋上の世ということなのでしょうか? これについては1.下剋上は上位者からの権力奪取を前提とする(大寧寺の変、加賀惣国一揆、浅井氏、織田信長、(伝説上の)斎藤道三、(伝説上の)松永久秀、(伝説上の)北条早雲 等)が、本能寺の変では権力奪取は行われていない。2.下剋上という言葉を表示する必然性がない。以上の理由により下剋上という言葉は不適切と判断。
上記により、あなたの意見には不同意です。--ねだーらんず会話2015年5月25日 (月) 06:09 (UTC)

--ねだーらんず会話2015年5月25日 (月) 11:56 (UTC)誤字修正


これからの変更計画を述べたものですから、当然私の感想です。具体性については、個別の点ですから、これから徐々に明らかにしていきます。要約ではない部分の、定義文には議論が当然あると思いますので、考えを述べていただければ結構です。--Quark Logo会話2015年5月25日 (月) 06:31 (UTC)

また私は個人攻撃をしておりません。上記にあるように明確に文言で個人攻撃をされているのは、Nederlands2氏の方でしょう。これまで、我慢して見逃してきましたが、これからは厳しく取り消すことを求めていくことにします。

あとコメント依頼における議論の進展節の被依頼者欄への移動を、重ねて、お願いします。--Quark Logo会話2015年5月25日 (月) 06:35 (UTC)

返信 記事のノートを使用しておいて「これからの変更計画を述べたものですから、当然私の感想です。」という態度は果たしていかがでしょうか。これについてはWP:NOTSOAPBOXを熟読ください。あと、あなたは概要部分の変更を行おうとしているわけですよね? 「要約」や「定義文」という言葉が何を指すかわかりませんけど、ひとまず概要部分についてにしろあなたの語の使い方や定義への理解については先ほどの「あなたの感想」を見ただけでも極めて不十分だと理解できます。上記の計画に基づくというのなら、まずは私の指摘に対して返答してからにして頂きたいです。
あと「私は個人攻撃をしておりません。」というのは極めてナンセンスです。客観的に見てください。あなたの言動は明らかに常軌を逸してます。コメント依頼の件もそうですが、まずは謝罪をしてください(コメント依頼については名誉の回復措置も必要です。)。--ねだーらんず会話2015年5月25日 (月) 11:41 (UTC)

Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかのリンクはどういう意味なんでしょうか。何を目的に書いておられるのか意味がわかりませんし、もっと、落ち着いた方が良いでしょう。今回の投稿は特に何を言いたいのかわかりません

もちろん知っていると思うのですが、要約部分や定義文とは、ウィキペディアではスタイルマニュアルというものがあって、冒頭はこういう風に書きなさいと決まってます。もし知らないのならば、今更ですが、Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)を熟読ください。冒頭部分には縛りがあるのは共通認識としてもたれないと話が進みません。何について議論しているつもりでしょうか? 導入部を変えるという話であり、今から何をするということを話しているわけで、何をどう誤解しているのかがわかりませんので、話についてきてもらいたいです。

個人攻撃については利用者:Nederlands2会話 / 投稿記録氏にそういう言動が多いです。あなたはどうも投稿が集中することを攻撃と解しているふしがありますが、あなたが投稿した分だけ、あるいはそれ以上に反応して投稿が返ってくるのは必然です。それは攻撃にあたりません。特にNederlands2氏は長文やら長い投稿を嫌う傾向にあると思いますが、言葉を尽くしてくると長くなるのでそれはしかたありません。むしろちょくちょく個人攻撃にあたる発言をしているのはNederlands2氏です。私はかなりをスルーする方ですが、議論が白熱してきましたので、これからは厳しく見ていきますので、お互いに注意しましょう。--Quark Logo会話2015年5月25日 (月) 21:09 (UTC)

あとWikipedia:論争の解決も一読ください。Nederlands2氏はコメント依頼を甚だしく誤解していると思います。このノートページで見る様に、二者間の論争が解決を見ないのは明らかですので、第三者様を交えて話す必要があるという私の判断です。コメント依頼は皆さんの目に触れて反応を待つ間、一定期間続けるのが通常です。--Quark Logo会話2015年5月25日 (月) 21:51 (UTC)

それはClaw of Slime氏も指摘しているように、本能寺の変の議論として行うのが適切な問題でありますが。「あなたは個人攻撃をしていない。むしろ個人攻撃をしているのはNederlands2氏です。」これではもはや話し合いになりませんね。私はすでにあなたの言動は私に対する名誉棄損を構成していると認識しております。これ以上私の指摘に対して誠実に対応しないならば、あなたはあなたの文責において社会的な責任と賠償を踏まえた上での対応を検討して頂くことになります。--ねだーらんず会話2015年5月25日 (月) 22:56 (UTC)
「あなたは個人攻撃をしていない。むしろ個人攻撃をしているのはNederlands2氏です。」とは言っておりませんし、矛盾します。話し合いにならないからコメント依頼をして第三者に御意見を聞いているのです。
文責において社会的な責任と賠償を踏まえた上での対応を検討して頂く」は明白な脅迫に当たりますよ。Wikipedia:法的な脅迫をしないというの常識として踏まえておかなければならないです。
Nederlands2氏は個人攻撃が日増しにエスカレートしているように思います。自制をお願いします。--Quark Logo会話2015年5月25日 (月) 23:20 (UTC)

Nederlands2氏への確認

利用者:Nederlands2会話 / 投稿記録氏は、確認ですが、タグの不正使用、濫用は反省して、辞めたということですか? 荒らし行為をやめてくれれば、特にどうと言うことはないのですが、タグの大量添附はもうしないということならばコメント依頼はしばらく控えたいと思いますので、ご回答ください。あと、慣行として、編集合戦を避けるために議論中には編集はしないものです。注意ください。--Quark Logo会話2015年5月24日 (日) 03:38 (UTC)

返信 何のコメント依頼かと思えば、もしかして利用者:Quark Logo/sandboxWikipedia:コメント依頼/Nederlands2ですか……? 議論の最中であり、あなたに返答を要求していたはずですが、返答を行わないばかりかこんな訴訟の一方当事者の陳述書に類する文章を用意して「個人に対するコメント依頼を提出されたくなければ、民衆裁判にかけて欲しくなければ俺の主張を認めろ」と? しかも議論へのコメントではなく、利用者コメントを依頼すると? すいません、正気ですか??
まず、冒頭に記載しましたが、本節は今のあなたのような言動を受け入れる目的で用意したものではありません。あなたは極めて自儘な言動が多いように感じますが、これもその一つと見なしうるかと思います。それと、もはやあなたの私に対する言動は個人攻撃の域に達しており、そもそも本ノートに表記するに相応しい内容とは思えません。控えて下さるようお願いします。コメント依頼についてはご自由に。ただしこのようなSLAPPによる言論弾圧とも言うべき不当な行為に対しては反訴を含めた断固とした措置を講じることを宣言しておきます。--ねだーらんず会話2015年5月24日 (日) 06:03 (UTC)
言論弾圧などは求めておりませんし、論外です。話見えてますか? タグの濫用が問題であると最初から私は指摘しております。それを利用者:Nederlands2会話 / 投稿記録氏は正当だという主張を変えないというのであれば、第三者の意見を伺うしかないというのが、ここのルールなのです。議論は平行線をたどっており、しかもNederlands2氏が上記のように私の言動を個人攻撃と受け取っているならば、猶更、二人で言い争いを続けても埒が明かず、第三者の意見が必要になります。これは当然のことです。コメント依頼はNederlands2氏自身のコメントも求めることになりますし、排他するものではありません。どうも、ここのやり方を十分に理解されてないように思います。Nederlands2氏の最近の編集でタグを消したので、タグ濫用はやめたのなら、内容について吟味ができるかと思ったのですが、問題行動を問題行動と認識してないということなのでしょうか。タグ濫用をする相手と編集を共同作業することなんて不可能なんですけど、どうもそういった認識が欠如しているようにも思います。--Quark Logo会話2015年5月24日 (日) 06:25 (UTC)
返信 再度要求します。本節にそのような内容のコメントを行うのは辞めて下さい。本節は編集合戦等無意味なコストをなくし、あるいは記事内容について闊達な議論を行ってよりよい記事にしていくために場を設けたものです。あなたの言動は妨害行為です。明らかに本節の目的に適さないコメントは行わないで下さい。また、すでに行ったコメントは別節に移動して下さい。--ねだーらんず会話2015年5月24日 (日) 07:09 (UTC)

これでいいわけですか? 自分の作った節内に人のコメントを書かれたくない、ということですか? それが妨害だと? ただ末尾に書いただけなんですけどね。節切ればよくね?と思うのは私だけでしょうか。何を妨害といってるのかさっぱりわからなかった。--Quark Logo会話2015年5月24日 (日) 07:20 (UTC)

この件についてコメント依頼しましたので連絡します。第三者様のご意見いただければ幸いです。--Quark Logo会話2015年5月24日 (日) 08:27 (UTC)
Quark Logoさんのコメント依頼は私個人に関するコメント依頼であり、本件に対するコメント依頼ではありません。本件に対するコメント依頼ならば議論活性化や合意達成に向けたコメント依頼であるべきでしょうし、場所はここで十分なはずです。個人への報復目的のSLAPP以外のなにものでもないですね。--ねだーらんず会話2015年5月24日 (日) 09:18 (UTC)

そもそも本件とは何ですか? 最初から利用者:Nederlands2会話 / 投稿記録氏のタグ濫用について私は議論しております。Nederlands2氏が出典を示さないことについて議論しております。出典を示さないで、内容の議論もなにもないというのが基本的姿勢で、議論も合意形成も何も、始める段階にすらありません。--Quark Logo会話2015年5月24日 (日) 10:19 (UTC)

返信 何度も繰り返していますが、「1.タグは記述の問題を明確にする目的でつけており必要であると認識している。不適切な箇所や誤った箇所があれば指摘してほしい。ただし無断除去をやめて頂きたい」、「2.文章の正確性には留意し、前の編集と大きく異ならないように心がけ、出典がない部分についても後日追補するつもりではあるが、もし気に入らなければ出典がない部分についてはどうぞ出典を付すなりより正確な内容に書き換えるなり自由に編集してください。ただし出典が必要だと言い続けるのならば、当然あなたの記述にはすべて出典をつけて下さい。」 要はこれだけですがね。そもそも出典ってなんのことですかね? むしろ私の編集は、前の人が編集がなかった部分について出典を探してきて付記しているんですけどね。というか出典ないのはあなたの方でしょう。だから私にタグを貼られたんでしょうに。--ねだーらんず会話2015年5月24日 (日) 12:30 (UTC)

大嘘をいうのはやめてください。当記事でも私は沢山の出典を付けてますよ。「私の編集は、前の人が編集がなかった部分について出典を探してきて付記しているんです」は聞き捨てなりませんね。利用者:Nederlands2会話 / 投稿記録氏が見つけて付けたという出典はどこにありますか? 一つもありませんよね。いつ見つけてきましたか? 履歴をみれば全部わかるのにどうしてそういうすぐわかる嘘をつくんですか? --Quark Logo会話2015年5月24日 (日) 12:43 (UTC)

返信 あなたがどれくらいたくさんの出典をつけたかは知りませんけど(というか、リンクではそれを示したのかと思ったら全然違ったのでびっくりしましたが)、少なくとも私の記述の編集に対して出典をつけてないでしょ。真田氏の点についてすら答えてないし。で、出典と言いますけど、私の編集した徳川家康の節。
当該部分[3] 比較[4]
  • 「『東照宮御実紀』によれば、返礼のため長尾街道を京へ向かっていたところ、四条畷付近で京から駆けつけた茶屋四郎次郎清延に会い本能寺の変を知った。狼狽:した家康は知恩院で自害することを考えたが、家臣に説得されて帰国を図った、とされる。」
  • 「『家忠日記』天正十年六月四日条」
  • 「『信長公記』巻十五「家康公和泉堺ヨリ引取被退事」条」
  • 「『東照宮御実紀』では、家康を疑い別行動を取ったところを、光秀から家康追討の命を受けた一揆勢によって家康と誤認されて宇治田原で殺害されたとしている。」
  • 「『東照宮御実紀』では「これを伊賀越とて御生涯御艱難の第一とす」と記している。」
全て前の記述にはない出典が明示されてるじゃないですか。『東照宮御実紀』の部分はあくまで注釈なので詳しく書きませんでしたが、条が必要だと要求するなら記述しても構いませんがね。『フロイス日本史』は原点が手元に見あたらなかったのであとで書き換えようと思って雑な書き方になってますけどね。というか、これを見て出典がないって、普通は言わないですよ? あなたにとって出典ってなんなんですかね? というか、そもそも「大嘘言うのはやめてください」って一体どういう了見なんですか?--ねだーらんず会話2015年5月24日 (日) 13:11 (UTC)

徳川実紀の出典は前からありますね。これ以外は確かに私の間違いでしたので取り消しますが、コメント依頼での利用者:Nederlands2会話 / 投稿記録氏のコメントアウトは違反行為ですので、通報しました。--Quark Logo会話2015年5月24日 (日) 13:32 (UTC)

返信 「実記の出典は前からある」といいますが、ないですね。それは「別の記述に対する出典」であって、別物ですね。
ここで話すべきことではありませんが、コメントアウトについては失礼しました。署名を避けたつもりではありましたが、確認不足で消してしまったようです。とはいえ、あなたのいう「最初から議論していた」二つのことがらのうちの一つ、「Nederlands2氏が出典を示さないこと」が間違いであったことがはっきりしましたので、その責任は取って頂きたいですね。あなたは「出典を示さないで、内容の議論もなにもないというのが基本的姿勢で、議論も合意形成も何も、始める段階にすらありません。」という判断の下、私が幾度も否定しているのにも耳を貸さず、私を事実無根の事柄で広く侮辱し、名誉を毀損した行為を行ったわけですから。まず、コメント依頼に書かれている内容の訂正及びその謝罪を公的に行って頂きたいのですがね。--ねだーらんず会話) 2015年5月24日 (日) 13:48 (UTC) --ねだーらんず会話2015年5月24日 (日) 14:14 (UTC)改訂

署名を避けた?? 署名を避ければ他の利用者の記述を改変していいというわけではありません。他人の記述を隠すなんて明白な違反行為です。「一方当事者の主張が垂れ流されており不当。経緯のみを主訴と認め、それ以外はCO。状況については当該議論が行われているリンクで示す。」と明言してますよね? そういうのをまさに腕ずくの行為と言います。タグの不正使用も同じくです。タグの大量添附はやめるのでしょうか? その返事をまだ伺っておりません。記事破壊同然のタグの大量添附をやめればコメント依頼は控えたいとすでに申しました。結局、平行線だから、第三者の意見を聞こうということになるわけで、「「原文S」を「文章T」に変更、「O」を目的に「原記述P」を削除し「記述Q」を追記。「原文S」の問題点は「W」と認識」という指定された方法で答えろというのも相当な暴論です。Nederlands2氏はWikipedia:新規参加者を苛めないでくださいのリンクをつけていますが、コメント依頼は、二者間で揉めたときに、第三者の意見を聞くというものであり、相手の意見を封殺のようなことがまさにブロック対象になるのでやめてください。被依頼者の節に、反論していただければ結構です。誤解していると思います。 --Quark Logo会話2015年5月24日 (日) 14:10 (UTC)

返信 ここで書くことがらではないと何度指摘しても理解してもらえないのでしょうか。ここは本能寺の変のノートです。誰も本能寺の変に関係のないこれら一連のやりとりはみたくないでしょう。本節の一連のやりとりはコメント依頼に移動します。--ねだーらんず会話2015年5月24日 (日) 14:22 (UTC)

Wikipedia:ウィキペディア内でのコピーでは、要約覧に帰属記述がないのも違反だが・・・。--Quark Logo会話2015年5月24日 (日) 14:40 (UTC)

返信 元々、コピーにおける要約欄への著作権者記載は、当該記事を実質的に構成する主題の作成者でありながら、コピーの場合は著作権者として加わることが出来ないという理由に基づいて著作権者記載が求められていると認識しています。しかし、本件の場合はいささか内容が異なる気はします。
  1. コピー元が記事本体ではなくノートである。
  2. コピー先が記事本体ではなくコメント依頼である。
  3. その目的は記事の一端を構成するためというよりは、批判検討を行うための引用である。
ノートであると言うことは、改訂されるのではなく追記されると言うことを意味します。また、常に投稿者の署名があり、そこで著作権者は明白です。また、コメント依頼はノートでの性質に加え、事後削除される。またこれが一番大きな点ですが、もしこれが引用であれば、その引用の主体もまた著作権者として明示されるべきなのかどうか。いずれにしろ本件の場合は該当する記述の著作権者はあなたと私だけなのですから問題はないはずですが、興味深い内容なのでもしあなたがこのような問題に詳しければ私のノートにでも場所を移して講義願いたいですね。--ねだーらんず会話2015年5月24日 (日) 16:03 (UTC)

Wikipedia:ウィキペディア内でのコピーを読みましたか? ノートならしなくていいなんてことはどこにも書いてなくて、「複数投稿者で成り立っている場合」は表記するように書いてありますが。要約欄が無記名じゃなくて、どこどこからコピーしましたとかくべきだったというだけでしょう。そういう慣行についていったわけです。「リンク一つですむにも係わらず長大な引用を無意味に貼り付ける方がよっぽど迷惑だ」とおっしゃるNederlands2氏なので、なぜ節ごとの大きなコピーをしたのがまず不審なのですが、なんでこういうことまで独自の解釈をしようとするのかよくわかりません。いずれにしろ、この度から要約欄に書くようにお願いします。--Quark Logo会話2015年5月24日 (日) 16:20 (UTC)

返信 いや、確かに不慣れで十分な注意がいかず、総合的に考えれば要約欄に所定のコメントを記載するべきところ、行わなかった不手際については仰るとおりです。
私が気になったのは、なぜそのような所定の手続きが成立しているかということであり、Wikipediaのコピーレフトとどのように係わるのか、著作権者保護における履歴表示の機能とは、などといった部分です。先達を得られなかったのは残念ですが、大変興味深い内容の示唆を受けました。ご指摘ありがとうございます、以後気をつけます。
ちなみにコピーを行ったのはこちらはもはや我々が議論を行う場ではないという認識からです。あのままではここで延々と議論が行われたでしょうから。従って私のこの返信も不適切です。続きは向こうで行いましょう。--ねだーらんず会話2015年5月24日 (日) 18:01 (UTC)

いやいやいや、「リンク一つですむにも係わらず長大な引用を無意味に貼り付ける方がよっぽど迷惑だ」とはまさにNederlands2氏の言葉で、私はコメント依頼の最初の段階からここのノートにはっきりとリンクを張っていて、別に隠す意図も全然ありませんから。移動するってあなたが勝手に言っているだけですよね。コピーする必要はもともとありません。ノートの議論をコピーするのも普通ではないです。始まりから全部ここに書いてあるわけです。そういう身勝手な振る舞いがコメント依頼されているのですし。別にコピーを禁止したりしませんが、ここで最初から議論しているのであって、ここに書いていけない理由はないでしょう。どの道、ここを参照する以外にないのです。--Quark Logo会話2015年5月24日 (日) 18:55 (UTC)

諸説部分の分割提案

以前にも議論を投げかけましたが、相応の納得性がありそうに思いますので、本記事の諸説部分について正式に分割提案いたします。 理由は、

  1. 本能寺の変に関する諸説の記載が記事の大部分に及んでいること。
  2. 取り上げられている内容が多岐に渡り、変の内容以上に議論の種となっていること。
  3. もし諸説部分の記載について多様性やその充実を図っていくとすれば、今後も記事が肥大していくことが予想されること。
  4. 同内容ないし関連記事が明智光秀天海明智秀満など複数の項目に存在しており、本能寺の変内で扱うよりも独立立項した方が記事として充実しやすいと考えられること。
  5. 諸説についての記載が、本来は主として記述すべき本能寺の変の内容の記載に制限事項として影響を与えていること。
  6. そもそも、本能寺の変の要因や動機について、今なお定まっていないといいうる状態であるのかも不透明であり、諸説の紹介に紙幅を費やすことそのものが特定の説に荷担することになりうること。

などです。そこで今回、

  1. 分割の是非
  2. 分割後の記事名と記事の内容

についてご意見を伺います。2については、新記事では「本能寺の変の要因や動機に関する説」のみを取り上げるのか、本能寺の変に対する時代ごとの評価の変遷や文化的影響など、言説一般を幅広く扱うのかといった方針部分の検討も含みます。よろしくお願いします。--ねだーらんず会話2015年5月27日 (水) 21:29 (UTC)

関連議論 [5] [6] [7]

分割の是非

反対 - 現状の記事の諸説部分の大半は利用者:Nederlands2会話 / 投稿記録氏自身が主張する前から皆が分かっているように明らか出典表記や内容に問題があり、検証可能性を満たさない文章が多く、その部分を分割して転載する意味がない。ただし新記事「本能寺の変の要因や動機に関する説」を作るのは特には反対せず。新記事を作りたいのなら今すぐ作成可能で、もともと改訂は必須で書き直しが必要であったわけだから、本記事の内容を転載・転記する必要はほぼなく、分割提案不要。逆に転載しようと思っているなら、内容に問題を残すだけ。一方で新記事を作らないで、現行記事の改訂も可能で、本能寺の変のことのすべてが綺麗にまとめられた一つのページの方が理想形。それで書きあがった後で、特殊なページがあっても、詳細は○○とリンクを張るだけでいいわけで、現時点でこの議論は時期尚早。書いてナンボ。--Quark Logo会話) 2015年5月27日 (水) 22:49 (UTC) コメントの位置を「諸説部分の分割提案」節の中から本「分割の是非」節に移動させました。事後で申し訳ありませんがご了承ください。--ねだーらんず会話2015年5月28日 (木) 14:52 (UTC)

賛成 依頼者票。現状の問題点及び分割のメリットについては上記どおりです。私的な感覚では、そもそも本能寺の変そのものについては事件の内容を記す多くの一級資料が存在しており、本来ならば記事が錯綜する要素はないのでは? 歴史記事であることを鑑みても、体系だった先行研究もなく独自研究色も強くかつ事件との関連性の低い、それでいて事件そのものの記述に影響を与えてしまう事柄を記載すべきではないかと。--ねだーらんず会話2015年5月28日 (木) 14:52 (UTC)

コメント欄

コメント 利用者:Quark Logo会話 / 投稿記録さんへ。提案本文の節に反対意見を記述されていたため、本来意見を頂くために用意した「分割の是非」節の内部に移したところ、許可していないとの理由でリバートされました。あえて提案本文内部に記述したものではないと判断したため事後承認という形を取らせて頂きましたが、その編集を許可しないということは意図して本文に記述されたのでしょうか。提案本文にあると内容が混乱するなどの不都合がありますので、円滑な進行のため「分割の是非」節に移させて頂きたいのですが、いかがでしょうか。--ねだーらんず会話2015年5月30日 (土) 08:59 (UTC)

Nederlands2氏への投稿

事前承諾がアリなら基本なんでもありの編集合戦になります。だからこそもそもが、承諾を得た後でないといけないことはお分かりになったということでそれはよかったと思います。一方で、「:::」のような改段も拒否する姿勢は、よく意味が分かりません。2015年5月29日 (金) 13:12版にあるように「署名の後に他人の署名をすると、誰の署名か見にくいのは常識。またそのくらいわかってね。また断ったら”了解なく”動かせるというわけではないので、自分の編集は、まあこのくらい動かしていいでしょうという改段はしますよという意味の了承を意味するわけで、戻す意味がよくわからない。本来はリバートすべきものを、改段で済ませたことを善意ととってください。まさに無意味な編集合戦になりますので。」と申しましたが、あの戻しが必要なかったと思います。

ノートのページは、基本的に次々と投稿をしていくものであり、下にカラの節を設けると書きにくくてしょうがありません。当初より、必要なかったと思います。またここに新たにコメント欄を築いたことで、他の編集者はコメントを書きにくくなるだけでしょう。また「円滑な進行のため「分割の是非」節に移させて頂きたい」とは、意味が分かりません。何をどうしたかわからないもの賛同できないし、今こうしていること自体が必要ないことだと思います。基本的に、賛否が(日時順に)並んだだけの「この版」が一目瞭然であり、通常の形です。「提案本文にあると内容が混乱するなどの不都合」の意味が特にわかりません。誰が何を混同すると? 何のために署名していると思われているのでしょうか、そして前述のように署名を連続させないというのは、誰が書いたか混同させないためですよね。それを拒否したのが、Nederlands2氏ですよね。節の中に入れることにこだわる必要がよくわからないし、このように揉めまくってますます読み難くなっているわけで、そもそもがいろんな意味で無益な議論だと思います。もっと普通に、他の投稿を待つというふうにしませんか。--Quark Logo会話2015年5月30日 (土) 09:38 (UTC)