ノート:星亮一

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当該人物の著書を大幅に追加しましたが、これは、それ(著書)のうち有名あるいは認知度が比較的高いと考えられるものを選定しました(ただし独断によるものです)。言うまでもなく、全てのそれ(著書)を列挙したわけではありません。ということから、見出しの『著書』を、主な(有名あるいは認知度が比較的高いと考えられる)ものという意味で主著と変更しました。Histwr 2006/04/23

本文記事の削除について問題定義[編集]

昨日よりプロフィールや書評など大幅な編集が加えられていますが、星氏に批判的な記事を削除した後に星氏自身が自分のブログに記事を転載しているようです。 http://www.mh-c.co.jp/ 又、ネット書籍販売で有名なアマゾンに関して、書評操作の疑惑も出ております。以前、星亮一氏の書籍について、批判的な記事を投稿したのですが、突然に批判的な記事を削除し、翼賛的な記事が掲載されるなど問題が出ているようです。

最近の星氏の周辺では、ネット関連を巡って編集合戦に加わっているようにも見受けられますが、記事についても断りも無く批判的な記事が削除されているのは問題ではないでしょうか?批判が的を得ているのか、得ていないのか議論もせずに削除されているのは問題と考えます。--珍巣項 2010年3月1日 (月) 13:21 (UTC)[返信]

アマゾンに関して、消去できるのはアマゾン側です。あなたの「批判的な記事」は、消去するに該当する 内容だったのでしょう。それを恰も操作したかのような上記の文面は疑問ですね。 あなたにとっての個人的な問題なのではないですか。

珍巣項さん、あなたはこのWikipediaの「中立的な観点で書く」という項目に関して、どう思っておられますか。ご自分の批判的な記事を消去したとご立腹のようですが、Wikipediaは「中立」のはずです。あなたの文章を読んでいるとまるで星亮一氏のストーカーの如くの印象を受けます。こちらで投稿されるのなら、Wikipediaの重要な事柄であるところの「中立的な観点で書く」ということを頭に叩き込んで、書き込みされることをお勧め致します。--越智美鈴 2010年3月2日 (火) 12:35 (UTC)[返信]

基本的に私は疑問として投げかけております。寧ろ、星氏の著作上の問題点の部分が削除されている点に於いて、私は問題と考えており、更に批判的な内容が全て削除された事に中立的観点に欠けている事を問題定義として述べさせて頂きました。もし、削除された中で特に(星氏の作中の態度と歴史観など)問題としないのであれば、証明していただければと思います。

それと、私は星氏に関して「ご自分の批判的な記事」はウィキで投稿した事もありません。私の投稿履歴を確認した後に発言をお願いします。 更にですが、私は星氏のストーカーではありません。投稿される際には言動にご留意をお願いします。--珍巣項 2010年3月2日 (火) 14:10 (UTC)[返信]

「更に批判的な内容が全て削除された事に中立的観点に欠けている事を問題定義」とありますが、何をおっしゃりたいのでしょうか。Wikipediaには、「批判的内容」は相応しくないと思われた方が削除したのでしょう。星氏の「HPを検索し」、「星亮一氏の書籍について、批判的な記事を投稿し」、「断りも無く批判的な記事が削除されているのは問題」だと投稿されていらっしゃる、「投稿される際には言動にご留意をお願いします」とありますが、何か普通ではないと感じたまでで、そういう印象を持ったと書いたまでです。 以下、ご参考までに転載させて頂きます。

Wikipedia:中立的な観点 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 中立的な観点 (NPOV, Neutral Point Of View) はウィキペディアの根本的な方針のひとつです。・・・・・・・・中立的な観点に沿って書かれていなければならない、というものです。この方針は記事以外のテンプレート、ポータルなどにも適用されます。ウィキペディアの創始者ジミー・ウェールズ (Jimmy Wales) の言葉によれば、中立的な観点は「絶対的で交渉の余地のないもの」“absolute and non-negotiable” です[1]。--越智美鈴 2010年3月2日 (火) 14:49 (UTC)[返信]

最初に質問したのは私です。私の質問は『削除された中で特に(星氏の作中の態度と歴史観など)問題としないのであれば、証明していただければ』です。お答え下さい。そして、問題定義をせずに削除をしたのかという疑問についてもきちんとした解答がなされていません。それについてもお答えください。

なお、私は削除された記事について復活する気は更々ありません。但し、他のウィキペディアンの方が問題ありと感ずるならば復活をするかもしれません。記事の復活云々は私の管轄外です。尤も、議論なしのウィキ上での批判書評削除は問題とします。

>星亮一氏のストーカーの如くの印象

どう見ても普通な物言いとは思えません。--珍巣項 2010年3月2日 (火) 15:11 (UTC)[返信]

再び申し上げます。 貴方のような方が、正にストーカーです。 作家の著作権を誹謗する言動はおやめ下さい。 私は一ファンとして許容致しません。 法的処置を含めて今後を考えさせて頂きます。 --越智美鈴 2010年3月2日 (火) 16:11 (UTC)[返信]

はじめまして、取敢えずクールダウンなさってください、言い争いは不毛ですし暴言等や応対等に対する不満等はお互いに不問としこれ以降は謹んでお願いします。さてと問題の発端は以下の文章が人物紹介に相応しいか否かに付いて議論することが適切だと思います。私の意見は相応しいと思います。--LedLine/(^o^)/ Orz 2010年3月19日 (金) 01:58 (UTC)[返信]
  • 『宮城県仙台市生まれ。父親の転勤で岩手県立一関第一高校に学び→東北大学文学 部国史学科→日本大学大学院総合社会情報研究科修士課程修了。 福島民報社記者、福島中央テレビ報道制作局長を経て文筆業へ。東北史学会会員、 日本文芸家協会会員、現在は福島県郡山市在住。幕末の会津藩を舞台にした作品が多く、基本的に会津寄りであると同時に薩摩・ 長州を批判する姿勢を通している。しかし、幕末時の薩摩、長州のエネルギーは 十分に認めており、「会津藩vs 長州藩」(ベスト新書)で 会津と長州の和解へのプロセスを描き、「幕末史」(三修社)で薩摩、長州、会 津の歴史関係者による対話の必要性を説いている。萩や鹿児島での対話集会にも 出席し、坂本龍馬に関する著書も3冊ある。 なぜ幕末史か、星の先祖は仙台藩重臣佐藤宮内の家中である。4代前の万右衛門 は江戸で稲富流の砲術を学び、仙台で砲術師範を務めた。戊辰戦争の際、佐藤宮 内は仙台藩の大隊長を務め、白河に出兵したので、星の一族はこぞって参戦し、 のち相馬国境の戦いにも出兵した。 また20代の折、福島民報記者として約3年、会津若松で勤務し、つぶさに会津 戦争を取材し、会津人の心情を聞いた。青森県の下北、三八地方にも毎年旅し、 斗南藩の解明に努めている。 星にとって幕末維新史は、自分のルーツをたどることでもあった。 星のもう一つの分野は太平洋戦争である。「山口多聞」「山本五十六と山口多聞」、 「南雲忠一」「アンガウル、ペリリュー戦記」などの作品がある。ノモンハン事 件にも関心を寄せ、現地取材を行っている。 星の、もうひとつの顔はジャーナリストである。 日大大学院はそうした分野の 勉強の場でもあった。 現在、仙台の方々と一緒に奥羽越列藩同盟の参謀を務めた仙台藩士玉虫左太夫の 復権運動に取り組んでいる。』
  • 履歴について、私も問題ない上に適切であると心得ます。--61.126.187.149 2010年3月27日 (土) 07:00 (UTC)[返信]

不慣れなもので、申し訳ございません。お申し出を感謝致します。内容については公平な見方をして頂けて、ありがとうございます。正に、これでよいと思います。連休明けにもう一度、ご返事申し上げます。どうか、宜しくお願い致します。--越智美鈴 2010年3月19日 (金) 16:20 (UTC)[返信]

「本文記事の削除について問題定義」の珍巣項さんの書き込みを消去できないでしょうか。Wikipediaは「中立」のはずです。それを「断りも無く批判的な記事が削除されているのは問題」と書き込んでおられる。問題定義自体が、問題にならないのです。偏った記事はWikipediaには相応しくないのですから。宜しくお願い致します。--越智美鈴 2010年3月25日 (木) 07:52 (UTC)[返信]


はじめまして。Wikipediaはたしかに中立です。ただし貴方自身が《私は一ファンとして許容致しません。》と述べられている上では、中立的な観点とはいえなくなります。

このノート及び星亮一も含めて暫くブロックを行って編集の制限を行う事を提案します。--61.126.187.149 2010年3月27日 (土) 07:00 (UTC)[返信]

今後は充分に注意致します。ご指摘をありがとうございます。--越智美鈴 2010年3月28日 (日) 13:28 (UTC) LedLine様 ご面倒をお掛けし申し訳なく思っております。2010年3月19日 (金) にご提案いただきました「履歴」につきまして、申し分のない内容と存じます。これにてどうか宜しくお願い致します。(事情がありまして)ご返答が大変に遅れましたことお詫び致します。--越智美鈴 2010年3月28日 (日) 14:22 (UTC)[返信]

61.126.187.149様 Wikipediaの手続きにつきまして必死に勉強しております。不手際につきましてはどうかご容赦をお願い致します。--越智美鈴 2010年3月28日 (日) 14:31 (UTC)[返信]

理想的な記事作成に向けて[編集]

  • 上記の議論は削除の可否だったと思いますが、記事作成に向けて、どうも議論が正逆のイデオロギーで動いているものと思われます。私が思うにいま現状の記事体勢を維持し、こちらの方でどのような形の記事作成がよいか考えた方がよいのではないでしょうか?例えば、どこかの学術論文に星氏の作品が使われ、賞賛されたとか、あるいは逆にとある学術論文では星氏の論文を批難している等、そうすれば優良の記事ができるのではないでしょうか?あくまでも感情的でない、中立的な記事になればと考えます。--Suttokodokkoi 2010年3月30日 (火) 13:57 (UTC)[返信]


ご助言をありがとうございます。

LedLine/(^o^)/ Orz 2010年3月19日 (金)さまのご提案頂いた内容が 適切と考えております。--越智美鈴 2010年3月30日 (火) 15:02 (UTC)[返信]

  • 越智美鈴さま、私はLedLine/(^o^)/ Orzさまの案は反対します。簡単に述べれば上記の内容は出典不明の書評であり、かついくつも疑問な部分が内在しています。そのため、学術文献等、研究家レベルの人物評で構築することが必要と考えます。星氏の場合、著作量、講演実績から、良し悪しは関係なく、ある程度のデータは集まると存じます。一ファンである越智さまならいくつかの文献を見つけることは可能かと存じます。そのなかから意見を聞いてまとめるのが私は良策かと存じます。--Suttokodokkoi 2010年3月31日 (水) 00:45 (UTC)[返信]

Suttokodokkoiさま、ご親切なご提案をありがとうございます。ファンの立場で申し上げておりますので、星先生のご経歴に付いて簡略にご紹介できれば充分ではないかと考えております。その意味で、LedLine/(^o^)/ Orz さまがご提案頂いた案であれば分かり易く、解説内容としては適切であろうかと思っております。出典不明ともうされますが、私どもファンの間では皆が知っている情報でございます。なにとぞ、ご了解頂けますように切に願っております。--越智美鈴 2010年3月31日 (水) 06:59 (UTC)[返信]

Suttokodokkoi氏に賛成です。結局ルールを破れば話になりません。
>「ファンの立場」、「私どもファンの間では皆が知っている情報」
そういう立場で議論するなら議論に参加しなくて結構です。ファンは関係ありません。明らかに不適切な文章、また文章のつながりも適切ではないため文章内容を変えさせていただきました。しかし私が直した文章でもまだ不適切な部分は残っています。残念ですが越智氏の意見に了解できません。越智氏には議論の際、中立的な意見を出すよう願います。編集も同じです。--福原実 2010年3月31日 (水) 08:20 (UTC)[返信]

福原実さま  訂正頂いた文章を読ませて頂きました。要領良くまとめて頂いているように思います。この文案で良いように思います。誠にありがとうございました。--越智美鈴 2010年3月31日 (水) 10:03 (UTC)[返信]

  • 越智さまへ。合意もなく勝手に本文編集を行わないでください。何度も続けば投稿ブロックの対象になります。そして、ファンのみが共有する事項はWikipediaには必要ありません。基本的ルールを参照ください。
  • 福原さまへ。修正いただきましたが、ノートの合意形成ができていない状況ですので、申し訳ありませんですが直させていただきました。ご理解お願い申し上げます。--Suttokodokkoi 2010年3月31日 (水) 13:43 (UTC)[返信]
そうですね。失礼しました。その忠告後に変更されていましたので差し戻しました。--福原実 2010年3月31日 (水) 14:25 (UTC)[返信]


Suttokodokkoiさま  ご指摘をありがとうございます。「ファン」とは『関心を持つ者』と読み替えて頂けるようにお願い致します。

福原実さま  先に訂正頂いた文章は簡明で公平な内容だと思っておりました。Suttokodokkoiさまが元に戻してしまわれましたが、残念でございます。--越智美鈴 2010年3月31日 (水) 15:57 (UTC)[返信]

  • 越智さま、Suttokodokkoiさまが元に戻してしまわれましたが、残念でございますと書かれましたが、もう一度申しますが、基本的ルールをお読みください。立証できない文章は独自研究であり、認められておりません。それとノートの合意なく、自己の欲するままの編集はお辞めください。私は別に星氏を誹謗したいわけでなく、立証できる内容に変更し、良質な記事にすることが目的です。よろしくお願い申し上げます。それとコメント依頼も行いたいと思います。--Suttokodokkoi 2010年3月31日 (水) 16:26 (UTC)[返信]
ざっと本項の履歴を見てきましたが、Wikipedia:存命人物の伝記に従いますと、「人物」については福原実さんの2010年3月31日 (水) 07:57(UTC)の内容が評価を極力廃しており、「会津の人の心情を聞いた」という百科事典的でない表現を修正すれば百科事典の記事として妥当に思えます。問題は出典がないことだけです。ゆえに、これに検証可能な出典をつければ記事として成立しますのでWikipedia:出典を明記するの「情報源の記載がない記事について」という観点からも、「福原さんの記事に要出典をつけた状態で加筆を促し、自らも探す」のが良質な記事をつくるために適切な方法ではないでしょうか。Wikipediaの記事をただ維持するだけならばともかく、良質な記事をつくるためには出典を要求するだけではなく、自ら出典を探し、独自研究を出典を伴ったものに書き換えて充実した内容にしていく前向きな努力が必要です。幸い、近隣の図書館に著書が多数ありますので、出版されたものから出典をいくつか拾えそうですし、越智さんも関心をもつ者と言うことで多数の著書をお持ちでしょうから、Wikipedia:出典を明記するを参考にそれぞれの文章に出典を記入することをお薦めします。出版されている著作の内容でしたら、『ファンのみが知ること』ではなく、誰もが知ることができる内容のため、検証可能性を満たすことができます。ただし、書けることは「書いてある内容のみ」であることにご留意下さい。また、単なる経歴は著書をあたることで出典を探せますが、「~について詳しい」「~の第一人者」などの評価に関わることになると、ご本人の著作だけではなく、そう評価している「第三者の出版物」が出典として必要になります。
ネガティブな内容に関しては、Wikipedia:存命人物の伝記批判、あら探しが参考になります。名誉毀損を避けるためにも信頼のできる情報源が特に必要です。この場合、名誉毀損の表現を放置しておくのは危険であり、独自研究に要出典を貼り付けて加筆を待つよりも速やかな除去が行われる傾向があります。しかし、その場合でもこのように要出典がつけられ、信頼できる情報源が提示されるまでのワンクションが設けられています。機械的な除去は編集合戦を招くことがあり、保護などされてしまうと記事の成長が阻害されてしまいます。
最後に、翼賛、批判双方の記述に出典を求めるにせよ、性急な削除、差し戻しを行わず、一旦は記述を残して出典を求めていくことが建設的です。Wikipediaは締め切りのあるプロジェクトではありません。出典のない不完全な状態でも、完全となるための前段階として要出典の状態で一定の期間存在していてもいいのではないでしょうか。もちろん、出典が示されない場合は削除されるべきですが、猶予は必要です。その点から、今回は前述の2010年3月31日 (水) 07:57(UTC)を要出典付きで復帰し、出典を求めることをお薦めします。--ヒトナミ 2010年4月1日 (木) 17:20 (UTC)[返信]
  • ヒトナミさま、コメントありがとうございます。復帰の上、ということですが、まず出典の明記できない記述(特に星氏のルーツ系の話)は確実に誤解を与える項目であり、各サイトを見たところでもかなり論評が分かれています。そのため、一旦、現状の平坦な文章を残し、ノートで議論ののち、ふさわしいものを本文に反映させる、というのが私の趣旨です。ちなみにこの項目を立項したのちに越智さんのフライングから一瞬、編集合戦と見られる内容になっただけで、特に論争に発展したわけではありません。ですので現在の記事が当時の内容であり、福原さんも事情を理解しなかった状況から修正したわけですので現在はご理解を得ております。
  • 正直申しまして、基本的ルールの通り、人物欄は特にノートでの慎重な議論が必要と考えます。なお、一瞬、編集合戦になった原因は越智さんのみの行動ですので、現状編集合戦になることはないと考えます。また、これは越智さんが危惧する荒らし防止にもなると思います。
  • 現状はまず、本文にある著作を検索できるよう、ISBNの付与を行っている段階です。慌てずにゆっくり誰でも検索可能な状態にして、議論できればと考えています。--Suttokodokkoi 2010年4月1日 (木) 17:46 (UTC)[返信]
Suttokodokkoiさま、福原実さま、ヒトナミさま、ありがたいことでございます。これからも、なにとぞ宜しくご助言・ご教示のほどお願い致します。編集の手順等に付きまして、今だ不慣れでございますのでなにかお気付きの点がありましたら、お教え下さいませ。--越智美鈴 2010年4月2日 (金) 03:35 (UTC)[返信]
色々な意見が出ていますが私としては先に提示した越智美鈴さんの人物紹介で良いと思うのです。もちろん出典は必要ですからそれを集める必要はあるでしょう。しかし自己紹介的な要素で構成された文面になっていますから「第三者の出版物」が必要だとは思えません。星亮一氏なる人物をどのように評価するかとかどれ程の功績があったか等が書かれている訳ではありませんので星亮一氏の著書や星亮一自身による発言等でも十分に出典として通用すると考えます。あと、斗南に生きた会津藩の人々(歴史春秋社)1983-12 (ISBNコードなし)、松平容保とその時代―京都守護職と会津藩(歴史春秋社)1984-07 (ISBNコードなし)となってますが、4-89757-106-5と4-89757-105-7[1]では不味いのでしょうか?--LedLine/(^o^)/ Orz 2010年4月3日 (土) 22:35 (UTC)[返信]
  • ISBNの件は私の見過ごしだったと思います。失礼いたしました。よろしければ修正していただければ幸いです。
  • 人物欄の話ですが、出自関係に関する部分等は一種のイデオロギーの部分となり、そのイデオロギーの理由という点は人物の根幹ですから、出典もなく語るのは危険すぎると思います。特に星氏はかなりの著作を出しており、かつ現在も多くの著作を出版している現状を考えれば、当然そのイデオロギーに反感を持つ人物がいてもおかしくなく、会津観光史学を用いた方もいらっしゃる現状、無条件に翼賛的でない、反感を持つ方も出典を確認することで出典のない批判的な編集に対応できる記事にしたいというのが私が考える理想です。
  • 幸い、私のノートに越智さんからご提案いただける発言をいただいておりますので、その部分に期待を寄せているところです。もちろん、それがLedLineさんが作成した記事に類似しても、出典がしっかりしていれば誰からも文句の付けようがありませんからね。--Suttokodokkoi 2010年4月4日 (日) 00:57 (UTC) [返信]

合意提案[編集]

Suttokodokkoiさんの望む「理想的な記事」については理解したしました。つまりは信頼のできる情報源に基づく出典が必要ということであり、Wikipediaの方針ですから議論参加者全員の議論もそれを了解した上に行われています。越智さんとの対話も成立し、議論参加者の間においてはSuttokodokkoiさんのおっしゃるとおり編集合戦の危険性がかなり薄れています。出典が必要というSuttokodokkoiさんの主張も受け入れられました。そんなところで、そろそろ記述する内容について、ノートで合意をとらなければならないという保護に近い現状は解消しませんか。具体的に何を書くかという点まで審議を続けていくのは現状が長期化し、善意の編集者を阻害して理想的な記事の形成には大変不利益な状態です。不自由を強いる緊急避難的な処置を続ける理由もほぼ消滅いたしましたので、次の提案をいたします。

  • 出典を伴なう記述ならWikipedia:中立的な観点Wikipedia:存命人物の伝記に反しない限りは残しておく。
  • 出典を伴わない記述には{{Blp}}を提示した上で名誉毀損は即時除去。それ以外は問題箇所へ要出典テンプレートを貼付け、出典をつけられない場合は除去対応してノートへ誘導。

正直、それでも記述を繰り返すような人はWikipediaへの基本理解がなく、そもそもこちらのノートに参加しないでしょう。その場合は、方針の熟読期間のための短期ブロックといった個別の対応をお願いしましょう。また、Wikipediaの基本方針を理由にした差し戻しならともかく、ノートでの議論中という拘束力をいつまでも発揮するのは避けたいところです。--ヒトナミ 2010年4月4日 (日) 02:38 (UTC)[返信]

それで良いと思います。あとSuttokodokkoiさんの懸念は理解できました。それでひとつ提案をしたいのですが、越智さんの人物紹介記事は出典さえあれば良く出来ていると思うのです。ですから出典を探しノートで仕上げていくのはどうでしょうか?そして十分に仕上がった段階で記事に移していくのが良い方法かなと思います。それなら越智さんも編集の練習も出来るしアドバイスも可能だと思うのです。--LedLine/(^o^)/ Orz 2010年4月4日 (日) 02:56 (UTC)[返信]
  • とりあえず、上記の記述の方法論はLedLineさんが2010年4月4日 (日) 02:56で述べた意見と類似しています。存命人物の伝記であり、それゆえネット検索しても、評価の分かれる人物ですので早急な対処は必要としないでしょう。ヒトナミさんは急ぐ理由はなにかおありでしょうか?
  • いま、越智さんが参照できる文献を探していただいております。たぶんそう時間はかからないでしょう。それから議論してノートで合意形成してから掲載してもよろしいのではないでしょうか?
  • また、私の考えでは、いずれ「人物」、「書評」と2つに分割して、単行本と文庫版で重複しているものは脚注で省略する等、必要かとも考えています。
  • そしてヒトナミさまが保護状態といいますが、保護状態とは少し違い、どちらかといえばローカルルールのようになればと考えています。
  • ちなみに今回提唱し、ノートで合意を求めているのは人物欄のみで、著作については言及していません。とにかく著作については数多く、また講演、雑誌掲載まで述べたら膨大になるわけで、準に形成していくつもりです。--Suttokodokkoi 2010年4月4日 (日) 06:33 (UTC)[返信]


本文改定案[編集]

Suttokodokkoiさま  ご尽力頂き、誠にありがとうございます。たたき台になる素案をまとめました。ご一読頂き、ご意見、ご指導頂きますようお願い致します。

1935年(昭和10年)仙台市生まれ。岩手県立一関第一高等学校卒業、東北大学文学部国史学科卒業。福島民報記者、福島中央テレビ局プロデューサー、同局報道制作局長を経て文筆業へ。この間、日本大学大学院総合社会情報研究科修士課程修了、専攻・日本近現代史。東北福祉大学講師(文化論)。東北史学会会員、 日本文芸家協会会員、現在は福島県郡山市在住。福島民報記者時代、最初の赴任地が会津若松市で「会津若松史」の編纂事業に参加する。「奥羽越列藩同盟」で第19回福島民報出版文化賞を受賞。またテレビ出演でNHK東北ふるさと賞を受賞。戊辰戦争や、幕末の会津藩を舞台にした作品が多い。また、日本近現代史をテーマにした著作も多い。2005年10月、戊辰戦争研究会を発足、主催する。


「鳥羽伏見の法制」三修社、「幕末の会津藩」中公新書「河井継之助」成美堂出版より出展。--越智美鈴 2010年4月5日 (月) 14:23 (UTC)[返信]

  • 越智さん、ありがとうございます。
  • まず、「会津若松史」とありますが、「会津若松市史」のことでしょうか?もしそうだとすればかなり膨大になりますので何巻に参加したかを教えていただければ幸いです。
  • 第19回福島民報出版文化賞は"福島民報出版文化賞" "星亮一"' で確認が取れました。
  • 「NHK東北ふるさと賞」はコチラで確認が取れました。
  • 提案ですが、上記2点は新たに「受賞」という項目を新設してそこに記載するというのはいかがでしょう。
  • その他の項目は本文ですでに戊辰戦争研究会のHPがリンクされてますので問題はないかと思います。
  • 参考文献ですが、「鳥羽伏見の法制」は不明です。以降の2点は星氏の著作ですね。
  • それと、「戊辰戦争や~」のくだりですが、「幕末の会津藩について述べた作品を中心として、ほかにも戊辰戦争、近現代史や紀行本等、幅広い著作を持つ」ではどうでしょう。
  • もし、次の段階とする場合、星氏の著作のうち、著書内のいくつかに第三者の書評があると思います。それらを参考にするのも良いかと思います。--Suttokodokkoi 2010年4月5日 (月) 17:22 (UTC)[返信]


 Suttokodokkoiさま   ありがとうございます。

  • <まず、「会津若松史」とありますが、「会津若松市史」のことでしょうか?>

  「会津若松史」第5巻「激動する会津」の第三章「戊辰戦争と会津藩」を執筆したとあります。

  • <第19回福島民報出版文化賞は"福島民報出版文化賞" "星亮一"' で確認が取れました。>

  ありがとうございます。

  • <「NHK東北ふるさと賞」はコチラで確認が取れました。>

  ありがとうございます。

  • <提案ですが、上記2点は新たに「受賞」という項目を新設してそこに記載するというのはいかがでしょう。>

  項目は不要のように思います。

  • <その他の項目は本文ですでに戊辰戦争研究会のHPがリンクされてますので問題はないかと思います。>

  ありがとうございます。

  • <参考文献ですが、「鳥羽伏見の法制」は不明です。以降の2点は星氏の著作ですね。>

  間違っておりました。正しくは「鳥羽伏見の砲声」です。ご指摘の通り、星氏の著作でございます。

  • <それと、「戊辰戦争や~」のくだりですが、「幕末の会津藩について述べた作品を中心として、ほかにも戊辰戦 争、 近現代史や紀行本等、幅広い著作を持つ」ではどうでしょう。>

  はい、私もそのように思います。

  • <もし、次の段階とする場合、星氏の著作のうち、著書内のいくつかに第三者の書評があると思います。それらを参考 にするのも良いかと思います。>

  意外と難しい作業になりました。目下、まとまりのあるものを探しております。--越智美鈴 2010年4月6日 (火) 14:48 (UTC)[返信]

  • ありがとうございます。では、1週間ほど待って、賛意を得る、または意見がなければ上記の文章に私が提案した文章に改訂して本文に反映させましょう。--Suttokodokkoi 2010年4月6日 (火) 19:57 (UTC)[返信]
  •  Suttokodokkoiさま

 はい、宜しくお願い致します。--越智美鈴 2010年4月7日 (水) 13:31 (UTC)[返信]

Suttokodokkoiさんに同意致します。あと、越智美鈴さんへのアドバイスとして、「多い、少ない、大きい、小さい」等々は曖昧な表現であり主観であり客観的ではないので百科事典等に馴染まない表現となりますから表現を一工夫して客観性のあるものに編集すると良いでしょう。厳密に言うと「幅広い」も引っ掛るのですがそこはまぁ突っ込まないでください。--LedLine (^o^)/ Orz 2010年4月10日 (土) 10:31 (UTC)[返信]
  • Suttokodokkoiさま、LedLineさま

素晴らしい内容を見させて頂きました。感動しております。ほんとうにありがとうございます。 見やすく、しかも簡明に仕上がっていて、見事なものでございますね。 いろいろなご指導、勉強させて頂きました。みなさま、ありがとうございます。 残りの作業に付きましても、どうかよろしくお願い致します。 次の段階の作業ですが、いくつかの第三者の書評を選んでおります。 お待ちくださいませ。--越智美鈴 2010年4月15日 (木) 09:41 (UTC)[返信]


本文改訂案・その2[編集]

Suttokodokkoiさま、LedLineさま、貴重なご提案を頂き感謝しております。以下の文章の加入に付いて提案させて頂きます。宜しくお願い致します。

  • 1.「福島民報記者時代、最初の赴任地が会津若松市で「会津若松市史第5巻」の編纂事業に参加する。」の文章を、以下の文に差し替えて頂くことをご提案致します。

「福島民報記者時代、最初の赴任地が会津若松市で「会津若松史」の編纂事業に参加する。」を「第5巻『激動する会津』の『戊辰戦争と会津藩』を執筆した。この活動が、星の会津藩研究の原点となる。」へ改訂。

追加の文章と致しまして、以下の文を提案させて下さい。

  • 2.幕末に生きた星の先祖の星万右衛門は江戸で稲富流の砲術を学び、仙台藩で砲術師範を務めた。戊辰戦争の際、曾祖父の星万三郎は相馬口で西軍と銃火を交えた。
  • 3.星の一族はこぞって参戦し、白河口の戦いにも出兵した。
  • 4.現在、奥羽越列藩同盟の参謀を務めた仙台藩士玉虫左太夫の復権運動に取り組んでいる。

以上は、「続会津藩燃ゆ-ああ白虎隊」(角川書店)(あとがきP248からP249 )、「会津藩vs長州藩―なぜ怨念が消えないのか」(KKベストセラーズ)2004-3 (あとがきP219)からの出典です。よろしくお願い致します。--越智美鈴 2010年4月19日 (月) 13:51 (UTC)[返信]


恐れ入りますが文章を若干修正させていただきました。順を追って意見を申し上げます。
  • 1. 「会津若松市史」の細目は脚注処理でよいでしょう。ただし「星の~」の部分は誰が書評しているかを教えてください。角川書店ですから第3者の書評のはずです(一応、私も確認できる努力はしたいと思います)。
  • 2. これはまったくもって確認不能です。念のため「仙台藩戊辰戦史」を拝見しましたが、まったく記述が確認できませんでした。最低でも誰の支配下にあったかが解れば調査できると思います。
  • 3. これも(2)と同様です。星姓はまったく見当たりませんでした。
  • 4. 復権運動はいつ、どこで、星氏個人なのか、なんらかの団体なのか、それを証明する媒体があるかをお願い申し上げます。
これは助言ですが、1と4以外は入れなくとも、星氏が小説家としての功績はじゅうぶん確認できる内容になっています。たぶんこれからも著作を多く出されることでしょう。なので、例えば「○○氏は星氏の作品を▲▲と評価している」等、こうした書評系を充実する方がよいのかと思います。--Suttokodokkoi 2010年4月19日 (月) 22:08 (UTC)[返信]

Suttokodokkoiさま、ご提案を頂き感謝しております。


• 1. 「会津若松史」の細目は脚注処理でよいでしょう。ただし「星の~」の部分は誰が書評しているかを教えてください。

• 「会津藩vs長州藩―なぜ怨念が消えないのか」(KKベストセラーズ)2004-3 (あとがきP219)には、以下の文章があります。  「第5巻『激動する会津』の『戊辰戦争と会津藩』を執筆した。この活動が、私の会津藩研究の原点となった」

 文章中の会津藩研究の原点という文言は、作家活動の動機ですので、重要なキーワードになるようなので、いかがでしょうか。そこで、以下のように直してみました。

 「第5巻『激動する会津』の『戊辰戦争と会津藩』を執筆した。この作業は、以後の会津藩関係の作家活動における原点となった。」


• 2. これはまったくもって確認不能です。念のため「仙台藩戊辰戦史」を拝見しましたが、まったく記述が確認できませんでした。最低でも誰の支配下にあったかが解れば調査できると思います。 • 3. これも(2)と同様です。星姓はまったく見当たりませんでした。

  •  「続会津藩燃ゆ-ああ白虎隊」(角川書店)(あとがきP248からP249 )に書かれています。

上記は、おっしゃいますように入れなくとも良いと思います。 ご指摘を感謝いたします。4は、必要ないかもしれません。カットを致します。毎回、お手数をお掛けしております。恐縮しております。よろしく、ご教授の程をお願い申し上げます。--越智美鈴 2010年4月20日 (火) 14:17 (UTC)[返信]

越智さま、たぶんご理解を得ていないところがひとつございます。それは私が求めているのは第三者の評であり、星亮一氏本人の独白は対象外だということです。それと角川文庫は過去、私も好きで読んでいました。理由は必ず第三者の書評が掲載されているからです。たぶん星氏の過去の作品には第三者の書評があるはずです。いまの「会津藩関係の作家活動の原点」は書評に記す内容であり、人物欄ではないと思います。そのイデオロギーを第三者が書評で書いてあれば、書評欄で掲載するべきだと思います。
誤解されそうなので、追言しますが、星氏が確かに会津藩関係の著作が多いことは「著作欄」でわかります。ただ、人物欄と書評欄は別箇と考えており、第三者の言があれば「書評欄」を設けて掲載したい、というのが私の意見です。もちろん会津に関わらず、戊辰戦争関係でも問題ありません。作品に対する作風、イデオロギー自体を書評すること自体はまったく問題はないのです。--Suttokodokkoi 2010年4月20日 (火) 18:31 (UTC)[返信]

Suttokodokkoiさま ご指摘をありがとうございます。私もその通りだと思います。お時間を頂き、探して参りたいと存じます。--越智美鈴 2010年4月22日 (木) 16:11 (UTC)[返信]

戊辰戦争研究会のHPアドレスが変わりましたので、訂正させて頂きました。--越智美鈴 2011年1月1日 (土) 12:00 (UTC)[返信]

過剰に詳細な記述:「著書」「共編著」[編集]

プロジェクト:作家によると「全作品を記述することが一番望ましいが代表作のリストでもかまわない」とあるので、知名度、受賞歴などの有無を含めても全作品リストが宣伝とか無差別収集に値しないように思えます。平和元さんが言う、代表作だけにしたいという話とは別な話になってしまいますが。--Katuii7会話) 2014年7月23日 (水) 14:20 (UTC) 追記--Katuii7会話) 2014年7月23日 (水) 14:32 (UTC) さらに追記--Katuii7会話2014年7月23日 (水) 15:00 (UTC)[返信]
コメント 平和元さんの方針誤読のように思えます。Katuii7さんの書いている通り、著作の列挙は推奨されるべきものです。また「ウィキペディアは演説台ではありません」の指摘は失当です。--OskNe会話2014年7月24日 (木) 07:14 (UTC)[返信]
報告 何ら反応がありませんでしたので、内容過剰タグを除去しました。--OskNe会話2014年8月20日 (水) 21:42 (UTC)[返信]