ノート:恐山

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無名の節1[編集]

  • 週間少年ジャンプで1998年から、2004年まで連載されていた。シャーマンキングで舞台にされたところで、スポット、舞台にされている作品を作っておいた方がいいんんでしょうか?ミナ(匿名)--219.211.176.3 2007年8月11日 (土) 11:03 (UTC)[返信]

無名の節2[編集]

  • 「川や湖の水が異常に透明であるのも、水に火山ガスが溶け込み、酸性値が高いため、生物の生育に適していないからである。」の部分ですが、湖に流れ込む酸性の水に適応したウグイが済んでいますので湖には魚は居ないかも知れませんが、川には生息しているようです。ただ、そのウグイも最近ニュースで危機的状況という記事を読んだ事があります。あおもりくま@ログインパスワード忘れた。--126.213.10.219 2014年9月5日 (金) 09:37 (UTC)[返信]

無名の節3[編集]

  • 「鉱山としての恐山」の項目にやや事実誤認があるようでしたので、「近代における恐山」とし、修正・記述を追加しておきました。
以前の版にあった「1969年、昭和44年に廃坑となったが、その後、むつ市田名部の円通寺が跡地利用をしてお地蔵様のテーマパーク「恐山霊場」を運営している。現在でも恐山霊場内は硫黄鉱山の遺構があり、恐山霊場の独特の光景は、硫黄鉱山の露天掘りをした大規模な土木工事の痕跡である」の部分について、執筆者はあの岩石の露出した風景が鉱山の採掘によって人工的に作られたもので、信仰の対象となったのは戦後のこととお考えのようですが、そのように捉える出典がわかりませんでした。鉱山が建設される以前(と思われる)の明治期の文献に、すでにこの地を地獄・極楽の顕現と見なす庶民信仰が存在したことが記されており、また現在と同様の風景であったことを示す古写真も残っています。宗教に対する考えかたは様々でしょうが、短からぬ間、そして現在にあっても信仰の対象になっているものを「テーマパーク」と揶揄するような記述は、百科事典としてふさわしくないように思いました。
なお、具体的な鉱山の開山の時期、採掘が行われた詳細な場所等については詳らかにしませんが、重要な事項だと思いますので、情報をお持ちの方は補足をお願いします。積み石・風車についても、おおむね以前の版を残す形にしてありますが、歴史的にどう行われてきたのか、あるいは文化的・宗教的意味などについてご存知の方は、よろしくお願いします。--漂泊子会話2014年9月9日 (火) 00:59 (UTC)[返信]
  • 2014年11月30日のDr Jimmy氏による編集で、「開山」の項目が11月17日に私が加筆修正した以前の版にロールバックされる形になっていますが、この編集の意味がわかりませんでした。
本来、この項目も「近代における恐山」を執筆した際に同時に編集すべきでしたが、見落していましたため、修正したものです。2014年9月7日以前の版では、恐山霊場の建設が戦後、硫黄鉱山の廃鉱後とされていましたが、上記のとおり、明治中期にすでに現在と同様の風景と信仰が存在したことが、文献によって知られます。よって「近代における恐山」として加筆修正したのですが、しかしこの「開山」の部分に、「恐山霊場の施設は、戦後、恐山鉱山が廃坑となってから、廃坑跡地に円通寺が霊場を建設したものである。」という文章が残っておりましたため、ページの内部で矛盾が生じておりました。
これを解消する方向に部分修正したわけですが、Dr Jimmy氏がページの内部に矛盾を残したままの状態のほうがベターだとした根拠がわかりませんでしたので、「開山」の項目には円仁による貞観期の開山の情報のみあればよいと判断し、とりあえずこの部分を削除いたしました。もし、硫黄鉱山の具体的な採掘状況やそれによる地形の変化、廃鉱後の施設の扱い、この時期の霊場に対する信仰のありかたなどについてご存知でしたら、典拠文献とともに「近代における恐山」の項目にご加筆いただければと思います。
なお、宿泊施設が「意外に近代的」であることにはかなり主観がまじっており、また現在時においてもNTTドコモの携帯電話しか使用できないことは出典が不明でしたため、あわせて削除いたしました。ほかのキャリアのホームページで確認しましても、電波は届いているようですが…--漂泊子 2014年12月5日 (金) 13:18 (UTC)

「口寄せの霊場・恐山」、「イタコ」と曹洞宗の関係[編集]

  • 住職のコメントについて
何度か色々な方に削除されている内容、住職のコメントが差し戻されているようですが、削除した方の編集内容要約にあります通り、百科事典として相応しくない内容と思われます。出典らしき物は明記されていますが、第三者による客観的見解ではなく、恐山の関係者による主観的な発言を載せるというのは、宣伝行為とも受け取れます(内容の如何に関わらず)。
この住職のコメントについては、とりあえずコメントアウトさせていただきます。差し戻される場合は、この見出し以下で議論を行いましょう。--Lattice in the Lettuce会話2014年12月12日 (金) 19:42 (UTC)[返信]
「口寄せの霊場・恐山」または「イタコ」についての南直哉氏の一連の発言は、「主観的発言」どころか、曹洞宗による、または恐山菩提寺の責任者による、当事者としての公式見解であり、従って、百科事典としてぜひとも掲載すべき内容であると考えます。Lettuce氏が削除対象とした文章のでき具合はともかくとして、
  1. 「恐山菩提寺」が曹洞宗の管轄下にあること
  2. 「恐山がイタコの霊場となり、イタコによる口寄せ活動が行われていること」は「曹洞宗の教義とは直接の関係がないこと」
  3. 恐山で口寄せ活動を行うイタコが曹洞宗や菩提寺と統属関係・雇用関係などを持っていないこと。
などの項目は、すべて霊場・恐山やイタコの特徴を明らかにする事項として特筆性を有しており、ゆえに、この3項目について「内容の如何に関わらず」「宣伝行為」だとするLettuce氏の主張には全く同意できません。--Dalaibaatur会話2017年1月28日 (土) 08:25 (UTC)[返信]
「イタコが曹洞宗や菩提寺と統属関係・雇用関係などを持っていない」というのは、当事者もしくは非常に詳しい第三者のみ知り得る事と存じます。百科事典は一般常識的立場からの見解とすべきであり、裁判のように特殊な事例を以ってして議論すべきではないと思われます。もちろんその特例の出典の真偽を確定させた上で、これは宣伝行為には当たらないと主張する事は可能でしょう。ただ、真偽よりも、一般の方が見た場合にどのような印象を受けるか(つまり住職のコメントを第三者による見解と判別可能かどうか)についても考慮が必要です。--Lattice in the Lettuce会話2017年2月18日 (土) 08:53 (UTC)[返信]
>>「イタコが曹洞宗や菩提寺と統属関係・雇用関係などを持っていない」というのは、当事者もしくは非常に詳しい第三者のみ知り得る事と存じます。
>>百科事典は一般常識的立場からの見解とすべきであり、
コメントその「〜すべきであり」というご見解はWikipediaのガイドラインとか方針としてさだめられているものですか?
>>裁判のように特殊な事例を以ってして議論すべきではないと思われます。
コメント裁判がこの件となんの関係がありますか?
>>真偽よりも、一般の方が見た場合にどのような印象を受けるか(つまり住職のコメントを第三者による見解と判別可能かどうか)についても考慮が必要です
コメント出典たる文献の著者名から南直哉氏(この人がこの件の出典の著者ですね?)のWikipedia記事へリンクすることもできるし(その場合は出典たる文献を参考文献節にだけ載せるのではなく、本文内に脚注として書くべきです)、それでも「判別」可能性に不安があるなら、本文の該当部分に「恐山菩提寺の住職代理である南直哉によると〜」といったように但し書きを付ければ、誰でも「判別」できるのでは?
今の版に載っているイタコについての記述がどういう意味で「宣伝」と言えるのか私には分かりません。「あれは宣伝に見える」と思う方は、ご自身でその「宣伝性」の内実を描写しなくてよろしいのでしょうか。--Leonidjp会話2017年2月18日 (土) 10:14 (UTC)[返信]
(出典を持っているかたに質問)このイタコの件の出典は、参考文献節に載っている新潮新書の『恐山』だとおもいますが、実際に出典として用いたページはその本の何ページでしょうか? それから、そのページを出典としてこの記事に記入されている文の始点と終点を教えていただけますか?--Leonidjp会話2017年2月18日 (土) 10:42 (UTC)[返信]
2017年1月28日の編集で参考文献の項目に1点追加しました、南直哉・玄侑宗久『同時代禅僧対談 “問い”の問答』佼成出版社 (2008/01)などでも言及されています。冒頭部、南さんが玄侑さんに恐山について説明するなかで、言及されています。図書館で借りてすぐ返してしまった本で、ページ数が確認できないので、記事に反映させることはしていませんが、問題のテーマは、検証可能性を満たす典拠をしっかりと有している、特筆性のある事柄だとおもいます。--Dalaibaatur会話2017年10月28日 (土) 12:00 (UTC)[返信]
利用者:Dalaibaaturさまへ。ご応答ありがとうございます。この編集で参考文献節に資料を2つお載せになっていて、脚注は付けておられないとお見受けします。この二冊が出典となっている部分というのは、恐山本文の、
恐山大祭や恐山秋詣りには、イタコマチ(イタコがテントを張って軒を連ねている場所)に多くの人が並び、イタコの口寄せが行われる。なお恐山で口寄せが行われたのは戦後になってからであり、恐山にイタコは常住していない。また恐山菩提寺はイタコについて全く関与していない。イタコは、八戸や、青森から恐山の開山期間中にのみ出張してきており、むつ市には定住していない。
というところですか?(ここでの議論の流れからそのように見当をつけましたが、これで正しいでしょうか?)--Leonidjp会話2017年10月28日 (土) 13:18 (UTC)[返信]
自分の投稿を再確認。たしかに2点、参考文献を付加していました。この2著には、その文面の9割くらい、典拠たりうる記述があったようにおもいます。ただし
イタコマチ(イタコがテントを張って軒を連ねている場所)に多くの人が
という部分については、これを裏付けるような記述はなかったようにおもいます。この2著を再度借りて、文面やページ数を確認しなおす、ということをしていないので、問題の記述にこの2著を関連付けるということはしていません。--Dalaibaatur会話2017年10月28日 (土) 15:32 (UTC)[返信]
承知しました。とりあえず、その二冊は上述の引用部分(恐山大祭や〜定住していない。)の出典として用いられている資料であるということを、記事内にコメントででも書いておこうと思います。現状のままですと、どの本がどこの出典なのか分かりにくい状態となっておりますので。--Leonidjp会話2017年10月28日 (土) 22:45 (UTC)[返信]
上引の文面(恐山大祭や〜定住していない)は、私が執筆したわけではないので、「その二冊は上述の引用部分の出典として用いられている」というご理解は正確ではないのですが、該当箇所に対し検証可能性を満たす典拠たりうる情報を含んでいることはまちがいないので、ご提案の編集は、問題なかろうとおもいます(該当書を所蔵する図書館に赴く機会があった際、またはたまたま書店でみかけた際には、問題の情報が記載されているページを確認したくおもいます)。--Dalaibaatur会話2017年10月31日 (火) 06:28 (UTC)[返信]

(インデント戻します) 承知しました。「確実に上述の箇所の出典だ」とまではいえないというニュアンスを、記事のコメントアウト部分にも書き加えておきます。--Leonidjp会話2017年10月31日 (火) 07:15 (UTC)[返信]