ノート:手 (沖縄武術)

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221.249.48.138氏が、 2006年4月24日 (月) 11:54 版で

> もっとも今度は、御殿手は八光流柔術からの影響によって創作されたと主張した評論家が、空手雑誌 で全面的な謝罪を行うなど、新展開もあり、おおむね史実が証明されつつある。

と書いておられますが、この内容は「御殿手は八光流柔術からの影響によって創作されたものではない」ということを意味するだけで、「手が御殿手の源流である」という主張とどのような関係があるのでしょうか。210.170.214.248 2006年4月24日 (月) 12:07 (UTC)[返信]

2チャンネルの武板で質問したらどうですか。ウィキは、質問コーナーじゃないですよ。 2006年4月24日(月)12:46 222.151.94.211の発言。

そうですか。貴方には質問としか読めませんか。
  • 御殿手は八光流柔術からの影響によって創作されたものではない
  • 「手が御殿手の源流である」という主張
このふたつが論理的に何の関連も無いという意味だと書かないとわかりませんか。210.170.214.248 2006年4月24日 (月) 15:10 (UTC)[返信]

>学術的な証明が困難であるためである。

 琉球王国時代の武術史については、口承以外に、いかなる資料も現存せず、 従って、口承を除外して、学術的な議論はなりたちえません。もし、口承以外 に、何らかの古文書が存在するなら、それは世紀の発見となりますから、是非ご呈示 お願いします。 山元2006年6月11日 (日) 14:35(UTC)

申し訳ありません。私の履歴記載ミスです。たいへん失礼いたしました。Izayohi 2006年6月12日 (月) 22:31 (UTC)[返信]
口承以外に何らかの古文書が存在「しない」から「学術的な証明が困難」と書いたのですが。

> これは、沖縄手の実在を示すものが、戦前の唐手の大家達の口承のみであるがゆえ、学術的な証明が困難であるためである。
と書いたはずですが。
山元様(履歴とこのノートで表記が異なりますが履歴に従います)は、口承以外に資料が現存しないことを理由に、口承資料の信頼性については全く考慮しなくても良いというお考えと理解しましたが、それでよろしいでしょうか?
まず、歴史学において、口承以外に史料が現存しない分野は他にも存在しますが、口承以外に資料が現存しないことのみを理由として口承資料を全面的に信頼してもよいという事例は存在しません。(無論、根拠なく「口承資料を全面的に信頼してもよい」とする研究者も一部いますが、大抵その者の学問に対する態度が疑われます)
戦前の唐手の大家達の口承を尊重するのはかまいませんが、その説が立脚している根拠が口承資料のみである限り、その口承資料の信頼性を立証しない限り学術的な証明はできません。(口承以外に史料が現存しないからといって、口承資料の信頼性に対する疑いを免れるものではありません)
また、「沖縄手の実在そのものが議論がわかれている」ことや「沖縄手の実在を示すものが、戦前の唐手の大家達の口承のみであるがゆえ、学術的な証明が困難である」ことを本文から隠蔽しようとしている時点で、戦前の唐手の大家達の口承に反する記述は一切認めないという意図があるのではないかと勘ぐりたくなります。
210.170.214.234 2006年6月12日 (月) 16:20 (UTC)[返信]

まず、学術的議論をお望みでしたら、アカウントを取られることをおすすめします。

さて、学問(学術)の定義ですが、すべての学問には、対象があります。生物学なら生物法律学なら法律歴史学なら歴史がその学問の対象です。琉球武術史学の場合は、琉球武術史が対象です。

琉球の武術を明らかにするためには、

  1. 古文書(石碑などを含む)
  2. 口碑(口承)

が有力な資料となりますが、古文書については、ほとんど現存しません。従って、口碑が重要になります。ところで、明治の唐手家の大家は、それ以前(琉球王国時代)の唐手家の口碑に基づいて、著書を書いています。これが資料として重要なのは、

  1. 「手(ティ)」の時代から数十年しか経っていない。
  2. 彼ら明治の大家が話を聞いた古老達は、実際に「手(ティ)」を見聞していた可能性がある。

つまり、口碑(口承)にも、信頼度のランクがあるとすれば、安里、船越、本部、摩文仁らが聞いた口碑は、第一級の価値があるわけです。ちなみに、歴史学で価値のある古文書は、たいてい口碑を数十年後に編纂したという場合が珍しくありません。新約聖書古事記史記などがそうです。これらは、数十年、数百年前から伝わる口碑を文書したものです。つまり、口碑に学問的価値をおかないというのは、そもそも学問的態度ではありません。

>「沖縄手の実在そのものが議論がわかれている」

具体的にどの著者、著作か明示お願いします。貴殿は自説の学術的根拠を一度も明示されていません。私は戦後の著名な空手史研究書はたいてい目を通していますが、手(沖縄手)を否定する研究書はほとんどありません。「議論が分かれてる」と書きながら、その根拠となる研究者や著書を一つも明示していないのでは、学術的議論とは言えません。たとえば、「ティを肯定する研究者とそれを否定する研究者で二分されていて、議論は分かれてる」と書くためには、反対している研究者の名、書物名、その数が実際に肯定派と同数か、という認識がなければ、ウソになります。私が知る限りでは、否定派は「圧倒的少数」です。戦後の著名な長嶺将真、高宮城繁などの研究者も、沖縄固有の武術の存在を肯定しています。--山元 2006年6月13日 (火) 01:42 (UTC)[返信]

> 「手(ティ)」の時代から数十年しか経っていない。
> 彼ら明治の大家が話を聞いた古老達は、実際に「手(ティ)」を見聞していた可能性がある。
山元様が書かれたこの部分を拝読して何か私と根本的な認識のずれを感じましたので、本文をもう一度読ませていただきました。
> 唐手は沖縄においても、佐久川以降、19世紀初頭からはじまった比較的新しい武術だったのである。
と書いておられることにやっと気が付きました。
400年も昔の事績を口承のみで自分が学んでいる武術もしくは流派の歴史をむりやり古くしようとしている輩と誤解しておりました。
口承のみを振りかざし、どのような史料が存在しても、あるいは根本的に歴史的にありえない内容であろうと郷土史編纂に介入してくる古武道家(沖縄ではなく本土ですが)ばかりを見たせいか、偏見に染まっていたようです。
申し訳ありません。撤回させていただきます。
210.170.214.249 2006年6月13日 (火) 12:52 (UTC)[返信]
了解しました。私は、唐手の歴史を長く引き延ばすことに対しては懐疑的です。口碑でも、唐手という言葉が使われるのは佐久川寛賀がもっとも古く、それ以前の真壁朝顕など、沖縄にも徒手空拳の武術家はいましたが、彼らが果たして私たちが今日理解している空手(唐手)家であったかは、分からないのです。厳密に言うと、佐久川ですら、「唐手佐久川」とあだ名がついているから唐手の始祖と言われているだけで、本当に彼が唐手家だったかも定かではありません。佐久川がナイハンチやパッサイやクーサンクーといった空手の代表的な型をしていたのか、全く口碑にも伝わっていません。私たちが確認できるもっとも古い唐手家は佐久川の弟子の松村宗棍です。松村以前は、「ティ」の使い手とするのが、より正確かもしれません。それゆえ、唐手は19世紀以降の武術、それ以前の17,18世紀は「手の時代」としたほうが、より学術的にも厳密で正確だと考えています。--山元 2006年6月14日 (水) 04:35 (UTC)[返信]