ノート:施設

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またまた、曖昧模糊としたものが発生しましたね。
各種の施設という意味では、たとえば児童福祉施設の一覧、もう少し広く公共施設の一覧などは多少なりとも意味があるかもしれませんが、単に「施設」という記事とすると際限のない百科事典の記事としてはふさわしくないものができあがるような気がしますが。
この記事の趣旨はどのあたりにあるのでしょうか?Falcosapiens 15:51 2003年6月19日 (UTC)

私も、こういう記事を見ると、ホントにがっくりきます。原因は、やはりウィキペディアの意図をあまり判っていない人が、自分で記事を書く技量もないのに非百科事典的な用語に赤リンクを貼りまくっていることにあると思います(こういう人は、おそらく御自分では、ウィキペディアに貢献しているつもりなのでしょうが、スタブ記事を意味もなく作りまくる人と同様の迷惑さを持っていると思います。百科事典の記事になりえない用語に赤リンクを貼ったり、やたらとマイナーな人間を記事にしたり、さらにそのマイナーな人間が作った作品一個一個まで記事にするのは、明らかにウィキペディアのポリシーからは外れています。最近は、「どこかの記事で少し触れるだけで十分だろ…」、という記事のあまりの多さにかなりうんざり気味です。Wikipedia:ウィキペディアは何でないかを見よ。)。私は、少数でもそれなりのプロが書いた精鋭された記事がウィキペディアにはふさわしいと思っているので、今の参加者数から考えると記事の増加が、少し多すぎるぐらいに思っています(大学学部生レベルの内容では、記事を読んでも何の面白みもありません。皆が自分が精通した分野の記事に絞って貢献すればよいのですが、たいした力量も無いのに無理をして記事を書いている人をみると哀れみさえ感じます。)。私は。本当に記事を書きたい人が現れた時に赤リンクはその人が作ればよいと思っていますので、今後は、自分が判断して百科事典の記事になり得ない用語に張られた赤リンクを潰していく活動をしようと思っています(ウィキペディアぐらい検索がしっかりしていれば、同じ用語を探すのなどほんの数分で出来ます。将来、記事ができるかもしれないと考えて、赤リンクを貼りまくる人はおせっかいな人以外のなにものでもありません。)--Yoshitaka Mieda 20:37 2003年6月19日 (UTC)


この記事にがっくりは同意です。しかし現状からみると少し行き過ぎのような気がしています。非百科事典的、百科事典的というのがどういうものなのかがきちんと説明、明記されていないことが、新たな参加者、既存の参加者についても誤解を招く要因のひとつとしてあげられるのではないでしょうか。(see.百科事典など)Miedaさんの言われることはイメージではよく分かるのですが、Wikipediaに対して懐くこういったイメージは、ノートなどに参加していなければ分かりづらいし、誤解も独善もうまれるでしょう。(私も誤解や勝手に納得している部分があると思いますが。)方針や指針や指標のような形で明文化されてみてはいかがでしょうか?(既にあるのでしたらごめんなさい)

もともと張られたリンクを潰して回るというのは作業的にもったいない気がしたので、その手間でスタブの拡張でもすれば良いのではないかと思い、発言してみました。suisui 21:30 2003年6月19日 (UTC)

たしかに漠然としすぎていて、あまり好ましい記事ではありませんが、sysopの方が作られたわけですから、管理者の間でも百科事典観にギャップがあるということでしょう。リンクそのものは記事と記事を結ぶのが機能ですから、リンクの色が青か赤かにこだわって、神経症的にリンクをはずして回るというのはいかがなものでしょうか。suisuiさんの言われるように、たくさんあるスタブに加筆するほうがよほど有益だと思います。るがこむ 21:44 2003年6月19日 (UTC)

執筆、編集者としては管理者もそうでない人も対等ということになっているので、この記事が問題であれば、変更すればいいのだと思います。Falcosapiensさんの提案されたとおり児童福祉施設一覧なり、公共施設一覧にするべく、記事名を変更、記事内に内容を限定する記述を付け加えてこの記事へのリンクも変更できます。これまでの経験から言ってGさんは話せば通じる人だとも思うのでそれほど大きな問題はないと思います。当初の意図としては「娯楽施設」辺りが記事名としては適当なのではないかと察します。
ウィキペディア日本語版としてはどういう参加者、記事を歓迎してどういう参加者、記事を歓迎しないのか、という点については議論してみて合意がとれるようならもっと明文化するのはいいと思います。
参加者については、現時点では誰でも歓迎するプロジェクトだということになっていると思います。例えばWikipedia:新規参加者の方、ようこそにも次のような一文があります。
大勢の普通の人(あなたもそういう人のひとりかも知れません)がこのプロジェクトを支えています。博士や大学院生やその他のいろいろな専門家もこのプロジェクトには多く参加していますが、参加のためには特別な資格はいりません。もしかすると、ウィキペディアは誰にでも参加できるプロジェクトだからクオリティーの低い作品なのではないか、と思うかも知れません。でも、誰にでも開かれていることで、たぶん、多くの記事はより多くの改訂を受けることになり、かなりの質になると思います。
和訳はされていないですが、基本方針とガイドラインからリンクされているジミー・ウェールズさんの「Statement of Principles」(基本原則の宣言)にも似たようなことが書いてあります。他にWikipedia:よくある批判への回答で『伽藍とバザール』に言及している点や、ウィキペディアでは「独創的な研究成果」を受け付けないと宣言していることなどを考えても、素人であっても歓迎してオープンでやっていこうとする方針になっていると思えます。
また、英語版がこういう非常にオープンなプロジェクトになっている背景には、Nupediaという「専門家による、査読制の、フリー百科事典を作成してオンラインで公開する」というプロジェクトが最初にあって、ウィキペディアがそこから実験的に派生したこともあるだろうと思います。
記事の面から言えば、どの程度マイナーな物事についての記事が存在してよいのか、どの程度短い記事が存在してよいのか、という問題は意見の分かれるところだろうと思います。Wikipedia:フィクションを明確に区別にちょっと書いてあるように、マイナーな小説の登場人物や地名についての記事などはあってほしくないということになっている他は特に明言されていないように思います。でもスタブ(短い記事)を嫌う人と擁護する人の間には齟齬があるようで、Wikipedia-lで記事カウントの方法を変える時にも議論になりましたし、先月も「紙媒体のような制限がないから本当にどんなマイナーな物事について書いてもいいのだろうか?」というような話から同じようなことの議論になっていました。
ちなみに、短い記事の擁護派の議論には、実際に紙媒体の百科事典を見ると1パラグラフで終わる記事も多い、多くの記事で数パラグラフ分言及される物事については、短い記事として独立させて各記事からリンクさせるのもいい、というものなどがあるようです。
(この記事については主題がマイナーなのではなくて広範過ぎる辺りが問題でちょっと事情が違いますが。)
赤リンクを潰したり、自らしっかりした記事を投稿したり、案内系の文書に明記する他にもやれることはあると思います。英語版には「百科事典がカバーするべき基本的なトピックのリスト」みたいなものが作られてそのリストにある記事の執筆を進めようという運動があったのではないかと思います。リストは1911年版ブリタニカ(=著作権切れでオンラインで公開されている)を参考に作られたもので、日本語で同様のリストを作成しようとすると大変かも知れませんが。他にも、優れた記事を執筆してくれそうな人をどこかから連れて来るとか。
Tomos 01:37 2003年6月20日 (UTC)

おお、これはGさんが作られた記事だったのですか。それなら、なおさらこの記事の趣旨を聞いてみたいですね。もちろん私はGさんがある分野、例えば競馬や鉄道関連に一般人以上の知識をもっているのは知っています。しかし、この施設という記事は、Gさんの知識とは、ほぼ無関係に見えます(はっきりいって私でもこれぐらいの記事なら5分あれば書けるでしょう)。それなのになぜこんな殆ど意味がない記事を造ったのか?しかもなぜ、私から見ればほぼ百科事典的な記事になりえない用語まで赤リンクにしているのか?(誤解が無い様に言っておきますが、私は全ての赤リンクをなくせと言っているのではなく、あくまで百科事典的でない赤リンクをなくせと言っているだけです。)私には、児童福祉施設以外の赤リンクは範囲があまりにも広すぎて百科事典的でないと感じました(Falcpsapiensさん同様?)。しかも、施設自体も百科事典的でないと思ったのはもちろんのこと、そこからリンクされている国民以下の青リンク記事もすべて百科事典的でないと感じました(少なくとも、普通の日本人であれば、説明されなくても施設国民道路学校水族館、…がどういう意味があるかは知っています。こんな字引的な記事がなぜいるのでしょうか?しかし、一応出来が悪くても、スタブ記事と見なして特に各記事にクレームをつけるということはしていませんが…)。私は、Gさんの書く素晴らしい記事も幾つか知っていますから、なおさら不思議に思いました(もちろんこれはただの問題提起で、Gさんを個人的に攻撃しようという意図はありません。わたしはGさんが、他では素晴らしいい活動をされていると思っています。)--Yoshitaka Mieda 03:20 2003年6月20日 (UTC)

このような記事を作った趣旨ですが、以前に記事を生成するためのリンクを作る場所がなくて困ったことがあり(私は少なくとも記事は記事からリンクされるべきと思っておりますので…)、そのような経験から、ぶら下がるための表紙的記事として作りました。ただ、今回の記事は、半ば独断専行でおせっかいだと自分でも反省しております。今後は、すぐに自分でさらに先の記事を作らない限り、このような記事は作るのはやめたいと思います(もちろん、既存の記事からぶら下がれる場合には、今まで同様、既存からぶら下がりますが…)。
赤リンクの件については以前にmiedaさんからの指摘で、ごく一部を除き作ってません(履歴をご覧ください)。
それから、今回がいいきっかけなので、僭越ながら述べさせていただきます。
mieda氏は「少数でもそれなりのプロが書いた精鋭された記事」を要求しておりますが、これはあくまでも目標であって、最初から要求するべきことではないのではないかと思います。プロが書いた記事が欲しければ、最初からプロに書くことを頼むべきではないでしょうか?そこに素人が介入する余地は与えないほうがよいのではないでしょうか?
では、なぜウィキペディアはオープンなプロジェクトなのでしょうか?そこには、tomosさんも書かれているように、最初は幼稚な記事でも、多くの人の視点で多くの改定が行われ、そして「プロさえも書けないような多くの視点を含んだ精鋭な記事」ができるのではないでしょうか?つまり、プロに書くことを依頼して書いた記事は、少人数で書いた記事なので、一方的な視点に立った記事は書けても、多くの視点を含んだ記事は難しいのではないかと思うのです。しかし、ウィキペディアには、多くの視点が含まれるという意味で、普通の百科事典以上の可能性を秘めていると思います。
視点には、プロからの視点だけではなく、素人からの視点も必要ではないでしょうか?たとえば数学の記事を書く際には、プロが書くと専門用語の羅列になってしまい、そうすれば記事を理解するのに苦労します。しかし素人からの視点を含めることで、理解しやすいようになるのではないかと思っております。そのために、私は数学に関する基本的な記事を多く書いてきました。(もちろん、プロの中にも素人に理解しやすく工夫されるかたも大勢おられる事は重々承知しております)
このような行為は、ウィキペディアにとって不要なことでしょうか?
ちょっと生意気な事を言い過ぎたようです。また、じっくりと考えて書いているわけでもないので、支離滅裂な部分があると思います。すみません。G 04:22 2003年6月20日 (UTC)

私は、ウィキペディアで最も待望されている記事は、プロが無償でしかも著作権を主張せずに投稿してくれた記事だと思います(基本的に素人にも理解しやすく書くのがプロの腕の見せ所です)。ただそれは要求ではないです。あくまでそれぐらい各分野の専門家が集まって来るくらいになれば良いなと思っているだけです。しかも、専門家が書いたものでも、素人が後に手を入れれるのがウィキペディアの良いところです(私の考えは、それほどGさんと違っていないと思います。)。2番目に待望されている記事は、素人がそれなりに一生懸命リサーチして書くスタブ記事だと思います。素人でも、きちんとリサーチして書くスタブ記事は、とても好感が持て、多くの方がその記事の成長に寄与しようとするでしょう(これも、それほどGさんと違っていないと思います。)。全く待望されていない記事は、素人が適当にもしくは知ったかぶって作るスタブ記事です。このようなスタブ記事は放置されるどころか、クレームさえ付けたくなります(最後がGさんと異なっている点です)。

一般に、スタブ記事は何でも許されると思っておられる方が多いようですが、Wikipedia:完璧なスタブ記事などを読むとそうではありません。スタブ記事には始めに投稿した人間がある程度、責任を持たねばならないという義務があります(初心者は許されるでしょうが、常連のウィキペディアンの場合は自分で記事が書けないなら、少なくとも成長するように宣伝の努力などをしなければならない。あくまでTomosさんが引用しているのは新規参入者へのコメントで、Gさんはその点を間違えられているのでは。)。私は、最初は幼稚な記事でも成長するとウィキペディアで言う場合、上記の2番目に待望されている記事を指しているのだと思います(これはGさんが寄与した数学関連のような記事です)。上記の全く待望されていない記事は成長する可能性はほとんど無いと思います(これが、この施設や施設からリンクされているような記事です)。--Yoshitaka Mieda 04:56 2003年6月20日 (UTC)

Miedaさんとの意見にほぼ差がないことがわかり、安心しました。
最後の「素人が適当に作ったスタブ記事は許せん」ということですが、素人だからこそ誤ってそのような記事を作ってしまうのではないでしょうか?そのために古参の投稿者が最近更新したページで目を配らせているわけではないでしょうか?
ただ、そんなことはウィキ暦の長い私には許されるものではありません…私はそこを大いに反省すべき点だと思います。まだまだそういった面で、私は人間としても、ウィキペディアに対する知識についても、浅はかだと思います。身の丈にあった努力をしていきたいと思います。
さて、話はそれますが…
「このような記事を書きたいのだけども、どこからぶら下げたらいいのだろう」という疑問が沸いてきたときには、どこかに疑問として投げればいいのですね(個人のページからぶら下げるのはルール違反と私は思います。やっぱり記事は記事からつなげなければならないと思ってますので…)。
また、私は詳しくないけど、「この件については書いた方がいいのではないか?」と思うことがしばしばありますので、その場合には、自分で記事を作らずに、最近の出来事Wikipedia:必要とされている記事などを通じて詳しい人に書いて欲しいと訴えたいと思います。G 08:40 2003年6月20日 (UTC)
僕はMiedaさんやGさんとだいぶ意見が違うかも知れないので、ところどころ異論を書かせて下さい。
Gさんはあれこれ勝手がわかっている人なので、もう少し他にいい記事名を思い付くとか、何かやりようがあったのではないかとは思います。ですが、取り返しのつかない間違いのようなものではないですし、

他の人が修正すればそれで済むことだろうというぐらいにしか感じませんでした。Gさんの反省ぶりを読むと何か大罪を犯した感じでちょっと妙に感じます。もちろん、Gさんの志はそれはそれで立派なものなので僕が口を出す筋合いではないですが、他の人も是非Gさんを見習うべき、という風には感じませんでした。

またウィキペディアとしてはプロが書いたものが一番欲しい、次に素人がリサーチをして書いたスタブが欲しい、というYoshitaka Miedaさんの意見は、「ウィキペディアはそういうもの以外はお断りするプロジェクトだ」という意味だとしたら違和感を感じます。「それ以外もいろいろ歓迎だけれども、プロが書いたものとよくリサーチをしたものを特に歓迎」ということなら、特に異議はないです。もっとも、僕が知っている限りではプロの研究者が書いたものでもずさんなものはいくらでもありますから、必ずしもプロ優先、プロなら安心とは考えませんが。。まあ分野によって事情が違うのかも知れません。ともあれもっとよい記事があって欲しいとは思います。
ただ、賛成するかどうかはともかく、ウィキペディアは完成度の高い原稿だけを受け取ってそれを保管、公開、推敲する場所ではなく、完成度の低いものであっても受け付けるし、それを少しづつよくしていく場所でもあるのだ、ということはプロジェクトの前提になっていると思います。Wikipedia:よくある批判への回答の2.の部分(まだ英語のままですが)にもそうあります。
私見ですが、このプロジェクトは、熱気や共同作業の面白さや、こういうスタイルでの百科事典開発がどこまでうまく行くのかに対する好奇心などを原動力にして動いている部分がかなりあると思います。少数精鋭の投稿だけを受け付けるならしっかりした監修者がつくとか、査読があって一応業績としてカウントされるとか、別の魅力がないとうまく行かなさそうですし、スタブが量産されるとしてもやっぱり門戸を広くしておくことは重要なんじゃないかと思います。そうじゃないプロジェクトの運営の仕方もあったでしょうし、今から方針を変更することだってできるとは思いますが。Tomos 10:31 2003年6月20日 (UTC)

Tomosさん、こんにちは。初めの頃、私も、Tomosさん同様「完成度の低いものであっても受け付けるし、それを少しづつよくしていく場所でもあるのだ、ということはプロジェクトの前提」というのを信じていました。しかし、勉強していくと実はウィキペディアというのは割と細かい規制が多いというのも判ってきました(例えばWikipedia:完璧なスタブ記事Wikipedia:ウィキペディアは何でないかなどを最近読んだのですが、かなり厳しい規制が書いてあることが判りました。)。そして、そのような規制の参加者への無意識的な刷り込みのあるなしが、英語版が上手くいっていて、日本語版があまり成功していない理由でないかと言う気が最近はしています(まだ、研究中であまり根拠はありませんが、直感でそんな気がしています)。私もTomosさん同様、このプロジェクトが果たして上手くいくのか、どうすれば日本語版が上手く起動に乗り始めるのかということに非常に興味があるので、その辺のメカニズムが何かわかったら教えてください。最後に、現在のところ、私は、「ウィキペディアはそういうもの以外はお断りするプロジェクトだ」という気持ちより「それ以外もいろいろ歓迎だけれども、プロが書いたものとよくリサーチをしたものを特に歓迎」という気持ちのほうがまだ強いです(今後、その方針で日本語版が上手くいくならそれでいいでしょうが、そうでないなら勿論なんらかの解決策が必要となるでしょう。)。--Yoshitaka Mieda 12:16 2003年6月20日 (UTC)

自分の専門外の記事を書く時は、ほとんど「そのような記事が読みたいな~」という気持ちがあって、書いているのではないだろうか?ということです。今まで、そのような場合は私はこのように記事を拡張してきました。今でも、施設にぶら下げられるような記事を読みたいな~(つまり、街の施設(例えば公民館とかetc)などの薀蓄(日本最古の公民館は…とかetc)などが見たいなという気持ちですが…)という気持ちがあることに変わりはありません。
批判を受けない別の手段があるならば、それを用いればよい(用いるべきではないか)と思ったわけです。
Tomosさんには、私が大罪を犯したように移ってしまったようです。そう思ったならば、それは誤解です。私はTomosさんやMiedaさんとは違って、不器用な人間ですから、自分の気持ちや考えがうまく伝えられてない点が多々あると思います。
私のこのプロジェクトに対する動機は、他人が知っていて、自分が知らない知識(薀蓄なども含めて…)を吸収したいという所にあります(辞書を開く時は大概そうではないでしょうか?)。そのための対価としては、逆に私の知っている知識、今までの経験で得た知識を皆さんに提供するべきだと考えて、記事作りに参画しているのです。その目的が達せられれば十分なわけです。そのための手段を変えようではないかというだけのことです。志とか、なんだとかいうのとは違うと思うのです。
まだ、ちょっと冷静になってないので支離滅裂かもしれませんね…G 15:54 2003年6月20日 (UTC)
Yoshitaka MiedaさんとGさんに頂いたお返事に、簡単ですがお返事です。
Yoshitaka Miedaさんへ。最近のYoshitaka Miedaさんの発言や活動について、今回の書き込みでいろいろと疑問が氷解した気がします。「それ以外も歓迎」のポリシーで日本語版がうまくいかなければ何か解決策が必要というのはその通りですし、初心者でなくなった人の活動の形態が違うのではないかという説も一面を突いていそうです。どういう工夫の余地があるのか、英語版から盗める長所は何か、など僕も試したり考えたりしてみます。
Gさんへ。いろいろな人がいるとは思いますが、個人的には僕の動機も似たようなところです。で、問題の「どうやって記事にリンクするか」ですが、僕は新しい記事はほとんど作らないので余り経験豊富ではありませんが、「一般的なカテゴリーを記事名にしたスタブを作ってそこから自分の書きたいより限定された話題へのリンクを作成する」という代わりに、「個別具体的な物事や限定された物事についての記事からリンクする」というのではどうでしょうか? 例えばイラク戦争絡みでブッシュ大統領や一般教書演説や規制緩和について書きましたが、それらは「政治学->大統領制->アメリカ大統領一覧->ジョージ・W・ブッシュ」ではなく「イラク戦争->ジョージ・W・ブッシュ」です。規制緩和や一般教書演説についてもそれらを包括する「産業政策」「アメリカの政治」などは執筆されていません。
みんながそういう風に記事を作っていくとメイン・ページからは辿り着けない記事ばかりが増えることになるのでそれはそれで問題だと思うのですが、一般的なカテゴリーを主題にした記事(「娯楽施設」でも「政治学」でも)を執筆するのは難しいですし、そういう記事をスタブとして作成したくないということであれば一応そんな風にすることはできると思います。
Tomos 19:55 2003年6月20日 (UTC)

ここまでざっと読んでみて。とりあえず、記事作成のマニュアルを作る必要があるのではないかと。今のところ個別の記事で問題が発生するたびにその記事で議論している状態ですので。Falcosapiens 10:53 2003年6月21日 (UTC)

これまでの議論から導きだせる「記事作成のマニュアル」に使えそうな指針としては
余りに一般的過ぎる語にはリンクをつけない。
辞書的な定義の説明以外にも何か、読者にとって興味深いであろう点について解説、記述をする。
既存の記事からリンクするのが望ましい。
下調べがしてあればあるほどよい。
といったところでしょうか。Tomos 08:06 2003年6月22日 (UTC)

たしかに「施設」はあまりに一般的すぎる語ですが、赤リンクが消された項目(水道、公園、etc.)はみな百科事典にある項目です。リンク自体は必要ではないでしょうか。問題は赤リンクではなく、記事の内容ではないでしょうか? るがこむ 12:22 2003年6月23日 (UTC)

水道、公園、の類は確かに記事として必要だと思いますし、書くことはたくさんあるでしょうね。ただ、赤リンクを削除する理由は、スタブができることに比べたらリンクがない(まともな記事が執筆されてからあちこちからリンクが張られる)方がいいのではないか、とことなのだろうと思います。個人的には「あまりに一般的すぎる語」でなければ赤リンクがあった方がいいように思いますが。(後からリンクに置き換えるのが面倒そうな気がするので)Tomos 16:03 2003年6月23日 (UTC)

施設=児童福祉施設?[編集]

「施設」単独で「しばしば児童福祉施設を指す」ようには思えないので、この部分の記述を消したいのですが、いかがでしょうか。―sketch/ 2005年11月14日 (月) 15:23 (UTC)[返信]

児童限定ではないですが、「老人」「授産」など福祉施設を省略したものとして「施設」という言葉が単独で使われることはあると思います。--+- 2007年4月12日 (木) 20:48 (UTC)[返信]

少々しんどい[編集]

百科事典は意味と概念を伝えるためにあるので何を伝えるのかがないと しんどいです。 目的や意味がないと。ウィキペディアの実験につきあうには少々しんどいです。他のページも同様ですが 道路について少し書きました--Kubuki 2007年6月27日 (水) 09:32 (UTC)[返信]