ノート:広島市への原子爆弾投下

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一部転記と一部削除の提案[編集]

過去の議論でも提案されていますが、#その後の広島#戦後の節の核軍拡と核保有国の増加の記事は核兵器のページの核兵器#核兵器の歴史#冷戦時代の核競争核兵器#核兵器の歴史#冷戦終結後の核兵器の節へ転記、核軍縮の記事は核兵器のページの核兵器#核兵器の歴史#核兵器廃絶への取り組みの節に転記しようと考えてます。理由は過去に述べられているように、第二次世界大戦後の核軍拡と核軍縮は広島市への原子爆弾投下に属する事項ではなく核兵器全般に属する事項だから。過去に述べられているように、転記後にこのページには、第二次世界大戦後の核軍拡と核軍縮は核兵器のページの核兵器の歴史の節を参照とのリンクにしようと考えてます。

高校野球の話はページの内容と直接関係ないので削除しようと考えてます。ティベッツ機長の死去ですが、広島と長崎への原子爆弾投下は爆撃機の機長レベルの判断ではなく、トルーマン大統領の命令(トルーマン大統領の責任と同義)による作戦であり、退役して数十年後の死はティベッツの私事であり、広島市への原子爆弾投下#その後の広島の歴史とは関係無いと考えます(作戦参加機の搭乗員全員の死亡年月日を記載してるわけではなく、長崎市への原子爆弾投下では同様の記載は無いこと、極東国際軍事裁判でも、機長や艦長や部隊司令官レベルの人は戦争責任は問われていないこと、例えば真珠湾攻撃部隊の艦隊司令官も航空隊司令官も、政府や軍の幹部とは異なり戦争責任は問われていないことからも、一般的な考えではティベッツ個人の責任ではないことが理由。)。ティベッツは終生、自分は軍人として命令に従って職務を遂行しただけであり、後悔や謝罪の気持ちは無いと(公にはそう語っていたが、ティベッツの内面の本心でどのように考えていたのか、退役後の人生の中で考えが変わったのか変わらなかったのか他人には知りえない、ただし軍人・元軍人なら、一般的にはティベッツの公式発言のように表現することはよくあること。)表現していたが、トルーマン大統領以後の歴代のアメリカ合衆国政府や連邦議会が原爆投下を正当化し続けていることのほうが、核兵器拡散の抑止、核兵器の軍縮・廃絶、戦争や戦争下の人道犯罪・環境破壊の抑止、世界各国の政府や市民からのアメリカ合衆国に対する信頼回復にとってはるかに大きな問題と考える。--Blend 2009年1月21日 (水) 07:50 (UTC)以上のコメントは、Moegino会話履歴)氏が[2009年1月21日 (水) 07:50]に投稿したものです(Standclubによる付記)。

私のノートにて直接広島に関係ない記述を整理してまとめました、参照[[1]]。反対意見が無いようでしたらこれでいきたいと思います。終戦までは今のままで、ビキニ水爆は長崎同様、と大きく関わりがあると位置付けて残しました。--あな@34 2009年4月24日 (金) 02:32 (UTC)

一週間たちましたが、特に意見が無いようですので、編集しました--あな@34 2009年5月1日 (金) 09:42 (UTC)。

 冒頭の記述に虐殺と入れるのは是か非か [編集]

少し前にも似たような記述がありましたが[2]…これをこの項目の冒頭で記述することははたして必要でしょうか?

私案としては冒頭は

広島市への原子爆弾投下(ひろしましへのげんしばくだんとうか)とは第二次世界大戦末期の1945年8月6日午前8時15分、アメリカ軍による日本の広島県広島市に投下された原子爆弾(以下原爆と記す)による人類初の核兵器による都市攻撃のことである。

等にとどめ、具体的な被害については本文に記すということにしたいのですが、いかがでしょうか?すべての当事者が無差別虐殺である、と主張しているわけではないですし(アメリカとか)、両論併記という手もあるでしょうが、それだと冒頭の記述が肥大化するでしょうから。そもそも「虐殺である」と書いてあるだけでは誰が主張しているのかが分かりにくいです、しかしながら日本の被爆者等が虐殺であると主張していることをこの項目で記述することは当然必要ですが、それは冒頭でなく本文で独立して記述する事柄だと考えます。--あな@34 2009年5月4日 (月) 18:49 (UTC)

第2案

広島市への原子爆弾投下(ひろしましへのげんしばくだんとうか)では、第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)8月6日、午前8時15分に、アメリカ軍が日本の広島県広島市に対して投下した原子爆弾(以下『原爆』と記す)に関する記述を行う。これは実戦で使われた世界最初の核兵器である。この一発の兵器により当時の広島市の人口35万人(推定)のうち約14万人が死亡した。

広島県、広島市などを指す「広島」が「ヒロシマ」とカナ表記される場合は広島市への原爆投下を指すことが多い。

長崎市への原子爆弾投下の冒頭表記と合わせてみました。意見が無いようでしたら、最初の提案から1週間たったと見なし、明日2案で編集致します--あな@34 2009年5月10日 (日) 05:46 (UTC)

編集しました。今後も虐殺の表記される方が出ると思われるので、暫くテンプレはそのままにしています。--あな@34 2009年5月12日 (火) 10:19 (UTC)

私も日本人ですし、『虐殺』と書きたい気持ちは分からないではありません。しかしあくまでもウィキは百科事典でありますので、あまり感情的な記述・表現は控えた上で客観的な記述に止めるべきです。--121.80.162.150 2009年5月17日 (日) 14:44 (UTC)

特定のIPユーザーによる過剰記述と考えられますね。『虐殺』という表現を用いた感情的な記述が何度も繰り返されるのであれば、『荒らし』行為と見なして何らかの手段を考えなければならないでしょう。--男梅 2009年8月8日 (土) 02:34 (UTC)

再考を求めます。「虐殺」であることに間違いありませんし、更に「原子爆弾の影響を調べるための人体実験であった」という文章は、冒頭の解説に入れる必要があると考えます。このことを示す文献資料も多数あり、客観的事実に合致すると考えます。--Nife 2009年8月20日 (木) 18:17 (UTC)

議論の途中でIPユーザーが書き込みをしましたが、議論の合意形成を妨害する行為ですので、取り消します。「虐殺」であると記述することの合意形成のために、努力しましょうね。--Nife 2009年8月24日 (月) 21:27 (UTC)
戦略爆撃における民間人殺傷について、議論があり、批判が少ない無いのは承知しているが、『「虐殺」であることに間違いない』という意見には反対。学術的に、戦略爆撃が100%虐殺であるとの結論は得られていない。--Los688 2009年9月6日 (日) 01:50 (UTC)
IPの「虐殺」記述を悉く取り消してる身ですが、主語(虐殺であることを誰が定義づけているのか)が曖昧すぎるのが主な理由で、私は原爆投下はアメリカ軍による虐殺行為であると思ってますし、この項目の中で記述すること自体には反対していません。問題なのは虐殺であるという記述をどこに入れるかと私は思います。--あな@34 2009年9月6日 (日) 07:47 (UTC)
ついでに言えばここは「原爆投下が虐殺であるか、ないか」を議論してるわけではありませんのであしからず。虐殺にしろ、そうでないにしろそのような意見が出ているのであれば、「歴史的評価」なりあらたな節を設けて記述するべきでしょう。--あな@34 2009年9月7日 (月) 10:08 (UTC)
あな@34のご意見に賛同します。このページは戦略爆撃の正当性・違法性を論じる場所ではありません。また原爆投下が未曾有の大虐殺行為であるとするのであれば、日本各都市への爆撃・ドレスデン爆撃等々も『虐殺行為である』と記述しなければ整合性に欠けます。感情的な記述は控えるべきです。--121.83.105.233 2009年9月11日 (金) 11:23 (UTC)
多数決で決めることではないとは思いますけれども、こういうアンケートはあります。しかし、きちんとした学術論文がなければ、「虐殺であるという評価もある」と書けないわけですね。冒頭に記載することについても反対がありました。私は、他の空襲も一般市民の虐殺であったと思いますが、原爆の場合は更に「戦術として必要でないのに、戦後のアメリカの覇権のために、被曝者の人体実験をも目的として、原爆を投下した」ことから虐殺だと記述するのがよいと考えています。--Nife 2009年9月12日 (土) 02:58 (UTC)
Nife さんの主張は論点がずれているような感じがします。『虐殺である』と書き込むのと『虐殺であるとする意見も存在する(参考文献記述)』と書き込むのは趣旨が違います(先のは感情的な記述・後のは参考文献に基づいた記述)。問題は冒頭の記述で『未曾有の大虐殺である』などと書き込む行為の是非を議論しているのであって、原爆投下を含む戦略爆撃の違法性について記述したいのであれば、別に新しいページを作るか、あるいは関連のページ(『アメリカの戦争犯罪』というページがありますね)に記述する方が得策ではないかと考えます。原爆投下について、専門家の間でも様々な意見がある現状を考えると、あな@34さんが修正された現在の記述が現在の所一番ベストな表現と考えます。蛇足ですが、当方はNife さんの主張されるように、原爆投下は一般非戦闘員に対する大量虐殺と理解しています。--男梅 2009年9月12日 (土) 04:23 (UTC)
Nife さんが「アメリカによる虐殺である」ことについて記載すると主張なさるなら、Nife さんが考える文案を示していただけないでしょうか?私は両論併記(この場合加害者であるアメリカ側からみた主張と思います)があるなら記述しても良いと思いますが、それらを冒頭の見出しに書けば肥大化して分かりづらいので(節を設けて記述するべきと思います)私は冒頭部に記述するのは反対ですし、かと言って一連のIPユ-ザーの記述だけではあまりに略しすぎて説明になっていないでしょうから。--あな@34 2009年9月13日 (日) 12:01 (UTC)

「広島原爆をテーマとした作品」分割提案[編集]

全体的な項目の記述量が増えてきてますし、大きく削除出来る箇所が見当たらなく、これらの分割を提案しますが、いかがでしょうか?--あな@34 2009年5月26日 (火) 13:16 (UTC)

分量的にも十分ですし、最も分割が容易なものですね。記事名はこれが最適なのかはわかりませんが、分割した後でも何とかなりますし。分割の際は、{{main|広島原爆をテーマとした作品}}で誘導していただけると幸いです。--open-box 2009年5月29日 (金) 11:25 (UTC)

「大きいから分割」は理由にもならないので、反対ですね。

大項目主義 対 小項目主義 は、以前からしばしば論争になっていますが、この手の議論は不毛な論争です。--Northface 2009年5月30日 (土) 09:24 (UTC)

Wikipedia:ページの分割と統合の「分割すべき場合」の『ページの分量が肥大化したため、読者にとって全体の見通しが悪く不便な場合』に照らし合わせてみたんですが…。「分割すべきでない場合」に『サイズのみを理由に分割がされるわけではありません』はあるにはありますが。私の主観ですが、現在の状況は見通しが悪いように思えます。--あな@34 2009年5月30日 (土) 18:20 (UTC)

反対の意見に対して反論したわけですけど、再反論はないのでしょうか?--あな@34 2009年6月6日 (土) 03:55 (UTC)

私はしばしば主張することなのですが、「テーマとした作品」は文化的な事象としての側面を無視できず、単独で記事に出来る分量があるなら同居していること自体が妥当ではないと考えます。また、日本語版Wikipediaは、大項目主義的な記事が数多く見られますが、大項目主義で作成されているわけではありません。閲覧性やアクセス性を考慮するなら、サイズは十分に分割の理由たり得ます。--open-box 2009年6月16日 (火) 01:14 (UTC)

Northface氏(他の方を含む)のさらなる再反論がなければ、これより1週間後に分割致します。--あな@34 2009年6月18日 (木) 10:15 (UTC)

分割作業入ります。 --あな@34 2009年6月26日 (金) 02:42 (UTC) 分割作業終了しました --あな@34 2009年6月26日 (金) 03:38 (UTC)(修正)--あな@34 2009年6月26日 (金) 03:46 (UTC)

原爆投下の背景と経緯 の分離提案[編集]

広島市への原子爆弾投下#原爆投下の背景と経緯の記事について、貴重な情報を含む記事でありますが、広島市に限った内容でないし、長崎市や小倉市、京都市といったところにも影響を与えた内容ですので、日本への原子爆弾投下という記事に分離移動することが、ノート:1945年の広島・長崎に対する原爆投下#議論が停滞しているようですがで議論されています。移動後の本記事の同項目は、簡単な要約記事に編集いたします。ご賛同・ご意見は、ノート:1945年の広島・長崎に対する原爆投下#議論が停滞しているようですがにお願いいたします。--Nife 2009年8月31日 (月) 21:35 (UTC)

冒頭部の記述についてのローカルルール提案 [編集]

現在の記述を叩き台として

  • どのような主張であれ、冒頭部の記述を編集する場合は、ノートにおいて提起する
  • その場合、誰が主張しているものかを出典を明らかにした上で提起する
  • 提起せずに編集した場合は無条件で差し戻す
  • なお冒頭部以外で「原爆投下が虐殺である」という記述をすることを妨げるものでは無い

あたりをローカルルールとして制定したいと思いますが、意見をお願いします--あな@34 2009年9月15日 (火) 12:58 (UTC)

最後のルールは、「冒頭部以外なら虐殺と書いても良い」とも読めますから反対です。 事典である以上、事実を記述するだけでよろしいかと考えます。 個人の解釈は書くべきではありません。 もし解釈や意見を書いて構わないと言うことであるのなら、「虐殺ではない」という立場から書くことも認めるべきであり、収拾がつかなくなります。なお、私自身は原爆容認です。--swordarts 2009年9月15日 (火) 14:18 (UTC)

最初に申し上げますが、ここでは原爆投下が虐殺であるか否かについての議論は一切しません。それを踏まえた上でお答えします

何度も申し上げている通り、私は原爆が虐殺であるかどうかを問うてるわけではなく、それらを冒頭部に書くか否かを問題にしているわけであります。冒頭部以外での記述はこれらのルールとは別個で、また個人の解釈でないキチンとした検証可能性を満たした記述をするなら問題はないはずだと思っています、よって「原爆が虐殺である」か否かについてはこの案とは関係なく議論して記述すればいいですし、また『「虐殺である」ことを冒頭部で書くのを禁止する』と言う意味でとられないように案を作りました。繰り返しますが、これらは冒頭部の記述におけるルール案で、それら以外の場所の記述に関するルール案ではありません。なお紛らわしいのであれば随時修正いたします。--あな@34 2009年9月16日 (水) 00:21 (UTC)

(賛成) 虐殺であると感じる・感じないという個人的な印象はあるとは思いますが、客観的な記述のルールは守るべきだと考えます。冒頭に『虐殺である』と記述することは著しく客観性に欠けます。--男梅 2009年10月7日 (水) 11:10 (UTC)

私自身、広島での被爆者(爆心より1200mで被爆)で、自身は虐殺以外の何物でもないと思っていますが、百科事典としての記述に「虐殺」という言葉はふさわしくないと考えます。「大量殺戮」という言葉はともかく、「虐殺」というのは、実態としてもふさわしくないと考えます。原子爆弾は、死んだ者以上に、生き残った者に心身ともに筆舌に尽くしがたい生き地獄を与え、その地獄は今も続いているのです。戦争は絶対に許せませんが、それ以上に核兵器は絶対に許せない。原子野には勝者も敗者もない。人類共通の悪であります。だからこそ、「主語」のない「過ちはくり返さない。」がヒロシマの心であり、正しく冷静に事実を記載し、後世に伝えていくことこそが、いかなる表現にも勝るものであろうと考えます。--ENG0000 2009年10月8日 (木) 09:10 (UTC)

(賛成に転向)ENG0000さんの趣旨を理解し、みなさんのご意見にも鑑み、ローカルルールに賛同することにしました。多くのご意見をいただきありがとうございました。--Nife 2009年10月12日 (月) 18:44 (UTC)

2013年8月6日、広島市は核兵器の登場から2013年現在までの経緯を総括、核兵器を公式に初めて「絶対悪」と断じました。これは「虐殺」などをはるかに超越する極めて重い言葉であり、日本国政府のみならず、日本の報道機関すらも驚かせました。しかし総括として「絶対悪」の公式見解が広島市より出されたことは、今後、重要なものになっていくでしょう。今後の記事については、広島市の公式見解を踏まえた内容のものを望みます。--SCCKAHAN会話) 2013年8月14日 (水) 05:50 (UTC)

ローカルルール (草案2)[編集]

当記事におけるローカルルールの設定は、以下のように致します。以下のルールを破って編集した場合、その編集は荒らし投稿とみなされますのでご注意下さい。

  • どのような主張であれ、冒頭部の記述を編集する場合は、ノートにおいて提起する
  • その場合、誰が主張しているものかを出典を明らかにした上で提起する
  • 提起せずに編集した場合は無条件で差し戻す
  • なお冒頭部以外で「原爆投下が虐殺である」という記述をすることを妨げるものでは無い

※このルールは編集しないでください。ルールを編集する場合は、ノートにおいて合意を得る必要があります。

他に反対意見が出ないようでしたらこれで確定したいと思います。一番の問題は賛否両論の意見で一方の当事者が全く参加しようとしない姿勢であって、虐殺であるかどうかは関係ないんですけどね。ちゃんとした出典を元に主張して議論に参加して下されば私も虐殺記述に賛成したかもしれないですけど。--あな@34 2009年10月22日 (木) 13:40 (UTC)

戦後は遠く[編集]

原爆資料館にて公式に用いられている表現、解説に従った記述をしても即、削除されることに非常な憤りを感じざるを得ませんが、なるほど、世界的に観ればヒロシマの声は小さな声であり、やむを得ないことでもありましょう。--ENG0000 2010年7月24日 (土) 13:19 (UTC)

文献名とページ番号を明記の上であれば、誰も除去することもないでしょうし、貴殿以外の誰かの手によって復帰がなされる可能性もあります。率直に申し上げて、論拠が「私は観ていた」では、我々と致しましてもどうしていいものやら・・・。なお、「原爆資料館のパンフレットに記載されている」はOKかと存じますが、「原爆資料館に行ってみれば明白」はNGでしょう。ここは日本語版ウィキペディアであり、日本版ではないのですから、一応建前としてはそれなりの検証容易性を確保して頂く必要があります。この辺りは最初から(拙作の駄記事で申し訳ないのですが)北白川くらいの偏執さを持ってコトに当たれば、加筆部を除去されて憤慨なされる事も少なくなるのではないでしょうか。率直に申し上げて、この記事は北白川などより数段重要な記事であり、この程度の出典貼付は有って然るべきかと存じます。--Hman 2010年7月24日 (土) 14:41 (UTC)
ご指摘、誠にありがとうございます。しかしその部分ではありません。要出典であり、そこは小生が削除させていただいたところであります。記述そのものが興味半分といった印象を強く受けましたし、事実、私の観た観測機は1機。B29、グラマンはとにかく恐怖であり、子供心に毎度の遭遇の全てがひとつひとつ、しっかり焼きついています。特にグラマンに至っては飛行兵の顔が見えるほどの超低空飛行で機銃掃射。向こうにもこちらの姿が見えるはずで、子供だと認識してくれたのでしょう。もう駄目だと覚悟した瞬間、少し先でピタリと掃射を止め、急上昇していったことをよく覚えています。大体、原爆投下前に、広島市内にグラマンが来ていたことなど、はるか忘却の彼方にあることかとは思いますが。
客観的にも、当時、特攻を辞さない紫電改部隊が松山に居り、高射砲もあるわけで、いかにB29といえども、広島爆撃は命がけのこと、非常に危険なガンバレル方式の原爆を搭載したB29が、このような行動をとるとは考えられません。B29との空中戦も数度、小生は観ていますが、それはもう想像を絶する殺し合いでした。
小生の憤慨は、原爆資料館の発行している各種資料にもあり、加えてこれに依らずとも、公知公用の科学的事実を根拠とする、原子爆弾に係る科学的記述を削除されたことにあります。しかし大体において本稿は、戦争を知らぬ「軍事マニア」的な記述が多くありますので、憤慨したとて仕方がない、まさにそれは「大人げない」ものかも知れません。死臭と硝煙、血の匂いのする戦場を経験した者からすれば、眠れなくなる記述のある記事に文句を言うのも筋違いといえばそうなります。
ともかく、235の高濃縮は困難、効率の悪いガンバレル型、15キロトンの核爆弾は理論的に最小のものであり、その後の核兵器とは比較にもなりません。とにかく急ごしらえし、極めて政治的かつ実験的な意図を持って、広島に投下したことは科学的見地からも明明白白、それでもこれだけの被害が出たことを事実、また警告として記載することを「けしからん」とされるのであれば、被爆した理学者の立場から原爆を伝える意味は全くなくなります。ヒロシマの惨禍は「マッチの火」によってもたらされたものであり、三度繰り返されるならばこれが「大火」となるのが明らかであることに、ヒロシマの訴えは向けられているのです。これは説明する必要すらないことでありましょう。とは言え、このような私的憤慨をこの場で記述しても詮方なく、またWikipediaにはふさわしくないことでありますから、これ以上は自重致します。小生はもう、余命いくばくもない被爆者。しかしたまたま技術者・報道マンとして生きてきたことから、この年齢になってもPCを扱えることは幸せなこと。自身の経験したヒロシマ、ベトナムを本来の科学者の立場から伝えていくことを最後の使命と肝に銘じ、取り組んでまいります。--ENG0000 2010年7月24日 (土) 17:47 (UTC)
私などは全く若輩ものの、いわゆる「軍オタ」という奴でして、全くけしからん輩なのかもしれませんが、まずは勉強してみないことには実るものも実らず、ひとつご容赦の程を願いたく思います。しかしながら、しかしながらでございますが、ここ、ウィキペディアと言うところは、身も蓋もない言い方を致しますと、「書籍や論文などで既に紹介された物事を集約し、その概要を読者に供給するもの」なのではないかと思っております。パクりとかコピペまで言うと言いすぎですが・・・。従って、編集者の思想や編集者のみが知りうる知識などは、一切混入してはいけないものなのでございます。左翼が書こうがキリシタンが書こうが巨人ファンが書こうが、結果として上梓される内容は同一でなければなりません(ただしうまくまとめる過程において、ある程度の専門知識は必要です。実際に被爆されたENG0000さんでしたら、非常に良質な記事を執筆なされることが可能であるかと存じます)。非常に制約の多い場所でございます。しかしながら、出典なしの記述を認めてしまうと、あらゆる記事が無法地帯と化してしまう事は恐らく確実であり、これもやむをえないルールではないかと思っております。更に申し上げれば、出典が示されないままの場合、今回はENG0000さんの記述が残ったとしても、やはり数年後、もしかしたら数十年後に、「出典が無いから」という理由で除去される可能性が大いに残り、根本的な解決とはなり得ません。また、「出典がなくとも常識だから」は、余程自明な事でない限り、好まれないものです。中学生は言い過ぎですが、高校生や原爆のゲの字も、科学のカの字も知らない人が読むことも考慮しますと、やはり出典の明記は必要なのではないかと考えております。
さて、実際の記事に関してなのですが、もし現在も広島もしくは近郊にお住まいであれば、県立及び市立図書館には膨大な関連資料が蔵書されているものと推察致します(私は現在沖縄住まいですが、沖縄戦の資料の量ときたら、それはもう凄いことになっております)。米帝の卑劣な思惑に関する記述や、侵入したB-29が単機であったとする証言も、必ず見付かることでしょうし、原爆の科学的記述が明記されている資料など、それこそ数分で見付ける事が可能でしょう。ウィキペディアでは、「記述を除去されたら、出典を付けて叩き返してやれ」と申します。署名とページ番号さえ明記されていれば、大方において記述の除去の憂き目に遭う事はございません。ただし、ENG0000さんの主張と相反する記述も、やはり出典が明記されていれば、除去することは出来ないのですが、これに関してはシステム上やむを得ません。ウィキペディアは真実を追究する場所ではないのですから・・・。私などはこの記事の重要性を考慮致しますと、記述量は3倍、出典などは100以上が並べられていても良いものではないかと感じます。ウィキペディアで現実に被爆なされた方など恐らく他には数える程しかいらっしゃらないはず、研究量は我々に百倍するであろうENG0000さんの手によりこの記事が刷新されれば、素晴らしいものに仕上がるのではないでしょうか。なお、改稿ではなく新規に全面刷新と言う形になりましても、内容が適切であればルール上何ら問題は有りませんので、必要でしたらそれもご考慮ください。時として、結局その方が早い場合も有るとしたものでございます。
また、ENG0000さん個人の証言、主張などは、上述の通り残念ながらルール上、記事には盛り込む事ができませんが、一般に流布され検証可能な状態になれば、被爆者の一人の証言として紹介が可能になります。本を一冊上梓なされるなどは非現実的ですが、広島市の公式刊行物や軍事雑誌に手記を寄稿する、という手もございます。これにしても容易な事ではないでしょうが、一つの可能性としてご考慮頂くのもよろしいかと存じます。かく言う私も書きたくてもルール上書けない事だらけ、一時期はかなり鬱積としたものでございます。--Hman 2010年7月24日 (土) 22:15 (UTC)
ありがとうございます。もちろん、独自研究を記述するつもりはありませんが、それにしてもこの記事、あちこち手を入れてはみたものの、何ともまとまりません。ある意味、独自研究ですので、載せたくはないのですが、小生も広島原爆に係る研究成果は過去にいくつか学会発表し、またそれらは出版してあります。これを根拠として使うことに問題はないようですから、他になければ、引っ張り出すことも考えます。--ENG0000 2010年7月25日 (日) 16:26 (UTC)
ざっと履歴を見て見ましたが、記事が育っていく様を見るのも楽しいものですね。しかし大規模な記事は一貫性を保つため、どこかの時点で大いなる決断をもって、誰かの手によって大幅に改稿される事が必要とされる場合もあるのかもしれません(そして恐らく氏は、現在のウィキペディアでの最適任者のお一人でしょう)。なお、論文の類は公表されたものあれば、特に商業ベースで出版されている必要はありません。素人は知らないがその道の人には常識の資料、などと言うものもあるものです。検証可能性は確保しなければなりませんが、容易性は程ほどでも結構であるかと存じます。氏のライフワークがウィキペディアの記事ではいささか役不足かもしれませんが、こんなウィキペディアでも、ネット社会では現在、調べ物は取りあえずウィキペディア、という風潮となってしまっていることも事実でございまして、特に今後永くに渡り、青少年の目にも触れるものであるはずです(その影響力たるや、あるいは『はだしのゲン』と勝負できる程かもしれません。しかしやはりそれが故に、出典は明記し確実な記述を成さねばならぬとも言えます)。それを強制するものでは全くございませんが、いちネット人として、今後の記事の改善を期待してやみません。--Hman 2010年7月25日 (日) 18:04 (UTC)

ENG0000さんが先日、逝去されました。ご冥福を祈ります。 さて、ようやく森川さんのご遺族から、電波で広島原爆投下第一報を発信したのは、中村敏ではなく森川寛であることの公開許可が出て、中国新聞にトップ掲載されましたので、加えておきます。11時過ぎにマイクロホンを握り、「大阪さん、大阪さん」と救援と第一報を電波に乗せられたのは寛さんご自身です。地元の方でしたので、上手く炎を避け、原送信所に辿りつけたとのことでした。 「世間では「女性の声」が「定説」になっているが、あれは単にマイクの性能が悪くて、キンキン声になり、女性の声に聞こえただけのことだ。あのとき、放送機はONにできても、放送員(アナウンサ)も音声調整卓を操作できる者もいなかった、つまり放送できる者が祇園送信所にはいなくて、それで生き残った俺が駆け付け、無我夢中でマイクを握った。とはいえせっかくの研究者の研究を台無しにするのは申し訳ないし、原爆のことは思い出したない。また世論が正しく原子爆弾の恐ろしさを理解するまでにはまだ50年はかかる。俺が生きている間は無理。このあたりのいきさつは一切、伏せておいてくれ。」というのが寛さんの言葉でした。私は新人時代に寛さんより直接、そう伺っています。公開された寛さんの日記に詳しくあるのではないかと思いますが、同盟通信社の中村さんと二人で協力してその後の続報発信を続けられたそうです。16時説は、かなり状況がわかってからの続報で、寛さんによると確かに発せられているとのことでしたが、これについては「出典がまだない」ので伏せておきます。まあ、ここは別に今後、出てこなくてもかまわないですし、実際、中村さんも寛さんもあの地獄の中で情報を発信し続けられたわけですから、どちらも原爆投下第一報発信者です。

ENG0000さんも、原爆投下の歴史編纂上、第一級の資料を書籍にされたりもしていますが、「Wikiに限らず、現実に核兵器が存在している限り、それについてあれこれ争議のたえないところで使うな。実名を出すな。」と言い遺されて逝かれましたので、その遺志を私は尊重し、引用の一切を差し控えます。戦争が災害などと全く違うのは、いかなる戦争も合法とされた殺人行為であり、人間としての理性を無理矢理に捨てさせ、殺人を強制すること。現役時代、私は海外の戦場に取材に行っていますが、帰国後、やはり精神を病み、1年も入院する破目になりました。だからこそ戦争は戦場を見聞することすら、本来あってはならないのです。自身、あのときの戦場取材は思い出したくない経験で、生涯、語るつもりはありません。

すなわち、特に悲惨な原爆や沖縄戦などでは、体験者の心の傷に塩をすり込むような、無神経な主義主張を含む議論やいわゆる「軍事オタ」的な観点からの議論は、史実記録上、極めて重要な体験者からの証言を潰し、結果、史実を明らか、整理していく作業を極めて困難なものとします。原爆投下第一報発信者が森川寛であったことは、放送関係者でご本人と原爆について話をされたことのある人であれば知っています。それはもう1960年よりも前からなのですが、誰もが寛さんの思いを重く受け止め、一切、口外することはなかったのです。当のNHKにすら、寛さんは自身の日記を渡されなかったのです。被爆体験者や沖縄戦体験者の声を聞くことのできる期間はもうわずかであり、本気で声をききたい、残したいのであれば、無神経な発言や行為は厳に慎むべきことであると私は考えます。--SCCKAHAN会話) 2013年8月7日 (水) 04:26 (UTC)

リバートの告知[編集]

最新の2010年8月5日 (木) 12:55(UTC) 版で文字化けが発生しておりました為、 2010年8月5日 (木) 03:15(UTC)版まで巻き戻させて頂きました。編集の意図を正しく解釈する自信が無かったため、とご理解ください。--Hman 2010年8月5日 (木) 15:06 (UTC)

検証可能性[編集]

  1. 注記が多く雑多で読みにくいです。注釈内容から本文にできる内容は反映させ、注記を減らしていただきたい。Wikipedia:検証可能性Wikipedia:独自研究は載せないなども参考に。
  2. 出典のスタイルがバラバラで信頼性に乏しい。著者名どころかタイトルすら書いていない場合や、雑多な但し書き付きまである。Wikipedia:出典を明記するなどを参考に。
私的な意見として、著作権を尊重するならば同一性の観点からして引用図書の特定が容易であるべきだとおもいます。ということで、編集方針を少し考えて整理整頓していただきたいです。--202.213.150.108 2010年9月18日 (土) 20:49 (UTC)
▼出典にある(出典スタイルから外れてるような)注釈文にgroup="注"をつけた。加筆は差分で確認できる。▼出典に[[:fr:Bombardements atomiques de Hiroshima et Nagasaki#Tracts]]が列挙されているけど、「ウィキペディアはWikipedia自身を出典にできない。」ので妥当な出典を提示する必要あり。--202.213.150.108 2010年9月29日 (水) 07:28 (UTC)

命令、宣言、報道の引用の除去[編集]

本文中より、長文の命令、宣言や報道などをquotationを使って引用している部分を除去いたしました。理由は

  1. WP:NOTREPOSITORYの第3項、”単なるパブリックドメイン資料などの集積所”に当たると考えたため。
  2. 読者に伝えるべき情報は、より短い要約で十分伝えられるため。命令書中の機密指令などは、この種類の軍事命令であれば自明ですし、詳細な座標や宣言の原文を必要とする読者は少ないと考えます。
  3. 記事が肥大化し、閲覧および編集の妨げとなっているため。

除去した記述は、/archivesに保存してあります。ウィキソースなどの他プロジェクトへの移管を検討するべきではないでしょうか。--yghwtrrl 2011年11月17日 (木) 11:23 (UTC)

  • 本記事は2011/11/13時点[3]でyghwtrrlさんのおっしゃる「単なるパブリックドメイン資料などの集積所」にはなっていないと考えます。あくまで説明を補強するための掲載であり、資料を集積する目的で作成された記事でもなければ、それを目的になされた編集でもないでしょう。しかしながら単純に全文引用(と申しますか転記)の必要性が有るかと問われますと、これは無さそうです。単純な除去などではなく、かと言って引用でもなく、適切な文章に書き換えるかたちで編集をなさられては如何ですか。もちろんその方が説明に好ましい様でしたら、部分引用も結構でしょう。当外部は1/3乃至1/4程度に収まり、読者の益にもなりそうですが。--Hman 2011年11月17日 (木) 16:43 (UTC)
Hmanさん、コメントありがとうございます。まずは、少しヒートアップしてしまって異論が出た際に強行にリバートを行ったことをお詫びします。僕自身、これらの記述が全て無意味であると考えているわけではありません。(ですからノートに保存する形を取った訳です)宣言や日本による非難など、有意義な記述もありえると思います。しかし、やはり命令書などの全文引用はWikipediaの目的からして異質であり、ウィキソース等、姉妹プロジェクトとの連携を考えることも必要ではないか、というのが僕の編集の意図です。--yghwtrrl 2011年11月17日 (木) 16:59 (UTC)
まあその、全員が相応の意図を持ってちょびちょび編集するのがウィキペディアでございますし、また早急に結論を出さねばならない問題でもありませんので、のんびり参りましょう。引用について加筆なされた方の会話ページにも、本ノートへお誘いのメッセージをしたためさせて頂きました(お忙しい様ならお越し頂けないかもしれませんが)。個人的にはこの引用、臨場感が出ていて読んでいて面白いものではあると思います。が、過剰気味である点も否めません(私は本記事の編集に若干ながら関わっており、引用文が増えていく様をリアルタイムで見ており、時間が出来たら手入れをしたいなとは考えてはございました)。まあいずれにしましても、例えば抗議声明。これを一行にしてしまったのは乱暴ではないですか?どんな抗議を行なったかが全くわからないではないですか。yghwtrrlさんは抗議の内容については記す必要がないとお考えなのでしょうか。不謹慎かもしれませんが、これは非常におもしろいものであると思うのですが。
また、姉妹プロジェクトに誘導するにしても、ウィキソース等に記事が出来て誘導できる態勢が整ってから、と行きたいものなのですが、困ったことに私は姉妹プロジェクトのことはあまりわかりません・・・。もしyghwtrrlさんが姉妹プロジェクトにお詳しく、また既に文書があるのでしたら、誘導しておいて頂けませんでしょうか。--Hman 2011年11月17日 (木) 17:14 (UTC)

WP:NOTREPOSITORYの第3項、”単なるパブリックドメイン資料などの集積所”に当たると考えたため、 と考えたのはyghwtrrlさんの独断ではないですか。単なるパブリックドメイン資料などの集積所には相当しないと考えます。独断で複数の人間が積み上げたものを消去するのは乱暴ではないですか。 文書を削除前に再度元に戻しますので、それから関係の皆様の意見を聴取していただくようお願いします。 特に投下後の日米双方の見解の発表は分量も多くなく百科事典として必要不可欠なものと考えます。 yghwtrrlさんの独断のみで再度削除されるのなら広く有識者の意見をお尋ねすることも考えたいと存じます。--Qnc 2011年11月17日 (木) 18:16 (UTC)

いえ、独断でばっさり除去とか、がっつり書き換えは私もよくやりますよ。編集は大胆に、です。そしてそれが追認されることも多いです。多くの方にとって、色々な意味で品質が向上したと認められる場合には。・・・ですが今回は異論が発生しました。こう言う時は安定版に戻した上で改善策を協議していくのが良い様です。よくあることですので、くれぐれものんびり参りましょう。Qncさんにおかれましてもやはり、過剰気味であることは否めないと思いますが、如何でしょうか(繰り返しますが、個人的には好きなんですけどね)。--Hman 2011年11月17日 (木) 18:25 (UTC)
それでは作戦部分の子細末梢の部分は脚注に落とす案はいかがでしょうか。その他の部分は重要な内容であり、分量も多くなく、単なる資料の集積所には該当しないと存じます。また、他者の意見も待ちたいと存じます。--Qnc 2011年11月17日 (木) 18:44 (UTC)
繰り返しになりますが、僕も抗議文などについて全く記載・保存する価値が無いとは思っていません。日本の抗議は、当時の日本政府が置かれた状況の緊迫感と悲壮感を表わしていて興味深いです。みなさんの努力も否定するつもりはなく、ですからノートに転記した上でウィキソース等への移管を提案した訳です。
しかし、”単なるパブリックドメイン資料などの集積所”に当たるかどうかはグレーゾーンであるとは思います。(僕個人の考え方としては、百科事典の記事は全ての関連した情報を網羅した過大なものであるよりは、必要なことが簡潔にまとまったもののほうが望ましいと思います。あくまで僕の勝手な立場ですが)本記事自体が現在100kbに迫る大きさでありますし、全体の1割強が引用というのは少し分量として過剰かなと思います。少なくとも、第1節の命令書に関しては、原文をそのまま引用する必要性は薄いと考えます。そうであれば、現状の分量であればそれ以外に関しては記述を残すことに異論はありません。注釈に残すという形でも良いと思いますが、quotationで囲まれている部分のインデントは崩れてしまいませんか? レイアウトを保存した上で残すのであれば、ウィキソースへの移動も検討されるべきかと。もし移動の合意が取れるのであれば、作業自体は僕が行っても良いです。--yghwtrrl 2011年11月20日 (日) 12:13 (UTC)
引用は絶対にインデントを行なうといった必要はありません。この部分がどこからの引用か明らかにわかればそれでよいので、脚注に落とすなら斜体を用いるなどすれば十分です(もちろん脚注に落とさず別プロジェクトへlkでもよいのでしょうが)。しかしまあ、その、私と致しましては・・・原爆投下、グァム、テニアンについてはこの命令書も出典の一つとして、どんな命令がくだったのかを簡潔に説明できる方が、ウィキペディアらしいですね。「米国政府の声明 8月7日」は全文引用とする値打ちがあると思います。歴史的会見ですから。その後のビラは概要でいいでしょう。「調査 8月6日 - 10日」についても同様です(が、かなり書き込むかたちになりそうですね、ここは)。最後の「日本政府の抗議声明」も私としては出来れば残したいのですが、いかんせん、長い!といった次第で、この概要を逐一文章で説明するかたちでも、特に反対はございません。結局は閲覧者にどこまで情景や事実が伝わるか。よりよい形で(もちろん中立性に配慮して)伝わるのはどういう形か。悩ましい所です。--Hman 2011年11月20日 (日) 16:34 (UTC)

(まだ浅いですが、インデントを戻した上で、議論に関わる皆さんのご意見をお聞きしたいと思います) 少なくとも、第一節の命令書、および日本軍による調査は、簡潔な要約とすることでコンセンサスが取れそうですが、いかが思われるでしょうか? 方法に関しては、脚注へ移動するなり姉妹プロジェクトへの移動なり、議論の余地はありますが。--yghwtrrl 2011年11月21日 (月) 13:16 (UTC)

記事本文中は簡潔に作文し直す、となった時に、それじゃあ原文はどうするかとなりますと、記事中で別の方法で説明してしまった以上、どうしても記事内に残しておく必要は無いんですよね。この場合は、姉妹プロジェクトでも、公文書が保存されている権威有るwebサイトででも、参考になるのでよろしければ原文をごらんください、の外部リンク形式でよいと思います。容易に参照できるかたちにしておくこと自体は、閲覧者にとって実に有用であると考えます(我々は常に閲覧者にとってどうであるかと言った意味で、記事の品質を検討せねばなりません)。--Hman 2011年11月21日 (月) 13:31 (UTC)
引用(の一部)を加筆したLichenesと申します。議論に参加するのが遅くなって、申し訳ありません。私自身、引用の肥大化はウィキペディアの趣旨にそぐわないと考えております。いずれ要約したいとも思っておりましたが、現時点で敢えて原文を記載したのは、インターネット上の情報には正確な情報がほとんどないことを心配してのことです。原文らしい装いをした記述はいろいろなサイトで見られますが、原文ではなく日本語に翻訳された書籍の孫引きであったり、外国の不正確な情報の翻訳であったり、いずれも微妙なニュアンスが改変されてしまって、使い物になりません。ネット上だけではありません。いろいろな書籍の中にも「原文もどき」がはびこっています。この不正確な「原文もどき」を要約して編集されたのでは、記事の質も低下してしまいます。かといって、傍らに信用に足る書籍を積みながら編集する方がどれだけいるでしょうか。そもそも必要な書籍が用意できますか。同様に、原文がウィキソースにあったとしても、それを参照しながら編集する熱心な方は少なかろうと思います。ですから、多くの方に編集に参加していただくためには、本物の原文を目の前に編集する環境が、たとえ一時期であれ、必要だと思うのです。私はそのような目的から、記事の不正確な記述や「原文もどき」を本物の原文に置き換える形で編集を始めたのです。サーバーの負荷といったことを考えれば、好ましいこととはいえないかもしれませんが。--Lichenes 2011年11月21日 (月) 18:21 (UTC)
Lichenesさん、ご意見ありがとうございます。文章の引用の意図について、理解しました。一つ意見を申し上げるなら、米軍側の命令、宣言の”原文”は英文であり、誰かの手による翻訳ではなく、正しい歴史を書こうとするならいずれ翻訳元の文章に当たらなければいけない。そのためには、文章のみを保管し翻訳元に容易にアクセスできるウィキソースでの保存が望ましいだろうと思っています。(あくまで僕の意見であり、ウィキソースへの移動に固執するものではありませんが)
僕が2年ほど前に訳した記事をご覧頂ければ理解していただけると思いますが、僕も大量破壊兵器の問題については関心を持っていて、いくらか書籍を読み、記事を編集しておりました。広島原爆については、広島原爆戦災誌 (巨大PDF注意)という詳細で精度の高い資料がweb上で閲覧できるため、いずれ手を入れたいと思っていました。(多忙によって時間が取れていませんが…)--yghwtrrl 2011年11月22日 (火) 15:10 (UTC)
Yghwtrrl様、お返事ありがとうございます。ご指摘のとおり、米国側の資料の原文は英文ですね。失礼しました。英文となれば、原文を日本語版ウィキペディアの本文に引用するのは乱暴ですので、必要があればウィキソースで保存するのが適当だと私も思います。ただ、特殊な用語を含み、正しく訳すのに細心の注意が必要な文書であれば、信用できる日本語訳の方が英文の原文よりも(記事を編集する上で必要な)正確な理解につながりやすいと思うのです。ですから、あくまで一時的(質的に十分な編集が行われるまで)ですが、文書の日本語訳を本文に引用することにも意味があると考えますが、いかがでしょうか。あわせて、文書の日本語訳を原文とともにウィキソースに保存することについても、ご意見をお聞かせいただければ幸いです。--Lichenes 2011年11月23日 (水) 03:24 (UTC)
 元より僕はウィキソース上に日本語訳を保存することに関しては反対していません。 第一節の命令書、および日本軍による調査は、簡潔な要約で十分と思いますが、いかが思われるでしょうか?--yghwtrrl 2011年11月26日 (土) 06:53 (UTC)
命令書や米軍が撒布したリーフレット、日本軍による調査はウィキソースに移すことに賛成いたします(ただし、その時期については検討が必要だと思いますが)。また、日本軍による調査については『広島原爆戦災誌』に別の記録文書も集録されておりますので、それもウィキソースで閲覧できるようにするのが望ましいでしょう。いずれ、適当な要約が記事の本文中に記載され、記事の質が高まることが、私が望んでいることですから。--Lichenes 2011年11月26日 (土) 12:22 (UTC)
議論が停滞気味ですが、異論が出ないようであれば週末あたりに作業を実施しようと思います。あと、できたら誰かNSAのアーカイブから命令書などの原文を掘り出すのを手伝ってくれないかなぁ、と。--yghwtrrl 2011年12月7日 (水) 04:28 (UTC)