ノート:新村出

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「一説に父は徳川慶喜母は新村信」という一文をコメントアウトしました。少なくともこれは要出典だと思います。―sketch/ 2007年2月23日 (金) 10:16 (UTC)[返信]

「大辞林」の初版で「新村出」を引くと?[編集]

平成元年3月発行の第8刷からは、最後に<編「広辞苑」>と入っていますが、第7刷までは入っていません。元読売新聞記者の石山茂利夫さんの「国語辞書事件簿」(2004年・草思社)に、その理由が紹介されています。 それによると、編者の松村明さんが、執筆者の原稿にあったものをあえて削ったのだそうです。 「『広辞苑』など辞書の編者の仕事を、新村先生の業績の一つとして『東方言語史叢考』や『東亜語源志』などのご研究と並べるのは、どうかと思ったんですよ。ご自身があまりかかわっていなかったようでもありますし(松村さん)」。 一方、当時編集長だった倉島節尚(くらしまときひさ)さんも、ゲラ刷りの段階で気づきましたが、これでいいと思ったそうです。しかし刊行早々、「載っていないのは何故か」と抗議がいくつかあり、松村さんと相談して増し刷りのとき入れたのだそうです。 「“『広辞苑』の名を載せたくないからだろう”なんてカン繰られるのもしゃくでしたから(倉島さん)」。 因みに倉島さんは、個人的には今でも入れる必要はないと考えているそうです。理由は、「彼の真価は辞書の編纂にあるとは思えないし、編者としての仕事も、実際には殆どしていないから」だそうです。