ノート:日本アニメーション

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土田プロ[編集]

「ドカベン」などはスタッフの構成を見ると、後の土田プロの面々なのですが、日本アニメーションから土田プロが分かれたのか。葦プロのような関係だったのかどちらなんでしょうか。--Wing09 2006年2月23日 (木) 13:42 (UTC)

設立の経過について 異議あり[編集]

『その後1975年3月に多数の従業員が退社し、「日本アニメーション株式会社」を設立。』との記述ですが、「森やすじ」氏の著書を読んだのでは、これは 違うという心証でおります。--レモン糖 2006年6月1日 (木) 10:07 (UTC)

「森やすじ」氏の著書は、「もぐらの歌」だったと思います。 1975年の当時の社長がやめることになって、社名やそれまでの作品の版権はその社長のものとしてもっていき、現場のスタジオは ほぼそのままで、アニメ制作が継続されていたような記述があったと思います。 その本は当方では、どこにあるか わかりませんので、ノートに 記載とします。 --レモン糖 2006年6月1日 (木) 10:20 (UTC)

アニメージュに連載していた森やすじの「もぐらの歌」、1984年にアニメージュ文庫化されたものですね。要するにズイヨー映像が日本アニメーションと同一法人かどうかということですが、日本アニメーションの設立は1975年で、1974年に「アルプスの少女ハイジ」を制作していたズイヨー映像とは、スタジオや人材など実質はともかくとして、法人としては基本的には別の存在になってます。スタッフの多くがズイヨー映像を形の上では退社して、新たに設立した日本アニメーションで「フランダースの犬」その他を制作したので、森やすじの記述とも矛盾しないし、間違ってはいないと思いますが。--Wing09 2006年6月1日 (木) 10:58 (UTC)
まあ、状況認識はWing09さんのお話でよろしいと思いますが、やはり本文での実況説明の欠如はよろしくないように思います。書き換えは、手に余るなあと思いここに書いております。--レモン糖 2006年6月1日 (木) 13:36 (UTC)
『その後1975年に多数の従業員が退社し、「日本アニメーション株式会社」を設立。』との記述が出てきたのは、2005年1月9日 (日) 11:30の版からで、Modehaさんの編集ですね。Modehaさんはこの記述をどのような資料を根拠とされたのかと思いますが、投稿記録を見ますと、あまりアニメについて やっていないようで、どうなのかなと思います。もしも『スタッフの多くがズイヨー映像を形の上では退社して、新たに設立した日本アニメーション』ということがまちがっていない根拠となる資料が 存在するのでしたら ご指摘をいただきたいと思います。当方の心証としては「ズイヨー映像の企業分割」ですけどね。--レモン糖 2006年6月2日 (金) 13:51 (UTC)
Modeha氏ではないんですが、自分の分かる範囲で。まあ、日本アニメーションの公式サイトに会社沿革でもあればいいんですけどね。手持ちの資料でぱっと目につく範囲では、宮崎駿の「出発点」(徳間書店)p566の年譜(執筆者不明)では、日本アニメーションとして独立と表現。スタッフは同じまま、とあります。叶精二「日本のアニメーションを築いた人々」(若草書房)のp71とp176では、ズイヨー映像をズイヨー制作部として、社名変更して独立と記しています。石井清司「全国テレビプロダクションベスト100社」(東急エージェンシー)の日本アニメーションの項目では、公式サイト同様に設立日は、1975年6月3日。本橋浩一社長に関する説明で、1972年にズイヨー映像代表取締役、1975年に日本アニメーションの代表取締役社長就任とあります。瑞鷹エンタープライズの社長は高橋茂人で、代表権を2人で持つことはないことはないけれど、瑞鷹エンタープライズの製作部門だったズイヨー映像は子会社ではあっても、独立した別法人みたいです。で、公表している日本アニメーションの1975年設立が会社登記を意味するのなら、やはり1972年から存在するズイヨー映像と日本アニメーションは会社登記上は別と見なしていいのでは。まさか商号を変更したのをもって、会社の設立としたってこともないでしょうし。--Wing09 2006年6月2日 (金) 15:30 (UTC)
どうも、おたがいに決定的な根拠をしめせる資料ということになると ないのですよね。保田道世さん(日本アニメーションのスタッフだったこともある。現在はスタジオジブリのスタッフ)の著書「アニメーションの色職人」(だったかな)でも、このあたりの経緯は、よくわからないというような記述だったと思います。でも『その後1975年に多数の従業員が退社し、「日本アニメーション株式会社」を設立。』との記述ですと、造反ですよね。退社から設立までの間 アニメーション造りなど、できないのでは、という違和感をもちます。実際は とどこおりなく制作進行されているようで、その日に出社してみたら社名が変更されていた・・・・というような ことのようで・・・。 2005年1月9日の編集以前は『その後1975年に改組され、社名も「日本アニメーション株式会社」となり現在に至る。 』という表現で、これも何だかなあという感じてす。--レモン糖 2006年6月3日 (土) 13:06 (UTC)
やはり、「多数の従業員が退社」という表現は実態になじまないものと思いますので、表現をかえました。--レモン糖 2006年6月8日 (木) 10:58 (UTC)
「企業分割」されたとされたようですが、決定的な日本アニメーション史を厚かった書籍はどうもないようですね。森やすじの「もぐらの歌」も分社なのかよく分かりません。米村みゆきの「ジブリの森へ」ではズイヨー映像を吸収したのが日本アニメーション、多田信の「これがアニメビジネスだ」はズイヨー映像が分裂、『別冊宝島 このアニメがすごい』の池田憲章の名作劇場を扱った個所では、ズイヨー映像から経営者と社名が変わったのが日本アニメーションとありました。「企業分割」(会社分割)という判断がどこから出て来たのか不明ですが、1972年から存在していたズイヨー映像と、1975年に発足していた日本アニメーションは商法上は継続しておらず別会社で、社名の変更ではないのは確かです。となると、会社分割だとすると、会社分割を見る限り、分社型分割で、日本アニメーションは新たに設立されてズイヨー映像の権利と人材を引き継いだものだとするのとどちらかでしょう。ズイヨー映像の「多数の従業員」がいったんズイヨー映像から「退社」して、日本アニメーションへ入社するのは、分社化であろうと分社でなかろうと形式的にはそうなるはずです。出向というのは、その後のズイヨー映像と日本アニメーションの関係からありえないし。ズイヨー映像の分社かどうか、どちらであるかの資料がないのであれば、「企業分割」などと書かずに分かってる範囲で記述するのが適切かと思われます。しばらく時間を置いて、特に反論がなければ、企業分割の文言は除去する予定です。--Wing09 2006年11月19日 (日) 09:32 (UTC)
津堅信之「日本アニメーションの力 85年の歴史を貫く2つの軸」では日本アニメーションは、ズイヨー映像から分離独立と記されていました。あいかわらず現状の「改組・企業分割」という日本アニメーションとズイヨー映像に商法上の連続性があるかどうかの出典が確認できないため、これを省いておきます。--Wing09 2006年12月20日 (水) 13:16 (UTC)

1月11日、NHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」という番組を見ていまして、「営業譲渡」という言葉が出てきました。この番組での説明は、経営が行き詰って負債をかかえた企業の再建策として、「新会社を設立して旧会社の資産と従業員などは、そちらに譲渡。負債については返済可能な額を新会社が引き継ぎ、旧会社に残った負債については破産処理というもの」でした。ここのケースでは、経営困窮ということではありませんが「新会社を設立して旧会社の資産と従業員などは、そちらに譲渡。」という説明は、少なくとも「改組・企業分割」という文言よりは、しっくりくるように思います。でも本文を変えるのは、むずかしそうで、 ひとつの意見として書くにとどめます。--61.193.15.29 2007年1月12日 (金) 11:24 (UTC)

「瑞鷹エンタープライズ」が「ズイヨー映像」に社名を変更したのではなく、「瑞鷹エンタープライズ」が新たに「ズイヨー映像」を設けた、というのが正しいように思います。また、組織の譲渡など細かいことは私も判りませんが、「日本アニメーション」は高橋茂人社長の経営体制に異論を唱え設立されたというのは確かな気がします。その時施設の継続使用などに社長が如何に同意したかは定かでないですが、まあ「フランダースの犬」など継続中のものもあったので譲らざるを得ないわけですね。のちの1979年に「劇場版アルプスの少女ハイジ」を高橋茂人が「日本アニメーション」(過去のズイヨー映像構成メンバー)の反対を押し切り「瑞鷹エンタープライズ」名義で企画制作したことにも名残があるような気がします。--210.238.82.33 2007年1月15日 (月) 18:09 (UTC)

「山ねずみロッキーチャック」のオープニングを見ましたら「瑞鷹エンタープライズ」「ズイヨー映像」どちらもありました。--210.196.28.151 2007年2月1日 (木) 13:15 (UTC)

企画会社が瑞鷹で、その自前の製作会社がズイヨー映像。75年6月、ズイヨーの株主である瑞鷹の高橋社長の長期海外出張中に、当座の運転資金がほしいズイヨーの本橋社長とスタッフが、著作権を望む電通やフジテレビとつるんで、その代表権を使って、株主である瑞鷹への断りなしに、新たに創設された日アニに資産も営業も譲渡し、全スタッフと移籍してしまった。帰ってきたら、ズイヨ-は登記名義しか残っていなかった。当然、裁判になったが、双方、これ以上、口外しないことで決着した。直接に聞いた話なので、出典などない。

二次使用料不払い問題について[編集]

なんか金銭の支払いで声優とどこかがもめて声優が勝ったことは分かるのですが、

  1. 誰と誰が契約し、誰が「契約に反し」たのか?(「が」が多すぎて、主語が何だかわからない)
  2. 「二次使用にあたるとして未払いの方針を続け」たというのはどういうことか?(何に基づく何を未払い?)
  3. 音響映像は「ビデオソフトの一覧表を作成した」らしいが、それがなぜ訴えられたのか?
  4. 「日俳連と支払をめぐる協議が行われた」という主語は誰か?
  5. 「二次使用料未払いの債権者」「制作著作権者」は、単純に用語として変(変だけど、事実関係が分からないので修正できない)。
  6. 高裁判決の内容がよくわからない。声優→音響映像の債権(被保全債権)と音響映像→日本アニメの債権を認定し、声優の債権者代位の主張を認めたということ?

といった感じで、なんだかよくわからないので、事実関係を整理したうえで、きちんとした日本語(と法律用語)で書きなおした方がいいかと。--かんぴ 2011年7月6日 (水) 14:43 (UTC)

  1. については、まず、実演家(声優)と音響映像間の出演契約に基づきアフレコ等がされてギャラが支払われ、日本アニメーション側が映像編集し一本の作品(著作物,映画の著作物)となり、テレビ番組として放送されます。先の出演契約について本文上にある芸能・動画制作・音響制作の業界団体間で交わされた団体協定内の文書(1981年の「外画・動画出演実務運用表」と1986年に追加された「ビデオ化利用料の料率」)に出演者と製作者(音響映像と発注元の日本アニメ)が従い契約したとされています。日本アニメは放送後大半の作品でビデオソフト化を行った際に、目的外使用(二次使用)にあたるとして音響映像は上記運用表上の「ビデオ化使用料(ギャラ、判決文上は目的外使用料)」を実演家へ支払わなければならない、と実演者の所属する日俳連から追求されたものの、音響制作を委託した日本アニメは、「団体協定は無効である(業界団体を入脱退しているため)」「運用表上の目的外使用(ビデオ化)の規定は、著作権法上の支払義務は無いため支払わない」などと通告しました(出演・権利関係で払うか否かは、著作権侵害や信託絡みでない限り当事者間の決め事です)。ビデオ化使用料は日本アニメの援助がなければ音響映像は払えないとされています。よって、契約をしたのが実演家と音響映像、契約に反したのは音響映像と日本アニメになります。
  2. 1997年に同様の姿勢を取っていた東映アニメーションが軟化し、キャスティングを委託していた青二プロダクションが実演家にビデオ化使用料を支払うことになりました(日俳連 東映動画問題、キャスティングに支障が出るなど泥沼化を防ぎたかったのか事情は不明)。音響映像はビデオ化使用料を支払わずにビデオ化している作品のタイトル(ビデオソフト)および実演家の一覧表(ビデオ化使用料個人別集計表)を作成し、ビデオ化使用料の支払いを日俳連と協議したものの、何らかの事情で交渉が決裂し、日俳連に所属する未払いとなっている実演家が債権者として連名で提起へ踏み切ったものです。「協議―の主語」の日俳連は、日俳連の代表者・交渉担当者・所属する実演家の誰なのか、単数複数であるのか不詳です。
  3. 「二次使用料未払いの債権者」はビデオ化使用料―が適切でしょう。「制作著作権者」は、訴訟の対象となっている作品(著作物)の制作者と著作権者が同一であるため正しく併記すると「制作・著作権者(著作者)」表記となります。
  4. 高裁判決の件は参考となるWebサイトの内容からでは読み易い文章への整理が難です(本来は判決文原本か法学書が確実ですが)。また、上記の認識で誤りがあれば合わせて他ユーザーのフォロー(本文の加筆修正)をお願いしたいと思います。(高裁判決文(要旨) 高裁判例文 一審判決時の記事 日俳連トピックス)--Momokkey 2011年9月8日 (木) 18:46 (UTC)