ノート:キリスト教国家論の歴史

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目次

新記事名の募集[編集]

改名提案を先にという要望がございましたので、本日より一週間の間、改名後の記事の名前について募集いたします(分割については、いったん停止)。すでに改名提案がなされており相当な議論がされておりますが、申し訳ございませんが議論の流れが追いづらく、これまでの議論に継続してというのは難しいのではと感じております。参加者の皆様には大変お手数ではございますが、改名後の記事名(簡単な理由可)を、再度、以下にご提案いただけませんでしょうか。議論は、一週間後に開始するとして、今後一週間、記事名の候補のみ(簡単な理由を付けるのは可)を以下に挙げて頂きますようお願いします。重要なポイントといたしましては、議論は一週間後に開始をお願いしたいということでございます。他利用者が提案した名前の案について、次々にご意見を述べられるのは、お控えいただきますようお願いします。私自身は全く案がない場合には検討いたしますが、今のところは提案行為を行う予定はございません。--雅ハルカ会話) 2017年4月3日 (月) 16:34 (UTC)、一部取り消し--雅ハルカ会話) 2017年4月5日 (水) 15:24 (UTC)

どうも、お久しぶりです。話したら理解できるだろうと思って、議論に参加した次第だったんですけど、最近思うように時間がとれなくなってしまいまして、恐縮です。硯箱さんが方針を理解されれば万事解決する話なんですけど、全体の量も膨大ですが一次資料のテンプレのことだけで延々なのをご覧になりましたよね。まあ、一週間後に本格的に議論を再開するとして、まず、硯箱さんはWikipedia:ウィキペディアは何ではないかを読まれてください。たとえば、枕草子をご覧下さい。「書名の由来」「評価」「伝本」などの第三者による評価が主体となってますよね? 枕草子の全文やその現代語訳や助動詞の使い方とか書いてませんよね? 硯箱さんがされようとしてることは、いわば、枕草子の全文やその現代語訳や助動詞の使い方や自分なりの解説・解釈・豆知識とかを網羅して教科書や参考書やレポートの類をウィキペディアに作ろうとされてるってことだと思ってます。最近加筆された箇所については出典が単一でも「あった」ということは良かったですし、「提唱者によれば」とされて最初から書かれていればよかっただけなんですが、どうしても、自分が信じる真実を書くことを追求されてますんで。ウィキブックスで活動されれば、歓迎されるかもしれません。百科事典が何か、というのは、硯箱さんにご理解いただきたいですよね。--ぽてから会話) 2017年4月3日 (月) 23:13 (UTC)

新記事名の提案[編集]

  1. 「レース・プーブリカ・クリスティアナ」を提案いたします。これは歴史学的な原史料にもしばしば登場し、歴史学的に利用される専門用語「res publica christiana」をそのままカタカナで記したものですが、これには文献によって必ずしも定訳がなく、「キリスト教世界」や「キリスト教国家」と訳すと、ここで展開された「政教分離」の言葉に引きづられた議論のように、「キリスト教世界」「キリスト教国家」といった言葉の表面的なニュアンスに引きづられた誤った認識や議論が持ち込まれてしまう可能性があります。そのため歴史学的な専門議論であることを明確にするためにもやや異例と思われるのですが、「レース・プーブリカ・クリスティアナ」ないし「レース・プーブリカ・クリスティアナの歴史」への改名を候補とします。ほぼ同内容の専門用語として「corpus christianum」も存在しますが、管見の限り、文献的には「レース・プーブリカ・クリスティアナ」の使用が圧倒的に多いと思われます。ちなみに言語間リンクとしてもen:Res publica christianaが存在します。記事冒頭部は改名に合わせて適切に処理される必要はあります。--硯箱会話) 2017年4月3日 (月) 16:47 (UTC)
  • 「教会と国家」を提案します。「キリスト教の教会と国家」等類似の名前も可。ただし、記事名を「〜の歴史」とはせず、記事内の節名を「〜の歴史」とする。今年に入ってから硯箱さんが加筆された内容が、当初から目指していた通り、en:Church and state in medieval Europeに対応してるので。なお、教会と国家が一体であった時代については、記述されたいのであれば政教一致という記事があります。世俗化の概念の誕生から始めるのは「教会と国家」の関係性を記述されたかった、「教会と国家」を意図して一つ目の節をお書きになられた、と理解してました。あれ、違ったんですか? とちょっとビックリですがその話は一週間後ということで。--ぽてから会話) 2017年4月3日 (月) 23:13 (UTC)
  • 「キリスト教国家論の歴史」くらいですかねえ。レスレースプブリカ・クリスティアーナ(キリスト教共同体)も悪くないとおもうのですが、wikipediaは百科事典ですので先ず項目名として検索されてくるある程度の必要性があり、レスレースプブリカ・クリスティアーナres publica christianaではさすがに専門語的すぎる気がします(悪くはないです)。en:Res publica christianaについてはリンク先記述が辞書的記載程度ですのであまり考慮する必要ないと考えます。「教会と国家」「キリスト教の教会と国家」でも結構ですが後者のほうがキリスト教を含むので明晰なtitleと考えます。大和屋敷の提示する「キリスト教国家論の歴史」の場合「キリスト教国家論」という用語があまり汎用される語ではないのがきらいと言えます。--大和屋敷会話) 2017年4月4日 (火) 06:24 (UTC)
  • 「レスプブリカ・クリスティアナ」でよろしいと思います。長母音表記や訳語は本文で説明すればいいです。大和屋敷さんの「専門語的すぎる」というコメントについては、ヨーロッパ中世史の専門用語なので仕方ないということ、そして硯箱さんのご指摘のとおり訳語が定まってないので、正式名称ということでいいでしょう。「レスプブリカ・クリスティアナの歴史」は親記事の「レスプブリカ・クリスティアナ」という記事で定義等が肥大化して分割が検討される場合のことで、現在はその親記事がないので、記事内の「歴史」節で書けばいいとおもいます。「教会と国家」もいいですが、一語の方がすっきりしますし、記事の対象を厳格に特定した方が「教会」や「国家」の定義で混乱することもないでしょう。また、政教一致での「教会国家」や「国家教会」は近代の用語なので、当時の言葉の方が間違いないと思います。--121.107.209.16 2017年4月4日 (火) 13:28 (UTC)
    • 「res publica」について硯箱さんの表記方法と違うのが気になり調べましたところ「res」は「レース」と伸ばすのが正しいようですので確認ください[1]。とはいえ「レスプブリカ」とする邦訳論文も多くあり、はてさてここからという感じです。--大和屋敷会話) 2017年4月5日 (水) 02:18 (UTC)christianaについても硯箱さんとIP氏は「クリスティアナ」ですが、ラテン語では「クリスティアーナ」がどうやら正用のようで、ですが「クリスティアナ」も邦訳論文にあるようでハッキリしません。--大和屋敷会話) 2017年4月5日 (水) 02:27 (UTC)
長母音の表記の問題ですね。こちらをどうぞ[2]キケロを「キケロー」と表記すべきかどうか。母音表記は研究者によって見解も異なることでしょう。日本でも一般に知られる「キケロ」と違って、このレスプブリカ・クリスティアナは、まだ各種事典にもないでしょう。あったとしても、キリスト教共同体、キリスト教国家等に訳された見出しとなっているでしょう。この表記の件への私のコメントはすでに述べた通りですが、主な加筆者である硯箱さんにおまかせします。--121.107.209.16 2017年4月5日 (水) 11:59 (UTC)

どの名前が良いか[編集]

みなさま、記事名のご提案をありがとうございます。議論参加者による候補が出そろって参りました。当初予定としていた一週間の冷却期間を置くことなく、落ち着いた議論が出来る気配を感じましたので、一週間、議論を待って頂きたいという要望を取り下げたいと存じます。今のところ「レース・プーブリカ・クリスティアナ」、「レスプブリカ・クリスティアナ」、(「レースプブリカ・クリスティアーナ(キリスト教共同体)」)、「キリスト教国家論の歴史」、「キリスト教の教会と国家」、「教会と国家」あたりが候補に出てきております。大別しますと、「レース・プーブリカ・クリスティアナ」関連(表記揺れ含む)、日本語名関連(「キリスト教国家論の歴史」、「キリスト教の教会と国家」、「教会と国家」)、「教会と国家」関連(「教会と国家の関係性」「キリスト教の教会と国家」)となりますでしょうか。記事冒頭部は、硯箱氏より新たに加筆をされたいという表明もございましたので、現記事との相違については考慮無用といたします。なお、議論中に新たに新記事名を提案されてもかまいません。

まず、硯箱氏にお伺いしたいのですが、皆様の新記事名のご提案を見て、それでも、絶対「レース・プーブリカ・クリスティアナ」が良いとお考えでしょうか。たとえば、「レスプブリカ・クリスティアナ」については、いかがお考えでしょうか。硯箱氏の主張をいただきまして、それをもとに、議論を行えればと思います。なお、既に長大な議論となっており、どの記事名でも閲覧者にとってそれほど大きな差異はないと思われますので、記事名だけで新たに一ヶ月などの議論を行うよりも、分割や記事の改善に労力を割いた方がよろしいのではないかと考えております。議論が落ち着いても一つに定まらなかった場合は、単純投票(多数決)による決定を視野にいれておりますことを、あらかじめ述べておきます。では、お待たせ致しました。硯箱氏のご見解をお聞かせ頂きますよう、お願い申し上げます。--雅ハルカ会話) 2017年4月5日 (水) 15:24 (UTC)

硯箱さんの回答前に恐縮ですが、表記揺れは置いといて「レスプブリカ・クリスティアナ」への改名に反対される方がいない場合は、改名作業に移っていいと思います。ぽてからさんは「レスプブリカ・クリスティアナ」に反対されますか?
この記事は4月25日まで保護されているので、実際の改名作業はそれ以降になります。「レスプブリカ・クリスティアナ」として改名する場合は当然冒頭部分で出典を明記したうえで説明し、さらに記事全体の概説を執筆する必要があるわけですが、硯箱さんがそれをしてくださると思います。もし、硯箱さんが今後回答もなく改名作業をされない場合は、私がその作業を行います。もちろんその場合は、出典を明記します。--121.107.209.16 2017年4月10日 (月) 16:18 (UTC)
どの名前でもあまり検索されなさそうで、孤立しそうな程度も同程度ですし、どうしても反対ということではないです。日本語の名前のほうが好みだったんですけど、そこで揉めるかもということもありますよね。表記揺れもどれもある程度検索で見つかるのでどれでもOKです。--ぽてから会話) 2017年4月10日 (月) 23:09 (UTC)

コメント 「レスプブリカ・クリスティアナ」への改名に反対される方がいないことを確認いたしました。表記揺れについては、みなさまいかがお考えでございますか。--雅ハルカ会話) 2017年4月18日 (火) 14:08 (UTC)

コメント 「レスプブリカ・クリスティアナ」の表記揺れについてご意見がございませんでしたので、私としては改名について121.107.209.16氏に一任いたしたいと考えております。大和屋敷氏は、「res」は「レース」、「クリスティアナ」は「クリスティアーナ」が正式であるらしいと発言しておられますが、「レース」にするか「クリスティアーナ」にするかについても121.107.209.16氏に一任し、「レスプブリカ・クリスティアナ」とするということでもよろしいでしょうか。なお、現時点から一週間の間、反論が寄せられない場合には、改名は121.107.209.16氏に一任、が承認されたとみなすことをあらかじめ述べておきます。--雅ハルカ会話) 2017年4月27日 (木) 14:41 (UTC)

    • 硯箱さんが回答されないので、また、改名編集をされないので、私が一週間後以降に編集いたします。--121.107.209.16 2017年4月29日 (土) 17:07 (UTC)
議論の進展におかしい点が多々あるので、現状の変更には問題があると思われます。
  1. 「政教分離の歴史」という時の「政教分離」の言葉については出典を示しても難癖をつけて問題にしたにも関わらず、私が適当に示した「レースプブリカ・クリスティアーナ」という言葉はなぜか出典も確認せずに同意しています。このことからはっきり言ってしまえば、この記事に「政教分離の歴史」とついているのが気に入らなかっただけなのだろうということがいえます。政教分離原則とこの記事が述べている歴史学的な政教分離論の区別は文献で明確にされており、しかも複数の文献で検証可能性が満たされているにも拘わらず、難癖をつけて一般的でないとか独自研究であるとか中立的な観点に反すると、対抗する文献を示さずに印象論でずっと議論しているのもそのためだと思われます。
  2. 調停者を自称しておられる雅ハルカさんですが編集履歴の上でも、当該項目に十分な知識を持っているとは思われず、また立場的に中立的であるとは考えられません。実際ここまで議論の推移を眺めてみましたが、ウィキペディアになじまない「多数決主義」を採用することを表明しておられること、またソックパペットの疑いを指摘してたにも拘わらず、その点について明確な釈明がないことなど不審な点が多く、個人的には正常な議論進行が行われているとは思いません。
  3. 次に121.107.209.16氏と大和屋敷氏も明確なソックパペット関係にあるように思われますので、その点について明確にならない限り、透明な議事進行が行われるとは思われません。
  4. 121.107.209.16氏はいつまでたっても文献調査をしたりせず、独自の見解を自身に都合の良い記述を見つけてきて論じているだけです。論文誤読も多数行っており、基本的に十分な学識と読解力があるとも思われませんし、何度も指摘したように、相手の意見も正確に汲み取ることが出来ないので、正常な議論が出来ません。というより、意図的に都合の悪いところは読んでいないと思われます。
基本的に私自身は以前にも申しましたとおり、編集に関わる気持ちはもう全くありませんが、とくに近年近代国家体系とは何かという問題意識は歴史学だけでなく、国際関係論などでも重要な論点となっており、ウェストファリア体制とドイツ国制史の問題、政教分離原則や主権理論の前提となる国家機構における政教分離、あるいは世俗化の過程については大きな問題となっています。現状のウィキペディアの問題点はこうした細かな議論に十分な参加者がいないことと、ミートパペット行為およびソックパペット行為が横行していることで、それが利用者の減少につながっています。ここでの議論も次々とミートパペットが登場し、議論の正常な進行が妨害されていることが確認できます。そして私が状況証拠的に明らかであるので、こうした事実を指摘しても、むしろ個人攻撃であると言論を封殺しようという態度がやはりソックパペットないしミートパペットを使って見られます。ウィキペディアが現状のような状況にある限り、私はボランティア精神を発揮して加筆するつもりもありませんし、ウィキペディアの信頼性が著しく低い原因もそこにあると思われます。とりあえず以上を持って、現状の議論では改名は不適切であると致します。--硯箱会話) 2017年5月2日 (火) 05:12 (UTC)
硯箱氏から、他の利用者へ、個人攻撃がございますことについては、誠に残念でございます。
ということについてはすでに合意が形成されております。硯箱氏は新名称として「レース・プーブリカ・クリスティアナ」を提案されております。「政教分離の歴史」のままとするという提案は、これまでございませんでした。したがいまして、「政教分離の歴史」以外の名前に変える、という合意に硯箱氏が賛同されていますので、上記の合意の破棄としか表現のしようがないコメントについては、理由が理由にもなっておりませんし、今更考慮は出来ないということになると思われます。私といたしましては、硯箱氏が、個人攻撃をされ、一方的な合意破棄をなさったことを持ちまして、硯箱氏が議論態度を改善なさっていないと判断しております。せっかく、ブロック無期限賛成票を撤回することを視野にいれて議論をしておりましたところ、もったいないことをされました。硯箱氏は、もう一度、よく考えてご発言をされますよう、お願い申し上げます。--雅ハルカ会話) 2017年5月2日 (火) 09:16 (UTC)
まず議論の推移で意見が翻ることもあり、また現状は議論の最中であり合意は形成されておりません。私はただ単によりよい記事内容のために適切な議論が必要であると述べているのであり、まずは改名提案の根拠について適切な文献的フォローが為されるべきという当然のことを言っているまでです。そうした当然のプロセスが簡単に無視される問題点はどこにあるかについて上で述べたのであり、合意の破棄などというものはそもそも合意があって初めて成り立つもので、現状改名すべきという点についてはほぼ同意されていると思われますが、最終的な改名案については合意はされていない状況であると思われます。私自身は「レースプブリカ・クリスティアーナ」にも文献的根拠はあることは存じておりますが、私にはどういう文献的な根拠に基づいて他の利用者が私の改名に賛成しておられるのかわからないので、その点について明確にして頂かない限りは現状の「政教分離の歴史」のほうが文献的根拠がある分適切であろうということです。そもそもこれまでの議論もそういう形で行われてきたはずです。そういう事情をご存知でないか意図的に無視されているあたりも私としましては不可解で、雅ハルカさんが議論内容を了解していないで参加していらっしゃるように思われ、強引な議論誘導を目的として参加しておられるように思っている根拠であります。--硯箱会話) 2017年5月2日 (火) 11:54 (UTC)
一ヶ月近くも回答をせずに議論をしないで放置しておいて、なにを言っているのですか。「編集に関わる気持ちはもう全くありません」と断言するのであれば、参加しないでください。学会に所属されていると自分でいっていますが、ウィキペディアは学会ではありません。学会で活躍してください。ウィキペディアでは自分の主張や観点が否定された後もぐだぐだと固執し、いつまでも言い続け、他者の言葉を受け入れたり自らの過ちを認めたりすることを拒否して、いつまでも論争を続けようとする態度は間違っています。硯箱さんの改名が不適切であるという主張はなんら根拠のない個人攻撃を理由としたもので、まったく合理性も正当性もありません。文献はJ.B.モラルやダントレーブ、五十嵐論文その他を使用する予定です。大和屋敷さんと私は違いますと何度いえばいいのか。私が大和屋敷さんのパペットであることを証明しない限り、妄想による幼稚ないいがかりにすぎませんし、改名反対の理由にもなりません。--121.107.209.16 2017年5月2日 (火) 13:00 (UTC)

レースプーブリカ・クリスティアーナについての改名が適切かという点についての文献的調査[編集]

まずここでレースプーブリカ・クリスティアーナという記事名が適切であるかという点について文献的に問題が無いか調査される必要があります。私自身もことさらに反対するわけではありませんが、政教分離の歴史という記事名に対し、レースプーブリカ・クリスティアーナという記事名に変更するのが適切であるのかという点について議論は深められておりません。レースプーブリカ・クリスティアーナという語は専門用語であり、歴史学と政治思想史、神学用語としてそれぞれに固有の用語法を持って使い分けられている伝統的な背景があることから、個人的には「政教分離の歴史」という記事名以上に問題をはらんでいると思われます。おそらく121.107.209.16氏はダントレーヴ『国家とは何か』、モラル『中世の政治思想』、五十嵐『王国・教会・帝国』を用いると思われますが、私の手許にもこれらの書籍はあるので、まずこれらの文献によってなぜ現状の記事内容がレースプーブリカ・クリスティアーナに改名されるべきなのかについて慎重な検討が必要と思われます。そうでなければこれまで改名議論一つについてもここまで時間をかけてきた意味もなく、実際そのような厳密性を求めてきたからこそここまで議論は長くなっていると思われます。そこでここではまず、レースプーブリカ・クリスティアーナというのはどういう用語であり、また記事内容との関係性においてどうして改名先として適切であるのかという議論が必要です。なぜなら、私から見れば、はっきり言ってしまえばこの記事でレースプーブリカ・クリスティアーナを正面から説明している箇所はなく、内容もレースプーブリカ・クリスティアーナの歴史とはなっていないからです。--硯箱会話) 2017年5月2日 (火) 15:05 (UTC)

また当然のこととして、レースプーブリカ・クリスティアーナを扱うということであれば、それは当然の結果として記事の射程を神聖同盟からヨーロッパ共同体構想、EUにまで広げることになるのであり、現状の記事内容と大いなる齟齬が発生することが明白であるからです。この点について今までの議論で深められた認識が得られているとは思われず、これをまじめに行えば記事内容は現在よりも膨大になることが予想されますが、安易な改名によって現状でさえ十分理解されているとは言えない議論内容を複雑化する必要があるのかという素朴な疑問もあります。--硯箱会話) 2017年5月2日 (火) 15:10 (UTC)

質問 2017年4月3日 (月) 16:47 (UTC)に硯石さんは『レスプブリカ・クリスティアナ』を候補として提示しましたよね?あの提案は、「強いて改名するとしたらこれだが、これにも問題がある。現状がベストだ」ということでしょうか?あるいは、提案後に色々考えて、考えが変わったということでしょうか?--Susuka会話) 2017年5月2日 (火) 15:14 (UTC)

私としては改名の候補としてはありだが、まずこれまでの議論として文献的な裏付けがつねに問題とされてきたので、それをクリアしなければいけないということです。改名提案というのはそもそも記事の名辞を変えるということですから、以前の記事名と比べて適切なのか、記事内容と照らし合わせて適切かという議論が存在します。はっきり言ってしまえば私は記事名を提案しただけであり、それは叩き台でこれまで記事内容についての議論が記事の参考文献に基づいて全く行われていないこともありますし、その検討を行う必要がいよいよ差し迫って生じていると思われます。そもそもこの記事は「政教分離の歴史」として立項されている経緯を踏まえれば、なぜ新しくレースプーブリカ・クリスティアーナを立項せずにこちらを改名するのかという当然の議論があるはずです。そのため少なくとも文献的な根拠は明確にしておくべきです。私からすると、レースプーブリカ・クリスティアーナという記事名は記事内容とずれているので、はっきり言って50点くらいですが、なぜそれについて、「政教分離の歴史」という記事名にはあれほど厳密な文献的裏付けを要求しておいて、とくに文献的裏付けもなく賛成意見が集まるのか不思議ですし、ダブルスタンダードになっていると思っております。ウィキペディアは多数決主義ではありませんし、記事名の変更には内容に対して適切であるのかという論点はつねに必要なはずです。それは議論参加者が全員賛成だからという理由ではなく、文献的な根拠を元に検証可能性と中立的な観点に則って合意すべきであり、それが独自研究を避けるために必要なことであると思われます。改名するにせよしないにせよ、記事の参考文献の調査が必要だと思われますので、記事の出典箇所を明らかにしながらレースプーブリカ・クリスティアーナで適切か文献的に検討する作業は必要不可欠です。--硯箱会話) 2017年5月2日 (火) 15:26 (UTC)

妨害的編集を続ける参加者への対処の仕方についてどうかお知恵をください[編集]

私は、議論のための議論は好みません。硯箱氏がなさっているのは、議論のための議論にすぎません。大変申し訳ないのですが、「レスプブリカ・クリスティアナ」で良いと結論が出ていることについて、これ以上議論を繰り返すことに、なんの意味もないと考えています。ここまで振り返りますと、硯箱氏だけがコロコロ自分のご意見を変えています。他人の批判についても、ソックパペットだとかあまりにもいい加減な中傷でございます。なお、硯箱氏は、コミュニティの仲裁無視に加え、真っ当に生産的活動を行う利用者を追い出そうとする最終段階に達しました。ソックパペットであればブロックされるべきでございますが、ブロックに向けての行動を起こされる気配もございません。つまり、真っ当に生産的活動を行う利用者に言いがかりをつけて、記事の私物化をされているだけではございませんでしょうか。「改名について121.107.209.16氏に一任する」という合意形成の途中で、妨害を受けただけでございます。硯箱氏の主張は、「妨害的編集者がコメント依頼でまとまったコミュニティの合意を拒否する場合」に該当いたしますことが明らかとなり、現状は、妨害的編集を続ける参加者一人の反対に振り回されているということになりましょう。私といたしましては、コロコロ言うことが変わる硯箱氏とは議論は成り立たないため、硯箱氏を除く利用者によって、この記事の議論を続ける以外の対処法は思いつきません。硯箱氏がコロコロを発言を変え、妨害的編集を行い記事の私物化としか考えられない行動をとっていることについて、第三者のコメントを待ちたいと思います。--雅ハルカ会話) 2017年5月2日 (火) 13:39 (UTC)

  • コメント 今回、『レスプブリカ・クリスティアナ』に改名することを提案したのは、硯石さんですよね?何故自ら、議論を引っ繰り返そうとなされるのでしょうか。「『政教分離』の時は出典を示しても難癖を示したのに、今回まともに出典を確認しないのは不誠実だ」というのは、手続き論として強引に過ぎます。硯石さんご自身が文献的な根拠を知っているとのことですが、何故自らその根拠の正当性に疑義を投げかけるのかがわかりません。自身をも厳しく律しておられるつもりなのか、過去に出典関係で執拗に問い詰められて気が立っているのかはわかりませんが、自分が提案した選択肢の疑義を自分から切り出すのは、傍から見れば議論を無視した独り相撲でしかありません。本稿は議論参加者の資格を審議する場ではなく、記事の改善を議論する場です。--Susuka会話) 2017年5月2日 (火) 15:09 (UTC)
正直、タイトルはあまりこだわる部分ではないと思います。本来議論すべきは記事の射程をどこまでにするか、また現実的にどの部分をウィキペディア記事として方針に基づいて充実させることができるか、でしょう。仮にタイトルを決めるのが遅れたとしても、射程の議論を深めることは有益だと思います。加筆が進み、射程が定まれば、タイトルの問題は自然に落ち着くはずです。 --49.239.68.223 2017年5月3日 (水) 09:41 (UTC)

記事の内容と改名先の整合性[編集]

まさに記事の改善を問題を論じています。記事の改善という点で言えば、改名が適切であるか、つまり記事内容に対して改名後の記事名が適切であるか、文献的に検証可能で中立的かという議論は外せないという当たり前に踏まえるべき議論を言っているだけです。私自身「レースプーブリカ・クリスティアーナ」という記事名で期待される記事内容をよく考えてみますと、現状の記事内容とはちょっとずれているなという印象があると思っております。なお、私が知っているのはレースプーブリカ・クリスティアーナという用語の文献的根拠であり、現在の記事内容がレースプーブリカ・クリスティアーナの記事として適切であるという文献的根拠ではありません。繰り返しになりますが、レースプーブリカ・クリスティアーナに改名すると、期待される記事内容はおそらく今の内容より、歴史学的議論としては一定程度共通部分があるにしても、より政治思想史・国際法史・国際関係論・神学に寄せて書く必要が生じると思われます。同時に近年活発に進められているウェストファリア神話の解体とドイツ国制史の議論により深くコミットすることになると思われます。記事の対象範囲も神聖同盟までは確実に引き延ばされると思われます。私自身改めて記事を読んで思いましたが、むしろシンプルに記事名を「中世ヨーロッパの政治」あるいは「前近代のヨーロッパの政治」にして中世の前国家的形態と教会政治の記述に集中したほうが内容的にも整合的でよいように思われます。それならば記事のリミットは1803年という現状の合意内容とも整合的で記事の内容とも合致しているように思われます。--硯箱会話) 2017年5月2日 (火) 23:08 (UTC)

硯箱さんは、「中世ヨーロッパの政治」あるいは「前近代のヨーロッパの政治」という記事名にすべきだ、という話をされてるんでしょうか。ご自分の主張を頻繁に変えられてるみたいなので確認です。--ぽてから会話) 2017年5月3日 (水) 06:22 (UTC)
一般論として、「政教分離の歴史」→「レース・プーブリカ・クリスティアナ」のようにガラっと変わる改名をすると、記事の内容を一部調整する必要ができるのは皆さん承知の上だと思いますよ。記事名に単なる誤字があったとか、アルファベットからカタカナ単なる文字種の変更、といったケースなどとは違いますので。射程が変わり、適宜他の記事に移したりすべき部分も出てくるでしょう。関連記事と合わせてみて喪失がなければよいものと思います。この1記事だけを考えて以前の内容や射程を維持することにこだわる必要はありません。タイトルをやや超える範囲のことに説明上触れざるをえないのが気になるのであれば、「背景となる中世ヨーロッパの政治状況にも触れる」などと断り書きを付けるのはいかがでしょうか。「「レース・プーブリカ・クリスティアナ」の用語法」のような節を作って、学者間での立場の差や意味の微妙な変遷を整理するのもいいかもしれませんね。「レース・プーブリカ・クリスティアナ」の利点は、専門用語であるためどこまでが対象になるかについて人によるブレが少ないことでしょう。いずれにせよ充実した加筆を期待します。 --49.239.68.223 2017年5月3日 (水) 09:32 (UTC)
この記事は、むしろ、過剰な記述を整理しなければならない段階であり、記事名は変えるべきだという合意は形成されてると言えるでしょう。発言されるたびに、主張が頻繁に変わられていますが、硯箱さんは、結局、改名の名前はなにがいいと主張されてるんですかね。--ぽてから会話) 2017年5月6日 (土) 11:28 (UTC)

ノートで合意していないのにリバートする行為は私物化ではないのか[編集]

硯箱さんが、ノートで合意したとか、していないという理由でリバートを繰り返されていますが、これって、私物化ですよね? ノートで合意したとかしていないとかは、単に、硯箱さんだけが思い込んでいるだけですよ。--ぽてから会話) 2017年5月6日 (土) 11:26 (UTC)

文献的な裏付けもなく、一般的な理解についての記述を誰々の教説という節名にしたり、記述を追加したりすることはウィキペディアの方針に反する独自研究です。そもそも方針に反する不適切な編集ですが、そのうえでさらにそのことについて現に話し合われているノートでの議論を無視した編集を、議論の一方の当事者であるぽてからさんや121.107.209.16さんが議論が現に進行しているのを承知で繰り返し強行しようとしています。そうしたあまりに不適切な編集をリバートしたら私物化だというのは方針文書にも根拠がないように思えます。そもそもぽてからさんの言うような理屈が通るなら議論を無視して編集合戦を誘発しようとしている人の思うがままになってしまいますからね。--硯箱会話) 2017年5月6日 (土) 13:05 (UTC)
  • 硯箱氏は「私自身は以前にも申しましたとおり、編集に関わる気持ちはもう全くありません」[3]とおっしゃっておられますので、あとは他の編集参加者に任せて頂きましょう。自分で提案したタイトル案[4]なのですから自身で責任をもってこのタイトルが適切である点について提示してください。その仕事はあなたがするのです。適当に思い付きだけでタイトル案を提示したけれども、誰も検証してくれないし、自分もこのタイトル案は「政教分離の歴史」より相応しくない[5]ので採用すべきではない、などという趣旨の論述は、編集検討を阻害するものであり、極めて不適切です。--大和屋敷会話) 2017年5月9日 (火) 02:21 (UTC)

まず私が「政教分離の歴史」という記事を決めたわけではないということを大和屋敷さんは全く失念しておられ、次に私は「政教分離の歴史」という記事内容にとって適切だと思う内容をそれもノートでの議論で「政教分離の歴史」の記事の出典として議論相手とも一定の了解を得ている文献に基づいて私が加筆しており、レースプーブリカ・クリスティアーナという内容の記事にその出典となる文献を用いて加筆したわけではないことをよく理解されていないように思われます。次に改名ということであれば、改名後の適切な編集が行われる必要があり、その編集は検証可能性や中立性を満たす必要があります。そのため、当然の流れとして改名前に文献の確認などが行われる必要があるという当然の論理を展開しているだけで、それを行わないのであれば、むしろ現状で検証可能性と中立性がより適切に満たされていると思われる改名前の状態が良いというこれも当然の判断をしたまでです。また「私自身は以前にも申しましたとおり、編集に関わる気持ちはもう全くありません」という気持ちは今も変わっておりませんが、それは議論に参加しないということでもありませんし、議論を無視した不適切な編集行為に対して何もしないという意味ではありません。議論が正常に行われない、不適切なタグ貼り行為などの妨害行為や複数IPが短時間に編集合戦を仕掛けるような状況、検証可能性や中立的な観点を無視して独自研究の記述を多数決で押し通そうとするような事態などが沈静化し、記事内容について適切な結論が出るまではこれ以上積極的に加筆するつもりはないということです。そうした事態の沈静化が見られないことにはたとえ慎重に加筆しても編集合戦につながりかねないですからね。--硯箱会話) 2017年5月10日 (水) 04:24 (UTC)

  • 硯箱氏は「私自身は以前にも申しましたとおり、編集に関わる気持ちはもう全くありません[6]とおっしゃっておられますので、編集検討には参加頂かないよう宜しくお願い申し上げます。--大和屋敷会話) 2017年5月10日 (水) 18:44 (UTC)

提案者本人撤回のため再度タイトル案を募集します[編集]

  • 提案者本人が提案を撤回しておりますので、再度タイトル案を募集いたします。大和屋敷は「キリスト教国家論の歴史」を提案いたします[7]。「キリスト教国家」はThe Christian Stateで非常に利用される用語であり、ここから採用することを提案するものです。あるいは専門語を排し「キリスト教における国家論の史的展開」。①本記事のばあい、記事内容の膨大な文字列は存在しているのにタイトルがない②これは百科事典として極めて異常な状態である③なぜこのようなことになっているのか④それは特定編集者がみずからの規定する「政教分離史」を独創しそれにもとづき脈絡なく文字列を採録したためである。大和屋敷の当記事に対する基本的な理解は以上のものです。そもそもタイトルと内容がまったく一致していないことは多くの方が論述済みであり、いったいこの膨大な文字列は何の記事なのですか、という批判から議論が開始されている[8]ことを想起ください。なお硯箱氏は「私自身は以前にも申しましたとおり、編集に関わる気持ちはもう全くありません」[9]とおっしゃっておられますので、他の編集参加者に任せて頂きます。ご自身の無責任な編集検討への参加態度をまず検証してください。--大和屋敷会話) 2017年5月9日 (火) 02:33 (UTC)過去の議論では[10]「ヨーロッパにおける聖俗の闘争」「西方世界における聖俗の権力闘争」といったタイトルのアイデアが提示されていました。--大和屋敷会話) 2017年5月9日 (火) 02:50 (UTC)
今回のタイトル変更の議論は、記事内容を少なからず変更することを前提とした議論だと理解します。であれば、新タイトルを提案する人は改名後の記事内容案も提案するようにしてはどうでしょうか?自分なりに直した記事を新規サブページに作ればいいでしょう。大和屋敷さんの提案の場合ノート:政教分離の歴史/改訂案(キリスト教国家論の歴史)など。完全な改訂版を作るのは負担が重すぎるのなら、せめて、節構成と各節毎の主要参考文献リストが入った、記事の骨格くらいは用意されて然るべきでしょう。相応の加筆・整理ができるという一定の担保がない状態でタイトルだけが変わっても、行き詰まりが目に見えています。内容は何も変えずに改名だけしたいんだという提案であれば別ですが…… --49.239.76.136 2017年5月9日 (火) 12:42 (UTC)
  • 「改名提案を行うものは記事内容全体に責任を持て」との根拠のない提案とお見受けしますので反対いたします。現状の記事内容に関する適切な記事名を募集いたします。--大和屋敷会話) 2017年5月9日 (火) 12:46 (UTC)編集検討に参加いただく場合にはIPアドレスではなく「いつものアカウント」で編集検討に参加いただけませんか。無用に議論が錯綜するのは困ります。宜しくお願い申し上げます。--大和屋敷会話) 2017年5月9日 (火) 12:50 (UTC)
    • 内容を変えなくてよいというご意見ですか? 「現状の記事内容」のままとしますと、記事「キリスト教国家論の歴史」の最初の節が「政教分離における歴史学的視座」になりますが、それでよいということですか? 少しは変えるつもりがあるなら、どこをどう変える、だけでも明言していただければいいかと。逆に内容の変更には言及せず、後になって「タイトルをこう変えるんだから内容は当然こう変えるつもりだった」と誰かが言い出して混乱することが防げれば結構です(大和屋敷さんがそうするように見えるという訳ではありませんので、念のため)。 --49.239.76.136 2017年5月9日 (火) 13:03 (UTC)
内容をどう変えるかという点につきましては、改名提案時に表明しなければならない必須事項ではございません。まず、改名後に分割等の内容の修正改変を検討するという流れで、議論が進んでおります。私は新名称の提案は考えておりませんが、複数の新記事名が候補として上がった場合につきましては、投票で決定することを提案させていただく次第でございます。十分な議論はすでになされているものと考えています。--雅ハルカ会話) 2017年5月9日 (火) 15:36 (UTC)
  • 現状の記事内容に関する適切な記事名を募集いたします。編集検討に参加いただく場合にはIPアドレスではなく「いつものアカウント」で編集検討に参加いただけませんか。無用に議論が錯綜するのは困ります。宜しくお願い申し上げます。--大和屋敷会話) 2017年5月9日 (火) 19:02 (UTC)

「キリスト教国家論の歴史」という記事名は別項目として立てたほうがよいと思われます。まずこの記事内容にはキリスト教国家論という用語がまったく使われていませんし、キリスト教国家論という形で明確に議論される内容は、どちらかといえば16-20世紀の間にさかんに論じられたもので、政治思想史の分野が中心となると思われますが、現状の記述は政治史・国制史の内容が主であり、歴史学的に論じられている国家機構における政教分離の歴史を扱っていますから、国家論の記事内容ではありません。キリスト教国家論の記事は別項目として立項されるのが適切でしょう。中世では国家という概念があったかはともかく、政治体がキリスト教的であることは当たり前でしたから、キリスト教国家論という範疇で括るのに適切な事象があるのか疑問に思います。--硯箱会話) 2017年5月10日 (水) 04:25 (UTC)

  • 硯箱氏は「私自身は以前にも申しましたとおり、編集に関わる気持ちはもう全くありません[11]とおっしゃっておられますので、編集検討には参加頂かないよう宜しくお願い申し上げます。--大和屋敷会話) 2017年5月10日 (水) 05:37 (UTC)
まず、タイトル案の募集に集中いたしましょう。今、硯箱氏がなさるべきことは、幾度となく提案されては撤回されているタイトル案のなかで、本当にどのタイトル案が相応しいと考えていらっしゃるのかという硯箱氏の考えるファイナルアンサーを出すこと、これのみでございます。タイトル案が出揃ってから、ご自分が提案されたタイトルがどのように相応しいのか、ということをご発表いただきまして、相互に比較すればよろしいのではございませんでしょうか。--雅ハルカ会話) 2017年5月10日 (水) 07:10 (UTC)
記事名として「キリスト教と国家」を提案します。硯箱氏の妨害(ハラスメント)的な態度について返答を用意していたのでしたが、議論が建設的な方向に向かっているので、再度募集に応じます。レースプーブリカ・クリスティアーナに私が合意したのは、これで硯箱氏との議論も終結するかと思ったためでした。しかし、レースプーブリカ・クリスティアーナ案は専門的で一般の閲覧者にとっては見つけにくいので、Wikipedia:記事名の付け方での「見つけやすい」「曖昧でない」「簡潔」などの基準に従い、「キリスト教と国家」を提案します。このタイトルは、樺山紘一「キリスト教と国家」歴史学事典第12巻に依ったものですが、樺山紘一論文では、西ローマ帝国崩壊後のキリスト教と王権の関係、ゲルマン諸国家、東ローマ帝国、宗教改革、近代の政教分離という流れで解説されており、現在の記事の基本内容に沿うものです。したがって、改名後の微調整も難しくはありません。ただ、硯箱氏加筆部分をいじるとまた揉めはじめるのかもしれませんが、硯箱さんは言行一致で今後編集に参加されず、ウィキペディア以外で活躍されることを期待いたします。現状の記事では近代以降はカットされていますが、政教分離原則イングランドとニューイングランドにおける政教分離の歴史、また私が準備しております「政教分離の歴史」など、関連する他の記事へのリンクをすればよろしいと思います。--121.107.209.16 2017年5月11日 (木) 16:03 (UTC)
「改名後の微調整も難しくはありません。」といいましたが、改名後の分量調整や分割の検討はその後に提起したいと思っています。--121.107.209.16 2017年5月11日 (木) 16:15 (UTC)

「キリスト教と国家」につきましては以前申し上げましたように国家という範囲、キリスト教という範囲が問題となるので、現状の「政教分離の歴史」以上に問題のある記事名です。現状の内容に即すれば「西欧におけるキリスト教と国家の機構分離」などと限定すべきように思われます。しかしそれは冗長です。結局のところそれは「政教分離の歴史」そのものなので改名の必要は無いように思われます。どうしても必要ならば政教分離という言葉のニュアンスを変えて、「聖俗分離の歴史」とするのがよいのではないでしょうか。また樺山紘一「キリスト教と国家」歴史学事典第12巻を「樺山論文」としておりますが、これは明白に論文ではないですし、一般向けの事典で専門的な内容でもないでもないので出典としては十分ではないように思われます。歴史学事典としては「キリスト教と国家」という題名で問題ないでしょうが、ウィキペディアは百科事典ですから、「キリスト教と国家」という題名では歴史学的議論に限定できませんから一意的に定まりません。よって「曖昧でない」「見つけやすい」の基準は満たさないと思われます。--硯箱会話) 2017年5月13日 (土) 04:04 (UTC)

なお「妨害(ハラスメント)的な態度」につきましては121.107.209.16さんの私をソックパペットや回避アカウント扱いする、山田欣吾の一ファンなどという根拠もない誹謗中傷などの数々の問題発言、論文誤読や意図的な誇張による議論進行妨害、参考文献を確認せずに独自研究を押しつける行為などについては火を見るより明らかと思われますので、何を返答するつもりだったのかは興味があるところであります。私自身は一貫して検証可能性・中立的な観点に即してよりよい内容・編集について論じているだけであり、出典に基づかない加筆や編集を行っているのは121.107.209.16さんのほうであることはこの記事の編集履歴の上からも一目瞭然です。--硯箱会話) 2017年5月13日 (土) 04:19 (UTC)

  • 硯箱氏は「私自身は以前にも申しましたとおり、編集に関わる気持ちはもう全くありません[12]とおっしゃっておられますので、編集検討には参加頂かないよう宜しくお願い申し上げます。--大和屋敷会話) 2017年5月13日 (土) 15:53 (UTC)当記事の編集検討に無関係な内容の投稿はご自身のノートあるいは対話対象者のノートにて行って頂くよう宜しくお願いいたします。--大和屋敷会話) 2017年5月13日 (土) 15:53 (UTC)
ここでは当記事の編集検討をするんですよね。硯箱さん個人宛のメッセージ(1回ならともかく、もう3回くらいそれを書いていますよね)は、当記事の編集検討に無関係なので、利用者‐会話:硯箱に書いてはどうですか? --210.138.177.11 2017年5月14日 (日) 04:47 (UTC)
  • 編集検討に参加いただく場合にはIPアドレスではなく「いつものアカウント」で編集検討に参加いただけませんか。無用に議論が錯綜するのは困ります。宜しくお願い申し上げます。--大和屋敷会話) 2017年5月14日 (日) 05:58 (UTC)

コメント 「教会と国家」とか「キリスト教の教会と国家」あたりかなと思ってましたが、「キリスト教と国家」もゴタゴタしてなくていいですね。「キリスト教国家論の歴史」も悪くないんですけど、個人的にタイトルに「〜の歴史」といれたくないかなあというのがあります。--ぽてから会話) 2017年5月14日 (日) 14:49 (UTC)

小括[編集]

  • 一週間ほど経過し、複数のtitle案が提示されましたので、ここでいったん要約させて頂きます。①「キリスト教国家論の歴史」「キリスト教における国家論の史的展開」大和屋敷②「キリスト教と国家」121.107.209.16、で宜しいでしょうか。大和屋敷の理解では、当記事はキリスト教(教会)の所蔵する文書、教会関係者の思想やその記録、行動などを歴史家が整理し、キリスト教の文脈のなかで国家とはなにかを論じたものを、wikipedianが収集してきたものだ、と見ております。ですので「キリスト教」「国家論」「歴史」の要素はtitleに含めるべきだと考える次第です。また「キリスト教国家」について記述されているのではなく「キリスト教者、キリスト教思想家にとって国家とはどのようなものと把握されてきたか」という「国家論」が要約されておりますので「キリスト教と国家」よりは「キリスト教における国家論」のほうが、この膨大な文字列の記述内容をより適切に表現できているのではないかと考えます。大和屋敷自身は自分のtilte案に拘っておりませんので最終的に適切な了解点が得られることを期待致します。--大和屋敷会話) 2017年5月18日 (木) 04:57 (UTC)
私も自分の提案に拘るわけではないので、①「キリスト教国家論の歴史」もいいと思います。ところで、大和屋敷さんが改名作業をなさっていただけるのでしょうか?--121.107.209.16 2017年5月18日 (木) 15:27 (UTC)
  • 大和屋敷が行います。一定のtitle案についての了解ができましたら改名提案(テンプレによる告知)を行います。もうすこしご意見やtitle案についての提案をお待ちします。宜しくお願い申し上げます。--大和屋敷会話) 2017年5月19日 (金) 02:20 (UTC)

繰り返しになりますが、「キリスト教国家論の歴史」という記事名は別項目として立てたほうがよいと思われます。まずこの記事内容にはキリスト教国家論という用語がまったく使われていませんし、キリスト教国家論という形で明確に議論される内容は、どちらかといえば16-20世紀の間にさかんに論じられたもので、政治思想史の分野が中心となると思われますが、現状の記述は政治史・国制史の内容が主であり、歴史学的に論じられている国家機構における政教分離の歴史を扱っていますから、国家論の記事内容ではありません。キリスト教国家論の記事は別項目として立項されるのが適切でしょう。中世では国家という概念があったかはともかく、政治体がキリスト教的であることは当たり前でしたから、キリスト教国家論という範疇で括るのに適切な事象があるのか疑問に思います。そもそもキリスト教国家論についての出典もなく、検証可能性や中立的な観点を満たしておりませんから、記事改名の適切性を検証できない議論になっており、方針的に明らかに問題があります。現状は大和屋敷さんがただ単に感想を述べているだけです。--硯箱会話) 2017年5月19日 (金) 10:20 (UTC)

  • 硯箱氏は「私自身は以前にも申しましたとおり、編集に関わる気持ちはもう全くありません[13]とおっしゃっておられますので、編集検討には参加頂かないよう宜しくお願い申し上げます。--大和屋敷会話) 2017年5月19日 (金) 10:55 (UTC)
  • 「改名作業」というのは実際に改名ボタンを押す作業のことでは? 議論が始まったことを隠す理由はないので、告知についてはいつでもやっていいと思います。 --163.49.211.26 2017年5月24日 (水) 03:41 (UTC) 補足ですが、そう推測した理由は発言したのがIP利用者であり改名ボタンを押す作業に責任をとれないからです。あと確認ですが、告知後には新規の案追加ができなくなるという訳でもないですよね。 --163.49.211.26 2017年5月24日 (水) 03:46 (UTC)
  • コメント 「キリスト教と国家」がいいかなあと思ってましたが、「キリスト教国家論の歴史」「キリスト教における国家論の史的展開」としてもおかしくはないので、強硬に反対するものではありません。--ぽてから会話) 2017年5月26日 (金) 12:48 (UTC)

改名議論は出典を明言して検証可能性を満たす形で行ってください。現状の議論は検証可能なものになっておりません。--硯箱会話) 2017年5月26日 (金) 18:30 (UTC)

  • 硯箱氏は「私自身は以前にも申しましたとおり、編集に関わる気持ちはもう全くありません[14]とおっしゃっておられますので、編集検討には参加頂かないよう宜しくお願い申し上げます。--大和屋敷会話) 2017年5月26日 (金) 21:08 (UTC)
大和屋敷氏におかれましては対話拒否および議論進行と関係のない発言をこれ以上は慎んでいただきますようお願い申し上げます。--硯箱会話) 2017年5月27日 (土) 08:26 (UTC)

これ以降必ず改名案には検証可能な文献を示して意見表明をしてください検証可能性を満たさない改名案は方針的に全く不適切ですから、検討の余地もありません。本文の内容と関連性のある改名の根拠に足る参考文献を示し、ご自身の改名案の整合性を論じてください。--硯箱会話) 2017年5月27日 (土) 09:09 (UTC)

質問 硯箱さんにお伺いしたいのですが、硯箱さんは本記事について、どのような点が(内容として)不十分であるとお考えなのでしょうか。また、今後は本記事に対してどのように関わってゆくおつもりなのでしょうか。--Susuka会話) 2017年5月27日 (土) 09:16 (UTC)

  • 硯箱氏は「私自身は以前にも申しましたとおり、編集に関わる気持ちはもう全くありません[15]とおっしゃっておられますので、編集検討には参加頂かないよう宜しくお願い申し上げます。--大和屋敷会話) 2017年5月27日 (土) 11:52 (UTC)編集検討に無関係な内容については個々の対話ページへ投稿して頂きますようお願い申し上げます。--大和屋敷会話) 2017年5月27日 (土) 11:53 (UTC)

改名提案[編集]

  • さて、それでは小括から1週間ほど経過し121.107.209.16氏からも一定のご了解を頂きましたので[16]僭越ながら「キリスト教国家論の歴史」で改名提案をさせて頂きます。Wikipedia:記事名の付け方およびWikipedia:ページの改名に準じ、編集参加者諸氏の記事titleへのご意見がございましたら提示頂きたく宜しくお願い申し上げます。--大和屋敷会話) 2017年5月27日 (土) 12:01 (UTC)テンプレートを導入し改名提案の告知をおこないました[17]--大和屋敷会話) 2017年5月27日 (土) 12:27 (UTC)
  • 163.49.211.26氏は121.107.209.16氏ということで宜しいのでしょうか。頻繁にIPを変更して投稿される方に議論が攪乱されてきた経緯があるようですので、なるべく同一のIPアドレスないしはwikipediaアカウントの作成をお願いしたいところであります。さて、この問い合わせ[18]についてはむろん改名提案中でも問題ありませんので建設的な編集検討を宜しくお願い申し上げます。--大和屋敷会話) 2017年5月27日 (土) 12:33 (UTC)
まず「キリスト教国家論」の検証可能な出典を提示してください。管見の限り、主要文献でキリスト教国家論という用語は使用されておらず、一般的とはとても思われず、定義もわからず、大和屋敷さんが勝手に「キリスト教国家論」という独自研究を述べるためだけに改名しようとしていると思われます。--硯箱会話) 2017年5月27日 (土) 14:04 (UTC)
  • 硯箱氏は「私自身は以前にも申しましたとおり、編集に関わる気持ちはもう全くありません[19]とおっしゃっておられますので、編集検討には参加頂かないよう宜しくお願い申し上げます。--大和屋敷会話) 2017年5月28日 (日) 03:51 (UTC)

  賛成 大和屋敷さんの編集に賛成です。なお、私は163.49.211.26氏ではありません。IPで申し訳ありませんが、私は他のIPを使用するつもりはございませんし、もしIPが変わった場合には、報告させていただきます。--121.107.209.16 2017年5月28日 (日) 15:51 (UTC)

  • とくに異論がございませんようでしたので「キリスト教国家論の歴史」への改名とさせていただきます。なおwikipedia記事はつねに漸次改修改善の過程にあり、今後の編集過程におきまして記事の分割や再編集、あるいは再度の改名作業等が起こりうることを予めご案内申しあげておきます。--大和屋敷会話) 2017年6月8日 (木) 10:36 (UTC)
対話拒否をしたうえで異論が無いとはどういうことでしょうか。私はノートでの議論に参加しないと一度も言っておらず、さらに検証可能性を無視した移動は不適切と思われます。--硯箱会話) 2017年6月8日 (木) 22:56 (UTC)
  • コメント ならば、移動前にそう宣言していただけませんか?移動した記事を短期間で戻すのは、手続きとして強引に過ぎます。--Susuka会話) 2017年6月8日 (木) 23:19 (UTC)
繰り返しになりますが、私はノートの議論に参加しないとは言っておらず'、移動前から検証可能性を無視した移動は不適切だと何度も申し上げています。それを編集検討には参加できないと一方的に主張し、対話拒否されて移動が強行されたので差し戻しました。--硯箱会話) 2017年6月8日 (木) 23:50 (UTC)
  • 「編集に関わる気持ちはもう全くありません」との宣言でしたが、ノートは記事内容について議論する場であり、それに参加することは「編集に関わっている」と解釈するのが普通だと思います。いずれにせよ、下の節でその部分を事実上撤回し、議論と編集に積極参加することを表明されましたので、今後は建設的に議論が行われることを期待します。--切干大根会話) 2017年6月9日 (金) 00:49 (UTC)
基本的に宣言の解釈がどうあれ、ノートで実際に発言していることを無視することが対話拒否に当たらないというのは私にはまったく理解できません。もし違和感を覚えたのならば、「編集に関わる気持ち」がどういう意味なのかについて改めて確認していただければ明確にお話できる内容です。それを置いても、方針文書を無視した改名議論は私の宣言どうこう以前に不適切であり、その点について適切な対応がされないまま改名を強行することは正当化できることではないでしょう。少なくとも最近のウィキペディアでは利用者の学問的な素養だけでなく、自らが拠って立つ基本的な方針への理解も不足しているように思われます。ここは一部の人が好き勝手にありもしないことを書いたり明白な事実をなかったことにする場所ではないのです。--硯箱会話) 2017年6月9日 (金) 01:16 (UTC)
  • 硯箱氏は「私自身は以前にも申しましたとおり、編集に関わる気持ちはもう全くありません[20]とおっしゃっておられますので、編集検討には参加頂かないよう宜しくお願い申し上げます。--大和屋敷会話) 2017年6月9日 (金) 08:32 (UTC)

「キリスト教国家論」という独自研究用語について[編集]

現状で「キリスト教国家論の歴史」の改名議論が進んでおりますが、いまだに「キリスト教国家論」という用語の出典が一つも示されておらず、管見の限り、この記事の参考文献にもそのような用語は存在せず、この用語の特筆性・検証可能性・存在自体でさえも非常に怪しいと言わざるを得ません。まずは適切な出典を示し、検証可能性を満たした議論を行っていただきたく思います。--硯箱会話) 2017年6月8日 (木) 23:06 (UTC)

なおノートでの議論に参加しないと宣言したことはありませんが、助言もありましたので、改めてノートでの議論には積極的に参加することを明記し、編集についても必要であれば適宜行うことを宣言します。--硯箱会話) 2017年6月8日 (木) 23:13 (UTC)

そして重要な点としては「キリスト教国家論」というあまりなじみのない用語はまるで国家概念の起源がキリスト教にあるように感じさせ、実際大和屋敷氏の[21]の編集もそのような意図を感じさせるのですが、これは本文の内容とまったく反しいるばかりか、研究の動向ともまったく反しており、近代的国家概念の成立はむしろキリスト教とは無縁な要素がほとんど占めています。思想的に見ても、ギリシャのポリス的国家観、異教ローマのレスプブリカ概念、「祖国」の誕生、ローマ法の復活、中世都市に淵源を持つ都市型市民社会の成立、中世に成立した領域的国家観、アリストテレス哲学の受容に始まる国家権力の正当性理論の世俗化、新ストア主義の影響、身分制議会の成立、ポリツァイ。これらはすべてキリスト教とは無縁ですが、近代国家の成立条件として研究上の常識といっても良いものとなっています。本文中に出ているダントレーヴの著作とデイヴィス編の著名な著作集をはじめ、記事に反映されていないものでも、エストライヒ『近代国家の覚醒』、南充彦『中世君主制から近代国家理性へ』のような比較的整理された研究もあります。キリスト教国家論という用語はこれらの著作で体系化されて論じられてはおりません。むしろ以前申し上げましたように学界では「キリスト教国家論」というのは近世から近代初頭までの一時期に論じられたキリスト教国家理性とは何かという特殊近世的な議論について述べられることが多く、本記事のように古代中世のそれに対して使われることは基本的にありません。それは南充彦を参照してもすぐわかることであり、それ以外にも本記事の加筆に利用したベッケンフェルデの基本文献を読めばわかることです。問題はこうした基本的な学問の内容さえも無視して記事名を思いつきで決めるウィキペディアは正常とはとても思えないということです。これ以上、方針文書と社会的な常識さえも無視した議論を続けるのは問題があるので、少なくとも「キリスト教国家論」などという独自研究用語は適切でないことは諒解されるべきです。--硯箱会話) 2017年6月8日 (木) 23:39 (UTC)

  • 硯箱氏は「私自身は以前にも申しましたとおり、編集に関わる気持ちはもう全くありません[22]とおっしゃっておられますので、編集検討には参加頂かないよう宜しくお願い申し上げます。--大和屋敷会話) 2017年6月9日 (金) 08:32 (UTC)
  • 質問 それで、大和屋敷さんは硯箱さんのご指摘についてはどのようにお考えでしょうか。「その指摘は当たらない」という反論はお持ちなのでしょうか。--Susuka会話) 2017年6月9日 (金) 10:14 (UTC)
  • 返信 (大和屋敷さん宛) たしかに硯箱さんは「編集に関わる気持ちはもう全くありません」と宣言しておりましたが、本日、事実上それを撤回されています。それでもなお「編集検討には参加頂かないよう宜しくお願い申し上げます。」と繰り返すのは逆に大和屋敷さんのお立場を悪くしますのでお控えになった方がいいと思う次第です。私としましては硯箱さんの意見も一理あると思いますので、その意見について大和屋敷さんの反論があればよろしくお願いします。--切干大根会話) 2017年6月9日 (金) 10:22 (UTC)
  • まず無断改名という荒らし行為を硯箱アカウントがみずから差し戻して頂きたく存します。【編集に関わる気持ちはもう全くありません[23]】とみずから弁じておきながらこのような荒らし行為をもって編集に介入するようなアカウントに対して誠実な編集検討が可能だとはとても期待できません。まずはwikipedia編集ルールに乗っ取った合意が可能であることを示して頂く必要があります。なお下記で指摘のようにすでに硯箱アカウントについては投稿ブロック依頼が提出されておりますので、まずはその経過を待ちたく考えます。--大和屋敷会話) 2017年6月9日 (金) 10:49 (UTC)
  • コメント まず事実確認ですが、硯箱さんは管理者伝言板に報告されているだけで新たなブロック依頼は出されておりません。なお、Wikipedia:コメント依頼/硯箱が2017年5月17日に出されています。硯箱さんは無言で移動差し戻しを行ったわけではなく、Wikipedia:検証可能性を理由として移動を行っているため、管理者の方が荒らしと断じてブロックするのは難しいだろうと思います。いずれにせよ、硯箱さんはもう少し丁寧なやり方をして頂ければと思いました。(私も他人のことは言えないのかも知れませんが。)--切干大根会話) 2017年6月9日 (金) 12:47 (UTC)
硯箱さん個人の行動に問題があるだけですんで、Wikipedia:論争の解決#ステップ5: 仲裁がない以上、利用者のコメント依頼などで第三者のコメントを募るしかないんじゃないですかね。問題行動による被害が広まってます。このノート内で議論を続ける限り、論争の延長であるかのように受け取られ、硯箱氏の独善的な行動が埋もれてしまいます。個人的には、硯箱氏は方針無理解である自覚がないと考えてますけど、方針を持ち出されてコメントを述べられるため、方針に則った行動をとっているかのように錯覚させる効果があると言えるでしょう。キリスト教国家論という単語は学術書でも使用されてますし、Wikipedia:検証可能性がないなどという詭弁はなんの理由にもなりませんよね。—ぽてから会話) 2017年6月9日 (金) 13:30 (UTC)
これ読んだことあります?内容は神学論ですから本記事の内容とはあまり関係が無いですよ。--硯箱会話) 2017年6月9日 (金) 13:54 (UTC)
神学論も加筆すればいいんですよ。歴史論しか書いてはいけない記事にしようとされる行為については、記事の私物化であると指摘してる通りです。--ぽてから会話) 2017年6月9日 (金) 13:59 (UTC)
記事名の問題です。下にも書きましたが、まず『キリスト教国家論』という題名の書物は探せばありますが、その「キリスト教国家論」が果たして本記事の内容にとって適切な記事名であるかは別問題です。まず検証可能性を満たすことが前提条件。次に記事名のガイドラインを適切に満たすことが第2条件です。そのうえでさらに記事内容との整合性が問われるというのが通常の改名議論です。今回の改名議論はその入り口の検証可能性も満たしていません。ぽてからさんはその論文を読んでもいないのに、そして本記事の参考文献に上げられてもおらず、執筆に利用されたとも考えられないのに、記事名の出典として示そうというのですか?--硯箱会話) 2017年6月9日 (金) 14:03 (UTC)
硯箱さんが今されるべき行動は、Wikipedia:投稿ブロック依頼/大和屋敷 20170529や合意形成を無視された記事名の差し戻しが、本当に適切な行為といえるかどうかを内省されることでしょう。続きは、コメント依頼でご発言ください。--ぽてから会話) 2017年6月9日 (金) 14:11 (UTC)
ここは記事内容について、今は具体的に改名議論を進行している記事のノートページです。一利用者の行為について述べる場所ではありません。それこそ続きは、コメント依頼でご発言ください。--硯箱会話) 2017年6月9日 (金) 14:13 (UTC)

はっきり言ってしまえば、ぽてから氏がこの学術書に基づいて「キリスト教国家論」なる記事を書きたいのであれば、それはそれで問題ないので大いに結構です。ただこの記事の記事名の出典として、この記事の参考文献にも使われていないものを持ち出してくるのはあまりに強引すぎです。せめて内容を確認して、それが出典となる根拠を論じてください。--硯箱会話) 2017年6月9日 (金) 14:21 (UTC)

ご自分の行為について、強引すぎるというお考えはないのでしょうかね。ぜひ、コメント依頼でご発言ください。--ぽてから会話) 2017年6月9日 (金) 15:29 (UTC)

コメント 結局のところ、「キリスト教国家論」という言葉に対しての出典はありますか?今回の硯箱さんのやり方は強引であったにせよ、「出典なしに改名しようとした」という疑義が出ていることには間違いないんですから、それを説明してください。それを回答するぐらいできませんか?ひとまず、お三方に質問しますので回答していただけませんか。このまま改名差し戻しを差し戻したところで、真っ当な議論に戻れるとは思えませんので、まず、疑義を解消しましょう。

  • 硯箱さん。まずは「キリスト教国家論」についての出典を大和屋敷さんに示してもらったら、ひとまず改名を行ってから、次の議論をしませんか。移動を差し戻したのは強引でしたから、もう少し落ち着いてください。
  • 大和屋敷さん。Susukaさんも言っていますが「キリスト教国家論」の出典を示してください。硯箱さんの言う『主要文献でキリスト教国家論という用語は使用されておらず』というのは、聞き捨てならないコメントです。硯箱さんが以前提案した「レースプーブリカ・クリスティアーナ」にも出典の提示はありましたが、大和屋敷さんのにはそれが見当たりません。49.239.68.223さんが言っていましたが、「この記事に求めるもの」が結局ぼやけているからこうなっているのではないでしょうか。
  • ぽてからさん。神学論を追記すればよいと言っていますが、その神学論の追記に用いる文献を示してください。ぽてからさんの2017年6月9日 (金) 13:59 (UTC)は、神学論についても記述可能であるから改名しておいたほうが良いというコメントに見えますのでお願いします。

以上、よろしくお願いします。--アルトクール会話) 2017年6月9日 (金) 17:21 (UTC)

  • コメント キリスト教国家論という用語が独自研究であるという前提が理解しがたい主張でございますので、硯箱氏の主張だけが正しいかのような前提で議論を行うことには強い違和感を感じます。硯箱氏の専門分野である歴史学ではあまり使用されないのかもしれませんが、神学では使用する用語でございます。本文にもすでに神学的内容が存在してございますし、「キリスト教国家論」として差し支えのない内容がございます。議論が誤った流れに傾くことを避けるため、整理させていただきます。まず、硯箱氏により、どの記事名が良いか、その根拠はなにか、という提示があって然るべきでございます。なぜかと申しますと、そもそも、「政教分離の歴史」という記事名でこの内容であること事態が独自研究であるという主張が見られるから、でございます。「キリスト教国家論」が独自研究であると仮定したとしても、「政教分離の歴史」も独自研究であるため、強引に記事名を戻すことについては合理的な理由は存在しないということになってしまいます。これだけ強引な行動をとられたのですから、他人に批判を申す前に、十分に納得させるだけの根拠を、先に硯箱氏が示されるべきでございましょう。最低限の説明責任は果たして頂きたく存じます。そもそも、当初、硯箱氏からご提案がございましたが、それを硯箱氏が撤回されたため、新たに改名提案がなされたものでございます。それに異議を唱え、かつ、議論に復帰されるということでございましたら、まずは、硯箱氏による再度のご提案があって然るべきでございましょう。このような複合的な記事におきまして、100点の記事名は存在いたしませんから、硯箱氏の批判により80点であったことが証明されたとしても、では、他に80点以上の記事名があるのか、ということになってしまいます。議論の攪乱を目的とされているということではない、ということでございましたら、まず、硯箱氏により、再度、記事名のご提案とその根拠をご提示なさってください。硯箱氏の提案する記事名と比較してどうなのか、という観点による議論でなければ、100点ではないということが証明されたからといって、改名の実施には繋がりません。批判を申すばかりで提案が皆無であるということでございましたら、議論の成果がまったく見込めないということになってしまいます。硯箱氏による再度のご提案につきまして、どうぞ、よろしくお願い申し上げます。--雅ハルカ会話) 2017年6月9日 (金) 18:54 (UTC)
神学論としての「キリスト教国家論」があるとして、それが改名の理由にはなりません。たしかに本記事には内容上神学的内容が一部に含まれることは確かですが、それはメインのものではありません。メインは政治と宗教の分離、権力の世俗化という「政教分離」の過程を扱っており、これは神学的テーマではありません。出典も存在し、記事名としては適切なものである「政教分離の歴史」に比べて、「キリスト教国家論の歴史」なる記事名には出典がなく、提示された神学論としての出典しかないならば、明らかに不適切です。神学論の「キリスト教国家論」という記事が作りたければ、別で作れば良いのです。結局のところ、これまでの議論を踏まえて、私は現在記事名は改名しなくて良いという考えを持っています。--硯箱会話) 2017年6月9日 (金) 21:26 (UTC)
記事内容から拾っていけば、「政教分離の歴史」と「キリスト教国家論の歴史」のどちらが適切かは明らかです。たとえばポリツァイは明らかに神学とは無縁ですし、領域国家の成立、王権の超自然的権威の問題、「祖国」観念の誕生、都市市民社会や身分社会の成立も神学的な議論とはほとんどあるいは全く関係がない。パドヴァのマルシリウスやマキャヴェリをキリスト教国家論者とするのは定説と反します。「政教分離の歴史」という記事名が独自研究かのような主張をされていますが、これまでの議論で明らかになっているとおり、この記事名には出典があり、その出典の学界での認知度はすでに十分証明されており、独自研究とは言えません。対して、「キリスト教国家論の歴史」には出典が現在存在していません。--硯箱会話) 2017年6月9日 (金) 21:43 (UTC)
なお「キリスト教国家論」には私が出典付きで示したように、近世の特殊な議論を指す用語が存在しますので、あいまいさの問題が内包されていることも明記しておきます。--硯箱会話) 2017年6月9日 (金) 22:15 (UTC)
「政教分離の歴史」につきましては、文献調査の結果、「Wikipedia:記事名の付け方における「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」ではないし、また「政教分離」は2001IP氏が主張するような意味に限定される使い方をされていません。[24]」という至極もっともな主張がすでにございます。硯箱氏はこの主張に反論といえる反論をなさってございません。「政教分離の歴史」が最善であるというご判断でございましたら、まず、Wikipedia:記事名の付け方における、「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」であるということをご立証していただけませんでしょうか。キリスト教国家論が100点の名前ではないということはご提案者の大和屋敷氏でさえも言われなくてもわかっていることですが、それでも、Wikipedia:記事名の付け方の方針から判断すると、「政教分離の歴史」よりは「キリスト教国家論」のほうが良いと言う合意が形成されてございます。「キリスト教国家論」は0点だといくら主張されたとしても、「政教分離の歴史」が-50点であれば、「キリスト教国家論」のほうが良いという判断にもなって参ります。硯箱氏が「キリスト教国家論」をどれだけご批判されたとしても、もともと、100点の名前ではないということは議論に参加している全員がわかっているのですから、いかようにも批判が可能でございますし大きな意味はございません。「政教分離の歴史」が、「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」である、ということを是非ともご証明なさってください。つまり、硯箱氏がなさるべきことは批判することではなく、いかに最善の記事名であるかを納得させること、でございます。また、ご主張が頻繁にお変わりになるという傾向につきましては、発言時によく考えていない、つまり、その場の思いつきでご発言されているだけだ、と判断されることもあると存じます。なぜご主張が頻繁に変わられているのか、なぜ強引に差し戻しをしなければならなかったのか、ということについて合理的な主張はこれまで皆無でございます。次ぎにご発言される際には、まず、硯箱氏の強引な行動で迷惑をかけてしまったことについての見解なりを述べられることをアドバイスさせていただきます。協力が必要不可欠なWikipediaで今のような態度をとり続けられることがプラスに働くことはございません。--雅ハルカ会話) 2017年6月9日 (金) 23:30 (UTC)
この文献調査」につきましては記事との関連性を無視したものであること、記事の参考文献をほとんど調査していないこと、文献の傾向に偏りがあることを明確に指摘しており、正当性のないものであることはその後論証しております。そのうえで私が加筆に用いた参考文献については学界でも広く認められている主要文献であることは三次資料も含めて立証されており、何ら瑕疵のないものでございます。記事内容や記事名が独自研究という主張は今までの議論で成立しておらず、むしろ内容と出典についてはその信頼性と妥当性が確認されております。そして曖昧性の問題についてはすでに議論で政教分離原則#歴史へのナビゲートを設けることで解決するという合意も成立しています。--硯箱会話) 2017年6月9日 (金) 23:44 (UTC)
そして「キリスト教国家論の歴史」という記事名には出典がなく、記事の参考文献にもそのような用語は見られず、むしろ「キリスト教国家論」があるとすれば、本記事とは別内容であることが明確であると立証される出典が存在しており、不適切性が検証可能で中立的な形で明示されております。--硯箱会話) 2017年6月9日 (金) 23:51 (UTC)
雅ハルカ様が何によってかわかりませんが、それほど「キリスト教国家論の歴史」という記事名が適切であると考えるのであれば、当然その出典を明示し、この記事との関連性を検証可能な形で提示できるものと思われます。その当然のことをまずなさってから議論をして頂きたく思います。--硯箱会話) 2017年6月9日 (金) 23:58 (UTC)
硯箱氏が今なすべきことは、「Wikipedia:記事名の付け方における「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」ではないし、また「政教分離」は2001IP氏が主張するような意味に限定される使い方をされていません。[25]」ということを覆し、万人を納得させる主張でございます。政教分離の歴史が、「Wikipedia:記事名の付け方における「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」ではない、という主張に対する反論は、これまで一度もなされてございません。政教分離の歴史という記事名が「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」であるかどうか、ということをご主張ください。また、硯箱氏の強引な行動で迷惑をかけてしまったことについての見解なりを述べられることを、再度アドバイスさせていただきます。--雅ハルカ会話) 2017年6月10日 (土) 01:57 (UTC)

コメント 議論の流れが第三者にも理解しやすいように#政教分離の歴史の名前のデメリットへコメントをお願い申し上げます。--雅ハルカ会話) 2017年6月10日 (土) 02:10 (UTC)

「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」という点では、明らかに「キリスト教国家論の歴史」は不適切であり、「政教分離の歴史」のほうが適切性が高いということを繰り返し述べておりますので、これ以上同一内容の繰り返しは不必要です。まずは雅ハルカ氏なり大和屋敷氏なりが出典を示してください。--硯箱会話) 2017年6月10日 (土) 02:28 (UTC)
「明らか」という根拠を示して、主張の証明をお願いします。差し戻しをしてまでこの記事名にしなければならなかった理由について、説明責任を果たしていただきますようお願い申し上げます。--雅ハルカ会話) 2017年6月10日 (土) 02:50 (UTC)

記事改名の無断差し戻しについて[編集]

  • 記事改名につき無断で差し戻しされておりますので問題提起致します。正式な改名提案の過程を経て編集参加者の了解のもとで行われた改名をこのようならんぼうな手段で改変されたことにたいへんな憤りをかんじております。このような荒らし行為をもってwikipedia編集に参加頂かないようお願い申し上げます。記事の改名についてはWikipedia:ページの改名がございます。なお無断差し戻しをおこなったアカウントについては荒しとしてすでに投稿ブロックの依頼がなされておりますのでご報告いたします。--大和屋敷会話) 2017年6月9日 (金) 08:35 (UTC)
大和屋敷氏の「正式な改名提案の過程を経て編集参加者の了解のもとで行われた改名」という主張には明らかな虚偽があります。
  1. Wikipedia:記事名の付け方においては改名に際して「認知度が高い」「見つけやすい」「曖昧でない」「簡潔」「首尾一貫している」 という5原則が提示されています。「キリスト教国家論の歴史」という記事名はこのうち「認知度が高い」「見つけやすい」「曖昧でない」「首尾一貫している」の4点に明白に反します。そもそも「キリスト教国家論」とはどういうものかという点について明確にされていないだけでなく、政教分離の歴史において決定的な国家論の論者であるパドヴァのマルシリウスやマキャヴェリなど明らかに国家に宗教的要素を入れておらず、これをキリスト教国家論者とするのはあまりに無理があるし、定説とも異なります。あるいは政教分離に決定的な一歩を踏み出したホッブズが「キリスト教国家」を論じているからそれをキリスト教国家論であると主張する向きもあるでしょうが、本記事内でも示したようにベッケンフェルデはそれをキリスト教国家論とはいえない(「国家の根拠をキリスト教に求めているわけではない」)と論じており、この点についての邦文の体系的研究である梅田百合香『ホッブズ 政治と宗教』においてもそれは変わらないのです。その一方で何度も繰り返しますが、近世においてキリスト教国家論と呼ばれるべきものがあったことは確かです。それは記事中にも言及されるゼッケンドルフの、そのものずばり『キリスト教国家論』という論考に代表される近世の国家論の一類型で、その内容は国家の利害とキリスト教倫理の調和を説き、キリスト教国家理性とは何かを追求したものです。南充彦はこうしたキリスト教国家理性という考え方は対抗宗教改革以降に顕在化したと論じています。こうした思想史的な研究の定説から見ても「キリスト教国家論」という記事名が本記事内容を正確に捉えておらず、せいぜいその一部分にようやく重なるに過ぎず、記事内容のほとんどとは著しく乖離していることは明白です。もし本記事を「キリスト教国家論の歴史」だと思ったとすれば、それは大変な勉強不足であるように思われます。そして、記事内容はそもそも国制史的な国家概念や国家構造を中心に展開されており、思想史的な国家論が中心になっているわけではありませんから、この記事はそもそも国家論の歴史ですらありません。この点で「キリスト教国家論の歴史」という記事名はまず記事内容に合っておらず、首尾一貫したものでもなく、見つけやすいものでもなく、定義は曖昧ではっきりせず、大和屋敷氏がその内容をよく理解できない程度には認知度は高くないと思われます。
  2. Wikipedia:ページの改名は「明らかに、ページ名が記事名の付け方のガイドラインに沿っていないとき」にただちに改名することが出来ると規定しています。この方針に則れば、前述のように記事名の付け方のガイドラインを明らかに満たしていない記事名を差し戻すことは方針文書に則った正規の行動として認められているものです・
  3. 「編集参加者の了解」については私が明白に反対しており、そもそも了解は取られていません。私がたとえ今編集に関わらないと宣言したとしても、私が過去においてこの記事の加筆を行ったことは事実であり、明確な編集参加者です。そもそもウィキペディアにおいてブロックなどの編集制限を受けていない限り基本的にすべての利用者は編集参加者として認められています。それは個人的であれ公にであれウィキブレイク宣言をしていても変わりません。利用者はいつでも即座に、宣言なしに自由意志で編集行為に参加できるのが「自由」なウィキペディアの基本原則ですが、それを失念しているようです。
以上のように、今回の改名は不適切であり、私の差し戻し行為は手続き上正当な方針文書の規定に忠実に基づいて行ったものであることを宣言致します。--硯箱会話) 2017年6月9日 (金) 13:04 (UTC)
  • 賛成 大和屋敷さんに賛成。硯箱さんの行為は手続き上不当な差し戻しであることは明らか。大和屋敷さんのご提案に基づく合意が形成されたことを支持します。--ぽてから会話) 2017年6月9日 (金) 15:31 (UTC)
  • コメント 票を付けろと言われると反対ですが。まず、改名の発端である#提案者本人撤回のため再度タイトル案を募集しますにおいて、大和屋敷さんは硯箱さんの意見について意見を全く取り合わなかったことがそもそもの問題です。あくまで編集を自粛するというのは利用者の意思によるものであって、利用者‐会話:硯箱#ノート:政教分離の歴史における議論について(これはこのセクションが設けられる「前」に投稿されている)を見る限りは「標準名前空間の編集を止めると言っていて、ノートで意見を述べるのを止めるとは言ってない」と述べています。大和屋敷さんの主張する「編集に関わらない」と言っている差分での投稿ではどちらとでも受け取れる文章です。いずれせによ、意固地になって出典を求めたものに対して拒否するということが積み重なったもので、そこに合意があったとはいえないのではないでしょうか。どのような形であれ、改名に対して異論はあったわけです。LTAや荒らしの議論妨害とかならともかく、出典を示してという意見については一定の理解ができる話で、これを拒絶したことに正当性はあるでしょうか。少なくとも、改名という動きがあってそれが差し戻された後ではありますが、硯箱さん以外にSusukaさんと私が出典を求めていることについて、一度話をしている(これがUTCで6月9日のこと)が、返事すら今のところない(以降、全く編集がないわけではなく、10日にもこのノートに投稿しているから見ているはずです)わけで、こんな状況下で果たして「合意を形成できていた」といえるでしょうか。私はそうはみえません。--アルトクール会話) 2017年6月11日 (日) 06:44 (UTC)

アカウント名硯箱の荒らし行為について[編集]

  • ①アカウント名硯箱は「私自身は以前にも申しましたとおり、編集に関わる気持ちはもう全くありません」[26]とおっしゃっておられますので、あとは他の編集参加者に任せて頂けませんか。なぜこのような明確な不参加宣言をしたあとで、なお継続的に編集検討に参加されようとするのでしょうか。発言の趣旨がおかしいでしょう。あなたの投稿された文字列の何を信頼すればよいのですか?編集に参加なさらないとおっしゃるのでしたら参加なさらないでください。お答えください。②編集に参加しないと明確に述べられたのにも関わらず、なぜ無断で議論なくリバートなさったのですか。これは編集行為ではありませんか。弁明をお願いします。③わたくしたちwikipedia編集者はwikipedia編集ルールの合意にもとづき、自分たちの発言と行為に責任をもち行動しており、その態度をもって信頼できる編集者と理解しています。アカウント名硯箱を利用する投稿者は、自分で提案したタイトル案[27]につき適当に思い付きだけでタイトル案を提示したけれども、誰も検証してくれないし、自分もこのタイトル案は「政教分離の歴史」より相応しくない[28]ので採用すべきではない、なる主旨の論述をなしており、そればかりではなく「私自身は以前にも申しましたとおり、編集に関わる気持ちはもう全くありません」[29]とおっしゃっておられるのですから、その言説を誠実にお守りください。あまつさえWikipedia:ページの改名に則り適切に改名された記事名を無断で差し戻すとはどういうことですか。あなたは自分の改名提案をみずから取り下げたではありませんか。しかもその取り下げた理由が「自分で提案したタイトル案[30]につき適当に思い付きだけでタイトル案を提示したけれども、誰も検証してくれないし、自分もこのタイトル案は「政教分離の歴史」より相応しくない[31]ので採用すべきではない」なる主旨です。あなたがみずから提案したタイトル案が適切かどうかを説明するのはあなたの仕事です。以上の趣旨によりアカウント名硯箱は誠実な編集検討参加者とはみなさない。まずはあなたがおこなった荒らし行為であるところの【改名の無断差し戻し】をもとに戻しなさい。編集検討への参加などその後の話しである。--大和屋敷会話) 2017年6月9日 (金) 16:37 (UTC)
一般的に記事内容についての議論をすべき個別記事のノートページで、一利用者の行動をあれこれ論じることは目的外の利用であり、議論妨害・印象操作の可能性もあり、基本的にマナーに反する行為と見なされるというのがウィキペディアの一般常識であったように思われます。多少であれば問題ないとも思いますが、アカウント名を明記して節を設けてまでとなると、これは明白に印象操作しようとしているとしか思えません。--硯箱会話) 2017年6月9日 (金) 22:14 (UTC)
  • コメント 両者とも、続きはコメント依頼でやってください。--切干大根会話) 2017年6月9日 (金) 23:21 (UTC)

「政教分離の歴史」の名前のデメリット[編集]

政教分離の歴史」は、「Wikipedia:記事名の付け方における「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」ではないし、また「政教分離」は2001IP氏が主張するような意味に限定される使い方をされていません。[32]」というデメリットが指摘されてございます。硯箱氏は、それを覆すだけの反論を一度もされてございません。さまざまな批判を繰り返されたとしても、政教分離の歴史が、Wikipedia:記事名の付け方における「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」ではない、また、「政教分離」という単語が、硯箱氏が主張するような意味に限定される使い方をされていない、という2点のデメリットを覆すだけの反論がない限りは、説得することは非常に困難でございましょう。100点ではない記事名案については、いかようにも批判することは可能ですから瑣末な批判はいったん控えていただき、上記2点の大きなデメリットを覆すだけのご主張をお願い申し上げます。--雅ハルカ会話) 2017年6月10日 (土) 02:09 (UTC)

キリスト教国家論の歴史」の名前のデメリットについて
歴史学において「政教分離の歴史」がどのように捉えられているかについては本文記事にもここでの議論でも十分に参考文献が出され、三次資料による立証も済んでおり、「硯箱氏が主張するような意味に限定される使い方をされていない」というのは明白に議論に反しています。「[33]」の文献調査につきましては以前申し上げましたように、膨大な政教分離に関する文献の中から「政教分離」という用語のみを手がかりとして一部の出典のみ抽出するという不適切な調査が行われており、同時にその結論も核となる論文の誤読も含めて不正確なものであることはすでに立証いたしました。本記事で参考文献とされている、信頼できる文献から関連する信頼できる情報を用いれば、本記事のような政教分離の歴史がないというのは明らかな虚偽であり、その意味を政教分離原則そのものに限定しようという議論も全く成り立ちません。これまでの議論においても政教分離原則そのものの歴史は政教分離原則#歴史に置き、本記事から適宜ナビゲートすることで曖昧性を回避し、本記事には個別の特筆性が認められるという合意はなされております。雅ハルカ氏はそうした合意以前の、古い議論を蒸し返しておりますが、これは建設的な議論ではありません。今論じるべきは「キリスト教国家論の歴史」のデメリットです。出典がなく、曖昧で記事内容と関係がなく、誤解を招きやすいという明らかな欠陥を抱えています。--硯箱会話) 2017年6月10日 (土) 02:26 (UTC)
「政教分離の歴史」の名前のデメリットについて
硯箱氏は、強引な行動をとられて、政教分離の歴史へ差し戻しをされておりますので、説明責任を果たしてくださいませんか。「政教分離の歴史」は、「Wikipedia:記事名の付け方における「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」ではない、一般的に「政教分離」は硯箱氏が主張するような意味に限定される使い方ではない、というデメリットを覆すだけの反論をしてください。「政教分離の歴史」が「Wikipedia:記事名の付け方における「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」だ、ということが証明された場合は、記事名を変更する必要がなくなるのです。ですから、硯箱氏は、「政教分離の歴史」が「Wikipedia:記事名の付け方における「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」だということを証明してください。100点ではない記事名に対する批判は誰でもできます。そんな誰でもできる批判をいくら言い続けられても、一番いい記事名がなにか、ということを決めることはできません。「政教分離の歴史」が「Wikipedia:記事名の付け方における「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」であるならば、「政教分離の歴史」が最善であるということを、認めることができます。説明責任を果たすことが不可能、ということでございましたら、硯箱氏はこれまで多くの迷惑を掛けた上に無責任な行動をとってしまったということになります。そうならないためにも、ご自分のされたことに対する責任は果たしてくださいますようお願い申し上げます。--雅ハルカ会話) 2017年6月10日 (土) 02:48 (UTC)

繰り返しになりますが、「政教分離の歴史」という記事名と本記事の記事内容に特筆性があり、検証可能性を満たしており、信頼できる情報源に基づいていることはすでに立証され、合意され、それに基づいて加筆もされています。なのでその正当性についてはすでに解決済みです。一方、「キリスト教国家論の歴史」には出典がなく、曖昧で検証可能な文献によれば「キリスト教国家論」という用語は本記事と別の内容を指すものであることは明らかとなっています。まずは雅ハルカ氏なり大和屋敷氏なりが出典を示してその正当性を明らかにしてくださいお二方が奇妙にも揃って耳慣れないこの用語をこれほど強硬に主張されていますが、その根拠がこれまで全く示されておりません。--硯箱会話) 2017年6月10日 (土) 03:03 (UTC)

記事タイトルの差し戻しについて[編集]

  • ①アカウント名硯箱は「私自身は以前にも申しましたとおり、編集に関わる気持ちはもう全くありません」[34]とおっしゃっておられますので、あとは他の編集参加者に任せて頂けませんか。なぜこのような明確な不参加宣言をしたあとで、なお継続的に編集検討に参加されようとするのでしょうか。発言の趣旨がおかしいでしょう。あなたの投稿された文字列の何を信頼すればよいのですか?編集に参加なさらないとおっしゃるのでしたら参加なさらないでください。お答えください。②編集に参加しないと明確に述べられたのにも関わらず、なぜ無断で議論なくリバートなさったのですか。これは編集行為ではありませんか。弁明をお願いします。③わたくしたちwikipedia編集者はwikipedia編集ルールの合意にもとづき、自分たちの発言と行為に責任をもち行動しており、その態度をもって信頼できる編集者と理解しています。アカウント名硯箱を利用する投稿者は、自分で提案したタイトル案[35]につき適当に思い付きだけでタイトル案を提示したけれども、誰も検証してくれないし、自分もこのタイトル案は「政教分離の歴史」より相応しくない[36]ので採用すべきではない、なる主旨の論述をなしており、そればかりではなく「私自身は以前にも申しましたとおり、編集に関わる気持ちはもう全くありません」[37]とおっしゃっておられるのですから、その言説を誠実にお守りください。あまつさえWikipedia:ページの改名に則り適切に改名された記事名を無断で差し戻すとはどういうことですか。あなたは自分の改名提案をみずから取り下げたではありませんか。しかもその取り下げた理由が「自分で提案したタイトル案[38]につき適当に思い付きだけでタイトル案を提示したけれども、誰も検証してくれないし、自分もこのタイトル案は「政教分離の歴史」より相応しくない[39]ので採用すべきではない」なる主旨です。あなたがみずから提案したタイトル案が適切かどうかを説明するのはあなたの仕事です。以上の趣旨によりアカウント名硯箱は誠実な編集検討参加者とはみなさない。まずはあなたがおこなった荒らし行為であるところの【改名の無断差し戻し】をもとに戻しなさい。編集検討への参加などその後の話しである。--大和屋敷会話) 2017年6月10日 (土) 03:46 (UTC)なお以上は①他のアカウントの方や編集参加者へのコメントを依頼するような要素はいっさいなく、②アカウント名硯箱を利用するユーザー個人に対する、③本記事の編集内容にのみかかわる編集要求であるので、ここに記す。--大和屋敷会話) 2017年6月10日 (土) 03:56 (UTC)
このノートは記事内容について議論する場所であり、大和屋敷さんが演説をする場所ではありません。著しく目的を外れた利用は荒らしと何ら変わりません。まずは私を含め複数の利用者から求められているように大和屋敷さんが「キリスト教国家論の歴史」なる記事名の出典を方針に基づいて検証可能な形で提示することが必要です。そして雅ハルカ氏と同様に解決した過去の議論を蒸し返して、今目の前で求められている議論をはぐらかす行動はお慎みください。重ねて申し上げますが、出典を提示してくださるようお願い申し上げます。--硯箱会話) 2017年6月10日 (土) 04:03 (UTC)
  • 以上の問い合わせおよび編集要請に誠実にお答えください。--大和屋敷会話) 2017年6月10日 (土) 04:04 (UTC)
回答できないということは、検証可能な文献は示すことが出来ない、つまり「キリスト教国家論の歴史」なる記事名は検証可能性を満たさないということをお認めくださるということでしょうか。--硯箱会話) 2017年6月10日 (土) 04:07 (UTC)

「複数の利用者から求められている」なる弁舌について[編集]

  • 【複数の利用者から求められているように大和屋敷さんが「キリスト教国家論の歴史」なる記事名の出典を方針に基づいて検証可能な形で提示することが必要】なる文字列について[40]、複数とは誰のことか説明せよ。--大和屋敷会話) 2017年6月10日 (土) 04:08 (UTC)

アルトクールさんおよびSusukaさんそして私です。--硯箱会話) 2017年6月10日 (土) 04:12 (UTC)

常識的に考えて、出典もなしに記事名を提案するなどということはありえないことと思いますから、お手許にすでに出典はあり、問題なく示すことが可能であると思います。議論が前進しませんから、なるべく速やかに出典を提示してください。--硯箱会話) 2017年6月10日 (土) 04:20 (UTC)

コメント 一旦やめませんか。本論からどんどん離れている(硯箱さんは自分がやった行為自体は強引だったとは思いませんか?大和屋敷さんは自身の正当性だけをもって意固地になってはいませんか?)としか思えません。どちらも問題がなかったと堂々と言えますか?「政教分離の歴史」という記事名が記事名として絶対ダメで放置しておけない(明らかに記事名として存在してはいけない)というところが出発点ではないのですから、お二方ともこの記事とノートから1週間ほど離れてクールダウンしませんか。議論当事者同士が主張し合ったところで平行線になるのは当たり前です。両方とも視野がそこにしか向いていないから周りが見えていない、ここに至るまでの議論は膨大で第三者が介入するにできない状態、議論が所々に分散している(コメント依頼、ブロック依頼への飛び火はもちろん、このノートでもセクションが主張ごとに細かく分かれてしまい、本論が置き去りになっていると考えられる)と、話し合いができる環境を悪化させています。私なり、別の第三者なりが論点をまとめて、第三者のコメント依頼をしてでもいいでしょう。キリスト教国論でも政教分離の歴史でも記事は逃げないんですから、責任の押し付け合いみたいなことやめませんか。--アルトクール会話) 2017年6月10日 (土) 04:36 (UTC)

私自身は記事が検証可能性を満たし、信頼性のある形になればよいので、それ以上に干渉するつもりは基本的にありません。私自身はウィキペディアにこれ以上加筆するつもりはなく、実際もうこの記事に寄稿する予定だった内容は別に流用させていただいております。アルトクールさんの提案には賛成できますが、一点だけ条件が必要です。まずは大和屋敷さんが出典を示していただいてからというのがその条件です。せっかく時間をいただけるのですから、その出典を確認し、その内容を判断する時間がいただけると今後の議論にも益するからです。これは大和屋敷さんにとって今すぐにでも可能な、難しい要求ではないはずです。出典を明らかにしてからの議論休止には賛成です。--硯箱会話) 2017年6月10日 (土) 04:41 (UTC)

提案 とりあえず、

  • ページ名の候補を、『政教分離の歴史』と『キリスト教国家論の歴史』の2つとし、この内から記事名を選ぶことを主目的にする、ことを合意する。
  • それぞれの候補について、出典・長所・短所をそれぞれ明示する。
  • コメント依頼など、第三者の意見を聴取しつつ議論する。

このような流れで議論を進めることは出来ませんでしょうか。--Susuka会話) 2017年6月10日 (土) 06:23 (UTC)

検証可能性が満たされれば、議論の流れとしてはよろしいかと思います。ただし『キリスト教国家論』が候補になり得るとすれば、それは検証可能性を満たさないと話にならないと思われます。前提条件として議論参加者が一致して大和屋敷氏に出典の提示を要求し、それが得られれば、それを持って議論の準備にかかるという合意をおこなうというプロセスが必要に思われます。3日以内に出典が提示されなければ(あらかじめ明確な出典を提示するだけですからこの期間は短くありません)、『キリスト教国家論』は現状で検証可能な出典とともに私によって示されている近世のキリスト教国家論を指すものとし、本記事との関連性はないとしてただちに廃案とするというような即応性の高い条件と、発言は必ず検証可能性を満たす参考文献に基づく必要があり、個人的な感想は極力排すること、参考文献に基づかない発言は不規則発言とするという条件を提案します。これはこれまでの議論で検証可能な文献の裏付けのない感想に過ぎない発言が議論を混乱させており、ここまで長引かせていることを考慮しての条件です。そしてウィキペディアの方針文書にも正しく準拠して議論するために必要と思われます。--硯箱会話) 2017年6月10日 (土) 06:35 (UTC)

コメント Susukaさんの提案であれば、「出典を求める」ことにつながります。硯箱さんは「政教分離の歴史」の、大和屋敷さんや改名賛成派の人は「キリスト教国家論」または「キリスト教国家論の歴史」の情報を提供すればいいんです。ここで持論ではない情報がどちらか一方でも示せなければ、改名根拠を失うわけですからもう一方側で記事名についてはひとまず決着をつける、それではだめなんですか?混乱させているのはどちら側にも言えることです。少しは妥協を考えてください。--アルトクール会話) 2017年6月10日 (土) 06:49 (UTC)
私自身としては出典のない改名議論が1ヶ月続いてきたことが異常事態に思えますし、それを検証可能性を無視して押し通した今回の事例は方針文書に根拠のない強行です。ウィキペディアでこうした議論が現状行われていることこそが信じられないことで、以前はこのような乱暴な議論は行われておらず、最低限参考文献を確認し、双方で了解を取るということが普通に行われていました。今回多数決で方針文書を満たさない要求を次々通そうとするという事態に遭遇して唖然としております。少なくともウィキペディアの方針において、検証可能性は拠って立つ大原則であり、これをおろそかにしては議論によって合意を図るウィキペディアのシステムそのものが成り立たなくなります。検証可能性について厳しい条件を付けるのは、この一ヶ月の流れを考えれば、今後同様の混乱をもたらさないために必要であると考えます。これは個人的な妥協うんぬんとかではなく、議論を円滑に進めるために必要だと判断してのことです。--硯箱会話) 2017年6月10日 (土) 06:56 (UTC)
また私の知っているウィキペディアでは相手が編集に関わらないと言っているからなどという理由でノートでの発言を遮られることはありませんでしたし、本来自由意志で参加できるウィキペディアはウィキブレイクも含めて参加者の行動は一定程度自由意志が尊重されていたはずです。いつからこうなったのかは知りませんが、ほかの点はともかく少なくとも検証可能性の問題だけはこのような専門的な議論には必須で、これなしに合意が得られるというのは明らかにウィキペディアの方針だけでなく、その精神にも反します。--硯箱会話) 2017年6月10日 (土) 07:03 (UTC)
さらに今回の件で言えば、これまでの議論で「政教分離の歴史」の出典としてベッケンフェルデや山田欣吾などの出典は認められるということは相手に合意を取った上で加筆しております。これは「政教分離の歴史」の出典として使っているもので、「キリスト教国家論」の出典ではありません。仮にキリスト教国家論という用語が使われているならまだしも、これらの参考文献にない用語を持ってきて、それに改名しろというのはさすがに暴論です。適切な改名であれば問題ありませんが、さすがに参考文献にもない用語をこれまでの議論を無視して記事名に使えというのはいかがなものでしょうか。そして私が調べた限り、この「キリスト教国家論」はアンブロシウスやアウグスティヌスが唱えた神国論に使われるか、近世の特殊な国家理性の議論や近現代のキリスト教神学者の唱える政治権力論に用いられているのみで、この記事の扱う国家と宗教の機構的分離の諸条件の問題とは異なるものでした。文献での使用もとても一般的とは言えないレベルです。--硯箱会話) 2017年6月10日 (土) 07:13 (UTC)

提案 Susuka氏のご提案につきまして、「ページ名の候補を、『政教分離の歴史』と『キリスト教国家論の歴史』の2つ」に絞る、のは先に行うべきではないと思います。議論が紆余曲折している理由は、硯箱氏の主張が頻繁に変わりすぎるため、でございます。硯箱氏は「レース・プーブリカ・クリスティアナ」をご提案になった後[41]撤回され[42]、次ぎに「中世ヨーロッパの政治」あるいは「前近代のヨーロッパの政治」がよいと主張され[43]、次ぎに「政教分離の歴史」ががよいと主張されるなど、変遷が多すぎるため、結果的に合意が何度も破棄されてしまったという経緯がございます。また、今後は編集に参加しないという表明をされたために、新たに改名提案がなされた手続き事態には瑕疵は存在しないものですが、硯箱氏が編集に参加しないという主張も撤回されるなどがあり、再び合意形成が破棄されてしまっております。このような、硯箱氏の主張の変遷により合意形成の破棄が繰り返されるという事態を避けるために、まず、硯箱氏の主張とその理由についてしっかりと固定していただかない限りは、硯箱氏以外の方々が振り回されるばかり、ということが繰り返されてしまいます。従いまして、議論の流れといたしましては、

  1. 硯箱氏に記事名の提案とその理由を述べて頂く(理由について「以前述べたから言わない」と拒否することは認められず、再度全てを主張していただく)。ただし硯箱氏以外は批判はしない。
  2. 硯箱氏の主張が終了してから、硯箱氏以外の方から、新たに記事名の提案とその理由を述べて頂く(一週間以内程度)。ただし硯箱氏は批判はしない。
  3. 双方議論開始

という流れによる議論を提案させていただきます。今のところ、硯箱氏は、「政教分離の歴史」が最善であると主張されていますが、その理由については「以前述べた」と繰り返されるばかりで何日の何時の時点に述べられたのかが曖昧なままでございますので、先に、硯箱氏の主張を固定していただかない限りは、残念ながら2度あることは3度あるの繰り返しで議論が無駄になるのでは、という懸念を払拭することができないと申せましょう。なお、議論の流れがスムーズに進むようにと考え、私自身の記事名についての主張は封印し、議論の進行と整理に徹する予定としております。--雅ハルカ会話) 2017年6月10日 (土) 13:42 (UTC)

議論を混乱させているように思われますが、私は理由については明確に述べており、「以前述べたから言わない」ということは申しておりません。理由は何度も申し上げているように明確で、この記事は本来「政教分離の歴史」と書かれており、「政教分離の歴史」として検証可能性を満たし、信頼できる情報源によっていることは合意されており、それに基づいて加筆されているということです。「政教分離の歴史」という記事名には出典があり、参考文献もそれに関するものです。対して、「キリスト教国家論」なる用語に出典はなく、検証可能な信頼できる文献によればそれは近世の政治論を表したり神学論を表す用語で、本記事においてこれまで信頼できる情報源とされた参考文献において使われておらず、記事の本文中にも使われていません。--硯箱会話) 2017年6月10日 (土) 18:05 (UTC)

雅ハルカ氏と大和屋敷氏は相手の行動を批判するだけで、「キリスト教国家論の歴史」なる用語の根拠を示しておりません。お二方には早急に「キリスト教国家論」なる用語の出典を示していただき、記事に使われていないこの用語を採用すべきと思う理由を述べていただきたく思います。--硯箱会話) 2017年6月10日 (土) 18:08 (UTC)

コメント まず、硯箱氏の主張を整理させてください。

  1. 「この記事は本来「政教分離の歴史」と書かれており、「政教分離の歴史」として検証可能性を満たし、信頼できる情報源によっていることは合意されており」という主張についてですが、いつどこで、合意されましたでしょうか。硯箱氏は、「レース・プーブリカ・クリスティアナ」をご提案になった後[44]撤回され[45]、次ぎに「中世ヨーロッパの政治」あるいは「前近代のヨーロッパの政治」がよいと主張され[46]、再び、「政教分離の歴史」をご提案になったわけでございます。「政教分離の歴史の改名をする、という点で合意」されて以降、「政教分離の歴史」として検証可能性を満たし、信頼できる情報源によっていること」がどこで合意されたのかについて場所、時間等をご明示ください。
  2. Wikipedia:記事名の付け方における「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」ではないし、また「政教分離」は2001IP氏が主張するような意味に限定される使い方をされていません。[47]」というデメリットが指摘されています。硯箱氏の理由は、「Wikipedia:記事名の付け方における「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」であるため、でもなく、硯箱氏が主張している意味に限定される使い方が一般的な「政教分離」と一致しているから、でもございません。Wikipedia:記事名の付け方における「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」ではない、というデメリットが存在すること、また、硯箱氏が主張する「政教分離」と一般的な使い方は異なる、という点については、認められるということでよろしかったでしょうか。それとも、デメリットが存在しないと主張されますようであれば、その理由もご明示ください。Wikipedia:記事名の付け方においては、「記事の題名は、まず何よりも「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」である必要があります。そしてその次に「その記事へのリンクを作成しやすいもの」であることも重要です。」とございます。硯箱氏以外の参加者は、「政教分離の歴史」が、この用件を満たしていない、ということが多数の文献により証明された、と考えているために改名を行うことになった、という議論の流れが存在してございます。そうではないと考えているということでしたら、「以前言った」ではなく、改めて、理由をご明示ください。

なお、以下の主張につきましては、このノートを閲覧していればどなたでもすぐに把握できますご主張ですので、何度も書かれる必要はございません。私は論争の整理をする予定でございますし、大和屋敷氏を急かすようなご発言はできましたらお控えいただきますようお願い申し上げます。

  1. 「キリスト教国家論」なる用語に出典はなく、検証可能な信頼できる文献によればそれは近世の政治論を表したり神学論を表す用語で、本記事においてこれまで信頼できる情報源とされた参考文献において使われておらず、記事の本文中にも使われていません。

なお、Wikipedia:記事名の付け方のガイドラインも参照された上で、「政教分離の歴史」という名前にどのようにメリットがあるか、などの主張も是非ともお願い申し上げます。--雅ハルカ会話) 2017年6月10日 (土) 22:54 (UTC)

「政教分離の歴史」という記事名はこの記事の本来の記事名であり、これから改名する対象ではありません。Wikipedia:記事名の付け方のガイドラインに反しているというのなら、証明する必要があるのは雅ハルカさんのほうです。雅ハルカ氏にはまず「キリスト教国家論」なる用語の出典を示していただき、記事に使われていないこの用語を採用すべきと思う理由を述べていただきたく思います。--硯箱会話) 2017年6月10日 (土) 23:20 (UTC)

ノートではすでに「政教分離の歴史」という用語について検証可能性を見たし、信頼できる情報源に基づいていることは合意されており、さらに「政教分離原則#歴史」との関係についても合意され、歴史学的な政教分離はこちらに、政教分離原則については後者にというような棲み分けも合意されており、Wikipedia:記事名の付け方のガイドラインに関する問題はこれまでの議論でクリアされております。「政教分離の歴史」が、この用件を満たしていない、ということが多数の文献により証明されたという事実はございません。上記の文献調査を言っているのかも知れませんが、その文献調査は記事の参考文献をほとんど調査しておらず、アメリカの政教分離論に偏った文献を選択したり、主要論文の主旨を誤読して誤った結論を導き出していることなど多くの問題を私自身が指摘し、不適切であることが証明されました対して「政教分離の歴史」が依拠する信頼できる情報源は三次資料によってその学界での認知度もすでに証明されており、記事にも適切に反映されております。それ以外に現状の記事名に問題があるというのならば、検証可能性を満たす形で提起してください。「キリスト教国家論」という記事名のほうがより適切だというのなら、それを文献に基づいて示すべきです。ウィキペディアは検証可能なこととのみ記載される場所であり、検証可能性を満たさない記述は排除されます。「キリスト教国家論」が検証可能性を満たさないならば、それは顧慮だに値しません。--硯箱会話) 2017年6月10日 (土) 23:32 (UTC)

コメント まず、硯箱氏の主張を整理させてください。硯箱氏の主張に対する批判が目的ではございません。ただ、理解したいだけ、でございます。硯箱氏の主張に不明なところがあるために、たびたび議論が滞っておりますのでご協力をお願いします。

  1. 「ノートではすでに「政教分離の歴史」という用語について検証可能性を見たし、信頼できる情報源に基づいていることは合意されており、さらに「政教分離原則#歴史」との関係についても合意され、歴史学的な政教分離はこちらに、政教分離原則については後者にというような棲み分けも合意されており」という主張についてですが、いつどこで合意されたものであるかをそれぞれご明示ください。
  2. Wikipedia:記事名の付け方のガイドラインに関する問題はこれまでの議論でクリアされております。」という主張についてですが、いつどこでなにがどのようにクリアされたのか、ご明示ください。
  3. 「政教分離の歴史」という記事名は「この記事の本来の記事名」という主張について、意味が理解できるように具体的にご説明をお願いします。
  4. Wikipedia:記事名の付け方に合致している」という主張について、どこがどのように合致しているのか、具体的にご説明をお願いします。
  5. 「その文献調査は記事の参考文献をほとんど調査しておらず、アメリカの政教分離論に偏った文献を選択したり、主要論文の主旨を誤読して誤った結論を導き出していることなど多くの問題を私自身が指摘し」という主張についてですが、「多くの問題」とななにか、ご明示ください。
  6. 硯箱氏による「政教分離の歴史」の文献調査の結果をご明示下さい。前回の硯箱氏の主張については独自研究であるという指摘がございますので、それを改善された内容でもかまいません。

以上、よろしくお願いします。--雅ハルカ会話) 2017年6月11日 (日) 01:22 (UTC)

こちらが答えてばかりですので、まず雅ハルカ氏は「キリスト教国家論の歴史」を主張しておられますが、それはどの参考文献に基づくものかお答えください。一言で答えられるはずですので、よろしくお願いいたします。--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 01:39 (UTC)

私は、「キリスト教国家論の歴史」を主張してはおりません。また、硯箱氏は、まだ一度も質問に対するお答えをなさっておいででございません。硯箱氏の主張を正確に理解したいだけですので、そのために、ご協力をお願いします。--雅ハルカ会話) 2017年6月11日 (日) 01:47 (UTC)

では雅ハルカさんはなぜ検証可能性を満たさない「キリスト教国家論の歴史」を適切だと考えたのでしょうか?それとも適切ではないと今はお考えなのですか?お答えください。--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 01:50 (UTC)

「政教分離の歴史」であろうが、「キリスト教国家論の歴史」であろうが、コミュニティの合意による決定でございましたら従います。そのために、まず、硯箱氏の主張について正確に理解をしたいのです。
まず、「ノートではすでに「政教分離の歴史」という用語について検証可能性を見たし、信頼できる情報源に基づいていることは合意されており、さらに「政教分離原則#歴史」との関係についても合意され、歴史学的な政教分離はこちらに、政教分離原則については後者にというような棲み分けも合意されており」という主張についてですが、いつどこで合意されたものであるかをそれぞれご明示くださいませんか。
  1. 「政教分離の歴史」という用語について検証可能性を見たし、信頼できる情報源に基づいていることは合意されており
  2. 政教分離原則#歴史」との関係についても合意され
  3. 歴史学的な政教分離はこちらに、政教分離原則については後者にというような棲み分けも合意されており
という3点の合意について、どこでどのように合意されたのか理解することができませんので、硯箱氏の主張が真実であるかどうか判断ができかねております。よろしくお願いします。--雅ハルカ会話) 2017年6月11日 (日) 02:04 (UTC)

「政教分離の歴史」の合意事項がたとえよく理解できなくても、検証可能性を満たさない「キリスト教国家論の歴史」が適切かどうかは方針文書に基づいて直ちに判断できる内容です。雅ハルカさんは出典のない「キリスト教国家論の歴史」が適切と思っているのですか?お答えください。--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 02:07 (UTC)

硯箱氏が「キリスト教国家論の歴史」は検証可能性を満たさない、と主張されていることについてはすでに理解しておりますので、何度もおっしゃっていただく必要はございません。それについては、後ほど、論点の一つとして議論すればよく、答えを急かすような行動はお控えいただきたくお願い申し上げます。その前に、硯箱氏の主張を第三者の方が理解できるように、また、私自身が理解できるように、疑問点を解消させていただけませんでしょうか。とくに、すでに上記3点について合意が存在するのかどうか、は最も重要な論点でございます。いつどこで合意されているのかについて、ご明示下さいませ。どうぞ、ご協力をお願いします。--雅ハルカ会話) 2017年6月11日 (日) 02:15 (UTC)

ご存知のように、wikipediaでは検証可能なことしか載せないという大原則がございます。検証可能でなければ、議論ができないからです。それは「論点の一つ」という程度のものではありません。検証可能でなければ議論ができないので、合意もできないのです。その点を踏まえて、まず雅ハルカさんは出典のない「キリスト教国家論の歴史」が適切と思っているのですか?お答えください。--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 02:18 (UTC)

私自身は、どの記事名がよいか、という主張を封印して第三者に決定を委ねるとすでに表明してございます。以上、再度、お答えいたします。なお、3つの合意の存在の有無については、別節にての議論といたします。--雅ハルカ会話) 2017年6月11日 (日) 02:21 (UTC)

つまり、以降投票には参加しないということなのでしょうか?上で雅ハルカさんは「キリスト教国家論の歴史」が適切だということを繰り返し主張されていましたが、撤回されるということでよろしいのですね?--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 02:25 (UTC)

以降投票に参加するかしないか、ということについて明言するつもりはございません。「キリスト教国家論の歴史」で合意形成され改名まで至った経緯について手続き上瑕疵がないということについては、硯箱氏がいかに主張されようとも覆されるものではない、と考えております。もちろん、あらたに議論を行う権利はございますが、改名を差し戻してまで行う必要はなかった、ということでございます。以上、お答えいたしました。--雅ハルカ会話) 2017年6月11日 (日) 03:08 (UTC)
検証可能性を満たしていないのに、合意形成に瑕疵がないとはどういうことでしょうか?検証可能性を満たさなければ合意形成は不可能なはずです。--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 03:16 (UTC)
検証可能性を満たしていない、という硯箱氏の主張については理解しております。本当に、検証可能性を満たしていないのかどうかについて別途議論を行うことについてなんら反対するものではございません。ただし、改名の合意形成は、Wikipedia:改名提案の手続き上瑕疵は存在しなかったと考えております。以上、お答えいたしました。--雅ハルカ会話) 2017年6月11日 (日) 04:18 (UTC)

3つの合意が存在するのかどうか[編集]

硯箱氏による、以下の3つの合意が存在するという主張について、いつどこでどのように合意が形成されているのか、教えて頂けませんでしょうか。

  1. 「政教分離の歴史」という用語について検証可能性を見たし、信頼できる情報源に基づいていることは合意されており
  2. 政教分離原則#歴史」との関係についても合意され
  3. 歴史学的な政教分離はこちらに、政教分離原則については後者にというような棲み分けも合意されており

硯箱氏でも他の方でもどなたでもかまいません。この3つの合意が存在するのか、しないのか、について、はっきりさせなければ、議論を行うことが不可能でございます。よろしくお願いします。--雅ハルカ会話) 2017年6月11日 (日) 02:19 (UTC)

コメント まったく合意していません。合意の捏造です。--121.107.209.16 2017年6月11日 (日) 02:49 (UTC)

どういうことですか?ご自身で合意されていますよね?[48]その後約束通り加筆もされ、確認も取っているはずです。--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 02:57 (UTC)

硯箱氏が3つの合意をしたと主張されていますが、他の方はそうは思っていない、ということが明らかとなりました。121.107.209.16さんがこちらの発言で合意を表明されたのは、何についてなのか、ご説明をお願いできますでしょうか。--雅ハルカ会話) 2017年6月11日 (日) 03:04 (UTC)

明確に存在する合意事項を無視するのは明らかに問題です。「政教分離原則については『政教分離原則#歴史』に転記して、この記事は2001:268:c068:d20d:2c1b:7bf5:53ca:be5bさんがいうところの「歴史学的な政教分離」に限定する、という点では合意」ということでそれまでの議論は合意がこの時点で成立していることは疑いようがありません。それを無視するというのですか?--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 03:08 (UTC)
まず、現時点で、どのような合意が存在するのかを確認させていただけませんでしょうか。硯箱氏が存在すると主張されている3つの合意とは、いつどこでどのように合意されたのか、ということについて、差分を用いるなどしてご説明いただけますと非常に助かります。121.107.209.16氏は、硯箱氏が主張される3つの合意ではない別の件について合意した、と考えているのかもしれません。これを明らかにしてからでないと、議論を行うことが困難となって参ります。ご協力をお願い申し上げます。--雅ハルカ会話

コメント私のこの発言は、記事名が「政教分離の歴史」ではなくなるということを前提としたものです。私は「記事名が「教会と国家の分離の歴史」となるのか、他に適切な名称がある場合はそれも議論するということであれば」と条件をつけています。しかし、改名議論を滅茶苦茶なやり方で妨げ、「政教分離の歴史」がよいなどとするのは、議論における信頼を無視した詐欺といってよいでしょう。--121.107.209.16 2017年6月11日 (日) 03:20 (UTC)

どういうことですか?文脈上明らかにこれはSusukaさんの合意提案に対する返答ですよね?「記事名が「教会と国家の分離の歴史」となるのか、他に適切な名称がある場合はそれも議論するということであれば」という点についてはその後改名議論は数回行われております。文脈上は明らかに「記事名について議論されるならば」という趣旨であり、実際に議論は行われております。これはどう読んでも「記事名が「政教分離の歴史」ではなくなるということ」とは言えません。ご自身が合意とおっしゃっているのにも関わらず、あれは合意ではなかったとおっしゃりたいわけですか?--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 03:25 (UTC)
いま議論は継続しています。勝手に「合意」を強要しないでください。「政教分離の歴史」という記事名には断固として反対します。--121.107.209.16 2017年6月11日 (日) 03:45 (UTC)
合意の内容は「議論が行われるならば」であり、「議論が決着したら」などという条件ではないことはご自身の発言から明らかなはずです。議論の継続の有無は明らかに問題ではありません。それが違うというのであれば、3月11日からこれまでの議論の前提自体が崩れます。合意を無視するというのですか?--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 03:48 (UTC)
そもそも上記の明確に存在する合意を捏造だというのも明らかに問題です。捏造発言については事実と明白に異なるのですから、撤回されることを助言致します。--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 03:52 (UTC)
勝手に合意を強要しないでください。発言を自分に都合よく解釈しないでください。撤回すべきは硯箱のいう「明確に存在する合意」です。そんな「合意」は存在しません。--121.107.209.16 2017年6月11日 (日) 03:55 (UTC)
単純な事実として121.107.209.16さんはSusukaさんの合意提案を受け容れていますよね?これ以上に明確な合意はありません。これは合意ではないというのであれば、ちょっとウィキペディアの方針や精神とも異なるもので議論攪乱としかいいようがないです。--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 03:58 (UTC)

コメント 硯箱氏が主張する3つの合意の存在は証明されてございません。一つは、「政教分離の歴史」の改名を前提とするなら、という条件付きの合意であったと、121.107.209.16氏が主張されています。硯箱氏は、その他の合意についても、いつどこでどのように合意形成されたのか、ご説明をお願いします。--雅ハルカ会話) 2017年6月11日 (日) 04:06 (UTC)

雅ハルカ氏は121.107.209.16さんが明白に存在する合意を否定することを擁護するということでありますか?--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 04:08 (UTC)
121.107.209.16氏は、硯箱氏が主張することとは異なる内容についての合意であった、と主張されてございます。事実としては、双方の主張に食い違いが生じている、ということであり、擁護するということとは違います。硯箱氏は3つの合意がどこでどのように形成されたのかをご

明示なさることにより、ご自分の主張を補足することが可能でございます。どうぞ、よろしくお願いします。--雅ハルカ会話) 2017年6月11日 (日) 04:13 (UTC)

もし一度成立した合意を後から一方の側が内容が違うと言っていつでも反故に出来るということを主張しているのであれば、それはもう合意を重視するウィキペディアンとして問題がありすぎると思います。合意がウィキペディアでいかに尊重されるかを正しく理解していれば、この合意がいかに大事なものか明白であり、条件の解釈がどうあれ、合意内容は「政教分離原則については『政教分離原則#歴史』に転記して、この記事は2001:268:c068:d20d:2c1b:7bf5:53ca:be5bさんがいうところの「歴史学的な政教分離」に限定する、という点では合意」であるということは明確です。拒否しているならともかく受け容れているものを、それが成立していないというのは暴論です。--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 04:17 (UTC)

コメント 私の発言は2017年3月11日 (土) 16:34時点のもので、その一時間後に、IPアドレスである硯箱氏が削除しています2017年3月11日 (土) 17:24。前後の発言を読めばわかるように、改名作業に移行する前に可能な整理を行うという議論のなかでの合意です。発言の意図や当時の議論の文脈を無視して切り取って、自分の都合のいいように解釈して、他人の発言を意図的に歪曲した悪用であり、許しがたい議論妨害です。--121.107.209.16 2017年6月11日 (日) 04:14 (UTC)

自らの合意を覆すために相手が発言を歪曲しているという個人攻撃をするのはマナーに反します。「記事名が「教会と国家の分離の歴史」となるのか、他に適切な名称がある場合はそれも議論するということであれば、そして出典が今後明記されていくのならば、いいでしょう。」という発言が「改名議論が行われ、適切な加筆もされるなら、合意として認める」という内容であることは明らかであり、改名議論は行われており、私も出典を加筆しております。こちらは合意を守っているのに、一方的に合意を反故にするということですか?--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 04:21 (UTC)
さらに削除した箇所というのはこれも合意に基づいて近現代を除去しました。発言は削除しておりませんけれども、事実誤認があるのではないでしょうか?--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 04:23 (UTC)
少し落ち着いて整理いたしましょう。121.107.209.16氏は、改名作業を前提とする、という条件の下での合意表明であった、ということございます。硯箱氏と121.107.209.16氏の主張が異なっていた、ということが一つ判明したことは成果でございます。硯箱氏は、121.107.209.16氏の主張についてご理解をされましたでしょうか。ご理解いただきましたら、あと2つの合意についても、どこでどのように形成されたのか、差分をもってご明示をお願い申し上げます。--雅ハルカ会話) 2017年6月11日 (日) 04:34 (UTC)
すでに今の合意内容にすべて含まれております。記事内容が検証可能性を満たすということをそもそも双方が共有していないというのであれば、上の議論は成り立ちません。この合意内容は「歴史学的な政教分離議論が存在することを確認」し、「政教分離原則の歴史とは異なるものとして特筆性を認め」、「両者を別記事として棲み分けする」という合意であることは明らかです。--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 04:38 (UTC)
1.現在の「政教分離の歴史」は新しい記事名にする。
2.政教分離原則の歴史記事としての「政教分離の歴史」はその後リダイレクト記事に加筆する
ということならば私は同意すると一貫していっています。硯箱氏のいう「歴史学的な政教分離議論」についてはあらためて提起します。--121.107.209.16 2017年6月11日 (日) 04:56 (UTC)
121.107.209.16さんは議論を拡散させずに、「キリスト教国家論の歴史」の出典を提示してください。--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 04:58 (UTC)

まず雅ハルカさんは一方的に121.107.209.16さんを擁護していらっしゃいますが、121.107.209.16さんが私の発言を「合意の捏造」だと言ったことについてはそれは正しいと思われるのですか?--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 04:42 (UTC)

硯箱氏が3つの合意が存在する、と考えていることは理解しております。それについて、121.107.209.16氏は3つの合意は存在しないと考えていると理解しております。となりますと、Wikipediaの方針で定義される「合意」は存在していないということになります。これは、121.107.209.16氏を擁護しているということとは異なります。また、硯箱氏は合意が成立した過去の差分をご明示いただくことにより、「合意が存在する」と証明することが可能でございます。ご自身の主張を証明されたいのであれば、過去の差分のご明示をお願いします。--雅ハルカ会話) 2017年6月11日 (日) 05:07 (UTC)
「合意が存在しない」ということと「合意を捏造した」という発言には明らかな落差がありますよね?「捏造」という言葉は私が意図的にでっち上げたという意味です。しかし、合意の提案はSusukaさんからなされ、双方了解し、その後の議論はその合意に基づいて行われています。これを「捏造」ということに賛成なさっているということですか?--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 05:10 (UTC)
そして雅ハルカさんは合意の文言とそれに対する同意の事実は条件付きであれ客観的に存在するにも拘わらず。それを「存在しない」という121.107.209.16さんの発言を一方的に尊重し、私の「存在する」という立場を尊重しないのはなぜですか?口では第三者的とおっしゃってますが、これまでのご自身の発言を振り返って本当にご自身が中立的であると言えますか?--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 05:15 (UTC)

たとえば私が121.107.209.16さんに「キリスト教国家論の歴史」の出典を求めていますが、121.107.209.16さんは応じていませんよね?中立的というのであれば、出典の提示について私と一緒に121.107.209.16さんに出典の提示を求める気はないのですか?--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 05:17 (UTC)

文献は提示しています。そういうのを虚偽による詭弁という。--121.107.209.16 2017年6月11日 (日) 05:19 (UTC)

書名とページ数を示してください。書名も示していないのに文献を提示しているとは言いません。そしてそれを詭弁というのであれば、明らかに虚偽発言ですから撤回してください。--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 05:21 (UTC)

「合意」の意図の確認[編集]

合意している、していないでもめているので、整理させてください。お二人の対立している「合意(案)」関連のところを見返しました。私が推察するに、

  • 歴史的な政教分離と、いわゆる政教分離原則とで記事を棲み分けすることについては両者とも了承している。
  • 121.107.209.16さんは、『政教分離原則』の「歴史」節を分割した時に、その記事名が『政教分離の歴史』になるのが望ましいと考えている。そのため、現在の本記事は玉突き的に解明されなければならない。
  • 硯石さんは、「改名する前提ならば」という留保が121.107.209.16さんが技術的に譲れない点であることに気付かなかった(責めているわけではありません。私も今気がつきました)。

という経緯でしょうか。まずは確認まで。--Susuka会話) 2017年6月11日 (日) 05:22 (UTC)

基本的にはそのようですが、まず「合意の捏造」という発言は明らかに攻撃的であり、暴言であるように思われるので、その点には121.107.209.16さんに謝罪と撤回をまず求めます。条件はともかく、121.107.209.16さんが合意の存在自体を否定したことについても撤回していただく、ということで。--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 05:27 (UTC)

とりあえず、「3つの合意」の3つ目の棲み分けについては合意できる、と見てよいのですね?合意できるところは合意して、次に進みましょう。--Susuka会話) 2017年6月11日 (日) 05:46 (UTC)

棲み分けについて合意できたとすれば、自動的に2の条件も合意されたとなるのではないでしょうか。棲み分けということは関係が明らかになったということではないでしょうか?--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 05:50 (UTC)

検証可能性を満たさない「キリスト教国家論の歴史」の出典[編集]

現状で「キリスト教国家論の歴史」という改名案には出典がございません。まずこの「キリスト教国家論の歴史」という記事名の出典について、この案に賛成された方はその出所を明確にしてください。これが明らかにならなければ、方針文書に基づき改名案は不適切であると判断せざるを得ません。ご協力をお願いします。--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 02:24 (UTC)

コメント「キリスト教国家論の歴史」の出典といっていますが、それは「ヨーロッパのキリスト教文明における教会と国家の関係の歴史」のことなのですから、ダントレーヴでもモラルでもブルンナーでも出典となりますし、ベッケンフェルデの世俗化論も当然それに含まれるわけです。しかし、硯箱さんは、このようなことをいうと「論文を理解していない」「記事を全く理解していない」などと繰り返すばかりです。

硯箱さんは、私の3月5日の文献報告に対して反証済みなどと強弁していますが、当記事が「政教分離の歴史」と題することの不適切性については、なにも反証していません。感情的に反発して、他の編集者への個人攻撃(「論文を理解していない」「何も知らない」等)、そしてあたかもカード遊びのように次から次へと文献を提示していますが、それらは「記事名「政教分離の歴史」の不適切性」を覆す文献ではありません。

改名提案「レースプーブリカ・クリスティアーナ」では、硯箱氏は#レースプーブリカ・クリスティアーナについての改名が適切かという点についての文献的調査のように文献調査を逆手にとって、ダントレーヴやモラルの著書についての議論などと称して「この記事でレースプーブリカ・クリスティアーナを正面から説明している箇所はなく、内容もレースプーブリカ・クリスティアーナの歴史とはなっていない」などと事実と異なる、意味不明の強弁をなさっています[49]

1.「キリスト教国家論の歴史」も妥当である。それ以外の記事案「キリスト教と国家」「教会と国家」「ヨーロッパにおける…」も同様に妥当。 2.「政教分離の歴史」については、3月5日の文献報告以降、硯箱氏一人だけが何ら根拠も示さずに反発しているだけであり、無効です。用語の使用ということでいえば、硯箱氏が「政教分離」用語使用として依拠するのは山田欣吾論文「教会から国家へ-「世俗化過程」としてのヨーロッパ国家形成史」だけですが、私の文献報告にあるように、その論文でも「ヨーロッパでは、その長い歴史を通じて、政治ないし国家の「脱宗教化」、「世俗化」がなされ、宗教と政治の分離という原則が確立されるに至った」(p.1)という文章だけがあるだけです。この山田論文では「政教分離」という語句は使用されていません。山田欣吾の論文では、論文タイトルにも「世俗化過程としてのヨーロッパ国家形成史」と副題がるように、また山田論文で紹介されるベッケンフェルデの古典的論文「世俗化過程としての国家の成立」でもタイトルだそうであるように、「世俗化過程」という歴史学的概念で考察されています。「政教分離としてのヨーロッパ国家形成史」とは書かれていません。硯箱氏のように、アメリカ合衆国やフランス革命以降の「政教分離」を、「政教分離の歴史」で書かずに別の記事で書け、という主張は、一般的な学術文献の傾向[50]からいって成り立ちません。 --121.107.209.16 2017年6月11日 (日) 03:14 (UTC)

問題は複雑ではありません。検証可能性を満たさない限り、「キリスト教国家論の歴史」は独自研究でありますから、そもそも方針文書の規定を満たさず、即座に廃案となります。なにより今回の問題は「キリスト教国家論」という内容は別のものであることが検証可能な信頼できる情報源により明確であるという点にもう一つの問題があります。ここでは論点を拡散させずに「キリスト教国家論の歴史」という改名案の出典を示してください。--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 03:21 (UTC)

問題はなにも複雑ではありません。硯箱氏が強弁を続けているだけなのです。私は「キリスト教と国家」「教会と国家」などがいいと提案してまいりました。そして記事の基本的な骨格として歴史学事典を提示しましたが、硯箱氏は「歴史学事典は出典として不十分」などという、悪戯としか思えないまったく非合理な反対をしています[51]。日本の歴史学者が結集して作成した全16巻にもおよび歴史学事典(弘文堂)所収記事が「出典として不十分」であるとして反対とは荒らしとしかいいようがありません。--121.107.209.16 2017年6月11日 (日) 03:44 (UTC)
ここでは論点を拡散させずに「キリスト教国家論の歴史」という改名案の出典を示してください。ご協力よろしくお願い致します。--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 03:45 (UTC)
拡散していません。改名議論をしています。出典はダントレーヴ、J.B.モラルなど膨大にある、と何度いえばいいのですか。--121.107.209.16 2017年6月11日 (日) 03:52 (UTC)
では具体的にダントレーヴの何ページ、J.B.モラルの何ページに書いてありますか。書名を提示していただければ参照致します。--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 03:53 (UTC)

返答いただけないのでもう一度繰り返しますが、具体的にダントレーヴの何の書物の何ページ、J.B.モラルの何の書物の何ページに書いてありますか。121.107.209.16さんは書名とページ数を提示してください。--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 05:52 (UTC)

コメント 少し落ち着いてください。ここはリアルタイムでやるチャットではないので、返答に1日2日かかることもザラです。急かしたところでよい話し合いができるものではありません。あまり相手を急かすようだと、クールダウンの要を認めるとして管理者伝言板に連絡することになります。--アルトクール会話) 2017年6月11日 (日) 06:36 (UTC)

なるほど。すでに121.107.209.16さんのお手許にあると思われる出典についての情報を求めているだけなので、急かしているつもりはありませんでした。急ぎませんので、121.107.209.16さんは書名とページ数を提示してください。議論の前提として必要です。--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 06:43 (UTC)

J.B.モラル『中世の政治思想』全体(第1-8章)が出典ですので、p.3からp.207までですね。それから、記事の特定の箇所についての確認ではないのですから、特定のページ番号を指定する話ではありません。ダントレーヴよりも網羅的な福田歓一『政治学史』も付け加えましょう。福田歓一『政治学史』で関係する箇所は

  • 第2章 古典古代II―古代普遍世界(クリスト教成立の政治学的意味、普遍教会と教父哲学の政治理論など)
  • 第3章 ゲルマン世界中世の政治と哲学(教皇権、等族国家、パドヴァのマルシリウス、ウィリアム、教会の腐敗と公会議運動)
  • 第4章 中世思想の崩壊――ルネサンスと宗教改革――(マキアヴェリ、ルターなど)
  • 第5章 絶対主義の時代――近代政治理論の諸前提――(コンフェッショナリズム、モナルコマキ、ボダン、自然法:アルトジウス、フッカー、グロチウス)
  • 第6章 近代政治原理の形成過程(イングランド革命、ホッブズ、ロックなど)7章以下、フランス啓蒙思想

などですが、現在の記事は「近代政治理論」以前まででストップしており、福田歓一『政治学史』でいえば第2章から第5章の途中までで中断しています。さて、このように回答すると、硯箱氏はそれらのどこに「キリスト教国家論などという特殊な用語があるのだ?」といって反対するのでしょうが、それも詭弁ですね。「ヨーロッパのキリスト教文明における教会と国家の関係の歴史」のことなのですから、国家概念の変遷、教皇権、等族国家など、説明対象しだいで文献はいくらでもあります。したがって、

  1. 「キリスト教国家論の歴史」も妥当である。それ以外の記事案「キリスト教と国家」「教会と国家」「ヨーロッパにおける…」も同様に妥当。
  2. 「政教分離の歴史」については、硯箱氏のいう「歴史学的な政教分離議論」という用語こそが独自研究であったことは、私の3月5日の文献報告で明らかです。文献報告以降、硯箱氏一人だけが何ら根拠も示さずに反発しているだけであり、無効です。用語の使用ということでいえば、硯箱氏が「政教分離」用語使用として依拠するのは山田欣吾論文「教会から国家へ-「世俗化過程」としてのヨーロッパ国家形成史」だけですが、私の文献報告にあるように、その論文でも「ヨーロッパでは、その長い歴史を通じて、政治ないし国家の「脱宗教化」、「世俗化」がなされ、宗教と政治の分離という原則が確立されるに至った」(p.1)という文章だけがあるだけです。この山田論文では「政教分離」という語句は使用されていません。山田欣吾の論文では、論文タイトルにも「世俗化過程としてのヨーロッパ国家形成史」と副題がるように、また山田論文で紹介されるベッケンフェルデの古典的論文「世俗化過程としての国家の成立」でもタイトルもそうであるように、「世俗化過程」という歴史学的概念で考察されています。「政教分離としてのヨーロッパ国家形成史」とは書かれていません。硯箱氏のように、アメリカ合衆国やフランス革命以降の「政教分離」を、「政教分離の歴史」で書かずに別の記事で書け、という主張は、一般的な学術文献の傾向[52]からいって成り立ちません。--121.107.209.16 2017年6月11日 (日) 07:26 (UTC)
まず範囲が広いのですが、ざっと確認したところ、「キリスト教国家論」という用語は見当たりません。具体的にこれらの著作のそれぞれどのページに「キリスト教国家論」という用語があるのですか?--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 07:33 (UTC)
追加としてそれぞれの著作でパドヴァのマルシリウス、ダンテ、アルトジウス、グロチウス、ホッブズなどについてはキリスト教の要素についてはむしろ否定的にしか語られていませんよね?これらがキリスト教国家論だということは言えないと思うのですが、具体的にどこをもってこれらをキリスト教国家論としているのですか?書名とページでお答えください。--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 07:42 (UTC)
予想通りの質問ですね。「キリスト教国家論」の用語使用はないんじゃないでしょうか。あるかもしれませんが。しかし、「キリスト教国家論」というのは、「ヨーロッパのキリスト教文明における教会と国家の関係の歴史」のことなのですから、国家概念の変遷、教皇権、等族国家など、説明対象しだいで文献はいくらでもありますし、モラルでも福田「政治学史」でも十分です。というか、なにを「議論」しているのですか?「キリスト教国家論」にも反対、「レスプブリカクリスティアナ」にも反対、「政教分離の歴史」がましである、と、この半年、ずっとフリダシに戻るばかりです。過去ログ化されているので文献報告を再掲します。
百科事典等、研究諸論文における立項・言及状況 
出典 記載内容 「政教分離の歴史」の出典としての有意性。また適切な記事名
歴史学事典(全16巻)第11巻 宗教と学問,2004年、弘文堂、p.399-400。編集委員は樺山紘一尾形勇加藤友康川北稔岸本美緒黒田日出男佐藤次高南塚信吾山本博文 「政教分離」項(岩井淳)。信教の自由と不可分。16世紀の宗教改革以降に信教の自由が、18世紀後半のアメリカ独立時に政教分離が達成。
[歴史] 古代は政教未分離が多い。政教一致型には教会国家型(宗教が世俗領域に権威や権力を持つ。例としてヨーロッパの教会、シャリーアを奉じるイスラム世界)と、国家教会型(絶対主義期の国家教会、近代日本)がある。参照として「宗教改革」「信教の自由」「ピューリタニズム」 「政教一致」(イスラムについて解説)。
○ または「政教一致」
歴史学事典第12巻 王と国家、弘文堂、p.399-400. 「政教分離」項(渡辺昭子)。アメリカ、フランスの近代憲法について言及し、国家と教会(政治と宗教)が相互に干渉すべきではなく、それぞれ固有の領域であるという思想は、宗教改革以降のヨーロッパで広まった。神聖ローマ帝国ではアウクスブルクの和議によってルター派公認。ほか、領邦教会制(諸侯および都市ごとに宗派を選択する)、トランシルヴァニア議会、ポーランドのワルシャワ連盟協約、ロックの寛容論、ナントの勅令、イギリスのピューリタンに言及し、「寛容思想の普及、そしてアメリカ独立革命やフランス革命を契機として、19世紀になるとヨーロッパの国々が教会との関係の制度的再編にのりだす」と解説。参照として「英国教会」「キリスト教と国家」「国家宗教」「ジョン・ロック」「王(中世ヨーロッパ)」「王(東ヨーロッパ)」「王(近代西ヨーロッパ)」。 ○ または「国家と教会」「キリスト教と国家」
歴史学事典第12巻 王と国家 「キリスト教と国家」項(樺山紘一)。
1.キリスト教初期。391年の国教化、西ローマ帝国崩壊後、キリスト教と王権の関係は、ゲルマン部族諸国家に継承される。東西ゴート王国。
2.東ローマ帝国(ビザンツ)。皇帝教皇主義(カエサロパピスム)は後にロシア帝国が継承。16世紀教会改革以降のイングランド教会でも、その国王との間で実現したとみるのは可能。ただし、神政政治の純粋な形に移行はしていない。
3.ゲルマン諸国家。カール大帝。国王と教皇の関係。両権力は別種として二分されるわけでもなく、独自性を保持し続けた。「頂点としての皇帝と教皇の関係はもとより、地方権力と地方教会とのあいだでも、微妙な距離をたもちつつ、聖俗の権力は分離されたうえで、なおファジーな形で結合されもしている。」 教皇はテオクラシー(神政政治)を希求、国王は自国領教会の従属化を要請。14世紀以降のフランス国家教会制度、ガリカニスムが例。ガリカニスム原則は近世の絶対主義国家をへて、ナポレオンによる政教条約(コンコルダート)で公認の原則となる。
4.宗教改革。
5.近代社会に「国家と教会はそれぞれの領分を截然と分離」した(政教分離)。社会の世俗化現象は教会の介入を拒否。19世紀から20世紀にかけて、聖職者は、公務員に準じる地位となる。
6.このように、教会からの国家政治へと経緯がある。しかし、別の観点として、古代世界では国家権力は教会内紛争に介入。しかし、中世にかけて、異端問題は教義というよりも、政治問題であった。異端の監視や処遇は教会でなく、国家が実施した。
参照として「神政政治」「教会国家論(フランク王国の)」「教皇領国家」「皇帝教皇主義」「社会主義国家」「政教分離」「カール大帝」「イギリス国教会」
△ 「キリスト教と国家」
西洋中世史事典(H.R.ロイン) 東洋書林 「政教分離」の項目なし。事項索引にもなし。
西欧中世史事典II(ハンス・K・シュルツェ)五十嵐修他訳 「政教分離」の項目なし。「帝国」「皇帝権」「王権支配」として立項。事項索引にも「政教分離」なし。
ヨーロッパ中世史事典(A・ジェラール) 藤原書店 見出し項目にも事項索引にも「政教分離」なし。
 世界歴史大事典(全10巻)1956/1990 平凡社 「政教分離」の項目なし。「第三共和政」項目で政教分離法(1905年)に言及があるだけ。
世界歴史大事典(全22巻)1988 教育出版センター(梅棹忠夫、江上波夫監修) 「政教分離」の項目なし。事項索引にもなし。
新編西洋史辞典(平成5年、改訂増補)、京大西洋史辞典編纂会。 「政教分離」の項目あり。フランス革命、1801年の政教条約に言及。
新カトリック大事典II、研究社 p.596-597 「政教分離」の項目あり。伝統的には「教皇権と皇帝権」の関係の問題として議論されてきた。「教会の自由」や教会の権威の問題など。ゲラシウスI世は、世界が「教皇の権威」 (auctoritas) と「君主の権力」 (potestas) によって治められるとした(両剣論)。叙任権闘争を経て教皇権至上主義は頂点に達した。対立教皇時代を収拾するためのコンスタンツ公会議では投票が国別に行われた。14世紀前半のパドヴァのマルシリウスは、聖職者の権威を否定し、君主の政治的主権を主張。中世末期の教皇権の衰退、宗教改革、近代国家体制、フランス革命などによって世俗主義、良心と信教の自由が掲げられ、「反教会・反聖職者主義的」であった。現代、ヨアンネス23世回勅「マーテル・エト・マギストラ」「パーチェム・イン・テリス」、第2バチカン公会議の現代世界憲章に言及。
新カトリック大事典II、研究社 p.905 「国家教会」項。キリスト教社会における教会と国家の関係についての記事。広義では国家がキリスト教を唯一の正当な宗教として指定すること。狭義の通常の意味では、宗教改革期に成立し、絶対主義時代に頂点を極めた国家主導型の国家・教会関係。[歴史的概観]として、ローマ帝国、中世のシャルルマーニュやオットー朝、ザリエル朝、ビザンチンなどは「割愛して」「狭義のみ述べる」とし、フランスのフィリップ4世、シャルル7世、ドイツのルートヴィヒ4世で国家教会の先駆的な形態が形成されたが、宗教改革が決定的である。  「国家教会」
 宗教の事典(朝倉書店) 山折哲雄川村邦光, 市川裕, 大塚和夫, 奥山直司, 山中弘 (編),pp.862-864. 「政教分離・政教一致」項あり(中野毅)。政教一致には教会国家主義と国家教会主義があるとし、前者は神聖政治または神権政治(テオクラシー)、アウグスティヌスの普遍教会が、後者にはトマス・エラストス(1524-1583)やイングランド国教会がある。政教分離を最初に国制として取り入れたのはアメリカ合衆国と解説。 ○  または「政教一致」
Steven K. Green,The Separation of Church and State in the United States,OXford Reseach Encyclopedias. The Historical Antecedents of Church-State Separation節で、Augustine of Hippoの「神の国」と「地の国」に言及するが、1行程度。教会と国家の分離の画期は、宗教改革、啓蒙主義、ホイッグ党の活動(参考:ホイッグ史観)にある。カルヴァン、ルターについて5行程。英米ピューリタン、ロジャー・ウィリアムズ、ロックの寛容論、モンテスキュー、ジェファーソン、ジョン・トレンチャードとトマス・ゴードン、James Burgh、大覚醒などアメリカ建国期以降が主。
Encyclopedia of religion 「政教分離(Separation of church and state)」項はなく、「Church and State」「Politics and Religion」で立項 「教会と国家」「政治と宗教」
ブリタニカ国際大百科事典 「政教分離」項あり。アメリカ憲法に言及。
知恵蔵 「政教分離」項あり。国家と宗教とを分離させる憲法上の原則。信教の自由と表裏一体。欧米で生まれ、近代化と共に非キリスト教国にも浸透。
百科事典マイペディア 「政教分離」項あり。国家権力と宗教の分離。信教の自由の必要条件。未開社会,古代・中世社会では政治と宗教が一体となり宗教的権威によって支配が行われた。
世界大百科事典 「政教分離」項あり。「国家の非宗教性,宗教的中立性の要請,ないしその制度的現実化」。[歴史]として「ヨーロッパにおいて政教分離は歴史過程のなかで徐々に進行。聖職叙任権闘争,宗教戦争,フランス革命が画期。 」
日本大百科全書(ニッポニカ) 「政教分離」項あり。国家と宗教とを分離させる憲法上の原則。「中世および近世ヨーロッパにおいては、国家と教会、国権と教権が密接に結合していたため信教の自由が認められず、国教または公認の宗教以外は異端として刑罰を含む迫害を受けた。17、18世紀に宗教的寛容と国家の宗教的中立の制度がしだいにヨーロッパ社会に広まり、現代国家においては、政教分離は信教の自由の保障のための憲法原則として広く採用されることになった。」
英語版ウィキペディア「政教分離」 古代について書かれているが、一次資料を並べたもので、独自研究の疑いがある。「後期古代」でアウグスティヌス「神の国」、「中世」では皇帝教皇主義、教皇権について解説。以降、宗教改革、啓蒙時代、ジェファーソンがそれぞれ10行程で解説。「中世」については、Church and state in medieval Europe(中世ヨーロッパにおける教会と国家)記事へのリンクがされており、日本語版「政教分離の歴史」もこの記事へ言語間リンクされている。 「中世ヨーロッパにおける教会と国家」
ドイツ語版ウィキペディア 「政教分離(Trennung zwischen Religion und Staat)」記事 20世紀以降の解説。
ドイツ語版ウィキペディア「教会と国家」 啓蒙時代、フランス革命以降、教会の優位性が低落し、中立的法治国家について冒頭で解説したあと、「聖書における教会と国家」「カトリック神学における国家論」「プロテスタントにおける国家論」について解説。 「教会と国家」
CiNii「政教分離」検索 「政教分離」関連文献は731件。しかし、ほとんどがアメリカ、フランス、日本の近代の政教分離原則についてのもので、ヨーロッパ中世史の論文名で「政教分離」を使用した例は見つからなかった。
CiNii「皇帝権」検索 「皇帝権」関連文献は61件。ドイツ王権(皇帝権)とローマ法王権の関係、ビザンツ皇帝権、ロタール一世の皇帝権、教皇権と皇帝権などについての論文。しかし、論文キーワードで「政教分離」を使用した例は見つからなかった。
CiNii「教皇権」検索 「教皇権」関連文献は34件。論文キーワードで「政教分離」を使用した例は見つからなかった。
ゲオルク・シュトラック「教会「改革」から宗教「改革」へー盛期・後期中世における教皇権」史苑第75巻2号,pp.387-415. 「政教分離」不使用。
山田欣吾『教会から国家へ』 「比較国制史の視点から考察し、国家形成史を宗教的秩序の世俗化過程として構想」したもの。目次、事項索引に「政教分離」なし。「ヨーロッパでは、その長い歴史を通じて、政治ないし国家の「脱宗教化」、「世俗化」がなされ、宗教と政治の分離という原則が確立されるに至った」(p.1)。12−13世紀から18-19世紀にいたるヨーロッパの諸国家は「統一的・包括的な権力構成体」として成立したが、ベッケンフェルデは「世俗化」過程を重視した(p.1-2)。「ヨーロッパの政治秩序の世俗化過程には、巨視的に見て、二つの大きな画期」があるとし、第一の画期は11世紀後半から12世紀にかけての叙任権闘争期、第二の画期は16、17世紀の宗教改革と宗教戦争である、「本稿では、後に、世俗化の第一段階としての叙任権闘争期」を考察するが、その前に、「ヨーロッパの世俗化過程の行き着く先を示唆しておく意味で、第二段階の問題についても、ごく常識的な諸点を述べておきたい」(p.2-3) 本文で「政教分離」という語句は使用されていない。  △ または☓  「世俗化」「宗教と国家」「キリスト教と国家」
山田欣吾「西洋文明史の片隅から」(橋問叢書 第59号) 叙任権闘争やグレゴリウス改革のときに初めて、宗教に支えられた政治秩序が世俗化し、近世初めの宗教改革で加速。この動きの終点が、政教分離、つまり「どの信仰を持っている者でも市民的・政治的な権利は持つことができる、新教の立場にある者でも、旧教の立場にある者でも、政治的な権利を持つことができる、こういう原則が確立するのは三十年戦争を経て、一応の終点はやはりフランス革命に至る」。「ヨーロッパは政治と宗教との分離というものを世界の中で初めて自覚的に達成した地域」と述べている。 ○(ただし著書の代表的著作ではない)
五十嵐修『王国・教会・帝国―カール大帝期の王権と国家』 論文概要書および論文審査報告書では、カールの戴冠、国家と教会の関係、王国と帝国との関係、皇帝権、教皇権、世俗権力、国制史について触れられているが、「政教分離」という用語は使用されていない。なお、目次でも「政教分離」は使用されていない。(巻末事項索引は未確認)
世界歴史体系 ドイツ史I  山田欣吾も執筆。しかし、索引項目になし。
第二章「フランク時代」(渡部治雄)ではメロヴィング朝フランク王国、第3章「ザクセン朝」(山田欣吾)ではオットー1世と皇帝権の獲得、王国支配の集権化と王国教会の体制化について、第4章は「叙任権闘争」(山田欣吾)、5.6章は「シュタウフェン朝」、第7章「ドイツ王国の国制変化」で国王=皇帝選挙と教皇権、カール4世などについて解説。
 世界の歴史10 西ヨーロッパの形成、佐藤彰一, 池上俊一 カロリング朝、叙任権闘争も扱われるが、「政教分離」索引になし。
古谷圭一「イングランド市民革命とプロテスタント各教派の成立」キリスト教と文化 : 関東学院大学キリスト教と文化研究所所報14,2016.pp.33-45. エキュメニズムからの研究。イングランド市民革命による宗教的迫害から「教権から切り離された人々の万人祭司主義の徹底化による会衆主義、教権の政治的かかわりを禁じる政教分離主義に突き進んだ」と解説。 ○、または「会衆制」「教会政治史
柳原 邦光「アメリカとフランスの市民宗教論の比較」地域学論集5巻3号、鳥取大学地域学部地域文化学科,2009,p227-251. 論文キーワード「政教分離」あり。 ○、または「市民宗教」
豊川 慎「リベラル・デモクラシーにおける政治認識とキリスト教民主主義の政治思想序説」キリストと世界17 : 東京基督教大学紀要,2007年 論文キーワード「政教分離」あり。
久保田泰夫「ロージャー ・ウィリアムズと教会と国家」東京工芸大学芸術学部紀要 4, 85-98, 1998 ウィリアムズの政教分離論 ○、またはロジャー・ウィリアムズ
中山勉「ロジャー・ウィリアムズ研究― 政教分離論の虚実と代表的著作に見られる神学思想 」(東京大学) 「政教分離とは信教の自由のための制度的保障であり、単に政治と宗教が別次元で活動しているという状況、ないしはその主張を指すものではない」「「中世でも政教分離はなされていた」式の議論は、この制度的保障としての政教分離の意義をトータルに見誤っている。た だ単に政治と宗教の管轄が違うだけでなく(そんなものなら古代にもあった)、それが(特定宗教だけでなく)あらゆる宗教の信教の自由を目的にしているか否かが、政教分離が存在しているかどうかの判断基準である」(p.213)
森本あんり『アメリカ的理念の身体― 寛容と良心・政教分離・信教の自由をめぐる歴史的実験の軌跡』(創文社) 一章「中世的寛容論から見た初期アメリカ社会の政治と宗教」で中世寛容論に言及。ただし、近世近代アメリカにおける政教分離が主たる考察対象。前史としての言及。

以上の調査によって、硯箱氏のいう「歴史学的政教分離」がウィキペディアアンが情報を合成した独自研究といえます。--121.107.209.16 2017年6月11日 (日) 07:43 (UTC)

まずこれらの書物で「キリスト教国家論」という用語が使われていないということは合意できるということですね?お答えください。--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 07:45 (UTC)

あと表で分断されてしまったのでもう一度おたずねしますが、それぞれの著作でパドヴァのマルシリウス、ダンテ、アルトジウス、グロチウス、ホッブズなどについてはキリスト教の要素についてはむしろ否定的にしか語られていませんよね?これらがキリスト教国家論だということは言えないと思うのですが、具体的にどこをもってこれらをキリスト教国家論と判断しているのですか?書名とページでお答えください。--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 07:54 (UTC)

提案 とりあえず、議論の材料は出そろったと見てよいのでしょうか。このまま今のメンバーで話し合っていては事態は動かないでしょうから(少なくとも私は本件の資料判断については門外漢です)、しかるべきところに広く意見を募ったほうが良いと考えます。--Susuka会話) 2017年6月11日 (日) 07:58 (UTC)

そうですね。ただ1点目のこれらの書物で「キリスト教国家論」という用語が使われていないということについては単純に事実確認の問題ですから、当事者同士で合意できると思いますので、そこだけ121.107.209.16さんの明確な回答を求めます。--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 08:00 (UTC)

Susukaさんに確認したいのですが、しかるべきところとはどこですか?コメント依頼のことでしょうか。--121.107.209.16 2017年6月11日 (日) 08:35 (UTC)
返信 まずコメント依頼ですが、以前コメント依頼してもまとまらなかった経緯があるため、関連のプロジェクトのノートページにも告知するべきかもしれません。--Susuka会話) 2017年6月11日 (日) 08:50 (UTC)
モラル、福田の文献について「キリスト教国家論」という用語が使用されているのかは未確認です。しかし、ダントレーヴ「政治思想への中世の貢献」p26では、パウロの「上に立つ権威に従うべきである」という聖句を引用して、「キリスト教政治理論の全歴史は、この[パウロの手になる]聖句に対する絶えざる注釈以外の何ものでもない」と、「キリスト教政治理論」という使用例があります。--121.107.209.16 2017年6月11日 (日) 08:26 (UTC)
それは確認しています。とりあえず「キリスト教国家論」という用語が存在しないことを確認できれば良いのですから、合意とみなしてよいですね?あと補足ですが、121.107.209.16さんがJ・B・モラル『中世の政治思想』をお持ちでしたらいっしょに「聖アウグスティヌス『神国論』の政治思想」という論文が付録されていると思われます。そのp.250部分が「キリスト教国家論」が神国論を指すのではないかという私の出典の一つになっていますので、念のためご確認ください。--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 08:29 (UTC)
平凡社ライブラリーにその箇所はないです。未確認といっていますので、それ以上のことをいいません。「合意」したといって、また「合意したのかしていないのか」のような話をしたくはありませんので。--121.107.209.16 2017年6月11日 (日) 08:35 (UTC)
待ってください。「未確認だ」ということは「キリスト教国家論」の出典としては確認していないということですよね?未確認ということは現状「キリスト教国家論」の用語は見つけられなかったということでよろしいですね?これなら合意できますね?--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 08:37 (UTC)
そもそも私は「キリスト教国家論」の提案者ではありません。この提案は「キリスト教と国家」「教会と国家」「レスプブリカクリスティアナ」などの記事名候補のなかで提案されたもので、現状の記事内容への適切な記事名ということで提案されたものであって、硯箱氏の「歴史学的政教分離」のような特殊な主張ではありません。また、賛同したのは、硯箱氏の態度に疲れていたためでもあります。私は「キリスト教と国家」「教会と国家」を提案してまいりましたし、「中世ヨーロッパにおける政治と宗教」「中世ヨーロッパにおける政教関係」などでも同意できます。他の方も発言していましたが、硯箱さんは記事名として何がベストであると考えているのですか?それをいわないで、このまま他人の提案に反対反対と駄々をこねるようにかき回して、硯箱氏が自ら提案した「レスプブリカクリスティアナ」で落ち着こうとしたところ、またちゃぶ台返しのように、「やっぱり反対。政教分離の歴史がいい」と話を最初に戻す。「政教分離の歴史」がベストであると主張するならば、その出典を出してください。--121.107.209.16 2017年6月11日 (日) 10:23 (UTC)

つまり、未確認ということは現状「キリスト教国家論」の用語は見つけられなかったということは合意されたということを認められたということですね?--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 11:07 (UTC)

「キリスト教国家論」の関連文献[編集]

硯箱さんの「神国論」というのも個人的には理解していますが、議論上の手続きより報告します。「キリスト教国家論」とは「キリスト教国家についての論考や思想」のことですが、「キリスト教政治思想」とも同義といっていいでしょう(「政治思想」に国家論は包含される)。さて、関連文献は以下の通りで、これらに追加するものもありますが、「キリスト教国家論」という表現が「検証可能性を満たさない」という硯箱氏の主張は成立しません。これは中間報告で、あとでまた追加して、表にして整理します。

  • 「キリスト教思想と国家・政治論」:加藤喜之「南原繁の宗教論 : 国家論の枠組みの中で」キリスト教思想と国家・政治論 (2009), 2008: 27-42,京都大学リポジトリ
  • カール・シュミットの「キリスト教国家」: Was bedeutet der Streit um den Rechtsstaat?(1935),木村「現代ドイツ社会国家論の歴史構造」成城大學經濟研究 (126),p23
  • 山岸喜久治「キリスト教国家の政教分離原則と人権保障」宮城学院女子大学人文社会科学論叢 (20), 27-44, 2011-03-01
  • 「キリスト教帝国・キリスト教普遍国家理念」:清末尊大「西欧政治思想史・前編 (2・完)」北海道教育大学紀要. 人文科学・社会科学編, 57(1): 79-94,2006.
  • 「キリスト教国」 Christianitas:櫻井康人「「帝国」 としての 「キリスト教国」 ―普遍教会会議決議録における平和と十字軍の言説
  • 「キリスト教政治思想」「キリスト教と国家との関係」:芦名定道「キリスト教政治思想の可能性」近代/ポスト近代とキリスト教研究会『キリスト教思想と国家・政治論』2008
  • Gary W. Barkley「教会の国家への姿勢-その2-キリスト教国家論の萌芽と発展」西南学院大学神学論集53-2,1996-03,p1-9
  • 「キリスト教政治思想の系譜」:坂本進博士論文『キリスト教と近代西洋政治思想―平和と自由と民主主義の探求―』文部省報告番号:甲2514号 ;2007/12/6 ; 早大学位記番号:新4642
  • 「キリスト教的政治倫理」:坂本進『ヨーロッパ統合とキリスト教 平和と自由の果てしなき道程』新評論、2004年
  • 「キリスト教国家」:樺山紘一「キリスト教と国家」歴史学事典第12巻 王と国家.弘文堂.
  • 「キリスト教社会における教会と国家の関係」「国家教会」新カトリック大事典II、研究社 p.905
  • [「キリスト教国家」を国家原理とするヨーロッパ諸国]植村邦彦「「解放」表象の反転―人種主義的反ユダヤ主義の成立:1842-1862―」関西大学経済論集 49(3), 45-60, 1999-12
  • 赤岩栄「キリスト教と国家」理想 (302),1958-10
  • 「キリスト教政治理論」ダントレーヴ「政治思想への中世の貢献」未来社、p26
  • 「キリスト教国家(respublica christiania)」ベッケンフェルデ「世俗化過程としての国家の成立」、『法の理論』第22号、成文堂、2003年,p52
  • 「キリスト教国家 res publica christiana」・「キリスト教共同体 corpus christianum」オットー・ブルンナー 『ヨーロッパ―その歴史と精神』 1974年,p257.--121.107.209.16 2017年6月12日 (月) 16:37 (UTC)
121.107.209.16さんには以前にも申し上げたと思うのですが、用語をその文脈や使われている論文の内容を無視して無作為に抽出し、それが一般的状況であるというような論証の仕方は混乱の元ですので、控えていただきたいと思います。ここに上げられている用語は「キリスト教国家論」の出典として明確性があるのは「Gary W. Barkley」のものだけであり、それら以外は近代や古代まで含めた雑多な議論の論文を引き寄せているだけに過ぎないところがあります。「Gary W. Barkley」のものは本記事の執筆に使われておらず、その副題を見ても本記事の中心論点を押さえているとは思えません(本記事は「教会の側から見た国家の在り方について」の記事ではないからです)。たとえばこの抽出の仕方ですと、さも「キリスト教国家」と「キリスト教帝国」とか「キリスト教普遍国家理念」というものが同一の内容を指したり、あるいは「キリスト教と国家」の関係性についての議論が集約されて「キリスト教国家論」として認知されているような印象を与えますが、実際においてそのようなことはありません。「キリスト教政治思想」と「キリスト教国家論」は同義と言って良いということは本記事でも参考文献に沿って示しているように、政治体が多層的・多様であり、前国家的な国王の政府のみが唯一の政治権力としては存在していなかったという西洋中世史の一般理解から考えても成り立ちません。まず「キリスト教国家」という用語がもし「res publica christiana」のことを指すというのであれば、それは近世で盛んに論じられたこちらも「キリスト教国家」と訳される「christenstaat 」と別概念の存在があり、この近世の「キリスト教国家 christstaat」用語は国家理性を備えた国家に対して使われており、前国家理性的段階において用いられている「キリスト教国家 res publica christiana」用語とは別概念です。そして「res publica christiana」には定訳がなく、それを「キリスト教国家」と訳すのはあくまで文脈によるというのが一般的な使用状況です。問題は「res publica christiana」自体も史料上意味の変遷を伴っており、必ずしも本記事で言われているような意味では使われない場面も多いという点も問題として存在しております。私自身が「res publica christiana」を撤回したのも厳密に言えば、この語の持つ多義性を考えたということもあります。「キリスト教国家」という用語自体がそれぞれの文脈でさまざまな意味で使われており、それがどういう概念を指すかについて学界に共通理解があるようには私には思われません。--硯箱会話) 2017年6月13日 (火) 03:20 (UTC)
共通理解がないからこそ複数の学説を紹介する必要があり、すでに現状の記事でもそうなさっておいでです。論者によって概念の意味が異なるのは通常のことで、文脈とは論者によって異なるのであり、ベッケンフェルデの文脈とダントレーヴの文脈は視点が異なるので別物です。「その文脈や使われている論文の内容を無視して無作為に抽出し、それが一般的状況であるというような論証の仕方は混乱の元です」という言明については、まさにwikipediaの「政教分離の歴史」が該当します。それを私は以前から「詰め込みすぎである」と指摘していますし、一年前に分割した理由も同様でした。「キリスト教国家論」が「キリスト教国家」と無関係ではないのはご理解いただけると思います。また、硯箱さんのいう狭義の「キリスト教国家」がアウグスティヌス他に限定されるという視点も個人的には理解します。しかし、文脈が学者によって異なり、また歴史認識も異なるのが通常で、「世界共通の歴史認識」などは存在しません(硯箱さんも「キリスト教国家」という用語自体がそれぞれの文脈でさまざまな意味で使われており、それがどういう概念を指すかについて学界に共通理解があるようには私には思われません」というのと同じ意味です)。だからこそ、説明が必要なのであり、複数の学説を両論併記で紹介していくことが大事になるのです。res publica christianaであれ、christstaatであれ、キリスト教文明圏における国家ないし国家思想という意味では「キリスト教国家」です。「キリスト教国家」とは「キリスト教文明圏における国家」のことです。さて、節をあらためるつもりですので返答はそちらでお願いしますが、予告しますと、「キリスト教国家論の歴史」については、硯箱さんの異議を認め、私は賛同を撤回します。また、かつて私が提案した「キリスト教と国家」「教会と国家」も項目名としてはいまいちな気もしますので、再度の文献調査をもとにあらたに「キリスト教政治思想史」を提案します。他にも、時代区分を明確にするという意味では「中世ヨーロッパにおける…」という記事名もよいと思います。--121.107.209.16 2017年6月13日 (火) 13:03 (UTC)

「共通理解がないからこそ複数の学説を紹介する必要があり」というのは明らかに変ですよね?「キリスト教国家論」という用語に出典がなく、そもそもその概念に共通理解がないならば、それについて書くことは不可能です。一方で「「その文脈や使われている論文の内容を無視して無作為に抽出し、それが一般的状況であるというような論証の仕方は混乱の元です」という言明については、まさにwikipediaの「政教分離の歴史」が該当します。」も明らかに不当です。たとえば歴史学や政治思想史、人間学、宗教社会学において近代社会が政教分離、世俗化の末に成立したというのは定説であり、これに反論する人は常識的にも圧倒的少数派です。歴史学を中心に関係する主要な文献からこうした歴史学的な政教分離、世俗化に関わる議論を抽出することは無作為に抽出することではありません。実際私が加筆に使った文献は学界でも信頼できる研究者が執筆したり監修したりしている文献を用いております。そして「res publica christianaであれ、christstaatであれ、キリスト教文明圏における国家ないし国家思想という意味では「キリスト教国家」」というのは明らかに暴論です。「res publica christiana」が国家思想だというのは、もし121.107.209.16さんが出典を適切に読んでいるのならばあり得ないことです。なぜならJ・B・モラルを訳しておられる中世政治思想の第一人者である柴田平三郎氏はres publica christiana=国家思想だということを明確に否定しておられるからです。それはJ・B・モラルに付された解説を読んでもわかりますし、柴田平三郎氏が訳した中世政治思想史の権威ラドナーによる「重要なことは中世政治理論を供給する中世の著作類がプラトンやアリストテレスといった国家についての著作からではなく、統治についての著作から成り立っていることである」という明快な指摘があります。最後に突然出てきた「キリスト教政治思想史」についてはこれも耳慣れない言葉で、明らかにキリスト教著述家の政治思想を指すと思われますので本記事の趣旨とは異なると思われます。--硯箱会話) 2017年6月13日 (火) 21:58 (UTC)

倫理学者金子晴勇の主張について[編集]

硯箱氏は「歴史学的な政教分離議論」というわりに、倫理学者金子晴勇を出典に霊性節を書かれていますし、それを私がWikipedia:言葉を濁さないに応じて提唱者を書き出したところ、差し戻しをしています[53]。これは「意見や主張を記事中に書くときにその意見の論者を明確にせずに一般的なことであるかのように表現にすること」に該当します。金子晴勇については存じ上げませんが、著書一覧をみると、人間学・思想史を専攻とされているようですが、倫理学者金子晴勇の主張・見解は、歴史学的に一般的な定説なのでしょうか?そして、Wikipedia:言葉を濁さないに抵触する編集を改善する他人の編集を一方的に削除するのは、記事の私物化といわざるをえません。--121.107.209.16 2017年6月11日 (日) 07:26 (UTC)

すみません。この分野で金子晴勇さんをご存知ないというのは普通に信じられません。これは冗談でしょうか?キリスト教思想史において数々の業績を残しておられ、霊性史についても日本で初めて体系的な『キリスト教霊性思想史』という著作を著し、学界でも最も信頼されている研究者の一人です。この方をご存知ないということであれば、それはつまりキリスト教史について知らないと言っていると同義だと思えますが、本当におっしゃっているのですか?たとえば121.107.209.16さんは宗教改革について、金子晴勇を参照せずに記事を書くことが出来るのですか?--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 09:50 (UTC)
回答するのも馬鹿げていますが、金子氏以外にも他に研究者はおられます。宗教改革については他の文献で書けます。「この方をご存知ないということであれば、それはつまりキリスト教史について知らないと言っていると同義だ」とはもうどうしようもありませんね。金子氏はイエス・キリストと同義なんですか?「金子晴勇を知らなければ書く資格がない」などという発言はもうどうしようもないほどの記事の私有化であり「内容査読権」の主張であり、「金子晴勇を知らなければ宗教改革について書く資格がない」などと硯箱氏の脳内基準でしかありません(私有化の振る舞いの例での「きみはその記事を編集する為に必要となる深い知識が欠如している」などの異議を唱えたりする」に該当)。「倫理学者の金子晴勇の主張・見解は、歴史学的に一般的な定説なのでしょうか」という質問に答えていませんが、「学界でも最も信頼されている研究者の一人」とは、どの歴史学界ですか?「歴史学的」とこれまで硯箱氏は連呼してきましたが、その学界とは何の学界ですか?あなたが誰を権威と思っているのかどうでもよいことですが、金子晴勇氏の業績の評価について文献を提示してください。それから、Wikipedia:言葉を濁さないに応じて提唱者を書き出すことにちゃんとした理由がないので、提唱者を書き出します。--121.107.209.16 2017年6月11日 (日) 10:11 (UTC)
え?いや、金子晴勇を本当に知らないのですか?この方は本当に定説を作っている方ですよ?--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 10:14 (UTC)
コメント 金子氏は倫理学者ですが、専攻しているのはキリスト教思想史で、著作に宗教思想についてのものがあります。宗教の歴史を考えたうえで、宗教的な考えや、宗教哲学は切ることのできないことと思います。つまり、宗教的な見地から倫理学をとらえている倫理学者であるとみられます。ひとまず、キリスト教という宗教分野には強い人物であるというのは、著作から考えても「そうだ」とはならないでしょうか。それとも、キリスト教に関する論文を発表していなければ認めないということであれば、そういってください。
通説と見解だと意味するところが違うので、「一般的か」(通説か)といわれると、それを示すには別の著作が必要になると考えられます。ですが、121.107.209.16さんの編集では、通説かどうかについての議論を行わずにセクションタイトルを「金子晴勇の教説」としたのは拙速です。ここで求めるべきは、「ほかに同様の主張をしている者はないか」の話し合いであり、その結果を反映しなければいけないということです。そもそも、著者が専門家ではないという意見であれば、それは金子晴勇の教説とするのではなくて、「記述の除去を前提とした議論」が必要であったということです。今日降って湧いた主張や論説ではないのですから、検証をする、情報源を提示するを丁寧にやるべきです。
ところで、硯箱さんはこの金子氏の「歴史学的な政教分離議論」を補える、別の人物による情報源は提示できませんか?例えば、金子氏が主張する前から誰かが唱えていた、主張後に金子氏に賛同している、類似の主張をしているなどでも構いません。--アルトクール会話) 2017年6月11日 (日) 10:16 (UTC)

まず日本において「霊性思想」という研究の第一人者で、霊性思想についての多くの著作があり、日本人の学者で唯一霊性史の体系的な研究書を出している、まさに第一人者です。--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 10:19 (UTC)

霊性史については日本人では体系的な著作は金子晴勇が出しているのみで、ほかに邦文で読める物として思いつくとすればアリスター・マクグラスとシャルドレイクのものくらいしか思い浮かびませんが、最新研究で決定版は金子のものです。--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 10:21 (UTC)
個別分野ではいろいろ論文はあるでしょうが、全体を見通した決定版というのはちょっと他にない、それくらいのレベルです。これで記事を書かないでどれで書くの?という話です。--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 10:28 (UTC)

また削除していますが[54]、「定説である」という情報源の提供がなされておらず、証明がなされていません。--121.107.209.16 2017年6月11日 (日) 10:26 (UTC)

編集合戦を誘発するようなことはおやめください。議論を優先してください。--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 10:28 (UTC)
コメント 硯箱さん。例えば、金子氏の著作を肯定的に引用している論文や著作(別の人物)はありませんか?定説というには、他の人も言っている、使われているという根拠が必要です。金子氏がいうことは絶対だというわけではないのですから。--アルトクール会話) 2017年6月11日 (日) 10:37 (UTC)

普通にルター研究の第一人者ですし、探せばいくらでもあるんじゃないですかね?いやあ金子晴勇を知らないのというのはさすがにノーマークでしたね……。世界大百科事典にもルター研究の代表者として「近くは金子晴勇《ルターの人間学》が学士院賞を受け,年々,ルター研究の著作,論文は増えている。」というふうに著作が引用されるくらいの人ですから……。--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 10:40 (UTC)

たとえばこれは別の著作についての書評ですが、これを読んでもこの方が第一人者だということはわかると思います。ちなみに書評を書いている方も第一人者です。--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 10:44 (UTC)

とりあえず、金子晴勇については今日のルター研究の基礎を為した人でもあり、さすがに一倫理学者というのは適切では無いと思われますが、いかがですか?--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 10:56 (UTC)

経歴のことですか?「倫理学者」というのが「不適切」とは思いませんが、それならば「ルター研究で知られる金子」としたらよいのではないでしょうか。--121.107.209.16 2017年6月11日 (日) 10:59 (UTC)
いえ、金子晴勇については提示した書評を見ても、キリスト教思想史の専門家であることはわかるはずですし、少なくとも霊性史分野において異論は存在しないですよね。あるのなら文献を挙げてください。それがなければスタイルマニュアルに順って、金子晴勇が提唱したというような記述は取り除いてください。--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 11:02 (UTC)
なぜ削除しなくてはならないのでしょうか。定説であり、第一人者であっても、誰の見解かを書いた方が読者にとって親切です。「定説であり、第一人者であれば、見解の帰属先を書いてはならない」というルールになってしまえば、ベッケンフェルデや山田欣吾やダントレーヴなども削除すべきとなってしまうではないですか。記事には
  • 1.「ヨーロッパの文化は全体として、キリスト教とギリシャ文化との総合によって生まれてきており、それらを総合してきた主体はゲルマン民族であった[97]。
  • 2.「ヨーロッパ文化がギリシャ的な理性とキリスト教的な霊性の総合から成り立っていることは重要である[97]。」
  • 3.「この宗教的な霊性が哲学的な理性と展開されるところにヨーロッパ文化の特質が求められる」
とありますが、1も他の出典でも補えますし、個人的には異論もありませんが、出典が他に提示もされていないので、削除するには及びません。2は誰が「重要である」と考えているのか、主語がありません。3も一般的な見解であるとも定説であるわけでもありません。ここで引用した以外の記載でも、金子晴勇のキリスト教思想史やヨーロッパ文化への理解は独特であり、独特であるからこそ研究者として評価されているのではないでしょうか。見解の帰属を除去すべきであるとする理由がありません。一文一文に他の哲学者や学者の見解を紹介していってもいいのですが、そうなるともう統一性もなくなります。硯箱氏の加筆で一番気になるのは、主語がないまま説明しているのでかなり読みにくいことです。そのため、以前、ベッケンフェルデや山田欣吾やダントレーヴの名前を加筆してくださいとお願いしたのであり、今回も同じ理由です。--121.107.209.16 2017年6月11日 (日) 11:51 (UTC)

ウィキペディアでは意見に重みを付けることが認められています。まず金子晴勇については定説であることに検証可能な反論がないのですから定説と認めるべきです。ウィキペディアでは曖昧な表現は出典を補足することで認められています。--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 11:55 (UTC)

以前も申しましたが、「ヨーロッパ文化がギリシャ的な理性とキリスト教的な霊性の総合から成り立っていることは重要である[97]。」という記述は、出典を明記しているのですから、「金子晴勇によれば、ヨーロッパ文化がギリシャ的な理性とキリスト教的な霊性の総合から成り立っていることは重要である」という意味と同義であり、少なくとも曖昧な表現ですが、帰属化は明確にされているのです。そして曖昧な表現は帰属化されれば基本的に認められるというのがウィキペディアのルールであったはずです。--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 12:01 (UTC)

なぜ議論中に名前空間の編集を並行して行うのですか?いつも結論が出ないうちに編集をしようとしますが、議論をしている内容はしっかり議論で合意を経てから編集しようという気はないのですか?--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 12:16 (UTC)
パウロの件ですか?それは別の話ではないですか。加筆する前にあなたに許可をとらなければいけないなんてウィキペディアのルールではありません。あなたの個人的なブログではないのですよ。--121.107.209.16 2017年6月11日 (日) 12:27 (UTC)
「宗教的な霊性が哲学的な理性と展開されるところにヨーロッパ文化の特質が求められる」という金子の見解が、キリスト教思想史学会を超えて普遍的な定説となっていると主張するならば、そのように書いてある他の文献を持ってきてください。「金子が書いたことは全部定説」などという幼稚な根拠で、削除しないでください。また、主語を不明確にしたままでいいなどとウィキペディアのルールにはありません。また、出典の明記と見解の帰属化は違います。帰属化とは、「誰それによれば…」と本文で明記することです(Wikipedia:言葉を濁さない)。「ウィキペディアでは曖昧な表現は出典を補足することで認められています」とは、どこに書いてありますか?--121.107.209.16 2017年6月11日 (日) 12:27 (UTC)

言葉を濁さないにあるように、「特に、曖昧な表現だが出典が備わっているものに対しては、曖昧な表現を支持する出典を添える改善例のように出典との整合性を優先してそのような表現にしてある場合もあります。このような文章に修正を求める場合は、出典の内容を確認して妥当性を検討した上で改善を求めるか、自分がその主題についてよく知っており、出典が備わっているがそれでもなお問題があると言える場合のみ改善を求めるようにしてください。」ということが認められております。--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 12:35 (UTC)

それから、2の「ヨーロッパ文化がギリシャ的な理性とキリスト教的な霊性の総合から成り立っていることは重要である[97]。」はWikipedia:大言壮語をしないによって、「重要である」は削除すべきです。それか、帰属させるべきです。--121.107.209.16 2017年6月11日 (日) 12:43 (UTC)

それは「曖昧な表現を支持する出典を添える」のスタイルに完全に準拠しており、適切な帰属化がされており、大言壮語には当たりません。もし大言壮語に当たるというのであれば、この主題についてそうではないと主張する検証可能な文献を示して両論併記することを考えてください。--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 12:46 (UTC)


それから、Wikipedia:中立的な観点によって、意見ではなく事実を書くべきです。「宗教的な霊性が哲学的な理性と展開されるところにヨーロッパ文化の特質が求められる」というのが有名な哲学者の見解であっても、意見(見解)は意見であって、「事実」とは言いきれません。ヨーロッパに限らず、歴史上の事実(史実)と、思想家や学者の発言や意見とは区別して書かれるべきです。--121.107.209.16 2017年6月11日 (日) 12:48 (UTC)

「曖昧な表現を支持する出典を添える」にしたがえば意見であっても帰属化することで事実として示すことが出来ます。--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 12:50 (UTC)

勘違いしていますね。出典の明記は大前提ですが、Wikipedia:大言壮語をしないでは「重要である」という表現ではなく、事実ならば「ヨーロッパ文化は、ギリシャ的な理性とキリスト教的な霊性の総合から成り立っている」と書くべきでしょう。しかし、この命題はやはり一般的にすぎますですし、他の見解を排除した「事実」の表現になってしまいます。繰り返しますが、私は個人的にこの意見に反対しているわけではありません。しかし、意見と事実は区分けすべきです。(偏った記述は帰属化・明確化する)。他の見解も書いてもいいですが、そうすると、この金子説のセクションは肥大化し、混乱しませんか?それでもよいといわれるならば、加筆します。というか、すでに金子以外の見解も続くセクションで提示されているのですが、誰がどの見解を持っているのか、どの解釈が誰のものかをきちんと書き分けるべきです。—121.107.209.16 2017年6月11日 (日) 13:02 (UTC)

金子晴勇を知らなかった121.107.209.16さんが「その主題についてよく知っており、出典が備わっているがそれでもなお問題があると言える」のであれば、まずは検証可能な文献を示して両論併記することから始めませんか?「曖昧な表現を支持する出典を添える」によれば出典のある主流な見解については主語を省いて記すことが推奨されております。--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 13:05 (UTC)

しかし、ここは一般の読者を対象とする百科事典wikipediaです。wikipediaは原則として誰でも編集ができます。硯箱さんのように「金子晴勇を知らないものは書くべきではない」といってしまうと、「ベッケンフェルデを知らないものは書くべきではない」「山田欣吾を知らないものは書くべきではない」といっていくことになりますが、そのような資格をwikipediaは原則としていませんし、Wikipedia:五本の柱には明確に「項目は誰でも変更可能で、どの個人も特定の項目を支配できない、ということを受け入れて下さい。」と明記してあります。--121.107.209.16 2017年6月13日 (火) 13:06 (UTC)

議論を錯綜させるような発言のように思われますが、「誰でも書ける」ということと「何でも書ける」ということは別問題でございます。そのため、検証可能性という方針文書が存在し、今回のような専門的な内容については「その主題についてよく知っており、出典が備わっているがそれでもなお問題があると言える」ような規定が出てくるのです。今回の議論は明らかに「項目は誰でも変更可能で、どの個人も特定の項目を支配できない、ということを受け入れて下さい。」ということとは関係がありません。私が出典もなしにその記述をごり押ししているならともかく、出典のある情報を適切に記述しているのに、それを適切でないというのならば、まず適切でないという検証可能な文献を示すべきです。それは方針文書に完全に基づくプロセスであり、それを無視しないでください。そして専門知識という面では、その主題における主要な学説は何か、主要な研究者は誰かという情報は明らかに必要不可欠なものです。それが欠けているということはその主題について知っているとは言えないということは常識的に納得することが出来るはずです。山田欣吾氏については西洋中世史の第一人者であり、多くの研究者がそれを定説として基本的に認めており、分けても初期中世の政治概念や政治構造に多大な貢献を残したこちらもカロリング研究の第一人者の故五十嵐修氏をして、ある論文で「必読」と断じておられるほど学界に定着しております。ベッケンフェルデの影響力は国際的なものであり、いわずもがなでしょう。--硯箱会話) 2017年6月13日 (火) 22:56 (UTC)

伝わりませんね。私は金子晴勇の学説を記載することを問題視しているのではありません。ただ、一節まるごと金子学説の紹介であるならば、冒頭で、「金子晴勇によれば、」くらい付けないと読みにくいといっているのです。--121.107.209.16 2017年6月14日 (水) 14:23 (UTC)
コメント この件はそうですね。確かにその分野の第一人者であっても、それを肯定する学者が複数いないと「通説」とはいいきれません。論文でもハーバード方式で書いたとしても、それを明確化させるときに「何々氏のこの説によれば」とわざわざ書き入れることがあります。つまるところ、「A氏は学説甲と述べている(1)が、B氏は学説乙と述べている(2)。」と書くのと同じです。セクション名に書き入れるのはまずくとも、セクション内の本文に「金子晴勇は『著作』でこれに触れており、・・・」と書いても見通しが悪くなるとかはないでしょう。そう書くと何かまずいでしょうか?英語圏などでも金子氏の述べている学説を肯定・類似しているものがあれば、それを出典にしても構わないですよ。ここは日本語版であって、日本版ではないので、英語の出典を排除するわけではありませんので。--アルトクール会話) 2017年6月14日 (水) 14:34 (UTC)
  • この一連の加筆[55]は全削除でいいでしょう。すくなくとも関係があるように読める体裁で引用できていません。記事の主題(キリスト教国家論の歴史、ないしは政教分離の歴史)にどうつながるのか提示されておらず、たんに「精霊史」という語からのみ加筆しており、百科事典としての全体の構成を考慮しなかった結果でしょう。一方でこの一連の加筆[[56]は重要で、膨大な文字列にようやく方向性を与えた重要な貢献だと考えます。--大和屋敷会話) 2017年6月14日 (水) 14:46 (UTC)

話がややこしくなるといけないので具体的な話に戻しますが、まず問題とされている「ヨーロッパ文化がギリシャ的な理性とキリスト教的な霊性の総合から成り立っていることは重要である」というのは別に金子晴勇が独自に新たに主張した内容ではなくて、どちらかといえば一般常識です。たとえばフランスの中世史の権威ジャック・ル・ゴフが『中世西欧文明』のなかで「異教文化とキリスト教」を今日の「マルクス主義イデオロギー」と「ブルジョワ・イデオロギー」のような根本思想の対立だったというのは明らかに同じ理解を述べていますし、福田歓一が政治学史においてギリシア文明がヨーロッパ精神史にとっての第1の契機であったとすれば、その第2の契機はキリスト教であると言っているのも同様ですし、政治思想史の第一人者である鷲見誠一がヨーロッパ精神の二つの基本的原理として、非キリスト教的な哲学、世俗道徳=モラル・ライックとキリスト教を挙げ、その2つが無縁ではなく有機的に関連するとし、ラクーラバルトのキリスト教の教義はギリシャ哲学によって完成されたという見方を示しています。私はいったい何が言いたいかと言いますと、要はこれらの一流の研究者たちの言葉は「ヨーロッパ文化がギリシャ的な理性とキリスト教的な霊性の総合から成り立っていることは重要である」と同内容を述べているわけですが、ここでその一文の出典にずらずらと書くかということです。ずらずら書きたい人もいるかも知れませんが、出典の明記にはWikipedia:言葉を濁さないに「出典の内容との整合性を優先」とあるように、依拠した文献との対応性を明らかにするという意味もあります。これを厳密に解釈すれば、ジャック・ル・ゴフらの言は同内容を言っていますが、それぞれの学問の領域での発言で独自の観点を加えており、金子の表現に正確に寄り添う物ではない。このような場合、私は金子晴勇という優れた第一人者が的確に書いているのであれば、それを出典に付すことでよしとしたい。「金子晴勇の『~』という著作によれば」という表現をつけるべきという意見に対しては、出典が付してあるのですから、誰の何という書物に依拠しているかは明白です。逆に例えばここを「金子晴勇によれば、ヨーロッパ文化がギリシャ的な理性とキリスト教的な霊性の総合から成り立っていることは重要である[出典]」という文章にしてみたとしましょう。これはWikipedia:言葉を濁さないによれば「この出典の内容自体が主流とは言えない偏った意見に該当すると思ったら、やはり次のように文中にその意見の持ち主を明示してください。」ときの表現に当たります。これだけの洋の東西を問わない第一人者が述べている内容(ぱっと探してこれだけすぐ見つかったのでおそらく探せばもっと出てくるでしょう)を金子晴勇の個人的な学説に帰するとか、主流とは言えない意見と誤解されかねない表現に直す必要性がありますか。私はそう思わないということです。実際に権威ある学者の一人がこのことに反論しているなら、それを適切な形で両論併記すれば良いと私は思います。ウィキペディアでのWikipedia:言葉を濁さないWikipedia:信頼できる情報源Wikipedia:中立的な観点には主流な見解を主流なものとして記すという明確な指示があり、文体も指定されているのですから、それに則るべきです。要は私はずっと論じているのはこういう方針文書に規定された文章表現としてどれが的確かという話です。そしてこの「ヨーロッパ文化がギリシャ的な理性とキリスト教的な霊性の総合から成り立っていることは重要である」というのは金子晴勇の論の中心論題ではなく、これはどちらかといえば今確認したように一般常識の確認のように思われますから、これを金子晴勇の学説というのはどうかなとも思います。--硯箱会話) 2017年6月14日 (水) 16:41 (UTC)

記事タイトルの差し戻しについて[編集]

  • ①アカウント名硯箱は「私自身は以前にも申しましたとおり、編集に関わる気持ちはもう全くありません」[57]とおっしゃっておられますので、あとは他の編集参加者に任せて頂けませんか。なぜこのような明確な不参加宣言をしたあとで、なお継続的に編集検討に参加されようとするのでしょうか。発言の趣旨がおかしいでしょう。あなたの投稿された文字列の何を信頼すればよいのですか?編集に参加なさらないとおっしゃるのでしたら参加なさらないでください。お答えください。②編集に参加しないと明確に述べられたのにも関わらず、なぜ無断で議論なくリバートなさったのですか。これは編集行為ではありませんか。弁明をお願いします。③わたくしたちwikipedia編集者はwikipedia編集ルールの合意にもとづき、自分たちの発言と行為に責任をもち行動しており、その態度をもって信頼できる編集者と理解しています。アカウント名硯箱を利用する投稿者は、自分で提案したタイトル案[58]につき適当に思い付きだけでタイトル案を提示したけれども、誰も検証してくれないし、自分もこのタイトル案は「政教分離の歴史」より相応しくない[59]ので採用すべきではない、なる主旨の論述をなしており、そればかりではなく「私自身は以前にも申しましたとおり、編集に関わる気持ちはもう全くありません」[60]とおっしゃっておられるのですから、その言説を誠実にお守りください。あまつさえWikipedia:ページの改名に則り適切に改名された記事名を無断で差し戻すとはどういうことですか。あなたは自分の改名提案をみずから取り下げたではありませんか。しかもその取り下げた理由が「自分で提案したタイトル案[61]につき適当に思い付きだけでタイトル案を提示したけれども、誰も検証してくれないし、自分もこのタイトル案は「政教分離の歴史」より相応しくない[62]ので採用すべきではない」なる主旨です。あなたがみずから提案したタイトル案が適切かどうかを説明するのはあなたの仕事です。以上の趣旨によりアカウント名硯箱は誠実な編集検討参加者とはみなさない。まずはあなたがおこなった荒らし行為であるところの【改名の無断差し戻し】をもとに戻しなさい。編集検討への参加などその後の話しである。--大和屋敷会話) 2017年6月11日 (日) 13:08 (UTC)
えーと。まずは大和屋敷さんは「キリスト教国家論の歴史」の出典を提示してください。--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 13:09 (UTC)

荒らしによる無断差し戻しを戻しました[編集]

  • 荒らしによる改名の無断差し戻しを戻しました。改名のさいは合意を得て頂くよう宜しくお願い申し上げます。--大和屋敷会話) 2017年6月11日 (日) 13:12 (UTC)

ちょっと本気ですか?この記事は保護依頼も出されております。落ち着いてください。まずは「キリスト教国家論の歴史」の出典を示してくださいませ。--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 13:13 (UTC)

コメント なんで強行したんでしょうか・・・。これじゃ、人のこと言えないじゃないですか。わざわざ#記事改名の無断差し戻しについてというセクションを作っておいて、これですか。--アルトクール会話) 2017年6月11日 (日) 13:40 (UTC)
  • ①アカウント名硯箱は「私自身は以前にも申しましたとおり、編集に関わる気持ちはもう全くありません」[63]とおっしゃっておられますので、あとは他の編集参加者に任せて頂けませんか。なぜこのような明確な不参加宣言をしたあとで、なお継続的に編集検討に参加されようとするのでしょうか。発言の趣旨がおかしいでしょう。あなたの投稿された文字列の何を信頼すればよいのですか?編集に参加なさらないとおっしゃるのでしたら参加なさらないでください。お答えください。②編集に参加しないと明確に述べられたのにも関わらず、なぜ無断で議論なくリバートなさったのですか。これは編集行為ではありませんか。弁明をお願いします。③わたくしたちwikipedia編集者はwikipedia編集ルールの合意にもとづき、自分たちの発言と行為に責任をもち行動しており、その態度をもって信頼できる編集者と理解しています。アカウント名硯箱を利用する投稿者は、自分で提案したタイトル案[64]につき適当に思い付きだけでタイトル案を提示したけれども、誰も検証してくれないし、自分もこのタイトル案は「政教分離の歴史」より相応しくない[65]ので採用すべきではない、なる主旨の論述をなしており、そればかりではなく「私自身は以前にも申しましたとおり、編集に関わる気持ちはもう全くありません」[66]とおっしゃっておられるのですから、その言説を誠実にお守りください。あまつさえWikipedia:ページの改名に則り適切に改名された記事名を無断で差し戻すとはどういうことですか。あなたは自分の改名提案をみずから取り下げたではありませんか。しかもその取り下げた理由が「自分で提案したタイトル案[67]につき適当に思い付きだけでタイトル案を提示したけれども、誰も検証してくれないし、自分もこのタイトル案は「政教分離の歴史」より相応しくない[68]ので採用すべきではない」なる主旨です。あなたがみずから提案したタイトル案が適切かどうかを説明するのはあなたの仕事です。以上の趣旨によりアカウント名硯箱は誠実な編集検討参加者とはみなさない。--大和屋敷会話) 2017年6月11日 (日) 13:49 (UTC)
  • ええっと管理人さんも出てきてるのでしょうか。基本的に大和屋敷の基本的な理解は以上の説明の通りです。--大和屋敷会話) 2017年6月11日 (日) 13:51 (UTC)

落ち着いてください。まず議論の過程で意見で変わるのは普通です。この議論は3ヶ月以上にわたって続いており、その間私も参考文献などを適宜参照して最善策を考えているのです。その中で議論の流れで意見を変えるのは普通のことです。そのうえでまず、大和屋敷さんは自らの主張の根拠、つまり「キリスト教国家論の歴史」の出典について求めているのですが、お答えいただけますでしょうか?----硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 13:54 (UTC)

「複数の利用者から求められている」なる弁舌について②[編集]

  • この問い合わせにつき[69]硯箱はこのような回答をしているが[70]アルトクール氏[71]は改名提案終了後の発言であり、Susuka氏はそもそも発言されていないではありませんか。なぜこのような不誠実な回答をして議論を攪乱するのですか。お答えください--大和屋敷会話) 2017年6月11日 (日) 14:02 (UTC)

落ち着いてノートを確認してください。--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 14:02 (UTC)

  • 印象操作はやめなさい。なぜこのような不誠実な回答で議論を攪乱するのですか。お答えください--大和屋敷会話) 2017年6月11日 (日) 14:03 (UTC)

出典を求めている私の意見を無視したことは不誠実ではないというのですか?冷静になってまずは「キリスト教国家論の歴史」の出典についてお答えいただければと思います。--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 14:08 (UTC)

  • なぜウソの弁舌までつかい印象操作をして議論を攪乱したのか。説明しなさい。あなたが編集検討に参加できるかどうかなどそのあとの話しである。--大和屋敷会話) 2017年6月11日 (日) 14:11 (UTC)

まず実際にSusukaさんとアルトクールさんの出典を求める発言があるのですが、それを嘘というのはなんでなんです?--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 14:12 (UTC)

  • コメント 一旦両方とも投稿を24時間ぐらいやめてください。はっきり言って異常です。--アルトクール会話) 2017年6月11日 (日) 14:14 (UTC)

わかりました。私も正直そのほうがいいと思います。--硯箱会話) 2017年6月11日 (日) 14:15 (UTC)

  • なぜウソの弁舌までつかい印象操作をして議論を攪乱しているのですか。説明してください。--大和屋敷会話) 2017年6月11日 (日) 16:08 (UTC)
  • コメント アルトクールさんのおっしゃる通りです。最低でも24時間、理想的には1週間は双方リフレッシュ期間を設けるべきかと思います。--切干大根会話) 2017年6月12日 (月) 07:18 (UTC)

コメント依頼提出の報告[編集]

論争が発生していましたが、アルトクールさんと切干大根さんによっていったんクールダウンされましたが、このままであれば再発する可能性もあると考え、コメント依頼を提出させていただきました(差分)。第三者からみると、いったんクールダウンしているこの機に議論を終結させることができるようにも思います。--Yuukin0248会話) 2017年6月12日 (月) 10:26 (UTC)

  • コメント 教会と国家が分離していく過程を政教分離という言葉を使う学者も一部にはいますが、一般的ではないということは、121.107.209.16さんがすでに文献で調査されてます。近代の政教分離原則の歴史が書いてあるのかと勘違いさせる記事名だ、という誰でも思いつく欠点についてどうするのかについても、硯箱さんはとくに説明されてません。硯箱さんは、大和屋敷さんに押しつけずに、ご自分でお持ちの文献をご確認いただいて、「キリスト教国家論」について文献調査されればいいんじゃないでしょうか。この記事のごく一部しか、「政教分離」には触れられてなく政教一致とか、単に教会と国家の関係性に関する言及が多いので、内容からも「キリスト教国家論の歴史」のほうがあってると思いますが、最初から誰も、絶対に「キリスト教国家論の歴史」しかありえない、などと言ってるわけではありません。「政教分離の歴史という記事名は変える」ということは一度合意してますので、硯箱さんは、一度合意形成されて以降、どのような新たな学術的発見がなされたのか、などを最低限説明されるべきでしょう。一度政教分離の歴史を変える合意がなされて以降、とくに、状況に変化がないなら、学術的根拠のない気分的な主張だったということになるでしょう。硯箱さんが重要視されてる、ベッケンフェルデの「世俗化過程としての国家の成立」にだって、キリスト教の国家について論じられてるはずですが、逆に、政教分離についてここに書いてる、ということを、明らかにされてましたか? とにかく、この議論における最大の問題点は、硯箱さんが、何度も嘘をつかれることだと思ってます。ノート:キリスト教国家論の歴史#3つの合意が存在するのかどうかでも、「ここで合意してますよ」と言えばいいだけなのに、嘘をついたまままた別の嘘を言われる、という状態に陥ってます。一つだけ過去の合意の差分を示されましたけど、それは、「政教分離の歴史」というタイトルをやめる前提で、国家と教会が分離していく過程に限ったことを一つの節にまとめることを合意しただけ、だと思ってます。嘘じゃなくて誤解だと解消されたのは一つだけで、その他の嘘はそのままです。硯箱さんが、「嘘を言われる」ことが多いので、議論の前に、なぜ、嘘ばかり言うのか、ということで論争となり、消耗戦が発生し長期化してます。また、記事名も含む記事の私物化が目的でないなら、消耗戦に持ち込んで今の記述を誰にもいじらせない行動を取られ続ける必要はないんじゃないかと感じてます。私は少しこの記事を触っても全部リバートされて硯箱さんに閉め出されたままです。硯箱さんがつかれる嘘が積み重なったまま議論が進行すると疲労が大きいので、硯箱さんが「嘘じゃない」ということを即座に証明されない場合に、勘違いか嘘、として「保留」として扱ってもらうなどがないと、結局、滅茶苦茶にされっぱなしとなる恐れがあります。いろいろな方針逸脱行為に目をつぶってますけど、嘘だけはちょっと耐えられなくなってきてます。そういうなかで、正常な議論を続けるために、多くの第三者が仲介してくださるなどは、助かります。なお、一人や二人がポツポツ仲介されるだけだと、結局、「知識が無い」とか個人攻撃に走られて従わない行動をとられてますんで、多くの第三者の方にコメントを頂けますと幸いです。--ぽてから会話) 2017年6月12日 (月) 23:53 (UTC)

コメントこんにちは。Moon.riseと申します。Wikipedia:コメント依頼からで立ち寄らせていただきました。 コメントをどちらに書き込むべきか悩みますが、ひとまずこの位置に書き込ませていただくことにします。

2017年3月11日 (土) 17:22 (UTC)あたりから、改名を目指す動きがあり[72]、 2017年5月27日 (土) 12:27 (UTC)に「キリスト教国家論の歴史」という記事名で改名があるも[73]、 合意がうまくいっていないということで移動差し戻しが行なわれたのですね[74]。 もちろん、経緯がもっと複雑だということは(議論参加の皆様がそう主張されるであろうことは)感じておりますが。

私見ではありますが、(今の所進められている)改名手続きだけをどうするのかというよりも以前に、こちらの主ページが「最終的にどのような状態になるべきか」ということについて合意して、 そこまでのロードマップを考える、ということが必要ではないでしょうか。 Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかには、「記事のアクセシビリティのために、記事を適切な大きさに保ってください」 「百科事典の記事はあらゆる細部に至るまでのすべてを包括する詳細な解説ではなく、記事主題に関する、それぞれの分野において受け入れられている知識を要約したものであるべきです」 ということが明確に書かれています。 Wikipedia:ページの分割と統合には、「以下に該当すると考えられる場合は、ページの分割を検討してみて下さい」「ページの分量が肥大化したため、読者にとって全体の見通しが悪く不便な場合」 ということが明確に書かれています。 現在の主ページは量が膨大過ぎて、百科事典として相応しくない、問題のある状況です。

果たして現在の改名は、例えば①「改名 → 分割 → 各記事内容削減」という流れを目指すうちの一部分なのでしょうか?  あるいは例えば②「改名 → 分割しない → 各記事内容削減」という流れを目指すうちの一部分なのでしょうか?  もし②なのであれば、改名によって「新しくついた記事名」の範囲に当てはまらない記述は、大幅削除ということになるのでしょうか?  そのあたりのことが見えないうちに、改名をするというのは、次の段階(があるとすれば)でより一層合意が難しくなっていくように思います。

私は「改名」よりも「分割」があるのかどうかについて、より力を注いで議論するべきなのではないかという気がいたします。 他の記事での例ですが、日本の歴史という記事があり、そこから別記事として縄文時代戦国時代 (日本)日本近代史などがあります。 そのような構造に、こちらの主ページの「分割」を目指すことができないものでしょうか? 

分割の検討について「編集しようとしているテキストの量が29キロバイト以上になると編集画面で警告が出ていましたが」とあります。 いくつか記事の大きさを見てみましょう。

  • 日本の歴史:56,728バイト
  • 縄文時代:42,934バイト
  • 戦国時代 (日本):79,010バイト
  • 日本近代史:46,659バイト
  • 政教分離の歴史:561,396バイト

明らかにこちらの主ページのテキスト量が多すぎます。 例えばですが、分割後の各記事がすべて「100,000バイト未満」になることを目指す、などの合意が目指されてもよいのではないでしょうか。 機械的に考えても「大きく4記事に分割して、分割後に各記事内容削減」くらいのことが必要であると、見通しが立ちます。 これは「例えば」の話でありますが、もしこれならば「4つの記事名」が最終的に必要になるのであり、 今分割もされていない状況で、1つだけ記事名をつける(改名する)のに(3月11日から6月13日まで)3か月をかけても、大きな回り道であるように思います。--Moon.rise会話) 2017年6月13日 (火) 00:39 (UTC)

コメント 私もだいたいMoon.riseさんの御意見に同意するものです。改名については、「キリスト教国家の歴史」ならばともかく、「キリスト教国家の歴史」にはなっていないので不適切だと考えます。そもそも「キリスト教国家」ないし「キリスト教国家論」というのは、一般にあまり馴染みがなく、それで何かを調べようという人は少ないのではないかと思います。差し戻してもよいと思いますが、正確を期するなら「政教分離の歴史 (ヨーロッパ)」がよいでしょう。そのうえで、「キリスト教国家」ないし「キリスト教国家論」という記事を本記事をベースに立項するというのであれば、それは結構なことだと思います。本記事のうち、西欧(ローマ教会)からはみ出る分については「政教分離の歴史」をまた別に立項して、そこに東欧やロシア、日本やアジアの事例を含めるということにすれば、それぞれ20万バイト以下となってだいぶスッキリするんじゃないでしょうか。あまりコマ切れにするのも考えもので、20万バイト程度ならば許容範囲と考えます。--Greenland4会話) 2017年6月13日 (火) 02:25 (UTC)

  • 当記事は「政教分離」を主題においた記事ではないことは他の編集検討者の方が繰り返し提示されているとおりですが(過去の議論では[75]から継続して指摘されています)、簡単に確認できる方法として、記事を「政教分離」でページ内語句検索(ctrl+f)していただけば良いと考えます。タイトル等を除けば実質的には4回しか「政教分離」が使用されていないことがわかります。当記事は「政教分離の歴史」について解説した記事ではないことは明らかなのです。問題は「では何を解説した文字列であるか」が延々と論点になっております。--大和屋敷会話) 2017年6月14日 (水) 14:08 (UTC)
コメント えっと・・・記事の内容で必ず「記事名で使われている言葉を連発させなければならない」なんてことはありません。最低限1つ(ページ冒頭)は必要ですが、5回でも10回でも50回でも構いやしないわけで・・・。いくら何度か指摘されているからって、とにかく旧記事名を何が何でもすぐに改名ってそれもおかしくありませんか?記事中に語句の使われた回数でいえば、「キリスト教国家論」は冒頭1か所だけですよ。改名したからそんなの当然・・・はこの論理では通用しませんよ。内容が政教分離に即していないならば、改名候補にあたる語句が本文に触れられているとか、あって然るべきじゃないですか。確かに、「政教分離の歴史」は記事名としての妥当性を欠いている状態であるとは議論になって概ね合意があるといえますが、それはイコールで「キリスト教国家論の歴史への改名を支持する」ものではないはずです。--アルトクール会話) 2017年6月14日 (水) 14:21 (UTC)
コメント そういう問題があればこそ、以下で「まず本記事の守備範囲を決める」ことを提案しています。現在の実に名を合わせるのではなくて、先に実のあり方を検討する手順です。--Susuka会話) 2017年6月14日 (水) 14:39 (UTC)
大和屋敷はこの情報源をもっており[76]、ちょっと加筆したかったのですがまったく加筆できる余地がなく、このような文字列が「政教分離の歴史」を標ぼうされていることに本当に困っていたんですよ。そもそも日本の政教分離の歴史について書けないのはwikipediaの紙数的に難しいのは仕方がないにしても、世界で初めに憲法に政教分離を導入したアメリカについて一切記述がないのはあきらかに「政教分離の歴史」の解説ではありません。つきつめればキリスト教思想における「国家論」が延々と引用されてるだけであり、「国家論」だけでいうならなにもキリスト教の専売特許ではなく奈良仏教にもあり儒教にもあり、イスラム法にも国家論はあるわけです。ようは加筆しようにもおかしな人が記事を独占しており加筆できない。しかも膨大な文字列がまったくタイトルの実質を解説したものではないわけです。--大和屋敷会話) 2017年6月14日 (水) 14:58 (UTC)
コメント 大和屋敷さんの論旨は解りますが、今はまず、いわゆる「政教分離」に関する事項の抽出と整理を優先することは出来ないでしょうか。詳しくは後述していますが、現在の本記事の記述をベースに改名をしたら、その後のページのメンテナンスの幅が狭まり、一連の記事群の理想的な構成を形成できない可能性があります。どうか暫くの間は、現在の記事名と記事内容との関係性の論評は差し控えていただきたく思います。--Susuka会話) 2017年6月14日 (水) 15:09 (UTC)
大和屋敷の編集上の見立てによれば、政教分離に直接関係する記述(とくに叙任権闘争・宗教戦争・ジャンボータンら王権神授説等)を抜出して分離分割してしまうと記事の体裁と一貫性が保てないとおもうのです。この記事は硯箱氏が加筆した一連の記述のように[77]キリスト教思想史における「国家論」の情報が延々と紹介されているものですから、その一部のみを除去してしまうのは不適切だと考えます。単純に「キリスト教思想史における国家論の史的解説」→「キリスト教国家論の歴史」にtitle変更しておき、「政教分離の歴史」については新規に執筆するのが適切でしょう。--大和屋敷会話) 2017年6月14日 (水) 15:30 (UTC)
コメントこんにちは、Moon.riseと申します。大和屋敷さんへ、(Susukaさんとほぼ同じ話になりますが)現状で「改名議論を脇において、先に本記事の立項目的・守備範囲を合意する」というご提案を差し上げたいのですが、いかがでしょうか。
大和屋敷さんから、「政教分離の歴史」からの改名について、2点ご理由を挙げていただいたものと思っております。一点目、過去の議論でこちらの主ページが「政教分離」を主題においた記事ではない[78]という考え方について、読ませていただきました。読んで考えさせていただいたのですが、「政教分離を主題においた記事ではない」というご指摘にも読めますが、「政教分離の歴史という記事名に対して、内容が未完成状態だ」というご指摘にも読めるのではないでしょうか。まさに今、このノートのこの節で「フランス革命への言及があってしかるべき(略)その前で終わっています」「フランス革命とドイツ国制の政教分離(1803年)までを射程に捉えて記事を構成する」などのご意見が出ている所です。こちらの主ページへの理解といたしまして、まだ内容が未完成(適切な時代まで到達していない)から、この時点でタイトルをつけると、「政教分離の歴史」が相応しくないように見える、という考え方がありそうです。
二点目、大和屋敷さんが「日本の政教分離の歴史」「アメリカの政教分離の歴史」について書きたくて、こちらの主ページに加筆できないということにつきましては、ひとつアイデアがございます。政教分離の歴史 (日本)などを新規にページ作成されるということではいかがでしょうか? 現状こちらの主ページでは、分割するのではないか、削除するのではないか、などと様々検討されている次第です。政教分離の歴史 (日本)などは最初から分割するようなつもりで、新規作成されてもよいのではないかと思います。もし、慎重の上にも慎重を期すのであれば、どなたかがこちらのノートで「政教分離の歴史 (日本)を新規作成したい」と手を挙げられて、居合わせている執筆者が「同意します」とやる手もあるでしょう。--Moon.rise会話) 2017年6月15日 (木) 05:20 (UTC)


情報 以前にも紹介したと思いますが、『世界の一体化』の分割議論が参考になるかもしれません。--Susuka会話) 2017年6月13日 (火) 02:43 (UTC)

コメント 私もだいたいMoon.rise様の御意見に賛成です。この分量、目次見ただけで読む気が消えます・・・4つに分割しても多すぎるくらいです。専門家が見て完璧な専門書を作るプロジェクトじゃないので、百科事典として、一般の人に向けて、もう少しユーザーフレンドリーになってほしいです。タイトルについてはGreenland4様に賛成で、「キリスト教国家論の歴史」で検索する人はあんまりいないと思います。「キリスト教国家論」という言葉は専門家は使うでしょうけど、専門家はウィキペディアで専門知識を得ようと思わないので、誰にも届かない記事になってしまっていて、もったいないです。あと「キリスト教国家論」の歴史だと、そういう学問の歴史に見えます。「政教分離の歴史」からリダイレクトになっていますけど、この記事の内容は政教分離の歴史ではないので、そこもちょっと気になります。百科事典は、全然知識のない人のライトな入り口であってほしいです。--ジャム・パンナ会話) 2017年6月13日 (火) 12:54 (UTC)

コメント Moon.riseです。Greenland4さん、ジャム・パンナさん、ご賛同ありがとうございます。やはり嬉しく思います。Susukaさん、参考情報ありがとうございます。一時期「461,375バイト」あった記事が、「31,045/67,215/52,016/186,598/106,568/51,289バイト」まで分割されたという事業があったのですね(Greenland4さんが活躍されていますね)。こちらの主ページでも、参考になるのではないかと思います。
改名した場合に名前をどうするかということにつきまして、ひとつ思う意見を申し上げます。敢えて一度、悪い例を挙げてみましょう。
「こちらの主ページが改名されて「何か雑多な歴史的記述」という記事名になったとしましょう(本気でいっているわけではありませんので念のため。悪い例です)。その後の分割・記事内容削減という努力の末に、ついに「100,000バイト未満」の記事になりました。当面の問題は解決です。ようやく再び「何か雑多な歴史的記述」という記事が加筆されるようになって、その時に困りました。「何か雑多な歴史的記述」という記事名に合うように、どんな参考文献で、何を書けばよいのでしょうか?」
思いますに、「現在の主ページの内容からでは○○という名前がつく」という考え方は、果たして適切かどうか、行なう場合には慎重に考えられるべきではないでしょうか。最終的な記事名が、その後に編集・加筆されうるるかどうかということは、とても重要だと思います。この点では、硯箱さんの求められている「名称についての出典の提示」ということには一理あるのではないかと思います。--Moon.rise会話) 2017年6月13日 (火) 18:18 (UTC)
コメント 本記事に関しては、解決すべき問題がいくつかあると思います。ひとつは可読性の問題で、記事サイズが大きすぎるのも確かに一因であり、その限りでは分割も一つの手段であろうと思います。具体的には、本記事は「1.政教分離における歴史学的視座」と「2.歴史的展開」の二部構成となっており、本記事が「政教分離の歴史」という旧名のとおり、歴史叙述が当初より目指されたものであるならば、主眼となるのは「歴史的展開」の方ではないかと考えます。したがって、「政教分離における歴史学的視座」約9万3,000バイトに関しては、「キリスト教国家論」でも何でも適切な名前をつけて分割・立項してもかまわないのではないかと思います。実を言うと、単純にサイズの問題ではなくて、この「歴史的視座」という小難しい話が冒頭にあることで肝腎な「政教分離の歴史」までたどりつけないのです。
さらに、「2.歴史的展開」のうち、「古代のキリスト教思想」約3万7,000バイトは「初期キリスト教」というような名前を付けて分割してもよいと思います。「初期キリスト教」に関しては、ウィキペディア内検索によれば277件もの記事がヒットしており、「初期キリスト教美術」という記事もあることから、歴史用語として充分に定着しており、むしろ「初期キリスト教」なる記事が立項されることで、典礼や音楽をからめたそれ自体の記事の発展が期待されます。通常、「政教分離の歴史」と聞いて、古代の初期キリスト教までさかのぼろうという人はあまりいないはずで、もし、そういう人がいたとしても「"初期キリスト教"の記事を参照してください」ですむ話です。また、「政教分離の歴史」を「教皇国家の成立」から説明していくのは、わりと王道というか常識的な話ではないかと思います。
仮に私見が受け入れられて、約13万バイトが別記事に移れば、かなり可読性は向上するものと思います。現状約56万バイトなので、それでも43万バイトあるわけですが、そこから先は慎重であるべきと考えます。
その一方で、「政教分離の歴史」というからにはフランス革命への言及があってしかるべきだと思うのですが、その前で終わっています。ルネサンスや王権神授説、社会契約説などについてもふれられていません。そうすると、苦労して読んでも「政教分離のプロセスがわかった」ということにはならない。いわば未完状態だということなのですが、これは実はサイズ問題よりも重大で、ここでは、よくわかっている方からの加筆が求められています。本記事を執筆された方々が丁寧に文献にあたられて詳細に調べあげた結果、本記事における「宗教改革」にかかわる説明は実際の「宗教改革」約4万バイトよりも、よほど詳しいものとなっています。なので、望ましいのは本記事に「宗教改革」のエッセンスを残しながら(要約しながら)、個別記事「宗教改革」の方へ詳細を移動させていくようなスリム化です。合わせて、この記事を少なくともフランス革命のあたりまでは持っていかなくてはならない。3つのことを同時にやっていかなくてはいけません。これは大変難儀な話でしょう。下手にかかわれないのも無理ありません。「慎重であるべき」というのは、そういうことです。--Greenland4会話) 2017年6月14日 (水) 00:13 (UTC)
みなさまのおっしゃることはもっともです。分割は必要ないでしょうが、他記事との重複箇所について除去あるいは転記すれば、まずはだいぶ見通しが良くなるでしょう。容易に10分の1以下くらいにはスリムになるんじゃないかと思ってます。半年以上前に、ノート:政教分離の歴史/過去ログ1#項目一部転記提案にしたがって分割されたんですが、硯箱さんがノート:政教分離の歴史/過去ログ2#分割を差し戻しましたで分割を差し戻したために、長大な重複記事が維持されたという経緯があります。他記事との重複が多すぎるので、それを転記してオリジナルな記述のみを残せばいいじゃないか、というコメントは幾度となく繰り返されていますが、硯箱さんが納得されません。逆にあらゆる関連事象を網羅することは非常に難しいので、どうしても雑多な寄せ集めの状態というか独自研究から抜け出せません。私は(キリスト教の)「教会と国家」程度の記事名を最も推してまして、「政教分離」「歴史」などをタイトルに含めることには消極的な考えをもっています。キリスト教の国家論とした場合、ほぼ一章を残して、それ以下の「歴史的展開」以降の重複記載はほとんど転記すれば良いという考えがあっての提案であると私は受け取ってました。ほぼ、上記のみなさまのコメントに異議をもたれるのは硯箱さんのみであろうと考えられます。今のところ、出典がない雑多な記述を除去してもすぐに差し戻されてしまい、結局、硯箱さんが加筆する以外の編集は全部差し戻しされる繰り返しです。記事の整理に反対されてるほぼ唯一の方といえる硯箱さんに、お考えを変えるつもりがあるのかどうか、聞いて頂けますと助かります。--ぽてから会話) 2017年6月14日 (水) 00:43 (UTC)
参考リンク
コメント なるほど。過去ログはほとんど読んでいなかったので助かりました。ただ、私の意見はぽてからさんの意見とはだいぶ違います。私自身は、スリム化最優先ではなく、むしろ、本記事が「竜頭蛇尾」になっていることを最も問題視するものです。その点からすれば分割はむしろ必要で、「1.政教分離における歴史学的視座」は本記事から何としても切り離した方がよいと思います。「レースプーブリカ・クリスティアーナ」で合意できるのであれば、それでもよいと思います。本記事は定義部分でハッキリ「政教分離原則成立の社会的背景」を説明するとしており、平たく言えば「政教分離原則成立史」が本記事のテーマです。そしてまた、「政教分離の歴史」という記事名の記事はあってもよいし、あったら読みたいと思います。テーマと記事名に齟齬はありません。むしろ、前置き、前置きの前置き、さらに前置きというかたちで余計なものが多すぎる印象です。「教会と国家」という記事名は、失礼ながら、よろしくないなと思います。随筆や史論のタイトルならばそれでもよいと思いますが、百科事典の記事名としては適切ではないと考えます。極端な話、「教会と国家」を知りたい人は記事「教会」と記事「国家」を読めばよいということにならないでしょうか。&のつく記事名は、固有名詞である場合をのぞき、基本的に推奨できません。それよりも問題なのは、記事内容が「政教分離原則成立史」になっていないことなわけで(私はそう考えるので)、古代部分(「初期キリスト教」)も除いた43万バイトを10万バイト程度に圧縮して(4分の1~5分の1の分量に要約して)、さらに10万バイト程度加筆して「分離原則の成立」までもっていく、最終的に計20万バイト程度の記事に仕上げるというあたりが一番よいと思います。可読性に関しては、単純にサイズの問題ではなくて、平易な文章に書き直したり、画像やクォーテーションを入れたり、箇条書きにできるものは箇条書きにしたり、込み入った話は注釈に逃がしてやったり、改行を増やして段落を増やしたり、mainタグ・See alsoタグを併用したりすることで、だいぶ改善されます。手前味噌かもしれませんが、「元禄文化」(20万8,185バイト)、「感染症の歴史」(15万4,001バイト)、「条約改正」(17万2,825バイト)あたりは、サイズの割には可読性のわるさを指摘されたことがありません。本記事よりサイズの大きい記事はあっても、リスト記事である場合は可読性ということは問題になりませんし、逆に、サイズがいくら小さくても読みにくい記事というのもあるだろうと思います。「政教分離の歴史 (西欧)」という内容なら、20万バイト程度は必要でしょう。あまり10万バイト未満みたいなことにこだわらない方がよいと思います。単にサイズダウン優先、改名優先ということだとかえって議論はややこしくなるんじゃないかと心配です。--Greenland4会話) 2017年6月14日 (水) 02:13 (UTC)
「1.政教分離における歴史学的視座」を切り離して「レースプーブリカ・クリスティアーナ」という名前とするなどは、非常にいい案ですね。近代よりも古代のほうが書きやすいでしょうから今のようなバランスになってると思いますが、みなさんのご協力があれば政教分離原則の成立史、という内容の記事に出来るかもしれません。ちなみに、紆余曲折がありすぎてひと言では言えませんが、「単にサイズダウン優先、改名優先」ということでは必ずしもありません。原点は「可読性のわるさ」をどう改善すれば良いかということだと認識してますので、多様な情報をいただけますと助かります。--ぽてから会話) 2017年6月14日 (水) 03:46 (UTC)

コメント まず、改名議論を脇において、先に本記事の立項目的・守備範囲を合意するべきだと思います。守備範囲が確立すれば、関係ない記述を分割、転記、削除することが出来ます。mainタグ・See alsoタグを併用すれば、よりすっきりとした記述にまとめることができ、可読性は向上するでしょう。--Susuka会話) 2017年6月14日 (水) 03:51 (UTC)


コメント 私は議論提起者として、意見は述べず傍観していたのですがSusukaさんのコメントでいったん区切りがついたのでコメントします。

ここまでの皆様のコメントを要約すると

  • 『「政教分離の歴史」はふさわしくない。内容的には「キリスト教国家論の歴史」がいい』ということで改名が行われる
  • アクセシビリティの観点から、現在の記事のサイズは適切でないため、分割が必要
  • 「キリスト教国家の歴史」について扱う記述は「政教分離の歴史 (ヨーロッパ)」がふさわしい
  • 硯箱さんからのご意見を聞く必要がある
  • 可読性が損なわれている
    • 重複内容は転記・除去
    • 改名よりも、どの記述の残しどの記述を転記・分割するのかを重点で議論するべき

といったところでしょうか。重要な点を書き忘れていたらご指摘ください。

除去・転記・分割(まとめて改稿とする)や改名については、情報収集や合意形成が長くなりそうなのでサブページが必要そうですね。また、このノートページも肥大化しているので過去ログ化検討の必要ありますね。--Yuukin0248会話) 2017年6月14日 (水) 07:01 (UTC)

  • 情報 過去ログ化の件について。本ページはアーカイブボットで過去ログ作成を行っています(現在は一時停止中)。改名が確定した場合、過去ログページも改名する必要があることをここで報告しておきます(サブページとの並立の表記方法については、詳しい方にお任せいたします)。--Susuka会話) 2017年6月14日 (水) 08:59 (UTC)

コメント Yuukin0248さんが掲げてくださったなかで最も重視すべきは「硯箱さんのご意見を聞く必要がある」ということではないかと思います。また、それと並んで、Susukaさんが指摘された「先に本記事の立項目的・守備範囲を合意すべき」という御意見こそ最も肝心なことだと考えます。つまりは、硯箱さんも含めて本記事の守備範囲が合意できれば無用な対立は避けられ、記事向上のために互いに協力しあえるわけです。まずは、硯箱さん御自身が本記事の記事名・守備範囲についてどうお考えなのか、お示しいただければ幸いです。--Greenland4会話) 2017年6月14日 (水) 10:43 (UTC)

コメントSusuka様の意見は、「改名よりも、どの記述の残しどの記述を転記・分割するのかを重点で議論するべき」というより、「本記事の立項目的・守備範囲を合意するべき」の方がメインじゃないでしょうか。それがはっきりすれば、自然とどこが範囲外かわかるし、文章を基準にそって整理してみれば、削除か転記かも楽に合意できると思います。やってみればわかることも多いと思うので、先のことは置いておいて、とりあえず「本記事の立項目的・守備範囲」を決めるといいと思います。

今の段階ではよけいな意見になりますけど、「1.政教分離における歴史学的視座」を「レースプーブリカ・クリスティアーナ」というタイトルの記事にするのはあまり良くないと思っていて(切り離すのは大賛成)、Respublica Christiana(キリスト教共同体)=政教分離における歴史学的視座じゃないからです。そのまま「政教分離における歴史学的視座」のタイトルか、今のタイトルを使ってキリスト教国家論の歴史でいいんじゃないでしょうか(今の段階では無視してください)

あと蛇足になりますが、ぽてから様は、「上記のみなさまのコメントに異議をもたれるのは硯箱さんのみであろうと考えられます」とおっしゃってますが、今までいろいろあったと思いますが、論争していた相手の反応を予想してコメントするのはあんまりよくなくて、自分が同じ立場だったら、こういわれたらちょっ凹むかなぁと思いました。コメント依頼がとてもよく機能していて、議論を再出発するチャンスですし、気にかけていただけるとありがたいです。--ジャム・パンナ会話) 2017年6月14日 (水) 11:35 (UTC)

コメントすみません。現状この記事の冒頭で「政教分離原則それ自体に関わる歴史的事象については政教分離原則#歴史を参照のこと。」となっていて、リンク先に飛ぶと、政教分離原則の歴史の節の冒頭に

とあって、この記事に誘導されて、グルグル回ってしまうのですが、どうしたらいいでしょうか?--ジャム・パンナ会話) 2017年6月14日 (水) 11:50 (UTC)

  • コメント それぞれの記事における範囲が決まってない状態なのでどうしようもできません。親子関係、兄弟関係を記事間ではっきりさせないと、本来は「記事間の誘導」ができないわけですから。どうする?となれば、誘導が循環しているなら、両方からいったん除去してしまったほうが良いでしょう。--アルトクール会話) 2017年6月14日 (水) 12:33 (UTC)

コメント 現在の議論を基に大まかな手順を記すと、

  • 政教分離に関する古今東西のありとあらゆる事象を列挙する(古代のキリスト教から現代の政教分離原則、「歴史学的視座」など学問的な見地、場合によっては他宗教も、etc)。
  • 列挙したものを総合的に比較検討して、体系的に分類する。
  • 本事典の仕様に合わせて、各記事の割り振りを決定する(その際、本記事と政教分離原則はなるべくそのまま再利用したい(ページ名は変更になったとしても)ので、この面も考慮する)。

このような流れになるでしょうか。--Susuka会話) 2017年6月14日 (水) 12:53 (UTC)

コメント私が発言するとすぐ反対者のコメントが付く傾向にあるので、なるべく混乱させないよう自粛していたのですが、とりあえず意見を聞きたいとのコメントを頂いたので一応意見をまとめておきます。まず私が普段主張している内容はGreenland4さんの意見にほぼほぼ近くて、「政教分離の歴史」でフランス革命とドイツ国制の政教分離(1803年)までを射程に捉えて記事を構成するという観点です。そのうえでそこまでどういう内容で進むかというと、基本的に

  1. 歴史学的な政教分離 政治体制と社会体制における政教分離が達成された結果として、近代的な国家の格率としての政教分離原則が形成されるという過程
  2. 人間学・宗教社会史・政治思想史的世俗化 政治思想が中世以来の長い過程で脱宗教化し、宗教改革と科学革命をきっかけに社会全般が世俗化から金子晴勇の言う意味での「世俗主義」に再編されていく過程
  3. 政治神学的議論 近代国家の多くで政教分離が達成されているにも拘わらず、その国家の正当性概念の秘奥には古代以来の神学的正当性概念が生き続けているというカール・シュミット、ジョルジョ・アガンベンらの指摘

これら3つの流れを古代・中世・近世に渡ってあとづけるというのが私が考えている内容です。そのうえでこの分野は近年歴史学で活発に論じられている分野でもあり、とくに学説上の大きな転回があったということに留意する必要があると思っています。

  1. 帝国国制の再評価
  2. 日本の歴史学で進められた初期中世国家像の転換:山田欣吾の教会国家論と五十嵐修による帝国・王国・教会概念の分析、西ゴートをはじめとする初期ゲルマン王国の神政政治研究の進展
  3. 近代国際関係の体系はウエストファリア条約に始まるというウエストファリア神話の解体:帝国国制と欧州国家間関係に世俗化の道を開いたウエストファリア条約の宗教和議としての再評価
  4. ジョルジョ・アガンベンによる現代に至るまで統治の正当性の中心に関わるオイコノミア神学的要素の指摘
  5. 古代におけるキリスト教迫害史の根本的な修正:モムゼンの「許されざる宗教」説からの完全脱却と相互授受思想という新たな宗教社会史的概念
  6. スペイン・シチリア・北欧など周辺地域での国家・教会関係の研究深化
  7. 「神の平和」運動の再評価
  8. 「レース・プーブリカ・クリスティアーナ」(代表的論者である柴田平三郎氏はこれを「キリスト教共同体」と訳す)

ちなみにこちらの記事ではにっちもさっちもいきませんし、議論するのも面倒なので(平たく言いますと質や信頼性があまりに違いすぎる文献を持ち出されるのでまともに議論できない、この分野で信頼できる文献とは何かという基本情報を共有できず、いつまでも議論が平行線になる)、むしろ自由に専門的な内容に絞って書くほうが私の好みですので、上記内容で加筆しようかなと思っていた内容はほかで気ままに書いてます。こちらに加筆するつもりはもうありません(私が編集に参加しないと言ったという話がありますが、私が言ったのはこういう意味です)。Greenland4さんは信頼できる執筆者で歴史関係には博識であり、西洋史に限らずマクロヒストリーの記事をいくつも手がけている方ですから私の意図も正確に理解して議論してくださると思います。私としてはGreenland4さんが来てくださればこれからの議論、とくに後顧の憂いはないと思っており、Greenland4さんがまとめやすい形で決着していただければ問題ないです。

記事名については「キリスト教国家論の歴史」とか「キリスト教国家論」という用語は神学であれ歴史学であれ一般的であるとは思われません(もし私の反対論者がいうようにそれが「レース・プーブリカ・クリスティアーナ」の訳語であるというならば、なおさらその中心論者である柴田平三郎氏はこれを国家思想とは見ていません)から、まずは一度「政教分離の歴史」に差し戻すべきと思われます。ここらへんについてはGreenland4さんも的確に指摘してくださっていますから、私としてはあまり言うことはなく、安心できます。記事名は「政教分離の歴史」としつつ、整理を優先するというのが今の私の考えです。「政教分離の歴史 (ヨーロッパ)」というのは個人的には歴史学の常識では政教分離は他ならぬ西ヨーロッパ固有で発展した歴史的事象であるというのが定説のように思われますから、「(ヨーロッパ)」は蛇足のような気がしますが、別にこだわるほどのものでもありません。

記事内容の整理と分割については大部分に要出典が貼られてしまっており、現状そのままでは移動しづらいものとなっております。要出典箇所が(私にはそうは思えないのですが)独自研究であると言い続けている人もおり、彼らが要出典タグをほぼ記事全面に貼り付けてしまったために、まずその出典を明らかにしないと転載記事のほうにも議論が拡散したり、文献情報が正しく継承されないという問題を残すことになると思われます。また私が見たところ出典情報の一部が長いこの記事の編集履歴の間に明らかに情報に訛伝が見られ、正確ではなくなっています。なお私自身の加筆箇所「政教分離における歴史学的視座」については私個人としてはいっそ削除で良いと思っています。私はとくにこの内容をこの記事に、あるいはウィキペディアもしくはウィキメディアプロジェクトのどこかにさえ載せる必要を感じていません。見通しの邪魔であれば削除でしょう。--硯箱会話) 2017年6月14日 (水) 13:28 (UTC)

コメント硯箱さん、お答えいただきありがとうございました。記事名は「政教分離の歴史」に巻き戻すということでよいと思います。「政教分離における歴史学的視座」に関しては、御本人が削除してもよいということであれば、削除してもよいのかなと思います。歴史記事を書くたびに「歴史学の視点・視座」を書かなくてはいけないという理屈もないはずで、これは執筆者は持っていてもよいのですが、読者に読ませる必要がない。そういう意味ではいわば楽屋話のようなものだと思います。ただ、せっかく書いたものでもったいないということであれば、「政教分離原則」の記事の末尾に「補説」というような節を新たにつくって、そこに移動させてもよいでしょう。もし自分に「政教分離の歴史」をレポートせよという課題が出たとしたら、ゴールは、硯箱さんがおっしゃるように19世紀初頭までを射程にして、あるいは1905年のフランスの政教分離法や1920年代のトルコのアタチュルク革命における政教分離(脱イスラーム化、西欧化)をトピック的に扱うなどして仕上げるでしょう。ウェストファリア条約やナント勅令などは既に記載されているのですが、やはり、マキァヴェリであるとか、王権神授説なんかは取り上げて加筆すべきと思います。とくに王権神授説は、教会からの介入を排除する意味合いで「神」が直接「王」につながるわけですから、一見、政教が一致ないし密着しているかにみえて実は分離・拒否であるというややこしさがあります。本記事は、そういう一筋縄でいかないところを史実で説明していこうという記事だろうと思います。スタートをどうするか、どこから書き起こすかということはなかなか難しく、ウィクリフ・フスあたりから書いた方が書きやすいのかなと思います。あえて教皇権最盛期から書き起こすという手もあるでしょうし、宗教改革・宗教戦争からという方法もあるでしょう。紙幅に余裕があれば、それこそ古代からでもよいのでしょうが、なかなかそうもいかないので今後の大幅加筆を想定するならば、この記事の前半部分はどこかに移してもよいのではないかと思います。そこで、提案ですが、現状の「2.2 古代のキリスト教思想(〜500年)」約3万7,000バイトは、以前申し上げた通り、「初期キリスト教」という項目に分割・移動し、「2.3 キリスト教普遍世界(500年〜1500年)」約28万8,000バイトに関しては、「中世ヨーロッパ」という記事を立てて、そこに移したらどうでしょうか。現状では、「中世ヨーロッパ」の項目は「中世」へのリダイレクトになっていて、その点ではそっくり移動させることができるわけです。そして、あらためて「2.3.13 宗教改革前思想史」のあたりから書き起こせば、すんなり「政教分離の歴史」になるのではないかと思うのです。いかがなものでしょうか。--Greenland4会話) 2017年6月14日 (水) 15:45 (UTC)

(Greenland4さんへ)インデント戻します。「政教分離における歴史学的視座」に関しては、私も末尾に移すような形も考えました。ただやはり内容的に重いので百科事典記事として見た場合、もう少しスリム化する必要があると思っています。Greenland4さんのおっしゃるとおり、あの部分は楽屋話みたいなもので、はっきり言ってノートでも方向性の定まらない議論が続いていたので、政教分離の議論を全体的に提示するためにあえて踏み込んで書いたところがあります。なので、記事全体の調和性や一貫性、可読性を考慮するならいっそ削除してもよいというのが私の意見です。記事の整理の方向については3つの方向性を考えておりました。以下の例の記事名はあくまで一例ですから、この記事名じゃないとだめだというわけではありません。

  1. 時代ごとに分割 「政教分離の歴史 (中世)」「政教分離の歴史 (近世)」のように。
  2. 分野ごとに分割 「政教分離の歴史」←歴史的事実のみを記載 「政教分離の歴史学」←歴史学・政治思想史含め関係議論を集約 「霊性思想・人間学における世俗化論」←宗教社会学・倫理思想史的な議論を集約
  3. テーマごとに分割 「政教分離の歴史」←国家に関わる話題に絞る 「社会の世俗化」「政治理論における世俗化」

歴史事実に関しては要点は「res publica christiana」という概念が決定的に重要で、その始まりが初期中世の統治権力構造(具体的にはカール大帝のカロリング帝国体制)に由来していることとその終わりがウエストファリア体制であるということ(ウエストファリア条約では「respublica christiana」に替わって「Chritiniae reipublicae」と表現が用いられた)ということは学界で共通理解が存在していると見て問題なく、キリスト教共同体という統一的な観念が薄れた後、キリスト教国家(christenstaat)が登場し、少し遅れて近代(具体的にはフランス革命)に政教分離原則に基づく純世俗的な近代国家が成立するという史実の流れに異論は無いと思われます(歴史学・政治思想史・人間学・宗教社会史いずれも宗教改革と宗教戦争による respublica chrihstiana の解体を近代的な世俗主義成立の契機と見ていることで不一致はないように思います)。問題は関係する議論をどこまで盛り込むかで、横断的に同時代の政治思想や社会思想との関連性が重視されるなら時代区分で分けるのが良いのですが、これは全体の流れがみにくくなるため、総論のような記事を設けないといけなくなるという困難があり、さらに大きなテーマですからどこまで盛り込むかということに意見対立が生じることは必至と思われます。分野ごとに分ける方法はそれぞれの分野で内容が集約され、後腐れないようですが、一方で横の関係が希薄になります。適宜see alsoなどを使うにしても分野を超えて広がりのある議論が細切れにされたり、逆に重複してしまうという問題もあります。テーマごとに分ける分割は分野ごとと異なり、各記事で分野を超えた内容に一定程度広がりを持たせることが可能になると思われます。

一方でGreenland4さんの提案にある、本記事を宗教改革スタートにし、中世の内容を元に「中世ヨーロッパ史」を新たに書くというのも野心的で、十分に魅力的です。中世ヨーロッパ史という記事は百科事典としてはやはり十全なものがほしいと思いますし、生かせるなら間違いなく有意義です。どちらにせよ私にとって不足しているのは百科事典としてどこまで盛り込むかの勘です。この点に関しては熟練の執筆者であるGreenland4さんの勘を全面的に信頼しておりますので、最後はその勘を頼りにさせていただきたく思います。宗教改革前夜からの書きおこしでもグレゴリウス改革スタートでもオットー朝神聖王権スタートでもカロリング朝スタートでも、グレゴリウス1世大教皇スタートでも、コンスタンティヌス大帝スタートでも、そこはGreenland4さんの勘の落としどころを聞きたいですね。実際それぞれ個別記事があるのですから、前史という形で要諦のみの言及でもよいのですから、いくらでも加減できそうな気がします。私は個別の材料と依拠すべき参考文献を提供させていただきたく思います。

ここからは蛇足というか、水を向けられようにひきつけられてしまったのですが、王権神授説についてはおっしゃるとおりでフィッギスが指摘しているように王権神授説は主権理論の一形態ともいうべきもので、神に直接つながる国王に国家内のあらゆる権威を集約する議論ですね。領域に対する教会や外部の君主の影響を排除し、(聖職者も含めた)人民に国王の権力への無抵抗を要求するものですが、同時に必ずしも国王に専制を許しているわけではない。神が神自身の定めた法に拘束されるように国王も自身の立法や自然法に拘束されるという観点が存在していますね。トルコ革命の政教分離については最近イスラムが世俗的宗教であるという観点から新井政美さんが積極的に論じておられるところですが、学界には好意的に迎えられているように思いますから書いてみたいですね。ただフランス革命以降は政教分離原則が成立したあとですから、このノートで交わされた以前の合意が有効であれば、政教分離原則そのものの歴史は「政教分離原則#歴史」にという原則が一応あります。どちらにせよ数々の歴史記事を書いていらっしゃるGreenland4さんの勘を尊重します。--硯箱会話) 2017年6月14日 (水) 17:58 (UTC)

コメントまず、改名議論を脇において、先に本記事の立項目的・守備範囲を合意するべきだと思います」このSusukaさんのご意見に、完全に賛同させていただきます。私の「こちらの主ページが「最終的にどのような状態になるべきか」」ということも同じことを述べている気持ちでおります。--Moon.rise会話) 2017年6月15日 (木) 04:47 (UTC)

Greenland4さんの6点の提案[編集]

コメント過分なお言葉の数々、痛み入ります。私の提案がもし受け入れられるのであれば、本記事のうち、
(1)「1 政教分離における歴史学的視座」(約9万3,000バイト)→削除
(2)「2.2 古代のキリスト教思想(〜500年)」(約3万7,000バイト)→記事「初期キリスト教」へ移動
(3)「2.3 キリスト教普遍世界(500年〜1500年)」(約28万8,000バイト)→記事「中世ヨーロッパ」へ移動
ということになって、単純計算でも42万バイト程度がサイズダウンすることになります。本記事にのこるのは14万バイト程度です。ただし、
(4) 記事名は「政教分離の歴史」を維持
というのが、条件になります。これに古代・中世に関しては「前史という形で要諦のみ」の言及を付加し、国王至上法、いくつかの宗教戦争、アウクスブルク和議、ナント勅令、ウェストファリア条約などを取り上げながら、
(5)合衆国憲法制定(1787年)、フランス革命(1789年)、ナポレオン法典(1800年)、ドイツ国制の政教分離(1803年)、あたりまでを射程に入れる
ということでよいと思います。スタートをどこに置くかということですが、
(6)1510年代(マキァヴェリ『君主論』1513年、ルター『95ヶ条の論題』1517年)から書き起こす
のが、いちはやく本題に入ることができ、それぞれ後世におよぼした影響も大きいので執筆者にとって加筆・執筆しやすく、また、読者にとってもインパクトの強い歴史事象から説明された方が頭に入りやすいのではないかなと思い、あらためて提起いたします。それに、フランス政教分離法、トルコ革命、日本国憲法の政教分離規定などに関する記述を「後史」のようなかたちで付加してもよい(ただし、必須でない)というあたりで合意がとれればよいと思います。日本には日本の「政教分離の歴史」があるという指摘もその通りなのですが、その場合は「政教分離の歴史 (日本)」などというかたちで新規立項するというのが紛れがなくてよいでしょう。これについては、以前の自分の見解をいくらか修正いたします。そのあたりも、合意できればと思います。なお、硯箱さんはこの件について深く研究され、ひじょうに深い知識をお持ちです。身軽になった本記事に引き続き加筆されることを期待し、お願いもしたいと存じます。合わせて、専門的な話や込み入った議論は冒頭に置くのではなくて、なるべく「注釈」「補説」のようなかたちで末尾に置かれることをお願いしたいです。特に「<ref group="注釈">」は、経験上、かなり重宝いたします。記事本文は中高生も読むことを考えて平易に、注釈のなかでは「政教分離における歴史学的視座」のなかのさまざまな論究のように、かなり専門的な内容でもOKだと思います。
上記6点について、合意形成を図りたいと思います。議論参加者各位の御意見を求めます。--Greenland4会話) 2017年6月14日 (水) 23:55 (UTC)
  • 賛成 & 報告 Wikipedia:分割提案にも提議しました。--Susuka会話) 2017年6月15日 (木) 02:00 (UTC)
  • 報告 Greenland4さんの6点の提案は大きなご提案であり、見やすさのため節分割いたします。これを不適切と思われる方はGreenland4さんでも、どなたでも、差し戻しいただいて構いません。--Moon.rise会話) 2017年6月15日 (木) 03:47 (UTC)

コメントこんにちは。Moon.riseです。Greenland4さんの6点のご提案はどれもすばらしい内容のご提案だと思いますが、ちょっと待ってください。スローダウンのお願いをさせていただきたいです。 Wikipediaの参加者で、2~3日に1度のペースで議論参加の書き込みをされる方がいらっしゃっても、私はその頻度に問題があるとは思いません。 このままでは、その頻度の方を置き去りにしてしまいます。

Greenland4さんのご提案は、「記事名は「政教分離の歴史」を維持というのを条件」とした上での6点のご提案だとお見受けいたします。 果たして、記事名は「政教分離の歴史」を維持という所まで、このノートでの合意は進んでいるものか、早すぎないかという疑問があります。 Greenland4さんが「竜頭蛇尾」というご指摘をされてから約22時間、Susukaさんが「先に本記事の立項目的・守備範囲を合意するべき」といわれてから約20時間、 Greenland4さんが「記事名は「政教分離の歴史」に巻き戻すということでよいと思います」という見解を出して下さってから約8時間しか経過していません。 最短の8時間で見たならば、硯箱さん以外の方のコメントは見受けられません。

念のために先に申し上げますと、私はおそらくGreenland4さんのご提案に大きく賛同できる者だと思います。 「改名した場合」「行なう場合には慎重に考えられるべき」とすでに2017年6月13日 (火) 18:18 (UTC)時点で申し上げています。 元より、「政教分離の歴史」という記事名に対して書かれてきた記事内容について、後から記事名だけ変えてみれば、記事内容にとって差し支えがあるのは自然なことです。 ですがはたして「記事名は「政教分離の歴史」に巻き戻すということでよい」となるかどうか、 あるいはもう少し小さく求めても「改名議論を脇において、先に本記事の立項目的・守備範囲を合意するべき」となるかどうか、この合意はまだ怪しい所です。

  • タイトルについてはGreenland4様に賛成で (ジャム・パンナ(会話) 2017年6月13日 (火) 12:54 (UTC))
  • 記事名は「政教分離の歴史」としつつ、整理を優先するというのが今の私の考えです (硯箱(会話) 2017年6月14日 (水) 13:28 (UTC))
  • みなさんのご協力があれば政教分離原則の成立史、という内容の記事に出来るかもしれません (ぽてから(会話) 2017年6月14日 (水) 03:46 (UTC))
  • 今はまず、いわゆる「政教分離」に関する事項の抽出と整理を優先することは出来ないでしょうか (Susuka(会話) 2017年6月14日 (水) 15:09 (UTC))
  • 単純に「キリスト教思想史における国家論の史的解説」→「キリスト教国家論の歴史」にtitle変更 (大和屋敷(会話) 2017年6月14日 (水) 15:30 (UTC))

ぽてからさんが「一旦皆さんのご意見を聞きましょう」と歩み寄ってくださった一方で、大和屋敷さんが「改名議論を脇におく」ということに同意してくださっているかは、疑問に感じます。

確かにGreenland4さんは「記事名は「政教分離の歴史」を維持というのを条件」ということで、あくまでも条件付けだよということかもしれません。 しかし、それがよいのであれば、仮にですがどなたかから逆に現時点で「記事名は「キリスト教国家論の歴史」というのを条件に、6点の提案を出します。合意形成を図りたいと思います」とされた時に、これを止める理由がないかもしれません。 どうなるかとなれば、議論が拡散するとしかいえないように思います。

以上の理由より、いま頼りになるGreenland4さんに対して失礼であるかとも思いますが、スローダウンのお願いをさせていただきたいです。 まずは、特に大和屋敷さんとの間で、「改名議論を脇において、先に本記事の立項目的・守備範囲を合意するべき」ということに合意を目指すべきという考えを、申し出させていただきたいです。--Moon.rise会話) 2017年6月15日 (木) 04:34 (UTC)

Moon.riseさんの御懸念はよくわかりますし、「スローダウン」ということに別段異議があるわけでもありません。ただ、一応箇条書きで示したのはそれなりに意味のあることなので、そこは御理解いただければと思います。上提案(1)(4)(5)については硯箱さんとのあいだで合意が成立、(2)(3)に関しては容認というか「積極的に反対はしない」という状態だと思います。(6)については、合意が成立していません。Susukaさんからは、(1)~(6)のすべてを賛成していただいています(とみてよいのでしょうか?)。当然、「(1)に反対」「(2)は賛成だが(3)には反対」など多様な意見があってしかるべきだし、それは互いに認められるべきでしょう。議論参加者の皆さまからの意見がだいたい出尽くしたら、また改めてそこで議論すればよいのではないでしょうか。私は何も急いでいるわけではないのであり、人の意見を聞いて自分の意見を変えることがあってもよいと思います。「記事名は「キリスト教国家論の歴史」というのを条件に、6点の提案を出します。合意形成を図りたいと思います」という提案がもしあったならば、それを受容することはできます。しかし、それに対しては「記事名に関しては反対です」と、今の段階からでも申し上げることが可能です。ともあれ、そういう意見も含めて、みなさまの御意見を伺いたいです。--Greenland4会話) 2017年6月15日 (木) 06:17 (UTC)
  • 大和屋敷の当初の見立てはこう[79]であり、現状の記事状態についての他の編集加筆者に対する態度に対する根本的な批判はこう[80][81]です。要はこんなwikipediaでしか見られないようなヘンテコな文字列ではなく、ちゃんとした百科事典記事にしたい(して欲しい)だけの話しです。大和屋敷が改名提案を提示した経緯についてはコレ[82]で、【①本記事のばあい、記事内容の膨大な文字列は存在しているのにタイトルがない②これは百科事典として極めて異常な状態である③なぜこのようなことになっているのか④それは特定編集者がみずからの規定する「政教分離史」を独創しそれにもとづき脈絡なく文字列を採録したためである。大和屋敷の当記事に対する基本的な理解は以上のものです。そもそもタイトルと内容がまったく一致していないことは多くの方が論述済みであり、いったいこの膨大な文字列は何の記事なのですか、という批判から議論が開始されている[83]ことを想起ください】と問題提起しております。ようは「あきらかに政教分離の歴史ではない、なにごとか別のものを解説した膨大な文字列のみが先に存在しており、なんなんだコレは、ということです。キリスト教以外のことは書くことを拒否され「日本の政教分離うんぬんのあまり関係ないところ」[84]などと言って削除するようなおかしな捨てアカ編集者が暴れたり、この記事の編集状況は極めて不誠実な特定人物により攪乱されているのです。--大和屋敷会話) 2017年6月15日 (木) 06:29 (UTC)
コメントはじめまして、TENと申します。当該分野について体系的な知識があるわけではないので的外れかもしれませんがコメントさせていただきます。過去ログを少しとコメント依頼後のログを確認させていただきました。そこで思うのですが「政教分離」という単語が指す事象について、硯箱さんとその他の論争参加者の間で一致していないように思えます。私にはこの記事で発生している論争の根本的な原因は以下のように見えます。
  • 硯箱さんが指す「政教分離」が、西ヨーロッパ世界における固有の歴史的事象として発生した(不可分のものとして存在した)教会権力と世俗国家の分離現象を指しているように見えます。
  • 大和屋敷さんをはじめとする方々の指す「政教分離」が、現代政治における政治と宗教の分離を指す一般名詞であるように見えます。
本記事を前者の観点でまとめるのであれば、初期キリスト教から中世西欧史を経てフランス革命前後でゴールを迎えるという記述は合理的ですし、そこに日本やその他の国の記述が割って入る余地もほとんどなく、その記述をしないというのも整合的な姿勢です。
一方で後者の意味合いで記事をまとめるのであれば、初期キリスト教どころか、1500年代から話が始まることでさえ冗長なように思えますし、日本をはじめ各国の個別の事情についての記述が載るのが合理的です。
この「政教分離」という単語によって何を指すか(つまりSusukaさんの書き込みにあるように、この記事の守備範囲について)の合意がまず必要なのではないでしょうか。少なくも片方の論者の不誠実性を弾劾することに建設的な意味があるようには思われません--TEN会話) 2017年6月15日 (木) 07:15 (UTC)

コメント 大和屋敷さんの最初の見立てを見るに、現在提議されている「古代・中世を他の記事に移動させる」という方針とは十分重なる部分があると思います。後は、TENさんが指摘されたように、二つの意味での「政教分離」を棲み分けするのがよいでしょう。なお、私の記事名については「政教分離の歴史」を積極的に推しているわけではなく、「記事名には特にこだわりはない」というのが真意です。--Susuka会話) 2017年6月15日 (木) 07:24 (UTC)

コメント 大和屋敷さん、コメントありがとうございました。要は、「政教分離の歴史」を理解するのに、硯箱さんは古代・中世の国家概念の理解が必須だと確信しているのに対し、他のみなさんはそういう確信を共有していないというところから、さまざまな行き違いが生じているということなのではないかと思いました。ただ、硯箱さんも上記提案の(2)(3)については反対されず、「本記事を宗教改革スタートにし、中世の内容を元に「中世ヨーロッパ史」を新たに書くというのも野心的で、十分に魅力的です」とおっしゃってくださっていますし、(1)については削除を同意されています。であれば、宗教改革・宗教戦争あたりからの書き出しになるわけですが、その点についてはいかがでしょうか。私が「キリスト教国家論の歴史」という記事名に反対するのは、この記事名が「経済史」を「経済学史」と呼ぶくらいおかしい(単純に言って間違い)と思うからです。間違いでないとすればこのままでよいわけですが、間違いだとすれば元に戻すのが適切ではないかと考えます。「キリスト教以外のことは書くことを拒否される」については、御立腹はもっともですが、しかし、考えてみると、日本の「政教分離の歴史」とヨーロッパの「政教分離の歴史」は同じ記事では扱えないですよ。「政」の伝統も「教」の伝統も違うのに、「政教分離」だけ混ぜても訳が分からなくなります。政教分離の現象が西欧固有の歴史現象だという硯箱さんの御意見を共有できないとしても、そこは混ぜてはいけないものだと私は思い返しました。トータルにそれを説明するならやはり「政教分離の歴史 (日本)」のようなかたちで別記事を立てるほかないと思います。今までの経緯はどうあれ、状況は変わったのですから、私の上記提案(1)~(6)の個々について御意見をお寄せいただければ幸いです。少なくとも(6)に関しては合意ということでよろしいのでしょうか。--Greenland4会話) 2017年6月15日 (木) 07:29 (UTC)

(4) 申し訳ありませんが、記事名を単純に政教分離の歴史に戻すという案だけは受け入れがたいですね。第1章を削除すれば「キリスト教国家論の歴史」という記事名の必然性がなくなるから記事名を変えようという発想はわかります。しかし、「政教分離」という訳語は一般的とは言えないという文献調査などの存在も121.107.209.16さんがノート上部で示して下さってますんで、「政教分離の歴史」が「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすい名」とはいえないと考えております。翻訳本では「政教分離」よりも、むしろ「教会と国家(Church and state in medieval Europe)」などの和訳が多く見られるのではないでしょうか(教会と国家の分離原則 Separation of Church and State等)。政教分離といえばキリスト教というのは、硯箱さんはそうイメージされておられるのかもしれませんが、必ずしもキリスト教だけに限って使われる言葉ではありません。キリスト教以外を除外するのであれば、「政教分離原則の成立史」などの記事名のほうがいいんじゃないでしょうか。各国ごとに過程が異なるので、国ごとに分けて書けばよいでしょう。ただ、日本は教会が古来からの宗教の場ではないので、神社非宗教論あたりが政教分離原則の成立史にあたるのかなあとは思いますね。硯箱さんがこの分野を専門に勉強された方であろうことは認めるところですが、ほかの議論参加者もみなさんそれぞれ知識をお持ちの方ですし、記事名について再度議論するだけの価値はあるでしょう。記事名の単純リバートは行わないで、通常の合意形成により大和屋敷さんや121.107.209.16さんにも交えて再度議論して決めるということであれば、改名に賛成します。

(1) 第1章についてですが、ところどころ重要な概念について触れられているので、それを、歴史的展開にうまく落とし込んでいくことが理想型ではないでしょうか。今のところ雑多な歴史の寄せ集めとしか見えない書き方になってるので、独自研究だ、としか言わざるをえません。その出来事によって教会と国家の関係にどう変化が起きたのか、にひたすら注目した書き方をしなければ、どのように、政教分離原則の成立に寄与した出来事なのかがわかりませんよね。たとえば、歴史的展開の中に叙任権闘争という項目を作成し、その中で、ベッケンフェルデは「政治権力と宗教を分ける原則の起源は1057年から1122年の間中世ヨーロッパで特殊に展開された叙任権闘争にある」と述べている、と挿入してあげると、読者としては「なるほど。叙任権闘争が、政治と宗教を分ける原則の起源である」と有名な学者が言ってるんだ、とわかるわけです。両剣論のところに、「ペトルス・ダミアニはこの両剣の喩えをもって俗権と教権の共働を説いたが、クレルヴォーのベルナールは両剣を教権に帰属させ、教権支配論を支持した」と第1章から移動して挿入するとかもよいでしょう。

(6)についてですが「政教分離原則の成立史」とする場合はマグナ・カルタ第1条で「教会は国王から自由である」と宣言したなどは、必須事項ではないでしょうか。これについても、「ブライアン・ティアニーは「中世の聖と俗との二元主義は近代的な「政教分離の壁」とは異なっていて、教会権力と国家権力はたえず重なり合っていたが、そこでは教会は宗教の領域における国家権力の介入を制限することに努めており、この限りにおいて教会は人間の自由の領域を拡大した」と述べているなどと、マグナ・カルタの「自由」が近代の「自由」と同一の概念ではないことなどを記述するべきでしょう。上記で例にあげた叙任権闘争両剣論なども、あったほうがいいんじゃないかと思います。ある意味、闘争史の一種なわけですが、歴史的事件と、その歴史的事件がどのように教会と国家の関係性に変化を及ぼしたと言及されているのかを、セットで書いていくなど、書き方を根本的に見直していく必要があるでしょう。単なる歴史的出来事の羅列では、「これはなんなんだろう」と必ずなると思いますね。

書き方の問題でいえば、#倫理学者金子晴勇の主張についてを読んで頂いてもわかると思いますが、倫理学者金子晴勇は「〜」と述べている、と硯箱さんに書いて頂ければいいのですが、硯箱さんがWikipedia:言葉を濁さないという概念を受け入れられず、金子氏が提唱したのではなく普遍的な事実であるかのような書き方をされてしまう、ということが繰り返されています。「ベッケンフェルデはこのように述べている。山田欣吾はベッケンフェルデの見解をこのように分析している。」と書いて頂ければいいんですが、硯箱さんは、一般常識だから書かなくても良い、の一点張りで、学説の提唱者の名前を書いても悉く消してしまわれる、という状態なんですよね(誰かが修正してもリバートされる繰り返し)。私が考えるこの記事の理想型に辿りつくには、硯箱さんに、一般常識だから提唱者の名前は書かなくても良い、という考えを改めていただかなくてはなりません。提唱者の名前とその見解を記述していくことが、Wikipedia:中立的な観点Wikipedia:言葉を濁さないを満たす書き方である、ということをご納得いただきたいのですが、方針を受け入れて頂くことはできませんでしょうか。それが難しいということであれば、硯箱さんはWikipediaの方針に従うおつもりがないのかということになりますし、この記事は独自研究から抜け出せないと言えるでしょう。--ぽてから会話) 2017年6月15日 (木) 09:02 (UTC)

私自身は以前申しましたように、もうウィキペディア自体にあまり関わるつもりはないので、Greenland4さんの参加してくださった今、とくに後顧の憂いはありません。が、一応私にはぽてからさんや大和屋敷さんが言っていることは正しくないと思われますので、それだけは指摘しておきます。まずこの記事が「キリスト教国家論の歴史」だというのはその用語の出典がないですし、どうしてそう断言しているのかわかりません。世間一般に「キリスト教国家論」なる用語が存在しているのならともかく、私が出典を示して論じたように、専門領域でさえそのような語に共通理解があるとは思われません。歴史学や政治思想史、神学にもキリスト教国家論が何を指すかについて共通理解があるとは思えませんし、仮に私が見つけた出典に基づき、それが「近世の国家理性論」や、それとも全く別の古代の「神国論」を指すなら、それは全く本記事の趣旨そのものと異なるということは何度も指摘しております(が、無視されます)。次に政教分離の歴史が歴史学的文献に存在していることは厳密に山田欣吾の出典を示して証明しましたし、金子晴勇氏の著作を追加しても良いですし、これは歴史学的には常識的議論ですから、ほかの書物を積み重ねても良い。問題はこうした出典をいくら示しても、それを信頼できる情報源と認めないとしたり、一般的ではないとする態度で、はっきり言って一定の権威ある歴史学者の権威がこのウィキペディアで正しく認識されない限りこれは解決できません。私はそれに対し、別の権威ある歴史学者によるその歴史学者の説への見解を示したり、研究入門のような書籍を示しましたが、これも循環論争になり、その別の権威ある歴史学者の権威を照明しろということでこれまでの議論は進んでいます。こうした議論は不毛です。さらに反対論者は政教分離というテーマが広いことを良いことに、とても学界では一般的とは思われなかったり、専門分野が異なる論文を引っ張ってきて議論をしようとする。私が今回の件でウィキペディアがダメと思い、信頼できる情報を提供しようとしてもそれがうまくいかないと思ったのは、検証可能性の根拠となる信頼できる情報源について明確な指針が成り立っておらず、そのせいで本当に信頼できる主流の見解ととても主流とは明らかに思われない見解のバランスがとれておらず、中立的な観点が本来求めている「主流な見解は主流なものとして、支持者の少ない見解は支持者の少ないものとして」書くということが実現不可能になっているせいだと思っております。私がこれまでの議論で直面したのは文献調査と称して、無作為に都合の良い記述を集めてきて、それが分野が適切なのか、主流なのかというのも無視して、ただ単に数を数えて済ますという検索ヒット数の集計のようなやり方であり、私にはそれが正しいやり方とは思えません。さらには反対論者のあまりにもひどい論文誤読が一つならずあり、それを指摘しておりますが、そういった内容の読みの間違いについて敏感さもありません。上のぽてからさんの口上についても「ブライアン・ティアニーが「中世の聖と俗との二元主義は近代的な「政教分離の壁」とは異なっていて、教会権力と国家権力はたえず重なり合っていたが、そこでは教会は宗教の領域における国家権力の介入を制限することに努めており、この限りにおいて教会は人間の自由の領域を拡大した」と述べているのは、「マグナ・カルタの「自由」が近代の「自由」と同一の概念ではない」ということを述べているわけでないことは明白なのですが、そういうことがわからない、これでは議論のしようが無いということです(この文章はむしろマグナカルタの時代は近代的な政教分離の考えがない社会であるにも関わらず、信教の自由の起源の一つがここにあるということ、それがきわめて早い段階から議会主義的な自由理念と結びついているという注目すべき事実を強調している。そしてこれは「神の平和」運動の近年の再評価の流れにもつながっているが、ティアニーはここではそこまで述べていない)。そして、一番これまでで困るのは文献に基づかない、とても真実とは思えないことを言うことです。たとえば「キリスト教国家論は専門家の間では使われている」というような意見を文献も示さずに語ったりします。つまるところ、この記事において信頼できる文献はどれかということについて、専門領域で成り立っている常識が使えないという時点で、それを細かく証明していくのに私は疲労します。常識的に考えれば、参考文献を見て、それがいわゆる「講座もの」だったり、監修がついていたりしていればそれは学術研究において信頼できる文献であるというのは普通にわかります(なぜなら大学に行けばこれらを手がかりに研究するのがよいことを教えられるからです)が、そうした常識さえ通用しないとあれば、それはウィキペディアの常識はもはや専門領域とは乖離していると言わざるを得ません。だからは私自身がここに何か文章を書く必要はないと私は今思っています(専門的な議論をしても通じないのでは無駄骨です)。つまるところ、そうした状況下で歴史学的な文献の知識と素養のあるGreenland4さんが来てくれたのが救いで、私としては先頃の対話で伝えるべきことは伝え、それに対するGreenland4さんの返答も安心させてくれるものでありましたから、以降の議論ではGreenland4さんを全面的に支持します。私はこれまでの議論の推移から、専門的な内容であるこの記事の整理をするのにぽてからさんや121.107.209.16さん、大和屋敷さんあたりじゃちょっと無理なんじゃないかなと思っていますが、どちらにせよ私にはあまり興味が無いことです。ただそんな私でもさすがに「キリスト教国家論の歴史」は無いなと思いましたから反対しましたが。--硯箱会話) 2017年6月15日 (木) 10:36 (UTC)
相互への批判をもう少し抑制できないでしょうか・・・。せっかくコメント依頼で議論に新たな参加者が入ったのに、硯箱さんと反対論者の対立と言う枠組みに落とし込んでしまっては過去ログの膨大な議論を繰り返すだけです。まして〇〇さんにはできる、□□さんにはできない、というような言い回しは感情的なやり取りを煽るだけです。何よりも新たに記事に関わる可能性のある人の執筆にとって足枷になります。今までの議論でどうだったこうだったよりも、今ある提案について語りませんか?--TEN会話) 2017年6月15日 (木) 11:05 (UTC)
その点に関しては全く賛成です。私は「硯箱さんが○○だから」と言われれば、それは「あなたが○○だから」と返さざるを得ないことをわかっていただければそれでいいです。そのうえでこの件について、過去において信頼すべき情報源の見解一致がはかれなかったという事実、それを解決する仕組みがウィキペディアに現状無いかも知れないということ、検証可能性を軽視した議論によって改名されたという事実を主に述べたく、少なくともそうした議論は不毛なので私は疲れたから関わる気持ちはないということ、TENさんやGreenland4さんのような一定程度歴史学をご存知の方々が議論に参加されていれば、変な決着になることはなく、心配なく静観していられるということが言いたいのです。上の発言の主意は私はGreenland4さんにすべてを任すと言っているのだから、これ以上「硯箱さんが~」みたいに私を持ち出すなということです。--硯箱会話) 2017年6月15日 (木) 11:45 (UTC)
硯箱氏宛のメッセージですが、自身の信念と異なる意見を全否定することにより自らの発言の優位性を印象づけるなどは、議論の際に使用されがちな論法とも言えましょう。しかし、硯箱氏のお勉強された範囲についても一局面にしか過ぎない、ということはご認識されたほうが良いと思います。これまで議論をウォッチしてきた者として、ぽてから氏や121.107.209.16氏、大和屋敷氏が、歴史学的な文献の知識と素養をお持ちでないという硯箱氏の主張は正確ではないことを強調させていただきます。言い換えれば、ぽてから氏や121.107.209.16氏、大和屋敷氏ほどの、歴史あるいは宗教史の一般教養をお持ちの方でさえも理解しがたい記事であるということは、すなわち、一般の方はとうてい理解できない記事である、ということになりませんでしょうか。硯箱氏は「この学者は信頼出来るがこの学者は信頼できない」などの自らの基準を厳格に反映させて、自身が認めない学者の主張は一切考慮しない、などの主張をされています。人に対して、支持する支持しない、好き嫌い、合う合わないという自己基準を厳格に採用する、という姿勢を、用いる出典においても議論相手についても貫かれていますね。Greenland4氏やTEN氏が信頼できる執筆者で歴史関係には博識であることに疑いの余地はございませんが、Susuka氏、アルトクール氏、ジャム・パンナ氏、Moon.rise氏、Yuukin0248氏、ぽてから氏、121.107.209.16氏、大和屋敷氏は、硯箱氏よりもWikipediaの方針を深くご存じでいらっしゃいます。そのような方々から見て、独自研究であるとか、理解しがたい記事だと言われる要素が存在するということは、百科事典としては不備が存在するということでございます。硯箱氏が自身の主張以外のすべてを、記事においても議論においても排除し続けようとなさった結果が、今の状況となっていることをご認識され、ルールを尊重していただきたく存じます。議論が円滑に進むことを優先し、Greenland4氏に議論を進行していただくことは非常に有り難いのですが、硯箱氏が希望されるように、自身が支持する学者の本だけを使い、自身が支持する執筆者の意見だけに聞く耳をもつなどは、ウィキペディアにおいては受け入れられる主張ではないということは、ご認識いただく必要があると考えております。実際、硯箱氏の矛盾発言は多く存在し、議論の進行の妨げにならないようにそれを指摘する等の発言を控えておりましたが、最低限、これだけはお伝えせねばと感じた次第でして、述べさせて頂きました。失礼いたしました。--雅ハルカ会話) 2017年6月15日 (木) 12:55 (UTC)

コメントGreenland4様の提案に賛成ですが(特にこのジャンルに詳しくないですが、それでも腑に落ちる内容でした)、これまでの経緯があるし、上で議論があっていたので、ちょっと提案がはやいかなとは感じました。「政教分離」はヨーロッパでできた概念で、でも他の国の歴史を振り返る時にも使えるというのが、ややこしくなっている原因でしょうか。「政教分離の歴史」というタイトルで、すべての国の政治と宗教の分離を書くのは物理的に無理で(いくらでも長くなっちゃうので)、「政教分離の歴史」というタイトルにするなら、「政教分離の歴史」はヨーロッパにして各地域は別記事にするか、「政教分離の歴史」は各地域の記事へ誘導する記事にして、ヨーロッパも別記事を立てるか、2択かなと思いました。

TEN様もおっしゃってますが、せっかく記事を改善できる機会なので、感情的な部分を抑えることはできないでしょうか。コメント依頼の後だけ見ると、硯箱様の方が冷静に見えています。冷静じゃないと思われるような言葉が混じると、いい意見も伝わらないかもしれません。あと、いろんな人が問題を指摘している現状の内容から記事名を考えるより、読者にとっていい記事を設計して、それに合わせた記事名にするといいと思います。--ジャム・パンナ会話) 2017年6月15日 (木) 12:46 (UTC)

  • コメント 簡単に結論だけ述べることといたします。
  • (1)「1 政教分離における歴史学的視座」(約9万3,000バイト)→削除
 →→本人が了承しているので良いと思います。
  • (2)「2.2 古代のキリスト教思想(~500年)」(約3万7,000バイト)→記事「初期キリスト教」へ移動
 →→簡単ですが少々安易ではないかと思います。(どうしても反対ということではございません)
  • (3)「2.3 キリスト教普遍世界(500年~1500年)」(約28万8,000バイト)→記事「中世ヨーロッパ」へ移動
 →→簡単ですが少々安易ではないかと思います。(どうしても反対ということではございません)
  • (4) 記事名は「政教分離の歴史」を維持
 →→再考すべきであろうと思います。
  • (5)合衆国憲法制定(1787年)、フランス革命(1789年)、ナポレオン法典(1800年)、ドイツ国制の政教分離(1803年)、あたりまでを射程に入れる
 →→現時点では方向性が定まっていないため保留
  • (6)1510年代(マキァヴェリ『君主論』1513年、ルター『95ヶ条の論題』1517年)から書き起こす
 →→「政教分離(政教分離原則)」の歴史・成立史とするのであれば、聖職叙任権闘争、宗教戦争、フランス革命などの局面は含まれるのではないでしょうか。--雅ハルカ会話) 2017年6月15日 (木) 12:55 (UTC)

賛成 新たにコメントを下さった皆様、そしてこれまで記事改善に参加してくださったすべての人に感謝の意を表明します。私が2016年1月から2月にかけて分割転記をし(その時の版はこれです)、同年12月に当時IPアドレスであった硯箱さんが差し戻しをされ[85]、以来議論が続けられました。(なお、ぽてからさんが過去ログを紹介してくれましたが[86][87]2017年2月24日までのものでそれ以降の過去ログが表示されていませんので、3月26日までの議論も参照をお願いします)

私の意見は3月5日の文献調査報告で大方は言い尽くしており、「政教分離」は宗教改革、アメリカ独立、フランス革命などがメルクマールとなるという理解が一般的であること(「政教分離」『歴史学事典』弘文堂:11巻及び12巻)、そして硯箱さんが保持しようとしているwikipedia記事「政教分離の歴史」は、『歴史学事典』でいえば「キリスト教と国家」項が骨格としては似ており、そのことは硯箱さん(当時IP)も「これを中心に整理するとわかりやすい」と発言されていました(2017年3月5日 (日) 16:05 (UTC))。この時に合意できたはずだったのですが、お互いに感情もあり、相手を反駁することに勢いをつけすぎて、このような長いやりとりになったと思います。私の当初の分割転記の理由は記事の肥大であったので、Greenland4さんと硯箱さんとの間で合意ができるのであれば私も合意します。ただ、分割後にあらたに問題を提起する可能性はございます。

「政教分離の歴史」として中世から書き起こすことについては、私の3月5日の文献調査報告における樺山紘一「キリスト教と国家」(歴史学事典第12巻)での①初期キリスト教②ビザンツ③ゲルマン諸国家④宗教改革⑤近代の政教分離という区分、また新カトリック大事典II「政教分離」の教皇権と皇帝権以来の展開や、宗教の事典(朝倉書店)「政教分離・政教一致」などから、合意します。

硯箱さんはwikipediaに失望されていると表明されていますが、私は今回のまとまりをみてwikipediaに希望をみます。どうか硯箱さんにおかれましても、wikipediaのすばらしいシステムを見捨てないでほしいと思います。--121.107.209.16 2017年6月15日 (木) 13:50 (UTC)

賛成 自分の意見を表明していなかったので、提案された6点について賛否を書いておきます(基本的に賛成ですが)。

(1) (2) (3)について、賛成です。
(4) について。「キリスト教国家論の歴史」よりは「政教分離の歴史」の方がベターだと思いますが、議論の余地は大きいと思います。
(5) (6)について、賛成です--TEN会話) 2017年6月15日 (木) 14:04 (UTC)

コメントみなさま、どうもありがとうございます。ぽてからさんの御指摘、

「「政教分離の歴史」が「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすい名」とはいえないと考えております。翻訳本では「政教分離」よりも、むしろ「教会と国家(Church and state in medieval Europe)」などの和訳が多く見られるのではないでしょうか(教会と国家の分離原則 Separation of Church and State等)

の部分ですが、「中世ヨーロッパにおける教会と国家」ということであれば、本記事の現状は割とそれに近い守備範囲・内容になっていると思います。したがって、現記事の削除や移動を極力控え、「1 政教分離における歴史学的視座」を史実に落とし込んでいって「中世ヨーロッパにおける教会と国家」という記事に仕上げるというのは、方向性としてはアリだと思います。ただし、これには"in medieval Europe(中世ヨーロッパにおける)"の部分を絶対に省略してはいけません。中世ヨーロッパにおいてはそもそも「政教分離」は未だ実現していないのですから、「政教分離」の言葉は使えないのです。その時点では使えない言葉を持ってきて「ほら、使っていないじゃないか」というのは、いささかアンフェアに感じます。とはいえ、誰が落とし込んで、誰が仕上げるのかという問題はあるにせよ、そのセンで全員の合意がとれるのであれば、それはそれで結構だと思います。一方、「政教分離」という言葉については、ブリタニカ、知恵蔵、デジタル大辞泉、マイペディア、世界大百科事典、大辞林、ニッポニカからの引用があって、これほど多くのソースから用語解説のなされている語ですから、「日本語話者の大多数にとって、(曖昧さはともかくとして)、最も理解しやすい名」であることはまったく問題ないでしょう。ちなみに、コトバンクで「教会と国家の分離原則」を内部検索しても1件もヒットしません。したがって、「教会と国家の分離原則」という語もまた一般的ではない(それを称して日本では「政教分離」と称するのがむしろ一般的)ということなのです。「政教分離」の語を忌避する理由はあまりないものと思います。これに関しては、TENさんがおっしゃった、

「政教分離」という単語が指す事象について、硯箱さんとその他の論争参加者の間で一致していないように思えます。

という言葉がすべてを物語っていて、実際、コトバンク内でも、TENさんが指摘された「西ヨーロッパ世界における固有の歴史的事象として発生した(不可分のものとして存在した)教会権力と世俗国家の分離現象」と「現代政治における政治と宗教の分離を指す一般名詞」の2つの捉え方が併存しているように思います。後者に引っ張られると、確かに「政教分離はヨーロッパの専売特許ではない」という意見は一般論としては成立しうるわけですが、しかしながら、だからといって「政教分離の歴史 (日本)」という記事が書けるかというと、どちらかといえば日本史畑の自分であっても正直書けないです。確かに中世末には日本でも一向一揆のような宗教戦争があったことも、近世(江戸期)が前代にくらべて世俗的、脱宗教的(脱仏教的)になったことも事実ですが、その一連の流れを「政教分離」のことばで表現しうるか、「政教分離の歴史」という記事が書けるかはまた別問題です。原理原則の確立といえるほどではなく支配層の属人的な要素が大きいですし、江戸期隆盛の儒教や国学、これを「宗教ではない」と断じかねるところがあります。一方、憲法原理としての政教分離は、憲法ないし立憲主義そのものが欧米を起源としている以上、これは広く欧化政策なり欧米化の所産であるわけで、その意味からはカッコなしの(断り書きや限定なしの)「政教分離」とくに「政教分離の歴史」なる歴史事象はほぼ西ヨーロッパ世界に限定されるものとみてよいのではないでしょうか(コトバンク「世界大辞典」「知恵蔵」もそういう記述になっています)。トルコ革命の事例や日本国憲法の事例は、だから「政教分離の歴史」の「後史」には加筆しうるのです。これらの地域の西欧化、それがまた世界史でもあるからです。

そう考えた場合、本記事をベースにした「中世ヨーロッパにおける教会と国家」という記事があってもよい、そして、本記事をベースにするなら、それと同じくらい、あるいはそれ以上に「政教分離の歴史」という記事があってもよいとは言えるのではないでしょうか。フランス革命まで射程に入れるということが了解されるのであれば「中世ヨーロッパ」では収まらないわけなので、結局は「政教分離の歴史」の記事はつくらざるをえないし、つくってもよいということになるのではないかと思います。2つつくるのなら「中世ヨーロッパにおける教会と国家」「政教分離の歴史」の2つつくってもいいが、1つならば「政教分離の歴史」に落ち着くだろうし、そうせざるを得ないのではないかというのが私の見通しです。2つつくることに関しては異論ありません。--Greenland4会話) 2017年6月15日 (木) 15:15 (UTC)(字句の一部を修正)--Greenland4会話) 2017年6月16日 (金) 15:10 (UTC)


コメントこんにちは、Moon.riseです。「こちらの主ページの守備範囲」と「改名の可能性」について、いくつか申し上げさせてください。 こちらの主ページの守備範囲について、記事名がどうなるかを別にすれば、輪郭が見えるようになりつつあるのだと思います。 拾い上げさせていただきますと、「中世ヨーロッパにおいて、国家権力と教会権威の分離の過程を、1510年代から1810年代までの範囲で記述する」という所でしょうか(この見立てで正しければ『国家権力と教会権威の分離』は記事名のひとつの案として出せるかもしれません)。 例えばぽてからさんとIP:121.107.209.16さんが、共に叙任権闘争などの追加を挙げられていますが(これまで硯箱さんの差し戻しを受けていたとお見受けしますが)、 これらについても改めて、記述に加える可能性を検討されるのが好ましいと思います。

改名の可能性、適切な記事名は何か、これに直接お答えするではありませんが、参考になると思う意見を申し上げさせてください。 こちらの主ページを「何か雑多な歴史的記述」(本気でいっているわけではありませんので念のため。悪い例です)にすることの危険性についてはすでに述べました。 今回はほぼ逆の側面について述べます。「記事名について出典はいらない」ということです。

例えば一覧記事で「マーケティング手法の一覧」という記事があります。 お分かりだとは思いますが、恐らく直接に「マーケティング手法の一覧」という単語について出典を要求されても、一言一句おなじ出典はないでしょう。 他に「宝塚歌劇団によって舞台化された作品の一覧」でも「シェイクスピアの文句を題名にした作品一覧」でも構いませんが。 例えば分割された(と思われる)記事で、「ONE PIECEの世界における年表」や「ONE PIECEの登場人物一覧」や「相棒の登場人物」という記事があります。 お分かりだとは思いますが、一言一句おなじ出典はないでしょう。 実例だけではなく、ルールも見てみましょう。 Wikipedia:検証可能性では、「記事には、信頼できる情報源が公表・出版している内容だけを書くべきです」とあります。 記事内容と記事名を混同してはいけません。 Wikipedia:記事名の付け方には、一言一句おなじ出典を求めるなどという記述はありません。 それどころか、Wikipedia:記事名の付け方#ある記事の子記事を作る場合には、「バスケットボールにおける望ましくない競技態度」という記事名の例があります。 くどいとは思いますが、「バスケットボールにおける望ましくない競技態度」という記事名を、直接的な出典がないと否定するのは、Wikipediaのルールからは出てこないものです。

より大事なことは、例えば「バスケットボールにおける望ましくない競技態度」という記事名が、その記事に何から何までを書くべきか、逆に書くべきでないかを、明らかにしているということです。 その意味では、出典はあれども今になっても記事の守備範囲が確定しない「政教分離の歴史」という記事名は、出典のない「バスケットボールにおける望ましくない競技態度」という記事名よりも、むしろ問題があると思われます。

硯箱さんはこれまで、「キリスト教国家論」の出典を示してくださいということを繰り返し主張されてきました [88][89][90]端的には「検討の余地もありません」とまでいわれていますが、それはルールを理解されていないご主張だと思います。私のこちらでの説明をもちまして、硯箱さんに撤回を求めます。

話を戻しますと、もし「政教分離の歴史」という記事名を改名するなら、(先に守備範囲を合意してから)いかに「何から何までを書くべきか、逆に書くべきでないかを、明らかに」できる記事名にするかということでしょう(あるいは、それに代わる措置を取れるか)。 仮に「政教分離の歴史」のままにした場合で、30年後を考えてみてください。Greenland4さんもぽてからさんも大和屋敷さんも立ち寄らなくなった「政教分離の歴史」に、誰が何を書き込むでしょうか。それは分かりません。 例えばもし、日本の「政教分離の歴史」についてこちらの主ページに入れるべきではないとするなら、それを分かるように形にして残しておくのが望ましいと思います。--Moon.rise会話) 2017年6月15日 (木) 17:51 (UTC)

(Moon.riseさんへ)私に直接向けられたメッセージに関わることだけお答えします。まず叙任権闘争という記述を拒否したという事実はありません(現に私の加筆箇所ではその政教分離の歴史における意義も含めて叙任権闘争について詳しく記載されていることが確認されるはずです)。相手側が中世については叙任権闘争くらいに限定すべきというような発言があったので、それは違うということを申しました。次に記事名のことですが、「マーケティング手法の一覧」にせよ「宝塚歌劇団によって舞台化された作品の一覧」にせよ「バスケットボールにおける望ましくない競技態度」にせよ、誰もが何であるか明確にわかります。「マーケティング手法」がどんなものであるか、「宝塚歌劇団によって舞台化された作品」がどれを指すのか、「バスケットボールにおける望ましくない競技態度」が何を指すのか、一定程度の知識があれば誰もがわかるというのは共通理解が存在しているということです。しかし翻って、では「キリスト教国家論」と聞いてMoon.riseさんは何を思い浮かべるのですか?この用語に共通理解があるとは思われますか?共通理解がない場合でもその用語に信頼できる出典があって、その出典が守備範囲を明確にしているならまだその内容について書けるでしょう。しかし今回出典は示されていない。私が「キリスト教国家論」について「検討の余地もない」といったのは共通理解もなく、検証可能性も満たさないので、これじゃその内容についてとても合意できないし、それこそあとから「キリスト教国家論」に誰かが記述を追加したときやあとから今回と同様の議論が起こったときに、近世の国家理論なのか(出典あり)、神学論なのか(出典あり)、それとも中世の政治思想の歴史の別名がキリスト国家論なのか(私はこれはあり得ないと思いますが)、また同じ事を延々と繰り返すことになりますと言っているのです。「キリスト教国家論」に共通理解があるとは思えないこと、用語の出自や守備範囲を明確にした出典もないこと、これらの二つを持ってとても検討できないと言っているのです。実際Moon.riseさんは「キリスト教国家論」と聞いて、それが何を指すか明確であると思いますかということです。
ウィキペディアの記事名の付け方には5原則があり、
  1. 認知度が高い - 信頼できる情報源において最も一般的に使われており、その記事の内容を表すのに最も著名であると考えられるもの。
  2. 見つけやすい - 読者にとって記事の中で見つけやすいもの(そして編集者にとって最も自然に他の記事からリンクできるもの)。
  3. 曖昧でない - その記事の内容を曖昧さなく見分けるのに必要な程度に的確な名称であること。
  4. 簡潔 - 短く、要点を突いているもの(曖昧さ回避の場合でも、括弧内を短く保つことは必要です)。
  5. 首尾一貫している - 他の似たような記事においても、同じように使われているもの。
ということが挙げられています。「キリスト教国家論」という記事名に共通理解が無ければ、1. 2. 3. 5.は明らかに満たせません。それに、例示された一覧記事と違って「キリスト教国家論」は明らかに形態として用語ないし術語です。その用語が成立しているかどうかという出典は1.を満たすために重要な要件であると思われます。これは満たされているとは思われません。再三再四にわたる出典の明示の要求についてはいまだに回答されていないのです。対して「政教分離の歴史」についてはすでにこれまでの議論でもその指す内容について明確化されてきていると私は思います。--硯箱会話) 2017年6月15日 (木) 22:17 (UTC)
サイズを度外視すれば、本記事の中世部分の内容(「2.3 キリスト教普遍世界」相当部分)は、決して「雑多」ではないし、「文字列」などと呼ばれるものではないように思います。むしろ、はっきりした一つの意思にもとづいて叙述されているように感じます。中世国家について説明する、中世のキリスト教会について説明する、そして国家と教会の関係について説明するということで割と一貫しているのではないでしょうか。きちんと理解しよう、理解させようということであれば当然そうなるわけで、こういうやり方で史実を丁寧に積み上げていけば分量が大きくなってしまうのは、ある意味しかたないことです。百科事典の書き方というよりは、書籍の書き方だとは思いますが。「安易」という指摘を受け、自分としてもいささか安易という気がしないでもないですが、これに社会経済的内容を付け加えれば充分「ヨーロッパ中世」という単独記事として通じる内容とボリュームじゃないかと考えるので、そっくり移動するのがよいと思います。また、中世部分に「1.政教分離における歴史学的視座」を精選・整理したうえで加筆し、「中世ヨーロッパにおける教会と国家」なる記事をまた別につくることも反対しません(むしろ、お願いしたいくらいです)。それ自体が政教分離の歴史を理解するうえでの優良なレファレンスになるでしょう。
その部分を移動させたとしてあらためて「政教分離の歴史」を考えた場合、Moon.riceさんの「(先に守備範囲を合意してから)いかに「何から何までを書くべきか、逆に書くべきでないかを、明らかに」」という御指摘はまったくおっしゃる通りだろうと思います。そして、ぽてからさんとIP:121.107.209.16さん、雅ハルカさんが叙任権闘争の追加を挙げられていますが、これについてはぽてからさんが掲げてくださったコトバンク「世界大百科事典」にも「ヨーロッパにおいて政教分離は一回的できごとではなく,歴史過程のなかで徐々に進行したが,巨視的に見れば三つの画期を指摘することができる。聖職叙任権闘争,宗教戦争,およびフランス革命である」とありますので、1510年-1810年の内容に叙任権闘争を加えるのは妥当だと思います。
(6)’ 1510年代(マキァヴェリ『君主論』1513年、ルター『95ヶ条の論題』1517年)から書き起こす。叙任権闘争についてもふれる。
…問題はその「ふれ方」ですが、これは私は「従来、協力関係にあった王権と教皇権が対抗関係に変わってきた」程度のごくあっさりしたふれ方でよいのではないかと思います。それでも大きな画期であることは間違いないわけです。あとは、宗教戦争とフランス革命なわけですが、これについては単発的にではなくてある程度連続的に追っていかなくてはいけないと考えます。宗教戦争を説明するためにはルネサンス・宗教改革について最小限度の言及は必要ですし、フランス革命を説明するためには絶対王政に言及せざるを得ないでしょう。ただし、書き方としては事件史的・年代記的な叙述ではなくて思想史的ないし社会史な書き方をしなくてはならないというふうに思います。たとえばルネサンスだったら、これが神中心ではなくて人間中心を謳った運動であり、キリスト教成立以前の文化にはじめて目が向けられた、人びとの教会支配からの解放に道をひらいたという点で画期があり、それまでの共通語(教会用語)=ラテン語から国語への転換が図られた端緒である、そのなかから宗教・道徳から独立した現実的な政治論として『君主論』が書かれた、イタリア戦争で皇帝権・教皇権ともに疲弊して王権や市民が台頭・活躍した、ルネサンス文化はパトロンが教皇や豪商・王侯貴族だったため貴族的性格を帯びた、エラスムスも教会を風刺したということだけを書く(それ以上は書かない)。それだけ書けば、宗教改革との共通点、微妙に違っているところ、決定的にちがうところ、影響関係や連続性、全部書けるわけです。そういうかたちで、ルネサンス―宗教改革―宗教戦争と連ねていってナント勅令の画期性を指摘する。同じような感じで、絶対王政―王権神授説―社会契約説・啓蒙思想―アメリカ独立・合衆国憲法―フランス革命―世俗国家・国民国家の成立(+ドイツでの政教分離原則確立)というふうに連ねていく。こうして政教分離原則の成立や世俗国家の成立というところから逆算してそれに関係のあるところだけを抜いてその概略を書いていけば、たいして分量は食わないのではないかと思います。その過程で、宗教改革のなかの詳細な歴史事実は、記事「宗教改革」へ移すことがなされてもよいと思います。
あるいはまた、ゴールさえ決まっているんだったらゴールから書き始めるという手もあるのではないかと思います。
日本の「政教分離の歴史」については、記事の最後に「西欧以外の政教分離成立史」のような節をあらかじめ設けておいてしばらく様子をみるのがよいと思います。それがある程度まとまって記事化できるようだったら「政教分離の歴史(日本)」という記事がそこから分割・立項できるでしょう。歴史に詳しい方はたくさんいらっしゃいますので、「加筆大歓迎」の構えだけはとっておく必要があろうかと思います。--Greenland4会話) 2017年6月16日 (金) 00:15 (UTC)
Moon.riseです。Greenland4さんへの返信になります。こちらは決して「雑多」ではないし、「文字列」などと呼ばれるものではありません。「すでに述べました」とあるように、2017年6月13日 (火) 18:18 (UTC)の自身のコメントを引いたものであり、(本気でいっているわけではありませんので念のため。悪い例です)としております。しかし、Greenland4さんを不安にさせてしまう、丁寧さの足りない不適切な記述でした。お詫び申し上げます。併せて2017年6月15日 (木) 17:51 (UTC)のコメントに、()内を追記させていただきます。--Moon.rise会話) 2017年6月16日 (金) 09:05 (UTC)
Moon.riseです。硯箱さんへの返信になります。「相手側が中世については叙任権闘争くらいに限定すべきというような発言があったので、それは違うということを申しました」了解いたしました。ありがとうございます。さて、本命となる記事名のお話に進ませてください。
  • 「キリスト教国家論」と聞いてMoon.riseさんは何を思い浮かべるのですか?この用語に共通理解があるとは思われますか?共通理解がない場合でもその用語に信頼できる出典があって、その出典が守備範囲を明確にしているならまだその内容について書けるでしょう。
  • 「キリスト教国家論」に共通理解があるとは思えないこと、用語の出自や守備範囲を明確にした出典もないこと、これらの二つを持ってとても検討できないと言っているのです。
ということで、今回は硯箱さんから「共通理解」と「出典」の2つのご理由をいただきました。「共通理解」の指す所については「「バスケットボールにおける望ましくない競技態度」が何を指すのか、一定程度の知識があれば誰もがわかるというのは共通理解が存在しているということです」ですので、専門用語ではなく一般的な言葉として読んだ時の意味ですね。ここまでは私も同意いたします。一般的な言葉として「共通理解」できるのであれば、記事名として問題ありません。あるいは、専門用語として出典を提示できるなら、それが何を指しているかを明確にできるでしょう。
  • 例示された一覧記事と違って「キリスト教国家論」は明らかに形態として用語ないし術語です。
こちらには同意できません。専門用語ないし術語(テクニカルターム)だと、何をもって明らかなのでしょうか? 提案者の大和屋敷さんも2017年5月9日 (火) 02:33 (UTC)にて「「キリスト教国家」はThe Christian Stateで非常に利用される用語であり、ここから採用することを提案するものです」と述べられています。キリスト教国家、で用語は一度切れるということです。「キリスト教国家の論」として見るのであれば、この区切りでは一般的な言葉としての意味を見るべきではないでしょうか。
硯箱さんのこれまでのご発言を引きます。
  • これ以降必ず改名案には検証可能な文献を示して意見表明をしてください。検証可能性を満たさない改名案は方針的に全く不適切ですから、検討の余地もありません。本文の内容と関連性のある改名の根拠に足る参考文献を示し、ご自身の改名案の整合性を論じてください。(2017年5月27日 (土) 09:09 (UTC))
一般的な言葉としての「共通理解」について硯箱さんが理由に追加されるのは、今回までには見受けられません。あるのは「出典」についてばかりです。本当に当初より、硯箱さんにご理由が2つあがり、「これらの二つを持ってとても検討できないと言っているのです」ということなのでしょうか? 理由が2つあるのなら、「共通理解」についても触れて、一般的な言葉としての意味についての議論も求めるべきでしょう。
  • 「政教分離の歴史」の合意事項がたとえよく理解できなくても、検証可能性を満たさない「キリスト教国家論の歴史」が適切かどうかは方針文書に基づいて直ちに判断できる内容です(2017年6月11日 (日) 02:07 (UTC))
  • ご存知のように、wikipediaでは検証可能なことしか載せないという大原則がございます。検証可能でなければ、議論ができないからです。それは「論点の一つ」という程度のものではありません。検証可能でなければ議論ができないので、合意もできないのです。その点を踏まえて、まず雅ハルカさんは出典のない「キリスト教国家論の歴史」が適切と思っているのですか?お答えください。(2017年6月11日 (日) 02:18 (UTC))
  • 検証可能性を満たしていないのに、合意形成に瑕疵がないとはどういうことでしょうか?検証可能性を満たさなければ合意形成は不可能なはずです。(2017年6月11日 (日) 03:16 (UTC))
やはり見ていっても、硯箱さんが「とても検討できない」理由を2つに増やされたのは、今日からなのではないかという気がいたします。
硯箱さん、どうぞ、素直になってはいただけませんか。--Moon.rise会話) 2017年6月16日 (金) 09:18 (UTC)
コメント 私はこの分野については無知といって良いほどというなか、コメント依頼がうまく機能してある程度の理解がある方が来ていただくことでよい方向に進んでいっているので、嬉しい限りです。さて、私の「無知」の範囲で提案へのコメントをします。
(1) 賛成 いちいち視座を書き込む必要はない。また、「唯一の出典」が張られてしまったので分割するなら削除しいたほうがマシ
(2) 条件付賛成 分割については合意するが、後述の条件を満たさない記述は除去
(3) 条件付賛成 同上。
(4) 中立 「政教分離の歴史」は文献調査もあったように一般的な名称ではない。しかし1,2,3が行われた場合はなにかしらの改名が必然
(5,6) 棄権 私の「無知」ではコメントの余地がないが、簡単に調べた範囲ではその程度が妥当とも考えられる。
「条件」とは
  • [要出典]などがつけられてしまった記述の出典の明記を求める。
    • 「2,3」については出典の明記に協力する物がいる場合(というかいてほしい)、その作業が終わるまで対処(無出典記述の除去)の猶予が必要。私が思うに、重要なのは記事を整理することよりも記事内容から出典のない記述を無くすべき。
しかし、私の意見としては『「条件」を満たすための作業を分割等の作業後に行われるべき』という意見を否定しているわけではなく、出典のない記述を無くなれば問題ないと考えています。--Yuukin0248会話) 2017年6月16日 (金) 10:31 (UTC)

(編集競合になってしまいましたが、そのまま) 閑話休題。書名に「政教分離」と題する歴史書がないかamazonで調べてみました。

といったあたりがヒットしました([91])。ですから、歴史用語として「政教分離」という言葉が決して定着していないわけではないということは最低限言えるのではないかと思います。また、これらの書籍は本記事を「政教分離の歴史」として加筆していこうとするとき、参照されるべき文献だろうと思います。思想書としては、

があります。また、どういう本なのか不明ながら、

  • 市川裕ほか 『ユダヤ人と国民国家―「政教分離」を再考する』 岩波書店、2008年9月。ISBN 4000254081

という書籍がありました。日本史関係では、

があります。蛇足ながら、ライシテに関しては

がありました。なお、「キリスト教国家論」でも検索してみました。18件ヒットしましたが、この文字列をまるまる含む書籍はありませんでしたし、ヒットしたものもカール・バルトの著作以外、本記事と関係ありそうなものはほとんどありませんでした([92])。「キリスト教国家」は404件ヒットしましたが、かなりトンデモ本がまじっている印象です。なお、コトバンクの内部検索でも「キリスト教国家論」は全くヒットしませんでした(ちなみに「食品ロス」は3点、「リソルジメント」は6点の文献からの引用があります)。したがって、現段階では「キリスト教国家論」は「造語」に近いものではないかという印象を受けました。--Greenland4会話) 2017年6月16日 (金) 10:22 (UTC)(文面微修正)--Greenland4会話) 2017年6月16日 (金) 10:46 (UTC)

記事名が話題になっているので、一応ですが、自分の意見、(分割後の名称として)「キリスト教国家論の歴史」よりは「政教分離の歴史」の方がベターだと思います、の根拠について。
現在の記事を活かすという観点に立った場合ですが、誤解を恐れずに非常に単純化して言えば、元々本記事は
「西ヨーロッパ世界における固有の歴史的事件としての教会と国家の分離過程(これを「政教分離」と呼ぶ)を説明する」と言う明確な意図の下
  1. 古代のキリスト教思想(〜500年)・・・・・・教会の成立と世俗権力との融合過程を説明する
  2. キリスト教普遍世界(500年〜1500年)・・・・聖俗一体のキリスト教普遍世界下におけるヨーロッパの史的展開を説明する
  3. 近代社会とキリスト教(1500年〜1800年)・・キリスト教普遍世界における聖俗の分離過程の始まりから終わりを説明する・・・つまり「政教分離の歴史」と言う最初の記事においてはコアの部分
というはっきりとした骨格(文脈と言ってもいいと思います。)を構築しているように思います。この記事のタイトルだけを「キリスト教国家論の歴史」としてしまうと、「キリスト教国家論」が用語として成立しているいないに関わらず、また分割するしないに関わらず、記事名と記事内容を整合させる作業はゼロから立項するよりも面倒な物になるように思います。予測としては改名後の「キリスト教国家論の歴史」は何の記事だかわからないまま長期間放置される事になるのではないかと思うのです。
私としてはGreenland4さんが提案された、「古代のキリスト教思想」と「キリスト教普遍世界」を分離し、コアである近代社会とキリスト教を軸元々の「政教分離の歴史」に加筆してまとめる、と言う枠組みは非常に明瞭でわかりやすい物に思います。安直という指摘はありますが、この場合安直であるというのは分離理由がわかりやすく明確であるということと表裏一体であり、欠点ではないと考えます。付言すれば、日本その他各国の事情やイスラムの事情を記述できないという問題については、これまた後史の節を設ければそこに記載可能という事で、この記事にまつわる論争の大部分をある程度は解決できる案であると思います。その点からは、別の提案である「中世ヨーロッパにおける教会と国家」「政教分離の歴史」の2つつくってもいい。」には賛同しかねる感じです(それが悪いとは思いませんが、最初の分割案の方がより優れていると思います。)
「政教分離」より適切な用語があるのではないか、或いは「西ヨーロッパ世界における固有の歴史的事件としての教会と国家の分離過程」の記述がコアを占める構成などが合意できるかは別の問題ですが、上記の通りどの場合でも「キリスト教国家論の歴史」よりは良いと考える次第です。--TEN会話) 2017年6月16日 (金) 11:32 (UTC)
コメント 私もほぼ同じ認識です。壮大な構想のもとに書かれた記事だと思います。「近代社会とキリスト教」の部分がコアだというのは、まさに私が申し上げたかったことです。ありがとうございました。多くの人にとって、「政教分離の歴史」と聞いて真っ先に思い浮かべるのは、この部分ではなかろうかと思います。教会と国家だけではなく、ここでは農民や市民が歴史の表舞台に登場して大きな役割を果たします。にもかかわらず、コア部分の印象が薄かったために、さまざまな面でボタンの掛け違いが生じ、相互に否定的な感情の応酬が発生してしまったことはつくづく残念なことだったと思います。--Greenland4会話) 2017年6月16日 (金) 15:10 (UTC)

返信Moon.riseさんへ)議論が錯綜する(私が発言すると「硯箱さんがこうだから」という反論がほぼ必ず付くのは皆さんお気づきと思います)ので、あまり「硯箱さんが~」という話はしないでいただきたいのですが(これまでもその連続でこじれています)、メッセージを頂いたら拒否するわけにはいきませんのでお返事いたします。私は現状Greenland4さんの判断を100%信頼しており、議論の流れ、文献の提示の仕方も適切なので、できれば議論を混乱させたくなく、静観したいので、以後は「硯箱さんが~」論法は控えていただきたく思います。そのうえでお答えしますが、私の最初の「キリスト教国家論」についてのコメントは「「キリスト教国家論の歴史」という記事名は別項目として立てたほうがよいと思われます。まずこの記事内容にはキリスト教国家論という用語がまったく使われていませんし、キリスト教国家論という形で明確に議論される内容は、どちらかといえば16-20世紀の間にさかんに論じられたもので、政治思想史の分野が中心となると思われますが、現状の記述は政治史・国制史の内容が主であり、歴史学的に論じられている国家機構における政教分離の歴史を扱っていますから、国家論の記事内容ではありません。キリスト教国家論の記事は別項目として立項されるのが適切でしょう。中世では国家という概念があったかはともかく、政治体がキリスト教的であることは当たり前でしたから、キリスト教国家論という範疇で括るのに適切な事象があるのか疑問に思います。」というものです。このコメントの主意がわからないということであれば、補足しながら解説しますと私が調べた限り、「キリスト教国家 christenstaat」という用語は三十年戦争期・ウエストファリア体制以後、近世になって使われ始めたものであるということが明らかであるように思われます(出典:南充彦『中世君主制から近代国家理性へ』・明石欽司『ウエストファリア条約』)。その一方で「respublica christiana」の訳語として「キリスト教国家」と訳す場合がありますが、これは多くの出典において国家概念とは異なるものということは論じられており、実際に「キリスト教共同体」と訳すほうが一般的です。で、ここで私が言っているのはキリスト教国家という用語は近世の特殊な用語として使われている用例があるんですが、それは「respublica christiana」の訳語ではありません(明石欽司はウエストファリア条約で「respublica christiana」が解体されて「キリスト教国家」体制ができたと言っている。そして明石は「respublica christiana」を「キリスト教共同体」と訳している)。つまり「キリスト教国家」は本記事の記述対象の大部分を占める「respublica christiana」とは明らかに別種のもの、むしろそれを否定するものであることがわかります。要するに、キリスト教国家は中世にはなくて、近世にはじめてできたと明石は言っているんです(明石はウエストファリア条約研究では海外でも学位を取っており、日本における権威の一人です)。だから明石を信頼すれば、キリスト教国家というのは本記事の内容の一部ではあるかも知れませんが、大部分重なりません。もし中世に遡る「respublica christiana」を「キリスト教国家」であると思っているのなら、それはとても一般的とは思えないし、そういう誤解が生じているのならば、本記事の「キリスト教国家」に対してこの場で共通理解は存在していないと思われるということを述べているのです。そのうえで大和屋敷さんが「キリスト教国家」に独自の出典を持っているのなら、それを示せば検証可能にはなるので議論が前進するということを述べているのです。つまり「キリスト教国家論」という用語に「共通理解がない」ということとそれが「検証可能でない」ことは初めから言っているので、それを今日初めて言ったというMoon.riseさんの認識は違うということです。私がもし「キリスト教国家」という記事を書くなら、明確に出典のある近世の用語を採用するでしょうから、共通理解が存在していませんよね?と言えばわかりますよね。そして私の先の発言の用語や術語うんぬんの発言の主意は「キリスト教国家論という言葉は何らかテクニカルタームのような形態を取っているが、実際には何らかの学問領域における共通理解の下にあるとは思えないので、テクニカルタームとして存在しているとは思えない」ということです。--硯箱会話) 2017年6月16日 (金) 11:27 (UTC)

(補足)参考として私がもし「キリスト教国家論」という記事を作り、それを定義するとしたら、どうなるかを示しておきます。「キリスト教国家論は近世の対抗宗教改革の進展によって、イエズス会の影響の下に成立した「キリスト教的国家理性とは何か」を論ずる一連の思想著作群である。代表的著作はゼッケンドルフ『キリスト教国家論』である。」ということになろうかと思います。--硯箱会話) 2017年6月16日 (金) 12:18 (UTC)

コメントTEN様と同じく「キリスト教国家論の歴史」よりは「政教分離の歴史」の方がベターと思いますが、ヨーロッパの政治と宗教の分離の過程を知りたい人が、この記事にたど着けるかどうか、という導線の観点からです。もともとの「政教分離の歴史」への一番太い導線は「政教分離」の政治の節の「詳細は政教分離の歴史へ」という誘導だったと思います(無限ループになっていたので、今は政教分離からの誘導は消しています)。ヨーロッパの政教分離がどのように成立したか興味を持った人が、この記事にたどり着けるか、求めていることが書いてあると分かるタイトルか、というのは大事と思います(一生懸命記事を直しても、そこがかみ合わないと、1日のセッション数が5、平均滞在時間10秒なんて可能性もあります・・・)。議論が煮詰まったら、読者にとってどうかを考えてみてください。わたしはこのへんでフェードアウトします。記事の完成楽しみにしてます。--ジャム・パンナ会話) 2017年6月16日 (金) 12:58 (UTC)

Moon.riseです。硯箱さん。そうであれば、了解いたしました。呼びかけさせていただくのは自粛しておきます。--Moon.rise会話) 2017年6月16日 (金) 16:06 (UTC)
Moon.riseです。Greenland4さんの6点の提案にお返事させていただきます。
(1)(2)(3)そして(5)(6) 賛成
(4) 条件付反対とはいえ、極端に離れた意見を持っているわけではないと思います。まず、こちらの主ページは長く「政教分離の歴史」という記事名であったわけですが、その記事について「何から何までを書くべきか、逆に書くべきでないかを、明らかにできる記事名」になっていなかったからこそ、2006年10月14日 (土) 14:47‎新規作成から今まで、議論が決着しなかったということです。実に、「中世ヨーロッパにおいて、国家権力と教会権威の分離の過程を、1510年代から1810年代までの範囲で記述する」という主題の明確化まで、11年弱も要したわけです。問題が再び繰り返されないことは絶対的な条件であると思います。そのために、記事名によって引き起こされている問題が消えない限り、または記事名をうまくつけて防止すべきことがある限り、「政教分離の歴史」という記事名は反対としなければなりません。
では、記事名から来ていた問題は何か。これまでに大きなもので2点挙がると考えます。①記事内容が政教分離まで到達していない(フランス革命まで到達していないとするべきでしょうか)。②日本における政教分離の歴史など、ヨーロッパ以外についてが加筆される(またリバートされる)。
①はすでに問題ではなくなりました。主題の明確化が果たされ、あとは記事内容で政教分離に到達すれば大丈夫でしょう。②についてです。私はこちらの主ページに、日本における政教分離の歴史などが入ることには、記事内容としては反対です。しかし、現在「政教分離の歴史」と掲げている以上、記事内容として日本やアメリカの政教分離の歴史が加筆されるのは、当たり前のことです。「政教分離の歴史」という記事名は、日本についての編集者でも使いたいのです。アメリカについての編集者でも使いたいのです。ヨーロッパに限られる理由はありません。
勘案いたしまして、私は記事名の例として『ヨーロッパにおける政教分離の歴史』または『ヨーロッパにおける政教分離の過程』を挙げてみます。--Moon.rise会話) 2017年6月16日 (金) 16:08 (UTC)

コメント 日本については、政教分離原則での日本部分を『日本の政教分離』として分割すればよいのではないでしょうか。すでに独立記事として十分な内容になっています。その歴史についてはその新しい記事で加筆していけばよく、この記事がヨーロッパに限定された記事であるならば関連項目なりリンクなりでつなげばよいと思います。なお、これまでの長い議論のなかで副産物として『イングランドとニューイングランドにおける政教分離の歴史』を私が作成しております。--121.107.209.16 2017年6月16日 (金) 17:23 (UTC)

「小まとめ」&それを受けての議論[編集]

小まとめ

今までの御意見を集約すると、以下のようになるんでしょうか(敬称略)。もし、加除訂正あれば教えてください(自由に編集してくださっても結構です)。

提案項目 (1)「歴史学的視座」 (2)古代部分 (3)中世部分 (4)記事名 (5)本論ゴール (6)本論スタート
Greenland4提案 削除 別項移動 別項移動 「政教分離の歴史」 19世紀初頭 16世紀初頭
硯箱 賛成 賛成 賛成 賛成 賛成 賛成
Susuka 賛成 賛成 賛成 賛成 名称にこだわらず 賛成 賛成
ぽてから 反対 条件付賛成 条件付賛成 反対
「教会と国家」or「政教分離原則の成立史」
表明せず 中世から
雅ハルカ 賛成 反対はしない 反対はしない 要再考 保留 叙任権闘争から
TEN 賛成 賛成 賛成 賛成 現記事名よりはベター 賛成 賛成
121.107.209.16 賛成 賛成 賛成 賛成 賛成 中世から
Yuukun0248 賛成 条件付賛成
出典なし記事は除去
条件付賛成
出典なし記事は除去
中立 棄権 棄権
Moon.rice 賛成 賛成 賛成 条件付反対
「ヨーロッパにおける政教分離の過程(or歴史)」
賛成 賛成
合意形成の状態 反対あり 合意
対処後に出典追加
反対あり 合意 意見混在

引き続き、御意見をお願いします。 --Greenland4会話) 2017年6月17日 (土) 01:31 (UTC)

小まとめを受けてのコメント

コメント 非常に建設的な議論となっておりますこと、大変うれしく思います。(1)の削除に反対するものではありません(活かせるところは活かせれば、とは思いますが)。また、「政教分離の歴史」は政教分離原則#歴史にリダイレクトがいいんじゃないかと思ってます。ごく一般の日本語話者が「政教分離の歴史」と聞いて想像するのは、日本の政教分離原則、新宗教と政治団体などとの関わりでしょう。ちょっと詳しい人は大本生長の家、一般的な現代人であれば創価学会との政治の関係性や靖国神社と政治の関わりなど、憲法20条の「政教分離」規定を想定されるのじゃないですかね(『国家と宗教の間―政教分離の思想と現実』 (教文選書))など。歴史に興味がある一部の人でなければ、中世ヨーロッパからを一番に想定しないんじゃないかと思います。「中世ヨーロッパの政教分離」「ヨーロッパにおける政教分離の過程」などとこの記事の守備範囲を明確に表した記事名にするのであれば、「政教分離」「歴史」という単語を使うことに反対するものではありません。この記事にまだ加筆されてないような近代については、政教分離原則#歴史に書くという方法もあるでしょう。--ぽてから会話) 2017年6月17日 (土) 04:23 (UTC)

  • 報告 次段階に進む節目になると考え、見やすさのため節分割いたします。これを不適切と思われる方はGreenland4さんでも、どなたでも、差し戻しいただいて構いません。--Moon.rise会話) 2017年6月17日 (土) 05:20 (UTC)
    • 報告 ありがとうございます。気が利かなくて申し訳ありません。まだ御意見を表明されていない方もおられるのでサブ節化しました。--Greenland4会話) 2017年6月17日 (土) 05:51 (UTC)
返信 ぽてからさん、ありがとうございます。(2)・(3)についてはいかがお考えですか。--Greenland4会話) 2017年6月17日 (土) 05:51 (UTC)
(2)(3)(5)はまだ考え中ですが、中世ヨーロッパに絞ったほうが、完成度の高い記事にできそうだとは感じてます。移動は必要でしょうから、とりあえず(2)(3)の通りに移動し、その後、再度の移動提案も妨げられることはないということであれば 賛成 とします。--ぽてから会話) 2017年6月17日 (土) 06:47 (UTC)
コメント Moon.riseです。(2)古代部分(3)中世部分についてのコメントです。ぽてからさんの「移動は必要でしょうから(中略)その後、再度の移動提案も妨げられることはないということであれば」というご意見、雅ハルカさんの「少々安易(中略)どうしても反対ということではございません」というご意見からいたしますと、初期キリスト教中世ヨーロッパへの記事分割、その後にノート:初期キリスト教ノート:中世ヨーロッパで「主題の明確化および記事名の再確認」を行なう(併せてTemplate:正確性などの再確認も行なう)という手順であれば、広く合意が得られやすいかもしれません。
特に中世ヨーロッパなどはまた「様々な分野の編集者が欲しがる記事名」になっていますので、記事名の再確認は必要性が感じられます(現状、「中世ヨーロッパ」の項目は「中世」へのリダイレクトになっていますので、やはり今のうちから別の記事名も検討しておくべきでしょうか?)--Moon.rise会話) 2017年6月17日 (土) 07:25 (UTC)
コメントぽてからさん、Moon.riseさん、ありがとうございました。(4)と(6)を除くと、合意が成立しそうな雰囲気ですね。私の提案に賛否を寄せられていない方もおいでですから、もう少し待たないといけませんが、数日待っても反対する人が現れない場合は、(1)~(3)の移動・削除の作業に入ってもよいかもしれません。誰も異論のないところとしては、Yuukun0248さんの指摘された「出典なし箇所の解消」があるでしょう。これについては、移動作業が終わった後でよいので、加筆者か否かを問わず、みなさんに出典添付をぜひお願いしたいです。大したことはできませんが、私も協力させていただきます。(1)については、削除しても履歴にはのこりますので、履歴継承さえちゃんとおこなえばどなたでも再利用が可能です。(2)・(3)に関しては、さしあたって「初期キリスト教」「中世ヨーロッパ」への移動でよいかと思いますが、それ以外の案があればお示しください。(5)についても「後史」の節を設けるセンでだいたいの合意が成立しそうです。のこるは(6)と(4)です。以下、意見というよりはちょっとした感想です。
(6)について。「中世から」という御意見がいくつかあり、こうした御意見はコトバンク「世界大百科事典」にも政教分離プロセスの大きな画期のひとつが「叙任権闘争」であるという説明があるので、一見よさそうなのですが、しかし、「中世から」をまともにやろうとしたからこそ、結果として、現状のような「竜頭蛇尾」の記事になってしまったのだと思います。というのも、叙任権闘争をまともに説明しようとするとカールやオットーの戴冠を説明せざるを得ないのであり(堀米庸三先生も入門書のなかで似たようなことをおっしゃっていたと思います)、戴冠が何故なされたかを説明するためには古代の初期キリスト教のありようだとか、様々なことを説明しなくてはならなくなります。マジメな人ほどそうしてしまうので、結局、同じことを繰り返してしまいます。なので、上でも申し上げましたが、中世についてはごく簡単な言及にとどめて、とっとと宗教改革や宗教戦争に進んだ方がよい。私ならばそうします(時間の余裕ができたらタタキ台をつくることも検討しています)。あくまでも「巨視的にみて」の話ですから、この記事のなかで事細かく叙任権闘争を説明するよりは、むしろ、記事「叙任権闘争」自体を充実させて、そこに誘導した方がよいと思うのです。この記事は、御覧いただければわかりますが、現状では何も説明されていないに等しい状態ですから、どなたか加筆してくださるとありがたいです。
(4)について。現状で「キリスト教国家論」という名前になっているのに、その記事名がよいと主張される方が一人もいないのは意外、というか驚きです。出典がない、本記事との趣旨にあわない、加筆を考慮していない、「論の歴史」になっていない。共通理解がない、守備範囲も明確に示しえない、導線としても問題がある…など、少なくとも現記事名は改める必要がありそうです。ぽてからさんが以前に掲げた「教会と国家」「政教分離原則の成立史」、今 例示されている「中世ヨーロッパの政教分離」「ヨーロッパにおける政教分離の過程」、Moon.riseさんが示された「ヨーロッパにおける政教分離の過程」「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」のなかで、一番よいのは「政教分離原則の成立史」だと思います。というのも、本記事のテーマにまともに向き合うならば「アメリカ合衆国憲法」はふれざるをえないわけなので、「ヨーロッパ」だとまずいのです。議論している途中で私もそのことに気づきました。「じゃ、欧米?」ということですが、それもまた、硯箱さんがおっしゃるように「蛇足」でしょう。それから、以前にも この書き込み で指摘いたしましたが、中世段階ではまだ「政教分離」原則は成立していないので、「中世ヨーロッパの政教分離」は形容矛盾というか、単純に言って間違いなのです。中世史事典に「政教分離」の項目がないのは当たり前の話です。「教会と国家」の場合は、それだけだと非歴史的で雑駁な話題になってしまいますので、それには「中世ヨーロッパにおける」というような形容句をつけないと、そもそも歴史の話になりません。「中世ヨーロッパにおける教会と国家」だったら、確かに両剣論やら叙任権闘争などがそのなかで扱えるでしょう、ということです。そこのあたり、少し混乱されているのではないかと思います。「ごく一般の日本語話者が「政教分離の歴史」と聞いて想像するのは、日本の政教分離原則、新宗教と政治団体などとの関わりでしょう」ということですが、私はそうではないと思いますし、さらに申せば、そういう人たちに対して「歴史的にはその原則というのはヨーロッパで発生したものなのだよ」と教えるのが、本記事の役割だと思います。したがって、消去法的にも「政教分離の歴史」か「政教分離原則の成立史」しかないのかなと思います。これについては、TENさんがおっしゃった 「付言すれば、日本その他各国の事情やイスラムの事情を記述できないという問題については、これまた後史の節を設ければそこに記載可能という事で、この記事にまつわる論争の大部分をある程度は解決できる案であると思います」 のことばで言い尽くされていると思います。--Greenland4会話) 2017年6月17日 (土) 15:11 (UTC)(字句修正--Greenland4会話) 2017年6月17日 (土) 15:57 (UTC))
返信 Moon.riseです。Greenland4さんへの返信になります。「意見というよりはちょっとした感想」ということですが、複数の点で、まずいのではないかと感じました。ひとつひとつ述べていきます。
  • 中世段階ではまだ「政教分離」原則は成立していないので、「中世ヨーロッパの政教分離」は形容矛盾というか、単純に言って間違いなのです。
取り下げ①形容矛盾でもなければ、間違いでもありません。例として「第一次世界大戦」、「釈迦」を挙げておきます。「第一次世界大戦」は、戦争当時にはまだ「世界大戦」としか呼ばれていません。まだ第二次世界大戦が勃発していなかったのだから、当たり前の話です。「釈迦」は、紀元前6世紀または紀元前5世紀ごろに北インドにいた人物ですから、当時にはまだ「ゴータマ・シッダルタ」などと呼ばれ、少なくとも「釈迦」ではありえません(中国地域への仏教の伝来は、1世紀頃と推定されるようです)。百科事典において重要なのは、現在「第一次世界大戦」がどのような意味で使われているか、「釈迦」がどのような意味で使われているかです。
「政教分離」について以前にGreenland4さんがコトバンクを使われていましたので、これを引きますと[93]、「ヨーロッパにおいて政教分離は一回的できごとではなく,歴史過程のなかで徐々に進行したが,巨視的に見れば三つの画期を指摘することができる。聖職叙任権闘争,宗教戦争,およびフランス革命である」ということです。政教分離という用語の成立時期がいつであれ、それが何を指すかは、現在から見るべきことです。
もちろん、本文記事内で「当時は政教分離という用語は使われなかった」という解説は、あるのがよいともいます。「第一次世界大戦」でも「世界大戦」が、「釈迦」でも「ゴータマ・シッダルタ」が、当然ながら解説されています。
話を戻しますと、「当時使われていなかった用語・言い回しになるので、記事名としては不適切」というご主張は、的外れなことでしょう。その後にGreenland4さんが「消去法的にも「政教分離の歴史」か「政教分離原則の成立史」しかない」と続けられていますが、これを理由に消去法を主張されるのは、的外れなことでしょう。私のこちらでの説明をもちまして、Greenland4さんに再考を求めます。
なお、Wikipedia:記事名の付け方には、「記事名を選ぶにあたっては、編集者の関心よりも読者の関心を、専門家よりも一般的な利用者の関心を重視してください」とあることも、申し添えておきます。
  • 本記事のテーマにまともに向き合うならば「アメリカ合衆国憲法」はふれざるをえないわけなので、「ヨーロッパ」だとまずいのです。議論している途中で私もそのことに気づきました。
②アメリカ合衆国憲法にふれるというご提案に、便宜上(7)という番号を振らせていただきます。(7) 反対 いたします。2017年6月14日 (水) 23:55 (UTC)のGreenland4さんの6点のご提案をいただいてから、(6)から(5)までを記事の守備範囲とし、それに記事名をつける(4)とすれば何か、という進行で合意形成を進めようとしているのです。「(6)から(5)+(7)までを記事の守備範囲」とするのであれば、相応しい記事名(4)が何かということは、根底から考え直さなければなりません。
Greenland4さん以外の方から(7)アメリカ合衆国憲法まで記事範囲にしたいという話が出たなら、まだ分かります。しかし、他ならぬGreenland4さんから議論の土台を壊すことになるのは、差し障りあることだと思います。また、これまで賛否投票された8名から「アメリカ合衆国憲法まで記事範囲にしたい」という意見は、出てこなかったのです。
善意にとるということで、(7)についてはGreenland4さんが「議論している途中で私もそのことに気づきました」ということだと受け止めさせていただきます。しかし念のため、善意にとることをやめてしまえば、「すでに記事名が6案挙がるなかで、記事範囲に(7)を追加すれば、不適切として4案を廃案にできる」という、非常に危ない議論進行にも見えるということを指摘させていただきます。
合意形成のためにするべきことは、「記事名4案を廃案にする」ことではありません。「(7)を廃案にする」ことではありませんか。
また、Greenland4さんご自身が「叙任権闘争をまともに説明しようとすると(中略)結局、同じことを繰り返してしまいます」と挙げられています。現状どうしても、記事範囲を絞ろうという方向で考えることは、非常に重要なことだと思います。
  • 現状で「キリスト教国家論」という名前になっているのに、その記事名がよいと主張される方が一人もいないのは意外、というか驚きです。
  • 出典がない、本記事との趣旨にあわない、加筆を考慮していない、「論の歴史」になっていない。共通理解がない、守備範囲も明確に示しえない、導線としても問題がある…など、少なくとも現記事名は改める必要がありそうです。
③それは、前提条件の設定に誤りがあるのではないでしょうか。「まず、改名議論を脇において、先に本記事の立項目的・守備範囲を合意するべきだと思います」ということを掲げて、例えば大和屋敷さんには我慢して待っていただいて(と推察しております)、「中世ヨーロッパにおいて、国家権力と教会権威の分離の過程を、1510年代から1810年代までの範囲で記述する」という案を、「現状記事内容+現状記事名」に対する対案になる所まで育てていこうとしている。私、Moon.riseはそのように理解しています。
「新たに設定する記事の守備範囲に対して、記事名をどうするか」という前提条件つきでの議論に、「キリスト教国家論の歴史」がよいという主張が挙がってこないというのは、当然のことでしょう。
逆に申し上げまして、『記事内容(および守備範囲)は現状のままとする』『記事名の案は「キリスト教国家論の歴史」「政教分離の歴史」2択のみとする』という、ここまで強い限定がつけば、私は苦しみつつも、「キリスト教国家論の歴史」を推します。
また、「キリスト教国家論の歴史」という記事名は、大和屋敷さんが2017年5月9日 (火) 02:50 (UTC)に提案され、賛成4反対1までの合意形成(もしそれが合意形成として完全でないとしても)をもって、2017年6月8日 (木) 10:37に移動されたものです。当時において決して支持の薄いものではありません。
  • 「ごく一般の日本語話者が「政教分離の歴史」と聞いて想像するのは、日本の政教分離原則、新宗教と政治団体などとの関わりでしょう」ということですが、私はそうではないと思いますし
④私について申し上げれば、ぽてからさんに同意で、「日本の政教分離原則、新宗教と政治団体などとの関わり」が挙がります(より正しくは、日本について、ヨーロッパについて、同時に挙がります)。
ここまで長文で、様々なことを申し上げさせていただきました。最後に挙げさせていただきたいのは、私からGreenland4さんへの感謝と敬意を述べさせていただきたいということです。Greenland4さんは知識も深く、説明は分かりやすく、6点のご提案など熱意でも現状を合意形成に向けてリードしてくださいました。Greenland4さん、ありがとうござます。それを思いますと、今日の私からの批判は無礼でもあるかもしれません。これがもしも、顔と顔を合わせての会議であれば、私はここまでを一気に述べてから、立ち上がってGreenland4さんに頭を下げる場面であるように思います。
「新たにコメントを下さった皆様、そしてこれまで記事改善に参加してくださったすべての人に感謝の意を表明します」という121.107.209.16さんのお言葉があります。「非常に建設的な議論となっておりますこと、大変うれしく思います」というぽてからさんのお言葉があります。私からも同じ気持ちです。ここでぎくしゃくしたくはありません。あと一歩か二歩か三歩か、慎重に進んでいきたいものです。どうぞ、よろしくお願いいたします。--Moon.rise会話) 2017年6月17日 (土) 21:15 (UTC)
横から失礼します。TENです。すみません、本筋の議論とやや逸れるのですが、主題理解に関わる事と思うので簡単にコメントさせてください。
  • 中世段階ではまだ「政教分離」原則は成立していないので、「中世ヨーロッパの政教分離」は形容矛盾というか、単純に言って間違いなのです。
と言う文章は、Moon.riseさんが挙げられた第一次世界大戦釈迦の例では否定されえないです。
第一次世界大戦がその当時どのような名前で呼ばれていたとしても(世界大戦とか欧州大戦だと思いますが)、ある名前で呼ばれる、当時の主要国全てが参加する大戦争が20世紀初頭にあったという事実が存在するわけです。釈迦にしても、当時「ゴータマ・シッダルタ」や、或いは別の名前で呼ばれていたとしても、仏教の開祖と見られるある人物、は存在していたわけです。どういう名前で呼ばれていようと、その事件、その人物が、当時存在していた事実はあるわけです。
翻って、政教分離については、その名前で呼ばれる「ある事象」が中世の段階では明確な形で表れておりません。つまり「中世ヨーロッパの政教分離」と言う名称が間違いである、と言うのは極端に言えば「中世ヨーロッパの第一次世界大戦」とか「100万年前の釈迦」と言う名称がおかしいというのと同じことです。中世の段階では「政教分離」なりなんなりで呼ばれる事象がまだ発生していないので名前には使えない、と言うことです。問題なのは用語が当時使われていなかったことではなく、当時そんな出来事も人物も存在していない、と言うことなのです(政教分離については、その開始時点を中世に置くことも不可能ではない、と言うのがややこしいところだと思いますが)。
他の部分については慎重に扱うべきと言う意見は一理あると思うので別途話すべきと思いますが、上記の点についてはやや強く表現すれば「はっきりしている」ところだと考えます。--TEN会話) 2017年6月17日 (土) 21:51 (UTC)
返信 Moon.riseです。TENさんへの返信になります。「政教分離については、その名前で呼ばれる「ある事象」が中世の段階では明確な形で表れておりません」というTENさんのお言葉を信頼して、基礎にするのであれば、「中世ヨーロッパにおいて、国家権力と教会権威の分離の過程を、1510年代から1810年代までの範囲で記述する」という記事範囲において、記事名の案として「政教分離」という用語はすべて失格になります。
これまでにGreenland4さんが「「政教分離」という言葉については、ブリタニカ、知恵蔵、デジタル大辞泉、マイペディア、世界大百科事典、大辞林、ニッポニカからの引用があって(中略)「政教分離」の語を忌避する理由はあまりないものと思います」というあたりで触れられています内容から突き合わせると、TENさんのお考えはGreenland4さんのお考えともかい離があるでしょう。
TENさんが「中世ヨーロッパの第一次世界大戦」とか「100万年前の釈迦」がおかしいとされるなら、「1510年代から1810年代までの政教分離」もおかしいとされるべきです。--Moon.rise会話) 2017年6月17日 (土) 22:12 (UTC)
返信 TENです。編集競合してしまったのですが、この位置に返信させてください。
返信ありがとうございます。改めて返信致します。ちょっと長くなりますがお付き合いください。
前提としてですが、私の認識としては以下があります。
  1. 本記事は元々「西ヨーロッパ世界固有の歴史的事件である教会と国家の分離現象」を「政教分離」と呼び、その過程(歴史)を説明しようとしていた。
  2. 「中世ヨーロッパ」と言う言葉はざっくり「6世紀(ユスティニアヌスによる古代ローマ帝国復活の試みが失敗したあたり)からルネサンス前あたり(15世紀)までのヨーロッパ」と言う点は広く共有された認識と思っています。つまり「中世ヨーロッパ」を年号に直すと500年~1500年くらいまでになります。
  3. 「歴史的事件である教会と国家の分離現象」の始まりをこの記事は宗教改革あたりに置いて書いており(これを維持するかどうかについてはまだ決まっていないものと理解していますが)始まりが1500年代となる。
  4. 「歴史的事件である教会と国家の分離」の終了はフランス革命や、ドイツの帝国代表者会議主要決議(記事があった!)あたりに来ることから、大体1800年代初頭となる。
つまり「中世ヨーロッパの政教分離」と言う記事名を、上の理解に従って翻訳すると「(500年~1500年のヨーロッパ)の(1500年代~1800年代初頭における教会と国家の分離現象)」となります。「中世ヨーロッパの第一次世界大戦」もまた「(500年~1500年のヨーロッパ)の(1914年~1918年の大戦争)」となることからおかしいです。つまり両者は同じ種類の誤謬です。これがGreenland4さんの言う所の「形容矛盾」「間違い」になると理解しています。よってはっきりと間違っていると考えます。
Gleenland4さんの提案(1)(2)(3)が実施された場合、本記事に残る記述は1500年以降の物ですから、その記事は「中世ヨーロッパ(500年~1500年)において、国家権力と教会権威の分離の過程を、1510年代から1810年代までの範囲で記述する」ものではないと思います。
ここまでが、Gleenland4さんの文章を「やや強く表現すれば「はっきりしている」ところ」と解した私の理由になります。この理解がGreenland4さんの見解とかい離しているかどうかはわかりません。
以下は私の記事名に対する見解の再提示ですが、「歴史的事件である教会と国家の分離現象」を「政教分離」と呼ぶのが適切かどうかについては、議論があって当然と思います。何より論争を誘発しやすい名前と言う事で、何かの工夫が必要である可能性はあると思います。が、分割後も本記事の記述が残存する前提の場合、「教会と国家の分離現象の歴史」についての記述であるという骨格が残存するため、新しい記事名が「歴史的事件である教会と国家の分離現象」に対応するものでないと、記事構成の全面改訂が必要になり、また議論を誘発し、結局何も解決しないのではないかと思うのです。そして「キリスト教国家論」と言う単語は「歴史的事件である教会と国家の分離現象」を指すものでないことだけは明確なので、「キリスト教国家論の歴史」よりは「政教分離の歴史」の方がまだいい(記事内容の全面書き換えが必要ないという意味でベター)と言うのが趣旨です。--TEN会話) 2017年6月17日 (土) 23:50 (UTC)
返信 Moon.riseです。TENさんのおっしゃる通りです。「「(500年~1500年のヨーロッパ)の(1500年代~1800年代初頭における教会と国家の分離現象)」となります」となる通り、私がポンコツでした。やっちゃったという所です。ごめんなさい。--Moon.rise会話) 2017年6月18日 (日) 00:13 (UTC)
返信 TENです。謝っていただく必要はまったくないです。既に分割案の議論も非常に長いので多分誰でも勘違いしたり間違ったり途中で意見が変わったり納得できなかったりがあると思います。ただこのやり取り自体は理解を深める過程の一部なので下に書かれたような迷惑とは思いません。私もそのうち変な事言いだすと思いますのでその時はお願いいたします。--TEN会話) 2017年6月18日 (日) 02:11 (UTC)

コメント 議論が錯綜している気がしますが、まずある出来事ないし概念に対して一般的に「歴史」記事を書く際には「原因」「推移」「結果」という構造を持って叙述しますね。具体的に「政教分離」については「原因」について、これはかなり大ざっぱな分け方ですが、その直接の原因は近世のウエストファリア体制や宗教戦争にあるとする論もありますし、叙任権闘争によって生じた普遍世界内部の聖俗二元体制にあるという論も有力ですし、それまでの宗教の基本構造であった相互授受を否定したキリスト教の成立によって宗教の個人主義や社会価値の転倒が起こったというのが遠因だという論もありますし、あるいは人類社会の黎明期において宗教が共同体において価値創造の根拠となり支配者層に独占されていたのが民衆も含めて社会全体に共有されるものとなった(ミノス・ミケーネの神権政治→ギリシャのポリス宗教、周代の社稷→儒教、バラモン教→仏教)ことから宗教の社会問題化がそもそも始まったという論もあります。これはそれぞれその時代に「政教分離があった」という議論ではなく、「政教分離の原因があった」という議論です。ですから「中世の政教分離」ないし「中世の政教分離の歴史」という記事名は中世に政教分離がないにも関わらず、あったかのように誤解させるものですから、これは明らかに不適切です。一方で「政教分離の歴史」が古代や中世に遡るのは基本的に「歴史」記事において構造上の問題があることではありません(上記のどこから具体的に記述するかという議論はありますから、今はそれを議論しているのですね)。--硯箱会話) 2017年6月17日 (土) 23:25 (UTC)

返信 Moon.riseさんが「政教分離」という語をどのように理解されているのかがさっぱりわからないのですが、当方も「消去法」という言葉を使ったり(決してMoon.riseさんのおっしゃる意味で使ったのでもないし、それを「主張」したのでもありません)、アメリカ独立といえばよかったものを「アメリカ合衆国憲法」という言葉を使ったり(歴史の話題ですから当然、合衆国憲法の「成立」くらいは頭のなかで補ってくれるものという甘えが当方にはありました)したことは、誤解を招いてしまったようで申し訳ありません。この方面の専門家ではないので不十分かもしれませんが、「政教分離」とは一般的には「個人における信教の自由」「宗教の政治への不介入」「政治の宗教への不介入」の3点セットで理解されるのではないでしょうか。これが中世ヨーロッパにあったとは思いません。だから、「中世ヨーロッパにおける政教分離」という語は成立しえないと思います。江戸時代の日本にもなかったでしょう。キリスト教は禁止されていたわけですからね。Moon.riceさんは政教分離とは何だというふうに考えておられるんですか? --Greenland4会話) 2017年6月17日 (土) 22:59 (UTC)

(インデント戻す) 返信 Moon.riseです。Greenland4さんへの返信になります。私はこれまで記事名の案でも『ヨーロッパにおける政教分離の歴史』または『ヨーロッパにおける政教分離の過程』とするなど、「中世」という語を外しておりましたが、主題の明確化について表記する際に、「中世ヨーロッパにおいて、国家権力と教会権威の分離の過程を、1510年代から1810年代までの範囲で記述する」としておりました。(1) (2)が記事から分離される以上、その話の時点で気をつけて「中世ヨーロッパにおいて、国家権力と(略)」に修正しておくべきでした。ここにお詫び申し上げます。また、これまで複数個所であった「中世ヨーロッパにおいて、国家権力と(略)」を取り消し線で処置させていただきます。

振り返って、Greenland4さんにご確認させてください。現状の6案、「政教分離の歴史」「教会と国家」「政教分離原則の成立史」「中世ヨーロッパの政教分離」「ヨーロッパにおける政教分離の過程」「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」の中で、あくまで引っかかってくるのは、「中世ヨーロッパの政教分離」のただ1案のみということでよろしいでしょうか? Greenland4さんが「消去法的にも「政教分離の歴史」か「政教分離原則の成立史」しかない」とすっぱり4案切られる中で、「ヨーロッパにおける政教分離の過程」「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」も切られている懸念がありました。--Moon.rise会話) 2017年6月17日 (土) 23:41 (UTC)

報告お詫びまとめ。Moon.riseです。Greenland4さん、TENさん、硯箱さんからコメントをいただくなど、議論を錯綜させてしまいました。簡潔に私の間違いをまとめます。Greenland4さんのコメントの「「ヨーロッパ」だとまずいのです。」「それから、以前にも この書き込み で指摘いたしましたが」あたりを読みつつ、「「中世ヨーロッパの政教分離」は形容矛盾というか」に読み進み、これを「「(1510年代から1810年代)ヨーロッパの政教分離」は形容矛盾というか」と読み誤りました。もちろんGreenland4さんはまったくそんなことを書かれておりません。そして、私が第一次世界大戦などを挙げて反論を書いた所、TENさんから「政教分離については、その名前で呼ばれる「ある事象」が中世の段階では明確な形で表れておりません」というご指摘をいただきました。百歩譲っても、この時点で自分の誤りに気がつくべきでした。それに気がつき損ねた私に、「「(500年~1500年のヨーロッパ)の(1500年代~1800年代初頭における教会と国家の分離現象)」となります」(おかしいでしょう?)という、非常に分かりやすいご指摘をいただいて、平謝りすることとなりました。
Greenland4さんには「Moon.riseさんが「政教分離」という語をどのように理解されているのかがさっぱりわからないのですが」と大変に懸念されてしまった次第です。Greenland4さんに特にお詫び申し上げます。TENさん、硯箱さんにも、ご迷惑をおかけいたしました。
さて、私の方で2017年6月17日 (土) 21:15 (UTC)に①②③④と4つ申し上げております。①は取り下げいたします。②③④はそのままとさせてください。--Moon.rise会話) 2017年6月18日 (日) 00:48 (UTC)
返信 ①②③④が何を指すのか、わかりませんでした。それにお応えすることになるのかどうかはわかりませんが、 2017年6月17日 (土) 23:41 (UTC)にMoon.riseさんが書き込まれた「「ヨーロッパにおける政教分離の過程」「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」が切られている懸念」についてコメントいたします。技術的な話になりますが、「ヨーロッパにおける」という句を付すことによって得られるメリット、デメリットがあろうかと思います。メリットとしては例えば「あ、この記事は少なくとも日本を主語・主題とする記事ではないのだな」ということがハッキリわかることがあげられます。デメリットとしては、例えば「アメリカ、日本、トルコなどについては書けないし読めないんだな」ということがあげられます。メリット・デメリットともにほかにもたくさんあるんでしょうが、両者を勘案するとデメリットの方が大きいと思われるので、「ヨーロッパにおける」はつけない方がよいのかなということです。世界史の話題をヨーロッパ史に限定してしまうことは、むしろデメリットの方が大きいと思われます。上に掲げた3点セットのうち、「信教の自由」ないし「政治の宗教への不干渉」ということでいうと、何といっても「ナントの勅令」が重要で、画期的です(のちに廃止されちゃいますが)。ただ、イングランドのピューリタンが宗教的迫害からアメリカに渡って植民地をつくり、さらに独立するということも重要なのではないでしょうか。「宗教の政治への不介入」ということでいうと絶対主義啓蒙思想やそれにつらなるフランス革命などヨーロッパ大陸の動向がコアな歴史事象だろうと考えますが、ヨーロッパ人がヨーロッパの外部にヨーロッパの教会(国教会、ローマ教会)の影響がおよばない自前の政権を立てるということも、軽視できないものをもっているのではないかと思います。いずれにせよ、最古の成文憲法をもつアメリカが果たした役割は小さくないのではないでしょうか。
日本の場合は、明治初年の岩倉視察団に同行した島地黙雷が日本に政教分離の思想をもたらした仏僧として重要のようです(深く勉強していませんが)。明治国家は「個人における信教の自由」を認めながら国家神道を保護したわけですから、「政治の宗教への不干渉」という点では不十分であった。戦後は、アメリカが国家神道を危険視したこととアメリカの政治・国制そのものの影響を受けたことの両面で、「政治の宗教への不干渉」ということが強くいわれるようになったというような歴史が書かれるだろうし、トルコについては第一次世界大戦で負けたあと、スルタン制、カリフ制、シャリーアが廃止されるなどトルコ革命に言及したいわけですが、これは欧米で「政教分離原則」が成立したあとの話ですから「後史」に書かれるべきでしょう。いわば、政教分離原則はそうやって、本来欧米起源だったものが世界的広がりをもつようになるわけです。
アメリカ抜きに「成立史」が書けないし、非西欧世界への「発展史」(後史)への道を完全に閉ざしてしまう。なので「ヨーロッパにおける」を付けるか付けないのかという議論では、付けない方がベターではないかというふうに考えました。--Greenland4会話) 2017年6月18日 (日) 02:59 (UTC)(字句修正)--Greenland4会話) 2017年6月18日 (日) 03:04 (UTC)
返信 Moon.riseです。「2017年6月17日 (土) 21:15 (UTC)に①②③④と4つ申し上げております」が分かりづらかったということですので、2017年6月17日 (土) 21:15 (UTC)のコメントに番号を追記いたします。さて、「「ヨーロッパにおける」という句を付すことによって得られるメリット、デメリットがあろうかと思います」ということですが、これはその通りだと思います。Greenland4さんの見立てでは、「両者を勘案すると(つける)デメリットの方が大きい」ということですが、私の見立てでは、「両者を勘案すると、つけないデメリットの方が大きい」と思います。
こちらの主ページでは、つい近日まで編集合戦が起きていたように思われます。2017年6月8日 (木) 10:37までは「政教分離の歴史」という記事名でした。大和屋敷さんのコメントを見れば、「日本の政教分離の歴史について書けない」と書かれています[94]。硯箱さんのコメントを見れば、「「政教分離の歴史 (ヨーロッパ)」というのは個人的には歴史学の常識では政教分離は他ならぬ西ヨーロッパ固有で発展した歴史的事象(中略)「(ヨーロッパ)」は蛇足のような気がしますが」と書かれています[95]。TENさんが「「政教分離」という単語が指す事象について、硯箱さんとその他の論争参加者の間で一致していないように思えます」と書かれ[96]、Susukaさんが「TENさんが指摘されたように、二つの意味での「政教分離」を棲み分けするのがよいでしょう」と書かれています[97]。「政教分離の歴史」という記事名で、「書く」「書かない」「削る」「削らない」という意見対立が実際にあったことなのです。杞憂ではありません。実際にあったことには、措置を講じるべきだと思います。「Moon.riseとGreenland4さんの間でなら、編集合戦は起きないのにね」というように、楽観的には見られません。
これが、私の思う「つけないデメリットの方が大きい」ということになります。例えば「アメリカ、日本、トルコなどについては書けないし読めないんだな」という(つけた場合の)デメリットについては、「アメリカ、日本、トルコなどについては別の記事で書けるし読めるんだな」とも考えることができます。また、例えば「ヨーロッパにおける政教分離の過程」という記事名にしていても、数%程度でしたらアメリカの話が入ってきても許されるように思います。それよりも、つけない場合のデメリットとして「編集合戦が再びありうる」ということは、これは非常に大きなデメリットであり、コミュニティの消耗を避けるために、どうしても防止していかなければならないものと思います。--Moon.rise会話) 2017年6月18日 (日) 04:34 (UTC)
返信 おっしゃることは,確かに一理あるかもしれません。アメリカの占めるウェイトをどう評価するかにかかわってきますし、編集合戦を防ぐという目的を最優先するには「ヨーロッパにおける」を付すのが本当に唯一の解決策なのかどうかも考えなければいけませんが。その意味では、記事名を「政教分離原則の成立史」として「後史」は盛らず、1810年ゴールを厳守して、121.107.209.16 さんがおっしゃるように「日本における政教分離の歴史」のような記事を別に立てるという方法もあると思います。みなさまの御意見を伺いたいところです。--Greenland4会話) 2017年6月18日 (日) 05:40 (UTC)
返信 じっくり考えてみましたが、正直メリットの大小では決められない気がします。最終的に現在の記事がどのような形態になることで合意するかに記事名も依存すると思います。
記事内容に対する記事名の自分としての意見は以下の通りです。
A:分割し、本記事の内容が、①教会と国家の分離の始まり⇒②教会と国家の分離の終わり(政教分離原則の成立)⇒③後史(各国の政教分離原則「導入史」や各宗教の事情)>となるならば、現状「政教分離の歴史」以外に日本語に適切な記事名が思いつきませんでした。
B:分割し、本記事の内容が、①教会と国家の分離の始まり⇒②教会と国家の分離の終わり(政教分離原則の成立)>となるならば、各国・各宗教の事情は個別の記事を建てる事になると思います。この場合、本記事の改名後の名前は「政教分離の歴史」「欧米における政教分離の歴史」「西欧社会における政教分離の歴史」「教会と国家の分離」等々になります。ちなみに左に行くほど私としては好ましいと思う案です。
C:分割で合意できず本記事の構成がそのままの場合>この場合も各国の事情は個別記事を当てる事になりますが、この場合の本記事名は「政教分離の歴史」しか案が出ませんでした。
上記まとめての自分の意見ですが、本記事の扱っている内容を一言で示す単語は日本語には現状「政教分離」しかないと思います。次点で「教会と国家の分離」だと思いますが歴史学の学術用語として使用されているように見えず(ただし、ネットで見た限りですが法学では使用していそうな雰囲気です)、この場合は記事名は「Wikipedia独自の」判断になることを甘受せざるを得ないと思います。また、仮に「ヨーロッパの」と言う言葉が記事名に入った場合でも、アメリカ合衆国憲法を明確に記事内容から排除する必要は特にないと思います。
なお、案の一つに「政教分離原則の成立史」がありますが、この名前には反対させていただきます。「政教分離(教会と国家の分離)」の過程で生み出された物は政教分離原則だけではなく、近代ヨーロッパの国際関係であり、近代国民国家でもあるからです。端的に言えば「国民国家の歴史」と言う記事がもし将来立項される場合、その記事内容は「政教分離原則の成立史」と住み分けが不可能なほど被るのであり、「政教分離(教会と国家の分離)」を「政教分離原則の成立史」とのみ見る見解、記事名は適切でないと考えます。
元来、本記事がカバーしている内容が「政教分離原則の成立史」となるのだとすれば、それと対応する各国の事情の記事名は「日本における政教分離の歴史」ではなく「日本における政教分離原則の導入史」になるべきだろうと考えるのも理由の一つです。つまり、ヨーロッパの政教分離と、それ以外の地域の政教分離は、並列で扱う対象ではないと考えます。--TEN会話) 2017年6月19日 (月) 13:08 (UTC)


コメント ここまでの皆様の賛否をまとめました(表最下)。(2,3,5)については合意形成で良いでしょう。(1)はぽてからさんからの反対あり。(4)は「ベター」として賛成意見もありますが、一部反対意見はある。ただ、改名については賛成。(6)は意見が多くそれぞれの精査が必要です。

また、Greenland4さんの提案以外で案が出ていますので、#「Greenland4さん以外からの提案まとめ」とそれを受けてのコメントにまとめています。--Yuukin0248会話) 2017年6月19日 (月) 07:50 (UTC)

(参考)日本の政教分離・フランスの政教分離・アメリカの政教分離[編集]

ここで述べるのはあくまで補足として参考にしてください(参考目的なので議論の本筋とは分けられるよう囲みます)。シャルリ事件以来、政教分離については各国で議論が深まるようになり、とくに本国フランスではシャルリ以前以後で政教分離の考え方が深化し、イスラム内での世俗主義国家(トルコが代表例)・ヨーロッパ・アメリカそれぞれの政教分離的な在り方を問い直すような形で百花繚乱の様相を呈しています。しかし、論点は明確になりつつあり、まず近代以降政治が宗教を個人的なものとして一貫して扱ってきたにも拘わらず、それが集団的であり政治を左右する力を今なお持っているということが明確に認識されたこと。近代ヨーロッパの宗教離れとは反対に、アメリカでは政教分離体制は宗教離れを起こしておらず、さらにいえばアメリカの政教分離体制は実際には「市民宗教」という形で複数の教会を包摂し、それはむしろ社会内でのユダヤ・キリスト教的伝統を成長させるものであったという指摘があります(ルネ・レモン『政教分離を問い直す』)。またイスラムについては政教一元主義的なイスラーム世界は政教分離をイスラーム独特のシャリーアとウンマを分離する「法政二元論」の下に受容したのであり、法と政治はそれぞれにおいて世俗事項も宗教事項も管理していること(小杉泰『現代イスラーム世界論』)や、トルコでは政教一元論のもとで神と個人が直接つながるイスラムの教義の下、オスマン帝国では本来的に部分的な政教分離が実現されていたという指摘やトルコ革命での自らをヨーロッパの一員としてヨーロッパ文化の普遍性を受け容れる形で世俗化も受け容れたという汎トルコ主義ナショナリズムとの関連性を指摘し、実際には共和国は世俗化の徹底のために「政教一致」体制を築いていると指摘している(新井政美『イスラムと近代化』)ものもあります。新井政美はその書の序論で述べているように、世俗化(政教分離)を①政治・経済・文化を含んだ国家と宗教の分離、②宗教そのものの私事化とその保障③宗教が社会に及ぼす影響の低下というふうに3つに分けた上で、①②を狭義のライシテ(政教分離)、③を狭義のセキュラリズム(世俗主義)とし、①②③の実現の度合いによって各国の政教分離の在り方を分類するのが過去の議論の典型だったが、そうした分類による理解は近代カトリック世界でのみ政教分離が特殊に展開したということを忘れていたために起こった誤りであるとしています。一方で、日本についてはフランスとともに政治に関する宗教の関与をタブー視するという点からの(とくにアメリカとの比較で)類似性を指摘されていたが、シャルリ事件に対する反応において両国に差異が存在するところに大きな注目が集まりました。これはおそらく日本の政教分離とそのタブー視の根底に、法制的には明治憲法で政教分離が明記されたにも拘わらず、その後宗教以前の道徳とされた国家神道が編成され、太平洋戦争における各宗教の戦争協力と戦争に反対する宗教団体や宗教人に対する言論弾圧という、日本人特有の経験が絡んでいるせいではないかと思われます。どちらにせよ私がここで参考として言いたいのは、政教分離の在り方についてアメリカとヨーロッパを同じ文脈で捉えるという見方はすでに古いもので、世界各国の政教分離・世俗主義も個別に考察されるというのが学界の主流になっており、それを盛り込むことが今の時点での百科事典として適切かという問題はあるにせよ、政教分離を旧カトリック圏ヨーロッパ固有のものとし、その中で完結した形で記述することはトレンドに反するものではないのではないかということです。たとえばケベック植民地の政教分離問題はフランス革命とは別個に北アメリカ史の文脈で捉えられることが普通です。また新井政美の議論に基づけばトルコ同様に宗教を国家管理することになったロシア=ソヴィエト国家も「政教一致」体制であるという見方も出来ることになるような気もします(通説的にはソヴィエト=ロシアは無神論国家というのが通例ですが)。--硯箱会話) 2017年6月18日 (日) 10:09 (UTC)

Moon.riseです。硯箱さんへ、全文拝読いたしました。ありがとうございます。独断ですが「(参考)日本の政教分離・フランスの政教分離・アメリカの政教分離」の節のレベルをひとつ下げさせて(レベル4)いただきました(そうしないと「「小まとめ」&それを受けての議論」節(レベル3)が強制的に終了したことにされてしまうので)。さて、使えるかもしれないので私の方からも仕掛けをひとつご紹介してみます。このコメントの上方に折りたたみを置きました。こういう場合には有効になるかもしれません。なお、このコメントはどなたでも編集・除去していただいて構いません。--Moon.rise会話) 2017年6月19日 (月) 00:46 (UTC)

  • コメント 議論が長大になってきました。非常に興味深く、また、意味のある内容の議論ですが、大和屋敷さんの見解をお伺いし、合意が得られたら分割等は実施してしまって、どの範囲を書くかとその記事名は仕切り直しとしても良さそうに感じました。また、(1)を除去については、とりあえずコメントアウトするということでもいいんじゃないかと思います。いったん除去してしまっても過去版から見ればよいのでほかに反対者がいない場合反対は取り下げとし除去してもかまいません。「政教分離」という言葉は、歴史学に強い方と宗教社会学等に関心をもつ者では、まず最初に思い浮かべるイメージにも差異が存在するのだなあなどと感じながら、興味深く拝聴しております。ライシテ世俗主義ライクリッキなどもあったので、重複記事にならないかたちで、ということも頭の片隅にいれつつこの記事の将来を考えていけたらと思います。--ぽてから会話) 2017年6月21日 (水) 22:45 (UTC)
返信 ぽてからさん、合意形成を主眼におかれ、歩み寄っていただき、たいへん嬉しく思います。ありがとうございました。コメントアウトというのはたいへんよい案だと思います。(1)の活かし方に関しては、英語版のen:Church and state in medieval Europeの和訳記事「中世ヨーロッパにおける教会と国家」をつくり、それに、(あくまでもテーマに沿ってですが)、(1)のエッセンスを加筆していくというやり方をすれば、本項中世史部分(「ヨーロッパ中世」への移動部分)とは異なるテーマ史記事になるのではないかな?と考えました。あくまでも思いつきですが。これで、(1)についてもおおよその合意が形成されたように思います。ありがとうございました。--Greenland4会話) 2017年6月22日 (木) 02:45 (UTC)

「Greenland4さん以外からの提案まとめ」とそれを受けてのコメント[編集]

他の提案まとめ

#コメント依頼提出の報告と比べてかなり議論が進んでいて、6つの提案をしてくださったGreenland4さんに感謝です。

さて、「小まとめを受けてのコメント」でさらに案が出ていますので、「Greenland4さんの提案の小まとめ」のうち、その提案に含まれないものの提案を掲載します。引用あり。敬称は略させていただきます。これを不適切と思われた方はどなたでも差し戻していただいても構いません。

提案者 提案内容
IP:121.107.209.16ノート / 履歴 / ログ / Whois IPv4IPv6 日本については、政教分離原則での日本部分を『日本の政教分離』として分割すればよい--2017年6月16日 (金) 17:23 (UTC)
ぽてから 「政教分離の歴史」は政教分離原則#歴史にリダイレクト--2017年6月17日 (土) 04:23
Moon.rise 中世ヨーロッパへの分割
(↑)を受けて
Greenland4 (追加7)そうすると、アメリカ合衆国憲法に触れざるを得ない
(↑)を受けて
Moon.rise 反対 (6)~(5)+(7)となると(4)を考え直す必要あり
(7)を廃案

--Yuukin0248会話) 2017年6月19日 (月) 07:50 (UTC)

「他の提案まとめ」へのコメント

(7)については廃案となるのでしょうか。アメリカ合衆国憲法を踏み入るとなると、「中世ヨーロッパ」とかの案は通用しなくなりますし、移動や改名などに影響するので慎重に決めないとなりません。--Yuukin0248会話) 2017年6月19日 (月) 07:50 (UTC)

TENです。すみません、Gleenland4さんの最初の提案では
  • (5)合衆国憲法制定(1787年)、フランス革命(1789年)、ナポレオン法典(1800年)、ドイツ国制の政教分離(1803年)、あたりまでを射程に入れる
とあり、アメリカ合衆国憲法に触れるというのは、一番最初の提案時からの前提であると認識しています。ので単に後から出た「ヨーロッパにおける」「ヨーロッパの」と言う案は考えてみればこれと合致しないという話なのではないでしょうか。追加提案と言う話ではないと思います。--TEN会話) 2017年6月19日 (月) 14:04 (UTC)

コメント やはり議論が錯綜してきますね。政教分離原則記事でも、厳密な分離型以外についても説明せざるをえないほど「政教分離」の問題が難しいということもあるのかもしれません。さて、関連記事との関係、またはメイン-サブ関係(親子関係)から考え直してもいいのかもしれません。コメントをまぜながら思いつくままに提出します。以下は提案というよりか、こういうのもあるのではないかというメモのようなものです。

  • テーマ1:国家-キリスト教の関係。記事名「キリスト教と国家」「キリスト教と国家の関係史」等。地域や宗教に限定しないのならば「宗教と国家」「宗教と国家の関係史」もありえますが、その場合は総論的な記事にとどめ、各宗教ごとの記事をサブリンクさせる。ただし、作成が大変であるので、「政教分離」と限定した方がやはりいいのかもしれません。
  • 国家史または国家の歴史または「ドイツ国制史」・「ヨーロッパ国制史」。「キリスト教国家」「キリスト教国家の歴史」
  • 政治思想史としては「キリスト教政治思想史」
  • テーマ2:「政教分離」または「世俗化」

近代の政教分離以前は分離しつつも一致していたともいえるので、明瞭な線引が難しい。難しいからこそ『宗教の事典』(朝倉書店)のように「政教分離・政教一致」という項目名もあります。政教分離原則でも、各国の状況は異なりますし、イギリス、イタリア、スペイン、北欧、イスラムのように国教型(融合型)をとる国もあれば、分離型(アメリカ、フランス、トルコ、日本)、同盟型(ドイツ、オランダ)もあります(類型により分類も異なる)。

  • 政教分離の歴史については、古代・中世・近代という時代区分、そして地域の区分(ヨーロッパが中心となるが、非ヨーロッパはどうするのか)がある。

なお、本論ゴールを19世紀初頭にすることに反対ではありませんが、19世紀から20世紀にかけての歴史も「政教分離原則」記事だけでは不足する可能性もあります。しかし、これは実際に加筆された時に考えることかもしれません。

「政教分離における歴史学的視座」についても削除に反対はしませんが、特にベッケンフェルデらの学説などは「政教分離の歴史」記事の基礎的視座として有益です。できれば有効活用をしたいと思います。「政教分離における歴史学的視座」の既存内容は「詰め込みすぎ」なので、適材適所で記事(他の記事も含めて)内に配置することができます。または他の記事への転記なども有効活用になるでしょう。適材適所で記事内のセクションに配置したり、他記事へ転記する場合の具体的なアイデアとしては、

  • ベッケンフェルデ・山田らの学説は、叙任権闘争、ホッブズ、東ローマ帝国などの節または記事へ。
  • ダントレーヴの学説の国家論は国家へ転記。ダントレーヴの「中世国家の特質」は、新記事「中世ヨーロッパ」で活用。
  • オットー・ブルンナーの学説は、教会と国家の分離、国家の世俗化過程についてのものなので、「政教分離の歴史」や新記事「中世ヨーロッパ」でも活用できる。
  • 池谷文夫「教皇権と皇帝権」論文を出典にした箇所は、教皇権と皇帝権の節、または叙任権闘争の節または叙任権闘争記事へ。新記事「中世ヨーロッパ」でも活用可。
  • 「中世都市の進展とその限界」は新記事「中世ヨーロッパ」でも活用可。
  • 「中世後期近世ドイツにおける国家概念」「近代国家形成への接続と断絶」は国家へ。または国家の歴史国家史など新しい記事を作成。
  • 「近世自然法論の貢献とその中世的残滓」は自然法自然法論へ。
  • 「良心・霊性史として」のうち、世俗化についてはベッケンフェルデ・山田らの学説とまとめて「世俗化」の節または世俗化記事の作成。霊性については霊性 (キリスト教)などへの転記。

以上、提案というわけではないといったのは、これまで半年かけた長い議論によってもまとまらなかったため、これらの各論を細かく議論することはあまりしたくないし、あまり意味もないような気もするからです。シンプルにwikipedia編集上の視座からいえば、(2)古代部分(3)中世部分の別項移動をやらないと見えてこないのかもしれないとも思います。なお、(6)本論スタート「中世から」についてはGreenland4さんの指摘「とっとと宗教改革や宗教戦争に進んだ方がよい」のもその通りで、(2)(3)の移動後にはごく簡単な要約で詳細はリンクという意味で「中世から」と述べました。私としては(2)古代部分(3)中世部分の別項移動が最優先で、それ以外については移動後に議論してもいいのかなとも思います。--121.107.209.16 2017年6月19日 (月) 17:44 (UTC)

コメント長くなりますが御容赦を。「編集合戦は何としても避けたい」というMoon.Riceさんの御心配はよく理解できますし、強く共感するところではありますが、編集合戦防止が最優先すべき課題なのかなという気もするのですね。ウィキペディアが百科事典であることをめざすのならば、最優先にすべきは読者の利便ではないかな?と思うのです。そしてまた、編集合戦防止のために記事名をいじるという発想はどうかな?とも思うのですね。それをやった結果が今の状態=「キリスト教国家論の歴史」という、今となってはどなたにも支持されていない状態なのではないのかな? とも思うのです。記事名が諸悪の根源かというと、そうではないと考えます。あるいは、「ヨーロッパにおける」という形容を付加したことで、常に「アメリカ問題」が惹起されるというのも、実にスジの悪い話じゃないかとも思います。そして「ヨーロッパにおける」を付加することで、日本固有の問題にしか関心のない人に「政教分離というのは日本固有の、日本起源の問題だ」というふうに錯覚させたり、先入観をあたえたりする恐れがあるんだったら、これはひじょうに大きな「デメリット」といえるでしょう。とりあえず、「日本の政教分離について加筆できない」ということだけが不満のタネだったら、「日本における政教分離の歴史」という項目をつくるだけで解決するはずで、よくみれば、記事「政教分離原則」の「日本」の節をみれば、コンパクトながらよくまとまった「歴史」になっている。それに「神道指令」だとか「島地黙雷」だとか「靖国神社参拝問題」だとかから部分転記するだけで、(質を問わない話ならば)1時間そこそこの作業でそこそこのボリュームの項目そのものがつくれてしまうんじゃないでしょうか。もとよりそれだけでは不充分で、硯箱さんの従来の方針・認識を部分的にでも改めてもらう必要があって、確かに、「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」という記事名は「西洋におけるキリスト教」とか「中東地域におけるイスラーム教」と同じくらい重複していて「くどい」「蛇足感がある」というのは同意するところですが、いっぽう「歴史学の常識では政教分離は他ならぬ西ヨーロッパ固有で発展した歴史的事象」はやはり「言い過ぎ」だろうとも思うのです。西洋史の常識ではそうかもしれませんが、東洋史や日本史では別の受け止め方をするはずで、「叙任権闘争? 日本史には関係ないよ」とは言えても「政教分離? 日本史には関係ないよ」ということにはならない。キツい言い方をすれば、硯箱さんという個人に勝手に「歴史学の常識」を独占してもらっては困るのであって、これはまあ、ぽてからさんやMoon.Riceさんのおっしゃる通りです。そもそも、日本やトルコの政教原理についてあれだけ蕩々と論じることができる人がそんなことを言ってはいけないでしょう。硯箱さんが「西ヨーロッパ固有」という認識にあくまでも拘泥されるのであれば、記事名に「ヨーロッパにおける」と付すことも受け入れてもらわなければいけなくなります。なので、本記事にあっても「政教分離の歴史」への差し戻しを主張される、あるいは差し戻しの可能性に道をひらくお気持ちがあるのであれば、「ヨーロッパ以外のことも加筆できる」としてもらわなくてはいけません。この2点(「日本における〜」記事の作成、硯箱さんの「固有」認識の撤回ないし修正)があれば編集合戦は起こりっこないと思うのですが、どうでしょう? 自分としては、TENさんがおっしゃった「後史」(=政教分離原則の「世界への広がり」)というかたちで西欧以外に言及すれば,従来の行き違いや紛らわしさのほとんどが解消されるだろうという見通しを強く支持しており、それに連動するかたちで定義文や「概要」節の書き方に工夫を凝らせば大抵のことは解決できるというふうに考えます。そして、靖国問題などで「政教分離」ということばを知った人に「あ、政教分離にも歴史があるんだ」(←たいていの人はむしろこのレベルです)ということを知ってもらい、むかしはどこでも為政者が宗教を利用すること、気にくわない宗教を弾圧することが当たり前だったということ、政教分離原則が成立してからは少なくともそういうことは表向きには禁止され、個人の信教の自由が保障されるようになったということ、そして、その原則が確立したのが18世紀末葉から19世紀初頭にかけての欧米においてであり、そうなるためには数々の革命や宗教戦争で多くの血が流されたのだということ、トルコ・日本は自発的な欧米化の一環であると同時に「欧米に対抗するため」という契機もあってこの原則を導入したために固有の問題が生じているということ、こういう一連のことが伝わればよいのだと思います。読者目線ではそうなるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。--Greenland4会話) 2017年6月20日 (火) 00:02 (UTC)

賛成 Moon.riseです。一言で申し上げまして、Greenland4さんのご意見に賛成いたします。「この2点(「日本における〜」記事の作成、硯箱さんの「固有」認識の撤回ないし修正)があれば編集合戦は起こりっこないと思うのですが、どうでしょう?」 これが決め手だと思います(少なくとも、私が解消するべきとしていた問題に関することでは)。最優先にするべきことには、私とGreenland4さんにわずかの差異はあるのかもしれませんが、それは結果として問題ではありません。「読者の利便」「編集合戦にしない」どちらが1位でも2位でも、私とGreenland4さんで(TENさん121.107.209.16さんも)「2位だから捨ててしまいましょう」などということにはならないと信じております。私以外の方で、ぽてからさん(対案あり)雅ハルカさん(対案なし)大和屋敷さん(賛否投票ないが過去意見より推定)が、「政教分離の歴史」という記事名には反対しておられます。もちろん、私はその各位の真意は分かりかねますが、編集合戦・移動合戦当時の皆様が少なからず反対されていることは、これまで懸念してまいりました。しかし、「日本における〜」記事の作成、硯箱さんの「固有」認識の撤回ないし修正となれば、合意を進めていく上でも、ぽてからさん雅ハルカさん大和屋敷さんのお気持ちに沿うことを期待できる提案になるのではないでしょうか。

また、私の方でも「Moon.riseからMoon.rise自身への対案」がないかと考えを進めておりました。「ヨーロッパにおける」と付すことにデメリットは、存在します。さてひとつの対案です。記事名「政教分離の歴史」として、以下のテンプレートを貼ります。

誘導が足りないなら、誘導を追加すればよいのです。例えばこの場合、日本の記事は特に作成がなくても大丈夫ですね。--Moon.rise会話) 2017年6月20日 (火) 01:53 (UTC)

(参考)政教分離が西ヨーロッパ固有だという「歴史学の常識」について[編集]

(議論に賛否を表明するつもりはないので参考目的として囲みます)この点に関しても議論が錯綜しており、私に関わる点のように思われますので、説明しておきます。まず「政教分離が西ヨーロッパ固有」あるいは「西ヨーロッパ独自」に発展したものだということについて、東洋史・日本史問わずこれに反対する論者はまずいないと思われます。たとえばイスラーム史では新井政美や小杉泰についてすでに紹介しましたが、彼らは政教分離という考え方がヨーロッパ独自であり、イスラム国家の一部はそれを受容したように見えて、ヨーロッパの政教分離とは異なる形で世俗主義を実現しているという点を明確に論じています(二人が日本で代表的なイスラム歴史学者であることは言うまでもありません)。日本史ではたとえば山口輝臣『島地黙雷 「政教分離」をもたらした僧侶』を読めばわかりますが、これも宗教という概念をヨーロッパ留学で体得し、キリスト教に類する教団組織として真宗を改革しようとした僧侶島地黙雷が制度構築をおこなったことを述べており、それが宗教に限界を設け、その領域を縮小したと明確に述べています。要はこうした政教分離はヨーロッパの影響なくしてそれぞれの地域に固有に政教分離社会が成立したという議論は史実では成り立ちませんし、仮に成り立ったとしても歴史の「if」でしかありません。「政教分離が西ヨーロッパ固有」あるいは「西ヨーロッパ独自」というのはそれが西ヨーロッパ起源であることを述べているのであって、この点に対して歴史学では日本史・東洋史・西洋史(この分類自体古いように思われますが)問わず共有されているというのはまず間違いのないところです。政教分離の起源が西ヨーロッパにあることについては疑問の余地がなく、政教分離の歴史の中心部分がヨーロッパを占めるという当然のことを述べているだけです。シャルリ以後はとくにフランスの政教分離体制の一種の神話ともいうべきその独自性が明確に意識されるようになり、それは普遍的な制度というよりはヨーロッパ・フランス固有の国家体制そのものと不可分な市民宗教を形成しているとさえいえるということは広く共有された議論です(これについては百科事典でここまで踏み込む必要はないでしょう。何より議論が膨大な量になります)。こうしたことは私の信念とか意見とかいうべきレベルではなく、その程度はどうあれ常識として存在していることがほとんど明らかな事実であるように思われますから、これを撤回するというのは現状無理です(学界で政教分離が西洋起源でないという研究が増えて共有されれば別です。現状はむしろシャルリ以後の議論、新井政美の論にもあるように、政教分離のヨーロッパ固有性を強調する研究のほうが増えていますが)。そのうえで現代社会における政教分離の制度的実現については各国それぞれの事情が存在することを鑑み、個別記事にするなり、政教分離原則#歴史節に落とし込む方が適切ではないかというのが私の以前の意見です。なお、私は以前に申し上げましたようにGreenland4さんにすべてを一任しているので、以上の私の立場なり意見はGreenland4さんが汲むべきと思えば汲めばよし、そうでなければ顧慮するに値しません。ただGreenland4さんが「トルコ・日本は自発的な欧米化の一環であると同時に「欧米に対抗するため」という契機もあってこの原則を導入した」と述べておられることは、政教分離を欧米化と見ているわけですから、常識として「政教分離が西ヨーロッパ固有」の性質を持つものであることを前提として共有していることの証左に私には思われます。この意味でもこの議論はほとんど常識論であると思われるのですが。--硯箱会話) 2017年6月20日 (火) 06:13 (UTC)

返信 いい加減面倒くさくなってきました。私に任せるというふうに一方的におっしゃられても、引き受けなければならない義理があるわけでもないので。「ヨーロッパ以外のことは書くな」それを貫きたいということですか? 「竜頭蛇尾」と申し上げましたが、それさえ控えめな表現であり、巨竜の「頭」にミミズのふん以下の「尾」という記事内容になっているからこんなことになっているのです。あなたはウィキペディアで一体何をしたいのですか。--Greenland4会話) 2017年6月20日 (火) 08:20 (UTC)
返信 「ヨーロッパ以外のことは書くな」ということはこれまで一度も申しておりません。なのでそれが元で編集合戦になっているというような認識は私には受け容れられません。私が述べたのは相手が現状の記述はヨーロッパ中心なのはおかしいと指摘したのに対し、政教分離という現象がヨーロッパ起源のもので、前近代においてヨーロッパ固有で展開されたことは明確なので、ヨーロッパ中心の叙述になるのは当然だと述べただけです。それを相手側が「ヨーロッパ以外のことは書くな」という認識であったというのなら誤解も甚だしい。私が日本の政教分離節を除いたのも、議論での合意後であって、紛らわしいから関係する政教分離原則との関係を明確にしようという議論の流れができて、近代以後の政教分離原則についてはあちらに、こちらは近代以前という合意ができたあとの話です。私自身は当初からとくに日本の政教分離うんぬんを積極的に取り除くべきとは思っていませんでした(なんで日本だけ浮いたようにあるのかは疑問でしたが)。というような話になるとめんどくさいので、硯箱さんが~というのは本当に封印してもらいたいです。Greenland4さんもそういう話になるとめんどくさいでしょう。ただ政教分離が西ヨーロッパ固有だということが「歴史学の常識」ではないというのは信頼すべき情報源に基づけば、それは事実にも良識にも反するので撤回はできないということです。そして撤回をしなくても別に編集合戦が起きるとは思われないということです(なぜなら第一にこれまでの議論はこの点は厳密に見れば争点化しているとは思われない、第二に、たとえ争点化していたとしても、私に名前空間の編集にもう関わる意志がない)。私は今後もGreenland4さんの提案の全てに1票を入れていると考えてもらって、あとはいないものと思ってください。硯箱さんがこうだという話には答えるのが誠意と思いますから発言しますが、基本的に私はあまり関心がないのです。私が答えているのは別に議論をこう誘導したいと思って言っているわけではありません。はっきり言って「キリスト教国家論の歴史」という怪しげな記事名でなければよい程度のことしか関わるつもりはありません。政教分離が西ヨーロッパ固有だということが「歴史学の常識」だということはたしかに一定の価値判断を含みますが、しかしそれは史実と現実の事実関係に明確に基づいています。こうした発言については事実確認の類いですから撤回は不可能です。
私は「キリスト教国家論の歴史」という記事名に問題があるという点以外はとくにどうでもいいのです。この記事が竜頭蛇尾というのは私の印象もその通りで、そこで議論を明確化しながら書き足そうと思いましたが、それこそ議論があっちいったりこっちいったりするのでめんどくさくてやめました。だいたい私が時間をかけて他に文章を書けば研究業績にもなりますし、講義のレジュメにだって使えます。対してウィキペディアに書いても私に何の得があるわけでもありません。苦労して書いても的確な査読システムなどがないウィキペディアでは研究レベルの信頼性を維持するには不可能ですし、利用者の益を考えても中途半端に学術レベルを求めていい加減な内容になるよりはいっそ何も書かないで明らかに不確かな情報が記載されていた方がよろしいというのが今の私の考えです。学生にもせいぜい文献案内程度に使うよう指導している。その文献案内としても非常に問題があることが多いので、結局は研究入門や関係論文を見た方が早い。どちらにせよ上の発言で言いたいのは「ヨーロッパ以外のことは書くな」ということではなく、前近代についてはヨーロッパ中心にならざるを得ないので、そこははっきりさせたほうがわかりやすいと思うということです。そのうえで政教分離が西ヨーロッパ固有に展開されたという点について私はそれが「歴史学の常識」だという十分な文献の裏付けもあるのでそれは否定できない。むしろ西洋史はそうした考えに無頓着で政教分離が現代社会の普遍的価値であるかのように論じたところもありましたが、そのように展開された旧来の議論に対して、そうではないというのがむしろ東洋史・日本史の側から政教分離に関わる史実上の議論・出来事が丁寧に発掘される中で提示されており、代表例が新井政美の議論であり、島地黙雷についての山口の小論も明らかにその流れにあります。シャルリ事件以来の政教分離議論の深まりを見ると、それが西洋史家にも明確化されたというのが適切な理解かも知れません。「あなたはウィキペディアで一体何をしたいのですか」という質問には「キリスト教国家論の歴史」という不適切な記事名を自力で浄化できるところを確認したいという点は明確です。それぐらいしか私はウィキペディアには期待していません。--硯箱会話) 2017年6月20日 (火) 11:08 (UTC)
私自身はGreenland4さんにご負担をおかけするのであればそれは本意ではないので、ご負担を感じていらっしゃるのなら申し訳なく思います。私個人はGreenland4さんに責任を負わせる意図ではなく、Greenland4さんの編集意図と記事内容についての議論のまとめ方に全幅の信頼を置いていることを表明しているのが主意なので、それをもって何かをしていただこうという考えはありません。Greenland4さんには感謝の気持ちしかありません。--硯箱会話) 2017年6月20日 (火) 11:29 (UTC)

コメント なかなか議論についていけていないので確認したいのですが、

  • 1)政教分離の歴史の時代区分は古代・中世・近代
  • 2)政教分離の地域区分は、古代から近代までヨーロッパとアメリカ。
  • 3)後発近代国家として日本とトルコetc.。

いま争点になっているのは、2のアメリカ、3の日本とトルコについてどうするかなのでしょうか?

アメリカ、日本、トルコについては、「政教分離の歴史」で書くにしても要約程度で十分に思います。トルコについてはライクリッキトルコの政治#世俗主義などもあります。

アメリカについては、イングランドとニューイングランドにおける政教分離の歴史#アメリカ合衆国独立と政教分離への誘導リンクで済みませんか?Moon.riseさんの誘導についてですが「イングランドとアメリカ合衆国については…」が適切です。「イングランドとニューイングランドにおける政教分離の歴史」記事は、ここでの長い議論の副産物だったのですが、私としてはアメリカでの政教分離成立史をまとめたつもりです。もちろん、もっと説明すべきことはあるでしょうし、アメリカでの政教分離成立以後の状況(歴史)もあるでしょう。ただ、それについては政教分離原則のアメリカ節で現代の視点からの要約もあります。

硯箱さんは「Greenland4さんにすべてを一任している」と発言されているのでいまから書くことへの返信は不要ですが、「政教分離の起源はヨーロッパである」ことは合意します。ただし、非ヨーロッパ諸国が近代化してすでに時間も経過し、とくに日本とトルコについてはそれぞれ独特固有の経緯があると思います。したがって、「現在において、政教分離はヨーロッパにおいて固有とはいえない、近代化・グローバル化にともない非ヨーロッパ諸国においても政教分離が制度的に実現している(採用していない国もある)」というのが実情であろうと思います。また、ヨーロッパでも政教分離運動を通過したうえで国教制度を採用しているイギリスや北欧もあるので、その意味でも「政教分離はヨーロッパにおいて固有である」とはいえないと思います。

また、硯箱さんと長く議論してきた者として新規参加のみなさまが誤解されているような気もするので、いいますと、これまで「日本について書くかどうか」についてはたしかに大和屋敷さんなどは発言されておられますが、大きな争点ではなかったように記憶しております。それ以前の私と硯箱さんとの対立点は「アメリカ、フランスについて書くかどうか」でした。過去ログ点検はめんどうなのでしませんが、たしか硯箱さんは「フランスについて書くことは反対しない」とおっしゃり、他方で、「アメリカについては別記事で書くべきだ」とおっしゃったと記憶しております。記憶違いがあるかもしれません。それから議論が錯綜していったので、私が「イングランドとニューイングランドにおける政教分離の歴史」を作成しました。しかし、Greenland4さんたちが登場し、Greenland4さんを100%信頼すると硯箱さんがおっしゃって(これも編集権を認可しているようで私物化のようにも感じますがいまは目をつむります)議論が一度リセットされたような次第であると認識しています。(念のためいいますが、これは皆様がこれまでの争点を誤解されているかもしれないと思い、経緯を説明したもので、「硯箱さんは…」という論法ではありません。)--121.107.209.16 2017年6月20日 (火) 17:57 (UTC)

返信 なるほど。確かに誤解していた部分があります。日本について書くかどうかは大きな争点ではないのですね。ありがとうございました。「現在において、政教分離はヨーロッパにおいて固有とはいえない、近代化・グローバル化にともない非ヨーロッパ諸国においても政教分離が制度的に実現している(採用していない国もある)」という認識は私も同じです。その認識が共有できれば、合意に達することが可能かもしれませんね。TENさんがおっしゃったように「後史」として盛るあたりが妥当であろうと思います。--Greenland4会話) 2017年6月20日 (火) 22:55 (UTC)
コメントMoon.riseです。121.107.209.16さん、コメントと情報ありがとうございます。現状、私からの記事名提案は「ヨーロッパにおける政教分離の過程」「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」を維持して考えておりますが、アメリカのことがすでに「イングランドとニューイングランドにおける政教分離の歴史」にまとめていただいているのであれば、「ヨーロッパにおける」をつけることのデメリットは事実上ひとつ減ったのかなと置います。また、「イングランドとニューイングランドにおける政教分離の歴史」の横に「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」が並ぶことに違和感はない気もします。
「日本について書くかどうか」「大きな争点ではなかったように記憶しております」ということですので、当時の生の声ということで認識をさせていただきます。ありがとうございます。--Moon.rise会話) 2017年6月20日 (火) 23:58 (UTC)
返信 議論がどういう状態なのかわかりづらい感じなので争点の説明ありがとうございます。個人的には「小まとめ」の段階でGreenland4さんの提案のうち分割と大雑把な記事の括り(2)(3)(5)については大体まとまっていて、それを実行するにあたって残存する部分の記事名をどうするか?(4)が大きな問題として残っているだけだと思ってます(後は記事名が内容に影響する?くらいでしょうか)。私の意見としては、前に述べた通り、「政教分離の歴史」とするのがベターと思いますが、話がそれでまとまるなら「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」でもいいと思います(この場合、「西ヨーロッパにおける政教分離の歴史」の方がいいと思いますけども)。若干くどいとは思いますが間違ってはいないと思います。
アメリカとかトルコとかをどうするという話もありますが、121.107.209.16さんの案に賛成です。既に記事があるものについては簡潔な要約を書いて「詳細は~~参照」とし、無い物はとりあえず書ける欄(後史)を用意しておけばいいのではないかと思います(アメリカにどうしても触れざるを得ないシーンはあると思いますが、内容が多少重複したとして別に問題だとは思いません。)。「政教分離」と言う単語の紛らわしさについては冒頭に3,4行の解説があれば解決できそうな気がするのですけどもいかがでしょうか。--TEN会話) 2017年6月21日 (水) 12:19 (UTC)
返信 私もTENさん同様「政教分離の歴史」がベターだと思っていて、「撤回はできないが修正ならできる。後史として書く分には問題ない」くらいの返しがあれば、それで押していけたのですが、それができない以上「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」「西ヨーロッパにおける政教分離の歴史」あたりで落とすのが無難じゃないかと思います。冷静な御意見ありがとうございます。私が長文を書き込む直前に、TENさんが誠実で心のこもった、説得力のある御意見を寄せられていて、それにコメントしたかったのですが、何だかおかしなことになってコメントできませんでした。そこは今でも心痛むところです。申し訳ありませんでした。--Greenland4会話) 2017年6月21日 (水) 13:34 (UTC)(字句修正)--Greenland4会話) 2017年6月21日 (水) 14:04 (UTC)
硯箱さんに質問。「現在において、政教分離はヨーロッパにおいて固有とはいえない、近代化・グローバル化にともない非ヨーロッパ諸国においても政教分離が制度的に実現している(採用していない国もある)」この件について、認識は共有できますか。長文不要。YES・NOだけでお答えください。--Greenland4会話) 2017年6月22日 (木) 09:47 (UTC)
話題を振られたのでお答えしますが、学問的見地から言えば、政教分離はヨーロッパ固有の事象であることは明白な事実であり、近代化・グローバル化に伴い、それが一元的に拡大しているというような認識に立つことは私は出来ません。まず近代化として世俗主義を受け容れたとしても、それをどのような制度で実現するかは各国家の成立事情と文化背景によるところが大きく、その実現方法は必ずしも政教分離の制度的実現によるわけではないということ。次に最新の研究は最も代表的な政教分離の制度ライシテと思想背景そのものにフランス共和国におけるカトリック教会との葛藤を見ており、その過程で形成されたフランス固有の制度であることは疑いようがないこと。各国における制度的導入もヨーロッパモデルを輸入する形で近代化に伴うものとして受け容れており、明らかに完全な内在性という意味での固有性を有してはいない(各国が制度導入に踏み切った内在的な理由はある)ことから、政教分離の制度そのものは明らかにヨーロッパ固有であることは疑いがありません。各国が制度的に(その内実はともかく)政教分離を取り入れていることと政教分離の制度そのものがヨーロッパ固有の成立背景を持つことに矛盾はありません。「現在において、政教分離はヨーロッパにおいて固有とはいえない」ことと「近代化・グローバル化にともない非ヨーロッパ諸国においても政教分離が制度的に実現している(採用していない国もある)」ことには連関性や因果性は存在しないので、そのような認識は単なる信念としては成り立ちますが、信頼できる研究を踏まえれば、明らかに同意できない内容です。正当な歴史学的見地に基づけば、政教分離が起源においてヨーロッパ固有の社会に根ざしていること、その発展過程においてヨーロッパ固有の社会の進展と軸を一にしていること、現代においても最も典型的な政教分離体制の国家はヨーロッパに存在していること、歴史学は史実を積み重ねて事象の社会的背景や原因を考察する学問ですから、これらを持って政教分離はヨーロッパ固有と考えるのが現状では歴史学的には正しい判断となります。--硯箱会話) 2017年6月22日 (木) 10:30 (UTC)
返信 なるほど。お答えくださり、ありがとうございました。政教分離原則がヨーロッパで固有に発生したこと、日本やトルコなどについては広くいって欧化政策なり欧米化の所産であること、それは事実でしょうし、私もずっとそう主張してきました。(1)「これらを以て政教分離はヨーロッパ固有と考えるのが現状では歴史学的には正しい判断」ということですが、そのことをハッキリ書いた書籍・論文はありますか? (2)「歴史学的には」を除去した一般論としてはどうなりますか? 2点質問いたします。(署名忘れ)--Greenland4会話) 2017年6月22日 (木) 11:49 (UTC)
繰り返しになりますが、まずその代表論として新井政美の議論を確認すれば、『イスラムと近代化』は政教一致は野蛮という「キリスト教的な世界観」を受け容れた共和国が実態として世俗主義を実現するために政教一致を採用したという論旨になっています。あるいは最近の画期的研究、伊達聖伸『ライシテ、道徳、宗教学』でもよいですが、こちらでも伊達の意図はライシテを宗教学次元で脱構築することでしょうが、ライシテがカトリシズム的道徳をいわば脱構築したものであり、それ自身カトリシズムに起源があり、宗教に近い性格を持つが、だがカトリシズムを飛び出る、いわばカトリシズムの枠の外に散らばったものというとらえ方をしています。要はキリスト教的世界観や道徳と政教分離は明らかに関係があるというのが今日の歴史学研究の常識です。これは政教分離がたとえば人類に普遍的価値があるとか、多くの国が現在その制度を採用しているとかいったこととは無関係に、事実として政教分離はキリスト教的な世界観に基づいており、ヨーロッパ固有の政治と宗教に対する論理を引き継いでいるということです。これについて否定している研究がそもそもあるとは思えません。Greenland4さんだってこの点はわかっておられると思います。で、この点について、私はなぜそこまでこだわる必要があるのか率直に言ってわかりません。たとえば日本固有の武道である柔道が世界的なスポーツとして楽しまれているからと言って、必要であれば「日本の柔道」という記事を作ることに誰も反対しないでしょう。柔道は日本固有のスポーツであることに疑いはないと思いますが、それが世界的広がりを持つこととは矛盾しません。同様に政教分離がヨーロッパ固有の歴史事象に基づいていても、地理的区分としてのヨーロッパを冠した政教分離の歴史を作ることを妨げる理由はないと思います。私が言っているのは今の整理分類に基づいて「政教分離の歴史」が前近代の内容が主になるのであれば、それはヨーロッパでしか政教分離に関わる歴史事象は基本的に展開していないので、ヨーロッパはいらないのではないかという議論です(アメリカ合衆国だって独立前はヨーロッパの植民地です。北アメリカにあるからと言って、それはアステカ帝国やインディオの伝統を引き継いだ国家ではない、立派なヨーロッパ人によるヨーロッパ式国家です)。政教分離がヨーロッパ固有であるというのはその説明で論じましたが、近代以後の~という話とは別次元の話です。そのうえで近代以後のヨーロッパの政教分離をこの記事で扱うにしても、政教分離がヨーロッパ固有であることは明白だし、それは別に政教分離が現在ヨーロッパを越えて存在することと矛盾するわけではありませんから、これを頑なに否定しなければいけない理由がわかりません。政教分離が「ヨーロッパ固有かどうか」がなんで争点化される必要があるのか私には本当によくわからないのです。この記事が逆に近代以後も包摂するなら、ヨーロッパ中心にまとめるということであれば、「ヨーロッパの」とつければよいだけではないのですか。ヨーロッパなしの「政教分離の歴史」という記事が作られているとして、それがヨーロッパのことだけを書いていたらおかしいというのは私には率直によくわからないのです。政教分離がヨーロッパ外への広がりを持つこととその起源がヨーロッパにあることは矛盾せず、だから政教分離の歴史として政教分離原則成立史としてその起源にこだわる場合は、その記述がヨーロッパに集中するのは避けられませんし、当然と思いますが、それを持って「ヨーロッパの」をつけるべきという主張は私には論点が明確にずれているという認識を抱かせます。なぜならヨーロッパ外を含めてすべての政教分離原則の起源がヨーロッパ社会固有の発展にあることは疑い得ないからです。--硯箱会話) 2017年6月22日 (木) 14:10 (UTC)
返信 ありがとうございました。インディオまで出てくるとは思いませんでした。何だか硯箱さんの話をうかがっていると、これはこのままの状態にしておいて、私が出ていけばいいだけの話ではないかなという気持ちになってきました。もう少し、考えさせてください。--Greenland4会話) 2017年6月22日 (木) 22:12 (UTC)
硯箱さんの見方が絶対ではありません。まず、政教分離は一般的に政教分離原則を指して使用されることのほうがむしろ多いですから、政教分離原則が各国でそれぞれどのように成立したかを知りたい方が「政教分離の歴史」を検索されることのほうがむしろ多いでしょう。「政教分離」という記事もなく、「政教分離」がなにかはWikipediaのどこにも定義がのってない状態です。私の当初の主張は、「政教分離」という記事を作り、そこでしっかり「政教分離」の定義を書いた上で政教分離#歴史を節として書けばいいじゃないか、ということでした。しかし、「政教分離の歴史」はやめようということになり、そのうち話全体がひっくり返ったりして、このような状況となってしまったということでして。Greenland4さんの議論における貢献は大変大きく、Greenland4さんが出て行かれて硯箱さんの書かれたい内容で構成した場合、逆に、この記事が結局なんだかよくわからないまま見通しが悪い状態で終わってしまうのではないか、と危惧しております。この記事が見通しが悪い、というこの一点に絞っても、Greenland4さんの進行や発言、ご意見は非常に参考となり、良い形で議論が出来ていると感じております。まず、合意できたところから作業しませんか。また、一冊の専門書は一見解であり、辞書に載る程度でなければ定説ではないということです。121.107.209.16さんの文献検証で、硯箱さんの見解が定説とはいえず一見解にとどまることは証明されたと考えてます。事典レベルでどう書かれてるかなどをより重視したほうがいいかもしれません。--ぽてから会話) 2017年6月22日 (木) 22:43 (UTC)

(インデントもどす)「#(参考)トルコのライクリッキについて」のなかで硯箱さんは、

ライクリッキ…これを『政教分離』とはおそらく訳さない。「世俗主義」と訳されるのが普通

というふうに書かれておいでですが、しかし、ほかならぬ硯箱さん御自身が紹介されている公法学者の小泉洋一先生は、論文のなかで「トルコにおけるライクリッキの原則と憲法裁判所」の冒頭で、

政教分離または世俗主義と訳されるライクリッキ…

というふうに明記されているんですね。一例をもってすべてを言い切ることはできないかもしれませんが、自分の専門領域にかかわる、自身が紹介した内容で、しかも100パーセント信頼するとまで言った相手に、ウラもとらずにいい加減なことを言うってどうなのかなと思います。そういう人の「良心」を素直に信じることができなくなってきています。そして、小泉先生は「トルコの政教分離に関する憲法学的考察――国家の非宗教性と宗教的中立性の観点から―」という論文の283(757)ページで、

トルコはムスリムが国民の99パーセントを占めるイスラムの伝統が強い国である。しかしトルコではライクリッキ(laiklik)という独自の政教分離原則が憲法で詳細に規定されている。

とあり、ハッキリと「ライクリッキという独自の政教分離原則」という言葉を使っておいでです。同じページには脚注に、

イスラム国で憲法上政教分離を定める国はトルコ以外にもある。マリ、セネガルなどフランス語圏のアフリカ諸国がそれである。

というふうに書いておられるのですね。これなんかは当然、「政教分離の歴史」に書かれてもよい歴史事象というふうに私などは思うのですが、硯箱さんの考えでは削ってもよい事項ということになりかねません。「そんなことは言ってない」と硯箱さんはおっしゃるかもしれませんが、たとえば、一生懸命フランス語圏アフリカ諸国の政教分離について調べて投下したら硯箱さんに削られるというんだったら、これは絶対喧嘩になりますし、貴重な書き手を失い、社会的にも知的エネルギーのムダになります。「そんなことはないだろう」と当初は思っていましたが、硯箱さんの御意見をうかがえばうかがうほど「そうするだろう」という気持ちが深まっています。硯箱さん以外のだれもそこにはこだわっておらず、むしろこだわっているのは御本人だけです。ならば、むしろ「ヨーロッパにおける」をあらかじめつけておいた方がよいということになります。質問を追加します。

(3)小泉先生がトルコやアフリカ諸国に関して「政教分離」ということばを使うのは間違いですか?

つまり、「政教分離の歴史」という言葉を、「政教分離原則の成立の歴史」という意味、歴史事象をあらわす歴史用語として解釈すればヨーロッパ固有といえるかもしれませんが、「政教分離概念。その歴史」という意味、法学上の政教分離概念の歴史的な発生とか位相・展開という意味に解釈すれば、これは、世界共通の話になってくるのではないかと思うのですね。両者の解釈を前もって区別する手立てはありませんし、少なくとも日本では後者の理解が一般的であり、そういうかたちでその語も定着しています。ぽてからさんがおっしゃってくれたことにも重なりますが。歴史に限った話であっても、読者が「政教分離原則(成立)の歴史」とだけ読んでくれるとは限らなくて、「政教分離原則(受容)の歴史」と読む人もいるだろうし、「政教分離原則(伝播)の歴史」と読まれる可能性もある。成立・受容・伝播をトータルに扱いたいのが「歴史学の立場」なんじゃないかと私は考えるし、硯箱さんが西洋史・東洋史・日本史を取っ払うことを主張されるんならなおさらそうなるはずだとも思います。理論的な整合性がないのですね、硯箱さんには。そういう意味で、硯箱さんのような方に歴史学者の代表のような顔をされるのは正直心外です。だから硯箱さんには

(4)一体、あなたは何をしたいのですか?

と申し上げたのです。何も期待していないのだったら来なければいいのですが、来るからには何かしたいことがあって来るわけでしょう?ということを質問したいのです。ついでだからもう一丁。

(5)宗教戦争からフランス革命までの近代ヨーロッパにおける政教分離原則成立史を書けますか?

「書けますか」というのは「書く能力がありますか」という意味です。「書く時間はタップリあるでしょう」。それは聞くまでもないことです。生涯かけてもいいくらいに思っているでしょうから。たとえば、1週間以内とか、1か月以内とかという期間を設定した話です。「専門外だからできない」というのであれば、その旨正直におっしゃっていただきたい。いかがですか。-Greenland4会話) 2017年6月23日 (金) 00:26 (UTC)

⑶トルコのライクリッキについては最近は世俗主義と訳すのが普通です。小泉洋一先生のその論文は法制として政教分離制度の実態を比較しているもので、結論では実態としてトルコは宗教の国家の宗教的中立性の弱い「たたかうライクリッキ」であり、国家統制が強いと言うことは明確にされています。そのうえで近年の公正発展党の躍進、従来ライクリッキの保護者とされてきた軍のクーデター失敗など、トルコ政治の展開はめまぐるしくなっています。歴史学では以前からトルコの政教分離は実態としてフランス1905年政教分離法以前のコンコルダート体制に近いということは明確にされており、ライクリッキも誤解を避けるため「世俗主義」と訳されることが一般的(『政教分離を問い直す』工藤庸子・解説)になっています。国民の宗教離れも進んでおらず、政治的にイスラーム主義は合法的に政党を形成し、議会に送り出し、政権に強い影響力を行使することが出来ます。法制的に政教分離であるとトルコ憲法が唱えていても、実態としてこれは厳密には政教分離ではないというのがフランスや日本の研究者が共通して持っている見解です(新井政美、ジャン・ボベロ)。政教分離とは政治空間と公共空間での宗教の影響力を完全に排除することであるというのがフランス・日本共通した政教分離の考え方です。これは別にトルコのライクリッキを政教分離の歴史の記事で扱うなという主張には直接につながりませんし、Greenland4さんが何を危惧しているのか私にはわかりません。実際私はライクリッキについてはノートで研究動向を踏まえるくらいはしたほうがいいと述べただけです。私が関わった中でわかったことですが、ウィキペディアのノートの議論では大した対立点を述べておらず攻撃的な意見を述べているわけでもないのにその発言者を過度に敵対的に認識することがしばしばあることですが(私はそれに疲れました)、これもそんな類いの話にしか思えません。ただ単にグーグル検索のように「政教分離」という言葉だけを抽出して記事を書こうというのは問題がありますよということです。【「政教分離原則(成立)の歴史」とだけ読んでくれるとは限らなくて、「政教分離原則(受容)の歴史」と読む人もいるだろうし、「政教分離原則(伝播)の歴史」と読まれる可能性もある】というのは以前の議論の繰り返しですので、私にはしつこい議論なのですが、政教分離原則そのものの歴史は政教分離原則に、政教分離の歴史は国家機構と教会の分離という歴史学的議論に、というこのノートでの以前の明確な合意は、「政教分離原則(成立)の歴史」はこちらに、「政教分離原則(受容)の歴史」「政教分離原則(伝播)の歴史」は政教分離原則#歴史にということと実質的に同義です。ここで述べられているのは政教分離原則の歴史ではなく、政教分離の歴史ですから、政教分離の結果としての政教分離原則の成立という史実を踏まえ、「政教分離原則(成立)の歴史」ともいえるわけですが、同時に政教分離の結果としての世俗的な近代国家成立史でもありますから、それがすべてではない。政教分離原則で政教分離の全てを語ろうとする議論は明確に誤っているということがトルコの事例でも言えるということです。理論的な整合性がないと批判していますが、私にはGreenland4さんが政教分離原則と政教分離を混同しているようにしか見えません。問題は政教分離原則も政教分離と言われるうえ、何が政で何が教かという議論も惹起するので厄介ですから最近はフランス史家を中心にそれをライシテという概念で置き換えようという動きもありますが、一般的ではない。どちらにせよ歴史学的な政教分離論は明確に現代日本や現代フランスのような社会の脱宗教化過程(実際にはそれは宗教観の変容というべきものであるというのが最近の研究動向ですが)を論じますから、政教分離原則を採用していてもトルコのように脱宗教化されているとはとてもいえない国家については社会的な政教分離が完全ではない、場合によっては政教一致であるとなるわけです。【「政教分離概念。その歴史」という意味、法学上の政教分離概念の歴史的な発生とか位相・展開という意味に解釈すれば、これは、世界共通の話になってくるのではないかと思うのですね。】については【「政教分離概念。その歴史」という意味、法学上の政教分離概念の歴史的な発生とか位相・展開という意味】であればその展開がほとんど世界的であることはもっともですが、位相としては明らかにヨーロッパから世界に広がったという形で記述されるのではないでしょうか。世界共通に、あるとき突然政教分離が同時発生的に世界のさまざまな地域で展開されたというような記述には明らかにならないはずです。法学的意味ではそれを受容した社会の固有の理由はともかく、明らかにヨーロッパの法学思想の受容という形で描き出されるのではないでしょうか。
⑷これも繰り返しのような気がしますが、私は「キリスト教国家論の歴史」という記事名が不適切だということがウィキペディアで正しく認識されればそれ以上とくに言うことはありません。現状の記事名がいまだに「キリスト教国家論の歴史」なるものになっているので、議論をウォッチしているだけです。
⑸私はすでにそれについては詳しく別で書いています。本記事にないエウセビオスにおける歴史神学の成立、オイコノミア神学の展開、五十嵐修の帝国・王国・教会論、オットー朝の神聖王権、叙任権闘争の詳細、レコンキスタのもたらした宗教勢力の協力と相克を伴ったイベリアでの王国の台頭、シュタウフェン朝の神聖皇帝理念、王権神授説とコルベール主義とフランス革命、ロラード派とイングランド宗教改革その結果としての国教会主義と清教徒革命、アメリカ政教分離前史、三十年戦争・ウエストファリア体制とその精算としてのドイツ国制の政教分離。ここでのあまりに生産性のない議論、信頼できる情報源を独自研究と呼ぶような意味不明の論理、それらが理解できなかったのでウィキペディアに見切りをつけたときから、ここに寄稿することは全く考えていません。実際私がそれについて十分な文献も用意し、理解していることはここでの議論でも明らかでしょう(これまで私は明確に文献に基づいて議論をしています。振り返ってみてください。これほど重要な問題にも関わらず、ここでの議論で文献を用いて論じている人がいかに少ないことか。文献を援用してもそれを私個人の見方だ、あるいは一部の論者の見方に過ぎない、と矮小化して論じられるならば、ウィキペディアの検証可能性・中立的な観点は意味をなしません。これまでの議論で繰り返されてきたのがこうした事実を矮小化する議論です。実際に歴史学者がどう論じているかを無視して私を攻撃しても意味がないことですし、ウィキペディアにとって無益なのではないでしょうか)。--硯箱会話) 2017年6月23日 (金) 02:04 (UTC)
コメントちょっとまた不毛な議論に入りそうに思えるので横槍を入れさせて下さい。毎回長いですが、多分私が以前に書いた「つまり、ヨーロッパの政教分離と、それ以外の地域の政教分離は、並列で扱う対象ではないと考えます。」と、硯箱さんの意見は大差無いと思(って)います。だからこそ時系列に沿って相互の関係を書ける形式の「後史」という形式については名案であると私は考えています。そして硯箱さんもこの点について(上のやり取りを見る限り)反対はしていない、と理解しています。
その上で、記事名が仮に「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」のような形体で収まることで硯箱さんとの合意は可能なのですか?それとも「ヨーロッパにおける」をつけることについて合意不可能ですか?
端的に言って、Wikipediaの記事名は学術的合理性のみではなく読者の利便性など、考慮すべき要素が数多くあり、政教分離という言葉から「政教分離の歴史は国家機構と教会の分離という歴史学的議論」という方向へ思考を進める人は非常に少なく、単純に「政教分離の歴史」としてしまうと読者にも執筆者にも誤解が生じてしまうので、それを避けるための技術的処置として「ヨーロッパにおける」なり何なりの言葉が記事名に入っていた方がいいというだけの話だと思います。(重要なことですが、Wikipediaは「歴史学大百科辞典」ではないので読者が歴史学の文脈について事前知識を持っていることを当然の前提とすることはできません。)歴史学的見地から蛇足であっても、問題はないと思います。明確に間違っている現在の記事名よりはよく、分割による可読性の向上も期待でき、もともと「政教分離の歴史」という記事名から来ていた誤解もある程度解消できるということで悪い案ではないと思いますがいかがですか。
なお、できるだけ手短に上記で合意可能か不可能かだけ教えていただけると助かります。大きなお世話とは思いますが、もし硯箱さんの書き込みが意図したとおりに相手に理解されないとしたら、その原因のかなりの部分を文章が長すぎることが占めています。敵対的に取られる理由も同じです(Wikipediaの環境のせいではないです)。よろしくお願いいたします。--TEN会話) 2017年6月23日 (金) 03:31 (UTC)
「「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」のような形体で収まることで硯箱さんとの合意は可能なのですか」についてはTENさんのおしゃっるとおり、私は別に反対はしていません。なので私が政教分離がヨーロッパ固有であるというのを盾にしてそれに反対しているというような認識は私には全く理解できないということです。ただ単に「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」という名称はそれはそれで政教分離原則の成立史がヨーロッパ外でも展開されているというような単純な誤解を生むかも知れないよねという留意を歴史学的な常識に基づいてつけているだけで、私自身はウィキペディアとしてそれが正当かどうかはわからない(私自身ここでヨーロッパを付けるべきというウィキペディアの議論がはっきり言ってよくわからない)ので、強く反対する理由はありません。
文章が長すぎるから敵意を煽るということであれば、それはウィキペディアのシステムとして議論による合意を前提とする以上、根本的な欠陥としか言い様がありません。政教分離というテーマについて短く書いて済ますことが多くの誤解を生むことは他ならぬ政教分離の専門家が最も指摘していることであり、政教分離を単純に図式化はできないというのはこの分野でよく言われることです(伊達聖伸・工藤庸子・新井政美などなど)。少なくとも政教分離原則がある国が社会において政教分離が実現されているという単純な議論は否定されており、その内実を問うというのが歴史学研究としては現状正当なスタイルです。こうした議論が長文化することは避けられないと思いますが、それをとっても相手の論理が長すぎるとか短すぎるとか、短い方が良いというような言い方であれば私はやはりウィキペディア日本語版は何かおかしいと言わざるを得ません。【重要なことですが、Wikipediaは「歴史学大百科辞典」ではないので読者が歴史学の文脈について事前知識を持っていることを当然の前提とすることはできません。】については、これは議論の中で歴史学議論を踏まえることと、議論において「歴史学の文脈について事前知識を持っていることを当然の前提」とすることの意味は違いますから、私はそういうことは論じておりません。しかしながら、じゃあ歴史学の議論を無視して良いかというとそれは全く異なり、ウィキペディアにおいて信頼できる情報源とはまず専門家によって提供されるものであることは明確なのですから、「政教分離の歴史」において歴史学者の政教分離論が中心になるのは当然であると思われるということです。知識を持っていなければいけないことはないでしょうが、それは明白に存在する歴史学的議論を無視することを認めるものではないでしょう。読者への利便性という点からも、そうした専門分野での主流な見解を無視して内容を構成することが利益になるとは思われません。率直に言って、ここでの議論はウィキペディアの方針文書が目指しているものとはちょっと違う方向に行っているというのが、その見方が正しいかどうかは別にして私の意見です。--硯箱会話) 2017年6月23日 (金) 04:00 (UTC)
返信 返信ありがとうございます。
★ 記事名について
「ヨーロッパにおける政教分離」の歴史について反対はされていないということで了解しました。つまり提案(4)についても概ね全体としての合意が可能ということで次のステップに進めると思うのですが皆様いかがでしょうか?
硯箱さんの懸念「政教分離原則の成立史がヨーロッパ外でも展開されているというような単純な誤解を生むかも知れない」については冒頭に短い解説を用意すれば解決できると思いますが、次の段階ですかね。
★ 長文について
こっちは蛇足です。長文がよくないというのはWikipediaとか学問というより、議論とかディベートの作法の話です。会社の企画会議とかでもそうですが「言っていることがどんなに正しくて立派でも」10分を超えるような長い発言をしていると「誰かあの人黙らせてよ」というオーラが場を支配してしまいます。これはWikipediaどうこうではなく人間そういうものだということです。もう一つ、硯箱さんの文章は概ね論証、証明のための文献からの引用・出典、意見から出来上がっていますが、長い文章の中から「硯箱さんの意見」を抽出し理解するのは割と手間なうえになかなか誤解を含まずというのは難しいです(そして面倒です)。だから皆、硯箱さんの意見がわからなくなります。これが「言っていないことについて批判される」という硯箱さんのフラストレーションの原因だと思います。どうしても長文になってしまうようであれば、今回のように意見だけ文章の頭にまとめていただけるだけでも格段に読み易く誤解の余地はないと思います。今回の書き込みの第一段落は本当にありがたいです。偉そうに言ってすみませんがご一考下さい。
★ トルコのライクリッキについて
お二人とも言い足りないことと不満あるかもしれませんが、この話題一旦止められないでしょうか。正直この件について発言する人物が二人しかいないように見えるため、また1vs1の議論と化すような気がします。
★ 歴史学の議論の無視という点について
ちなみに、歴史学の議論を無視するということではないです。「歴史学の議論」と、「世間一般の常識的用語としての政教分離」の接点を探る、とでもいいましょうか。これも誤解なしで相手に伝わるのは難しい例だと思います。蛇足なのでこの件についての返信は結構です。なお、私宛に何か返信があれば帰宅後に確認させていただきます。--TEN会話) 2017年6月23日 (金) 05:09 (UTC)
私もトルコのライクリッキについては本筋とはほとんど関係がないように思います。私自身は別にいくら言われても事実として新井政美の論がないとか、そういう話にはなりませんから、この点については強固に否定するという人がいるなら、それはそれでウィキペディアではこういう議論も出来ないのだなぁと思うだけです。さて、歴史学には「多々益々弁ず」という標語があり、立証に当たって史実や史料から多くの事例をもって遺漏を極力避けて論を展開するのが良しとされています(史実に反例があればそれだけ正しくない根拠となります)。会社の企画会議を例に出されると、そもそも企業やイベントの企画会議と学術の論争というのは目的や論じられる趣旨が違いますから、それをもって議論の作法とするのはちょっと違うなと思います。ディベートについても、競技ディベートでは相手の表面的な論理矛盾や品行など信頼性を攻撃することで相手の立論自体の信用性を低下させるような手法が存在しますが、そのような手法はウィキペディアの議論では明確に避けられるべきです(これは方針文書にも明記されています)。私の認識するウィキペディアで本来求められている議論は、方針文書を読めば、どちらかといえば学術的な「多々益々弁ず」のスタイルに近いような気がしますが、これは個人的感想ですからなんとも言えません。--硯箱会話) 2017年6月23日 (金) 06:07 (UTC)

コメント 例えば、本記事の冒頭(概要の前、目次よりも上)に

  • 今日の歴史学分野における一般的な解釈によれば、『政教分離』とは本来西欧カトリック圏における固有の現象であり、その他の地域における類似の現象は西欧において成立した『政教分離原則』を個別に導入して成立している。よって本記事では原則、西欧カトリック圏における政教分離原則の成立の経緯を詳述する。

などと書いたら、読者の誤解は避けられると考えられます。--Susuka会話) 2017年6月23日 (金) 05:24 (UTC)

  • いちウィキペディアンの独自研究に引きずられてはいけません。あるアカウント利用者がいかに熱心にそうだと弁論しようとも【ヨーロッパ固有】などという学会での合意や常識は存在しておりません。「なんとなくそうだろうな」と理解していることと現実に文字として記述することは別のことです。--大和屋敷会話) 2017年6月23日 (金) 05:39 (UTC)
大和屋敷さんは相手の見解を矮小化することには熱心ですが、これまで文献に基づいて議論するということをなおざりにしていますね。「キリスト教国家論」の出典さえも現状で提示していない現状で、正当な信頼できる情報源に基づいて立証されている内容に対して、それを個人的感想で否定するというのはバランス感覚を欠いているとしか思われません。これまで大和屋敷さんは信頼できる情報源を提示し、それに基づいて検証可能な議論を展開してきましたでしょうか。文献的裏付けがないのならば、それは単に「言うは易し」でしかありません。--硯箱会話) 2017年6月23日 (金) 05:55 (UTC)
  • 矮小化ではなく論理的な間違いですよ。硯箱アカウント利用者の方が好事家であるにすぎないことがはっきりわかる文旨です。学術論文でこのような表現ができないことくらいすぐに分かる話しです。あなたはこのようなおかしな文字列で語を独自に定義しようとすることで学術そのものを否定しようとしているのです。--大和屋敷会話) 2017年6月23日 (金) 06:01 (UTC)
はっきり言って私には大和屋敷さんのおっしゃっていることがわかりません。「学術論文でこのような表現ができないこと」というのがすでにして眉唾で、これはまともに学術論文を読んでいる人の言とは思われません。「ヨーロッパ固有」という言葉は別に普通に使われていますね(阿部謹也を見よ)。「あなたはこのようなおかしな文字列で語を独自に定義しようとすることで学術そのものを否定しようとしているのです。」にいたってはもはや完全な大和屋敷さんの感想に過ぎず、正直以前自ら否定した「為に為す議論」をしているとしか思えません。--硯箱会話) 2017年6月23日 (金) 06:14 (UTC)

コメント 現在の論点は、

  • 「政教分離原則の成立は西欧カトリック圏独自の事象であり、他地域のそれは西欧からの伝播によって成り立っている」ことは、本当に学会の共通理解として成立しているのか。
  • (上点が成立している前提で)上点を明記した上で、記事名を「政教分離の歴史」(地域名を冠さず)としてよいか。

の2点です。1点目が了解されたら2点目は妥協できることであると思われますから、問題は1点目です。硯石さんは2017年6月20日 (火) 06:13 (UTC)に本節冒頭に記述されていますが、1点目は本当に正しいのでしょうか。私は門外漢なのでわかりかねますが、学会の動向はどうなのでしょうか(文献から総合して自分で推察したものは採用できません。『Wikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成』参照)。--Susuka会話) 2017年6月23日 (金) 06:15 (UTC)

1点目については当初からこのノートで争われているとは思えません。これまで議論で登場した山田欣吾、ベッケンフェルデの世俗化論、森安達也の『近代国家とキリスト教』、トルコについての新井政美の議論、金子晴勇の世俗主義論、日本についての山口輝臣『島地黙雷』、いずれも政教分離はキリスト教的世界観から生じたということを前提にしています。これを否定する文献はそもそもこれまでの議論で示されてはいませんよね。--硯箱会話) 2017年6月23日 (金) 06:44 (UTC)
硯箱さんが提示された前提は、硯箱さんの見方であり、一主張にすぎない、ということは、繰り返しこのノートで伝えていますが、その都度、硯箱さんから長文の反論があり、硯箱さんが論破したかのように思われて(実際は、再び一主張をされているだけで定説であると証明されていないまま)終わっている、という状況が続いていると認識しています。「政教分離原則の歴史」だと、アメリカなら「1791年の憲法修正1条で政教分離が成立して以降の憲法判断の変遷」を指すと思われる方もいると思います。日本であれば「国家的祭祀である神道がGHQにより国家神道と神社神道に分離され、かつ国家神道の禁止命令が出され、日本国憲法第20条が成立。以降の、宗教集団と政治との関わり」あたりを指すと思われる方もいるでしょう。「政教分離」=「政教分離原則」であるとみなした場合、起源ではなく、政教分離原則が成立してから今日までのそれぞれの国の歴史、を指してると思う人はいるでしょう。また、政教分離原則の3類型もしくは4類型の成立あたり、をイメージされる方もいるでしょう。『岩波キリスト教辞典』によると、「カトリック秩序の崩壊」が宗教戦争を「誘発」したとはありますが、伝播という記述は見当たりませんね。宗教は固有の文化なので、同じカトリック圏であれば「伝播」と言っていいかもしれませんが、異なる宗教間では「伝播」と言い切るのは違和感を感じますよね。常識論として、日本人であれば、今日の日本の政教分離原則がヨーロッパから伝播したものだと思ってる人は、まずいないでしょう。GHQからの押しつけ的なものなので、アメリカの影響という共通認識はあるでしょう。が、アメリカの政教分離原則がヨーロッパから伝播したということは、一部でそう主張する人もいるかもしれませんが、『岩波キリスト教辞典』にものってないので、定説ではないと思いますね。「政教分離」をどう定義するか、が曖昧なまま議論が継続してるのでわかりづらいですが、「政教分離」の定義次第では「西欧からの伝播によって成り立っている」という解釈も成り立つと思うので、その本で「政教分離」をどう定義してるかということまで見なければはっきりとしたことは言えないでしょう。「政教分離」は広義の意味で使われることもありますが、狭義の意味でも用いられるので、「カトリックの政教分離」という意味の文脈で「政教分離」という単語が用いられていれば「伝播」してると言えるでしょう。。--ぽてから会話) 2017年6月23日 (金) 07:32 (UTC)
こうした感想論がずっと繰り返されているのがこのノートの議論の無益なところです。はっきり言って、私にはぽてからさんはここまで長い意見を書いていますが、そのなかで一つもぽてからさんの思い描く定説の根拠を文献として示していません。主張するのは結構なのですが、何の文献も示さずに延々と感想を述べられても、「はあそうですか。でも文献に書いてあることは違いますよ」としか言いようがない。「アメリカの政教分離原則がヨーロッパから伝播したということは、一部でそう主張する人もいるかもしれませんが、『岩波キリスト教辞典』にものってないので、定説ではないと思いますね。」について、これをまともな判断だと思いますか?『岩波キリスト教辞典』にものってないから、アメリカの政教分離原則がキリスト教思想と関係ないなんて論旨が成り立つと本気で思っていて、それがもし今のウィキペディアで成立するなら、これはもう検証可能性や中立的な観点が死文化しているとしか言いようがない。一つの辞典が書き漏らしたことをもって、アメリカの政教分離がピューリタニズムに淵源を発するという膨大な研究実績を否定することに無頓着とはとても正常とは思えない。たとえばE・S・ガウスタットが『アメリカの政教分離』で彼らが新大陸でヨーロッパ型の国家と教会の連合体を作ろうとし、しかしそれはやがて国家教会形態よりはイギリス型の信教の自由の保障へと向かったと述べていることにも何の顧慮もなく、アメリカの政教分離はヨーロッパのキリスト教思想の影響にないと論じるわけですか?とてもまともな議論とは思えないです。--硯箱会話) 2017年6月23日 (金) 08:01 (UTC)
  • 「前提にしている」と固有はぜんぜんちがいますね。今後の研究の余地を全否定するような、このような新規の術語の定義に賛同するような研究者などどこにもいないでしょう。--大和屋敷会話) 2017年6月23日 (金) 07:47 (UTC)
正直何を言っているのかわからないのですが、「前提にしている」と固有はぜんぜんちがいますねというのは全く無論証で言葉の違いだけを指摘しているように見えますが、政教分離という過程がキリスト教社会を前提にしたヨーロッパ固有の社会事象であることは明白ですよね。「今後の研究の余地を全否定するような、このような新規の術語の定義に賛同するような研究者などどこにもいないでしょう。」についても「はあそうですか。でも文献で書いてあることは違いますよね。大和屋敷さんは文献も示さずに研究者研究者と言いますが、その研究者というのはきっと想像上のものなんでしょう」としか言いようがない、個人的感想に過ぎません。追伸ですが、大和屋敷さんは感想論をいろいろ論じられる前に、「キリスト教国家論」を論じている研究者を早く見つけてきて欲しいですね。そのほうがこの記事の議論に何倍も大きな貢献を為すでしょう。--硯箱会話) 2017年6月23日 (金) 08:01 (UTC)

質問 上で私が『Wikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成』を掲げたのは、様々な研究者が様々な関連書籍を史料として収集すれば、政教分離が西欧カトリック圏由来であるという説を唱えたり、それに反対したり、あるいは言及しなかったりして一様ではないからです。関連書籍の選択次第でどのような帰結も導き出すことができます。この分野の議論について、学会の潮流を端的に示している基幹学術誌のようなものは存在するのでしょうか。存在するのならば、それを参考するだけですので話は早いのですが。--Susuka会話) 2017年6月23日 (金) 08:27 (UTC)

山折哲雄監修の『宗教の事典』と『岩波キリスト教辞典』 をあげてますので、事典/辞典レベルを参考にするということでいいんじゃないでしょうか。山折哲雄氏は、硯箱さんがあげておられる日本人学者をはるかに凌駕する功績をお持ちです。要は、硯箱さんが信じている真実、だけが唯一絶対無二のものではない、ということです。事典にはのってないんですから、一つの説であるとしても、定説とは言えないということになります。それについては、121.107.20916さんがすでに立証してくださってます。文献として山折哲雄監修の『宗教の事典』と『岩波キリスト教辞典』をあげたうえに引用も記述しましたんで、まだ硯箱さんはお読みになってなかったようですが、ご覧ください。--ぽてから会話) 2017年6月23日 (金) 08:40 (UTC)
歴史学では分野別の学会分けが普通で、横断的なテーマ史を冠する学会はあまりない印象です。少なくとも政教分離学会なるものは聞いたことがないですね。現状では関連しそうな学会といえば法学では宗教法学会、比較法史学会、政治思想学会、「宗教と社会」学会ですかね。あと私にはぽてからさんの下の例示は別に私の見解と衝突する物ではない(繰り返しになるが、政教分離の宗教学の定義は宗教団体という定義がそもそもキリスト教ヨーロッパ的である〔山口輝臣『島地黙雷』・新井政美を見よ〕ことから、そのヨーロッパ起源性を前提としているし、政教分離がヨーロッパ固有の起源を持つことと様々な国に広がっていることは矛盾しない)ので、何かこれをもって政教分離がヨーロッパ固有に起源を持つ現象であることを否定しているとは思われません(むしろ補強している)。--硯箱会話) 2017年6月23日 (金) 08:57 (UTC)
再度、簡潔に述べます。山折哲雄監修の『宗教の事典』では、政教分離は政教分離原則と同じ概念として記述されてます。この記事に書かれた内容は、政教一致に分類されます。よって、政教分離の歴史=政教分離原理の歴史という意味になります。『宗教の事典』『岩波キリスト教辞典』ともに、「ヨーロッパから伝播されて政教分離原則が成立した」という記述はなく、そういう主張があることは否定しませんが、定説とは言えません。『宗教の事典』によると、アメリカの政教分離原則は、「多様な宗教的要求を平等に保障する必要などの要因から生まれてきたと考えられる」と書いてあるだけで、ヨーロッパから伝播したなどという記述は一切ありません。「政教分離原則がヨーロッパから伝播した」が定説であれば、必ず、『宗教の事典』と『岩波キリスト教辞典』にそう書いてあるはずです。--ぽてから会話) 2017年6月23日 (金) 09:05 (UTC)
この議論に意味があるのか私にはわかりませんが、「政教分離は政教分離原則と同じ概念」とはどこにも述べられていないですよね?「政治的支配権力または国家権力と、宗教的権威または宗教的集団が一致していること、または一致すべきであるという思想および制度を政教一致といい、それらが分離すべきであるという思想及び制度を政教分離という。」とあり、これが憲法に明文化されれば政教分離原則となると思われますが、思想段階でそれを原則と述べるとはとても思われないし、実際そのようなことは書いていませんね。そして「ここでの「政」とは広義には政治的支配権力を行使する君主または国家を指し、狭義には統治権の行使主体としての「政府」を指す。「教」は広義には宗教一般を、狭義には「宗教集団」または特定の「宗教団体」を指す。」という意味では明らかに歴史学的な政教分離論(国家機構と教会組織の分離)はこの定義に従っていますから、これを政教分離と呼ぶことを否定しているとは思われません。次に【アメリカの政教分離原則は、「多様な宗教的要求を平等に保障する必要などの要因から生まれてきたと考えられる」と書いてあるだけで、ヨーロッパから伝播したなどという記述は一切ありません。「政教分離原則がヨーロッパから伝播した」が定説であれば、必ず、『宗教の事典』と『岩波キリスト教辞典』にそう書いてあるはずです。】というのは憶測に過ぎず、書いてないからと言って別に定説を否定しているわけではありません。もし明確にアメリカの政教分離がヨーロッパ起源でないと述べているならいざ知らず、書いてないから存在しないというのは他に明確に言及している専門書がある以上、これは明らかになり立ちません。【この記事に書かれた内容は、政教一致に分類されます。よって、政教分離の歴史=政教分離原理の歴史という意味になります。】については単純に意味不明です。政教分離の歴史が政教分離原則の成立史として記述されている以上、政教分離前の政教一致体制について述べることは問題があることではありませんよね?これは明らかにこれまでの議論を踏まえていませんね。--硯箱会話) 2017年6月23日 (金) 09:17 (UTC)
『宗教の事典』によると、この記事で書かれた第二類型は政教一致に分類されるとはっきり書いてあります。「政教分離」について、「すなわち、政教分離原則」と書いてあり、まったく同一の意味をなす言葉とされています。それ以前は政教一致という概念に類型されると書いてある、ということです。硯箱さんはコメントが「感想論」になっていますので、お気を付けください。ご自分も、宗教事典レベルで、「伝播」が書いてある文献がある、と提示されればいいのですが、今まで一度もそうなさっていません。121.107.209.16さんの調査ですでに結論が出ていることですが、再度述べさせて頂きました。『宗教の事典』によると、アメリカの政教分離原則は、「多様な宗教的要求を平等に保障する必要などの要因から生まれてきたと考えられる」とされている事実は受け止めてください。これに、ヨーロッパから伝播されたことと矛盾しない、などと推測されるのは独自研究といいます。一つの主張がある、ということと、それが学界の定説である、ということは、また別であり、一つの主張をいろいろ書いて良いとはいえ、一つの主張が定説であるかのように書いてはいけない、ということです。この記事では、国家と教会の分離 (Separation of the State and Church) ではなく、「(中世)ヨーロッパの教会と国家 (Church and state in (medieval) Europe)」をメインとするのであれば、誤解の無いようにしなければならない(「政教分離の歴史」だけでは誤解される可能性がある)という意識は共有できたと考えて良いのか、ということを確認したかったのですが…やはり、すぐ確認できませんね。特に、ということもなければ、再びしばらく静観することとします。--ぽてから会話) 2017年6月23日 (金) 10:02 (UTC)
私の使っている「感想論」とぽてからさんの使っている「感想論」は異なるようです。少なくとも文献に基づかない意見は「感想論」でしかないというのが私の「感想論」です。そのうえで、ある事柄について事典レベルと権威ある専門家の書いている専門書のどちらが一般的に信頼性が高いかということについては言うまでもないことと思うのですが、そういう常識もウィキペディアで通用しないようでは、正常な議論がウィキペディアで成立するとは思われません。ウィキペディアでは主流な見解は主流なものとして、非主流の見解はそれ相応に書くことが認められており、それを推奨しております。が、実際の議論でそれが重視されないとあればそれは結局方針文書を死文化しているに等しい。【アメリカの政教分離原則は、「多様な宗教的要求を平等に保障する必要などの要因から生まれてきたと考えられる」とされている事実】は別にアメリカの政教分離がキリスト教思想的な淵源を持つことと矛盾しないし、私はそれを否定してもいないので、受け止めてくださいと言われても、そうですねとしか言いようがありません。それをもって別にアメリカの政教分離がヨーロッパ的な価値観に基づいていることは否定されるわけではありません。--硯箱会話) 2017年6月23日 (金) 10:17 (UTC)

返信 (Susukaさんへ)なるべく簡潔で明快なものを探しました。

  1. 「十六世紀から、ヨーロッパは世界征服へと出発する。そして徐々にすべての社会がヨーロッパとの関係によって決定されるようになる。キリスト教が輸出された。しかし、西欧の拡大はライシテ化を促進することになる。」(ジャン・ボベロ『世界のなかのライシテ』)
  2. 「政治神学と政治哲学の戦いは西欧ヨーロッパで起こった出来事であり、それ以外の地域や文化では生まれなかった(中略)(西欧世界での)長い政治神学との戦いによって政教分離が確立された」(マーク・リラ『神と国家の政治哲学 政教分離をめぐる戦いの歴史』)
  3. 「(前略)「政教分離」としてのライシズムが出現することになった。したがって、キリスト教に固有のこの概念を、イスラムの担い手であったオスマン史のなかに持ち込むことはふさわしくない」(新井政美『イスラムと近代』)
  4. 「「世俗化」概念はつねに「政教分離」や「教会へ通わなくなること」等々の、キリスト教社会から抽出されたイメージがつきまとう」(新井政美『イスラムと近代』)
  5. 「(前略)こうしたとらえ方は、「政教一致」が近代性の前提条件に反する野蛮にして後進的な制度であるという、キリスト教世界の価値判断に基づいている」(新井政美『イスラムと近代』)
  6. 「ヨーロッパ史においてそのありかたの特色を問うとする場合、(中略)ヨーロッパでは、その長い歴史を通じて政治ないし国家の「脱宗教化」、「世俗化」がなされ、宗教と政治の分離という原則が確立されるに至ったと言うことであり、それがヨーロッパ史の一つの大きな特色をなしているということである。」(山田欣吾『教会から国家へ』)--硯箱会話) 2017年6月23日 (金) 11:34 (UTC)

コメントまた盛り上がってしまっているようです・・・。

  • ①:「教会と国家の分離」現象(聖俗の分離)が「ヨーロッパ固有の歴史的現象」として発生し、その中で政教分離原則が誕生したことは、論理的帰結として正しいと言っていいと思うのですが、いかがでしょう
  • ②:世界各国や各宗教の政教分離にまつわる経緯が、多かれ少なかれ何等かの形でヨーロッパとの接触に端を発している点も別に問題ないと思います(その後の経緯は各地の事情による)。
  • ③:①のみを「政教分離」と呼ぶことは定説とまでは言えないと思います。ネット上で確認できる論文だと、「政教分離」と言う用語を使う学者の多くが言葉の定義の解説を入れる傾向があり、この単語を使えば自分の意図通りのイメージが伝わるとは多くの学者が思っていないという事だと思います。
  • ④:この記事は現状①を書いており、単に「政教分離」と言う用語を使うと③の問題から誤解が生じやすいというだけであり、それを避けるために「ヨーロッパにおける~」を記事名に入れたり、冒頭に解説を入れたり、と言う工夫をする、で合意できないでしょうか・・。

以下、ついでに参考の話になりますが、一応前にGreenland4さんがAmazonで発見し、硯箱さんが何回か言及している以下の本を買って来ました。

この本を選んだのは、このノートで話題に上がった本のうち通勤ルートにある書店で発見できたのがこれだけだったというだけの理由です。 で、この本も例によって「政教分離」と言う単語を使う際「どういう意味で」使っているかについて慎重な文脈になっているのですが(そして一般に我々がイメージする政教分離ともまた少し異なります。)、3ページ目の用語初出時に以下の注釈があります。

▼政教分離 政と教は分離されるべきであるとする考え方。この時の政と教はなんであるのかから始まり、信教の自由との関連まで、論者によってさまざまに用いられる厄介な言葉。

正直この注釈の「厄介な言葉」に笑ってしまったのですが、学者をして「厄介な言葉」とする単語にWikipedia上で正しい定義を与えるのは不可能な気がします。--TEN会話) 2017年6月23日 (金) 12:20 (UTC)

返信 (TENさんへ)あー、見つけてしまいましたか。以前会話ページのときに言及したのですが、私もそれには正直失笑を禁じ得ませんね。つまるところ原因はそこだよと言いたい。山口氏はそこで止まっていますが、問題はさらに関連する世俗主義(セキュラリズム)とかライシテ(ライシシズム)との棲み分けも明確でなく、それが結局これまでの議論でも用語に対する一致した見解を妨げている要因だと私は思っています。私としてはどうすればその語が明瞭になるのか、ウィキペディア上でわかりやすくなるのかはわからないので、「ヨーロッパにおける」をつけてそれが明確になるなら、それがいいんじゃないかと思います。--硯箱会話) 2017年6月23日 (金) 12:25 (UTC)
返信 Moon.riseです。硯箱さんへ。上記6点を出典として、硯箱さんが「ヨーロッパ固有」と主張されるのでしたら、日本語力に疑問があるものであり、独自研究ではないかという反対意見がついても仕方がないように思えます。これまでに硯箱さんから「各国が制度的に(その内実はともかく)政教分離を取り入れていることと政教分離の制度そのものがヨーロッパ固有の成立背景を持つことに矛盾はありません。2017年6月22日 (木) 10:30 (UTC)」「柔道は日本固有のスポーツであることに疑いはないと思いますが、それが世界的広がりを持つこととは矛盾しません。2017年6月22日 (木) 14:10 (UTC)」というコメントをいただいていますので、政教分離がヨーロッパに限られず各国に「ある」ということについては、認めていただけるものと思います。さてここで、「特有」という表現があります。「そのものだけが特にもっていること。また、そのさま。」[98]です。「政教分離はヨーロッパ特有のものではない」という文章は、上記6点の出典と矛盾せず、硯箱さんの見解と矛盾しません。では、次に進みます。次に「固有」という表現があります。これは「①本来持っていること。」「②そのものだけにあること。また、そのさま。特有。」[99] 注意するべきは意味が2つあることです。後者がある以上、「政教分離はヨーロッパ特有のものではない」というのが正解であれば、「政教分離はヨーロッパ固有のものではない」というもの正解になります。私が思いますに、上記6点の出典と、硯箱さんの見解は「政教分離はヨーロッパ(①本来持っていること)のものではない」ということについてであり、不公平なく理解するなら「半分正解で50点」というものではないでしょうか(これまで「断言」されてきたので、これはまずいと思います)。上記6点の出典は、政教分離がヨーロッパに限られず各国に「ある」ということと矛盾しません。もうひとつ。出典の3番で「したがって、キリスト教に固有のこの概念を」とありますが、この概念とは「ライシズムが出現することになった」にかかるのではないでしょうか。前文の結論は「ライシズムが出現することになった」であるはずです。--Moon.rise会話) 2017年6月23日 (金) 12:22 (UTC)
引用では省略されていますが、ライシズムは政教分離のことです。新井政美を直接参照すればわかりますし、以前も引用したので上の方に残っているはずですが、彼は狭義の政教分離=ライシテとしています。政教分離がヨーロッパに限られず各国に「ある」ということはそのとおりですが、「政教分離はヨーロッパ特有のものではない」というのが導き出される論理が意味不明ですね。マーク・リラを読めば明らかに政教分離はヨーロッパ以外で発生しなかったと論じています。これが「ヨーロッパ固有」の意味です。わかりにくければ「ヨーロッパ起源」とすればわかりますかね。同じ意味です。--硯箱会話) 2017年6月23日 (金) 12:31 (UTC)
返信 硯箱さんへ。「政教分離がヨーロッパに限られず各国にある」ということは、「政教分離がヨーロッパ(そのものだけが特にもっている)ものではない」ということであり、「政教分離はヨーロッパ特有のものではない」ということです。論理が意味不明なのではなく、硯箱さんの日本語の理解に問題があるものと思います。また、「ヨーロッパ起源」≠「ヨーロッパ固有」です。同じ意味ではないことを、辞書によって確認してください。こんないい加減なことで「ヨーロッパ固有」といわれていたのであれば、撤回された方がよいと思います。--Moon.rise会話) 2017年6月23日 (金) 12:44 (UTC)
返信 固有の意味はそのものに本来的に備わっているという意味です。「固有」とは独自、独特という意味です。国語事典の問答に何の意味があるのかわかりませんが、「ヨーロッパ固有」ということは「ヨーロッパだけ」という意味であり、「政教分離がヨーロッパ固有」という時には「政教分離がヨーロッパ独自」ということです。これから「ヨーロッパ起源」であることと同意であることは明確に理解されると思いますが、この禅問答みたいなのをこれ以上続けるのですか?--硯箱会話) 2017年6月23日 (金) 12:49 (UTC)
返信 硯箱さんへ。硯箱さんの日本語力の不足(の可能性)を指摘させていただくにあたって、出典なしに「間違っている気がします」では失礼でしょうから、国語辞典を引いて示しております。出典があると、ある意味では好意的に見ていただきたいものなのですが。
  • 独自:「①他とは関係なく自分ひとりであること。また、そのさま。」「②他と違って、そのものだけにあること。また、そのさま。独特。特有。」[100]
  • 独特:「そのものだけが特別にもっていること。また、そのさま。」[101]
  • 起源/起原:「物事の起こり。始まり。みなもと。」[102]
硯箱さんが「「固有」とは独自、独特という意味です。2017年6月23日 (金) 12:49 (UTC)」とされるなら、またしっかり「政教分離がヨーロッパに限られず各国にある」→「政教分離がヨーロッパ(そのものだけが特別にもっている)ものではない」→「政教分離はヨーロッパ独特のものではない」ということになります。また、「起源≠固有」「起源≠独自」「起源≠独特」であることもご確認ください。これまで「固有ではないのではないか?」という疑問が、ぽてからさんや大和屋敷さんからずっと寄せられていたのです。硯箱さんも自らの日本語を、この段で国語辞典で確認するくらいは、していただけないかと思います。--Moon.rise会話) 2017年6月23日 (金) 13:20 (UTC)
正直私には「ヨーロッパ固有」という表現を否定して、それを「ヨーロッパ独自」に置き換えたりしても言っていることは一緒なので、「ヨーロッパ固有」という表現を頑なに否定する意味もわかりませんし、それをもって議論が何か本質的に変化するわけではありませんから、この議論に価値を見いだせません。要は政教分離はほかでもないヨーロッパに固有の起源を持ち、それが世界に広まったというそのことの意味に変化はないので、「ヨーロッパ固有」という表現が仮に気に入らないなら、「ヨーロッパ起源」と置き換えたらわかりやすいんじゃないの?という話です。学術的には○○以外ほかでは起こりえなかったことを指して「○○固有」という表現をするので、それに従っているまでですが、それが嫌ならわかりやすい言葉で置き換えれば良い。それで何か本質が替わる話ではありません。--硯箱会話) 2017年6月23日 (金) 13:28 (UTC)
返信 硯箱さんへ。「「ヨーロッパ固有」という表現を否定して、それを「ヨーロッパ独自」に置き換えたり」ということであれば、固有=独自で意味を重ねているのは「そのものだけにあること。また、そのさま。特有。」であり、尚のこと「政教分離がヨーロッパ固有ではない」「政教分離がヨーロッパ独自ではない」ということです。硯箱さんは『政教分離が西ヨーロッパ固有だという「歴史学の常識」について』という長文を出されて、「常識として「政教分離が西ヨーロッパ固有」の性質を持つものであることを前提として共有していることの証左に私には思われます。この意味でもこの議論はほとんど常識論であると思われるのですが。」「政教分離が西ヨーロッパ固有だということが「歴史学の常識」だということはたしかに一定の価値判断を含みますが、しかしそれは史実と現実の事実関係に明確に基づいています。こうした発言については事実確認の類いですから撤回は不可能です。」という結論を主張されています。これがどのような意味かは、読み手は当然に日本語としてどのような意味かで受け取ります。日本語が間違っていたのであれば、それは撤回(または訂正)されるのがよいと思います。「まったく違う単語に読み替えれば意味が通るようになる」などというのは、議論の妨害にしかなりません。--Moon.rise会話) 2017年6月23日 (金) 13:59 (UTC)
率直に言ってこの議論は記事内容に何か益するものではなく、ただ単に私を批判したいだけの議論を展開していますよね。こういうのを「為にする議論」といいます。このことを争ってもまったく益するところはないのですし、政教分離がヨーロッパ固有の起源を持つことが歴史学的には常識として扱われていると私が事実として提示したことはなんら否定されるものもないので、これ以上は正直無用の議論です。読み手が一時的に読み間違えたとしても、ここまでの議論で論点は明確になっているのですから、それをとやかく言うことに意味があるとは思えません。--硯箱会話) 2017年6月23日 (金) 14:09 (UTC)
返信 端的に申し上げます。今後に硯箱さんの前で、もしどなたかが「政教分離はヨーロッパ固有のものではない」と主張(記述)しても、論争や編集合戦が起きることを避けられるでしょう。どなたかが「政教分離はヨーロッパ独特のものではない」と主張(記述)しても、論争や編集合戦が起きることを避けられるでしょう。それは有益なことだと思います。--Moon.rise会話) 2017年6月23日 (金) 15:51 (UTC)


コメント 今の論争についてですが、言葉のチョイスがどうであれ、硯石さんの主張が「政教分離の潮流の源は西欧カトリック圏の近代化の諸過程にあり、その他の地域の『政教分離』はその流れを汲んだものである」という趣旨であることは容易に推察できると思われます。
それから、硯石さんは2017年6月23日 (金) 12:25 (UTC) の発言で「「ヨーロッパにおける」をつけてそれが明確になるなら、それがいいんじゃないかと思います」と仰っています。硯石さんが記事名に「ヨーロッパ」を冠することを譲歩されたのなら、本議論は大きく進展したのではないでしょうか。--Susuka会話) 2017年6月23日 (金) 14:10 (UTC)

コメントここで日本語表現の正しさについてはあまり議論する意味はないと考えます。また、Susukaさんのご指摘通り、記事名に関する見解も確認できたということで、とりあえず一区切りできる形での全体合意形成は不可能ではないと考えます。

(参考)トルコのライクリッキについて[編集]

トルコのライクリッキ(表記としてはほかにラーイクリッキ、ラーイクリキなど。これを「政教分離」とはおそらく訳さない。「世俗主義」と訳されるのが普通)については、それが「宗教統制でありながら国家の宗教的中立性への要請が弱い」(小泉洋一、公法学者で海外宗教法専門に多数の論文あり)という点が明確で、これをフランスや日本と同等の「政教分離」という概念で捉えることは、少なくとも学界では否定的な意見が主流のように思われます。繰り返しになりますが、その代表例が新井政美で、『イスラムと近代化』で世俗主義(ライクリッキ)徹底のため制度としては「政教一致」体制を敷いたのがトルコだと明確に述べています。『世界のなかのライシテ』でジャン・ボベロも的確にもトルコの世俗主義のフランス・モデルが実態として1905年政教分離法以前の反教権主義に基づいていることを指摘し、それが宗教の国家統制であることを明確にしています(ボベロが現代日本については厳格なライシテ国家と述べているのとは対照的)。日本では政教分離と世俗主義はセットになっているので、こうした議論に一般市民は無頓着に思えますが、アカデミックな領域では世俗主義と政教分離は必ずしも同義ではないので、とくにトルコについては、ノートの議論の中ではこの点は明確にする必要があるのではないでしょうか。--硯箱会話) 2017年6月21日 (水) 01:49 (UTC)

(参考)政教一致・政教分離[編集]

山折哲雄著/監修、川村邦光・市川裕・大塚和夫・奥山直司・山中弘編 『宗教の事典』 朝倉書店、2012年、862-863頁。ISBN 9784254500158。より引用。

 政治的支配権力または国家権力と、宗教的権威または宗教的集団が一致していること、または一致すべきであるという思想および制度を政教一致といい、それらが分離すべきであるという思想及び制度を政教分離という。ここでの「政」とは広義には政治的支配権力を行使する君主または国家を指し、狭義には統治権の行使主体としての「政府」を指す。「教」は広義には宗教一般を、狭義には「宗教集団」または特定の「宗教団体」を指す。(略)

 ここで、多様な宗教と国家との関係について、3つの類型を紹介しておきたい。このうち前2者が「政教一致」の類型であり、第3が「政教分離」である。

 第一は教会国家主義 (Church-State, Kirchenstaatum) といわれる関係である。(略)第二の関係類型は、国家教会主義(State-Church, Staatkirchentum, Erastianism) である。(略)第三の関係類型が、国家と教会の分離 (Separation of the State and Church), すなわち政教分離原則である。(略)一般的に政教分離を求める圧力は、宗教内部における進行の鈍化を求める動き、合理化の進展、宗教からの独立を求める世俗的国家の要求、またアメリカ合衆国の誕生にみられるような多用的な宗教的要求を平等に保障する必要などの要因から生まれてきたと考えられる。

 歴史的に最初に政教分離を憲法において明文化したのはアメリカ合衆国である。(以下略)

山折哲雄氏監修の『宗教の事典』によると、この記事は、第一と第二の関係類型が大半を占めているために「政教一致」という分類となります。この事典では、「政教分離」は完全に「政教分離原則」と同じ意味で使用されてます。現在の記事を占めている記述が、「政教一致」の一過程と定義してる事典が存在してますから、「政教分離の歴史」という記事名だと「これは政教分離じゃないよ」と思う人も出てしまいますよね。この記事では、国家と教会の分離 (Separation of the State and Church) ではなく、「(中世)ヨーロッパの教会と国家 (Church and state in (medieval) Europe)」をメインとするのであれば、誤解の無いようにしなければならない(「政教分離の歴史」だけでは誤解される可能性がある)という意識は共有できたと考えて良いんでしょうか。余談ですが、WeblioがChurch and state in medieval Europeを、「政教分離の歴史」としてるのは、ウィキペディアの影響だろうと思われるので、誤訳の拡散は食い止めたいですね。--ぽてから会話) 2017年6月23日 (金) 06:04 (UTC)

(参考)政教分離 (Separation of the State and Church)[編集]

大貫隆; 名取四郎; 宮本久雄; 百瀬文晃 『岩波キリスト教辞典』 岩波書店、2002年6月10日。ISBN 978-4000802024

政教分離 (Separation of the State and Church),

 こうしたカトリック的秩序の崩壊と、各国における宗教と政治の複雑な競合・融合関係からは、数々の"宗教戦争"が誘発され、(略)政教分離問題は各国で様々な経緯をたどっている。

カトリック的秩序の崩壊が「伝播」とまでの表現ではない。各国における固有な関係性が存在するという前提において、宗教戦争が「誘発」されたという記述。「各国で様々な経緯をたどっている」のは定説。--ぽてから会話) 2017年6月23日 (金) 07:36 (UTC)

ブロック依頼検討の動議/硯箱[編集]

取り下げMoon.riseです。「Moon.riseにとって硯箱さんとは対話し得ない」「Greenland4さんにとって硯箱さんとは対話し得ない」ことが、確認できたと考えています。 すでに私にとって「編集合戦にしないこと自体を断念させられる」か「硯箱さんを方針違反者としてブロックする」という二つに一つだと考えています。

取り下げ私はこれまで、ごく真面目にこちらのノートページでの議論に参加してきたと思います。 私の信用に免じて、以下提案にお付き合いいただきたいものです。

  • 1.今このノートページで行なわれている、あらゆる話題の議論を一時中断してください。
  • 2.硯箱さんに対するブロック依頼検討の動議を出します。処置--Moon.rise会話) 2017年6月20日 (火) 16:01 (UTC)

利用者:Greenland4さん、利用者:121.107.209.16さん、利用者:TENさん、利用者:Susukaさん、利用者:Yuukin0248さん、利用者:ジャム・パンナさん、興味の有無はあるかもしれませんが、乗り掛かった舟とお付き合いをお願い申し上げたいです。

利用者:ぽてからさん、利用者:雅ハルカさん、利用者:大和屋敷さん、お忙しいかもしれませんが、一度この時だけ、お立ち寄りお願いできますか。

私の行ないたいことはシンプルです。正式のWikipedia:投稿ブロック依頼を提出することを念頭に、この場このノートページで、投稿ブロック依頼と同条件の「模擬投票」を求めます。 実の所、Wikipedia:投稿ブロック依頼/硯箱2017年3月26日 (日) 22:07 (UTC)がこれまでに提出され、「ブロックは見送ります」という結論で失敗しております。 当時はこのノートページでこの版[103]にあたる状況で、ノートページでの議論がまとまったとはいえず、議論続行でよいのではないかとされました。

私は今回、この時に、このノートページの議論参加者一同の「まとまった賛成意見」をもって、次段階で正式のWikipedia:投稿ブロック依頼を提出したいと考えております。

皆様、Wikipedia:投稿ブロックの方針を再度ご確認ください。Template:BLをご用意ください。 私が挙げる理由はこれです。Wikipedia:投稿ブロックの方針#コミュニティを消耗させる利用者利用者の行動のルールを、複数の別の利用者からたびたび説明されても理解しようとしない利用者は、コミュニティを消耗させる利用者として、理解できると思われるまでの期間ブロックされます。 このページでは、これを挙げる理由については不要と考えて特に述べません(説明を求められれば、述べます)。

また逆に、Moon.riseばかりが冷静ではないという可能性が、理論上はあると思います。 『 反対対話可能です。硯箱さんのこれまでの意図が、あれは○○、これは○○と説明できます。Moon.riseさんGreenland4さんに説明いたします』という方の登場を、祈らないわけでもありません。

審議[編集]

  • 取り下げ 依頼者票。硯箱さんのこれまでのコメントを見れば「今回だけ文章が読めない」ということは考えられません。過去の議論を読めば、そのようなごまかしが幾度も繰り返されてきました。また、私は「私としてはGreenland4さんが来てくださればこれからの議論、とくに後顧の憂いはないと思っており、Greenland4さんがまとめやすい形で決着していただければ問題ないです。--硯箱(会話) 2017年6月14日 (水) 13:28 (UTC)」これを全く信用しません。以前にも自主的休憩を宣言したり取り消したりされておりましたが、しかし移動合戦を行ない、保護依頼への直接陳情[104]を行なうなど、Wikipedia:腕ずくで解決しようとしないを確信的に無視しています。もし、この問題を放置して、差し当たりこちらの主ページの改名手続きが行われれば、再び硯箱さんによる編集合戦・移動合戦・Wikipedia:記事の所有権に違反する私物化が行われることを確信します。--Moon.rise会話) 2017年6月20日 (火) 09:58 (UTC)処置--Moon.rise会話) 2017年6月20日 (火) 16:01 (UTC)
返信 (Moon.riseさん宛) すみません、急展開過ぎてついていけません。せっかくある程度方向性が見えている議論を完全に中断して別の話題に移動する意味もわかりません。また中断の指示をMoon.riseさんから受ける理由もわかりません。ブロック依頼のシステムを正直良く把握していませんが、出すのならばそれはブロック依頼で議論すべきではないでしょうか。記事のノートでその記事についての会話ができないのは理解不能です。申し訳ありませんが、ブロック依頼の話題しかできないのであれば関与する意思を持ちません。--TEN会話) 2017年6月20日 (火) 11:43 (UTC)
返信 大和屋敷としましては当記事が「キリスト教思想史における国家論の歴史」→「キリスト教国家論の歴史」として自立し、あらためて『政教分離の歴史』というtitleが無罪放免、完全に開放されたことを確認しましてから、いちから起筆する予定ですので、現状でグダグダになっておりましてもさほど問題意識を感じているところではありません。それはさておき硯箱氏の編集検討への参加態度、他の編集参加者に対する暴言、および編集に対する誠実さには重大が疑義を抱いており具体的な論点を持っております。その点につきましてはご報告させていただきます。--大和屋敷会話) 2017年6月20日 (火) 12:56 (UTC)
返信 (TENさん宛) これまでのログ(こちらのノート)を元に、ある程度簡潔な報告コメントを用意しますので、多少の作業お時間をください。おおむね 2016年12月23日 (金) 05:36 (UTC)より、硯箱さんと(その時点の議論参加者)での対立と空回りが続いています。--Moon.rise会話) 2017年6月20日 (火) 13:04 (UTC)
返信 (TENさん宛) 報告の節を下に作りました。元々の経緯が膨大なので、抜き出しも簡潔とは呼べないような見た目です、それは申し訳なく思います。「せっかくある程度方向性が見えている議論を」というのは、残念ながら違って、Moon.riseとGreenland4さんにとっては「方向性が見通せなくなった」ということだと思います。「ブロック依頼で議論すべきではないでしょうか」というのは、私は違うと思います。ブロック依頼で「ノートでの議論はどうでしたか? 依頼者が攻撃のために勝手に出したのではありませんか? コミュニティの消耗ということでは、コミュニティの見解はどのような具合でしたか?」ということが話題になるのを見ております。「記事のノートでその記事についての会話」というのは、現状、硯箱さんとのコミュニケーションをどうするかが、こちらの主ページをどうするかに直結するということ。つまり扱うべき話題そのものと考えます。--Moon.rise会話) 2017年6月20日 (火) 14:42 (UTC)
返信 (Moon.riseさん宛) 一体何が言いたいのかわかりません。あなたとGreenland4さんの間で「方向性が見通せなくなった」と言う見解が成立したら(そうは見えませんが)他の参加者も自動的に方向性が見通せなくなったことになりブロック依頼以外の話を中断しなければならないのですか?あなたは以前、議論が進んでいた時に
  • Greenland4さんが「竜頭蛇尾」というご指摘をされてから約22時間、Susukaさんが「先に本記事の立項目的・守備範囲を合意するべき」といわれてから約20時間、 Greenland4さんが「記事名は「政教分離の歴史」に巻き戻すということでよいと思います」という見解を出して下さってから約8時間しか経過していません。
と言う理由で議論をスローダウンするように主張しています。今回Greenland4さんの最後の書き込みからあなたがブロック依頼以外の議論を停止するよう要求するまで2時間未満です。正直意味がわかりません。私の視点で今の出来事を説明すると①昨日まで普通に記事のあり方について議論していた⇒②会社に行って帰って来た⇒③ブロック依頼以外の議論ができなくなっていた。です。スローダウンと元々の議論の流れへの復帰を願います。
私の見解は以前も書きましたが「せっかくコメント依頼で議論に新たな参加者が入ったのに、硯箱さんと反対論者の対立と言う枠組みに落とし込んでしまっては過去ログの膨大な議論を繰り返すだけです」です。--TEN会話) 2017年6月20日 (火) 15:49 (UTC)
返信 (TENさん宛) 「他の参加者も自動的に方向性が見通せなくなったことになりブロック依頼以外の話を中断しなければならないのですか?」「2時間未満です。正直意味がわかりません」おっしゃる通りです。分かりました。スローダウンと、この節の(いや差し戻しということはないですので)取り下げ処置を、させていただきます。--Moon.rise会話) 2017年6月20日 (火) 15:57 (UTC)
  • 反対 記事のノートでこういう審議をすること自体に反対です。十分話し合ったし、もう多数決に入るフェーズってことじゃないですか?上のGreenland4様の提案の表のように意見を表にする→賛成者の少ない案は消す→残った案をブラッシュアップしてまた表にする→賛成者の少ない案は消す、という多数決を繰り返せば、最後には結論が出ます。全員が完全に納得いくのは無理でも、ベターな記事にはなりますし、共同作業ではそこが落としどころじゃないでしょうか。このテーマで全員が完全に意見を同じにするのは無理です。多数決をして、それでも硯箱様が「自分は納得してない」と記事を勝手に戻したらブロック依頼でいいと思いますけど。でもその時も、ノートでプレ審議はしないで直接ブロック依頼をした方がいいと思います。なんか晒刑みたいです・・・(硯箱様の行動に問題点があると思うなら、コメント依頼の方にまとめてください。)硯箱様がGreenland4様に任せると言ったんですから、自分の意見は議論の参考程度と思っていると思うし、説得しようとせずに「参考になります」でいいと思います。--ジャム・パンナ会話) 2017年6月20日 (火) 15:26 (UTC)
  • コメント ブロックに足る理由が十分にあると考えられるなら、それはWikipedia:投稿ブロック依頼の案件。その前段で「どういう行動が問題か、改善を促したり第三者の意見を求める」ならWikipedia:コメント依頼の案件です。提出された内容とこの下のセクションをざっと見た限りは、現時点でオープンであるWikipedia:コメント依頼/硯箱で「仕切り直し状態における問題点」を整理し、第三者に意見を求める形が正解かと思います。少なくとも、このノートで扱うべき案件ではありません。--アルトクール会話) 2017年6月20日 (火) 15:46 (UTC)
返信 (アルトクールさん宛) コメントありがとうございます。「少なくとも、このノートで扱うべき案件ではありません」そのようにしていきます。--Moon.rise会話) 2017年6月20日 (火) 15:53 (UTC)
あら、あっけないですね。こういう為になす提案は遠慮して欲しいですね。--大和屋敷会話) 2017年6月20日 (火) 18:34 (UTC)
返信 「為になす提案」というお言葉が正確には分からなかったのですが(検索もしてみましたが)、「遠慮して欲しいですね」ということははっきりしたお言葉だと思います。受け止めさせていただきます。--Moon.rise会話) 2017年6月21日 (水) 00:04 (UTC)
  • コメント これ以降、利用者による行為ならばWikipedia:コメント依頼Wikipedia:投稿ブロック依頼へお願いします。ここは記事の改善に向けての議論をする場です。その議論が記事の改善に値するかを考えてお願いします。--Yuukin0248会話) 2017年6月21日 (水) 05:26 (UTC)
  • コメント 上記の議論についてですが、決して無駄ではなかったと思います。多くの方に発言をいただいて活発な議論となっていることについて、非常に感謝しておりますので、できましたら、このようなささいなことにより議論から離れられることなく、再び議論をみなさんで再開できればと思ってます。また、Wikipedia:コメント依頼/硯箱で自身から発言することは控えていましたが、仕切り直しとしてご活用いただければと思います。--ぽてから会話) 2017年6月21日 (水) 22:32 (UTC)

報告&改めて提案[編集]

報告[編集]

  • 報告 ノートでの合意にもとづき、
「1 政教分離における歴史学的視座」にコントアウトを付し、
「2.2 古代のキリスト教思想(〜500年)」を「初期キリスト教」に移動し、
「2.3 キリスト教普遍世界(500年〜1500年)」を「中世ヨーロッパ」に移動しました。--Greenland4会話) 2017年6月23日 (金) 10:47 (UTC)
  • 確認 合意部分の編集、ありがとうございます。--Yuukin0248[会話/履歴] 2017年6月23日 (金) 11:29 (UTC)
  • 確認Greenland4さんの編集を確認するとともに、全面的に支持します。--硯箱会話) 2017年6月23日 (金) 11:37 (UTC)
  • 確認 編集ありがとうございます。正直このノートで話してきた事が全部無駄に終わるんじゃないかと不安でしたw。--TEN会話) 2017年6月23日 (金) 12:35 (UTC)
  • 確認 Greenland4さん、おつかれさまです。ありがとうございます。--Moon.rise会話) 2017年6月23日 (金) 12:46 (UTC)
  • 確認 移動編集ありがとうございます。--121.107.209.16 2017年6月23日 (金) 15:41 (UTC)
  • 確認 ありがとうございます。書式の微調整などを行いました。不備が見つかりましたら、修正をお願いします。残った案件は記事名の確定と、フランス革命などの追記(「竜頭蛇尾」状態の克服)でしょうか。記事のラストをどの部分にするのかも検討が必要ですね。--Susuka会話) 2017年6月23日 (金) 15:50 (UTC)

改めて提案[編集]

  • 提案 みなさま、御確認ありがとうございました。図らずも無知浅学で我がまま気まま、礼儀知らずな私が、分不相応にもかかわらず進行役のようなかたちとなり、みなさまにたいへん不愉快な思いをさせてきたのではないかと思います。数々の不行き届きの段、お許しください。水に流していただけると幸いです。とくに硯箱さんには大変無礼なことを申し上げました。重ねてお詫び申し上げます。さて、前回提案の(1)~(6)のうち、前節報告のコメントアウトおよび移動編集によって、(1)~(3)は解決したことになります。121.107.209.16さん、Susukaさんには移動後の書式調整など御尽力いただきまして、ありがとうございました。移動後の各記事をみれば、いかにこの記事が精魂込められた素晴らしい記事であるかがわかろうかと思います。実は「初期キリスト教」「中世ヨーロッパ」ともにそれぞれ幅広い対象を扱う壮大な記事であり、古代史・中世史に詳しい方々から磨きがかけられ、さらに良い記事になっていくのではないかとおおいに期待されるのであり、各記事「再生」の場に立ち会えたこと、嬉しく思います。のこるは(4)~(6)、言い換えれば、「記事名」と「時代」ということですが、議論を通じて「空間的広がり(地域)」が新たな論点として浮かび上がったという段階ではないかと思います。「記事名」「時代」「地域」は、それぞれ互いに深く結びついており、これについては一連の御意見となろうかと思います。一挙に全部と欲張らず、とりあえず「記事名」にしぼって話を進めたらどうでしょう。少し整理をさせていただくと、
A 改名せず(「キリスト教国家論」を維持)
B1 記事名「政教分離の歴史」(全世界を対象)
B2 記事名「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」(主としてヨーロッパを対象)
B3 記事名「政教分離成立の歴史」
B4 B1~B3以外で「政教分離」を使用した記事名
C 「政教分離」を使用しない記事名

このなかから選ぶということにしたら、いかがでしょうか。ここで気をつけたいのは、《「政教分離の歴史」(主としてヨーロッパを対象)》は候補から外したいということです。これは騒動のもとになりますから、これだけは避けたい。そして、議論が長引いた場合でも、少なくともAではない=おそらくBのどれかになりそうということになったら、その段階から編集可能としてもよいのではないかと思います。--Greenland4会話) 2017年6月23日 (金) 18:41 (UTC) 

提案 (追加)差し出がましい提案かもしれませんが、いったんGA(良質な記事)は返上したらどうかと思います。おそらくは中世部分が評価されたうえでのGAだろうと思うので。ノートで完全合意が成立したら、そのときあらためてGAなりFAなりを目標にしたらよいのではないかと思います。共通の目標ができたら、かつての論争相手も編集協力者という関係に変化し、気持ちよくこの問題を終えることができるかもしれないからです。--Greenland4会話) 2017年6月23日 (金) 20:03 (UTC)
コメントでは、言い出しっぺから。B1~B3のどれでもよいと思います。B1が簡潔さと自由度においてすぐれていて、B2とB3は厳密さにおいてすぐれていますが、そういう意味ではB3が意外とよいのではないかと思います。書き手の誤解も少なく、読み手が予備知識ゼロでも記事名自体が政教分離(原則)の起源が欧米にあることを「教える」ものだからです。理想はB1で、「後史」部分を硯箱さんが書いてくださるとたいへん良い記事になるのではないかと思います。私は無理です(やる気も能力もありません)。ただし、そうなったとしても、「固有」論は、少なくとも記事のなかでは封印していただきたいと思います。いくら固有だと言っても、現実には言葉そのものが固有に使われていないので固有にならないということで、結局わからなかったです。この議論には向いていないと痛感しました。B2でもよいと思います。以下の議事進行はどなたかにお願いして、おいとましたく思います。--Greenland4会話) 2017年6月23日 (金) 19:01 (UTC)(少し加筆)--Greenland4会話) 2017年6月23日 (金) 19:20 (UTC)
  • コメント まず、Greenland4さん、TENさんにおかれましては、歴史学的観点による硯箱さんの主張を解説・補強してくださり、合意形成を引き出して下さるなどの大きなお働きについて、深く感謝しているということを述べさせてください。また、Moon.riseさん、ジャム・パンナさん、Susukaさんなどの常識的な見地からの発言や素朴な疑問・発言なども、大変参考になりました。Yuukin0248さんの簡潔なまとめ、アルトクールさんのご仲裁、初期から議論にご参加され進行役も務めて下さった雅ハルカさんと大和屋敷さん、そして最初に改善を試みて下さり非常に面倒な文献調査をしてくださった121.107.209.16さんにおかれましては、それぞれがWikipediaの記事をよくするために多くの時間を費やされたことと思います。それについても感謝しかありません。硯箱さんにも、記事名の改名に反対しない旨を再びご表明いただきましたことについて感謝いたします。
現時点でいいと思う記事名は、
  • B4「政教分離原則成立史」
  • B4「政教分離」としてこの記事にして定義を書き歴史節を設ける(定義としては、意味は定まっていないとし、使用例を書くしかないでしょうが)
  • B4「政教分離原則成立の歴史」
  • B3「政教分離成立の歴史」
  • B4「ヨーロッパにおける政教分離」としてこの記事が扱う範囲を定義部に記し歴史節を設ける
  • 「ヨーロッパの教会と国家」
  • B2「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」
です。私は記事名に、「〜の歴史」とつけることに長らく反対の立場を取ってきました。理由としては、政教分離はときに政教分離原則ライシテライクリッキなどと同じ概念として使用されることがある言葉なので、「政教分離の歴史」だけだと「政教分離原則の歴史」などと勘違いされる恐れがあるからです。その点、「政教分離原則成立史」や「政教分離原則成立の歴史」であれば誤認はないんだろうと思います。「ヨーロッパの教会と国家」はそういう翻訳が多いと思ったためですが、Greenland4さんなどから「教会と国家」を見てどのように感じたかというコメントを拝見し、これも一般的にわかりづらい名前なんだろうと認識しました。また、121.107.209.16さんがイングランドとニューイングランドにおける政教分離の歴史を新規立項してくださったので、「政教分離の歴史」を複数記事に担当させて「政教分離の歴史」シリーズの一つという位置づけで「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」のようにしていくのも、利便性が高まるといえるでしょう。この記事に何を加筆できるのかがまだ定まってないので、多めに挙げておこうと思います。
硯箱さんが執筆された内容は、歴史学的知見に基づいていることが前提なのですが、「歴史学的知見」「歴史学的視座」というひと言で済ませてしまっては、Greenland4さん、TENさんのような深い知識をお持ちの方なら阿吽の呼吸で理解されるとはいえ、一般的には非常にわかりづらいんじゃないかと思ってます。一番分かりづらいのは、「歴史学的知見」に基づくと、なんで政教分離原則ライシテライクリッキと違う概念を指すことになるのか、ということじゃないでしょうか。これについては、硯箱さんの、狭義の政教分離がライシテライシズムと同義として用いられるという発言で解決を見たと思います。当初から論点となってたのは、硯箱さんが主張されている「政教分離」は、一つの主張にすぎず、一般的には共有されてないために、それを一主張として記述するのはいいとしても、一般的には独自研究や雑多な記事の羅列にしか見えない、ということです。定義部には新たに、この記事における「政教分離」が、ライシテライクリッキほどの狭義の意味を指さず、また、政教分離原則ほどの広義の意味を指さないということ、この記事において「政」が指す範囲と「教」が指す範囲等を簡潔に概説すべきじゃないかと思います。まあ、できれば硯箱さんが主張される「政教分離」の定義を執筆していただけると議論しやすくなるのですが、難しいでしょうかね。また、アメリカ合衆国やフランス革命以降の「政教分離」を政教分離原則#歴史のみで記述するなら、政教分離の歴史政教分離原則#歴史へのリダイレクトがいいんじゃないかと思います。ちなみに、この議論の初期段階では、私はこの記事は「(中世)ヨーロッパの教会と国家」にすればいいと思ってましたので、アメリカ合衆国などは政教分離原則#歴史に書けば良いんじゃないの? と主張をしてたと記憶してます(履歴は見てませんがおそらく。文献で言うと『宗教の事典』でいう第三類型(アメリカ等)は政教分離原則にぜんぶ書けば良いという主旨の主張)。これらの分野について、(今後は硯箱さんが編集されないということなので)現時点で意欲的に執筆されてる121.107.209.16さんがどう考えられているのかも参考とさせてもらえればと思ってます。いったんGA(良質な記事)を返上し改めて目指すということについては、そのほうが良いでしょう。--ぽてから会話) 2017年6月23日 (金) 21:16 (UTC)
コメント新しいロードマップを提示していただきありがとうございます。横槍をいれてばかりで会話さんにはストレスをかけていると思いますが、冷静な対応と議論の方向性の提示に本当に感謝しております。以下、意見です。
歴史学的知見に基づいている、と言う表現が適切かはさておき、歴史分野に関連する書籍と照らして硯箱さんの書いている内容は総体的には違和感を感じるものでは無い、と言うのが個人的な感想ではあります(私の読む分野の本はちょっとこの記事の主題とは直接関わる領域の物ではありませんが)。長文からくる主張の分かりにくさや議論姿勢について思う所はありますが、主張されていることは独自研究と切って捨てることができるような突飛な話ではないという感想です。ただし、ぽてからさんの言われる通り、そして昨日買ってきた書籍にある通り、政教分離と言う単語自体が多義性のある単語であるため、当然のように教会と国家の分離現象と言う意味で使用しては一般的には意味が解らないと言う意見に同意します。
その上で、私の意見としては以下です。(上にあるほど好ましい記事名であると思います)
  • B2「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」・・・(この場合「政教分離の歴史」は曖昧さ回避のようなページになるのかなと思っています))
  • B1「政教分離の歴史」(全世界を対象)・・・ただし冒頭に言葉の定義に関する簡潔な説明を設ける形式とするのが絶対条件
また、反対の立場を述べるのは建設的でないかもしれませんが
  • B3「政教分離成立の歴史」・・・(政教分離の多用な意味のうち、本記事の現状である「ヨーロッパにおける聖権と俗権の分離」と言う意味あいと適合しづらい名前に見えます)
には個人的に賛成しづらいです(大多数の方がそれでまとまるなら、仕方ないかもしれませんが・・)
  • A「キリスト教国家論の歴史」・・(一言で言って「キリスト教国家論」が一体何なのかがわからないです。この名前にもとづいてこの記事がどう編集されていくのか、「政教分離の歴史」よりわかりづらくなると思います)
には明確に反対させてください。--TEN会話) 2017年6月23日 (金) 22:06 (UTC)
コメント 専門的な知識から提案やコメントをされたGreenland4さんをはじめ、皆様が記事の改善のために議論に参加していただいたことに感謝します。
さて、記事名に絞って話を進めることと、GA返上に賛成します。
GA返上は、ここまで分割が行われているのですから必然です。分割された部分や現在の記事は無出典が多いですから、それらを直した上でGAは可能だと思います(それにしても、要出典が多いですね)。以下は、改名提案へのコメントです。
  • A 一応反対します。TENさんが『「キリスト教国家論」が何なのかわからない』と仰られていますが、その通りだと思います。
  • B1 反対はしません。結局、今回分割が進められた部分や「政教分離原則」への案内が行われるなど、この記事名で担えないことはありません。
  • B2 100%主観となってしまったため、表明しません。ただ、ぽてからさんも仰られたように「○○の歴史」を構成する記事となるため、わかりやすくなる。
  • B3 賛成寄りです。概要を読むに、政教分離が成立していった歴史を扱っているというのが読み取れますので、案の中ではかなり優れていると思います。
  • B4/C 意見はありませんが、「ヨーロッパの教会と国家」にも興味があります。
と、いったところでしょうか。なかなか決め手がありませんので、申し訳ありません。--Yuukin0248[会話/履歴] 2017年6月24日 (土) 00:25 (UTC)
コメント 皆様のご協力に心より感謝します。そして硯箱さんも分割に合意していただきありがとうございます。すでに内容豊かな初期キリスト教中世ヨーロッパに対しても今後私からも加筆をしていくこともあるかと思います。さて、記事名についてですが、B2の「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」でもいいのですが、私はB1「政教分離の歴史」でよろしいのではないかと考えます。
私がこの記事への編集に関わったのは内容よりも、分量の過剰が最初に気になったためでした。しかし分量の問題もGreenland4さんの移動分割と硯箱さんによる合意によって解決いたしました。その意味では、残された記事の名前について私は特にこだわりはありません。
  • A 「キリスト教国家論」は大和屋敷さんのご提案ですが、この提案について私は一度賛同しながらのちに硯箱さんの異議を認めて撤回しています。なお、私は当時の改名議論では「キリスト教と国家」「教会と国家」などを提案していました。日本語や英語の各種事典でも「キリスト教と国家」「教会と国家」という項目は存在しますし、「政教分離」の英語の直訳は「教会と国家の分離」なので、本来の意味に忠実なのであればこれの方が適切なのですが、日本の一般用語としては全く定着していません。個人的には「政教分離」は誤訳と思っていますが、日本語として定着している以上、Wikipedia:記事名の付け方から賛成いたします。つまり、「キリスト教と国家」「教会と国家」は撤回しますし、また「キリスト教国家論」または「キリスト教国家」については、#「キリスト教国家論」の関連文献を読み込んだうえで新規立項するといいと思います。以前の改名議論は、分割以前の「古代・中世・近世総論」状態について、硯箱さんが記事の統一性の観点より分割に反対されていたので、しかたなく改名議論へとシフトチェンジしました。しかし、いまやその改名議論の前提である記事分量問題が解決いたしましたので、硯箱さんが文献を提示しつつ反論もされているので、もはや「キリスト教国家論」にこだわる理由もないのではないかと思います。大和屋敷さんもおそらくは同意されるのではないでしょうか。
  • B1「政教分離の歴史」がベスト。
  • B2の「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」は可。「イングランドとニューイングランドにおける政教分離の歴史と併存させるというのもいいと思いますが、硯箱さんも反対されていることですし、私はこだわりません。
  • B4、Cは「政教分離の歴史」に「成立」や「原則」といった語句を付与することに反対はしません。なお、「政教分離と政教分離原則は異なる」という見解に対しては、広義の政教分離と狭義の政教分離の違いであって、「政教分離とは、世俗化や近代化といった歴史的過程を経て、憲法上の政教分離原則として結実するまでの一連の過程、あるいはその過程における教会・宗教と国家の関係のこと」ではないかと思います。この定義は独自研究です(笑)。wikipedia技術上からいえば、「政教分離」(総論)と「政教分離 (法学)」を分けるというアイデアもあるかと思います。これもいま思いついただけのことを発言しているだけなので、私からこの点について学術的な議論をする気はありませんので軽く聞き流していただければと思います。--121.107.209.16 2017年6月24日 (土) 13:03 (UTC)
コメント Moon.riseです。合意部分の編集および、次段階の記事名まとめへと進んでまいりましたことを嬉しく思います。すべての皆様への感謝と、特に、これまで提案・進行して下さっているGreenland4さんへの感謝を申し上げさせてください。また、これまでの流れから、私からTENさんへの感謝も特に申し述べさせていただきたいです。
さて、記事名についての意見です。
  • B2 記事名「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」(主としてヨーロッパを対象) 私の意見ではこれがベストと思っております。理由はこれまでに挙げてきた通りではありますが、「記事の守備範囲を明確にする」これができることを重要と考えております。
  • B3 記事名「政教分離成立の歴史」 次いでこちらもよいと思っております。理由についてはほぼ同じです。こちらの場合には、すでにある「イングランドとニューイングランドにおける政教分離の歴史」との併存について、きれいに整合するのかどうかが、ちょっと気にはなります。--Moon.rise会話) 2017年6月26日 (月) 11:45 (UTC)

関連する質問・提案・報告等[編集]

(サブ節化させていただきました) --Greenland4会話) 2017年6月24日 (土) 15:45 (UTC)


(質問と提案)横からすみません。前回の改名提案の手続きはいつだったのでしょうか。Wikipedia:改名提案をみても探すことができませんでした。今回の分割提案はSusukaさんがやってくださって助かったのですが。もし、手続きをしていないのだとしたら、いったん分割前の名称「政教分離の歴史」に差し戻すべきではないでしょうか。そのうえで、あらためて「キリスト教国家論の歴史」など、正式に改名提案をおこなうべきではないかと思いますが、いかがでしょうか。--Greenland4会話) 2017年6月24日 (土) 13:12 (UTC)

Susuka(会話)さんが2017年3月11日 (土) 17:20に提案されています。その後、議論停止案件で除去されました[105]。大和屋敷さんの「キリスト教国家論の歴史」の改名提案は 2017年5月27日 (土) 12:09です。--121.107.209.16 2017年6月24日 (土) 13:39 (UTC)
返信 そうでしたか。過去ログはまったく見ていないのでトンチンカンな質問をしてしまいました。御丁寧な返答、ありがとうございました。提案を取り下げます。--Greenland4会話) 2017年6月24日 (土) 13:44 (UTC)
コメント 121.107.209.16さん、新記事作成お疲れ様です。そして、ありがとうございます。上でYuukin0248さんもおっしゃっていますが、「要出典」タグ、「独自研究」タグが異様に貼られていて、本記事、「初期キリスト教」、「中世ヨーロッパ」(「中世ヨーロッパにおける教会と国家」に改名を提案中)、いずれも、よく練られた素晴らしい文章であるにもかかわらず、可読性がおおいに損なわれています。こういうタグが貼られてしまうと、どんなによいことが書いてあっても「文字列」にしかみえないような人も出てきてしまうので、実に不毛で情けない話です。これは、本改名提案とは別に今からでも着手できることであり、また、緊急に取り組まなければならないことでもあります。今は、出典に関しては以前より厳しくなっていて、極端な話、一つの文につき一つ以上の出典をつけなければならないような状況ですので、そのあたりもお含みいただいて、各自、可読性の向上に御協力くださいますよう、よろしくお願いいたします。--Greenland4会話) 2017年6月26日 (月) 00:29 (UTC)
コメント 言葉足らずでした。121.107.209.16さんには、分割後の2記事について「正確性」タグの除去などの作業をしていただいており、可読性が格段に向上しております。上のお願いは主として本記事にかかわることです。検証可能性に関しては、山川出版社の「宗教の世界史」シリーズなどでも相当補えるものと思います。
よろしくお願いします。--Greenland4会話) 2017年6月26日 (月) 00:56 (UTC)

記事の守備範囲についての議論をサブページで行う提案[編集]

提案 突然ですが、サブページでの議論を提案します。このノートページは容量も多く1コメントあたりの分量も多くなっているのでとても読みにくいように感じます。ですから記事の守備範囲に関する議論はサブページで行いたいと考えています。あくまでも記事の守備範囲に限ります。#コメント依頼提出の報告#Greenland4さんの6点の提案をサブページに移動して、そこから記事の守備範囲についての議論を行いたいと思います。提案時点のノートの容量は493,287バイトと、異常です。1週間反対意見がなければ実施します。--Yuukin0248会話) 2017年6月15日 (木) 10:10 (UTC)

反対 長い議論が決着しそうですので、せっかくの御提案で申し訳ありませんが反対させていただきます。--121.107.209.16 2017年6月15日 (木) 13:51 (UTC) すみません、議論が継続しそうですので、反対を撤回します。--121.107.209.16 2017年6月19日 (月) 13:25 (UTC)

取り下げ っと思ったのですが、思ったより進むスピードも速く、過去ログ化もされていますので撤回します。--Yuukin0248[会話/履歴] 2017年6月23日 (金) 23:45 (UTC)