ノート:明智光秀

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惟任は名字か姓か?[編集]

現在の記事では、明智光秀は惟任氏を賜姓されたとありますが、加筆の参考にしようとしていた柴裕之氏の『シリーズ・織豊大名の研究 第八巻 明智光秀』の総論(19ページ)には「惟任の名字と受領名『日向守』とを与えられ(以下略)」となっております。賜姓だとすると、秀吉における豊臣と同じ姓(カバネ)になりますし、名字を与えられたとすると秀吉における羽柴を与えられたのと同じ意味合いになるかと思いますが、どちらが正確なのでしょうか?--水野白楓会話) 2020年7月8日 (水) 22:09 (UTC)

コメント どの史料かは申し訳ないことに失念しましたが、秀吉が「豊臣」を賜姓された当時に、大江広元が、中原から先祖にあたる大江氏への改姓の際の手順の史料を探して参照したとかの公家の日記があったような気がします。また、光秀が改姓は他の織田の重臣と共に既に名跡が途絶えたか途絶えそうになった名族の氏姓を継がせるつもりで信長から与えられたようなので、先述の件と合わせて朝廷からではなく、また「惟任氏」はさらに「大神姓」([1])のようなので名字になるかと思います。--ジャムリン会話) 2020年7月9日 (木) 01:00 (UTC)
天正3年7月3日に信長は官位を断り、思うところあり、光秀らに惟任と日向守の名乗りを許しています。これは最近の金子拓『信長家臣明智光秀』2019年、pp.140-142でも指摘されています。『信長公記』第8巻角川文庫p.191でも信長が「なされ」としています。つまり「賜姓」だと言われているのはこのときは間違いなのです。信長がそう名乗りをさせたということで、名字を与えたということになります。おそらく官位も織田信長家の自称ということになります。なぜなのかこの意味は。この名乗りの意味は金子拓先生もわからないとしています。--奈良たかし会話) 2020年7月9日 (木) 03:39 (UTC)

出典25につきまして[編集]

wikipedia初心者ゆえ見当違いな話でしたら大変申し訳ないのですが、「青年期」の項の記載とその出典が、ヤフー知恵袋の回答となっています。さすがに出典として使うには精度が低すぎますし、記載を削除するか要出典の状態に留めるのが妥当かと思うのですが、いかがでしょうか。 Walla rew会話) 2020年7月27日 (月) 00:24 (UTC)

  • 報告 IP利用者により当該記述は除去されています(特別:差分/79258285)。ご指摘の通りYahoo!知恵袋の回答を出典として使用することには問題があるでしょう。--郊外生活会話) 2020年10月4日 (日) 09:32 (UTC)

脚注89について[編集]

特別:固定リンク/79826192の脚注89なのですが、このリンク自体がMediaWiki:Spam-blacklistの対象になっています。「# spams using fc2 blog」の箇所にある部分に引っかかっています。先ほどの荒らしを差し戻すときに失敗したのは、このスパムフィルターに引っかかったからみたいです(ただし20041027 tatsuさんだと対応できているので、巻き戻しであれば問題ないのかもしれませんが)。しかし、当該リンク先の著者の桐野作人の記事では、在野ながら歴史学の研究者から評価されている旨の出典付き記述がある状況下で、このリンクを除去することも憚られます。もし、このリンクが有用であれば、MediaWiki:Spam-whitelistに入れてもらうなりの対応を考えた方が良いのではないかと思います(現状では、今後白紙化荒らしや置換荒らしがあると、一般利用者では復旧できなくなるおそれがあると思われます)。私は日本史学に詳しくありませんので、詳しい方からのご意見をいただきたく思います。--郊外生活会話) 2020年10月4日 (日) 09:44 (UTC)

  • コメント その後も同様の荒らしが行われ、私自身では復旧できないので、暫定的に当該URLをコメントアウトした形でリバートしています。ご意見は引き続き募集しています。--郊外生活会話) 2020年10月14日 (水) 05:57 (UTC)
  • 議論対象にしているのは、特別:差分/79978775/79978920で変更が加えられている部分のリンクです。--郊外生活会話) 2020年10月14日 (水) 05:59 (UTC)