ノート:政教分離の歴史

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記事の内容整理の提案[編集]

(新たにセクションを作成--Susuka会話) 2017年3月4日 (土) 19:52 (UTC))

  • コメント わかりました。では、現在の記事の記述のうちどこを残し、どこを転記させるか(その転記先はどこか)を、2001:268:C068:C188:9C30:F6C1:69A6:9A26さんに具体的に提案していただけないでしょうか。--Susuka会話) 2017年3月4日 (土) 19:13 (UTC)
基本的に日本は関わりないので削除します(すでに政教分離原則記事にほぼ同内容がありますので、転記の必要なし)。それと政教分離原則成立後の近現代については、政教分離原則それ自体に関わる現在の記述はすべて転記か削除。残りはブラッシュアップしてなんとかドイツ国制史上の政教分離が定まったと一般に理解される1803年まで記述をつなげるのが目標と思われます。--110.132.106.234 2017年3月4日 (土) 19:34 (UTC)(IPが変わりました。以上の発言は2001:268:C068:C188:9C30:F6C1:69A6:9A26のものです--2001:268:C068:C188:7467:B2EF:201B:67F7 2017年3月4日 (土) 19:57 (UTC))
ここまでの議論でご指摘の部分が2次3次の文献から確認でき、独自研究でないということはかなり明らかになっていますが、そうした議論を無視して独自研究であるとするぽてからさんの意見にはいまのところ全く文献的な根拠がありません。方針文書を適切に解釈されているとは思えませんが、ご自身の主張についてしっかりと文献で示すことが出来ますか?はっきり言うとぽてからさんの主張は以前詳しく申しましたように根拠がないことをいつも思いつきでおっしゃってごねていらっしゃるようにしか思えません。--2001:268:C068:C188:BDD6:6713:7688:2CE0 2017年3月5日 (日) 01:57 (UTC)
  • コメント 2次3次の文献から確認できたのは、やはり、現状、この記事は独自研究の状態でしかないってことですよね。中立的な観点を守って書かれればそれなりになる可能性はあるのに、これは絶対だ、と100%信じ込まれて、学説を学説として書かないなど書き方の問題も大きいんですよ。内容整理についてですが、まず、合意形成できそうな近現代の移動と、古代を中心とした無出典箇所の除去等、できるところから始めるほうが手っ取り早そうですね。現時点では完全に独自研究なんですけど、余計なところをそぎ取らないと議論がしにくいです。冒頭部からして、「政教分離の歴史(せいきょうぶんりのれきし)では、歴史学的知見に基づき、政治社会と宗教の関係性の歴史、とりわけヨーロッパの国家とキリスト教の関係史を中心に概観する」ってどう考えてもおかしいですよね。「ヨーロッパの国家とキリスト教の関係史を中心に」っていうか、キリスト教の教会と国家の関係性以外のことは不要じゃないんですか。だいたい、政教分離を論じる際に、教会成立以前のイエスやパウロの思想から記述する必要も全くないですし。まず、政教分離原則関連は移動、出典なしは除去、という内容整理を優先させて、残ったところをどうするかって議論にしませんか。そうすれば、政教分離の歴史#近代社会とキリスト教(1500年~1800年)宗教改革との重複でしかないことがわかりやすくなるでしょう。--ぽてから会話) 2017年3月5日 (日) 08:45 (UTC)
なんていうか全然わかってないですよね。まず独自研究の方針文書は信頼すべき文献からの記載を独自研究から明確に除外しており、認めております。そのうえで学説として書かない云々については、「政教分離の歴史(せいきょうぶんりのれきし)では、歴史学的知見に基づき、政治社会と宗教の関係性の歴史、とりわけヨーロッパの国家とキリスト教の関係史を中心に概観する」という記述が、要はここに書かれている内容は歴史学的な学説に基づいて歴史を述べるんですよという意味です(この日本語難しいでしょうか)。「政教分離を論じる際に、教会成立以前のイエスやパウロの思想から記述する必要も全くないですし。」についてはすでにぽてからさんの個人的感想でしかありません。要はぽてからさんの意見は一言で言うと「根拠はないけど、なんか独自研究だと思う」という個人的感想でしかなく、記事の発展に何ら資するものではないと思われます。さすがにここまで方針文書を恣意的に解釈されてしまうと、私としては呆れるしかないというところではあります。ほかでも類似の議論を展開していらっしゃるようですが、ご自覚なさっていらっしゃいますでしょうか。宗教改革との重複うんぬんとかについては文献的な裏付けも全く示されておらず、もはや何を言ってるのかわからないというのが私の述懐です(宗教改革が1800年まで続いていたと言いたい?以前はグレゴリウス改革を宗教改革に含めるというような別の奇抜な主張をしていらっしゃったと思いましたが、変わりました?)。--2001:268:C068:D7DE:30BD:B412:7D0D:9527 2017年3月5日 (日) 09:07 (UTC)

コメント 宗教改革が1800年まで続いていたとかいつ言いましたか? グレゴリウス改革宗教改革に含めるなど言った覚えはありませんね。そのあたりは基本的に、グレゴリウス改革と重複記事になってるだけで出典もあまりないので除去で良いだろうと思って言及してなかっただけです。まあ、出典なしは除去してから、内容の話をしましょう。今の状況ですと、この記事は独自研究で削除したほうがいいくらいなんですよね。「政教分離における歴史学的視座」なんて節名で加筆された時点で、内容もあわせて完全に独自研究なわけなんですよ。

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「政教分離における歴史学的視座」をいきなり持ってこられたことで、完全に「歴史学的視座」について教えるぞという内容になってしまってますよね。そうではなくて、このような学説がある、と学説を紹介(事実の提示)するのが、Wikipediaなんですよ。独自研究という概念を独自に解釈されているためだと思いますが、百科事典ではなく、教科書か学術レポートの一種になってしまってますよね。歴史学の課題レポートとして、この内容を提出されたら及第点を取られるくらいに良く書けているとは思うんですけど、百科事典的とは到底言えないという、この違い、わかっていただけませんかね? 「政教分離における歴史学的視座」などについては、編集対応によって百科事典的にできればいいんでしょうが、2001:268:C068:D7DE:30BD:B412:7D0D:9527さんが、独自研究ではなく中立的な観点に書き直すことができるかどうかにかかってますね。このままであれば、ケースEで削除依頼提出とするしかないでしょう。Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかも読まれてください。内容整理に関するコメントからズレてきてるみたいですが、まず、「政教分離原則関連は移動、出典なしは除去」をするだけで、わりとスリムになるんじゃないですかね。まずはじめに集中的に「政教分離原則関連は移動、出典なしは除去」を行うべき、ということについてコメントされてませんが、反対する理由はありませんでしょう?--ぽてから会話) 2017年3月5日 (日) 14:12 (UTC)

「完全に『歴史学的視座』について教えるぞという内容になってしまってますよね。」というのは率直によくわかりません。現在の記事はどちらかというと学説の提示のスタイルをとっているように思われます(なにせ冒頭で歴史学的であると断っています)。この点については非常に表現感覚的な議論で、だから独自研究だというのはやはり方針文書に依拠しているとは思えません。そもそも学説について「教える」ことも提示することですし、そうした営みにおいて学説は十分相対化されているわけですから「教える」スタイル?だから中立的でないというのはいまいち理解できません。中立的な観点は意見を意見があるという事実として記すということを推奨しており、教える形というのが具体的でないのでいまいちわかりませんが(方針文書の教えるというのは独自研究を提示するあるいは教科書的に記述するという意味だと思われます。ウィキブックスに教科書があったり、それに関連するウィキバーシティが独自研究の場だとされていることからもそれは明らかです)、通例「○○という学説に基づけば、××である」とか「○○という学説に基づいて××を記述する」というのは事実の提示として中立的な観点を満たしているように思われます。そしてこの記事はそうした事実を検証可能な、しかも学術的にも信頼性の高い文献で十分裏付けており、独自研究であるという主張はどうして成り立つのか全く説明されておりません。少なくとも記述方式において百科事典的でないという根拠は全く見いだせないように思われます。一方で出典うんぬんについてはそもそも私が議論と平行して記事の出典は確認しており、その点の脚注追加を求めていますが、いまだ議論で合意が出来ず(なぜこんなことも許してくれないのか謎です)、その感触から言えば本記事はかなり出典に忠実です。なので、作業としては出典の追加をおこなってから必要であれば分割を議論すべきと思われます。どちらにせよ記事内容の一部重複が一方の一方への統合につながるというようなぽてからさんの議論も方針文書に基づいておらず、ウィキペディアの現状とも異なるもの(宗教改革についての記述が宗教改革の記事だけにあるわけではない)ですから、いずれにせよどうしてそうなるのか私には全く理解できません(おそらくぽてからさんのいう重複は記事内容の競合をいうと思われる。この記事は宗教改革そのものを記述しているわけではなく、国家と教会の関係史の文脈で一面的に触れているに過ぎないので、宗教改革を別の言葉で置き換えて別記事にしているわけではなく、宗教改革記事と競合しているということにはならない)。--2001:268:C068:D7DE:D982:AD98:2525:2849 2017年3月5日 (日) 14:32 (UTC)
参考としてややスタイルは異なりますが、たとえば九州王朝説を挙げることが出来ます。九州王朝説記事では九州王朝説に従った歴史叙述がされていますが、これは同時代の大化の改新などの記事と内容的な重複がありますが、競合関係にはないため、九州王朝説での記述を大化の改新に統合しようという話にはなりません。こちらも同様に歴史学的な政教分離論での議論を扱いますから、内容的に重複しても直接それを部分で分割して別の記事に統合すべきとはならないでしょう。--2001:268:C068:D7DE:D982:AD98:2525:2849 2017年3月5日 (日) 14:49 (UTC)
九州王朝説は、冒頭部にも「現在、本説は、井上光貞、榎一雄、山尾幸久を始めとする複数の東洋史・日本史学者等から批判されており、主要な百科事典や邪馬台国論争史を著述した研究書[1]においては記載されていない[2]ことに留意する必要がある(後述)。」と記述があり、百科事典的な記事と言えるでしょうね。「政教分離における歴史学的視座」について言えば、誰による学説なのか、提唱者が書いていないのが一番まずいところなんですよ。Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」も読んでもらいたいんですが、「Aさんがこのように提唱した。BさんはAさんをこう評価した。CさんはAさんの理論を発展させてこう主張した。」などと、提唱者を書かない限り、「事実の提示」であるとは言えないんですよね。2001:268:C068:D7DE:D982:AD98:2525:2849さんは真実を書こうとされてますけど、それはWikipediaではやってはいけないことなんです。そこをご理解されて修正されれば、百科事典的な記事になる可能性はあります。百科事典的な内容であれば、en:Church and state in medieval Europeのように、「キリスト教の教会と国家」(ただし、ヨーロッパ限定)などとするのもありかもとは思ってます。まあ、それはおいおい、ということで、まず、「政教分離原則関連は移動、出典なしは除去」をしちゃっていいですよね? じゃないと、毎回、イエスから現代までを網羅して発言しない限り、宗教改革が1800年まで続いているとか、グレゴリウス改革宗教改革に含めると言ったことになったりして、議論がしにくいんで。「政教分離原則関連は移動、出典なしは除去」に反対される理由はありませんね?--ぽてから会話) 2017年3月5日 (日) 15:00 (UTC)
本記事のような記述方式が「事実の提示」に当たらないという解釈は一般的でないように思われます。そして今回の件に関して言えばベッケンフェルデ個人の意見ではなく、歴史学で共有されているもので、その典型としてベッケンフェルデの文献が取り上げられているだけですから、九州王朝説のような異端的な学説ではなく、歴史学界の共通理解であるという点で現状の提示の仕方に問題はないように思われます(そもそも明確に否定している人は管見の限りいない)。もちろんベッケンフェルデが提示した説を山田欣吾が発展させたという点については加筆可能です。次に編集としては政教分離原則関連のみ取り除くという点には賛成ですが、現状の記述の編集は出典の追加&加筆することを私は考えています。ので、ぽてからさんの提案に関わる点については政教分離原則に関わる日本の記述と近現代を除去することは十分想定しています。ほかの点についてはぽてからさんの方針理解と編集態度にいまいち信頼が持てないので、私のほうでやらせていただきたく思います(そもそもぽてからさんは文献も持っていないようですし、この点は私がやる以外不可能ですよね)。--2001:268:C068:D7DE:59A3:B42C:A90E:B96E 2017年3月5日 (日) 15:11 (UTC)
  • コメント 本項目に関しては、学界の定説が近年で変わってきているようですので、単純に学説を提示するだけでは一般の読者に「定説が近年変化しつつあること」はわかりにくいのではないでしょうか。例えば、宗教改革とグレゴリウス改革とに対する史学的な捉え方の変遷を記述したら、読者の便益になるでしょう。それから、「歴史的展開」の節は、その必要性は認めるにしても、少々分量が多すぎる(細かすぎる)ように思います。本項目の内容説明に関連がある幹の部分が枝葉で覆われてしまったら、これもやはり読者の理解の妨げになりかねません。--Susuka会話) 2017年3月5日 (日) 15:20 (UTC)
「政教分離における歴史学的視座」について言えば、まず、「ベッケンフェルデが提唱した。」と名前を出して書かなければなりませんね。「ベッケンフェルデが提示した説を山田欣吾がこのように発展させた」と、また、名前を出して書かなければなりません。今定説とされてるとしても、いつ評価が変わるかわからないものですよ。学説の提唱者の名前は必ず書くべきです。分量が多すぎて議論に差し障りも出てるんで、古代と近現代を中心に、移動と除去(「政教分離原則関連は移動、出典なしは除去」)をすすめるという内容整理については、どうですかね? 「この節は出典をつけるつもりだから、後回しにしてほしい」等要望は柔軟に聞くつもりですが。--ぽてから会話) 2017年3月5日 (日) 15:33 (UTC)
では、ベッケンフェルデうんぬんについては加筆対応で。「歴史的展開」節の分量の問題についてはあると思います。その点については個人的にはしきりなおしの提案で出典などをチェックし、ブラッシュアップ中にそぎ落とすか、ブラッシュアップ後に必要となれば分割と考えておりました。あと通説が近年変化しつつあるわけではなく、通説の細かい論点が非常に掘り下げられて、細かい歴史事実の解釈について細かく修正されているという感じです(具体的にはカロリング朝が理念的にも教会であったか。その時代における帝国と王国という類似概念との関係性はどうか)。それはたとえば歴史的展開や冒頭の各論解説部分で掘り下げるということを想定しています。いずれにせよ、ぽてからさんのいうようないきなり分割っていうのはちょっと理解できませんね。古代については議論に密接に関わるので、どうして除去になるのか正直わかりません。文献を読んでいればそうはなりませんから。ぽてからさんのノートの議論の進行のために記事を削除すべきって主張はさすがにおかしいと思いますね。--2001:268:C068:D7DE:59A3:B42C:A90E:B96E 2017年3月5日 (日) 15:41 (UTC)
  • コメント 現在、『グレゴリウス改革』はすでに記事として存在しているわけですよね。こちらに加筆するという形はとれないのでしょうか。--Susuka会話) 2017年3月6日 (月) 09:40 (UTC)
この記事の現状はグレゴリウス改革を専論にしているというよりは、広く西洋中世に存在したRespublica Christiana(「キリスト教国家」とか「キリスト教世界」と訳される)を扱っていますから、たとえば西ゴートの神権政治は歴史学的な政教分離論の中心課題に入りますが、これをグレゴリウス改革と結びつけるという話は聞いたことがないという問題があり、困難が予想されます。この記事はこの記事の体裁のまま、とりあえず適切な記事名への改名を優先させた方がよいように思われます。「政教分離」の言葉にひっかかりすぎて議論が全く進んでいません。改名を急がないとこの循環論争はいつまでも終わらない不安があります。--2001:268:C068:D264:DC8A:3373:B82D:AD26 2017年3月6日 (月) 15:14 (UTC)
  • 「歴史学的政教分離論」は既存の文献で学術語として確認できませんので、独自研究でしょう。それをいうなら「ドイツ国制史の視点から」というのが正確でしょう。
  • 「聖俗分離の歴史」ですが、「聖俗分離」の使用例はCiNiiでは存在しません。「聖俗分離」として事典に記載はありますか?インターネット検索では田中総一郎「聖俗の棲み分けとしての「政教分離プロセス」に関する考察 : イスラーム世界における新たな政教関係の構築に向けて」、また「聖俗分離原則」として政教分離原則の別の表記の例がありました[1]。これでは「政教分離」との棲み分けも曖昧ですし、Wikipedia:記事名の付け方の「曖昧でない - その記事の内容を曖昧さなく見分けるのに必要な程度に的確な名称であること」の観点、および「認知度が高い - 信頼できる情報源において最も一般的なもの」の方針からから、反対します
  • 事典類でも立項されており、ドイツ語版ウィキペディアでも記事として存在する「教会と国家」「キリスト教と国家」では合意できないのですか。
  • また、山田欣吾は「叙任権闘争期を通じて、聖と俗、教会と世俗の概念的・原理的分離がなしとげられることにより、今やキリスト教世界における宗教と政治、教会と国家の関係をどう定めるかというヨーロッパ的問題がはじめて本格的に提起された」(『教会から国家へ』p.15)とあり,この記載と他の事典とを総合判断すると、「キリスト教世界における宗教と政治」「キリスト教世界における教会と国家」なども適切でしょう。--121.107.209.16 2017年3月6日 (月) 16:25 (UTC)
まず記事名は現状の内容に即しておこなわれるべきであり、辞典類にあるものから選ぶべきという前提が間違っているように思われます。「教会と国家」「キリスト教と国家」「キリスト教世界における宗教と政治」「キリスト教世界における教会と国家」などはすべて歴史学的議論を前提にしている現状の内容に必ずしも適合していません。たとえば歴史学的理解と神学的理解ではキリスト教迫害史に対する見解は現状全く異なり、グレゴリウス改革についての評価も全く異なるのですが、その点について曖昧にすると記事内容を無際限に広げることになります(こうした議論に対し、ウィキペディアの方針に忠実であれば、両論併記することになると思われますが、この記事でそれをすると記事内容はかなり煩雑になることが予想されます)。「聖俗分離」という言葉は耳慣れない言葉であるという点については認めますが、「政教分離」という言葉が無用な誤解のもとになるために提案したものです。ちなみに聖俗分離の出典については「叙任権闘争期を通じて、聖と俗、教会と世俗の概念的・原理的分離がなしとげられることにより、今やキリスト教世界における宗教と政治、教会と国家の関係をどう定めるかというヨーロッパ的問題がはじめて本格的に提起された」という記載がその根拠であり、その点については了解できるものと思います。--2001:268:C068:D264:A49D:FFA6:F92D:DB35 2017年3月6日 (月) 17:03 (UTC)
「まず記事名は現状の内容に即しておこなわれるべき」とは自己愛もほどほどにしてください。問題だらけですよ。世俗化論が加筆されたからといって、それ以外の箇所が改善されたわけではありません。
Wikipedia:記事名の付け方では「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」、信頼できる情報源における慣例や認知度の高さ、最も一般的に使われているものが推奨され、「記事名を選ぶにあたっては、編集者の関心よりも読者の関心を、専門家よりも一般的な利用者の関心を重視してください。」と明記されています。「聖俗分離」と「政教分離」との区分も曖昧だし読者を混乱させますし、「聖俗分離」は一般的な用語ではなく特殊な表記ですから、「政教分離とは異なる聖俗分離」なんてどの書物にも書いてありません。2001IP氏が一人で思っているだけです。歴史学事典でも「聖俗分離」項はなく、「政教分離」として立項されています。
2001IP氏は歴史学事典の「キリスト教と国家」項について、「樺山紘一さんの記述はかなり典型的に歴史学的な政教分離論を記しているので、これを中心に整理するとわかりやすい」と発言しており、自分でも内容との適合を3月5日(日) に認めていたのに、わずか一日でまるで反対のことをいっています。これはさすがに訂正しませんか。
「辞典類にあるものから選ぶべきという前提が間違っている」といいますが、辞典と事典は違います。私は「辞典」といっていません。複数の研究者による編集会議を経て作られたも全16巻にもなる歴史学事典は日本の歴史学界の一般的な状況が伺えるもので、その立項状況を参照することが望ましいのはいうまでもないのですが、「間違っている」というのなら、自分独自の判断以外に、ウィキペディアの方針文書などで該当するものはありますか?
「聖俗分離の歴史」以外の記事名がないなら、改名提案の議論は終了すべきでしょう。問題箇所を改善する作業および分割議論に移行しましょう。--121.107.209.16 2017年3月8日 (水) 14:42 (UTC)
たとえば上の発言では「キリスト教と国家」項が「樺山紘一さんの記述はかなり典型的に歴史学的な政教分離論を記しているので、これを中心に整理するとわかりやすい」と発言したのは事実ですが、この発言が「キリスト教と国家」が記事名として適切であるという意味で亡いことは明らかです。こういうのを詭弁と言います。また政教分離と異なる聖俗分離があるなどとは言っておらず、あくまで「教会と国家の分離」の意味の政教分離(この用法での政教分離があることはご自身でも確認されていますよね?新カトリック大事典II、研究社 p.596-597)は政教分離原則と紛らわしいので、聖俗分離に置換すべきという議論です。政教分離と聖俗分離が別概念でなく場合によって置き換えられることは、[2]でご自身が確認されたのではなかったのですか?ともあれまず議論としては「教会と国家」という記事名が問題だということであり、聖俗分離が積極的に支持されるという議論ではありません。聖俗分離の歴史がダメなら、別に「教会と国家の分離の歴史」でいいんです。分離の方向性が示された方がよいのではないかという話をしているのですが、以前の議論ちゃんと確認していますか?--2001:268:C068:C235:2882:94D3:3DF6:D777 2017年3月8日 (水) 15:55 (UTC)
「キリスト教と国家」「教会と国家」という記事名が不適切な理由が分かりませんし、「聖俗分離」は「政教分離と聖俗分離が別概念でなく場合によって置き換えられる」からこそ、別記事にしてしまうと曖昧になるし記事名が重複してしまいます。「教会と国家の分離の歴史」は「聖俗分離の歴史」よりいいですが、2001IP氏が書きたいことは「政教一致から政教分離へ」の経緯であり、「教会と国家の一致と分離の歴史」ということですよね。「一致と分離の歴史」は内容で書けばよく、理解しにくいので、「教会と国家の歴史」はどうです?あるいは、「政教一致と政教分離の歴史 (ヨーロッパ)」でもいいかもしれません。--121.107.209.16 2017年3月11日 (土) 09:44 (UTC)

事典等の立項状況、および諸論文での言及状況の調査:分割提案の理由として[編集]

調査報告(121.107.209.16 2による)[編集]

文献調査のため議論に参加できませんでした。私の最近の発言より以降の議論を吟味していませんことを前提として、調査結果を報告します。従来私が主張していた分割や改名などの編集が必要であるということの裏付けがとれました。コメントは後述します。「政教分離の歴史」を分割するか、改名するかの議論に移る前に、既存の文献における一般的な傾向を確認すべきですし、ウィキペディアはそれらに準じるべきです。

百科事典等、研究諸論文における立項・言及状況 
出典 記載内容 「政教分離の歴史」の出典としての有意性。また適切な記事名
歴史学事典(全16巻)第11巻 宗教と学問,2004年、弘文堂、p.399-400。編集委員は樺山紘一尾形勇加藤友康川北稔岸本美緒黒田日出男佐藤次高南塚信吾山本博文 「政教分離」項(岩井淳)。信教の自由と不可分。16世紀の宗教改革以降に信教の自由が、18世紀後半のアメリカ独立時に政教分離が達成。
[歴史] 古代は政教未分離が多い。政教一致型には教会国家型(宗教が世俗領域に権威や権力を持つ。例としてヨーロッパの教会、シャリーアを奉じるイスラム世界)と、国家教会型(絶対主義期の国家教会、近代日本)がある。参照として「宗教改革」「信教の自由」「ピューリタニズム」 「政教一致」(イスラムについて解説)。
○ または「政教一致」
歴史学事典第12巻 王と国家、弘文堂、p.399-400. 「政教分離」項(渡辺昭子)。アメリカ、フランスの近代憲法について言及し、国家と教会(政治と宗教)が相互に干渉すべきではなく、それぞれ固有の領域であるという思想は、宗教改革以降のヨーロッパで広まった。神聖ローマ帝国ではアウクスブルクの和議によってルター派公認。ほか、領邦教会制(諸侯および都市ごとに宗派を選択する)、トランシルヴァニア議会、ポーランドのワルシャワ連盟協約、ロックの寛容論、ナントの勅令、イギリスのピューリタンに言及し、「寛容思想の普及、そしてアメリカ独立革命やフランス革命を契機として、19世紀になるとヨーロッパの国々が教会との関係の制度的再編にのりだす」と解説。参照として「英国教会」「キリスト教と国家」「国家宗教」「ジョン・ロック」「王(中世ヨーロッパ)」「王(東ヨーロッパ)」「王(近代西ヨーロッパ)」。 ○ または「国家と教会」「キリスト教と国家」
歴史学事典第12巻 王と国家 「キリスト教と国家」項(樺山紘一)。
1.キリスト教初期。391年の国教化、西ローマ帝国崩壊後、キリスト教と王権の関係は、ゲルマン部族諸国家に継承される。東西ゴート王国。
2.東ローマ帝国(ビザンツ)。皇帝教皇主義(カエサロパピスム)は後にロシア帝国が継承。16世紀教会改革以降のイングランド教会でも、その国王との間で実現したとみるのは可能。ただし、神政政治の純粋な形に移行はしていない。
3.ゲルマン諸国家。カール大帝。国王と教皇の関係。両権力は別種として二分されるわけでもなく、独自性を保持し続けた。「頂点としての皇帝と教皇の関係はもとより、地方権力と地方教会とのあいだでも、微妙な距離をたもちつつ、聖俗の権力は分離されたうえで、なおファジーな形で結合されもしている。」 教皇はテオクラシー(神政政治)を希求、国王は自国領教会の従属化を要請。14世紀以降のフランス国家教会制度、ガリカニスムが例。ガリカニスム原則は近世の絶対主義国家をへて、ナポレオンによる政教条約(コンコルダート)で公認の原則となる。
4.宗教改革。
5.近代社会に「国家と教会はそれぞれの領分を截然と分離」した(政教分離)。社会の世俗化現象は教会の介入を拒否。19世紀から20世紀にかけて、聖職者は、公務員に準じる地位となる。
6.このように、教会からの国家政治へと経緯がある。しかし、別の観点として、古代世界では国家権力は教会内紛争に介入。しかし、中世にかけて、異端問題は教義というよりも、政治問題であった。異端の監視や処遇は教会でなく、国家が実施した。
参照として「神政政治」「教会国家論(フランク王国の)」「教皇領国家」「皇帝教皇主義」「社会主義国家」「政教分離」「カール大帝」「イギリス国教会」
△ 「キリスト教と国家」
西洋中世史事典(H.R.ロイン) 東洋書林 「政教分離」の項目なし。事項索引にもなし。
西欧中世史事典II(ハンス・K・シュルツェ)五十嵐修他訳 「政教分離」の項目なし。「帝国」「皇帝権」「王権支配」として立項。事項索引にも「政教分離」なし。
ヨーロッパ中世史事典(A・ジェラール) 藤原書店 見出し項目にも事項索引にも「政教分離」なし。
 世界歴史大事典(全10巻)1956/1990 平凡社 「政教分離」の項目なし。「第三共和政」項目で政教分離法(1905年)に言及があるだけ。
世界歴史大事典(全22巻)1988 教育出版センター(梅棹忠夫、江上波夫監修) 「政教分離」の項目なし。事項索引にもなし。
新編西洋史辞典(平成5年、改訂増補)、京大西洋史辞典編纂会。 「政教分離」の項目あり。フランス革命、1801年の政教条約に言及。
新カトリック大事典II、研究社 p.596-597 「政教分離」の項目あり。伝統的には「教皇権と皇帝権」の関係の問題として議論されてきた。「教会の自由」や教会の権威の問題など。ゲラシウスI世は、世界が「教皇の権威」 (auctoritas) と「君主の権力」 (potestas) によって治められるとした(両剣論)。叙任権闘争を経て教皇権至上主義は頂点に達した。対立教皇時代を収拾するためのコンスタンツ公会議では投票が国別に行われた。14世紀前半のパドヴァのマルシリウスは、聖職者の権威を否定し、君主の政治的主権を主張。中世末期の教皇権の衰退、宗教改革、近代国家体制、フランス革命などによって世俗主義、良心と信教の自由が掲げられ、「反教会・反聖職者主義的」であった。現代、ヨアンネス23世回勅「マーテル・エト・マギストラ」「パーチェム・イン・テリス」、第2バチカン公会議の現代世界憲章に言及。
新カトリック大事典II、研究社 p.905 「国家教会」項。キリスト教社会における教会と国家の関係についての記事。広義では国家がキリスト教を唯一の正当な宗教として指定すること。狭義の通常の意味では、宗教改革期に成立し、絶対主義時代に頂点を極めた国家主導型の国家・教会関係。[歴史的概観]として、ローマ帝国、中世のシャルルマーニュやオットー朝、ザリエル朝、ビザンチンなどは「割愛して」「狭義のみ述べる」とし、フランスのフィリップ4世、シャルル7世、ドイツのルートヴィヒ4世で国家教会の先駆的な形態が形成されたが、宗教改革が決定的である。  「国家教会」
 宗教の事典(朝倉書店) 山折哲雄川村邦光, 市川裕, 大塚和夫, 奥山直司, 山中弘 (編),pp.862-864. 「政教分離・政教一致」項あり(中野毅)。政教一致には教会国家主義と国家教会主義があるとし、前者は神聖政治または神権政治(テオクラシー)、アウグスティヌスの普遍教会が、後者にはトマス・エラストス(1524-1583)やイングランド国教会がある。政教分離を最初に国制として取り入れたのはアメリカ合衆国と解説。 ○  または「政教一致」
Steven K. Green,The Separation of Church and State in the United States,OXford Reseach Encyclopedias. The Historical Antecedents of Church-State Separation節で、Augustine of Hippoの「神の国」と「地の国」に言及するが、1行程度。教会と国家の分離の画期は、宗教改革、啓蒙主義、ホイッグ党の活動(参考:ホイッグ史観)にある。カルヴァン、ルターについて5行程。英米ピューリタン、ロジャー・ウィリアムズ、ロックの寛容論、モンテスキュー、ジェファーソン、ジョン・トレンチャードとトマス・ゴードン、James Burgh、大覚醒などアメリカ建国期以降が主。
Encyclopedia of religion 「政教分離(Separation of church and state)」項はなく、「Church and State」「Politics and Religion」で立項 「教会と国家」「政治と宗教」
ブリタニカ国際大百科事典 「政教分離」項あり。アメリカ憲法に言及。
知恵蔵 「政教分離」項あり。国家と宗教とを分離させる憲法上の原則。信教の自由と表裏一体。欧米で生まれ、近代化と共に非キリスト教国にも浸透。
百科事典マイペディア 「政教分離」項あり。国家権力と宗教の分離。信教の自由の必要条件。未開社会,古代・中世社会では政治と宗教が一体となり宗教的権威によって支配が行われた。
世界大百科事典 「政教分離」項あり。「国家の非宗教性,宗教的中立性の要請,ないしその制度的現実化」。[歴史]として「ヨーロッパにおいて政教分離は歴史過程のなかで徐々に進行。聖職叙任権闘争,宗教戦争,フランス革命が画期。 」
日本大百科全書(ニッポニカ) 「政教分離」項あり。国家と宗教とを分離させる憲法上の原則。「中世および近世ヨーロッパにおいては、国家と教会、国権と教権が密接に結合していたため信教の自由が認められず、国教または公認の宗教以外は異端として刑罰を含む迫害を受けた。17、18世紀に宗教的寛容と国家の宗教的中立の制度がしだいにヨーロッパ社会に広まり、現代国家においては、政教分離は信教の自由の保障のための憲法原則として広く採用されることになった。」
英語版ウィキペディア「政教分離」 古代について書かれているが、一次資料を並べたもので、独自研究の疑いがある。「後期古代」でアウグスティヌス「神の国」、「中世」では皇帝教皇主義、教皇権について解説。以降、宗教改革、啓蒙時代、ジェファーソンがそれぞれ10行程で解説。「中世」については、Church and state in medieval Europe(中世ヨーロッパにおける教会と国家)記事へのリンクがされており、日本語版「政教分離の歴史」もこの記事へ言語間リンクされている。 「中世ヨーロッパにおける教会と国家」
ドイツ語版ウィキペディア 「政教分離(Trennung zwischen Religion und Staat)」記事 20世紀以降の解説。
ドイツ語版ウィキペディア「教会と国家」 啓蒙時代、フランス革命以降、教会の優位性が低落し、中立的法治国家について冒頭で解説したあと、「聖書における教会と国家」「カトリック神学における国家論」「プロテスタントにおける国家論」について解説。 「教会と国家」
CiNii「政教分離」検索 「政教分離」関連文献は731件。しかし、ほとんどがアメリカ、フランス、日本の近代の政教分離原則についてのもので、ヨーロッパ中世史の論文名で「政教分離」を使用した例は見つからなかった。
CiNii「皇帝権」検索 「皇帝権」関連文献は61件。ドイツ王権(皇帝権)とローマ法王権の関係、ビザンツ皇帝権、ロタール一世の皇帝権、教皇権と皇帝権などについての論文。しかし、論文キーワードで「政教分離」を使用した例は見つからなかった。
CiNii「教皇権」検索 「教皇権」関連文献は34件。論文キーワードで「政教分離」を使用した例は見つからなかった。
ゲオルク・シュトラック「教会「改革」から宗教「改革」へー盛期・後期中世における教皇権」史苑第75巻2号,pp.387-415. 「政教分離」不使用。
山田欣吾『教会から国家へ』 「比較国制史の視点から考察し、国家形成史を宗教的秩序の世俗化過程として構想」したもの。目次、事項索引に「政教分離」なし。「ヨーロッパでは、その長い歴史を通じて、政治ないし国家の「脱宗教化」、「世俗化」がなされ、宗教と政治の分離という原則が確立されるに至った」(p.1)。12−13世紀から18-19世紀にいたるヨーロッパの諸国家は「統一的・包括的な権力構成体」として成立したが、ベッケンフェルデは「世俗化」過程を重視した(p.1-2)。「ヨーロッパの政治秩序の世俗化過程には、巨視的に見て、二つの大きな画期」があるとし、第一の画期は11世紀後半から12世紀にかけての叙任権闘争期、第二の画期は16、17世紀の宗教改革と宗教戦争である、「本稿では、後に、世俗化の第一段階としての叙任権闘争期」を考察するが、その前に、「ヨーロッパの世俗化過程の行き着く先を示唆しておく意味で、第二段階の問題についても、ごく常識的な諸点を述べておきたい」(p.2-3) 本文で「政教分離」という語句は使用されていない。  △ または☓  「世俗化」「宗教と国家」「キリスト教と国家」
山田欣吾「西洋文明史の片隅から」(橋問叢書 第59号) 叙任権闘争やグレゴリウス改革のときに初めて、宗教に支えられた政治秩序が世俗化し、近世初めの宗教改革で加速。この動きの終点が、政教分離、つまり「どの信仰を持っている者でも市民的・政治的な権利は持つことができる、新教の立場にある者でも、旧教の立場にある者でも、政治的な権利を持つことができる、こういう原則が確立するのは三十年戦争を経て、一応の終点はやはりフランス革命に至る」。「ヨーロッパは政治と宗教との分離というものを世界の中で初めて自覚的に達成した地域」と述べている。 ○(ただし著書の代表的著作ではない)
五十嵐修『王国・教会・帝国―カール大帝期の王権と国家』 論文概要書および論文審査報告書では、カールの戴冠、国家と教会の関係、王国と帝国との関係、皇帝権、教皇権、世俗権力、国制史について触れられているが、「政教分離」という用語は使用されていない。なお、目次でも「政教分離」は使用されていない。(巻末事項索引は未確認)
世界歴史体系 ドイツ史I  山田欣吾も執筆。しかし、索引項目になし。
第二章「フランク時代」(渡部治雄)ではメロヴィング朝フランク王国、第3章「ザクセン朝」(山田欣吾)ではオットー1世と皇帝権の獲得、王国支配の集権化と王国教会の体制化について、第4章は「叙任権闘争」(山田欣吾)、5.6章は「シュタウフェン朝」、第7章「ドイツ王国の国制変化」で国王=皇帝選挙と教皇権、カール4世などについて解説。
 世界の歴史10 西ヨーロッパの形成、佐藤彰一, 池上俊一 カロリング朝、叙任権闘争も扱われるが、「政教分離」索引になし。
古谷圭一「イングランド市民革命とプロテスタント各教派の成立」キリスト教と文化 : 関東学院大学キリスト教と文化研究所所報14,2016.pp.33-45. エキュメニズムからの研究。イングランド市民革命による宗教的迫害から「教権から切り離された人々の万人祭司主義の徹底化による会衆主義、教権の政治的かかわりを禁じる政教分離主義に突き進んだ」と解説。 ○、または「会衆制」「教会政治史
柳原 邦光「アメリカとフランスの市民宗教論の比較」地域学論集5巻3号、鳥取大学地域学部地域文化学科,2009,p227-251. 論文キーワード「政教分離」あり。 ○、または「市民宗教」
豊川 慎「リベラル・デモクラシーにおける政治認識とキリスト教民主主義の政治思想序説」キリストと世界17 : 東京基督教大学紀要,2007年 論文キーワード「政教分離」あり。
久保田泰夫「ロージャー ・ウィリアムズと教会と国家」東京工芸大学芸術学部紀要 4, 85-98, 1998 ウィリアムズの政教分離論 ○、またはロジャー・ウィリアムズ
中山勉「ロジャー・ウィリアムズ研究― 政教分離論の虚実と代表的著作に見られる神学思想 」(東京大学) 「政教分離とは信教の自由のための制度的保障であり、単に政治と宗教が別次元で活動しているという状況、ないしはその主張を指すものではない」「「中世でも政教分離はなされていた」式の議論は、この制度的保障としての政教分離の意義をトータルに見誤っている。た だ単に政治と宗教の管轄が違うだけでなく(そんなものなら古代にもあった)、それが(特定宗教だけでなく)あらゆる宗教の信教の自由を目的にしているか否かが、政教分離が存在しているかどうかの判断基準である」(p.213)
森本あんり『アメリカ的理念の身体― 寛容と良心・政教分離・信教の自由をめぐる歴史的実験の軌跡』(創文社) 一章「中世的寛容論から見た初期アメリカ社会の政治と宗教」で中世寛容論に言及。ただし、近世近代アメリカにおける政教分離が主たる考察対象。前史としての言及。

コメント 2001IP氏はいわゆる「政教分離」については「政教分離原則」で、「政教分離の歴史」は「歴史学的な」内容にすべきであると繰り返し主張されています。しかし、各種文献を調査しましたところ、2001IP氏の主張は牽強付会、つまり自分の都合のいいように強引に理屈をこじつけることであると結論を出さざるをえませんでした。2001IP氏は「歴史学における政教分離」という改名を提案されていますが、Wikipedia:記事名の付け方における「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」ではないし、また「政教分離」は2001IP氏が主張するような意味に限定される使い方をされていません。日本の歴史学の集大成ともいえる事典である『歴史学事典(全16巻)』では「政教分離」は二種類の項目があり、一つは宗教改革とアメリカ独立によって近代の政教分離が実現とし、古代の政教一致と対比しています。二つ目では、アメリカ、フランスの近代憲法、国家と教会(政治と宗教)が相互に干渉すべきではなくそれぞれ固有の領域であるという思想は、宗教改革以降に広まったとして、神聖ローマ帝国のアウクスブルクの和議(1555年)等に言及しています。要するに『歴史学事典(全16巻)』では「政教分離」は宗教改革、フランス革命、アメリカ独立における経緯が解説されています。また、2001IP氏が主張される記事内容は、同事典であれば「キリスト教と国家」で立項されているといってよいでしょう。この他、新編西洋史辞典では「政教分離」項でフランス革命、1801年の政教条約と近代以降を解説。中世史事典各種には、見出し項目としても、また事項総索引にも「政教分離」はありませんでした。

新カトリック大事典での内容は、「教皇権と皇帝権」、ゲラシウスI世両剣論、叙任権闘争、パドヴァのマルシリウスなども解説し、また、宗教の事典(朝倉書店) では「政教分離・政教一致」として立項されていました。2001IP氏の主張の根拠としてはこの二つの事典は有用でしょう。

しかし、これらを解説するにしても、Wikipedia:ページの分割と統合で「ページの分量が肥大化したため、読者にとって全体の見通しが悪く不便な場合、または、ページ中で特定の説明だけの分量が多く、明らかにバランスを失している場合」に該当する点からもやはり分割が検討されるべきです。

英語版ウィキペディア「政教分離」は一次資料を並べたもので、内容の状態はよくありません。しかし、アウグスティヌス、中世の皇帝教皇主義、教皇権について簡潔に解説したあと、宗教改革、啓蒙時代、ジェファーソンがそれぞれ10行程で解説されており、分量としては目安にはなります。そして、「中世」についてはChurch and state in medieval Europe(中世ヨーロッパにおける教会と国家)記事へのリンクがされており、日本語版「政教分離の歴史」もこの記事へ言語間リンクされています。「中世ヨーロッパにおける教会と国家」を日本版でも新規に立項するほうがいいでしょう。

ドイツ語版ウィキペディアでは、 「政教分離」は20世紀以降のもの、「教会と国家」記事が啓蒙時代、フランス革命以降、教会の優位性が低落し、中立的法治国家について冒頭で解説したあと、「聖書における教会と国家」「カトリック神学における国家論」「プロテスタントにおける国家論」について解説しています。「教会と国家」を日本版でも新規に立項するほうがいいでしょう。

CiNii検索では、「政教分離」関連論文は731件でそのほとんどがアメリカ、フランス、日本の近代の政教分離原則についてのもので、ヨーロッパ中世史または2001IP氏のいう意味での「歴史学」の論文名で「政教分離」を使用した例は見つかりませんでした。


山田欣吾『教会から国家へ』は「比較国制史の視点から考察し、国家形成史を宗教的秩序の世俗化過程として構想」した書籍ですが、目次、事項索引に「政教分離」はなく、2001IP氏が引用した箇所は「政教分離」でなく、「宗教と政治の分離」という表記でした。また、すでに以前の議論でも新保論文でのベッケンフェルデ紹介と同じく、ベッケンフェルデの理論をヨーロッパにおける「世俗化」過程についてのものとして解説しており、「ヨーロッパの政治秩序の世俗化過程」の画期は叙任権闘争、宗教改革としてい解説しています。つまり、2001IP氏は、本来、ベッケンフェルデや山田の見解を歴史学的または文献的に厳密に、また誠実に紹介しようとするならば、「世俗化」とすべきところを、原文にはない「政教分離」をあるとし、牽強付会し、強引に解釈しています。もっとも、新保論文にもあるように、ベッケンフェルデが「政教分離」について触れているのは確かですが、それも終着点としての言及であって、ベッケンフェルデの歴史学的対象は、「政教分離」というよりも、「世俗化」という概念で構想されています。「政教分離とは、世俗化の言い換えにすぎない」と2001IP氏は言うかもしれませんが、実際の文献では「世俗化」という用語・概念が多用され、論文の題名にもなっているのに、「世俗化」でなく「政教分離」という語句に執着するのか、根拠が不明です。私は幾度も「世俗化」はどうかといっていましたが、何も理解していないくせにいうなと非難を繰り返すばかりでした。なお、山田欣吾は橋問叢書 第59号という同窓会冊子で「政教分離」といっていますが、これは代表的な論文でもなく、講演における質疑応答での回答におけるものでした。また、専門研究者向けではない一般書であるが、内容がかなり高度な『世界歴史体系 ドイツ史』は山田欣吾も執筆していますが、索引項目にも本文にも「政教分離」はありませんでした。

その他の文献は、私がこれまで述べてきたように、フランス革命、アメリカ独立以降のものですが、中山勉は「ロジャー・ウィリアムズ研究― 政教分離論の虚実と代表的著作に見られる神学思想 」(東京大学) では「政教分離論」が使用されていますが、「歴史学的」という曖昧な表記はされていません。政教分離の歴史において重要なロジャー・ウィリアムズについて書かれたこの論文を出典に、人権信教の自由、自由権、プロビデンス入植、千年王国論、そしてこの論文でも紹介されているティモシー・ホール『教会と国家の分離』(Hall, T. M., Separating Church and State, Urbana, University of Illinois Press, 1998.)をもとに合衆国憲法修正第1条とロック、ジェファーソン、マディソン、ウィリアムズの思想を、「政教分離の歴史」で執筆することに2001IP氏は反対はされないでしょう。しかしこれら関連する項目すべてを2001IP氏の手法で網羅したらどうなるでしょうか。中山は「人が学問的に真剣に彼(ロジャー・ウィリアムズ)の思想の中に(牽強付会の擬似物ではなく)「信教の自由」と「政教分離」を発見しようとするのなら、テクストの表意に囚 われることから注意深く逃げながら、以下の思考プロセスを踏まなければならない。この うちのひとつでも通過できなければ、そのスキームは失敗である。」とし、以下のプロセスをあげています(p.213)。

  • 「1、「信教の自由」とは人権であり、そうである以上、それを侵害する可能性を持つ公的主体(典型的には国家権力)が確立して初めてその保障云々を論じることができるが、ウ ィリアムズの場合はどうか。
  • 2、「政教分離」とは信教の自由のための制度的保障であり、単に政治と宗教が別次元で活動しているという状況、ないしはその主張を指すものではないが、ウィリアムズの場合 はどうか。
  • 3「信教の自由」も「政教分離」も、私的な価値関心を公的領域に持ち込まないという 立憲主義の前提を受け入れて初めて、その実現を論じることができるものだが、ウィリアの場合 はどうか。」これはウィリアムズに限らない重要なプロセスです。この2についての注釈で中山は、「本稿においては何度も強調してきたが、この点は重要である。「中世でも政教分離はなされていた」式の議論は、この制度的保障としての政教分離の意義をトータルに見誤っている。ただ単に政治と宗教の管轄が違うだけでなく(そんなものなら古代にもあった)、それが(特定宗教だけでなく)あらゆる宗教の信教の自由を目的にしているか否かが、政教分離が存在しているかどうかの判断基準である」。

この中山の基準は厳格なものですが、正しいでしょう。私が2001IP氏およびKanbun版に感じる疑義を学問的に明言されているものです。しかし、この中山規準を、この記事に直接導入することを私が提案しているわけではありません。新カトリック大事典を用いて両剣論から近代の政教分離への歴史を解説することに反対するわけではありません。しかし、分量の問題がありますし、記事全体のバランス、また、他に立項したほうがいいような場合は、検討されるべきでしょう。著しく分量が肥大化したものは独立させるべきです。

宗教改革」の分割にも反対していましたが、各種百科事典においては、「宗教改革」「政教分離」の両方の項目があり、つまり、それぞれ独立した記事として立項されています。「宗教改革」についても「政教分離の歴史」では解説があるべきですが、それは簡潔にまとめるべきで、詳細は「宗教改革」「宗教改革の歴史」で書くことが適切です。

以上、2001IP氏による「歴史学では定説・常識」との主張は、一般的な百科事典だけでなく、日本の歴史学界による歴史学事典においてさえも、裏付けがとれませんでした。それどころか、山田欣吾の書籍を確認しても、牽強付会と判断せざるをえませんでした。今後、どのように分割(または他のやり方)を進めていくのがいいでしょうか。この調査結果をもってしても、2001IP氏が従来の主張を繰り返す場合は、やはり投票などで決めるべきでしょうか。分割先としては、Wikipedia:記事名の付け方における「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」から、教会と国家が一番適切ではないでしょうか。「宗教改革」についての箇所は宗教改革宗教改革の歴史へなどへ分割することが適切でしょう。--121.107.209.16 2017年3月5日 (日) 15:45 (UTC)

まずは121.107.209.16さんの整理に感謝を。とりあえず一点だけ。「宗教と政治の分離」が「政教分離」でないというのは一般的理解とはいえない(そもそも歴史学的に国家の世俗化という言葉が政教分離を指すので)ので、この点だけ明確に修正をお願いします。また「ロジャー・ウィリアムズ研究― 政教分離論の虚実と代表的著作に見られる神学思想 」はアメリカ政教分離思想史の専論で、直接的に国家・教会関係を扱ったものではないので、これを中心的に扱うべきとは思われません。古谷以降の文献も基本的には外されるべきと思われます。--2001:268:C068:D7DE:59A3:B42C:A90E:B96E 2017年3月5日 (日) 15:56 (UTC)
個人的にはこのなかでは樺山紘一さんの記述はかなり典型的に歴史学的な政教分離論を記しているので、これを中心に整理するとわかりやすいと思われます。--2001:268:C068:D7DE:59A3:B42C:A90E:B96E 2017年3月5日 (日) 16:05 (UTC)
121.107.209.16さんの文献調査、多大なる労力に感謝申し上げます。121.107.209.16さんのご意見にほぼ同意いたします。明らかに、特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成になってるところについては、学説のところなどは修正されるということで、もし、最低限提唱者を書かれるなり適切に修正がされれば、「教会と国家」(ヨーロッパのキリスト教)などの記事名で残すのはありかなと思ってます。「そもそも歴史学的に国家の世俗化という言葉が政教分離を指す」などの意見が、そもそも、独自の考えもしくは論評もしくは特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成ですよね? そもそも、「政教分離」とは辞書的な意味で「宗教と政治の分離」ではなく、「教会と国家の分離(Separation of Church and State)」でしょう? アメリカ大統領の聖書への宣誓はご存じでしょうが、2001:268:C068:D7DE:59A3:B42C:A90E:B96Eさんは「宗教」と「教会」を混同させて論じてませんか?--ぽてから会話) 2017年3月5日 (日) 16:14 (UTC)

変更案(2001:268:C068:D7DE:59A3:B42C:A90E:B96Eによる)[編集]

政教分離の歴史の出典としての優位性については、本記事の趣旨に合わせて、国家と教会の関係に言及しているかに訂正。政教分離原則に関わると思われるものは△に変更。

百科事典等、研究諸論文における立項・言及状況 
出典 記載内容 「政教分離の歴史」の出典としての有意性。また適切な記事名 本記事の内容との関わり
歴史学事典(全16巻)第11巻 宗教と学問,2004年、弘文堂、p.399-400。編集委員は樺山紘一尾形勇加藤友康川北稔岸本美緒黒田日出男佐藤次高南塚信吾山本博文 「政教分離」項(岩井淳)。信教の自由と不可分。16世紀の宗教改革以降に信教の自由が、18世紀後半のアメリカ独立時に政教分離が達成。
[歴史] 古代は政教未分離が多い。政教一致型には教会国家型(宗教が世俗領域に権威や権力を持つ。例としてヨーロッパの教会、シャリーアを奉じるイスラム世界)と、国家教会型(絶対主義期の国家教会、近代日本)がある。参照として「宗教改革」「信教の自由」「ピューリタニズム」 「政教一致」(イスラムについて解説)。
○ または「政教一致」
歴史学事典第12巻 王と国家、弘文堂、p.399-400. 「政教分離」項(渡辺昭子)。アメリカ、フランスの近代憲法について言及し、国家と教会(政治と宗教)が相互に干渉すべきではなく、それぞれ固有の領域であるという思想は、宗教改革以降のヨーロッパで広まった。神聖ローマ帝国ではアウクスブルクの和議によってルター派公認。ほか、領邦教会制(諸侯および都市ごとに宗派を選択する)、トランシルヴァニア議会、ポーランドのワルシャワ連盟協約、ロックの寛容論、ナントの勅令、イギリスのピューリタンに言及し、「寛容思想の普及、そしてアメリカ独立革命やフランス革命を契機として、19世紀になるとヨーロッパの国々が教会との関係の制度的再編にのりだす」と解説。参照として「英国教会」「キリスト教と国家」「国家宗教」「ジョン・ロック」「王(中世ヨーロッパ)」「王(東ヨーロッパ)」「王(近代西ヨーロッパ)」。 ○ または「国家と教会」「キリスト教と国家」
歴史学事典第12巻 王と国家 「キリスト教と国家」項(樺山紘一)。
1.キリスト教初期。391年の国教化、西ローマ帝国崩壊後、キリスト教と王権の関係は、ゲルマン部族諸国家に継承される。東西ゴート王国。
2.東ローマ帝国(ビザンツ)。皇帝教皇主義(カエサロパピスム)は後にロシア帝国が継承。16世紀教会改革以降のイングランド教会でも、その国王との間で実現したとみるのは可能。ただし、神政政治の純粋な形に移行はしていない。
3.ゲルマン諸国家。カール大帝。国王と教皇の関係。両権力は別種として二分されるわけでもなく、独自性を保持し続けた。「頂点としての皇帝と教皇の関係はもとより、地方権力と地方教会とのあいだでも、微妙な距離をたもちつつ、聖俗の権力は分離されたうえで、なおファジーな形で結合されもしている。」 教皇はテオクラシー(神政政治)を希求、国王は自国領教会の従属化を要請。14世紀以降のフランス国家教会制度、ガリカニスムが例。ガリカニスム原則は近世の絶対主義国家をへて、ナポレオンによる政教条約(コンコルダート)で公認の原則となる。
4.宗教改革。
5.近代社会に「国家と教会はそれぞれの領分を截然と分離」した(政教分離)。社会の世俗化現象は教会の介入を拒否。19世紀から20世紀にかけて、聖職者は、公務員に準じる地位となる。
6.このように、教会からの国家政治へと経緯がある。しかし、別の観点として、古代世界では国家権力は教会内紛争に介入。しかし、中世にかけて、異端問題は教義というよりも、政治問題であった。異端の監視や処遇は教会でなく、国家が実施した。
参照として「神政政治」「教会国家論(フランク王国の)」「教皇領国家」「皇帝教皇主義」「社会主義国家」「政教分離」「カール大帝」「イギリス国教会」
○ 「キリスト教と国家」
西洋中世史事典(H.R.ロイン) 東洋書林 「政教分離」の項目なし。事項索引にもなし。
西欧中世史事典II(ハンス・K・シュルツェ)五十嵐修他訳 皇帝権、終末論的・黙示録的な帝国解釈(p.96)カロリング時代の皇帝権(p.133)以下
西欧中世史事典III(ハンス・K・シュルツェ)小倉欣一他訳 カロリング王権、国王塗油、神授王権と教会の官職観念(p.48)
ヨーロッパ中世史事典(A・ジェラール) 藤原書店 見出し項目にも事項索引にも「政教分離」なし。
 世界歴史大事典(全10巻)1956/1990 平凡社 「政教分離」の項目なし。「第三共和政」項目で政教分離法(1905年)に言及があるだけ。
世界歴史大事典(全22巻)1988 教育出版センター(梅棹忠夫、江上波夫監修) 「政教分離」の項目なし。事項索引にもなし。
新編西洋史辞典(平成5年、改訂増補)、京大西洋史辞典編纂会。 「政教分離」の項目あり。フランス革命、1801年の政教条約に言及。
新カトリック大事典II、研究社 p.596-597 「政教分離」の項目あり。伝統的には「教皇権と皇帝権」の関係の問題として議論されてきた。「教会の自由」や教会の権威の問題など。ゲラシウスI世は、世界が「教皇の権威」 (auctoritas) と「君主の権力」 (potestas) によって治められるとした(両剣論)。叙任権闘争を経て教皇権至上主義は頂点に達した。対立教皇時代を収拾するためのコンスタンツ公会議では投票が国別に行われた。14世紀前半のパドヴァのマルシリウスは、聖職者の権威を否定し、君主の政治的主権を主張。中世末期の教皇権の衰退、宗教改革、近代国家体制、フランス革命などによって世俗主義、良心と信教の自由が掲げられ、「反教会・反聖職者主義的」であった。現代、ヨアンネス23世回勅「マーテル・エト・マギストラ」「パーチェム・イン・テリス」、第2バチカン公会議の現代世界憲章に言及。
新カトリック大事典II、研究社 p.905 「国家教会」項。キリスト教社会における教会と国家の関係についての記事。広義では国家がキリスト教を唯一の正当な宗教として指定すること。狭義の通常の意味では、宗教改革期に成立し、絶対主義時代に頂点を極めた国家主導型の国家・教会関係。[歴史的概観]として、ローマ帝国、中世のシャルルマーニュやオットー朝、ザリエル朝、ビザンチンなどは「割愛して」「狭義のみ述べる」とし、フランスのフィリップ4世、シャルル7世、ドイツのルートヴィヒ4世で国家教会の先駆的な形態が形成されたが、宗教改革が決定的である。 ○ 「国家教会」
 宗教の事典(朝倉書店) 山折哲雄川村邦光, 市川裕, 大塚和夫, 奥山直司, 山中弘 (編),pp.862-864. 「政教分離・政教一致」項あり(中野毅)。政教一致には教会国家主義と国家教会主義があるとし、前者は神聖政治または神権政治(テオクラシー)、アウグスティヌスの普遍教会が、後者にはトマス・エラストス(1524-1583)やイングランド国教会がある。政教分離を最初に国制として取り入れたのはアメリカ合衆国と解説。 ○  または「政教一致」
Steven K. Green,The Separation of Church and State in the United States,OXford Reseach Encyclopedias. The Historical Antecedents of Church-State Separation節で、Augustine of Hippoの「神の国」と「地の国」に言及するが、1行程度。教会と国家の分離の画期は、宗教改革、啓蒙主義、ホイッグ党の活動(参考:ホイッグ史観)にある。カルヴァン、ルターについて5行程。英米ピューリタン、ロジャー・ウィリアムズ、ロックの寛容論、モンテスキュー、ジェファーソン、ジョン・トレンチャードとトマス・ゴードン、James Burgh、大覚醒などアメリカ建国期以降が主。
Encyclopedia of religion 「政教分離(Separation of church and state)」項はなく、「Church and State」「Politics and Religion」で立項 ○ 「教会と国家」「政治と宗教」
ブリタニカ国際大百科事典 「政教分離」項あり。アメリカ憲法に言及。
知恵蔵 「政教分離」項あり。国家と宗教とを分離させる憲法上の原則。信教の自由と表裏一体。欧米で生まれ、近代化と共に非キリスト教国にも浸透。
百科事典マイペディア 「政教分離」項あり。国家権力と宗教の分離。信教の自由の必要条件。未開社会,古代・中世社会では政治と宗教が一体となり宗教的権威によって支配が行われた。
世界大百科事典 「政教分離」項あり。「国家の非宗教性,宗教的中立性の要請,ないしその制度的現実化」。[歴史]として「ヨーロッパにおいて政教分離は歴史過程のなかで徐々に進行。聖職叙任権闘争,宗教戦争,フランス革命が画期。 」
日本大百科全書(ニッポニカ) 「政教分離」項あり。国家と宗教とを分離させる憲法上の原則。「中世および近世ヨーロッパにおいては、国家と教会、国権と教権が密接に結合していたため信教の自由が認められず、国教または公認の宗教以外は異端として刑罰を含む迫害を受けた。17、18世紀に宗教的寛容と国家の宗教的中立の制度がしだいにヨーロッパ社会に広まり、現代国家においては、政教分離は信教の自由の保障のための憲法原則として広く採用されることになった。」
英語版ウィキペディア「政教分離」 古代について書かれているが、一次資料を並べたもので、独自研究の疑いがある。「後期古代」でアウグスティヌス「神の国」、「中世」では皇帝教皇主義、教皇権について解説。以降、宗教改革、啓蒙時代、ジェファーソンがそれぞれ10行程で解説。「中世」については、Church and state in medieval Europe(中世ヨーロッパにおける教会と国家)記事へのリンクがされており、日本語版「政教分離の歴史」もこの記事へ言語間リンクされている。 ○ 「中世ヨーロッパにおける教会と国家」
ドイツ語版ウィキペディア 「政教分離(Trennung zwischen Religion und Staat)」記事 20世紀以降の解説。
ドイツ語版ウィキペディア「教会と国家」 啓蒙時代、フランス革命以降、教会の優位性が低落し、中立的法治国家について冒頭で解説したあと、「聖書における教会と国家」「カトリック神学における国家論」「プロテスタントにおける国家論」について解説。 ○「教会と国家」
CiNii「政教分離」検索 「政教分離」関連文献は731件。しかし、ほとんどがアメリカ、フランス、日本の近代の政教分離原則についてのもので、ヨーロッパ中世史の論文名で「政教分離」を使用した例は見つからなかった。
CiNii「皇帝権」検索 「皇帝権」関連文献は61件。ドイツ王権(皇帝権)とローマ法王権の関係、ビザンツ皇帝権、ロタール一世の皇帝権、教皇権と皇帝権などについての論文。しかし、論文キーワードで「政教分離」を使用した例は見つからなかった。
CiNii「教皇権」検索 「教皇権」関連文献は34件。論文キーワードで「政教分離」を使用した例は見つからなかった。
ゲオルク・シュトラック「教会「改革」から宗教「改革」へー盛期・後期中世における教皇権」史苑第75巻2号,pp.387-415. 「政教分離」不使用。 おそらく○? ?おそらく○
山田欣吾『教会から国家へ』 「比較国制史の視点から考察し、国家形成史を宗教的秩序の世俗化過程として構想」したもの。目次、事項索引に「政教分離」なし。「ヨーロッパでは、その長い歴史を通じて、政治ないし国家の「脱宗教化」、「世俗化」がなされ、宗教と政治の分離という原則が確立されるに至った」(p.1)。12−13世紀から18-19世紀にいたるヨーロッパの諸国家は「統一的・包括的な権力構成体」として成立したが、ベッケンフェルデは「世俗化」過程を重視した(p.1-2)。「ヨーロッパの政治秩序の世俗化過程には、巨視的に見て、二つの大きな画期」があるとし、第一の画期は11世紀後半から12世紀にかけての叙任権闘争期、第二の画期は16、17世紀の宗教改革と宗教戦争である、「本稿では、後に、世俗化の第一段階としての叙任権闘争期」を考察するが、その前に、「ヨーロッパの世俗化過程の行き着く先を示唆しておく意味で、第二段階の問題についても、ごく常識的な諸点を述べておきたい」(p.2-3) 本文で「政教分離」という語句は使用されていない。  ○  「世俗化」「宗教と国家」「キリスト教と国家」
山田欣吾「西洋文明史の片隅から」(橋問叢書 第59号) 叙任権闘争やグレゴリウス改革のときに初めて、宗教に支えられた政治秩序が世俗化し、近世初めの宗教改革で加速。この動きの終点が、政教分離、つまり「どの信仰を持っている者でも市民的・政治的な権利は持つことができる、新教の立場にある者でも、旧教の立場にある者でも、政治的な権利を持つことができる、こういう原則が確立するのは三十年戦争を経て、一応の終点はやはりフランス革命に至る」。「ヨーロッパは政治と宗教との分離というものを世界の中で初めて自覚的に達成した地域」と述べている。 ○(ただし著書の代表的著作ではない)
五十嵐修『王国・教会・帝国―カール大帝期の王権と国家』 論文概要書および論文審査報告書では、カールの戴冠、国家と教会の関係、王国と帝国との関係、皇帝権、教皇権、世俗権力、国制史について触れられているが、「政教分離」という用語は使用されていない。なお、目次でも「政教分離」は使用されていない。(巻末事項索引は未確認)山田欣吾の教会国家論に「我が国の中世史に大きな影響を与えた」と言及(p.7) ○ 「国家と教会の関係」
世界歴史体系 ドイツ史I  山田欣吾も執筆。しかし、索引項目になし。
第二章「フランク時代」(渡部治雄)ではメロヴィング朝フランク王国、第3章「ザクセン朝」(山田欣吾)ではオットー1世と皇帝権の獲得、王国支配の集権化と王国教会の体制化について、第4章は「叙任権闘争」(山田欣吾)、5.6章は「シュタウフェン朝」、第7章「ドイツ王国の国制変化」で国王=皇帝選挙と教皇権、カール4世などについて解説。「キリスト教帝国としてのカロリング帝国」(p.75)
○ 「国家と教会の関係」
 世界の歴史10 西ヨーロッパの形成、佐藤彰一, 池上俊一 カロリング朝、叙任権闘争も扱われるが、「政教分離」索引になし。
古谷圭一「イングランド市民革命とプロテスタント各教派の成立」キリスト教と文化 : 関東学院大学キリスト教と文化研究所所報14,2016.pp.33-45. エキュメニズムからの研究。イングランド市民革命による宗教的迫害から「教権から切り離された人々の万人祭司主義の徹底化による会衆主義、教権の政治的かかわりを禁じる政教分離主義に突き進んだ」と解説。 △、または「会衆制」「教会政治史 ?おそらく ☓
柳原 邦光「アメリカとフランスの市民宗教論の比較」地域学論集5巻3号、鳥取大学地域学部地域文化学科,2009,p227-251. 論文キーワード「政教分離」あり。 △、または「市民宗教」 ?おそらく ☓
豊川 慎「リベラル・デモクラシーにおける政治認識とキリスト教民主主義の政治思想序説」キリストと世界17 : 東京基督教大学紀要,2007年 論文キーワード「政教分離」あり。 ?おそらく ☓
久保田泰夫「ロージャー ・ウィリアムズと教会と国家」東京工芸大学芸術学部紀要 4, 85-98, 1998 ウィリアムズの政教分離論 △、またはロジャー・ウィリアムズ ?おそらく ☓
中山勉「ロジャー・ウィリアムズ研究― 政教分離論の虚実と代表的著作に見られる神学思想 」(東京大学) 「政教分離とは信教の自由のための制度的保障であり、単に政治と宗教が別次元で活動しているという状況、ないしはその主張を指すものではない」「「中世でも政教分離はなされていた」式の議論は、この制度的保障としての政教分離の意義をトータルに見誤っている。た だ単に政治と宗教の管轄が違うだけでなく(そんなものなら古代にもあった)、それが(特定宗教だけでなく)あらゆる宗教の信教の自由を目的にしているか否かが、政教分離が存在しているかどうかの判断基準である」(p.213)
森本あんり『アメリカ的理念の身体― 寛容と良心・政教分離・信教の自由をめぐる歴史的実験の軌跡』(創文社) 一章「中世的寛容論から見た初期アメリカ社会の政治と宗教」で中世寛容論に言及。ただし、近世近代アメリカにおける政教分離が主たる考察対象。前史としての言及。

121.107.209.16さんの整理を本記事の意味における政教分離で使われているかで修正。政教分離原則のものも直接的な関連性は薄いと思われるので△に修正しました。--2001:268:C068:D7DE:59A3:B42C:A90E:B96E 2017年3月5日 (日) 16:56 (UTC)

2001IP氏がいう「本記事の趣旨」それ自体が、問題になっていることをご理解ください。また、既存の事典等での立項状況を、無根拠な自説で無視しないでください。これまでの議論でのコメントを集計してもよいですが、複数の編集者がkanbun版に疑問を持っています。本記事は「政教分離の歴史」であり、いわゆる「政教分離」の歴史についての記事です。(日本語版では「政教分離原則」という記事名になっていますが、各種事典の立項状況からいって「政教分離」へと改名すべきでしょうが、これは現在の議論が終了してからにします。)
2001IP氏がいう「本記事の趣旨」とは、その記載内容からは、歴史学事典第12巻の「キリスト教と国家」項(樺山紘一)に準拠し、「キリスト教と国家」(または「教会と国家」)などの記事名が正当です。2001IP氏は「樺山紘一さんの記述はかなり典型的に歴史学的な政教分離論を記しているので、これを中心に整理するとわかりやすい」と発言されていますように、あなたが書きたい内容は理解できますが、それを「歴史学的な政教分離論」といってしまっては、Wikipedia:独自研究は載せない「既存の用語に新たな定義を与える」に該当してます。私の調査では、「歴史学的な政教分離論」という用例は、歴史学関係の文献でも発見できませんでした。Wikipedia方針では「もしあなたの考え方が多数派に属するのであれば、広く認められている参考文献を示してその観点を実証することは容易なはず」と書かれていますが、「歴史学的政教分離論」という学術用語は存在しますか?あるならば、そのように明記されている文献を提示してください。山田欣吾の本にも登場していません。まずは、このことを確認しないことには、議論が転倒したまま、先へ進みません。
「歴史学的政教分離論」という独自定義の用語は、2001IP氏の発明でしょうか、それがいかに曖昧で偽りであるかを明示する証拠として、2001IP氏による文献調査表の再編集があります。歴史学事典の「政教分離」記事が△として、有意性を疑問視されているのですが、冗談にしては場違いですし、全く意味不明の評価です。一方で、「政教分離」記事が立項されておらず、また全く本文でも使用されていない西欧中世史事典IIを○としています。この二点だけを例にとるだけで、2001IP氏の主張が文献的な根拠もなく、独自研究というほかない自説にこだわり続けていることが明らかです。だからこそ、各種事典の立項状況を無視するだけでなく、自分のお気に入りの、しかし本文で「政教分離」が一切言及していない本でも出典として有効であり、また、タイトルや本文でも「政教分離」という概念に有意に言及しているアメリカ史関連の文献を出典として無効とするような奇妙極まる評価が可能なのでしょう。Wikipediaの方針では「たとえ十分に出典が明記されていたとしても、その情報源を曲解して利用したり、その情報源によって直接的かつ明示的に支持されない観点を推し進めようとした場合には、あなたは独自研究を行っていることになります。」また「多くの場合、複数の確立した観点が一つの議題に関して存在しています。そのような場合、いかに良く調査・研究されていたとしても、単一の観点がその議題に関する権威となることはありません」「対立する観点との相対的な勢力差を正確に示す。そのトピックについて異なる観点を記載する際には、その相対的な勢力差が適切なレベルで反映されるよう記述してください。同等であるとの誤った印象を与えたり、特定の視点を不適切に重点的に記述することを避けてください」とあり、2001IP氏の編集と発言はこれらの方針に明確に違反しています。さらにWikipediaの方針では「複数の観点について、それらの利点を公正に示し、どれか特定の観点を採用するように要求したりしない記事は、読者を解放する効果があります。中立性は独断主義を倒すのです。これはウィキペディアで作業しているほとんど全ての人がよいことだと認めていることです」とされており、2001IP氏の主張は文献的根拠のない独断主義の典型といえるでしょう。
もし、2001IP氏がいう「歴史学的な政教分離論」が既存の文献で明示されていれば、挙げてください。その場合、「政教分離」という語句が正確に使用されていなくてはなりません。山田欣吾の本について、「『宗教と政治の分離』が「政教分離」でない」と私は言っていません。同書には事項索引にも本文にも「政教分離」という用語は使用されていない、「政教分離」でなく「宗教と政治の分離」という表記であったことを報告しました。通常の読書であれば、山田のいう「宗教と政治の分離」がいわゆる「政教分離」を意味することは理解できます。しかし、我々が議論しているのはウィキペディアの記事の編集です。山田欣吾『教会から国家へ』は、2001IP氏の主張する特殊な「政教分離論」の根拠とはならない、なぜなら

山田はその概念を同書で使用していないからです(「世俗化」概念を使用しています)。すなわち、2001IP氏は「政教分離」を独自に解釈し、自分の考えるままに膨大に執筆されていますが、その内容は、「教会と国家」などの記事で書かれるべきものです。2001IP氏が「歴史学的な政教分離論」の既存の文献での使用例を提示してくださいといいましたが、万が一そのような文献が存在したとしても、それ以外の事典類での立項状況や言及状況からいって、少数派の見解にとどまるので、記事全体の出典としては有意とはなりません。それから基本的な回答として、分割への賛否を表明してください。「この記事を今後どう整理していくか」の段階ではありません。2001IP氏の執筆した箇所は「教会と国家」、また「宗教改革」節は「宗教改革の歴史」へと分割提案しています。なお、分割する場合、中世の背景や前史は各種辞典に準じて簡潔にとどめるべきです。もう一点、2001IP氏は「記事がなくなる」とも発言されていましたが、自分の執筆したものが削除されるかもしれないという不安をお持ちなのでしょうか。その不安は無用ですよ。「教会と国家」記事で書けることは歴史学事典等、私の調査で明らかになっていますから。つまり、2001IP氏の執筆内容それ自体は独自研究ではない、しかし、その内容を他のもっと適切な記事でなく、「政教分離の歴史」に収載しようとするため、このような議論になっているのです。当初いっていたように2001IP氏が「教会と国家」に改名します、と承認したらこの議論もかなり早く解決するのです。--121.107.209.16 2017年3月6日 (月) 14:22 (UTC)

議論の整理(2001:268:C068:D264:DC8A:3373:B82D:AD26による)[編集]

まず、議論が錯綜しているので、整理します。ここまでで確認されたことは以下の2点です。

  1. 本記事の内容は独自研究ではない。
  2. 政教分離原則とは別個に歴史学的な議論がある。

少数派の見解だから(ちなみに五十嵐修を読めば、山田『教会から国家へ』の影響については明確に論じているので、少数派かはわかるはずだが)どうだとか方針文書に根拠のない議論を展開されていますが、まずは本記事が独自研究ではなく、ウィキペディアに記載される内容として問題ないことは明確に確認されたことは認めるべきです。内容の議論はその先にすべきであって、こうした合意をないがしろにして先に進めるべきではありません。これまでの議論の混乱も121.107.209.16さんが一つ一つの合意を大事にせずに次々議論を拡散させているために起こっていることをご理解ください。改名提案はすでに「聖俗分離の歴史」への改名という形で進んでおり(「国家と教会」ないし「教会と国家」の記事名がどうして問題があるかについてはすでにだいぶ前に議論済み)、分割提案はそもそもの根拠が上の2点の合意で失われるのでとりあえずは終了されるべきです(宗教改革節うんぬんについてもすでに議論したので繰り返しません)。--2001:268:C068:D264:DC8A:3373:B82D:AD26 2017年3月6日 (月) 15:07 (UTC)

記事名、節名が不適切であるということです。また、「歴史学的政教分離論」は既存の文献でそのような学術語は確認できませんので、独自研究といえます。改名に対応されるということならば、「政教分離の歴史」で現状の記載が存続しないことには合意されたとみて、#記事の内容整理の提案に参加します。--121.107.209.16 2017年3月6日 (月) 15:49 (UTC)
これ以上、勝手に合意をねつ造しようとしたり、方針文書の自己都合での解釈を強要したり、無用な議論を強要することをするような強引な行動を続けることは無益ですからおやめください。合意を一つ一つ大事にしていくというウィキペディアの推奨している議論過程を踏まえてください。私が「歴史学的政教分離論」が学術語であるなどとはこれっぽっちも言っていないのに、相手の言葉尻を捉えたような議論をするのはそろそろおやめください。これまでも印象操作や個人的感想の繰り返しなど、正常な議論形成を阻害することをなさっていますね。もはや正常な議論ができないというのであれば、コメント依頼などを出さざるを得ません。--110.132.106.234 2017年3月6日 (月) 16:02 (UTC)以上の発言は2001:268:C068:D264:DC8A:3373:B82D:AD26のものです。IPが変わったので明記します--2001:268:C068:D264:F1F4:E4CE:66D4:2B41 2017年3月6日 (月) 16:05 (UTC)
合意を捏造しているのはそちらでしょう。「方針文書の自己都合での解釈を強要」などというが、2001IP氏の行動が明確に方針違反することは具体的に指摘した通りです。「歴史学的政教分離論」が学術語でないなら、なぜそのような曖昧な造語を使うのでしょうか。現状の節でも「歴史学的視野」と書いていますが、この「歴史学」とは「ドイツ国制史系統の歴史学」という意味でしょう。そしてアメリカ史研究を出典としては使えないというのですから、議論にならないと思っているのは、私もそうですよ。なお、合意形成のためのコメント依頼はすでにしています。--121.107.209.16 2017年3月6日 (月) 16:23 (UTC)
合意のねつ造とは「『歴史学的政教分離論』は既存の文献でそのような学術語は確認できませんので、独自研究といえます。改名に対応されるということならば、『政教分離の歴史』で現状の記載が存続しないことには合意されたとみて」というような発言を指します。私が同様に121.107.209.16さんが勝手に合意したと言ったことはあったでしょうか。「現状の節でも『歴史学的視野』と書いていますが、この『歴史学』とは『ドイツ国制史系統の歴史学』という意味でしょう。」という発言についても、国制史的理解は持ち出しましたが、それがすべてであるとは全く言っておらず、政治思想史や法思想史や政治神学の議論なども提示しております(そもそもベッケンフェルデは政治思想史の立場で発言しています)が、それを確認せずにそうだこうだと決めつける議論が多すぎます。この決めつけ姿勢はどうもウィキペディアで一般的なのか、他の方にも見受けられますが、とくに121.107.209.16さんは著しい。「引用できないのは独自研究だからだ」みたいな決めつけもしていましたね。これまで印象操作や他者の発言の曲解、明らかな個人的感想の繰り返し、論点すり替えなど指摘してきたわけですが、反省せず、水掛論に持ち込もうというのならば、ここで展開されている121.107.209.16さんの行動全般にわたってコメント依頼を出さざるをえません。明らかに正常な議論を阻害しています。--2001:268:C068:D264:A49D:FFA6:F92D:DB35 2017年3月6日 (月) 16:35 (UTC)

あとアメリカ史うんぬんについてはおそらく中山勉「ロジャー・ウィリアムズ研究」を挙げていると思われるのですが、あれは従来アメリカの政教分離原則の基礎といわれてきたロジャー・ウィリアムズの思想は政教分離原則そのものとは直接的に関係ない伝統的な神学思想の議論でしたねっていう論文なんですけど、それが一般化されて政教分離原則やここでの歴史学的な教会国家関係の議論全体を見渡す権威のように持ち出されているので、明らかにおかしいという私の指摘ですけど、これがなぜ非難されることなのかむしろわからないです。中山勉自身はその論文の中でこの記事でいうような議論を「世俗化論」としたうえでこの論文はそういう議論とは交わらない(p.216)と明確に言っているんですけれども。--2001:268:C068:D264:2812:D0E8:66C:683F 2017年3月6日 (月) 17:56 (UTC)

独自研究問題は解決していないこと、アメリカ等近代史も掲載されるべきこと、記事の私有化について(121.107.209.16 2による)[編集]

1.まだ独自研究問題は解決していない

私が合意の捏造といったのは、2001IP氏の「本記事が独自研究ではなく、ウィキペディアに記載される内容として問題ないことは明確に確認されたことは認めるべきです。内容の議論はその先にすべきであって、こうした合意をないがしろにして先に進めるべきではありません。」という発言、および「一つ一つの合意を大事にせずに」についてです。「本記事が独自研究ではない」とは、記事全体についてではありません。まだまだ出典が明記されていない部分、記事の主題である政教分離の歴史と関連性が不明な部分は多数あります。そうした部分が改善されていない以上、「本記事が独自研究ではない」とはいえません。私が言ったのは、調査を通じて各種文献で古代中世への言及があったため古代中世の前史を書くことは確認できたということ、そして山田欣吾らの世俗化論もここに記載されることには反対しないということです。「決めつけ」といっても出典のない箇所は独自研究と疑われても仕方ないし、出典が提示されない箇所は削除の対象となります。「一つ一つの合意を大事にせずに」、何が合意されたのか。まだ改名も分割も合意されてないし、出典が提示されていない箇所は膨大に残されています。

2.アメリカ史

アメリカ史については中山論文だけではなく他の文献も提示しています。私は中山論文を「権威」にしていませんし、情報源の一つと認識していると前も言いました。中山の批判は、「中世でも政教分離あった」みたいな意見に対して学問的に厳格でなくてはならないという批判であり、世俗化論、ウィリアムズの従来の評価に対しても重要な批判をしており記載されるべきでしょう。つまり、 各種文献よりアメリカ史についても記載されるべきである。山田欣吾、ベッケンフェルデの記載は可能であるが、「政教分離」概念を使用していない文献を「私は内容としては政教分離にあたると思う」という主観的な判断で大々的に使用することには反対します。

また、「『ロジャー・ウィリアムズ研究― 政教分離論の虚実と代表的著作に見られる神学思想』はアメリカ政教分離思想史の専論で、直接的に国家・教会関係を扱ったものではないので、これを中心的に扱うべきとは思われません。古谷以降の文献も基本的には外されるべきと思われます。」とも発言されていますが、何をいっているんです?「アメリカ政教分離思想史」だから、「政教分離の歴史」の出典として有効です。「直接的に国家・教会関係を扱ったものではないので」というならば、「教会と国家」記事で書けばいいでしょう。「古谷以降の文献も基本的には外されるべき」とは、もう話にならないので、私の方からも利用者の行為についてのコメント依頼をするしかないかもしれませんね。

2.「政治思想史や法思想史や政治神学」の記載

「政治思想史や法思想史や政治神学」の記載については、情報源に「政教分離」が明記されていない場合は、無効です。他の適切な記事で記載してください。このような共同編集による議論が無意味で無用だと思うなら、自分で出版されるか、論文を発表すればいいではありませんか。学会にいるならば、なぜ発表しないんです?2001IP氏の「政教分離の歴史」が学会誌や大学紀要などで掲載されれば、出典として使えるのですよ。もっとも、分量や、他記事との掲載内容との関係の問題は残るでしょうから、議論が終了するわけではありません。

4.記事の私有化の典型例

この記事のほとんどを執筆したKanbun氏は[3]で「後ろがいらないってことであれば、そこを切ってとりあえず私の利用者ページにでも移して、適当に加筆しながら別の形での投稿を考えてもいいと思いますし(自サイトに移しちゃうかもしれませんが)。いまのところ、ときどき気づいたときに増補しているって感じなので、それほど執着があるって記事でもないですから、そこらへんは忌憚無く「こうしたらいいんじゃない?」って言葉をかけてくだされば。」と発言されていました。2001IP氏のこれまでの発言からKanbun氏と同一人物の可能性が強いですが、現在は執着しているということでしょうか。過去にKanbun氏は大項目主義派であると宣言するなどし、読者にとって全体の見通しが悪く不便であること、明らかにバランスを失しているという他人の指摘を聞こうとしません。2001IP氏はKanbun版を守ろうとしているわけですが、これらは記事の私有化に該当する行為です。Wikipedia:記事の所有権での「記事を荒らしから守っているつもりで、あらゆる変更に対して敵意をもって対応する編集者」「中立性という方針の重要性を十分に理解できずに、自分自身の特定の観点を推し進めようとする編集者」、また発言例に「あなたには、この記事を編集するにふさわしい資質があるといえるのでしょうか?」「この記事を見た限り、問題はまったくないと思います、この記事を変更する必要は全くありません」とありますが、2001IP氏はこれに該当する典型例といえるでしょう。--121.107.209.16 2017年3月8日 (水) 15:03 (UTC)

  • 「政教分離の歴史において重要なロジャー・ウィリアムズについて書かれたこの論文を出典に、人権信教の自由、自由権、プロビデンス入植、千年王国論、そしてこの論文でも紹介されているティモシー・ホール『教会と国家の分離』(Hall, T. M., Separating Church and State, Urbana, University of Illinois Press, 1998.)をもとに合衆国憲法修正第1条とロック、ジェファーソン、マディソン、ウィリアムズの思想を、『政教分離の歴史』で執筆することに2001IP氏は反対はされないでしょう。」という面白い発言を覚えていらっしゃいますでしょうか。それ以前に井上修一論文を持ち出したときにも指摘しましたが、明白な論文の誤読をしておりますね。まず121.107.209.16さんはご自身に都合のよい記述を、論文の本来の趣旨とは異なる意味で勝手に切り取って使うことをおやめください。これまでの議論はずっとこの調子であり、他人の発言を正確にフォローすることさえできておりません。さすがにこれ以上問題のある行動を放置するわけにもいきません。正直ここまで全く正常な議論になっていないからです。
  1. とくに明確に問題だと思われるのが「私がこの記事を書いたから私物化したい」というような意味不明で印象操作を目的としているとしか思えない発言です。私がこの記事の議論に参加したのは不適切な分割を差し戻したことが直接の原因であり、少なくともそれ以前に積極的に編集に関わった事実はないのですが、私が「この記事を私物化している」と印象づけるために繰り返し「私が記事の記述の改変を拒んでいる」ような主張をなさっています。しかしながら、私は近代以降や日本の政教分離などについてはむしろ分割を推奨しております。この点は明確に事実に反することは以前お伝えしましたが、いまだに無視し続けています。相当に思い込みが激しいのか、こちらが言ってもいないこと・明らかに事実と異なると思われることをいちいちおっしゃるので、訂正するのも煩わしいです。全体的に決めつけが多いのもどうも思い込みの激しさゆえと思われます。
  2. 次に記事に参考文献が挙げられているにもかかわらず、それを直接的に参考とせずになぜか関連性のない文献を挙げて議論を進めています。何度もこのような議論の仕方の不適切性を指摘していますが、一向にその態度を改めようとしておりません。しかもご自身の提示されている論文の内容も理解されておらず、そもそもこの記事との関連性を121.107.209.16さんが認識できる能力があるとも思えません。
  3. 私が記事内容はおそらく歴史学的な議論を踏まえていることを指摘し、この記事が使用していない複数の文献を挙げて記事内容がおおむね妥当と思われること(その後121.107.209.16さん自身も新たにほかの文献によって記述の裏付けを見つけていらっしゃいますよね)、参考文献のいくつかに当たれば出典は確認できることをすでに提示しており、しかもご自身で確認されているにもかかわらず(当初は確認することさえ拒否していましたね)、いまだに独自研究だと言い続けていること。それも当初はこの記事の議論が文献で確認されればよいとしていたのが、次々態度を翻し、最近に至っては誰も主張していない「歴史学的政教分離論」の学術用語としての確認が必要であるなどという奇妙な主張に至っていること。
  4. 議論の途中で論点を追加すること。分割議論の最中に別件の独自研究議論を突然提示したり、明らかに方針文書に基づかない独自研究の論点を次々提示して議論を終わらせようとしない点は問題です。たとえば当初は出典が確認できればよいとしていたのが、参考文献が示されたとたん、情報の合成がおこなわれているという議論を追加し、しかし現状は明らかに情報の合成の定義に当たらないという見解を示すと、それを無視して「歴史学的政教分離論」という学術用語が見つけられないと独自研究だなどという意味不明な議論に転換する行為をおこなっています。しかしながら、そもそも本記事の「政教分離」という用語に混乱の原因があることとこの記事の内容が独自研究であることは直接的には関係しません。本記事の内容が文献で確認できるならば、検証可能性は満たされており、基本的には改名すればよいだけです。
  5. 人の発言のねつ造を行っていること。上記「歴史学的政教分離論」なる言葉を学術用語として私が提示したという根拠のない発言や、私が近代以後は別記事にすべきなどと主張したという一連の虚偽発言。これは明らかに問題行動であると思われます。
  6. 合意の強要。編集合戦中の保護依頼中にもかかわらず、一ヶ月以内に出典を書かなければ記述を消すといってタグ貼りをしたり、改名提案に同意することは記事を削除することを認めることであるという意味不明な論理を持ち出して、人が削除に合意したものと見なすというむちゃくちゃな議論を展開しています。これは端的に議論進行を著しく阻害するのみならず、ハラスメント行為です。
  7. 相手の文献は一般的でないと決めつけるのに対し、自分の文献はたとえ関係なくても信頼できる文献と強弁する不適切な態度。信頼できる文献は学術的な内容についてはその信頼性を学問的に認められているかどうかまで検討されるべきと明確に述べています。山田欣吾の教会国家論やベッケンフェルデの議論については研究文献において明確な言及がされており、その影響力は提示した文献を読めば確認できるにもかかわらず、なぜか独自研究だとするのに対し、とても主流とは思えない民事法関係の井上修一氏の文章やロジャー・ウィリアムに特化した中山勉氏の文章が、本記事の内容と直接ほとんど関わらないのに信頼されるべきものと主張されています。しかしながら、121.107.209.16さんはロジャー・ウィリアムが政教分離原則の成立に重要でないという論文をなぜかロジャー・ウィリアムの政教分離原則に決定的役割があったと読み違えているほか、井上修一論文についても本論はライシテの、それも公教育に関わる教科書的議論であるということさえ理解しているとは思えない。そもそも論文の内容についての理解ができていない点が散見されますが、それはそれらの論文を記事内容と関連づけるという一番大事な作業を怠っていることを伺わせ、結局自分に都合のよい記述をネット上から探してきているだけで、独自研究をしているだけと思われます。いわゆる「ググっただけ」の議論をしているようにしか思えません。121.107.209.16さんの主張は自身の提示した文献を読み取った物ではなく、都合のよい部分を切り取って使っているだけで、これはウィキペディアでいう情報の合成に当たり、明白に独自研究であります。
  8. また記事が「政教分離の歴史」としていることについては文献を示して、それが適切ではないにしても一定の理由があることが十分に推察されることはすでに確認されています。記事名が適切ではないからと言って独自研究になるという121.107.209.16さんの主張はウィキペディアの方針文書に根拠がなく、ウィキペディアの方針に基づけばただ単に記事を適切な記事名に改名すればよいだけです。

ちなみに中山勉さんはなぜかウィキペディアでは政教分離論の権威らしく、121.107.209.16さんだけでなく大和屋敷さんもこのあまり著名とは思われない論文を大変有り難がっておりましたことをよく覚えております。政教分離の議論でもロックなどに比べてかなり特殊なロジャー・ウィリアムズについてなぜこんなに大きな関心を持っていられるのかわかりませんが、それなら論文の内容くらいちゃんと読んだらどうですか。--2001:268:C068:C235:2882:94D3:3DF6:D777 2017年3月8日 (水) 15:39 (UTC)

「正常な議論になっていない」原因を私にのみ押し付けるとは奇怪ですね。自分の対応が完璧だとお考えですか?議論はお互いのやり取りによって形成されるものです。不手際はお互いにあるでしょう。
近代以降や日本の政教分離の分割を提案するなら、ちゃんと分割提案の手続きをとって、別個に節を立ててください。しかし、いまは近代以前の記載についての分割または改名提案をしているのですから、議論が拡散します。しかし、明確に回答した方がいいでしょうからいいますが、近代以降の分割には反対します。各種事典論文の研究の一般的傾向から「政教分離」の歴史は、近代以降がメインになるべきなのは私の調査の通りで、各種事典論文など歴史学、宗教学、地域研究、法制史などの分野における政教分離について「近代以降」はメインで扱われており、宗教改革以前の前史、例えば両剣論については一行程度で扱われる程度です。なお、両剣論という記事は私が立項したものですが、一年前の分割作業の際に新規立項する方が適切であると考えたため、作りました。この記事の記載も一部転載させてもらい、活用しています。両剣論記事ができたことによって、詳細は両剣論記事で書き、この記事では簡単な紹介で済ませることが可能になります。各種事典・百科事典でも、各記事がある場合は、それぞれに適切な解説をすることが一般的です。その場合、ある程度の重複も一般的です。
近代以降や日本の政教分離について加筆でなく、「分割」を提案される理由も分かりません。近代の前史が分量のバランスが過剰なことが問題になっているのに、近代移行について加筆を許さないような言い方をしている(「「ロジャー・ウィリアムズ研究― 政教分離論の虚実と代表的著作に見られる神学思想 」はアメリカ政教分離思想史の専論で、直接的に国家・教会関係を扱ったものではないので、これを中心的に扱うべきとは思われません。古谷以降の文献も基本的には外されるべき」などの無根拠で意味不明の発言)から、「新たに加筆する場合は、分割し、そちらに書くべきである」という意味のことをいっているようにしか思えません。従ってこれを「記事の私有化」といっています。そのことは私以外の方も同様の指摘をなさっています。「思い込みが激しい」のは2001IP氏でしょう、どう考えても。
  • 既存の文献で裏付けのとれない、執筆計画を述べる前に、あなたがやるべきことは、既存の記載について出典を明記することです。
  • そして、近代以降の加筆を受け入れることです。
  • その後、全体のバランスや他の記事の利用などを考慮し、各個別の記載について検討していく
こういう流れになるでしょう。
「記事に参考文献が挙げられているにもかかわらず、それを直接的に参考とせずになぜか関連性のない文献を挙げて議論を進めています。」といっていますが、記事の全てに参考文献が挙げられていません。また、出典があるからといって、原文に「政教分離」の語句が使われていないものは、この記事では原則として不可、です。他の記事をご利用ください。「関連性のない文献」とは、具体的に何の文献でしょうか、明示してください。
「議論の途中で論点を追加すること」ですが、そちらも話をすり替えたり、自分の都合にかなうことしか受け入れないじゃないですか。「独自研究の論点を次々提示し」などといっているが、最初からいっています。「議論を終わらせようとしない」のは、あなたが独自研究を指摘されているのに、山田欣吾ですべて解決みたいな短絡的な捉え方をして、誠実な対応をとらないからです。霊性、カロリング朝、ビザンチン、そして宗教改革前後について、山田欣吾の本にkanbun版の記載内容と構成すべてを山田欣吾とベッケンフェルデで足りると考えているなら、間違いですし、そんなこと書いていませんよね。
「本記事の内容が文献で確認できるならば、検証可能性は満たされており、基本的には改名すればよいだけです。」といいますが、記載内容全てに出典を明記してからいいましょう。
「編集合戦中の保護依頼中にもかかわらず、一ヶ月以内に出典を書かなければ記述を消すといってタグ貼りをしたり、改名提案に同意することは記事を削除することを認めることであるという意味不明な論理を持ち出して、人が削除に合意したものと見なすというむちゃくちゃな議論を展開しています。」、タグ剥しをしているのはどちらですか。他人から問題を指摘されているのだから、「問題じゃない」と自分の主観(思い込み)だけで反論するのでなく、ちゃんと出典を明記してください。タグ剥しは荒らし行為とみなされます。
「相手の文献は一般的でないと決めつけるのに対し、自分の文献はたとえ関係なくても信頼できる文献と強弁する不適切な態度」について。「政教分離」と明確にかかれているかは当然採用の規準となります。それどころか、あなたは既存事典での「政教分離」項目さえ、「自分が書いた内容と違うので、不可」というでしょう。それが、記事の私有化なのです。山田欣吾の権威は関係ありません。どの専門分野であれ、自費出版や同人誌ではない、大学紀要、書籍の論考は、「政教分離」について明示的に論じてあるものはすべて採用されるべきです。あなたの最大の問題は、「政教分離」について明示的に論じていない出典を自分独自の規準で採用するだけでなく、さらには「政教分離」について明示的に論じてある出典を採用すべきではない、という荒唐無稽な、ほとんど冗談のようなことばかり繰り返しています。
「結局自分に都合のよい記述をネット上から探してきているだけで、独自研究をしているだけと思われます。いわゆる「ググっただけ」の議論をしているようにしか思えません」、これは撤回し、謝罪をしてください。私の調査を侮辱しています。事典類は図書館や書店を回って、中には購入したものもあります。
何度もいうが、中山論文を「ウィキペディアでは政教分離論の権威」ではない。自分が特定の本を「権威」とするからといって、他人もそうしていると勘違いしないように。ロージャー・ウィリアムズについては、「1636年,北米ニ ュ ーイ ングランドの一隅に自ら創設したプロヴィデンスのタウ ン統治機関で ある 家長会議の権限を 「宗教を除く世俗の事項に」(“only in ciuillthings”〉限定したことによって, 政教分離と信仰の自由の保障とい う近代民主主義の基本原則の一つを17世紀の早い時期に現実の政治において実現したと評価されている(久保田泰夫「ロージャー・ウィリアムズの政教分離論 : 主著『信仰上の理由による迫害の血塗れの教義』(1644)を巡って」)。中山論文はさらにこうした評価を厳密に研究したものです。
コメントが書きづらいので小節にしました。--121.107.209.16 2017年3月11日 (土) 12:23 (UTC)
121.107.209.16さんの日本語理解能力に率直な疑問を表明いたしたく思います。論文の要旨さえも確認できないようですね。要旨に拠れば「本論文は、今日、政教分離・信教の自由論の開拓者という評価を享受するロジャー・ウィリアムズの著作を 17 世紀当時のコンテキストに置くことにより、彼の思想はそれらの概念とは異質であり、萌芽的とすら言い難いことを論証したものである。」というものであり、従来の「政教分離と信仰の自由の保障とい う近代民主主義の基本原則の一つを17世紀の早い時期に現実の政治において実現したと評価されている」という評価を明確に否定したものです。正直論文の読み方すらわからないのであれば、この記事の内容もこれっぽっちもわからないんじゃないですか?中山論文は結局何のために持ち出してきたのかいまだに謎です。井上修一論文もあれは結局なんだったんですか?記事内容と関係のない文献だってわかってらっしゃいますか?--2001:268:C068:D20D:2C1B:7BF5:53CA:BE5B 2017年3月11日 (土) 13:32 (UTC)
はっきり言ってしまえば、121.107.209.16さんは政教分離原則やロジャー・ウィリアムズ、この記事で書かれている歴史学的な議論、こうしたものすべてに元々興味も持っていないないし、勉強もしていないんです。ただ単に都合のよい記述をググった中から探し出してきているだけで、こういう中高生がやりがちな検索結果の無作為抽出をしているだけです。だからいつまでたっても議論がかみ合わないんです。少なくともこの分野で言及されないことが珍しい山田欣吾の教会国家論を知らない時点でかなり怪しいとは思っていましたが、ここまでの議論でもまともな文献は自力で挙げておらず、しかも関連文献を調べたと言いながら、肝心の記述箇所を見逃していたりします(おそらく索引しか見ていないのでしょう。ググっただけの人がやりがちなパターンです)。ここまでつきあってきましたが、こうした議論姿勢は明確に「信頼できる情報源」の方針と反しておりますので、さすがにこれ以上はお控えください。--2001:268:C068:D20D:2C1B:7BF5:53CA:BE5B 2017年3月11日 (土) 13:45 (UTC)
中山論文の趣旨は理解しています。しかし、ロジャー・ウィリアムズの評価について久保田論文のような評価もあるので、それを書き、次いで、その評価に対する中山による新たな評価(批判)も両方書くべきであるということです。「「信頼できる情報源」の方針と反して」いるとは、全く意味不明。反論のための反論のようなことは止めませんか。そして、私の質問に答えてください。近代以降について加筆してよいのですね?(確認せずとも、ちゃんと出典を明記して加筆してよけばいいのですがね。)--121.107.209.16 2017年3月11日 (土) 13:51 (UTC)
「信頼できる情報源」の方針をご存じですか?そこには「情報源は、専門分野外よりも専門分野内の方がより信頼できます。」と書かれていますね?この記事内容は歴史学的な国家と教会の分離の議論を踏まえていることが明らかになっており、政教分離原則に関わる歴史事象を扱っている記事ではないことは確認されたはずです。関連性を無視して、いまだに分野外の文献にこだわっているのは121.107.209.16さんです。こうした関連性の薄い記述は、そもそも121.107.209.16さんの当初の主張に拠れば、こちらに書かずにそれこそロジャー・ウィリアムズに加筆されてはいかがでしょうか。真っ先にこちらに加筆しようと思った理由が不明確です。近代以降についてはまだ記事名の改名もされておらず、それによって明確にならないと一概には言えませんが、現状は政教分離原則#歴史節にまず加筆なさるべきと思います(こちらは記事の趣旨が異なりますことはさすがに理解しておりますよね?)。--2001:268:C068:D20D:2C1B:7BF5:53CA:BE5B 2017年3月11日 (土) 14:04 (UTC)

現在、本文で出典が明記されていない箇所にタグ付けしていますが、驚くべきことに、半分以上が無出典です。世界の一体化記事もそうですが、長い記事で、参考文献だけずらりと挙げているわりには、脚注をさぼってエッセイで済ませるのはよくないです。--121.107.209.16 2017年3月11日 (土) 13:51 (UTC)

私がすべてではありませんが出典を確認したところ、現状の記述の大部分は脚注にて出典が追加できることは以前表明し、その追加の合意を求めましたが、拒否されたのは121.107.209.16さんです(こうした経緯を振り返れば、驚くべきことに、上の121.107.209.16さんの主張はほとんど印象操作です)。ここでこういう発言をなさっているということは脚注の追加を認めてくださるということでよろしいですね?--2001:268:C068:D20D:2C1B:7BF5:53CA:BE5B 2017年3月11日 (土) 13:56 (UTC)
脚注の追加を拒否したことはありません。捏造しないでください。出典の明記は歓迎すると一貫していっています。--121.107.209.16 2017年3月11日 (土) 14:00 (UTC)
了解しました。では出典を追加します。--2001:268:C068:D20D:2C1B:7BF5:53CA:BE5B 2017年3月11日 (土) 14:05 (UTC)

投票の提案[編集]

合意の強要などという発言が飛び出しています。議論は尽くしたと言えるでしょう。改名、分割について、案を整理し、多数決による投票により解決する段階に入ったんじゃないでしょうか。--ぽてから会話) 2017年3月8日 (水) 23:21 (UTC)

  • 賛成 同感です。このままなら、議論が堂々巡りするように思われます。IP氏お二人から同意が得られるなら、論点整理などを行っていただきたいですね。--Susuka会話) 2017年3月9日 (木) 17:01 (UTC)
  • 反対 そもそも何を調査投票するかが明確に提示されていないうえ、記事内容について多数決主義をとることはWikipediaの方針(WP:DEM)に明確に反しているように思われます(多数決による決定は検証可能性や中立な観点を直接的には満たしません)。出典に即した検証可能性の確認を第一に採用すべきで、多数決ではなく、合意と編集によって記事内容をブラッシュアップするのがつねに推奨されている解決方法と思います。--2001:268:C068:DCFF:D45E:80AE:1E05:4963 2017年3月9日 (木) 17:27 (UTC)
2001:268:C068:DCFF:D45E:80AE:1E05:4963さんは、実質、自分と異なる意見は一切認めない行動を取られてますので、記事の私有化を主張し論争の解決を拒否されていることになりますね? Wikipedia:論争の解決#ステップ3: 第三者を交えて議論するによる合意が出来ない場合、Wikipedia:論争の解決#ステップ4: 投票を行うことになりますが、Wikipediaのガイドラインによる解決方法を拒否されるということですね?--ぽてから会話) 2017年3月10日 (金) 00:54 (UTC)
調査投票を行う場合は方針に従えば、事前に何を投票の主題にするかなど基本的な事項について合意が必要です。そもそも投票自体がウィキペディアではあまり推奨される解決方法ではありませんが、それ以上にぽてからさんは調査投票の提案を適切に行っていません。そして「実質、自分と異なる意見は一切認めない行動を取られてますので、記事の私有化を主張し論争の解決を拒否されていることになりますね?」という決めつけがやっぱり出てくるのですが、このノートではこういう決めつけ行為が平然と行われているのは大いに問題です。はっきり言ってしまえば、このぽてからさんの発言は印象操作でしかありません。--2001:268:C068:DCFF:713D:B0F5:BFB8:C31D 2017年3月10日 (金) 02:13 (UTC)
  • 質問 では伺います。2001:268:C068:DCFF:713D:B0F5:BFB8:C31Dさんは、現状で対立を生んでいるこの案件について、よりよい成果を得るためにはどのような手法が期待されると思っておられますか?--Susuka会話) 2017年3月10日 (金) 02:16 (UTC)
私は当初から適切な記事名への改名により「政教分離」という用語に関わる問題は解決される(現状の分割議論はこの「政教分離」という用語を政教分離原則に強引に結びつけて主張されています)という点は明確に指摘しています(これに対する反論は現状全くないはずですが)。次に独自研究かどうかについてはすでに文献での確認と2次情報・3次情報の裏付けがされており、加筆によって歴史学的理解に基づく物であると明確化したことにより中立的な観点や特筆性の問題と合わせて解決されていること。残るは記事のブラッシュアップ(その過程で記事内の細かい独自研究問題は編集の進展によって解決されると思われます)と容量的な問題から世界の一体化のような分割を行う場合は文献情報の継承・細かい議論の拡散などの問題の危惧からブラッシュアップ後におこなわれるべきことを何度も言っております。--2001:268:C068:F936:B87D:2055:48DF:3EA0 2017年3月10日 (金) 02:54 (UTC)
コメント ぽてからさん、Susukaさん、私も投票には原則賛成ですが、いまの状態で投票しても、2001IP氏が納得されない場合(納得されない確率は100パーセントと思われます)、編集合戦になるだけのような気がします。また、2001IP氏をブロック依頼したとしても、管理者の方々の中には、議論に応じているので議論を続けるべきではないかという意見もあるかと思います。また、2001IP氏がブロックされた場合、この記事に非常な愛着を持たれているようですので、いずれはまた戻られるでしょう。ただ、「利用者の行為についてのコメント依頼」は検討してもいい段階には来ていると思います。ただ、一番いいのは、2001IP氏との合意形成です。私も急がないでじっくり2001IPさんとの合意を目指していこうと考えています。
2001IP氏へ。「世俗化過程」の加筆によって一部改善したのは確かですが、それ以外の記載についてはまだ確認がとれていません。しかし、ブラッシュアップには賛成します。ノートでの議論はまだ解決しそうにないので、平行してご自身のペースで構いませんので、加筆していってください。ただし、明確に「政教分離」との関連が書かれた情報源を出典に限定して欲しいです。たとえば、ビザンチンの歴史が「関連がある」という場合、「政教分離の歴史」に書くべきか、あるいはビザンティン・ハーモニーの方が適切であるか、検討してください。また、世界の一体化ですが、分割の先例としては参考にはなりますが、出典もこの記事よりも不十分で、記事の品質が高いわけではないです。--121.107.209.16 2017年3月11日 (土) 09:05 (UTC)

また知ったかぶりですか。なぜかビザンティン・ハーモニーとリンク付けされているので上のような見当外れの話をしているんでしょうが、ビザンティン・ハーモニーは正教神学上の概念で必ずしも歴史学では一般的ではなく、その使用は非常に慎重に行われています。そもそもこの記事の内容は比較国制史の対象としてビザンティン帝国を挙げているのであって、神学論の視点は記述されていませんから、ビザンティン・ハーモニーの議論とは関係がありません。--106.161.157.192 2017年3月11日 (土) 12:01 (UTC)(2001:268:C068:F936:B87D:2055:48DF:3EA0

だったら、「「ビザンティン・ハーモニー」も参照」を本文から削除すべきでしょう。「神学論の視点は記述されていません」といっているが、「神学論」を定義してください。その場合、独自の定義でなく、既存の事典や文献に書いていることで回答してください。--121.107.209.16 2017年3月11日 (土) 12:27 (UTC)
正直全く何を言ってるのかわかりません。まず「ビザンティン・ハーモニーも参照」とある件について私が付け加えたわけでもないし、そこらへんはブラッシュアップで取り除かれるべきですが、私が指摘しているのはビザンティン・ハーモニーが何たるかもわからずに「ビザンチンの歴史が『関連がある』という場合、『政教分離の歴史』に書くべきか、あるいはビザンティン・ハーモニーの方が適切であるか、検討してください。」というような発言を軽々にする121.107.209.16さんのいい加減な議論姿勢です(これまでもずっとこの繰り返しです)。そしてビザンティン・ハーモニーの定義はビザンティン・ハーモニーを見ればいいのであって、そこには神学政治学上の概念であると書いてあります。要はビザンティン・ハーモニーはどちらかといえばイデオロギー論の範疇に属するもので、この記事に書かれているのは国制史上の問題ですから、関連性はあるかもしれませんが、別個の問題です。それと私が記事に執着しているということをやたらと繰り返すのですが、ここまで来るともはや個人攻撃ですよね?事実に反することも指摘しており、なぜか別の利用者と同一視されているのですが、いい加減やめて頂けませんか。匿名性のあるウィキペディアで誹謗中傷が成り立つか微妙です(人格権が成立するか微妙)が、明らかに言いがかりですよ。私はこの記事の121.107.209.16さんのあまりにずさんな分割を差し戻しただけでこの記事に対する編集責任などは発生しているとは思えませんし、記事の中で私が今まで編集に関わった箇所はかなり限定的です。そして記事の私有化なんて議論は当初は全くなかったうえに、私が編集を拒否した事実がないにも関わらず(そもそも121.107.209.16さんの加筆やタグ貼りだって一切差し戻したりしてませんよね)、差し戻したことを記事の私有化とする最近の121.107.209.16さんの主張は記事内容をこえて、単なるレッテル貼りに終始しています。これは明らかに問題ですよ。--2001:268:C068:D20D:2C1B:7BF5:53CA:BE5B 2017年3月11日 (土) 13:17 (UTC)
2001IP氏が書いたのでないなら、関連性が不明なもの、出典のないものをどんどん消してください。そして、現状を保存する意向を述べる前に、改善してください。無駄な議論です。--121.107.209.16 2017年3月11日 (土) 13:44 (UTC)
以前私が出典が確認できた箇所だけは議論の間に脚注をつけると言ったら拒否した事実は棚に上げてこういうことをおっしゃるんだから困ったものです。ちなみに121.107.209.16さんも上で文献を調査したのならば、121.107.209.16さんが独自研究などと評していた記述の出典がそこにあったことは確認されていますよね?索引だけ調べただけで本文なんて読んでないでしょうから、いまだに独自研究だと思い込んでらっしゃるんでしょうけれども。ブラッシュアップはともかく、脚注の追加については認めて頂きたく思います。この期に及んで、まさか反対しはしないと思いますが、合意して頂けますか?--2001:268:C068:D20D:2C1B:7BF5:53CA:BE5B 2017年3月11日 (土) 13:51 (UTC)
「脚注をつけると言ったら拒否した」?私がいつ拒否しましたか?--121.107.209.16 2017年3月11日 (土) 13:59 (UTC)
別に拒否していないということであれば、問題ありません。以前提案したときは反対されましたので、念のため確認したまでと思って頂ければ結構です。--2001:268:C068:D20D:2C1B:7BF5:53CA:BE5B 2017年3月11日 (土) 14:11 (UTC)
「念のため」で、「脚注をつけると言ったら拒否した事実」というのですか?「以前提案したときは反対」とはどの発言のことですか。提示できなければ明らかに発言の捏造なので、謝罪してください。--121.107.209.16 2017年3月11日 (土) 15:30 (UTC)
謝罪を求められるということは、当然のことながらこれまでの121.107.209.16さんの私に対する個人攻撃とも思える印象操作、とくに記事の私有化を私が目的としているという主張についても明白に虚偽であることを認め、謝罪してくださるということでしょうか?私も適切な謝罪を示して頂けましたならば、相応の謝罪をすることにやぶさかではありませんが、いかがですか?ちなみに121.107.209.16さんに対する提案は「しきりなおし」節で二回おこなっており、両方ともに出典の追加を提案しております。しかし両方とも121.107.209.16さんは拒否されたわけですが、たとえば出典の追加をもし本当に121.107.209.16さんが賛成しているならば、出典の追加だけは認めるという意見を述べるのが当然と思われますが、結局のところそうした意見は見受けられず、私は編集合戦を恐れて出典の追加に踏み切れずにおりました。客観的に見て、文脈に即すれば出典の追加の容認はされなかったという事実確認ができるように思われますが、そうでないのならば私の誤解だったということでしょう。ちなみに拒否した事実を指摘しただけで、発言をねつ造しているわけではないので、この点については根本的な誤解があるように思われます。--2001:268:C068:D20D:2C1B:7BF5:53CA:BE5B 2017年3月11日 (土) 16:13 (UTC)
出典の追加は私にとっては大前提ですのでそれは誤解です。情報の合成や記事の私有化の話になったのは、「政教分離の歴史」という記事名における話であり、改名するならば話は変わります。--121.107.209.16 2017年3月11日 (土) 16:40 (UTC)
つまり他人には謝罪を求めるが、自分の行為について謝罪はしないということでしょうか?記事の改名によって過去の個人攻撃発言がなかったことになると?じつに素晴らしいバランス感覚をお持ちのようですね。--2001:268:C068:D20D:2C1B:7BF5:53CA:BE5B 2017年3月11日 (土) 17:06 (UTC)
  • 賛成 上の発言で述べた懸念はありますが、賛否表明はしておきます。投票には賛成。--121.107.209.16 2017年3月11日 (土) 12:29 (UTC)

報告 現状の賛否集計。

    • 賛成 - ぽてから、Susuka、121.107.209.16(敬称略)合計3名
    • 反対 - 2001:268:C068:F936:B87D:2055:48DF:3EA0  合計1名。--121.107.209.16 2017年3月11日 (土) 12:32 (UTC)

確認と提案[編集]

お二人に確認させてください。

  • まず、現在お二人がされている論争を、中立的な観点を守った上で記事(例えば、『政教分離に関する論争』)にすることはできないのでしょうか。正直なところ、私にはお二人の論争の論点を細かいところまでは正確には把握できていません。論争(認識の差)だけでそれなりの分量になるのであれば、単独記事として立項したらよいと思います。
  • 上にも述べたように、私は論点の細かい詳細は知りません。そういういわば「素人」の目から見れば、本記事の叙述は「西欧の歴史をダラダラと書いている」ように映ってしまいます。前にも述べましたが、「本項目の内容説明に関連がある幹の部分が枝葉で覆われてしまったら、これもやはり読者の理解の妨げになりかね」ないでしょう。これは特に2001:268:c068:d20d:2c1b:7bf5:53ca:be5bさんに対する意見なのですが、記事のスリム化を図ることは可能でしょうか。

--Susuka会話) 2017年3月11日 (土) 14:18 (UTC)

  • まず1点目についてはここでおこなわれているのは政教分離に関する論争ではなくて、歴史学的観点で教会と国家の分離を近代化論を射程に入れて書かれているこの記事を政教分離原則と関連づけたい人がいると言うことです。2点目に関わることですが、それをしてしまうと記事が無際限に大きくなる可能性があることを私は心配しています。さらに政教分離原則と結びつけたい人は政教分離原則に関わらない記述を分割するという仕方を一度とっていますので、それに対して異議を申し立てているだけです。その異議を申し立てる立場から言えば、基本的に政教分離原則#歴史に政教分離原則に関わる事柄を集めればよいのに、こちらに持ってきては見通しが悪くなるのではないかという話です。
  • 2点目に関しては私もこの記事の煩雑さを大いに問題だと思っています。それゆえにブラッシュアップが必要だと思っており、出典の確認をおこなっているのもそのためです。やっかいなことに、この政教分離の議論は世俗化論とも関わっており、そちらに手を伸ばすと、マックス・ヴェーバーからカール・レーヴィット、リチャード・ローティやユルゲン・ハーバーマス、ジョン・ロールズ、ホセ・カサノヴァなどの著名思想家に触れざるを得なくなる可能性があり、歴史学的議論に限定しないとむしろ膨張する恐れがあります(ちなみにこうした本流の思想家に比べると、ロジャー・ウィリアムズなどほとんど特筆しなくてもよいくらいです。帝権と教権の議論で中世において支配的で本流だった両剣論を1行を済まして、政教分離原則の影響でも傍流のロジャー・ウィリアムズに記述を割くべきという121.107.209.16さんの発言は根本的な理解が成り立っていないのです。わかりやすく言うと、両剣論はロジャー・ウィリアムズを含め中近世の思想家に多大な影響を残していますが、ロジャー・ウィリアムズの思想は現代の思想にほぼ継承されておりません。それを明確に論じたのが中山勉論文ですから、中山勉論文を頻繁に根拠とする121.107.209.16さんの発言は明らかにおかしいのです)。だからこそ私はこの記事にさらに政教分離原則関連の記述を増やそうとされてしまう立場には懐疑的で、それをおこなうとただでさえ流れの明確でないこの記事の無際限な膨張につながります。そのため加筆によって歴史学議論であることを明確にした上で、一般的にドイツで国制史的な政教分離がなったとされる1803年までに限定し、地域もヨーロッパになんとか限る形にすべきと思っています。森安達也さんの著作は確認したところ、ロシアまで射程に入れているので、本来のこの記事は必ずしも時代・地域的な限定をしていなかったようでありますが、その点は修正すべきと思っています。--2001:268:C068:D20D:2C1B:7BF5:53CA:BE5B 2017年3月11日 (土) 14:37 (UTC)
政教分離に関する論争でなく、ノートで議論されているのは政教分離の歴史に関する論争といえそうですが、そういう議論はあるのか、分かりません。事典類で立項はないでしょう。私の文献調査報告にある通り、私は「政教分離の歴史」に記載するのは、既存の文献で「政教分離」と明記されているものに限定すべきである、そして「中世からの教会と国家」(および「宗教改革」なども)分量のバランスや出典との整合性の観点から、別の記事にすべきであると主張しています。しかし、2001IP氏さんはなぜか全く理解しようとしません。中山論文については何度も回答しているのに、また同じことをいっていますし。「ドイツで国制史的な政教分離がなったとされる1803年までに限定」というにも、文献にあるのでしょうか。「流れの明確でないこの記事の無際限な膨張」と認めているのに、矛盾していますし、ドイツのことなら書いてよくて、アメリカについては書くな、というのは???です。ロジャー・ウィリアムズだけを書こうとしているわけではないのですが。ヴェーバー、レーヴィットなどは政教分離について明記してありますか?ヴェーバーの「政教分離論」では、佐野誠「ヴェーバーとナチズムの間 : 近代ドイツの法・国家・宗教」で使用例がありましたが、マックス・ヴェーバーは記事としてスカスカなのでそちらに書けばいいことではないでしょうか?
もう一点確認。#記事の内容整理の提案で2001IP氏は「別に「教会と国家の分離の歴史」でいいんです。」といっています。その後、私が「教会と国家の歴史」あるいは、「政教一致と政教分離の歴史 (ヨーロッパ)」はどうかと再提案したのに、それには回答されないのも奇怪ですね。なぜ回答されないのですか?回答次第ではそれで解決するのですが。--121.107.209.16 2017年3月11日 (土) 15:33 (UTC)
上のように全く議論の本筋がわかっていないのです。121.107.209.16さんの言っていることは要はグーグル検索ないしネット検索で「政教分離」と調べて出てきた文献で歴史記事を書きましょうという乱暴な議論です。私が言っているのはこの記事に書かれている内容から国家と教会についての歴史学的理解を確認できるので、その意味で記事内容をより明確にし、国家と教会の機構的分離、聖俗の思想上の分離を「政教分離」ということは一部を除いて一般的ではないので、「政教分離の歴史」という名前は上のようなググった議論をする手合いに文句をつけられる可能性があるので、さっさと改名しましょうということです。改名議論の推移も全く理解していらっしゃらないということでしたか。ググっている人は検索結果がすべてなので結局議論にならないのです。「『ドイツで国制史的な政教分離がなったとされる1803年までに限定』というにも、文献にあるのでしょうか。」については様々な文献で確認できますが、基本的な理解としては18世紀中に神聖ローマ帝国内の聖界諸侯は徐々に陪臣化と世俗化がおこなわれ、1803年帝国代表者会議主要決議において神聖ローマ帝国の国制は名目上も完全に教会の機構と分離し、世俗化することになります。という流れは別にドイツ史では常識的理解で、たとえば『ドイツ史研究入門』(p.98)などでも容易に確認できるわけですが、アメリカについて書くなについてはそもそもアメリカ合衆国ではその建国の時から国家機構と教会組織について分離が行われており、この記事でいうような分離の歴史がそもそもないという基本的事実をなぜ失念しているのか理解に苦しみます。おそらくググっても出てこないことはわからないのでしょう。--2001:268:C068:D20D:2C1B:7BF5:53CA:BE5B 2017年3月11日 (土) 15:59 (UTC)
もう一点については121.107.209.16さんがずっと議論を見落としていて、しつこいくらい返答し続けているのですが、「教会と国家の歴史」では教会と国家という枠に収まれば何でもよいと言うことになるから今以上に記事が際限なくなりますよね?ってことをすでに指摘しています。次に「政教一致と政教分離の歴史 (ヨーロッパ)」ではむしろ何が何だかわからないうえ、結局「政教分離」という言葉が取り除かれていませんので、政教分離をググってどうこうする議論が後を絶たない現状が続くだけなので意味がありません。そのため、「政教分離」という言葉自体を別の言葉で置き換えるべきですが、しかしながらその際に国家と教会の機構的分離、聖と俗の思想的分離という現状の記事内容を適切に表現するために「分離」の後は外せないという議論をしているのです。これでようやくついてきてくれましたか?--2001:268:C068:D20D:2C1B:7BF5:53CA:BE5B 2017年3月11日 (土) 15:59 (UTC)
ネットで確認すること、そして閲覧可能な論文を出すことに問題ありませんし、第一、私はネット調査だけで議論を進めていませんので、これも捏造です。神聖ローマ帝国うんぬんについては神聖ローマ帝国と重複になりますよね。神聖ローマ帝国を見ると、かなり出典が明記されていますが、「政教分離の歴史」とかなり内容も重複しています。「アメリカ合衆国ではその建国の時から国家機構と教会組織について分離が行われており、この記事でいうような分離の歴史がそもそもない」とは、アメリカとヨーロッパが歴史が違うのは当たり前ですが、何度もいっているように、この記事は「政教分離の歴史」という記事名なのだから、「政教分離」と明記されている文献を使用すべきです。「教会と国家の歴史」と「政教一致と政教分離の歴史 (ヨーロッパ)」についてはお考えを尊重しましょう。それで、「教会と国家の分離の歴史」ならばよいのですね?--121.107.209.16 2017年3月11日 (土) 16:30 (UTC)
本当に何を言ってるのかわかりません。神聖ローマ帝国と記事内容とかなり内容が重複しているのははっきり言ってしまえば神聖ローマ帝国の歴史がとくに教会と国家の機構的分離が典型的に展開されたからであることはすでに言ったはずですが、記事内容が重複したらどちらかに記事を包摂させなければいけないという論理がどこから出てくるのかわかりません。「『アメリカ合衆国ではその建国の時から国家機構と教会組織について分離が行われており、この記事でいうような分離の歴史がそもそもない』とは、アメリカとヨーロッパが歴史が違うのは当たり前ですが、何度もいっているように、この記事は「政教分離の歴史」という記事名なのだから、「政教分離」と明記されている文献を使用すべきです。」という発言が本当にわからない。これは結局アメリカ合衆国に国家と教会の機構的分離過程がそもそもないからこの記事の内容には直接的にならないという私の指摘をそうだと言ってるのか、どうなのか意味不明です。「政教分離」と明記されている文献を使用すべきについては記事名に文献が拘束されるという理解がそもそもおかしいのですが、121.107.209.16さんにそれを言ってもおそらくもうわかんないんじゃないかと思っています。ネット調査云々についてはむしろネットで確認できる論文以外をほとんど使用していない、この記事の参考文献はなぜか調査しない、そして私から見て明らかにこの分野、および政教分離に関わる議論に必要な基本文献が一つも示されていない、という根本的な問題があるのですが、おそらく何を言っても無駄でしょう。マックス・ヴェーバーとかディルタイ、カール・レーヴィットにいたる近代化論の系譜についてもネットで検索しちゃうあたり、ほとんど何も知らないんだと思います。--2001:268:C068:D20D:2C1B:7BF5:53CA:BE5B 2017年3月11日 (土) 16:49 (UTC)
記事の重複についてですが、事典で「宗教改革」と「教会と国家」という二つの記事があった場合、「宗教改革」の詳細を「宗教改革」記事でなく「教会と国家」で書くべきでしょうか。「宗教改革」の詳細は「宗教改革」へ、「教会と国家」に書かれる宗教改革は簡潔に、というのが事典の記事関係における一般的な傾向であり、そのことは調査報告しています。ウィキペディアは百科事典です。したがって事典の立項状況を参考にするのは当然のことです。ヴェーバーは社会学者ですが、ディルタイ、レーヴィット、ハーバーマス、ローティ、ロールズも哲学者ですし歴史学者ではありません。やたらと思想家の名前を出しますが、それは「歴史学」というより「思想史」です。また、人名でなく、論文名で語るべきです。ヴェーバー以外が「政教分離」についての論文を書いているとは知りませんので。しかも、参考文献にさえ挙げられていないし、どうでもいい話です。自分が世界で一番の知識所有者であると思い込むこともどうでもいいことですが、「お前は何も知らない」と個人攻撃(Wikipedia:個人攻撃はしない「個人の経験を、利用者の独断で決めつけて攻撃する。」)する前に、本文にちゃんと出典を明記してください。--121.107.209.16 2017年3月11日 (土) 18:05 (UTC)
「記事の重複についてですが、事典で「宗教改革」と「教会と国家」という二つの記事があった場合、「宗教改革」の詳細を「宗教改革」記事でなく「教会と国家」で書くべきでしょうか。」については「宗教改革」に関することは「宗教改革」の記事へ、「教会と国家」に関することについては「教会と国家」に書けば良いのであり、宗教改革期の「教会と国家」について詳しく記す必要があるときは「教会と国家」に書けばよい(宗教改革は宗教改革全体の総論的記事になると思われます)のではないでしょうか。どちらにせよこのようなことに一方的なルールを設けるのは紙の辞書ではないウィキペディアでは意味がないことのように思われますし、個々の記事の問題ではないでしょうか(一方がほかの記事より詳しいのはおかしいから削れというのは成り立たない)。並立しうる内容の場合、どちらかの記事にどちらかの記事を合わせるというような明確な方針はとくにないように思われます。ヴェーバー云々については「国家と教会」の記事名にすると…という話で出したのであり、率直に言って今はもう解決した話で説明する必要もないので、どうでもいいです(アメリカの政教分離原則が…なんて言ってる割に、現在のアメリカの政教分離論の議論をほんとに知らないようですから不思議でならないのですが。その人物らを挙げた文脈は歴史学以外の議論が紛れ込む可能性の危惧について述べていたということもわかってないようですし、無駄でしょう。「ヴェーバーは社会学者ですが、ディルタイ、レーヴィット、ハーバーマス、ローティ、ロールズも哲学者ですし歴史学者ではありません。やたらと思想家の名前を出しますが、それは「歴史学」というより「思想史」です。」なんて発言はこちらの発言の趣旨が全くわかっていない証拠です。今まで何度も言ってるんですけど、基本的に121.107.209.16さんは他者の発言をフォローできていないんですよ。だから議論がかみ合わないんです)。--2001:268:C068:D20D:D14C:9310:7979:4D36 2017年3月11日 (土) 19:06 (UTC)

コメント では、いわゆる政教分離原則については『政教分離原則#歴史』に転記して、この記事は2001:268:c068:d20d:2c1b:7bf5:53ca:be5bさんがいうところの「歴史学的な政教分離」に限定する、という点では合意が取れたと見てよいわけですね?ならば、今の対立点は記事名だけということになります。--Susuka会話) 2017年3月11日 (土) 16:06 (UTC)

私は合意します。--2001:268:C068:D20D:2C1B:7BF5:53CA:BE5B 2017年3月11日 (土) 16:24 (UTC)
記事名が「教会と国家の分離の歴史」となるのか、他に適切な名称がある場合はそれも議論するということであれば、そして出典が今後明記されていくのならば、いいでしょう。ただし、政教分離原則#歴史には今後も加筆していきますので、分量が肥大していった場合は、「政教分離の歴史」として分割提案をするでしょう。その場合、「教会と国家の分離の歴史」と「政教分離の歴史」の二つの記事が存在することになりますが、それでいいと考えます。--121.107.209.16 2017年3月11日 (土) 16:33 (UTC)

2001:268:C068:D20D:2C1B:7BF5:53CA:BE5Bさんに伺いますが、121.107.209.16さんが提案された『教会と国家の分離の歴史』という記事名への改名はいかがでしょうか。これにご同意いただけるなら、正式に改名提案を出そうかと思いますが。--Susuka会話) 2017年3月11日 (土) 16:57 (UTC)

こなれない名前ではありますが、とくに反対すべき理由もないと思います(個人的にはもっときれいに収まる名前がよかったのですが、しかたないでしょう)。--2001:268:C068:D20D:2C1B:7BF5:53CA:BE5B 2017年3月11日 (土) 17:10 (UTC)

報告 改名提案を出しました。--Susuka会話) 2017年3月11日 (土) 17:22 (UTC)

歴史学的知見のみに基づくというのがそもそもの誤りだと思いますね。政教分離の宗教学的知見、社会学(宗教社会学)的知見、政治学的知見を排したら、それらの知見はどこに書けというのですかね。マックス・ヴェーバーの名前を出されてますけど、なおさら、歴史的学的知見のみに基づくのはおかしいでしょう。歴史学の研究者じゃありませんよね。教会と国家の関係について、歴史学的知見を記述されるのはよいんですが、学説の一つとしてきちんと提唱者の名前を書いてほしいんですよ。Wikipediaは歴史の教科書じゃありませんので。「〜の歴史」とつけると、歴史学的知見のみにされそうなので、あえて、「〜の歴史」はつけないほうがいいんじゃないですかね。--ぽてから会話) 2017年3月14日 (火) 02:50 (UTC)
件の発言をした2001:268:C068:D20D:2C1B:7BF5:53CA:BE5Bですけど、ぽてからさんもどうして121.107.209.16さんと同じ私の発言の誤解をなさっているのでしょう?「国家と教会」というような限定性のない記事名にするとマックス・ヴェーバー以来の近代化=世俗化論のようなもの(傍流のロジャー・ウィリアムズなどよりよっぽど本流で影響力の大きい議論で、しかも現代公共政策論にまでつながる大きな流れです)を記載するべきという主張も出てきてしまうので、記事の一貫性が失われてしまうという議論なのですが。そしてぽてからさんの文献的根拠にもウィキペディアの方針的根拠にも乏しい主張に関しましては、ウィキペディアには「~の歴史」という記事は普通に多数存在しておりますという厳然たる事実を指摘しておきたいと思います。どちらにせよこれは現在の歴史記事の内容と関わりない話です。--硯箱会話) 2017年3月14日 (火) 09:33 (UTC)
「国家と教会」についての記事が既に存在し、歴史節だけが膨大になったら分割して「国会と教会の歴史」だけをわけるという順番になります。そういう意味で、この記事の一部を「宗教改革の歴史」に分割するというのはわかります。しかし、まずは「国家と教会」に「国家と教会の歴史」節を設けて書いてください。限定性のない記事が存在しなければ限定性のある記事への分割記事を作成することは認められませんね。なお、マックス・ヴェーバーの現代公共政策論につながる考察を書こうという人がいるわけでもないのに、心配無用です。ただ、本来、マックス・ヴェーバーは社会学(宗教社会学)的な支配の三類型などを提唱してますけど、これを「歴史学的視座」のみに限定した記事に書こうとすると、記事名と内容が矛盾しますよね。やはり、「国会と教会の歴史」にせずに「国家と教会」という記事名でないと、社会学的アプローチは書けなくなりますよ。なお、社会学(宗教社会学)の社会学的な面を一切書かない記事にすると、残りの社会学的な面を書ける記事がなくなってしまい、どう考えても、まずは、「国家と教会」という記事が必要になりますよね。--ぽてから会話) 2017年3月14日 (火) 16:12 (UTC)
もともと歴史記事であることを失念している意味不明な論理を展開しないでください。「国家と教会」という記事が必要ならば別にたててくださいませ。--硯箱会話) 2017年3月14日 (火) 17:29 (UTC)
「歴史記事」を書きたいという目的は十分理解してますが、結局、単一出典を用いて自身の主張に合う記述だけをされる行動は、ウィキペディアの目的外利用としかいいようがありませんね。自分が賛成することだけを合意が形成されたと表現し、逆に、自分だけが反対して合意形成を拒む行動は、記事の私物化に他なりません。当初は、国家と教会の記事名で議論が続いています。硯箱さんの行動がウィキペディアのルールから逸脱しているということは上記の発言から明らかなんですが、少しでも、ルールを理解してもらおうと議論を重ねてるんですよ。にもかかわらず、一切、行動を改める兆候さえもありませんね。--ぽてから会話) 2017年3月14日 (火) 23:34 (UTC)
まず記事の参考文献は記事に関係のあるものが採用されるべきであること、単一の出典はそれによって自動的に信頼性が損なわれるわけではないこと、そして何よりもそれぞれの文献は同一の歴史学的理解における歴史事実の出典であるということを理解して頂きたく思います。ぽてからさんは私が方針を無視しているように印象づけたいようですが、厳密に言えばぽてからさんの「○○の歴史」という記事を作るのには「○○」の記事が必要なんていう主張が方針文書に全く根拠がないものです。「国家と教会」についてぽてからさんにもし一家言があり、それについて記事を作りたいというのならば、こちらで方針を無視した議論などせずに、さっさと執筆なされば良いのです。ぽてからさんはこうした方針や文献に基づかない、単なる引き延ばしや妨害としか思えない議論を続けているのですが、一切、行動を改める兆候さえもありません。--硯箱会話) 2017年3月15日 (水) 02:11 (UTC)

改名提案[編集]

混乱を避けるために、『Wikipedia:改名提案』からはこちらのセクションに誘導しました。改名に関する議論は以降こちらのセクションでお願いします。改名提案から参加された方々へ、ここに至る議論は上述で展開されています。--Susuka会話) 2017年3月11日 (土) 17:22 (UTC)

  • コメント  記事名は「教会と国家」に1票。その他、「キリスト教の教会と国家」でも良いでしょう。en:Separation of church and state(教会と国家の分離)についての記事を目的するということでいいんじゃないかと思いますが、記事名に「〜の歴史」と付けるのだけはやめてもらいです。歴史的視座とかに限った記事というのがおかしいわけで、宗教学や社会学(宗教社会学)、政治学など多様な観点を排除するのはいただけませんよね。--ぽてから会話) 2017年3月11日 (土) 21:12 (UTC)

条件付賛成 (条件:独自研究問題の解決) 2001IPさん=硯箱さんが、加筆を開始されています。加筆による改善で独自研究問題がかなり解決してきたので感謝しますが、あくまで全体にわたって解決すべきでしょう。 ぽてからさんの意見について、私も事典等の調査と記事内容から「教会と国家」「キリスト教と国家」の方が適切であるとは思います。しかし、「政教分離」は英語でSeparation of church and state(ドイツ語はTrennung zwischen Religion und Staat)で、正確に対応させるなら「教会と国家の分離」となります。訳語の問題でもありますが、いわゆる近代国家における政教分離と、中世からの歴史としての「教会と国家の歴史(仮)」があるのはいいのではないでしょうか。理論的な解説は「教会と国家」、通史は「教会と国家の歴史」とした方がいいと思います。しかしこれまでの議論から、「政教分離の歴史」から「教会と国家」系統の記事名にまず変更することが先と思います。記事名変更したあとに再び分割提案も可能です。なお、英語版にはカテゴリーで

記事では、

などがあります。--121.107.209.16 2017年3月16日 (木) 14:14 (UTC)

この記事はそもそも通史的な「歴史」記事なのですから、教会と国家についての歴史学以外の理論は別に記事を立てれば問題です。現状通史的内容しか書かれていません。したがって「教会と国家の分離の歴史」が意味内容を適切に捉えており、そもそも歴史学事典で「教会と国家」とあるのは「教会と国家(の歴史学理解)」であることが含意されているために省略されていることは歴史学事典の記事内容からも明らかです。一般的な百科事典であるウィキペディアでは「歴史」という言葉は補われてしかるべきでしょう。繰り返しますが、そうしないとここで繰り返された、ググっただけの議論がまた出てきます。ここでの議論でほとんど証明されたように、基本的にググった議論は低品質になりがちです。「教会と国家」は必要であれば別で立てればいいのです。それこそ宗教社会学や政治学にお詳しいらしいぽてからさんが立項されればよいかと存じます(どんな内容を想定しているかは文献も示されないので私には全くわかりませんが)。--硯箱会話) 2017年3月16日 (木) 16:01 (UTC)
改名議論を継続したく思います。
  • A.「教会と国家の歴史」(私、以下敬称略)
  • B.「教会と国家」(ぽてから)
  • C.「教会と国家の分離の歴史」(硯箱)
の3つの候補がありますが、投票にしますか?私はCでも容認できますが、Aがベストだと思っています。Bについても容認できますが、Cは一般読者を考慮したものではない、あまりに特殊な記事名になっていますし、既存の百科事典でそのような記事は存在しません。また、「分離」といっていますが、一様に進化論的に分離したのではなく、複雑な要因があり、また教皇権と皇帝権の対立と相克があり、分離したりまた一体化したりを繰り返したのであり、現在21世紀の「政教分離」でさえ、国教制度のイギリスはもちろん、憲法上政教分離が規定されるアメリカ、ドイツ、イタリアなどでも厳格に分離されているかといえばそうでもないともいえます。また、「教会と国家の歴史」「教会と国家」という記事名にした場合にも、神聖ローマ帝国の消滅で終わりにするのも納得はいきません。なぜならいまも教会も教皇も国家も存続しているのですから。--121.107.209.16 2017年4月3日 (月) 15:46 (UTC)

加筆箇所[編集]

一人の出典だけで一つの節を書かれてますけど、誰の学説か必ず書いてください。でなければ、独自研究としてケースEの削除するしかなくなりますよ。--ぽてから会話) 2017年3月14日 (火) 16:32 (UTC)

これも独自研究の方針文書の無理解です。記事が信頼できる文献に依拠しているかどうかが大事なのであり、文献の数ではありません。--硯箱会話) 2017年3月14日 (火) 17:33 (UTC)
硯箱さんは、Wikipedia:中立的な観点Wikipedia:検証可能性Wikipedia:独自研究は載せないに反した行動をとり続けておられます。その上、投票を拒むなどの妨害的行動や記事の私物化を続けられるようであれば、議論に参加されることは無理だと判断せざるを得なくなりますが。--ぽてから会話) 2017年3月14日 (火) 23:28 (UTC)
カルト#歴史をご覧ください。きちんと、提唱者の名前が書かれてるのがわかりますよね。このように書かなければ、独自研究でこの記事は削除するしかありません。何度も同じことを繰り返して言っていますが、そろそろ修正してもらえませんかね。--ぽてから会話) 2017年3月15日 (水) 00:58 (UTC)
ぽてからさんのやっておられることは独自研究でいう情報の合成です。信頼できる文献が歴史的事実として記していることを文献を確認せずに勝手に限定しています。投票を拒むのはぽてからさんが適切な投票の提案をしていなかったからであり、記事の私物化については完全な言いがかりであることはすでに申したはずです。文献に基づかない議論で攪乱し、妨害行動を行っているのは明らかにぽてからさんのほうであるように思われます。--硯箱会話) 2017年3月15日 (水) 01:46 (UTC)
ちなみにご存知ないかも知れませんが、単一の出典テンプレートを貼る意図としてたとえば「記事の記述対象の事物に対して、中立性を欠き偏った主張が書かれている出典が一つだけしか示されていない」とか、「その出典の著者の個人的主張が書かれた出典が一つだけしかなく、記事に特筆性があるかどうか怪しい」といったことを対象としていますよね。記事全体が一つの出典で構成されているあまりに極端な記事に対して使うもので、節ごとに小分けに使うようなものではありません。--硯箱会話) 2017年3月15日 (水) 02:33 (UTC)
問題を解決させずにテンプレートを剥がす行為はおやめください。情報の合成ではなく、提唱者の名前を書いただけです。提唱者の名前を書かなければ中立性を欠きます。何度も何度も同じ事ばかり繰り返していますが、方針を都合が良いように解釈して、テンプレート剥がしなどの問題行動を続けられる予定でしょうか。--ぽてから会話) 2017年3月15日 (水) 07:48 (UTC)
文献の執筆者が提唱者であるという主張が完全に独自研究であり、事実を記載している内容に対してそれをその著者独自の見解であるとする、文献に直接基づかない情報の合成が行われております(ぽてからさん流に言えば、これは明白にケースEにあたります)。単一出典テンプレートは使い方自体がそもそも間違っていますが、それを指摘してもタグを繰り返し貼ろうとする端的な荒らし行為を行っています。こうした行為を文献や方針も確認せずにおこなっているぽてからさんは何度も何度も同じ事ばかり繰り返していますが、方針を都合が良いように解釈して、独自研究を記載するなどの問題行動を今後も続けられる予定でしょうか。--硯箱会話) 2017年3月15日 (水) 09:17 (UTC)

コメント 学説の提唱者を明示することはWikipedia:言葉を濁さないに明記してあるので、これに従ってください。また、タグ剥しは議論相手との合意後、また問題箇所が修正された後に行ってください。硯箱さんは2001IPさんでしょうが、加筆によって記事の水準がかなり上がっていますし、私も勉強になり、感謝します。しかし、ウィキペディアはウィキペディア独自のルールがあり、他の編集者の指摘を善意に解釈することも基本的な行動原理とされています(Wikipedia:善意にとる)。--121.107.209.16 2017年3月16日 (木) 13:03 (UTC)

たとえば教科書の執筆者を学説の提唱者とは言いません。歴史学的成果による事実を述べている著作の著者を何らかの学説の提唱者とすることは明らかに独自研究で、明確に削除されるべきです。Wikipedia:言葉を濁さないによれば曖昧な表現でも出典が明記されれば記載可能である点についてもぽてからさんが理解していらっしゃるとは思えません。ぽてからさんの単一の出典テンプレートにつきましては、基本的に記事全体の出典が一つの時に使うもので、節単位で使うのは明らかな誤用のですので、剥がしたのですからそもそも指摘される問題はなく、問題点は解決されております。私は無作為にタグ剥がしをしているのではなく、問題点が解決されたものから剥がしていることはこれまでの編集からも明らかであると思いますが。--硯箱会話) 2017年3月16日 (木) 13:11 (UTC)
「歴史学的成果による事実を述べている著作の著者を何らかの学説の提唱者とすることは明らかに独自研究」には同意できません。それならば、ベッケンフェルデと山田欣吾の節も「学説でなく事実」となりませんか。「学説」の意味が違うのでしょうが、ここは出典を明示的に明記するということで理解していただければ、議論する必要もないことでしょう。出典をみると、
  • 「近代国家成立史として(国制史的側面)」「古代中世の国家概念」「中世国家の特質」は、下野義朗「ヨーロッパ中世国家の構造」
  • 「キリスト教世界(res publica christiana)の歴史的展開」は、オットー・ブルンナー
  • 「ドイツ中世国制における聖俗分離の展開」は、池谷文夫「教皇権と皇帝権」とブライアン・ティアニー「自由と中世の教会」
  • 「中世都市の進展とその限界」は、ジョン・ハイン・マンディー「中世都市における自由」
などですが、今後の加筆を考えるとそれぞれ「下野義朗によれば(以下同様)」と書いておくと、どの出典でどの説明をしているかが本文でも明示されることになるので、後から他の人が加筆する場合でもやりやすいでしょう。
現在までの部分をみると、やはりひとつの記事に詰め込みすぎかと思いますが、いまこの点について議論したいのではありません。加筆がんばってください。--121.107.209.16 2017年3月16日 (木) 14:01 (UTC)
たとえば教科書は学説の成果を記しますが、その学説の提唱者が記述しているわけではありません。著作の著者に特定の観点が認められるにしても、一般的に著作の著者=提唱者とは普通言いません。まれに明らかに通説とは異なる見解を提示している場合がありますが、こうした事例も提唱といえるかは個々に検討すべき性格のもので、そもそも文献を確認せずに議論することは不可能に思われます。そして事実というものが何を指すかは哲学的な話になりますが、率直に言って事実とは真理ではないので、ある事柄をウィキペディアの方針に則って事実として提示する場合は出典を明記すればよいのです。そして出典の明記されている文脈に「~によれば、」という表現を付け加える編集はそもそも出典の明記が「~によれば○○である」の意味をなしているので、基本的に冗長表現ですから、可読性の点から特筆すべき場合を除いて使用されるべきでないのであり、加筆者は文献を確認すれば一目瞭然なわけです。以上のことからわかりますように、記載されているのは学説ではなく、(ある学問的見地からの)事実でありますから、これは学説を記載しているのではなく、事実を記載しているのです。--硯箱会話) 2017年3月16日 (木) 14:33 (UTC)
文例を示しますと、
  1. ベッケンフェルデによれば、国家の概念は学問的共有財産であるとともに、あらゆる社会に普遍的なものではない[1]
  2. オットー・ブルンナーによれば、現実の様態としては中世初期において、教会と国家はたがいに緊密に絡み合いながら現れた[2]
という記述は基本的には冗長表現です。
  1. ダントレーヴの国家論の定義に従えば、国家は3つの意味で日常的に用いられている[3]
  2. アウグスティヌスに拠れば、人間の不安な状態は理性と感性の対立とそれによる内心の分裂であるが、これは同時代の多くのキリスト教徒が抱いていた神への愛と現世への愛の衝突の経験であった[4]
という記述は冗長表現ではありません。--硯箱会話) 2017年3月16日 (木) 14:50 (UTC)
コメント あと、Template:単一の出典には節で使う場合もあるので、誤用とは言い切れません。--121.107.209.16 2017年3月16日 (木) 14:18 (UTC)
単一の出典は記事に使うもので節に使うものではありません。それは当該テンプレートのノートでの議論とテンプレートの説明を踏まえれば明確です。節に使っている場合は明確な誤用です。--硯箱会話) 2017年3月16日 (木) 14:33 (UTC)
テンプレート剥がしの荒らしを続けています。ブロックするしかないと思います。--121.114.42.96 2017年3月25日 (土) 05:38 (UTC)

横からすみませんが、硯箱さんのコメントでSfnテンプレが使われているため脚注が最下部に配置されてしまいます。もしよろしければ、refタグのgroupやnowikiタグを使うなり、脚注がほかの節に紛れ込まないよう変更していただけないでしょうか。--ネイ会話) 2017年3月26日 (日) 03:27 (UTC)

テンプレートの不正確な使用について[編集]

短時間に複数のIPによって単一の出典テンプレートを繰り返し貼る編集が行われています。きわめて短時間に集中的に行われていることから、ソックパペットの疑いもあります。荒らし行為と思われますので、保護依頼いたしました。--硯箱会話) 2017年3月25日 (土) 05:42 (UTC)

テンプレートはがしはお控えください。適切な使用です。--ぽてから会話) 2017年3月25日 (土) 05:42 (UTC)
ぽてからさん、まさかとは思いますが、ソックパペットを使ったりはしていませんよね?それにテンプレートの不正使用については以前指摘したはずですが、返答頂いておりません。--硯箱会話) 2017年3月25日 (土) 05:44 (UTC)
憶測で悪者扱いしないでください。硯箱さんが、適切なテンプレートであるというコメントを無視されているだけであり、テンプレートに問題はないと確信しますね。--ぽてから会話) 2017年3月25日 (土) 05:47 (UTC)
ノートでの議論を踏まえてください。単一の出典テンプレートは単一の出典だから自動的に貼って良いというものではありません。記事全体において単一の出典であり、中立な観点に問題がある場合にのみ使用されるもので、基本的に節単位で使うものではありません(そのような使用が許されれば、節分けを勝手にして単一出典テンプレを貼ることが可能になってしまいます)。--硯箱会話) 2017年3月25日 (土) 05:49 (UTC)
横からすみません、ブロック依頼から来ました(上節とまとめてコメントします)。仰るように「単一の出典だから自動的に貼って良いというものではありません」が、節単位に貼っても問題はありません。本件は(貼ることが)適切だと判断します。なお、単一出典テンプレ貼るために節分けをするような利用者は、荒らしまがいと見なされブロックされるので御心配なく。歴史・宗教などでは学会で支持されている定説だとしても、自然科学と違い(場合によっては自然科学もそうですが)、それはWikipediaでは説・意見として扱うべきものです。つまり、誰の見解なのかを明記する必要があり、定説でないものは「〇〇は~と主張している」と書きますが(御存知ないかもしれませんが、論争の多い政治記事ではこの表記方法が定番です)、定説であれば「〇〇は~以下のように述べている」程度で良いでしょう。「定説なのに単一出典テンプレを貼られた」のであれば、その定説を別の出典により補えば良いだけです。なお、ぽてから様はソックパペットを使うような方ではないと思っていますし、少なくとも私は、ぽてから様とは別人です(まー私たちが同一人物と疑う人は誰もいないと思いますが)。--JapaneseA会話) 2017年3月29日 (水) 03:41 (UTC)
Template‐ノート:単一の出典の議論を踏まえればこのテンプレートは単一の出典の箇所に機械的に貼るものではありませんし、そのような利用は基本的にコミュニティに益があるとおもわれません。通例単一の出典が問題になるということであれば、おそらく信頼できる文献や中立的な観点が問題になると思われますから、別のテンプレートで置き換え可能ですし、そうしなければ何が問題かの論点が明確となりません。少なくともテンプレートは記事の改善を意図して利用されるべきもので、編集方針に関するテンプレートが一律機械的な運用をされるならば、記事の可読性も損なわれるものと思われます。また単一の出典テンプレートは節分け後に貼られております。逆に言えば、節を分けなければ単一の出典テンプレートを貼る根拠があるとは思えません。--硯箱会話) 2017年3月29日 (水) 04:25 (UTC)
つまりぽてからさんは中立的な観点や独自研究などほかの正当なテンプレートを貼る根拠を見いだせなかったので、結果として外形的・機械的に貼ることが容易な単一の出典テンプレートを選んだように思われます。そうでなければ適切な別のテンプレートを選択し、それに基づいてノートで論点を明確にした議論提起すれば良いのです。たとえば個々の節について複数の文献が存在すると立証できるならば、単一の出典テンプレートを貼ることに正当性を見いだせますが、現状そうした文献調査が行われてもおりません。--硯箱会話) 2017年3月29日 (水) 04:32 (UTC)
次に、事実と学説の混同が問題です。そもそもあらゆる認識に主観性が伴う以上、突き詰めれば何が事実で何が主観かという問題が存在するのは当然ですし、ことに同時代的な政治問題ではそうでしょう。しかし学問的蓄積においては一定の事実の積み重ねがあり、少なくとも学問的事実として大筋において異論の存在しないものを一部の学者の学説と矮小化して記述するのは中立的な観点に反します。また私は検証可能性と中立的な観点のスタイルを満たして記述しております。まず政治記事界隈で流行している、「○○は~と主張している」という記述がじつのところ基準が非常にあやふやですし、不毛な政治論争の果てに帰属化の方針文書を著しく極端に適用した特殊な慣例のように思われます。そうした一部記事で対立を回避するためにやむなく採用されている慣例を、他分野の記事にまで推し進めようという観点はあまり好ましいものではありませんし、ことに歴史学にそれを持ち込むと、不毛な論争になりやすいです。少なくとも私が執筆に利用している文献はまともに調べればわかりますが、いわゆる講座シリーズ(編集者だけなくその分野の権威的専門家が責任編集を行う専門家による基本論文集)や責任編集のついた翻訳、学会でもかなり主流で研究蓄積も豊富であり、かつその分野の第一人者もしくはそれに類する立場(たとえば専門文献案内や論文集の責任編集を担当するレベル)と認められており、専門家による書評も多いものを選んでおり、はっきりいってしまえば、個々の観点について文献を示せと言われれば外国語文献も含めていくらでも示せますが、利用の便を考えても概説部分は明確に信頼性のおける文献、それもなるべく邦文で利用の便が容易であるものを示すだけにしないと混乱を招きます。基本的に信頼性に劣る新聞記事や同時代著述家の批評類を利用せざるをえない、同時代的な政治記事とは異なり、歴史学では明らかに参照すべきと思われる一定の権威のある基本文献というものが存在し、多くの場合基準も明確とはいかないまでもかなり客観的に提起可能です。私はそもそも記事全体についてこれから手を入れていくつもりですから、個々の論点についての細かい文献はそこで両論併記を踏まえて書いていくつもりです。--硯箱会話) 2017年3月29日 (水) 04:42 (UTC)
一次資料のTemplateの使用はルールに則ったものであり、Templateを剥がす理由は合理性に欠けます。ぽてから様の一次資料のTemplate貼りに文句を延々と言われる時間を有効に使用し、他の出典を用いて加筆すればよいのではありますまいか。なお、この上の#加筆箇所から延々とここまで、硯箱様が「一次資料のTemplateは不正だ」と言い続けられていることについて、コミュニティを疲弊させていると判断いたします。--RXX-7979Ⅲ会話) 2017年3月29日 (水) 09:14 (UTC)
大筋において異論の存在しないもの」との事ですが、確かにWikipedia:中立的な観点には「論争の余地のない主張を単なる意見として記さない。信頼できる出典によって反論や論争なきものとされた事実の主張であれば、一般的にウィキペディアの意見として記述されるべきです。その言説が異議なき説であることに特に反論が無いのであれば、その主張が誰のものかを記述する必要はありません」と方針にもあります。「論争の余地のない」話なのかどうか私にはわかりかねますが、「定説なのに単一出典テンプレを貼られた」のであれば、その定説を別の出典により補えば良いだけでしょう。貴方が本当に定説について述べているのかどうか、その分野に詳しくない利用者を黙らせる(言い方は悪いですが)には、更なる出典を提示すれば良いだけです。なお、歴史こそ政治以上に揉める分野ですが、本件の範囲がその揉める範囲なのかどうかはわかりかねます。--JapaneseA会話) 2017年3月29日 (水) 09:31 (UTC)

なんだかわからぬことになっていますが、まずぽてからさんは記事の記述に対して文献を示して適切な反論を示すことは一切しておりません。やっているのは「○○が提唱した」という根拠不明の記述の追加であり、この追加に方針的根拠はないように思われます。存在しない異論に配慮して不必要な帰属化を行うことは中立的な観点や言葉を濁さないの方針文書に基づけば適切でなく、むしろ独自研究と見なすべきです。なぜなら「○○が提唱した」「○○が主張した」という文章はその著者が新規にある事柄を提案したとか客観的な事実としては記していないという一定の事実を含意しますが、文献を確認すれば、著者は文献や既存研究に基づいて客観的事実として記述しているのですから、これは事実の歪曲です。もちろん有力な異論が信頼できる情報源から確認できれば、著者の記述は主観的であった点が確認できるのですから、適切に帰属化される必要があります。次に、単一の出典テンプレートについては節を分けた後に添付されたから外形的に単一な出典に基づいていると見えるだけで、節を戻せば根拠を失います。しかし可読性の面においてそれは問題ではないでしょうか。別にテンプレートを剥がすのに、出典を追加するだけでよいので簡単なことですが、まず不適切な使用であるという点については明確にすべきと思われます。--硯箱会話) 2017年3月29日 (水) 11:15 (UTC)

ちなみに年がら年中揉めているのは特定アジア圏諸国と日本のナショナリズムに関わる東アジアの近現代史や古代史、中世史の一部、一部の日本古代史的テーマであって、基本的に歴史学全般は政治の話題以上に揉めることはないと思われますが、そもそもありもしない揉め事に配慮しろというのも変な話です。--硯箱会話) 2017年3月29日 (水) 11:41 (UTC)
節の中で使用されている出典が単一であるので、Template使用は適当であります。適当なTemplate使用について、これ以上、無意味な抗議を続けられるおつもり、ということでございましたら、ますます硯箱様がコミュニティへ与えた疲弊の量が膨れあがるだけ、と申しておきます。--RXX-7979Ⅲ会話) 2017年3月29日 (水) 11:27 (UTC)
上記硯箱様による「ありもしない揉め事」という主張については、虚偽であると判断いたします。--RXX-7979Ⅲ会話) 2017年3月29日 (水) 11:45 (UTC)
では実際に検証可能な信頼すべき情報源に基づいて揉め事ないし異論の存在を立証して頂きたく思います。--硯箱会話) 2017年3月29日 (水) 12:16 (UTC)

記事の私物化について[編集]

硯箱さんによる記事の私物化がなされているため、この記事の改善が出来ない状態に陥っています。改名や分割などを含め、この記事の将来について議論を続けて参りましたが、硯箱さんだけが自分が記述したいようにする、以外の意見を断固として反対され、かつ、出典を自分の都合の良いように勝手に解釈されるため、議論が継続不可能となってしまいました。この記事の今後を考えた場合、硯箱さんの考えを変えてもらう以外に独自研究の状態を脱することはできませんが、いかがお考えですかね。コミュニティ内で共同作業をされるおつもりはあるのでしょうか。議論は出尽くしましたので、次のステップとしては、各々の主張をまとめて投票するしか方法はないでしょう。--ぽてから会話) 2017年3月26日 (日) 12:29 (UTC)

そもそも記事の私物化という事実が客観的に存在しないということはすでにさんざん申し上げたとおりです。独自研究でないということもすでに十分立証されたはずなのですが、いまさらながらに自らの独自研究を展開するぽてからさんにコミュニティ内で共同作業をされるおつもりはあるのか逆に問い質したいですね。そもそもぽてからさんはこれまで一冊も文献を挙げることすらしておりませんし、テンプレートについては明らかな誤用を指摘されても編集を強行しております。ソックパペットあるいはそれに類する複数IPでのご自身の観点の編集の強行という疑いも見られますし、ぽてからさんには全般的に編集能力の欠如と協調性の無さを感じざるを得ないところではあります。共同作業というのであれば、しかるべき文献を挙げ、中立的な観点を守りつつ方針文書に順った当たり前の議論を期待したいところです。合意と方針文書に基づく文献に基づいた議論の在り方を無視して多数決にこだわるあたりもウィキペディアの方針に明らかに反していると思われますし、多数決にもちこもうという態度がどうもソックパペット的な考え方のように思われます。実際方針文書はソックパペットの可能性を指摘して多数決は基本的におこなわれるべきではないという立場を明確にするよう指示しています。議論は出尽くしたという自分勝手な結論の出し方も、そもそもぽてからさんの議論能力の欠如によって議論遂行が不可能になっただけのように思われます。繰り返しますが、ぽてからさんは一切ご自身の主張を文献によって裏付けられておりません。検証可能性を著しく喪失した主張を受け容れろというのはどだい無理な話です。いろいろウィキペディア内でのぽてからさんの議論を見ますに、ほかでも同様な方針文書の曲解や強引な議論姿勢が多々見られるところであることも付け加えておきます。--硯箱会話) 2017年3月26日 (日) 17:15 (UTC)

コメント Wikipedia:投稿ブロック依頼/硯箱を提出しました。--ぽてから会話) 2017年3月26日 (日) 22:12 (UTC)

最初から全部を読んではおりませんが、たまたま目に入ったところでは、硯箱様が121.107.209.16様を「ググった程度」とバカにして「結局議論にならない」などと、自分の主張だけを絶対視しておられます。これは、意見の対立というよりは、自分だけが正しく、他は全てググった程度だから相手にする気はないとおっしゃっているようにしか聞こえません。素人ですが、この記事を読んでも、「政教分離」やその歴史がどこに書いてあるのかさっぱり理解できません。書いてあることは意味は分かりますが、まず、「政教分離」がなにか、を簡潔に記されてもいないわけであり、なんのためにヨーロッパの歴史のうちの一部が、延々と書かれているのか理解に苦しみます。これは、百科事典向きの記事ではないということは言えますし、独自研究の塊、という多くのコメントに賛同するものであります。--RXX-7979Ⅲ会話) 2017年3月29日 (水) 09:08 (UTC)

上のように全く議論の本筋がわかっていないのです。121.107.209.16さんの言っていることは要はグーグル検索ないしネット検索で「政教分離」と調べて出てきた文献で歴史記事を書きましょうという乱暴な議論です。私が言っているのはこの記事に書かれている内容から国家と教会についての歴史学的理解を確認できるので、その意味で記事内容をより明確にし、国家と教会の機構的分離、聖俗の思想上の分離を「政教分離」ということは一部を除いて一般的ではないので、「政教分離の歴史」という名前は上のようなググった議論をする手合いに文句をつけられる可能性があるので、さっさと改名しましょうということです。改名議論の推移も全く理解していらっしゃらないということでしたか。ググっている人は検索結果がすべてなので結局議論にならないのです。「『ドイツで国制史的な政教分離がなったとされる1803年までに限定』というにも、文献にあるのでしょうか。」については様々な文献で確認できますが、基本的な理解としては18世紀中に神聖ローマ帝国内の聖界諸侯は徐々に陪臣化と世俗化がおこなわれ、1803年帝国代表者会議主要決議において神聖ローマ帝国の国制は名目上も完全に教会の機構と分離し、世俗化することになります。という流れは別にドイツ史では常識的理解で、たとえば『ドイツ史研究入門』(p.98)などでも容易に確認できるわけですが、アメリカについて書くなについてはそもそもアメリカ合衆国ではその建国の時から国家機構と教会組織について分離が行われており、この記事でいうような分離の歴史がそもそもないという基本的事実をなぜ失念しているのか理解に苦しみます。おそらくググっても出てこないことはわからないのでしょう。--2001:268:C068:D20D:2C1B:7BF5:53CA:BE5B 2017年3月11日 (土) 15:59 (UTC)

記事に挙げられている文献を確認せずにググって見つけた記事内容と直接関係ない文献を用いて議論をすることが基本的に問題であるという表明であり、記事の品質を論じるならば、まずその根拠となる文献を検討するということは「信頼すべき情報源」と「検証可能性」に基づけば適切な判断であるように思われます。--硯箱会話) 2017年3月29日 (水) 12:04 (UTC)

そもそもの発端は独自研究だという疑いだったので、私にはこの記事の論点は比較的見慣れた内容だったので、私はとりあえず自分の知っている文献(これは元の記事では利用されていない文献です)を提示して記事内容はそれと矛盾しないということを論じ、そのうえで一部についてはよくわからなかったので参考文献に基づいて記事内容を精査する必要はあると思いました。実際そのように提案しております。私は記事の文献を確認して記述が妥当か議論するという議論過程が方針文書に基づいて行われると思っていましたら、一部の議論参加者はそもそも記事の参考文献を調査することをせずに、記事の執筆に利用されているとも思われない、そして趣旨の上でも記事内容とほとんど関係のない論文を示して記事内容は独自研究だという議論を展開いたしました。こうした議論の仕方は明確に誤りですし、検証可能性という基本方針の軽視です。そもそも検証可能性に基づけば、記事内容は文献で確認できるからまず正当性を持つのであり、別の関係ない文献が言及していないから独自研究だという議論はそもそも不毛です。まず記事の出所と思われる文献を検討し、新規の文献が提示されるならば、その文献と記事内容の整合性がまず検討されるべきだというかなりまっとうな主張をしているだけです。--硯箱会話) 2017年3月29日 (水) 12:32 (UTC)
もう一つこの発言で注意していただきたいと私が思っているのが、「ドイツで国制史的な政教分離がなったとされる1803年までに限定というにも、文献にあるのでしょうか。」という121.107.209.16さんの発言です。議論があまりにも噛み合わないので、121.107.209.16さんは基本的に自分が議論に提起した論文を読んでないか理解していないんじゃないかという疑いを私はずっと持っていて、実際指摘してるんですけれども、ここでもそもそも121.107.209.16さんがネットで探してきた新保論文を読めば、「リュッベがその説を提唱するとき,それはあくまでも,1803年帝国等族代表者会議によって制定され,公然たる歴史上の事実となったあの教会財産没収という事件を念頭に置いていたのであって」という指摘があって、1803年が何を指しているか普通はわかるはずなんです。少なくともこの論文のテーマがわかっていれば、1803年が何の年かというのは普通にピンときます。でも、121.107.209.16さんはそこもわかってないので、結局論点が全く追えていないんです。自分が提示した論文にも書いてあるのに、相手にそれを記載した文献はあるのかと聞いているのは、自分の提示した論文を読んでいないか理解していない証拠です。通例相手が提示した情報源は相手が内容を理解して提示していると思うので、こっちもそれを前提に話をするんですけど、言ってることがわからない。なんで提示された論文の内容について話しているのにわからないのか、議論を進めていくと、どうも121.107.209.16さんは自分の提示した論文を読み込んで話をしているわけではなく、都合のよい記述だけ拾ってきてるんです。また私の発言についても理解しているとは思えないところが多々あり、さらには議論の途中で私が記事を執筆したから私物化しているとか、元の記事は山田欣吾ファンが書いた(元々山田欣吾『教会から国家へ』は私が議論の中で提示した文献で、元記事には利用されていないので明らかな虚偽)とか、単純に事実誤認ないし妄想としか思えないことを口走って、そこらへんが何を根拠に何を目的として話しているのか私にはよくわからない。思い込みが激しいとしか言い様がありません。121.107.209.16さんが繰り返し主張しておられる「アメリカが政教分離の歴史では重要なんです」という発言も、元記事にはそもそもアメリカについてほとんど記載されていないうえ、記載されていないのはこの記事の述べている歴史学的な文脈での政教分離(つまり、国家と教会の機構的分離)という意味では、そもそもアメリカは当初から国家機構の上で政教分離はほとんど完成されていたので、問題とならないという点について何度か指摘しても全く理解して頂けなかった事実を明記しておきます。--硯箱会話) 2017年3月29日 (水) 21:38 (UTC)

つまるところ、このノートが肥大化しているのも通例期待される検証可能性と信頼できる情報源、中立的な観点という三大原則に基づいた適切な議論がされていないばかりでなく、一部の議論参加者が自ら提示した論文を読み込みもせずに都合のよいところだけ切り取って議論をするため、正常な議論活動が阻害されているのみならず、ところどころに根拠不明な妄想も織り交ぜて語るので、参考文献の検討すらまともにおこなわれていない異常な状態に問題があるのです。そのうえさらにただでさえ以上のような議論が錯綜している中で、ノートでまともな問題提起もせずにテンプレートを貼って議論を攪乱させることを意図した編集行動を取ったり、文献的な根拠もなく独自研究を記事に反映させようとする者も出てきており、記事の改善を真面目に検討される気があるのか、議論をうやむやにして記事の破壊を目的とした行動を取られている人がいるのではないかという点について強い危惧を表明いたします。--硯箱会話) 2017年3月29日 (水) 21:56 (UTC)

話を蒸し返す理由が理解しかねますが、2017年3月11日 (土) 15:59 の硯箱(当時IP)さんの発言は、私が3月5日に公表した書籍とインターネットを用いた文献調査報告以降の発言で、私がネット検索だけで議論を進めたわけではないことがこの調査によって証明されていますし、第一、私は一度も「グーグル検索ないしネット検索で政教分離と調べて出てきた文献で歴史記事を書きましょう」などと主張していません。この硯箱発言の時点では、2017年3月11日 (土) 13:56の記事の状態は、ベッケンフェルデと山田論文が提示されているにとどまっていますし、第一、私が出典の明記を求めていたのは、脚注の付けられていない文章です。この発言は私に対する捏造と歪曲による個人攻撃です。以前にも言いましたが、インターネットで閲覧可能な論文も書籍も両方出典としては使用できるのであり、書籍だけが「信頼できる情報源」なのではありません。書籍であっても、信頼できる情報源としては認められない本は多数ございます。
また、「アメリカ合衆国ではその建国の時から国家機構と教会組織について分離が行われており、この記事でいうような分離の歴史がそもそもないという基本的事実」というのは修正第1条のことをいっているのでしょうが、アメリカ合衆国が突然建国されたはずもなく、それまでのイギリス本国の状況および国教会との関連した歴史があります。「この記事でいうような分離の歴史」という発言も、自分で一方的に記事を規定しておいて、それに合わないものを排除する、という態度が、皆さんから指摘されているような記事の私物化なのです。
改名作業に入るかと思えば、またテンプレートを剥して保護され、ブロック依頼になってしまいましたが、無駄なことをやめて出典を明記する加筆を続けてください。知識があるのは認めますが、硯箱さんはウィキペディアが共同編集体制であることを理解されていないとしかいいようがありません。また、ウィキペディアの査読システムは通常の学会とは異なり、非専門家であっても発言の自由がありますし、議論と対話によって妥協点をみつけ合意形成をしていくべきです。話が噛み合わない原因を私に押し付けていますが、まったく不当な言いがかりですし、硯箱さんの編集姿勢が問題とされているのですよ。記事の破壊などといっていますが、議論の結果、出典をつけられた部分については改善したわけです。まだまだ後半は出典もないですし、すでに申し上げたように、他にもまだ改善すべき問題があります。例えば宗教改革の記事があるのに、ここで詳細を書くのは、立項関係からいって不適切です。--121.107.209.16 2017年3月31日 (金) 13:40 (UTC)
なお、ブロック依頼で私と他の編集者を同一視されていますが、違いますので。--121.107.209.16 2017年3月31日 (金) 13:45 (UTC)
とりあえずWikipedia:投稿ブロック依頼/硯箱で私が述べた121.107.209.16さんと利用者:大和屋敷さんが同一人物ないし関係者ではないかという点について、何かしら弁明なりをして頂けることを期待します。議論と対話による合意形成も公正な行動によって成り立つものであり、一方の議論当事者である私がブロック依頼され、もう一方の121.107.209.16さんがソックパペットないしミートパペットではないかと疑われる今の状況ではあまり正常な議論は期待できないのではないでしょうか。そして121.107.209.16さんが頻繁な論文誤読をしていらっしゃることは意図的ではないとはいえ、証拠の悪用に当たりますから、その点については適切な反省をして頂ければと思います。適切な情報源に基づき、検証可能性と中立的な観点に基づいて正常な議論ができればよいのです。--硯箱会話) 2017年3月31日 (金) 13:53 (UTC)
弁明はもう済んでいると考えるものです。私も明らかに別人であろうと考えております。むしろ、同一人物であると考える理由を硯箱様がご提示されるべきではありますまいか。自分と異なる意見を主張する人物を、同一視しているだけの個人攻撃であるとしか考えられません。一連の硯箱様の行為については、無期限ブロック票を強く主張する根拠を与えてくれているだけである、と捉えております。--RXX-7979Ⅲ会話) 2017年3月31日 (金) 14:00 (UTC)
私自身は121.107.209.16さんと利用者:大和屋敷さんが同一人物ないし関係者ではないかという点について十分熟慮した上で当該ブロック依頼ページで十分立証責任を果たしたと思われますので、あとはコミュニティの良識に任せるのみであります。私自身は当初からこの記事の編集権を主張するつもりもなく、どちらかといえば巻き込まれて仕方なく執筆と議論に参加した立場でもあり、私がコミュニティに混乱をもたらすだけということであれば、ブロックされても全く問題ありませんが、今回わずかな期間とはいえ、ウィキペディアに参加して些か異常と思われる内情についてはよく看取でき、この点についてこのコミュニティの自浄作用が正常に働かないのであれば、とくにここにとどまる必要もないとは考えています。私自身はウィキペディアの充実と改善を望みますが、今回の私の行動がそもそも無期限ブロックに相当するのかについても当初から疑問でしたし、ウィキペディア上の私の発言と行動の周辺に利害関心を共有する一群の人びとないし複数のアカウントが存在することも看取されました。したがって私のブロック依頼やここ数日の私の周辺での不可解な出来事についてコミュニティが注視し、問題を感じないならばそれはそれで柔軟性と即応性、多様性を失った百科事典プロジェクトへの興味・関心など私にはありません。--硯箱会話) 2017年3月31日 (金) 14:12 (UTC)

コメント ともかく、硯箱さんはTemplateを貼る、貼らないで口論になるよりも、複数の出典を提示して堂々とTemplate貼付の根拠を消し去ったほうが得策であると考えます。本記事は4月25日まで保護されていますので、例えばご自身のsandboxページで個人的に編集されてはいかがでしょうか。Templateを貼る、貼らないのレベルの議論で誰かがブロックされるのは、Wikipediaにとって損失です。--Susuka会話) 2017年3月31日 (金) 15:47 (UTC)

文献を示すことについてはほとんど問題ありませんが、ページ数なども含めていくと物理的な作業量過多になる現実的な問題があります。私自身の休暇も終わるので、できればスピード感を持って一度全体を書き直した後、細かく文献を充填していくほうが早い。問題は現状のどこが問題なのか論点整理のためにまず独自研究テンプレートなどを整理したいが(そうでないと分割作業にさえいかない)、そうして既存の論点を整理しつくすまえに新しいテンプレートをその上から貼っていくのは作業としても不毛であるのみならず、結局改善が後回しになるという点です。テンプレートは進展している議論にまず基づいて限定されないと、議論の新規参加者にも議論参加者にもどこが争点であるか明確になりません。要はテンプレートを一つ一つ解決せずに、貼っていく行動は作業を妨害する効果があり、さらには必要に応じて節を分けた後で単一の出典テンプレートを貼るというのは正当性がないのでやめてほしいということです。相手が正当性が無いことを認めないならば、作業の間だけ節を戻せば良いということになりますが、作業効率が落ちます。ここのノートでおかしいのは普通記事改善を行う場合、議論参加者が個別に参考文献を検討して出典を確認するという作業などが分担されるはずですが、なぜか私しかやってないことです。私が最初に節単位で検討しましょうと言ったのはそういう意味です。本来節単位で文献確認や問題点を整理すれば作業は早いし大した後腐れ無く進んでいくはずです。しかしここでの議論はそうではなく、議論参加者の一部が好き勝手にあまり本筋と関係ない情報源を示して独自の主張を展開しているだけになっています。記事の参考文献を検討するという一番大切なことがここまでほとんど行われていません。記事内容がそもそも多いから、基本的に文献を確認せずに無際限にテンプレートを貼られすぎている点が問題です。--硯箱会話) 2017年3月31日 (金) 16:02 (UTC)
上の121.107.209.16さんのコメントを見ても、「まだまだ後半は出典もないですし、すでに申し上げたように、他にもまだ改善すべき問題があります。例えば宗教改革の記事があるのに、ここで詳細を書くのは、立項関係からいって不適切です。」などというのは既存の方針文書に全く根拠が見出せない主張ですしはっきり言って何を言ってるか私にはわからないのですが、そもそも実際の記事改善作業が行われている途中でこんなことを言ってもしょうがないでしょう、他にすることないのかということです。「硯箱さんはウィキペディアが共同編集体制であることを理解されていない」と言いますが、共同編集体制っていうのは記事内容を好き勝手に論評し、いちゃもんをつけることでは無いはずだと私は思いますが。「後半は出典もない」と思うのなら、参考文献が挙げられているのですから、私がほかの作業をしている間に参考文献の中から確認すれば良いと私は思うのですが、これって共同編集の考えとして間違ってますか?って話です。--硯箱会話) 2017年3月31日 (金) 16:25 (UTC)
少なくとも記事と関わりの無い文献を集めてきて文献調査なんてやっているなら、その労力を参考文献の出典箇所判別に使ってもらいたいというのが私の意見です。--硯箱会話) 2017年3月31日 (金) 16:33 (UTC)
テンプレートは大した問題ではないです。神経質に考えすぎです。出典が明記された後ならば、テンプレートを外しても「いちゃもん」をつけることはできませんし、もし誤ってつけられたテンプレートであれば他の編集者にも判断が可能です。「単一の出典」テンプレートについては、これまでに私も含めた三人(もしくはそれ以上)の編集者が妥当としています。加筆については、宗教改革で詳細を書き、こちらの記事では「教会と国家の分離の歴史(仮名)」の全体の分量とバランスを考慮したうえで最低限の記載にとどめるべきです。また、他の編集者の発言に対して「その発言の出典はあるのか」などといっていますが、これは冗談ですよね?冗談でなければ、もう議論は不可能でしょう。加筆については、準備はしています。しかし、この記事で加筆するかは分量の問題から不適切であろうと考えているので、他の記事に加筆する予定ですし、関連記事に加筆を続けています。それに、ウィキペディアでは、出典を示す責任は掲載を希望する側にあります。私はこの記事の分量を増やすつもりはないし、硯箱さんの記事の規定については批判もありますので、こちらで加筆するのは最終的に合意形成がなされるか、あるいは硯箱さんがブロックされるか否かに関わらず、編集をやめられた後でしょう。なお、私は投票権がありませんが、ブロックには条件つきで反対です。その条件とは、硯箱さんが他の編集者との議論を深め、罵倒するのでなく、誠実に出典を明記されていき、その作業が終了した時点で、再び分割提案などがなされた時にも、誠実に対応されるならば、という条件です。私は、出典が明記された箇所については、感謝しておりますし、硯箱さんが冷静に加筆なさってくださることは、多大な貢献と考えています。私がずっといっているのは、その加筆する場所です。例えば、私は「政教分離の歴史」を今書いていますが、その中で三十年戦争を解説していると、長くなりました。ですので私は三十年戦争に加筆する予定です。私が宗教改革についていったのも、ただこれだけの話です。なぜこのような常識的な話を理解されないのか、不思議です。--121.107.209.16 2017年4月1日 (土) 15:38 (UTC)

「私がずっといっているのは、その加筆する場所です。例えば、私は「政教分離の歴史」を今書いていますが、その中で三十年戦争を解説していると、長くなりました。ですので私は三十年戦争に加筆する予定です。」という発言が端的に言って何を言ってるのか意味不明です。少なくともある記述が「政教分離の歴史」の主題により則った記述であれば、「政教分離の歴史」の記事に書かれるべきですし、三十年戦争のほうに書かれるのが適切だというのであれば、それは元々関連性が薄かっただけで長さの問題ではありません。「なぜこのような常識的な話を理解されないのか、不思議です。」と言われましても、これが常識だと思っていることが私にはわかりませんし、どちらかといえばとても常識とも思えない、かなり特異な主張のように思われます。一方の記事が内容が足りないと思われる場合は足りない方を加筆すればよい、それだけではないでしょうか。記事の尺の大小は、記事内容そのものの過不足とは全く関係ない話です。そのようなことを推奨している方針文書もないように思われます。それにこれまでの議論を踏まえれば誠実に出典を示す行動など121.107.209.16さんは一度も取っていないように思われます。私が知っている121.107.209.16さんの行動と言えば、記事の参考文献から出典を見つけることなどせずに、ただ単に自分がよくわかってないところに独自研究テンプレートを貼り付けているだけのように思われます。これまでの議論で121.107.209.16さんがこの記事に挙げられている参考文献を調査し、一つでも記事の出典を誠実に調査したことなどありましたでしょうか。--硯箱会話) 2017年4月1日 (土) 15:52 (UTC)

私にとって一番不可解なのは、現状の出典を確認する作業をなぜか私の側に一方的に押しつけられているように思われる点です。むしろ記事に参考文献が挙げられている場合、ある箇所が独自研究であると思うならば、とりあえずその箇所に使用されたと思われる文献を調査し、出典を明らかにして論じられるべきでないでしょうか。検証可能性に基づけば、このような行動が普通予想されます。しかるに121.107.209.16さんは口では「共同編集」などと言いながら、実際において記事内容の真偽の判定、出典の明記などの作業において議論相手と協調する態度は一切示しておらず、やっていることは自分の主張に都合のよい文献を、それもよく読みもしないで一部だけを切り取った形で利用して、記事の論評をしているだけです。これが記事の改善に資する行動とはとても思えないのですが、いかがでしょうか。--硯箱会話) 2017年4月1日 (土) 16:01 (UTC)
補足として「また、他の編集者の発言に対して「その発言の出典はあるのか」などといっていますが、これは冗談ですよね?冗談でなければ、もう議論は不可能でしょう。」という発言は私のどんな発言を指して、何を目的として語られたのか理解不能だったうえ、議論とは関係ないそれこそ罵倒のたぐいのように思われますので無視しました。--硯箱会話) 2017年4月1日 (土) 16:27 (UTC)
さらに補足として、ようやくわかってきたのですが、121.107.209.16さんは個別脚注方式のみを出典の明記だと勘違いしている可能性があります。方針文書に基づけば、出典の明記の仕方には「
  1. 本文中に注釈を挿入する
  2. 個別参照法
  3. 記事末尾に参考文献を記載する
」の3種類があるのですが、これまでの議論から出典の明記の方針誤読をしているのではないかと思われる疑いが濃厚です。この記事は少なくとも参考文献形式は満たしているわけですが、そのうえで議論に必要な措置としてあるいは記事のブラッシュアップとして、実際の出典箇所を厳密に特定するというのは別の話です。--硯箱会話) 2017年4月1日 (土) 16:52 (UTC)
参考文献は実際に出典として使用した文献であり、「関連文献」とは異なります。現状の文献の多くは「関連文献」であり、また参考文献にしてもどの記述に対応しているのか分かない箇所が多いです。一般に独自研究として除外されるものは、脚注なしで書かれているのがほとんどです。なぜなら、出典を書こうにも書けないからです。出典に書かれていないことを出典として使われている場合もありますが、これは確認後削除するのが妥当でしょう。記事の品質のレベルを3つに分類すると、
  1. レベルA:本文中に注釈を挿入して、どの出典を用いているかを明示している。
  2. レベルB:参考文献と関連文献があるが、記述と対応されていない。
  3. レベルC:出典も参考文献も関連文献もないもの
となりますが、現状はレベルB+であり、レベルAにしてほしいと要求しているわけですが、これはこの記事にかぎらず、ウィキペディア総ての記事にも要求されることです。なぜそれが必要かといえば、記事の品質をあげるためです。この記事における「独自研究」の話と、分量と分割の問題は、たしかに別の話ですが、これまでの分割のための議論で強固に硯箱さん(当時IP)が反対されたため、議論が停止したので、まずは「独自研究」問題をクリアしてくださいという経緯となりました。話はその後も蒸し返しもあり、行ったり来たりとなりましたが、硯箱さんによる基本的視野での加筆で、「独自研究」問題がかなり解決はしたのですが、それに感謝をしめしたところ、再び、硯箱さんが猛烈に話を蒸し返して本を読んだのかどうか答えろなどという恫喝めいた尋問を開始されたので、驚いています。その後、本は読みましたし、そもそも山田欣吾の論文だってちゃんと文献調査に示しています。ブロック依頼で感情的になり、私と他の編集者を同一視して、ブロック依頼されたのも私のせいだといわんばかりの憤りを感じられたのかもしれません。しかし、私も罵倒が繰り返されるなか、我慢し、かなり配慮して議論を続けてきたのです。以前にもアルトクールさんの会話ページで私が「文献がネット上のものでないので、確認できないからこちらの言い分が信用できない」などと主張したと捏造を行っていますが、その後も何度もネットでの論文も書籍も研究者による情報源であれば使用できるといっているし、誰も書籍は出典として不可などとはいっていないのに、また言い出しています(2017年3月29日 (水) 12:04発言)。人をもて遊んでいるとしか思えません。何の悪意があって捏造を繰り返すのでしょうか。これまでの議論がここまで長大になり、いまだに合意もできないことを硯箱さんは私のせいにしていますが、私側からいえば、硯箱さんは自説を繰り返して他の編集者の意見を否定するばかりだからです。その後、アルトクールさんにも相談なさっていたようですが、改名提案の話はどうなったのですか。「教会と国家」に改名されれば、私はそれで終結です。--121.107.209.16 2017年4月3日 (月) 15:25 (UTC)
まず突然よくわからない記事のレベル付けをしているのもわかりませんし、この記事は明らかに参考文献と関連文献を分けており、実際私がまだ前半部のみですが確認すると明らかに出典は特定できるので、この記事の参考文献があやふやだと121.107.209.16さんが断言している理由が不明です。「参考文献は実際に出典として使用した文献であり、「関連文献」とは異なります。現状の文献の多くは「関連文献」であり、また参考文献にしてもどの記述に対応しているのか分かない箇所が多いです。一般に独自研究として除外されるものは、脚注なしで書かれているのがほとんどです。なぜなら、出典を書こうにも書けないからです。出典に書かれていないことを出典として使われている場合もありますが、これは確認後削除するのが妥当でしょう。」というのは実際に参考文献を確認して例証しながら話をされているのであれば納得できますが、これまでの議論で記事の参考文献を踏まえた独自研究の可能性の問題の検討は全く行われていません。こういうことであれば、これは文献の確認をしていない単なる怠慢でしかないでしょう。また山田欣吾『教会から国家へ』を確認されているのならば、独自研究であるという議論が成り立たないことはよくご存知だと思うのですが、それを何かと理由をつけて納得しないのは121.107.209.16さんのほうであるというのが私の認識です。文献調査についても、121.107.209.16さんが主張されている趣旨に沿った、記事に使われている参考文献・使われていないと思われる参考文献を明確化するような文献調査であれば誰も文句は言いませんが、事典類などを好き勝手に解釈して選んで自分に都合の良い形で都合の良い文献を選んでいるだけでとても調査とは言えないでしょう。そもそもその結論については論文誤読をして文献裏付けのない、全くおかしな主張を押しつけてくる(これこそ正しい使用法の意味での独自研究です)となれば、話を聞く気が多少なくなるのがわかりませんでしょうか。--硯箱会話) 2017年4月3日 (月) 15:38 (UTC)
私が文献調査で「好き勝手に解釈して選んで自分に都合の良い形で都合の良い文献を選んで」いると?おやおや、困ったものですね。ベッケンフェルデはフランス革命を画期としていますが、フランス革命について書かれていないのはなぜですか?--121.107.209.16 2017年4月3日 (月) 15:51 (UTC)
そんなことは私は知りません。私は記事にフランス革命が含まれるべきでないという主張はしませんし、必要と思うのであれば、ベッケンフェルデの趣旨に沿う形で私が加筆したっていいですし、些末なことにすぎません。それに上記の発言は私の指摘への答えに全くなっていません。--硯箱会話) 2017年4月3日 (月) 15:58 (UTC)
ならば、フランス革命については加筆してください。なお、イギリス、アメリカにおける教会(国教会)と国家の分離について私はいま加筆を予定していますが、イングランドとニューイングランドにおける政教分離の歴史として新記事を作るか、また改名後の「政教分離の歴史」にするか、それとも、政教分離原則#歴史に書くかは検討中です。--121.107.209.16 2017年4月3日 (月) 16:07 (UTC)
とりあえず私のこれまでの121.107.209.16さんに関する上の指摘について何かしら返答をください。既存の参考文献が出典でないという主張をこれ以上続けるのであれば、記事の改善のためにも「121.107.209.16さんが主張されている趣旨に沿った、記事に使われている参考文献・使われていないと思われる参考文献を明確化するような文献調査」をして頂けますね?--硯箱会話) 2017年4月3日 (月) 16:15 (UTC)

分割に関する提案の募集[編集]

こんにちは。簡単に自己紹介をいたしますと、たまたまブロック依頼からこの記事の存在を知った者です。たまたま、以前、別の記事で関わったぽてから氏やJapaneseA氏などが議論に参加されていたので、目を通し、この記事は改善すべきであることと、硯箱氏が記事の私物化ともいえる行動をとられてその改善を阻止する存在となってしまっていることについて、認識いたしました。この「西洋中世史の教科書」ともいえるような記事を適切な記事名に変更し、分割することについて、これまで硯箱氏が妨害とも言える行動をとられていますが、今後の議論において妨害的編集をなさらなければ、ブロックする理由はない、ということになると思われます。ですから、硯箱氏が記事の私物化を目的とされているのか、それとも、Wikipediaの方針を理解されて行動を改められるのかを見極めるためにも、ノートはノートで議論を継続するべきではないか、という考えに至った次第でございます。

現在のこの記事に最も適切な記事名は「西洋中世史」ではございませんでしょうか。しかし、「西洋中世史」という学問についての記事であればまだしも、西洋中世史の概略的な記事(教科書のような記事)は必要ございません。まず、分割してスリムにした後で、「国家と教会」がいいのか「世俗化」がいいのかなどを話合ったほうがよろしいのではございませんでしょうか、という考えに基づき、第三者として、議論の調整に参加させていただければと思います。

まず、分割の案を募集いたします。一週間程度で案が出そろいましたら、それについて、議論を交わして頂ければと思います。これまで議論が活発に交わされておりますが、硯箱氏お一人が強硬に反対されてボツとなってしまっていると認識しております。そのような行動を継続されるということであれば、記事の私物化ということになりますので、方向性を変えてご自身でも案をご提出いただければと存じます。わたくしの考えといたしましては、政教分離の歴史#歴史的展開以降は、分割が適切であろうと考えておりますが、万一、案が集まらなかった場合に、提案を検討いたします。できましたら、これまで、議論に参加されていた方に案の提出をお任せし、第三者としての議事の進行役に徹するつもりで考えております。なお、この議論中における執筆活動は継続なさっていただいてかまいません。--雅ハルカ会話) 2017年4月3日 (月) 07:31 (UTC)

そもそもこのノートの議論の中で独自研究箇所をあらかじめ明らかにしてから分割されるべきであるということを踏まえて全体の方向性が進んできていた中で、分割提案を先行させる必要性について改めて主張される根拠は何でしょうか。その理由が上で述べる「目を通し、この記事は改善すべきであることと、硯箱氏が記事の私物化ともいえる行動をとられてその改善を阻止する存在となってしまっていることについて、認識いたしました。」ということであれば、私自身から見ればとても客観的な立場からの参加とは思えず、同時にこれまでの経緯を十分に確認されていないことからも、議論進行役としてせっかく立候補して頂いているとはいえ、不適格ではないかと思います。基本的にはここまで曲がりなりにも一定の方向性で進んできた議論を一方の主張に有利なように巻き戻す行為であり、それが十分根拠があれば納得できますが、理由の上でも一方に肩入れする主観性が見出されることから、議論の混乱を招くだけのように思われます。--硯箱会話) 2017年4月3日 (月) 08:53 (UTC)
また軽々に記事の私物化を持ち込んでおられますが、記事の私物化は記事の編集に対して排除行動をとることを意味しており、それは現状の記事内容を保護すべきか別の観点で書き換えるかという議論があるときに、現状の内容を保護すべきだという立場を一方的にレッテル貼りするためのマジックワードではありません。客観的に見れば、編集行動からの排除の動きは私の側に対して一方的に行われているようであり、客観的証拠の上からも私の編集行動のみを標的として妨害することを目的としたと思われる編集行為および発言の存在があることをWikipedia:投稿ブロック依頼/硯箱で私は丁寧に説明し、十分客観的に論証しているつもりであり、同時にそうした排除行動の一端として雅ハルカさん自身についても排除的な側に肩入れしているように見られる点を指摘しております。もちろんそれが事実であるかどうかはコミュニティの良識に任せる問題ですけれども、少なくとも「目を通し、この記事は改善すべきであることと、硯箱氏が記事の私物化ともいえる行動をとられてその改善を阻止する存在となってしまっていることについて、認識いたしました。」という記述は事実の歪曲であるように私には思われますし、「しかし、「西洋中世史」という学問についての記事であればまだしも、西洋中世史の概略的な記事(教科書のような記事)は必要ございません。」についてもこの発言はこの記事のノートで特定の利用者が繰り返し論じておられる主張に酷似しているのですが、そもそも教科書的というのは個人のイメージに過ぎず、厳密な方針の検討に基づく議論においてはノート中で決着は付いているとは言いがたいということも指摘しておきます。内容の取捨選択が必要という点において、私は当初から反対しておらず今も反対しませんが、その理由はむしろ記事の観点・論点を分野なども含めて極力明確化しそれに沿った史実と議論以外削ぎ落とすべきという理由であり、その手段として分割は必ずしも唯一の手段ではないですし、実際上私はこの記事の抱える問題点を分割という形で方々に拡散させるよりはまずはここで分割以外の問題点の改善を完了してから分割すべきということを論じており、それがそもそもの分割の差し戻し理由の一つでもありました(念のため補足しますが、理由はほかにもあったので、これが主理由ではありません)。雅ハルカさんの理由が「西洋中世史の概略的な記事」だからということであれば、その主張には明らかな偏向性が見られると思われますから、調停役として適切とは到底思われません。--硯箱会話) 2017年4月3日 (月) 09:10 (UTC)
はじめにお断りしておきますが、議論のための議論をするつもりはございません。議論のための議論としか思えず回答が不要であると判断した内容については、回答はいたしません。「中世西洋史」はWikipediaの何ではないか、に反するということ、また、中世西洋史の一部のみをピックアップする、そのピックアップの仕方が独自研究の一つである、ということから、分割の提案について議論を進めることが記事の改善にとってよろしいのではないかと考えた次第でございます。なお、硯箱氏の議論態度は、ブロック依頼における審議参加者による審議の対象となっていることをご認識ください。私としては、硯箱氏の議論態度が改善しさえすればブロックする理由はない、と明言した上での議論参加でございますから、頑張って協力的に作業できるということを証明されますように、願っております。なお、分割が必要であること、について異論がないものとし、分割提案の募集を停止はいたしません。--雅ハルカ会話) 2017年4月3日 (月) 09:33 (UTC)
雅ハルカさんの行動がノートでのこれまでの議論や他所での行動も含めて客観的に記事の改善に対して協力的な観点の申し出であるか、上の言動を見ても第三者的とは言えないように思いますし、調停者としてはとても受け容れられません。結果として有益な観点が提供されることもあることから、私は雅ハルカさんの行動自体をあえて積極的に止めようとは思いませんが、ウィキペディア上で同様の議論の進行が許されているのであれば、それは明らかにコミュニティを疲弊させる行動であるように思われるという点を指摘しておきます。--硯箱会話) 2017年4月3日 (月) 09:41 (UTC)
私は、硯箱氏が独自研究を理解されていないことが問題であり、4か月間の議論のほとんどが硯箱氏が独自研究を理解されてさえいれば多くが無用であったと考えております。それについて、この分野に関心のある人であれば、(硯箱氏をのぞけば)ほぼ同意見であろうと考えましたために、あえて、硯箱氏の主張に問題点があることを表明した上でノートで議論に参加いたしました。硯箱氏のこれまでの議論姿勢を正当化することは不可能でございますが、今このタイミングで改められませんか。全てはこれからの硯箱氏の行動如何でございます。--雅ハルカ会話) 2017年4月3日 (月) 12:40 (UTC)
  • コメント 硯箱さんは、編集行為やその内容の正当性など、いわゆる「大義名分」にこだわりすぎているように思われます。Wikipediaのコミュニティの存在意義は、編集行為の規則や手順を寸分の狂いもなく順守することにあるのではありません。あくまで、閲覧者に有意義な情報を提供することが主目的です。硯箱さんの現在の方針に対する風当たりも結構あるわけですから、これ以上手続き論を続けるのは全員にとって宜しくない事態です。--Susuka会話) 2017年4月3日 (月) 14:53 (UTC)
手続き論という観点で言われますと、むしろ手続き論的な話は私はこだわっていませんでしたが、議論参加者が方針文書を持ち出し、手続き論を展開するので、それならば手続き論をより明確に論じる必要があると思っています。「硯箱さんの現在の方針に対する風当たりも結構ある」という点に即して具体的に論じれば、私個人としては本来歴史学的な議論にとくに限る必要性は感じてませんでしたが、議論を踏まえる過程でむしろ帰属化・他の記事との差別化・閲覧者の便宜の面でも歴史学的議論に内容を限定し、そのうえで適切な改名をすることが最も適切であると考えてのことであります。利用者の閲覧の利便性を考えても関連する出典や議論が一つの記事にまとめられていることが便益に適うと思われますし、分割の是非については手続き論の問題だけを論じているのはないということはこれまでの議論でも丁寧に説明したと思いますし、直前に言ったとおりであります。--硯箱会話) 2017年4月3日 (月) 15:06 (UTC)
そのうえで改名後の跡地なりに「政教分離の歴史」として議論相手が満足する記事を書くことはそれはそれで結構ですし、私は否定してません。その場所として政教分離原則#歴史もあるのですから、今書く場所がないというわけではありません。問題は私から見ると、この記事に書かれているような議論、私が文献を補い明確化した議論を知らないと思われる人たちが好き勝手に記事の一部を切ったり貼ったり論評していることだと私は思っていて、そういう話をしていると結局どこが独自研究でどこが過不足しているのかという記事改善において最も中心的な点がいつまでたってもわからないでしょう、という話です。私が改名を先にした方がよいと思っているのも私自身が最初から主張しているのでは無く(私自身は当初は現状の記事内容と過去ログをざっと見て「中世の政教分離」とか「中世の国家と教会」とかなんかそんな感じでの改名を漠然と考えていましたが、議論の過程でそれでは不十分だということを認識しました)、そういう議論の流れから全体的に考えてのことです。そうした意味で丁寧に改名→分割という流れで話を進めてきたのに、今この時点での分割に固執するのはどうしてなのか私にはわからないということです。--硯箱会話) 2017年4月3日 (月) 15:14 (UTC)

分割提案[編集]

雅ハルカさんの募集に応じます。分割よりも改名がなされるべきですが、しかし改名後に再度分割のための議論をするよりもいま平行して議論を進めた方がいいと思い、提案します。

もっと細かく分割するよりもこれくらいのヴォリュームで一括して分割すれば、一定の可読性もアクセシビリティも保持できます。--121.107.209.16 2017年4月3日 (月) 16:00 (UTC)

まず明確な問題として、参考文献のどこが出典であるかわからない現状で、文献確認を経ずに分割することが適切であるとは思えませんし、過去の121.107.209.16さんの分割では編集の過程で明らかに誤ったと思われる出典箇所が修正されずに分割継承されてしまっています。また121.107.209.16さんが本記事を独自研究であるという主張を今でも頑なに取り下げていない現状で、そもそも独自研究の疑いのある記述を分割してしまえば、結果として発生するのは独自研究議論の分散であり、労力の分散です。この記事のように錯綜した議論をされている記事を議論を解決せずに分割することは、改善作業の面からも明らかに現実的ではないということをどうして理解していただけないのでしょうか。--硯箱会話) 2017年4月3日 (月) 16:12 (UTC)
121.107.209.16さん、突然の議論参加であったにも関わらず応じていただきまして大変ありがとうございます。硯箱氏と121.107.209.16氏より、分割よりも改名がなされるべき、というご意見をいただきました。せっかく分割のご提案をいただきましたが、ここで、一度、分割提案をクローズさせていただき、新記事名の提案を先にさせていただくということに、方向を転換させていただきますこと、お許しください。私の目的の一つとしては、どうにか、この停滞している状況をすすめることができるかどうか、原因がどこにあるのかについて、最終的に確認をできればということでございます。硯箱氏が分割には100%反対、改名そのもには賛成だが候補の名称に不満、ということを認識いたしましたので、改名について、先に議論をすすめさせていただくことが得策でございますね。ということで、ご迷惑をおかけしますが、いったんここでこの件に関する議論はストップでお願い致します。--雅ハルカ会話) 2017年4月3日 (月) 16:34 (UTC)

新記事名の募集[編集]

改名提案を先にという要望がございましたので、本日より一週間の間、改名後の記事の名前について募集いたします(分割については、いったん停止)。すでに改名提案がなされており相当な議論がされておりますが、申し訳ございませんが議論の流れが追いづらく、これまでの議論に継続してというのは難しいのではと感じております。参加者の皆様には大変お手数ではございますが、改名後の記事名(簡単な理由可)を、再度、以下にご提案いただけませんでしょうか。議論は、一週間後に開始するとして、今後一週間、記事名の候補のみ(簡単な理由を付けるのは可)を以下に挙げて頂きますようお願いします。重要なポイントといたしましては、議論は一週間後に開始をお願いしたいということでございます。他利用者が提案した名前の案について、次々にご意見を述べられるのは、お控えいただきますようお願いします。私自身は全く案がない場合には検討いたしますが、今のところは提案行為を行う予定はございません。--雅ハルカ会話) 2017年4月3日 (月) 16:34 (UTC)、一部取り消し--雅ハルカ会話) 2017年4月5日 (水) 15:24 (UTC)

どうも、お久しぶりです。話したら理解できるだろうと思って、議論に参加した次第だったんですけど、最近思うように時間がとれなくなってしまいまして、恐縮です。硯箱さんが方針を理解されれば万事解決する話なんですけど、全体の量も膨大ですが一次資料のテンプレのことだけで延々なのをご覧になりましたよね。まあ、一週間後に本格的に議論を再開するとして、まず、硯箱さんはWikipedia:ウィキペディアは何ではないかを読まれてください。たとえば、枕草子をご覧下さい。「書名の由来」「評価」「伝本」などの第三者による評価が主体となってますよね? 枕草子の全文やその現代語訳や助動詞の使い方とか書いてませんよね? 硯箱さんがされようとしてることは、いわば、枕草子の全文やその現代語訳や助動詞の使い方や自分なりの解説・解釈・豆知識とかを網羅して教科書や参考書やレポートの類をウィキペディアに作ろうとされてるってことだと思ってます。最近加筆された箇所については出典が単一でも「あった」ということは良かったですし、「提唱者によれば」とされて最初から書かれていればよかっただけなんですが、どうしても、自分が信じる真実を書くことを追求されてますんで。ウィキブックスで活動されれば、歓迎されるかもしれません。百科事典が何か、というのは、硯箱さんにご理解いただきたいですよね。--ぽてから会話) 2017年4月3日 (月) 23:13 (UTC)

新記事名の提案[編集]

  1. 「レース・プーブリカ・クリスティアナ」を提案いたします。これは歴史学的な原史料にもしばしば登場し、歴史学的に利用される専門用語「res publica christiana」をそのままカタカナで記したものですが、これには文献によって必ずしも定訳がなく、「キリスト教世界」や「キリスト教国家」と訳すと、ここで展開された「政教分離」の言葉に引きづられた議論のように、「キリスト教世界」「キリスト教国家」といった言葉の表面的なニュアンスに引きづられた誤った認識や議論が持ち込まれてしまう可能性があります。そのため歴史学的な専門議論であることを明確にするためにもやや異例と思われるのですが、「レース・プーブリカ・クリスティアナ」ないし「レース・プーブリカ・クリスティアナの歴史」への改名を候補とします。ほぼ同内容の専門用語として「corpus christianum」も存在しますが、管見の限り、文献的には「レース・プーブリカ・クリスティアナ」の使用が圧倒的に多いと思われます。ちなみに言語間リンクとしてもen:Res publica christianaが存在します。記事冒頭部は改名に合わせて適切に処理される必要はあります。--硯箱会話) 2017年4月3日 (月) 16:47 (UTC)
  • 「教会と国家」を提案します。「キリスト教の教会と国家」等類似の名前も可。ただし、記事名を「〜の歴史」とはせず、記事内の節名を「〜の歴史」とする。今年に入ってから硯箱さんが加筆された内容が、当初から目指していた通り、en:Church and state in medieval Europeに対応してるので。なお、教会と国家が一体であった時代については、記述されたいのであれば政教一致という記事があります。世俗化の概念の誕生から始めるのは「教会と国家」の関係性を記述されたかった、「教会と国家」を意図して一つ目の節をお書きになられた、と理解してました。あれ、違ったんですか? とちょっとビックリですがその話は一週間後ということで。--ぽてから会話) 2017年4月3日 (月) 23:13 (UTC)
  • 「キリスト教国家論の歴史」くらいですかねえ。レスレースプブリカ・クリスティアーナ(キリスト教共同体)も悪くないとおもうのですが、wikipediaは百科事典ですので先ず項目名として検索されてくるある程度の必要性があり、レスレースプブリカ・クリスティアーナres publica christianaではさすがに専門語的すぎる気がします(悪くはないです)。en:Res publica christianaについてはリンク先記述が辞書的記載程度ですのであまり考慮する必要ないと考えます。「教会と国家」「キリスト教の教会と国家」でも結構ですが後者のほうがキリスト教を含むので明晰なtitleと考えます。大和屋敷の提示する「キリスト教国家論の歴史」の場合「キリスト教国家論」という用語があまり汎用される語ではないのがきらいと言えます。--大和屋敷会話) 2017年4月4日 (火) 06:24 (UTC)
  • 「レスプブリカ・クリスティアナ」でよろしいと思います。長母音表記や訳語は本文で説明すればいいです。大和屋敷さんの「専門語的すぎる」というコメントについては、ヨーロッパ中世史の専門用語なので仕方ないということ、そして硯箱さんのご指摘のとおり訳語が定まってないので、正式名称ということでいいでしょう。「レスプブリカ・クリスティアナの歴史」は親記事の「レスプブリカ・クリスティアナ」という記事で定義等が肥大化して分割が検討される場合のことで、現在はその親記事がないので、記事内の「歴史」節で書けばいいとおもいます。「教会と国家」もいいですが、一語の方がすっきりしますし、記事の対象を厳格に特定した方が「教会」や「国家」の定義で混乱することもないでしょう。また、政教一致での「教会国家」や「国家教会」は近代の用語なので、当時の言葉の方が間違いないと思います。--121.107.209.16 2017年4月4日 (火) 13:28 (UTC)
    • 「res publica」について硯箱さんの表記方法と違うのが気になり調べましたところ「res」は「レース」と伸ばすのが正しいようですので確認ください[4]。とはいえ「レスプブリカ」とする邦訳論文も多くあり、はてさてここからという感じです。--大和屋敷会話) 2017年4月5日 (水) 02:18 (UTC)christianaについても硯箱さんとIP氏は「クリスティアナ」ですが、ラテン語では「クリスティアーナ」がどうやら正用のようで、ですが「クリスティアナ」も邦訳論文にあるようでハッキリしません。--大和屋敷会話) 2017年4月5日 (水) 02:27 (UTC)
長母音の表記の問題ですね。こちらをどうぞ[5]キケロを「キケロー」と表記すべきかどうか。母音表記は研究者によって見解も異なることでしょう。日本でも一般に知られる「キケロ」と違って、このレスプブリカ・クリスティアナは、まだ各種事典にもないでしょう。あったとしても、キリスト教共同体、キリスト教国家等に訳された見出しとなっているでしょう。この表記の件への私のコメントはすでに述べた通りですが、主な加筆者である硯箱さんにおまかせします。--121.107.209.16 2017年4月5日 (水) 11:59 (UTC)

どの名前が良いか[編集]

みなさま、記事名のご提案をありがとうございます。議論参加者による候補が出そろって参りました。当初予定としていた一週間の冷却期間を置くことなく、落ち着いた議論が出来る気配を感じましたので、一週間、議論を待って頂きたいという要望を取り下げたいと存じます。今のところ「レース・プーブリカ・クリスティアナ」、「レスプブリカ・クリスティアナ」、(「レースプブリカ・クリスティアーナ(キリスト教共同体)」)、「キリスト教国家論の歴史」、「キリスト教の教会と国家」、「教会と国家」あたりが候補に出てきております。大別しますと、「レース・プーブリカ・クリスティアナ」関連(表記揺れ含む)、日本語名関連(「キリスト教国家論の歴史」、「キリスト教の教会と国家」、「教会と国家」)、「教会と国家」関連(「教会と国家の関係性」「キリスト教の教会と国家」)となりますでしょうか。記事冒頭部は、硯箱氏より新たに加筆をされたいという表明もございましたので、現記事との相違については考慮無用といたします。なお、議論中に新たに新記事名を提案されてもかまいません。

まず、硯箱氏にお伺いしたいのですが、皆様の新記事名のご提案を見て、それでも、絶対「レース・プーブリカ・クリスティアナ」が良いとお考えでしょうか。たとえば、「レスプブリカ・クリスティアナ」については、いかがお考えでしょうか。硯箱氏の主張をいただきまして、それをもとに、議論を行えればと思います。なお、既に長大な議論となっており、どの記事名でも閲覧者にとってそれほど大きな差異はないと思われますので、記事名だけで新たに一ヶ月などの議論を行うよりも、分割や記事の改善に労力を割いた方がよろしいのではないかと考えております。議論が落ち着いても一つに定まらなかった場合は、単純投票(多数決)による決定を視野にいれておりますことを、あらかじめ述べておきます。では、お待たせ致しました。硯箱氏のご見解をお聞かせ頂きますよう、お願い申し上げます。--雅ハルカ会話) 2017年4月5日 (水) 15:24 (UTC)

硯箱さんの回答前に恐縮ですが、表記揺れは置いといて「レスプブリカ・クリスティアナ」への改名に反対される方がいない場合は、改名作業に移っていいと思います。ぽてからさんは「レスプブリカ・クリスティアナ」に反対されますか?
この記事は4月25日まで保護されているので、実際の改名作業はそれ以降になります。「レスプブリカ・クリスティアナ」として改名する場合は当然冒頭部分で出典を明記したうえで説明し、さらに記事全体の概説を執筆する必要があるわけですが、硯箱さんがそれをしてくださると思います。もし、硯箱さんが今後回答もなく改名作業をされない場合は、私がその作業を行います。もちろんその場合は、出典を明記します。--121.107.209.16 2017年4月10日 (月) 16:18 (UTC)
どの名前でもあまり検索されなさそうで、孤立しそうな程度も同程度ですし、どうしても反対ということではないです。日本語の名前のほうが好みだったんですけど、そこで揉めるかもということもありますよね。表記揺れもどれもある程度検索で見つかるのでどれでもOKです。--ぽてから会話) 2017年4月10日 (月) 23:09 (UTC)

コメント 「レスプブリカ・クリスティアナ」への改名に反対される方がいないことを確認いたしました。表記揺れについては、みなさまいかがお考えでございますか。--雅ハルカ会話) 2017年4月18日 (火) 14:08 (UTC)

コメント 「レスプブリカ・クリスティアナ」の表記揺れについてご意見がございませんでしたので、私としては改名について121.107.209.16氏に一任いたしたいと考えております。大和屋敷氏は、「res」は「レース」、「クリスティアナ」は「クリスティアーナ」が正式であるらしいと発言しておられますが、「レース」にするか「クリスティアーナ」にするかについても121.107.209.16氏に一任し、「レスプブリカ・クリスティアナ」とするということでもよろしいでしょうか。なお、現時点から一週間の間、反論が寄せられない場合には、改名は121.107.209.16氏に一任、が承認されたとみなすことをあらかじめ述べておきます。--雅ハルカ会話) 2017年4月27日 (木) 14:41 (UTC)

    • 硯箱さんが回答されないので、また、改名編集をされないので、私が一週間後以降に編集いたします。--121.107.209.16 2017年4月29日 (土) 17:07 (UTC)
議論の進展におかしい点が多々あるので、現状の変更には問題があると思われます。
  1. 「政教分離の歴史」という時の「政教分離」の言葉については出典を示しても難癖をつけて問題にしたにも関わらず、私が適当に示した「レースプブリカ・クリスティアーナ」という言葉はなぜか出典も確認せずに同意しています。このことからはっきり言ってしまえば、この記事に「政教分離の歴史」とついているのが気に入らなかっただけなのだろうということがいえます。政教分離原則とこの記事が述べている歴史学的な政教分離論の区別は文献で明確にされており、しかも複数の文献で検証可能性が満たされているにも拘わらず、難癖をつけて一般的でないとか独自研究であるとか中立的な観点に反すると、対抗する文献を示さずに印象論でずっと議論しているのもそのためだと思われます。
  2. 調停者を自称しておられる雅ハルカさんですが編集履歴の上でも、当該項目に十分な知識を持っているとは思われず、また立場的に中立的であるとは考えられません。実際ここまで議論の推移を眺めてみましたが、ウィキペディアになじまない「多数決主義」を採用することを表明しておられること、またソックパペットの疑いを指摘してたにも拘わらず、その点について明確な釈明がないことなど不審な点が多く、個人的には正常な議論進行が行われているとは思いません。
  3. 次に121.107.209.16氏と大和屋敷氏も明確なソックパペット関係にあるように思われますので、その点について明確にならない限り、透明な議事進行が行われるとは思われません。
  4. 121.107.209.16氏はいつまでたっても文献調査をしたりせず、独自の見解を自身に都合の良い記述を見つけてきて論じているだけです。論文誤読も多数行っており、基本的に十分な学識と読解力があるとも思われませんし、何度も指摘したように、相手の意見も正確に汲み取ることが出来ないので、正常な議論が出来ません。というより、意図的に都合の悪いところは読んでいないと思われます。
基本的に私自身は以前にも申しましたとおり、編集に関わる気持ちはもう全くありませんが、とくに近年近代国家体系とは何かという問題意識は歴史学だけでなく、国際関係論などでも重要な論点となっており、ウェストファリア体制とドイツ国制史の問題、政教分離原則や主権理論の前提となる国家機構における政教分離、あるいは世俗化の過程については大きな問題となっています。現状のウィキペディアの問題点はこうした細かな議論に十分な参加者がいないことと、ミートパペット行為およびソックパペット行為が横行していることで、それが利用者の減少につながっています。ここでの議論も次々とミートパペットが登場し、議論の正常な進行が妨害されていることが確認できます。そして私が状況証拠的に明らかであるので、こうした事実を指摘しても、むしろ個人攻撃であると言論を封殺しようという態度がやはりソックパペットないしミートパペットを使って見られます。ウィキペディアが現状のような状況にある限り、私はボランティア精神を発揮して加筆するつもりもありませんし、ウィキペディアの信頼性が著しく低い原因もそこにあると思われます。とりあえず以上を持って、現状の議論では改名は不適切であると致します。--硯箱会話) 2017年5月2日 (火) 05:12 (UTC)
硯箱氏から、他の利用者へ、個人攻撃がございますことについては、誠に残念でございます。
ということについてはすでに合意が形成されております。硯箱氏は新名称として「レース・プーブリカ・クリスティアナ」を提案されております。「政教分離の歴史」のままとするという提案は、これまでございませんでした。したがいまして、「政教分離の歴史」以外の名前に変える、という合意に硯箱氏が賛同されていますので、上記の合意の破棄としか表現のしようがないコメントについては、理由が理由にもなっておりませんし、今更考慮は出来ないということになると思われます。私といたしましては、硯箱氏が、個人攻撃をされ、一方的な合意破棄をなさったことを持ちまして、硯箱氏が議論態度を改善なさっていないと判断しております。せっかく、ブロック無期限賛成票を撤回することを視野にいれて議論をしておりましたところ、もったいないことをされました。硯箱氏は、もう一度、よく考えてご発言をされますよう、お願い申し上げます。--雅ハルカ会話) 2017年5月2日 (火) 09:16 (UTC)
まず議論の推移で意見が翻ることもあり、また現状は議論の最中であり合意は形成されておりません。私はただ単によりよい記事内容のために適切な議論が必要であると述べているのであり、まずは改名提案の根拠について適切な文献的フォローが為されるべきという当然のことを言っているまでです。そうした当然のプロセスが簡単に無視される問題点はどこにあるかについて上で述べたのであり、合意の破棄などというものはそもそも合意があって初めて成り立つもので、現状改名すべきという点についてはほぼ同意されていると思われますが、最終的な改名案については合意はされていない状況であると思われます。私自身は「レースプブリカ・クリスティアーナ」にも文献的根拠はあることは存じておりますが、私にはどういう文献的な根拠に基づいて他の利用者が私の改名に賛成しておられるのかわからないので、その点について明確にして頂かない限りは現状の「政教分離の歴史」のほうが文献的根拠がある分適切であろうということです。そもそもこれまでの議論もそういう形で行われてきたはずです。そういう事情をご存知でないか意図的に無視されているあたりも私としましては不可解で、雅ハルカさんが議論内容を了解していないで参加していらっしゃるように思われ、強引な議論誘導を目的として参加しておられるように思っている根拠であります。--硯箱会話) 2017年5月2日 (火) 11:54 (UTC)
一ヶ月近くも回答をせずに議論をしないで放置しておいて、なにを言っているのですか。「編集に関わる気持ちはもう全くありません」と断言するのであれば、参加しないでください。学会に所属されていると自分でいっていますが、ウィキペディアは学会ではありません。学会で活躍してください。ウィキペディアでは自分の主張や観点が否定された後もぐだぐだと固執し、いつまでも言い続け、他者の言葉を受け入れたり自らの過ちを認めたりすることを拒否して、いつまでも論争を続けようとする態度は間違っています。硯箱さんの改名が不適切であるという主張はなんら根拠のない個人攻撃を理由としたもので、まったく合理性も正当性もありません。文献はJ.B.モラルやダントレーブ、五十嵐論文その他を使用する予定です。大和屋敷さんと私は違いますと何度いえばいいのか。私が大和屋敷さんのパペットであることを証明しない限り、妄想による幼稚ないいがかりにすぎませんし、改名反対の理由にもなりません。--121.107.209.16 2017年5月2日 (火) 13:00 (UTC)

レースプーブリカ・クリスティアーナについての改名が適切かという点についての文献的調査[編集]

まずここでレースプーブリカ・クリスティアーナという記事名が適切であるかという点について文献的に問題が無いか調査される必要があります。私自身もことさらに反対するわけではありませんが、政教分離の歴史という記事名に対し、レースプーブリカ・クリスティアーナという記事名に変更するのが適切であるのかという点について議論は深められておりません。レースプーブリカ・クリスティアーナという語は専門用語であり、歴史学と政治思想史、神学用語としてそれぞれに固有の用語法を持って使い分けられている伝統的な背景があることから、個人的には「政教分離の歴史」という記事名以上に問題をはらんでいると思われます。おそらく121.107.209.16氏はダントレーヴ『国家とは何か』、モラル『中世の政治思想』、五十嵐『王国・教会・帝国』を用いると思われますが、私の手許にもこれらの書籍はあるので、まずこれらの文献によってなぜ現状の記事内容がレースプーブリカ・クリスティアーナに改名されるべきなのかについて慎重な検討が必要と思われます。そうでなければこれまで改名議論一つについてもここまで時間をかけてきた意味もなく、実際そのような厳密性を求めてきたからこそここまで議論は長くなっていると思われます。そこでここではまず、レースプーブリカ・クリスティアーナというのはどういう用語であり、また記事内容との関係性においてどうして改名先として適切であるのかという議論が必要です。なぜなら、私から見れば、はっきり言ってしまえばこの記事でレースプーブリカ・クリスティアーナを正面から説明している箇所はなく、内容もレースプーブリカ・クリスティアーナの歴史とはなっていないからです。--硯箱会話) 2017年5月2日 (火) 15:05 (UTC)

また当然のこととして、レースプーブリカ・クリスティアーナを扱うということであれば、それは当然の結果として記事の射程を神聖同盟からヨーロッパ共同体構想、EUにまで広げることになるのであり、現状の記事内容と大いなる齟齬が発生することが明白であるからです。この点について今までの議論で深められた認識が得られているとは思われず、これをまじめに行えば記事内容は現在よりも膨大になることが予想されますが、安易な改名によって現状でさえ十分理解されているとは言えない議論内容を複雑化する必要があるのかという素朴な疑問もあります。--硯箱会話) 2017年5月2日 (火) 15:10 (UTC)

質問 2017年4月3日 (月) 16:47 (UTC)に硯石さんは『レスプブリカ・クリスティアナ』を候補として提示しましたよね?あの提案は、「強いて改名するとしたらこれだが、これにも問題がある。現状がベストだ」ということでしょうか?あるいは、提案後に色々考えて、考えが変わったということでしょうか?--Susuka会話) 2017年5月2日 (火) 15:14 (UTC)

私としては改名の候補としてはありだが、まずこれまでの議論として文献的な裏付けがつねに問題とされてきたので、それをクリアしなければいけないということです。改名提案というのはそもそも記事の名辞を変えるということですから、以前の記事名と比べて適切なのか、記事内容と照らし合わせて適切かという議論が存在します。はっきり言ってしまえば私は記事名を提案しただけであり、それは叩き台でこれまで記事内容についての議論が記事の参考文献に基づいて全く行われていないこともありますし、その検討を行う必要がいよいよ差し迫って生じていると思われます。そもそもこの記事は「政教分離の歴史」として立項されている経緯を踏まえれば、なぜ新しくレースプーブリカ・クリスティアーナを立項せずにこちらを改名するのかという当然の議論があるはずです。そのため少なくとも文献的な根拠は明確にしておくべきです。私からすると、レースプーブリカ・クリスティアーナという記事名は記事内容とずれているので、はっきり言って50点くらいですが、なぜそれについて、「政教分離の歴史」という記事名にはあれほど厳密な文献的裏付けを要求しておいて、とくに文献的裏付けもなく賛成意見が集まるのか不思議ですし、ダブルスタンダードになっていると思っております。ウィキペディアは多数決主義ではありませんし、記事名の変更には内容に対して適切であるのかという論点はつねに必要なはずです。それは議論参加者が全員賛成だからという理由ではなく、文献的な根拠を元に検証可能性と中立的な観点に則って合意すべきであり、それが独自研究を避けるために必要なことであると思われます。改名するにせよしないにせよ、記事の参考文献の調査が必要だと思われますので、記事の出典箇所を明らかにしながらレースプーブリカ・クリスティアーナで適切か文献的に検討する作業は必要不可欠です。--硯箱会話) 2017年5月2日 (火) 15:26 (UTC)

妨害的編集を続ける参加者への対処の仕方についてどうかお知恵をください[編集]

私は、議論のための議論は好みません。硯箱氏がなさっているのは、議論のための議論にすぎません。大変申し訳ないのですが、「レスプブリカ・クリスティアナ」で良いと結論が出ていることについて、これ以上議論を繰り返すことに、なんの意味もないと考えています。ここまで振り返りますと、硯箱氏だけがコロコロ自分のご意見を変えています。他人の批判についても、ソックパペットだとかあまりにもいい加減な中傷でございます。なお、硯箱氏は、コミュニティの仲裁無視に加え、真っ当に生産的活動を行う利用者を追い出そうとする最終段階に達しました。ソックパペットであればブロックされるべきでございますが、ブロックに向けての行動を起こされる気配もございません。つまり、真っ当に生産的活動を行う利用者に言いがかりをつけて、記事の私物化をされているだけではございませんでしょうか。「改名について121.107.209.16氏に一任する」という合意形成の途中で、妨害を受けただけでございます。硯箱氏の主張は、「妨害的編集者がコメント依頼でまとまったコミュニティの合意を拒否する場合」に該当いたしますことが明らかとなり、現状は、妨害的編集を続ける参加者一人の反対に振り回されているということになりましょう。私といたしましては、コロコロ言うことが変わる硯箱氏とは議論は成り立たないため、硯箱氏を除く利用者によって、この記事の議論を続ける以外の対処法は思いつきません。硯箱氏がコロコロを発言を変え、妨害的編集を行い記事の私物化としか考えられない行動をとっていることについて、第三者のコメントを待ちたいと思います。--雅ハルカ会話) 2017年5月2日 (火) 13:39 (UTC)

  • コメント 今回、『レスプブリカ・クリスティアナ』に改名することを提案したのは、硯石さんですよね?何故自ら、議論を引っ繰り返そうとなされるのでしょうか。「『政教分離』の時は出典を示しても難癖を示したのに、今回まともに出典を確認しないのは不誠実だ」というのは、手続き論として強引に過ぎます。硯石さんご自身が文献的な根拠を知っているとのことですが、何故自らその根拠の正当性に疑義を投げかけるのかがわかりません。自身をも厳しく律しておられるつもりなのか、過去に出典関係で執拗に問い詰められて気が立っているのかはわかりませんが、自分が提案した選択肢の疑義を自分から切り出すのは、傍から見れば議論を無視した独り相撲でしかありません。本稿は議論参加者の資格を審議する場ではなく、記事の改善を議論する場です。--Susuka会話) 2017年5月2日 (火) 15:09 (UTC)
正直、タイトルはあまりこだわる部分ではないと思います。本来議論すべきは記事の射程をどこまでにするか、また現実的にどの部分をウィキペディア記事として方針に基づいて充実させることができるか、でしょう。仮にタイトルを決めるのが遅れたとしても、射程の議論を深めることは有益だと思います。加筆が進み、射程が定まれば、タイトルの問題は自然に落ち着くはずです。 --49.239.68.223 2017年5月3日 (水) 09:41 (UTC)

記事の内容と改名先の整合性[編集]

まさに記事の改善を問題を論じています。記事の改善という点で言えば、改名が適切であるか、つまり記事内容に対して改名後の記事名が適切であるか、文献的に検証可能で中立的かという議論は外せないという当たり前に踏まえるべき議論を言っているだけです。私自身「レースプーブリカ・クリスティアーナ」という記事名で期待される記事内容をよく考えてみますと、現状の記事内容とはちょっとずれているなという印象があると思っております。なお、私が知っているのはレースプーブリカ・クリスティアーナという用語の文献的根拠であり、現在の記事内容がレースプーブリカ・クリスティアーナの記事として適切であるという文献的根拠ではありません。繰り返しになりますが、レースプーブリカ・クリスティアーナに改名すると、期待される記事内容はおそらく今の内容より、歴史学的議論としては一定程度共通部分があるにしても、より政治思想史・国際法史・国際関係論・神学に寄せて書く必要が生じると思われます。同時に近年活発に進められているウェストファリア神話の解体とドイツ国制史の議論により深くコミットすることになると思われます。記事の対象範囲も神聖同盟までは確実に引き延ばされると思われます。私自身改めて記事を読んで思いましたが、むしろシンプルに記事名を「中世ヨーロッパの政治」あるいは「前近代のヨーロッパの政治」にして中世の前国家的形態と教会政治の記述に集中したほうが内容的にも整合的でよいように思われます。それならば記事のリミットは1803年という現状の合意内容とも整合的で記事の内容とも合致しているように思われます。--硯箱会話) 2017年5月2日 (火) 23:08 (UTC)

硯箱さんは、「中世ヨーロッパの政治」あるいは「前近代のヨーロッパの政治」という記事名にすべきだ、という話をされてるんでしょうか。ご自分の主張を頻繁に変えられてるみたいなので確認です。--ぽてから会話) 2017年5月3日 (水) 06:22 (UTC)
一般論として、「政教分離の歴史」→「レース・プーブリカ・クリスティアナ」のようにガラっと変わる改名をすると、記事の内容を一部調整する必要ができるのは皆さん承知の上だと思いますよ。記事名に単なる誤字があったとか、アルファベットからカタカナ単なる文字種の変更、といったケースなどとは違いますので。射程が変わり、適宜他の記事に移したりすべき部分も出てくるでしょう。関連記事と合わせてみて喪失がなければよいものと思います。この1記事だけを考えて以前の内容や射程を維持することにこだわる必要はありません。タイトルをやや超える範囲のことに説明上触れざるをえないのが気になるのであれば、「背景となる中世ヨーロッパの政治状況にも触れる」などと断り書きを付けるのはいかがでしょうか。「「レース・プーブリカ・クリスティアナ」の用語法」のような節を作って、学者間での立場の差や意味の微妙な変遷を整理するのもいいかもしれませんね。「レース・プーブリカ・クリスティアナ」の利点は、専門用語であるためどこまでが対象になるかについて人によるブレが少ないことでしょう。いずれにせよ充実した加筆を期待します。 --49.239.68.223 2017年5月3日 (水) 09:32 (UTC)
この記事は、むしろ、過剰な記述を整理しなければならない段階であり、記事名は変えるべきだという合意は形成されてると言えるでしょう。発言されるたびに、主張が頻繁に変わられていますが、硯箱さんは、結局、改名の名前はなにがいいと主張されてるんですかね。--ぽてから会話) 2017年5月6日 (土) 11:28 (UTC)

ノートで合意していないのにリバートする行為は私物化ではないのか[編集]

硯箱さんが、ノートで合意したとか、していないという理由でリバートを繰り返されていますが、これって、私物化ですよね? ノートで合意したとかしていないとかは、単に、硯箱さんだけが思い込んでいるだけですよ。--ぽてから会話) 2017年5月6日 (土) 11:26 (UTC)

文献的な裏付けもなく、一般的な理解についての記述を誰々の教説という節名にしたり、記述を追加したりすることはウィキペディアの方針に反する独自研究です。そもそも方針に反する不適切な編集ですが、そのうえでさらにそのことについて現に話し合われているノートでの議論を無視した編集を、議論の一方の当事者であるぽてからさんや121.107.209.16さんが議論が現に進行しているのを承知で繰り返し強行しようとしています。そうしたあまりに不適切な編集をリバートしたら私物化だというのは方針文書にも根拠がないように思えます。そもそもぽてからさんの言うような理屈が通るなら議論を無視して編集合戦を誘発しようとしている人の思うがままになってしまいますからね。--硯箱会話) 2017年5月6日 (土) 13:05 (UTC)
  • 硯箱氏は「私自身は以前にも申しましたとおり、編集に関わる気持ちはもう全くありません」[6]とおっしゃっておられますので、あとは他の編集参加者に任せて頂きましょう。自分で提案したタイトル案[7]なのですから自身で責任をもってこのタイトルが適切である点について提示してください。その仕事はあなたがするのです。適当に思い付きだけでタイトル案を提示したけれども、誰も検証してくれないし、自分もこのタイトル案は「政教分離の歴史」より相応しくない[8]ので採用すべきではない、などという趣旨の論述は、編集検討を阻害するものであり、極めて不適切です。--大和屋敷会話) 2017年5月9日 (火) 02:21 (UTC)

まず私が「政教分離の歴史」という記事を決めたわけではないということを大和屋敷さんは全く失念しておられ、次に私は「政教分離の歴史」という記事内容にとって適切だと思う内容をそれもノートでの議論で「政教分離の歴史」の記事の出典として議論相手とも一定の了解を得ている文献に基づいて私が加筆しており、レースプーブリカ・クリスティアーナという内容の記事にその出典となる文献を用いて加筆したわけではないことをよく理解されていないように思われます。次に改名ということであれば、改名後の適切な編集が行われる必要があり、その編集は検証可能性や中立性を満たす必要があります。そのため、当然の流れとして改名前に文献の確認などが行われる必要があるという当然の論理を展開しているだけで、それを行わないのであれば、むしろ現状で検証可能性と中立性がより適切に満たされていると思われる改名前の状態が良いというこれも当然の判断をしたまでです。また「私自身は以前にも申しましたとおり、編集に関わる気持ちはもう全くありません」という気持ちは今も変わっておりませんが、それは議論に参加しないということでもありませんし、議論を無視した不適切な編集行為に対して何もしないという意味ではありません。議論が正常に行われない、不適切なタグ貼り行為などの妨害行為や複数IPが短時間に編集合戦を仕掛けるような状況、検証可能性や中立的な観点を無視して独自研究の記述を多数決で押し通そうとするような事態などが沈静化し、記事内容について適切な結論が出るまではこれ以上積極的に加筆するつもりはないということです。そうした事態の沈静化が見られないことにはたとえ慎重に加筆しても編集合戦につながりかねないですからね。--硯箱会話) 2017年5月10日 (水) 04:24 (UTC)

  • 硯箱氏は「私自身は以前にも申しましたとおり、編集に関わる気持ちはもう全くありません[9]とおっしゃっておられますので、編集検討には参加頂かないよう宜しくお願い申し上げます。--大和屋敷会話) 2017年5月10日 (水) 18:44 (UTC)

提案者本人撤回のため再度タイトル案を募集します[編集]

  • 提案者本人が提案を撤回しておりますので、再度タイトル案を募集いたします。大和屋敷は「キリスト教国家論の歴史」を提案いたします[10]。「キリスト教国家」はThe Christian Stateで非常に利用される用語であり、ここから採用することを提案するものです。あるいは専門語を排し「キリスト教における国家論の史的展開」。①本記事のばあい、記事内容の膨大な文字列は存在しているのにタイトルがない②これは百科事典として極めて異常な状態である③なぜこのようなことになっているのか④それは特定編集者がみずからの規定する「政教分離史」を独創しそれにもとづき脈絡なく文字列を採録したためである。大和屋敷の当記事に対する基本的な理解は以上のものです。そもそもタイトルと内容がまったく一致していないことは多くの方が論述済みであり、いったいこの膨大な文字列は何の記事なのですか、という批判から議論が開始されている[11]ことを想起ください。なお硯箱氏は「私自身は以前にも申しましたとおり、編集に関わる気持ちはもう全くありません」[12]とおっしゃっておられますので、他の編集参加者に任せて頂きます。ご自身の無責任な編集検討への参加態度をまず検証してください。--大和屋敷会話) 2017年5月9日 (火) 02:33 (UTC)過去の議論では[13]「ヨーロッパにおける聖俗の闘争」「西方世界における聖俗の権力闘争」といったタイトルのアイデアが提示されていました。--大和屋敷会話) 2017年5月9日 (火) 02:50 (UTC)
今回のタイトル変更の議論は、記事内容を少なからず変更することを前提とした議論だと理解します。であれば、新タイトルを提案する人は改名後の記事内容案も提案するようにしてはどうでしょうか?自分なりに直した記事を新規サブページに作ればいいでしょう。大和屋敷さんの提案の場合ノート:政教分離の歴史/改訂案(キリスト教国家論の歴史)など。完全な改訂版を作るのは負担が重すぎるのなら、せめて、節構成と各節毎の主要参考文献リストが入った、記事の骨格くらいは用意されて然るべきでしょう。相応の加筆・整理ができるという一定の担保がない状態でタイトルだけが変わっても、行き詰まりが目に見えています。内容は何も変えずに改名だけしたいんだという提案であれば別ですが…… --49.239.76.136 2017年5月9日 (火) 12:42 (UTC)
  • 「改名提案を行うものは記事内容全体に責任を持て」との根拠のない提案とお見受けしますので反対いたします。現状の記事内容に関する適切な記事名を募集いたします。--大和屋敷会話) 2017年5月9日 (火) 12:46 (UTC)編集検討に参加いただく場合にはIPアドレスではなく「いつものアカウント」で編集検討に参加いただけませんか。無用に議論が錯綜するのは困ります。宜しくお願い申し上げます。--大和屋敷会話) 2017年5月9日 (火) 12:50 (UTC)
    • 内容を変えなくてよいというご意見ですか? 「現状の記事内容」のままとしますと、記事「キリスト教国家論の歴史」の最初の節が「政教分離における歴史学的視座」になりますが、それでよいということですか? 少しは変えるつもりがあるなら、どこをどう変える、だけでも明言していただければいいかと。逆に内容の変更には言及せず、後になって「タイトルをこう変えるんだから内容は当然こう変えるつもりだった」と誰かが言い出して混乱することが防げれば結構です(大和屋敷さんがそうするように見えるという訳ではありませんので、念のため)。 --49.239.76.136 2017年5月9日 (火) 13:03 (UTC)
内容をどう変えるかという点につきましては、改名提案時に表明しなければならない必須事項ではございません。まず、改名後に分割等の内容の修正改変を検討するという流れで、議論が進んでおります。私は新名称の提案は考えておりませんが、複数の新記事名が候補として上がった場合につきましては、投票で決定することを提案させていただく次第でございます。十分な議論はすでになされているものと考えています。--雅ハルカ会話) 2017年5月9日 (火) 15:36 (UTC)
  • 現状の記事内容に関する適切な記事名を募集いたします。編集検討に参加いただく場合にはIPアドレスではなく「いつものアカウント」で編集検討に参加いただけませんか。無用に議論が錯綜するのは困ります。宜しくお願い申し上げます。--大和屋敷会話) 2017年5月9日 (火) 19:02 (UTC)

「キリスト教国家論の歴史」という記事名は別項目として立てたほうがよいと思われます。まずこの記事内容にはキリスト教国家論という用語がまったく使われていませんし、キリスト教国家論という形で明確に議論される内容は、どちらかといえば16-20世紀の間にさかんに論じられたもので、政治思想史の分野が中心となると思われますが、現状の記述は政治史・国制史の内容が主であり、歴史学的に論じられている国家機構における政教分離の歴史を扱っていますから、国家論の記事内容ではありません。キリスト教国家論の記事は別項目として立項されるのが適切でしょう。中世では国家という概念があったかはともかく、政治体がキリスト教的であることは当たり前でしたから、キリスト教国家論という範疇で括るのに適切な事象があるのか疑問に思います。--硯箱会話) 2017年5月10日 (水) 04:25 (UTC)

  • 硯箱氏は「私自身は以前にも申しましたとおり、編集に関わる気持ちはもう全くありません[14]とおっしゃっておられますので、編集検討には参加頂かないよう宜しくお願い申し上げます。--大和屋敷会話) 2017年5月10日 (水) 05:37 (UTC)
まず、タイトル案の募集に集中いたしましょう。今、硯箱氏がなさるべきことは、幾度となく提案されては撤回されているタイトル案のなかで、本当にどのタイトル案が相応しいと考えていらっしゃるのかという硯箱氏の考えるファイナルアンサーを出すこと、これのみでございます。タイトル案が出揃ってから、ご自分が提案されたタイトルがどのように相応しいのか、ということをご発表いただきまして、相互に比較すればよろしいのではございませんでしょうか。--雅ハルカ会話) 2017年5月10日 (水) 07:10 (UTC)
記事名として「キリスト教と国家」を提案します。硯箱氏の妨害(ハラスメント)的な態度について返答を用意していたのでしたが、議論が建設的な方向に向かっているので、再度募集に応じます。レースプーブリカ・クリスティアーナに私が合意したのは、これで硯箱氏との議論も終結するかと思ったためでした。しかし、レースプーブリカ・クリスティアーナ案は専門的で一般の閲覧者にとっては見つけにくいので、Wikipedia:記事名の付け方での「見つけやすい」「曖昧でない」「簡潔」などの基準に従い、「キリスト教と国家」を提案します。このタイトルは、樺山紘一「キリスト教と国家」歴史学事典第12巻に依ったものですが、樺山紘一論文では、西ローマ帝国崩壊後のキリスト教と王権の関係、ゲルマン諸国家、東ローマ帝国、宗教改革、近代の政教分離という流れで解説されており、現在の記事の基本内容に沿うものです。したがって、改名後の微調整も難しくはありません。ただ、硯箱氏加筆部分をいじるとまた揉めはじめるのかもしれませんが、硯箱さんは言行一致で今後編集に参加されず、ウィキペディア以外で活躍されることを期待いたします。現状の記事では近代以降はカットされていますが、政教分離原則イングランドとニューイングランドにおける政教分離の歴史、また私が準備しております「政教分離の歴史」など、関連する他の記事へのリンクをすればよろしいと思います。--121.107.209.16 2017年5月11日 (木) 16:03 (UTC)
「改名後の微調整も難しくはありません。」といいましたが、改名後の分量調整や分割の検討はその後に提起したいと思っています。--121.107.209.16 2017年5月11日 (木) 16:15 (UTC)

「キリスト教と国家」につきましては以前申し上げましたように国家という範囲、キリスト教という範囲が問題となるので、現状の「政教分離の歴史」以上に問題のある記事名です。現状の内容に即すれば「西欧におけるキリスト教と国家の機構分離」などと限定すべきように思われます。しかしそれは冗長です。結局のところそれは「政教分離の歴史」そのものなので改名の必要は無いように思われます。どうしても必要ならば政教分離という言葉のニュアンスを変えて、「聖俗分離の歴史」とするのがよいのではないでしょうか。また樺山紘一「キリスト教と国家」歴史学事典第12巻を「樺山論文」としておりますが、これは明白に論文ではないですし、一般向けの事典で専門的な内容でもないでもないので出典としては十分ではないように思われます。歴史学事典としては「キリスト教と国家」という題名で問題ないでしょうが、ウィキペディアは百科事典ですから、「キリスト教と国家」という題名では歴史学的議論に限定できませんから一意的に定まりません。よって「曖昧でない」「見つけやすい」の基準は満たさないと思われます。--硯箱会話) 2017年5月13日 (土) 04:04 (UTC)

なお「妨害(ハラスメント)的な態度」につきましては121.107.209.16さんの私をソックパペットや回避アカウント扱いする、山田欣吾の一ファンなどという根拠もない誹謗中傷などの数々の問題発言、論文誤読や意図的な誇張による議論進行妨害、参考文献を確認せずに独自研究を押しつける行為などについては火を見るより明らかと思われますので、何を返答するつもりだったのかは興味があるところであります。私自身は一貫して検証可能性・中立的な観点に即してよりよい内容・編集について論じているだけであり、出典に基づかない加筆や編集を行っているのは121.107.209.16さんのほうであることはこの記事の編集履歴の上からも一目瞭然です。--硯箱会話) 2017年5月13日 (土) 04:19 (UTC)

  • 硯箱氏は「私自身は以前にも申しましたとおり、編集に関わる気持ちはもう全くありません[15]とおっしゃっておられますので、編集検討には参加頂かないよう宜しくお願い申し上げます。--大和屋敷会話) 2017年5月13日 (土) 15:53 (UTC)当記事の編集検討に無関係な内容の投稿はご自身のノートあるいは対話対象者のノートにて行って頂くよう宜しくお願いいたします。--大和屋敷会話) 2017年5月13日 (土) 15:53 (UTC)
ここでは当記事の編集検討をするんですよね。硯箱さん個人宛のメッセージ(1回ならともかく、もう3回くらいそれを書いていますよね)は、当記事の編集検討に無関係なので、利用者‐会話:硯箱に書いてはどうですか? --210.138.177.11 2017年5月14日 (日) 04:47 (UTC)
  • 編集検討に参加いただく場合にはIPアドレスではなく「いつものアカウント」で編集検討に参加いただけませんか。無用に議論が錯綜するのは困ります。宜しくお願い申し上げます。--大和屋敷会話) 2017年5月14日 (日) 05:58 (UTC)

コメント 「教会と国家」とか「キリスト教の教会と国家」あたりかなと思ってましたが、「キリスト教と国家」もゴタゴタしてなくていいですね。「キリスト教国家論の歴史」も悪くないんですけど、個人的にタイトルに「〜の歴史」といれたくないかなあというのがあります。--ぽてから会話) 2017年5月14日 (日) 14:49 (UTC)

小括[編集]

  • 一週間ほど経過し、複数のtitle案が提示されましたので、ここでいったん要約させて頂きます。①「キリスト教国家論の歴史」「キリスト教における国家論の史的展開」大和屋敷②「キリスト教と国家」121.107.209.16、で宜しいでしょうか。大和屋敷の理解では、当記事はキリスト教(教会)の所蔵する文書、教会関係者の思想やその記録、行動などを歴史家が整理し、キリスト教の文脈のなかで国家とはなにかを論じたものを、wikipedianが収集してきたものだ、と見ております。ですので「キリスト教」「国家論」「歴史」の要素はtitleに含めるべきだと考える次第です。また「キリスト教国家」について記述されているのではなく「キリスト教者、キリスト教思想家にとって国家とはどのようなものと把握されてきたか」という「国家論」が要約されておりますので「キリスト教と国家」よりは「キリスト教における国家論」のほうが、この膨大な文字列の記述内容をより適切に表現できているのではないかと考えます。大和屋敷自身は自分のtilte案に拘っておりませんので最終的に適切な了解点が得られることを期待致します。--大和屋敷会話) 2017年5月18日 (木) 04:57 (UTC)
私も自分の提案に拘るわけではないので、①「キリスト教国家論の歴史」もいいと思います。ところで、大和屋敷さんが改名作業をなさっていただけるのでしょうか?--121.107.209.16 2017年5月18日 (木) 15:27 (UTC)
  • 大和屋敷が行います。一定のtitle案についての了解ができましたら改名提案(テンプレによる告知)を行います。もうすこしご意見やtitle案についての提案をお待ちします。宜しくお願い申し上げます。--大和屋敷会話) 2017年5月19日 (金) 02:20 (UTC)

繰り返しになりますが、「キリスト教国家論の歴史」という記事名は別項目として立てたほうがよいと思われます。まずこの記事内容にはキリスト教国家論という用語がまったく使われていませんし、キリスト教国家論という形で明確に議論される内容は、どちらかといえば16-20世紀の間にさかんに論じられたもので、政治思想史の分野が中心となると思われますが、現状の記述は政治史・国制史の内容が主であり、歴史学的に論じられている国家機構における政教分離の歴史を扱っていますから、国家論の記事内容ではありません。キリスト教国家論の記事は別項目として立項されるのが適切でしょう。中世では国家という概念があったかはともかく、政治体がキリスト教的であることは当たり前でしたから、キリスト教国家論という範疇で括るのに適切な事象があるのか疑問に思います。そもそもキリスト教国家論についての出典もなく、検証可能性や中立的な観点を満たしておりませんから、記事改名の適切性を検証できない議論になっており、方針的に明らかに問題があります。現状は大和屋敷さんがただ単に感想を述べているだけです。--硯箱会話) 2017年5月19日 (金) 10:20 (UTC)

  • 硯箱氏は「私自身は以前にも申しましたとおり、編集に関わる気持ちはもう全くありません[16]とおっしゃっておられますので、編集検討には参加頂かないよう宜しくお願い申し上げます。--大和屋敷会話) 2017年5月19日 (金) 10:55 (UTC)
  • 「改名作業」というのは実際に改名ボタンを押す作業のことでは? 議論が始まったことを隠す理由はないので、告知についてはいつでもやっていいと思います。 --163.49.211.26 2017年5月24日 (水) 03:41 (UTC) 補足ですが、そう推測した理由は発言したのがIP利用者であり改名ボタンを押す作業に責任をとれないからです。あと確認ですが、告知後には新規の案追加ができなくなるという訳でもないですよね。 --163.49.211.26 2017年5月24日 (水) 03:46 (UTC)