ノート:徳川家光

ナビゲーションに移動 検索に移動

詳しくは知らんので、とりあえず年月日を補充しておきます。booze 03:11 2003年7月11日 (UTC)

国千代は朝倉氏が乳母についていたはずですが。

その話は知りませんでした。参照した藤井譲治『徳川家光』でははっきり忠長には乳母が付けられず、江与のもとで育てられたとありましたので、それに従いました。宜しければ史料提示&本文訂正おねがいします。--でここ 2006年5月23日 (火) 21:14 (UTC)[返信]
忠長の乳母、朝倉局は土井利勝の妹で、その夫が朝倉宣正の妻だったそうです。家光は世継なので一屋敷の主人として育ったのであって、忠長はそうではなかったということではないでしょうか。貴人の子どもは乳母をつけること自体当たり前だったので(しかも複数…)家光も春日局のほかに祖心尼も乳母として仕えていたような。Ayakey 2007年2月28日 (水) 14:55 (UTC)[返信]
とりあえず永井路子氏の「異議あり日本史」に載っているみたいですが、私が呼んだのがこれだったのか定かではありません。はっきりし次第書き込みますね。Ayakey 2007年2月28日 (水) 15:01 (UTC)[返信]

削除される方へ、お願いがあります[編集]

この徳川家光ページの履歴を見ますと、一定項目を定期的に全削除している方がいらっしゃいます。内容に疑問や誤りを見付けられたのでしたら、せめて全削除ではなく該当部分の修正をお願い出来ないものでしょうか? 宜しくお願いいたします。--匿名2006年9月25日 (月) 02:36 (UTC)


下記の文章についてはソースが張られていない、または一小説家の持論に過ぎず信憑性の薄い記事であり、削除対象に値すると判断し、人物・評価評価の項目から削除いたします。

日光東照宮の建設などに家康以来の蓄財を浪費し、幕府財政窮乏の端緒を作ったとも言われる。

幕藩体制の完成者として高く評価される家光だが、それは幕閣の重臣(老中松平信綱阿部忠秋堀田正盛側衆中根正盛)たちによるものであり、家光自身の能力では無かったという意見もある。海音寺潮五郎は、「家康は全て自分で決めた。秀忠はそれには及ばなかったが半分は自分で決めた。家光は全て重臣任せであった。」としてその能力を否定し、名君であったかのような評判は幕閣の宣伝であると見なしている。 --Enter5000 2008年7月3日 (木) 20:01 (UTC)[返信]


下記の『男色に耽って』という事項について。注釈にある、家光が死去した時に殉死したからと言って、その理由が寵愛を受けていたためとは結びつかないことと、そのソースとなるテレビ番組もバラエティー性が強く、信憑性に欠けることから、削除に値すると判断し削除しました。

青年時代には男色に耽って:堀田正盛、阿部重次、酒井重澄らは家光の寵愛を受けたとされている。堀田、阿部は家光が死去した際に殉死している。:女を一切近づけず:テレビ東京、2010年10月25日『月曜プレミア!愛憎歴史ミステリー’’女たちの裏日本史’’禁断の大奥SP!!』より。この放送では「春日局の教育が厳しい為に女性に興味を持たなかった為に男色に耽った説」も挙げている。 --ひこにゃんの遣い 2011年10月28日 (金) 06:18 (UTC)[返信]

配役リスト[編集]

大河ででの家光役者リストが加筆されましたが、ここを参照すると映像作品で家光を演じた人物はこれだけいます。大河のみの配役リストを載せるのは問題あると思いますし、これだけのリストを載せる必要性も感じません。配役リストはあまり必要でないように思えるのですが。--でここ 2007年3月22日 (木) 12:44 (UTC)[返信]

男色趣味について[編集]

大河ドラマ記事春日局 (NHK大河ドラマ)において家光の男色趣味に触れていないと批判的記述があって、このエピソードは確定的で取捨選択の余地は無いのかなと疑問に思ったのですが、家光の男色趣味って具体的にどういう史料に基づいているのでしょうか。こういうことは典拠を調べにくる人も多いでしょうから、しっかり典拠を記しておくべきだと思います。--でここ 2007年5月22日 (火) 04:20 (UTC)[返信]

女性関係の項目について[編集]

男色のトピックについて信憑性が欠けるので削除されたことについてはともかく、女性関係の項目についても要出典まみれなのに削除に値されないのはなぜなのでしょうか。--Udoyumio会話) 2017年6月14日 (水) 04:51 (UTC)[返信]