ノート:幕府 (東アジア)

    「幕府」の基本説明について[編集]

    幕府(ばくふ)は、武家政治の政庁や武家政権そのものを指す(平氏・織田・豊臣政権などの例外はある)。では例外が多すぎて説明になっていません。だいたい鎌倉、室町、徳川幕府の3つしかないでしょう。原則と例外が同数では、論理が通っていないのです。 また「家政機関」というのも、翌建久2年(1191)正月に頼朝が前右大将として「政所吉書始」をしたのが原初となった家政機関色の強い鎌倉幕府だけならわかりますが、室町、徳川幕府は国家機関です。室町幕府でも足利義満から中国の柵封体制下にあり少なくとも義教の永享の乱までは国王を名乗っています。それに鎌倉と『吾妻鏡』を参考にした徳川幕府は同列ですが、公武型である室町幕府は質がずいぶん違います。もう少し何とかならないでしょうか。--奈良たかし 2007年9月11日 (火) 01:59 (UTC)返信[返信]


    右近衛大将源頼朝が征夷大将軍に任ぜられたことから、転じて征夷大将軍の別称ともなった。そして征夷大将軍の遠征時の本陣(本営)を指した。

    織田信長は近衛大将に任ぜられているので、この文章の説明通りで解釈すると織田信長は征夷大将軍であり、『織田幕府』(あるいは『安土幕府』)が一時的にも成立していた事になりますね(史実では織田信長は征夷大将軍に就任するのを拒否)。征夷大将軍に任命されるのは確か『源氏長者』の位を持っていないと駄目だったのではなかったでしょうか?その点の説明も曖昧ですね。--119.10.167.15 2008年8月20日 (水) 17:03 (UTC)返信[返信]

    「幕府」ではなく「将軍府」の説明になっていることについて[編集]

    記事タイトルが「幕府」であり、もともと日本における征夷大将軍をトップとした武家政権のことを記載していたはずですが、東アジアの記載が増えるにつれて、「幕府」そのものではなく「将軍府」もしくは「軍事政権」の説明が主となっていることに違和感があります。それなら「東アジアの軍事政権」もしくは「将軍府」という項を立てるべきであり、日本語版wikipediaで「幕府」を調べたいときに期待される「鎌倉・室町・江戸幕府」の内容が不十分と感じられます。ここは実際に「幕府」と呼ばれたものに限定し、他は将軍府や軍事政権の項に譲るべきではないでしょうか。具体的には、

    • 3 中国における展開
    • 4 東アジア諸国における展開
    • 4.1東アジア諸国における「幕府」の担い手
    • 4.2東アジア諸国における「幕府」の展開
    • 4.3東アジア諸国における「幕府」の格差
    • 4.4七世紀以降の東アジア諸国における「将軍」号
    • 4.4.1倭国と律令制下の日本
    • 4.4.2新羅・高麗・朝鮮
    • 4.4.3靺鞨・女直・満洲

    を削除もしくは他の項目に移動することが適切と考えます。これらは実際に「幕府」とは呼ばれておらず、「幕府=軍事政権」という語義の拡大解釈による誤った記載といえます。--Greywagtail会話) 2022年6月7日 (火) 23:58 (UTC)返信[返信]

    検証可能性を満たす典拠を有する記述をただ根こそぎ削除されるのはまったく納得いかないので、全面的に復帰しました。--Dalaibaatur会話) 2022年6月12日 (日) 19:38 (UTC)太字部分修正。修正以前の文面--Dalaibaatur会話) 2022年7月1日 (金) 14:05 (UTC)返信[返信]
    「有意の記述」という根拠がありませんので、幕府の説明としてはまったく該当しない部分のみ、改めて全面的に削除を行いたいと思います。必要であれば、東洋の軍事政権や「将軍」に関する項目に記載されるべきだと考えますし、その場合は有意であると考えます。--Greywagtail会話) 2022年6月15日 (水) 01:53 (UTC)返信[返信]
    なお、日本の「幕府」について追記した部分まで削除されたことについて、きちんと御説明ください。なぜ「幕府」の説明を省き、「幕府」と呼ばれない他の内容に巻き戻したのか、十分な説明を求めます。--Greywagtail会話) 2022年6月15日 (水) 01:56 (UTC)返信[返信]

    学術的出典が付いている記事を25000バイトも大量削除する以上、ノートで合意が形成されてから実行するのが当然です。Dalaibaatur氏のように削除に反対する人がいるのならなおさらです。そうでないと、編集合戦となるでしょう。--2001:268:C1C5:2DA5:C569:AF50:33F:508C 2022年6月18日 (土) 13:09 (UTC)返信[返信]

    ソックパペットによる荒らし行為。--Greywagtail会話) 2022年6月19日 (日) 14:55 (UTC)返信[返信]

    「幕府」の説明としてふさわしい記述に整えるための意見(再論)[編集]

    このたび、編集合戦的な状況になってしまったことはお詫びいたします。あらためて、この変更が妥当であることについてご説明します。。反対者は単に「『有意の記述』だから消すのは納得がいかない」と叫ぶだけで、何がどのように有意であるかを説明していません。そこで、有意(という言葉の使い方がよくわかりませんが)ではないということを論証します。

    まず、本項目は「幕府」という項目であります。幕府という言葉については、一般的には「鎌倉幕府・室町幕府・江戸幕府」という、「日本の、天皇によって征夷大将軍に任命された者による武家政権」としての用法が主であることは論を待たないと思われます。また、その語源として、「柳営」等とも呼ばれる中国の将軍司令部があることは、「幕府」と関係するでしょう。しかし、東アジアの「将軍」による政権や、倭の五王など中国から任命された将軍による政権(この場合の将軍は大王である)は「幕府」とはいえず、本項目に含めるのは無理があると考えます。その部分の記載そのものが文献にのっとった正しいものであったとしても、「幕府」の説明としては有意とはいえない(意味がない)と判断します。ただし、今回削除を行った部分について、たとえば「将軍」のページにて詳述される分には適切だと思いますし、あるいは「東アジアの軍事政権」というような項目を立てられるのであれば特に問題はないと思います。

    一方で、今回の編集において私が追記した部分、すなわち同時代資料において幕府と呼ばれていた事例(「関東幕府」「東関柳営」など)について、説明もなく削除扱いとしたことは、まったく理解できません。「幕府」としての認識のない政権についての説明は「有意」とやらなので消してはいけないと主張する一方で、「幕府」と呼ばれていた例は消し、その理由は一切述べずにただ「同意しません」としか述べない今回のDalaibaatur氏の行動は、Wikipediaの編集方針において決して受け入れられるものではないと考えられます。また、この項目内に幕府に該当しない内容を含めるのは、「これだって幕府と呼んでいいんじゃないの?」という意見の表明にほかなりませんから独自研究であるとも考えられますので、この点からもWikpediaの内容からは削除すべき内容であると考えます。

    該当部分そのものに出典がついているのは理解していますが、「出典を踏まえた内容である」ということと「この項目に記載すべき内容である」ということはまったく異なります。しかも、「関東幕府」「東関柳営」等については出典を記しており、それを削除するのはダブルスタンダードでしかありません。

    なお、この先、追加で編集したいと考えていた内容を補足します。最近の歴史学では、「天皇から認められた武士の政権」として、「六波羅幕府」という用語が提唱されています。このように「現代の歴史学において「幕府」という称を用いることが提唱されているもの」については、本項目に含めるべきであると考えます。六波羅幕府の提言については賛否の議論もありますが、その主張自体はきちんとした論文として発表された、その旨を記載することでWikipedia掲載の要件を満たしていると考えます)。

    以上の趣旨により、幕府の読み方についてのピンイン表記も不要と考えます。

    あらためて、今回の編集手続きについての瑕疵についてはお詫びします。その上で、以上の編集方針についての主張を行います。この論旨についての反論がありましたら、単に「同意できない」という態度表明だけを繰り返すのではなく、実証的な論証をお願いしたいと思います。たとえば「倭の五王の時代に倭国幕府と呼ばれていた」とでもいうような事実がもし仮に実在するのでしたら、もちろん受け入れる用意はあります。--Greywagtail会話) 2022年6月30日 (木) 02:22 (UTC)返信[返信]

    "検証可能性を満たす典拠にもとづいた記述"をただ根こそぎ削除されるのはまったく納得いきません[編集]

    1
    2
    3
    この編集には全く同意できないので、復帰します。--Dalaibaatur会話) 2022年6月19日 (日) 01:59 (UTC)返信[返信]

    有意であることについての説明をせず、「日本の「幕府」について追記した部分まで削除されたこと」についてもまったく説明がありません。反省の色が見えませんので、荒らしとして差し戻します。--Greywagtail会話) 2022年6月19日 (日) 14:56 (UTC)返信[返信]

    1
    2
    3
    4

    この編集にはまったく同意しません。--Dalaibaatur会話) 2022年6月19日 (日) 01:59 (UTC)返信[返信]

    1. 節タイトルの「有意の記述」を「検証可能性を満たす典拠」と変更。
    2. この"典拠"は、河内春人『倭の五王』(中央公論新社)です。稀覯書などではなく、2018年に刊行された「中公新書」で、きわめて平易な日本語で書かれた一般向けの文献です。都道府県・市町村の図書館で閲覧・借用したり、自身で購入することはきわめて容易です。
    3. 編集合戦のターゲットとなった記述には、この文献のページ数などもしっかり記載してあるので、その気がある方には検証は容易です。検証した方からの意見表明については、大歓迎します。--Dalaibaatur会話) 2022年6月30日 (木) 07:19 (UTC)返信[返信]

    Dalaibaatur氏による記載が「幕府」の説明としては不適切であることの検証[編集]

    Dalaibaatur氏による反論がありましたが、趣旨として「検証可能性を満たす典拠に基づく記載である」ということのみを述べられています。この論旨の展開は明らかに論点のすり替えであります。しかし、ご本人がおっしゃるとおり、典拠とされた河内春人『倭の五王』(中公新書、2018)を購入し、検証いたしました(第4刷)。

    まず前提として、私が不適切な記載を削除すべきだと主張しているのは、「出典が不明であるから」もしくは「出典として認められないから」ではありません。過去の編集を見ていただければおわかりのとおり、同書を出典とする定義の記載、すなわち、「日本では中世から近世にかけて、武家の棟梁を首班とする政権が次々と成立するが、平氏政権織田政権豊臣政権をのぞき、その首班は征夷大将軍の称号を受けていた。江戸時代中期以降にこれら歴代の武家政権幕府と称するようになるが、「それは天皇が任命した征夷大将軍の幕府である」。」という部分は出典も含めて残してあります。すなわち、出典となる文献の信頼性については争っていませんでした。にもかかわらず、Dalaibaatur氏は、「検証可能性を満たす典拠」であり、「稀覯書などではなく」「きわめて平易な日本語で書かれた一般向けの文献」であり、その"検証可能性を満たす典拠にもとづいた記述"を削除するのは「納得いきません」とのみ繰り返しています。

    これは、明らかに論点のすり替えであり、争点ではないところに焦点を当てる不誠実な議論です。しかも、同様に検証可能性を満たす典拠(論文)に基づいた記述を私が行った部分について氏が削除したことについては、一言の弁明もありません。

    Wikipediaの編集方針に則して表現すれば、「 信頼できる情報源により検証可能性を満たしている」というのがDalaibaatur氏による主張と読み取れますが、当方の主張は当初より「幕府という言葉の解釈を広げすぎて、幕府とは認められない単なる「将軍による政権」の記載は不適切である」ということであります。つまり、独自研究は載せない」という三大方針で除外されるべき「既存の用語に新たな定義を与える」結果になっている部分を本項より削除すべきであるというものでありますから、氏の反論はまったく噛み合っていません。

    しかも、本来であれば、ここにこう書いてあるという具体的な内容を示して立証する義務は、それを主張するDalaibaatur氏の側にあるはずです。しかし、以下、その情報源を徹底的に検証いたします。

    幕府の定義部分[編集]

    幕府(ばくふ、mùfǔ)は、将軍の任命を受けた者が、朝廷の外にあって、朝廷のために活動するために設けた役所。将軍府(しょうぐんふ、jiāngjūn fǔ)または軍府(ぐんぷ、jūn fǔ)ともいう。

    いずれも河内(2018)のp64-65の記載を典拠としています。ここは少し長くなりますが重要点ですので、恣意的な引用とならないよう該当箇所全体を引用します。

     讃は安東将軍に任命されることで重要な権限を宋から認められた。それは宋朝廷の外にあって宋のために活動する役所を設けることである。
     一般に将軍府あるいは軍府という。耳慣れない用語であるが、幕府といえばわかりやすいだろう。要するに讃は安東将軍として幕府を開いたのである。一般的には日本では鎌倉幕府が最初の幕府として認知されているが、それは天皇が任命した征夷大将軍の幕府である。宋皇帝が任命した安東将軍の幕府も構造的には同じである。
     ちなみに「幕府」とは『吾妻鏡』に「将軍家の御居所を幕府と称す」とあるように日本では将軍の館を意味し、それが武家政権そのものを指すようになった。本書では紛らわしいので、以下は将軍府と呼ぶことにする。 — 河内春人、倭の五王、pp64-65

    この記載をきちんと読んでいただければわかりますが、倭王は宋朝廷から認められて「幕府を開いた」わけではないことが読み取れます。河内氏はわかりやすく説明するために幕府にたとえただけなのです。これは論理的読解力の問題です。

    ここではっきりと認められるのは、「宋朝廷の外にあって宋のために活動する役所」を「一般に将軍府あるいは軍府という」という部分です。これは事実として認められます。しかし、「幕府といえばわかりやすいだろう」というのは、Dalaibaatur氏が言うように「きわめて平易な日本語で書かれた一般向けの文献」であることによる著者河内氏の読者サービスです。つまり、説明のためのたとえでありますから、「幕府は、将軍の任命を受けた者が、朝廷の外にあって、朝廷のために活動するために設けた役所。将軍府または軍府ともいう。」という要約・定義の仕方は、典拠とする書籍の内容の拡大解釈であることが一目瞭然です。

    「幕府は、将軍府・軍府ともいう」というような記載はそもそも出典にも一言も書かれていません。「将軍府・軍府をわかりやすくいえば幕府という言葉に近い」と説明しているだけです。しかるにDalaibaatur氏は、「幕府=将軍府・軍府」と理解し、さらには「将軍府」「軍府」に該当しそうなもの(「将軍の任命を受けた者が、朝廷の外にあって、朝廷のために活動するために設けた役所」)をすべて「幕府」と認定する、という解釈の恣意的な拡大を行っています。これは「既存の用語に新たな定義を与える」という禁止事項に該当します。

    河内氏は後段で「構造的には同じである」という表現により、「あくまでも幕府という言葉を持ち出したのは説明のためである」というニュアンスを伝えています。さらに「本書では紛らわしいので、以下は将軍府と呼ぶことにする。」と明記しています。つまり、説明やたとえとしては有効だが、将軍府や軍府と、一般的に用いられる「幕府」を同一視することはできないということです。

    さらに、同書には「一般的には日本では鎌倉幕府が最初の幕府として認知されているが、それは天皇が任命した征夷大将軍の幕府である」と書かれています。「一般的には日本では」の記載について、「天皇が任命した征夷大将軍の幕府」を基本とし、語源として中国での「幕府(柳営)」という語の用例を添えるべきであるということは、まさに河内氏の記載に基づいて結論づけることができます。

    言い換えれば、一般に「将軍府」「軍府」と呼ばれているものを「幕府」に置き換えることについては、根拠がないというべきです。

    編集合戦的になってしまった当方の編集ではこの部分は残していましたが、実際に検証した結果、この部分は同書を参照しつつ「日本において、天皇が任命した征夷大将軍が政治を行った機構である」という説明に変えるべきであると判断します。また、その趣旨により、中国語の読み方をピンインで入れる必要はないと考えます。

    概要[編集]

    将軍は幕府(将軍府・軍府)の設置、すなわち「開府」と同時に幕僚を任命する権限も認められており、「将軍」は司馬・従侍中郎・参軍[3]、「大将軍」は長史・司馬・従侍中郎・参軍[3]などを任命できた。これらの幕府に仕える幕僚たちを「府官」と称する。 — 幕府

    この説明の中で3回、共通して河内(2018)のp65が参照されていますが、該当の記載を引用します。

     将軍は将軍府のトップとして業務を執行するが、それを補佐する人々が必要となる。それゆえ讃は将軍府の設置、すなわち開府すると同時に幕僚を任命する権限も認められた。当時、将軍府にどのような役職をおくかは細かく定められていた。具体的には、司馬・従侍中郎・参軍などの役職である。こうした役職を将軍府の官僚と言うことで府官と呼ぶ。 — 河内春人、倭の五王、p.65
     将軍府は司馬をトップとして府官を構成するが、さらに上位の大将軍府では長吏を筆頭に司馬・従侍中郎などの役職が設置されたからである。将軍と大将軍の間には厳然たる格差があったのである。そのうえで倭国・高句麗・百済はいずれも軍府のトップを派遣していた点は共通していた。 — 河内春人、倭の五王、pp.66-67

    まず、「大将軍」が任命した官職についての参照先が間違っていますし、「参軍」は本文中で明記されていません。また、これらはいずれも「将軍府」についての説明であって、「幕府」の説明ではありません。これは、先ほどの「幕府=将軍府=軍府」という誤った同一視により、将軍府の説明は幕府の説明にも当てはまるという独自研究に至ったものと考えられます。

    もちろん、これらの説明を「将軍府」という項目において行う分については賛成します。しかし、この出典においても「幕府」という(説明・たとえのための)用語は使われなくなっており、この部分を「幕府」の説明として用いることは不適切であることは明白です。

    再度申し上げますが、検証可能性を満たす出典に基づいていたとしても、関係ない説明は使用するべきではありません

    さて、概要欄の後段については、簡潔に検証します。

    「4世紀から7世紀にかけて、倭をふくむ中国の周辺諸国・諸民族は中国と関係を持つ際に……」この段についてもやはり「将軍府/軍府」の説明であり、不適切です。

    日本では7世紀以降、中国に対し、君主自身(大王・天皇)や配下の豪族、貴族・官僚らのために将軍号や府官の職を求めることはなくなり、8世紀以降の「天皇」は、自身で配下に各種の将軍号を授与するようになった。中世から近世にかけて、武家の棟梁を首班とする政権が次々と成立するが、平氏政権や織田政権、豊臣政権をのぞき、その首班は征夷大将軍の称号を受けていた。江戸時代中期以降にこれら歴代の武家政権を幕府と称するようになるが、「それは天皇が任命した征夷大将軍の幕府である」。

    この後半については、日本の「天皇が任命した征夷大将軍の幕府」の説明になっていると考えられますので、私の編集でも「中世から近世にかけて」以降をそのまま残しています。ただし、前半は無理に「倭の五王」まで遡らせたものを後世につなぐためのものですから、削除するべきだと考えました。また、出典として、「幕府」そのものの研究書ではなく、遠く離れた倭の五王についての一般向け解説書を典拠とするのは、あまりにも回りくどく、これよりも適切な出典が存在すると考えられます。

    「7世紀以降の新羅」「高句麗の故地に建国された渤海」「モンゴル帝国(元朝)、明朝、清朝も、中国周辺の諸国・諸民族の君主や首長たちに軍事指揮官の称号を授与したが、元朝は万戸制、明朝・清朝は衛所制による称号を用い、将軍号の授与は行わなかった。」については、もはや「幕府」とはまったく関係がなく、王号と将軍号の話でしかないため、本項への記載は不要と判断できます。

    語義[編集]

    語義についてはおおむね問題ないと思われます。私の編集では、「日本では近衛大将唐名となり、」を「日本では近衛府唐名として用いられ、転じて近衛大将の居館および近衛大将その人を指すようになった。」とし、厳密さを加えました。この編集すら差し戻されていることについては説明を求めます。

    中国における展開[編集]

    この節について、中国で実際に「幕府」という語が用いられた事例に関しては残してよいと思われます。ただし、出典としては、PHP文庫の『「三国志」武将34選』よりも適切な論文等があると思われます。

    また、節タイトルの意味を厳密化して、「中国史での「幕府」の事例」と修正した上で、実際に「幕府」と呼ばれた事例のみに限定すべきであると考えます。

    東アジア諸国における展開[編集]

    まず、「東アジア諸国における「幕府」の担い手」節にて、河内(2018)pp.70-71、pp.149-151、が参照されています。一つ目の参照では「中国系の役人や知識人たちとその子孫は、多くがそのまま高句麗の支配下に入り、あるいは朝鮮半島の南部に逃れ、さらには日本列島に渡った」ことが説明されています。ここは出典と本文が対応しているか否かということに限って述べれば、対応しています。

    出典のpp149-151では、五王の時代の倭に上表文を書けるだけの漢文の知識を持つ渡来人がいたであろうということが述べられています。しかし、本文では「高句麗百済新羅などの諸国において、支配機構の整備や国家形成に活用された」としており、典拠が適切に対応していません。

    「高句麗・百済・倭などでは、中国から授かった将軍号と幕僚(府官)の称号のうち、王族および土着の豪族たちには「将軍」号が、中国系の人々には「府官」の称号が分配される傾向が見られた」という記載につけられた出典のpp.69-72では、そのようなことは特に書かれていません。同書79ページに「曹達ら府官となった人物はその名前の型から中国系の人物と見なすべきである」とはありますが、王族や土着の豪族たちに将軍号が与えられ、使い分けがあったという趣旨の記載はありません。出典の当該箇所は、あくまでも「高句麗・百済・倭では中国系の人物が府官として採用されることも多かった」という説明です。

    以上のように、出典と照らし合わせて適切な記載かどうかについても疑問がありますが、それ以上に、この部分の説明が「幕府」の説明に必要かといえば、まったく関係ないことが問題です。すでに「中国より将軍号を受けた諸国・諸民族の君主と臣下の一覧については将軍を参照。」とあるとおり、これらの記載は(出典との齟齬をなくしたうえで)将軍に移行するべきであると確信します。

    同様に、以下の表についても、もはや「幕府」とは関係ないことが明白です。むしろ、将軍のページにおいてこの表が「有意義」であると考えます。

    表の下の記載には悪質な資料の改竄があります。

    倭・高句麗・百済が中国との外交で府官を派遣するのは、幕府(将軍府・軍府)が中国皇帝の権威のもとで設置され、中国への朝貢は幕府からの報告という側面があったことを示している。 — 幕府
    倭国・高句麗・百済は中国との外交で府官を派遣する。それは将軍府が宋皇帝の権威のもとに設置され、宋への朝貢は将軍府からの報告という側面があったことを示している。 — 河内春人、倭の五王、p.66

    ここまで文面が同じだと著作権の問題も心配になってきますが、出典明記ということでそこは不問にするとして、出典の「将軍府」を「幕府(将軍府・軍府)」「幕府」と書き換え(つまり、冒頭の安易な同一視による改竄を行い)、また「宋皇帝」「宋への朝貢」を「中国皇帝」「中国への朝貢」と安易な一般化を行っています。したがって、この書き換えは許容できるものではありません。

    その次の段落でpp.69-70を参照している部分について、「上の表の使者達は……中国系であったと推測される」という趣旨のまとめは、原典の表現とはことなるものの、齟齬はありません。

    ただし、上記の表についての説明として、表自体が将軍の項にふさわしいものであり、「幕府」の説明としては不適切であると考えます。

    続いて「東アジア諸国における「幕府」の展開」節ですが、前掲書p67、p68との対応についてはそのままの引用もあり、齟齬はありません。ただし、同書で「幕府」という言葉は一切使用されておらず、「東アジア諸国における将軍府の展開」とあるべき内容を独自研究により「幕府」にすげ替えたものと判断できます。したがって、「幕府」の説明であるという根拠にはなりません。

    「東アジア諸国における「幕府」の格差」節についても同様、「将軍号」の格差について述べているものを「幕府」と置き換えています。これについても将軍の項にふさわしい内容であり、「幕府」の説明ではありません。

    表の下、日本大百科全書を参照している部分ですが、出典は「倭の五王」の項です。倭の五王の説明としては適切ですが、「幕府」の説明としては関係ありません。

    次の段落以降、井上秀雄・石井正敏・坂元義種を参照している箇所については、原典に当たっての検証は現時点で行っていませんが、「倭の五王」を中心とする「中国から与えられた将軍号の格差」についての説明であって、「幕府」についての説明ではないため、採用できません。

    以上のとおり、「東アジア諸国における展開」節は全面削除が妥当です。

    七世紀以降の東アジア諸国における「将軍」号[編集]

    この節においては、もはや節自体が「将軍号」の説明となっており、「幕府」とは関係なくなっています。

    ただし、「倭国と律令制下の日本」節については、日本の「天皇に任命された征夷大将軍による「幕府」の前史」として鎮守府将軍が「行政及び軍事の専権を持つ」ことについての説明とする位置づけであれば、一応採用可能と考えます。ただし、これを倭の五王まで拡大することには賛同できません。

    「新羅・高麗・朝鮮」節で、「高麗では1170年から1270年にかけて武臣政権が成立するが、政権首班の官職・称号としては「将軍」号を用いず、その政体が「幕府」と呼ばれることもない。」と記されています。要するに「幕府とは関係ない」ということです。倭の五王時代の東アジアの「将軍府」の記載を「幕府」に盛り込もうとしたことで、このような不要な記載を入れることになったと思われます。

    さらに見出しのみが用意されている「靺鞨・女直・満洲」についても、当然、「幕府」に盛り込むことに無理があるがゆえに見出しだけで放置されていると判断できます。

    したがって、日本の鎮守府将軍についての記載は形を変えて残すこととし、それ以外の本節の内容は削除するのが妥当であると考えます。

    日本の武家政権[編集]

    基本的に、本節の内容を整えて、本項の中心に据えるべきであると考えます。ただ、『吾妻鏡』からの引用など、直接的に「幕府」の内容に関係ないと思われる部分を整理し、わかりやすく整えました。

    また、東島誠『「幕府」論のための基礎概念序説』をもとに、「鎌倉時代末には、現代において「鎌倉幕府」と呼ばれている政体を「東関柳営」もしくは「東関幕府」と呼んだという同時代資料が存在している。南北朝時代には、鎌倉公方(関東公方)の政体を「関東幕府」と呼んだ事例が存在するが、京都と対立する関東の政権にしか用いられておらず、京都の公方(=「室町幕府」)はこのように幕府という用語では呼ばれていない。」という記載を加えました。この部分をDalaibaatur氏が削除したことについて、何度も説明を求めましたが、今に至るまで一切の説明がありません。

    このように、明白に「幕府」と呼ばれたことが明らかなものについては削除し、一方で独自研究に該当する「幕府=将軍府」という置き換えを恣意的に行ったものの削除を許さないというのは、「幕府」という項の説明を向上させるための方針としては筋が通りません。

    結論[編集]

    以上の通り、Dalaibaatur氏の要請に従い、すべて出典に当たった上で、当該の記載が「幕府」の項の説明としては適切ではないことを明らかにしてきました。すなわち、「倭の五王」時代の東アジア諸国の「将軍府」に関する記載を「幕府」の項に記載することは、決して受け入れられないというのが結論です。

    なお、百科事典には以下の通りの記載があります。

    幕府 大将軍の本営をいう。幕は帳幕のことで、軍隊が行動するとき随時に幕を用いてその陣を取り巻いて府としたところに語源がある。また一説には、幕は莫(大という意)ないしは漠のことで、昔中国で衛青(えいせい)という者が匈奴(きょうど)を征した際、大砂漠の中に設けた府、つまり軍営に基づくともいわれる。日本では近衛府(このえふ)の唐名、転じて近衛大将の居館をいった。のちに1190年(建久1)源頼朝(よりとも)が右近衛大将に任ぜられると、鎌倉の居館は幕府とよばれ、92年頼朝が征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)になったあとも引き続いてその居館をさしたことから、武家政権の首長およびその居館をいった。歴史学では、鎌倉・室町・江戸幕府のように将軍を首長とする武家政権そのものを意味する。 — 伊藤清郎、日本大百科全書
    幕府 武家による政治組織,政庁。元来,近衛府 (このえふ) の唐名で,のちには近衛大将軍,さらに近衛大将その人をも称した。中国では,出征中の将軍の府署をいった。武家の政庁としては,源頼朝が建久1 (1190) 年右近衛大将に任じられたところに名称の契機を求められるが,頼朝は右近衛大将をまもなく辞し,征夷大将軍の官職を望み,同3年これに任じられて以来,鎌倉,室町,江戸時代を通じて,征夷大将軍が武家政権 (→武家政治 ) の総帥の地位を表わし,その政権あるいは政庁を幕府と呼んだ。したがって各時代の武家政権または政庁を鎌倉幕府,室町幕府,江戸幕府と呼ぶが,この称呼は右近衛大将となんら関係がなく,武家政権を意味する歴史学的概念として用いられる。 — ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

    これらの記載から判断しても、やはり日本の「天皇から任命された征夷大将軍による武家政権」(鎌倉・室町・江戸)を中心とし、中国での事例も実際に「幕府」と呼ばれたものに限定した記載に正常化する必要があると確信します。--Greywagtail会話) 2022年7月3日 (日) 04:25 (UTC)返信[返信]

    強調部分のミスおよび誤字(前面→全面)を訂正。補足として、ピンインの記載が不要である理由に「現代中国に関する用語ではないため、現代中国語における発音を記す意味がない」との判断も追加します。--Greywagtail会話) 2022年7月3日 (日) 04:39 (UTC)返信[返信]
    Dalaibaatur氏による最近の編集(差分:分断国家、2022年4月14日)において、「‎大モンゴル: →「モンゴル」と修正。モンゴルの「大モンゴル 」呼ばわりは当時の史料にない表現。」と記載されています。さて、倭の五王および中国から将軍号を得た他の「将軍」の政権において将軍府の「幕府」呼ばわりは当然ながら当時の史料にない表現ですし、その後においても「幕府」として表現されていません。したがって、上記の削除提案については完全にご同意いただけるものと考えます。--Greywagtail会話) 2022年7月5日 (火) 10:04 (UTC)返信[返信]
    コメント依頼を行いました。--Greywagtail会話) 2022年7月9日 (土) 06:01 (UTC)返信[返信]

    コメント依頼に伴う「論点の整理」[編集]

    提案 コメント依頼に伴い、以下の通り議論の大きな流れを整理します。詳細は上記をご参照ください。

    以上の件につき、削除すべきであるか否かのご意見をいただき、合意に至ればと考えています。--Greywagtail会話) 2022年7月9日 (土) 10:46 (UTC)返信[返信]

    Dalaibaaturによる「論点の整理」[編集]

    2
    3
    4
    私の「論点」は「検証可能性を満たす典拠を有する記述の根こそぎ削除には反対」の1点です。Greywagtail氏は複数節にわたる長文でいろいろと述べておられますが、この論点に対しては相変わらず「根こそぎ削除」だけを主張しています。私の方からも、「客観的な立場から整理」したコメント依頼を行いました。--Dalaibaatur会話) 2022年7月12日 (火) 17:56 (UTC)返信[返信]

    コメント依頼の中で主張を記載するのはルール違反です。こちらのページで主張されることを求めます。なお、「検証可能性を満たす典拠を有する記述」とはいえ、本項の内容に関係ない部分は削除すべきであると主張しています。その結果、関係ない部分の削除と、関係ある部分を峻別した結果を主張しています。「根こそぎ削除」というのは事実にも反しますし、結果として削除が妥当な部分が大規模になったという結果に対して、「根こそぎだから反対」というのは理由になっていないと主張します。--Greywagtail会話) 2022年7月14日 (木) 02:25 (UTC)返信[返信]
    あらためて、当方の主張は「本項に関係のない内容は(典拠を有するか否かに関わらず)削除に該当すると考えるが、その削除部分が(たまたま)広範に及んだ」ということです。これを「検証可能性を満たす典拠を有する記述」の「根こそぎ削除」と表現されること自体、事実に反します。しかも、「検証可能性を満たす典拠を有する記述」であるという点は争点ではなく、「内容に関係ない」部分のみの削除を主張しているにも関わらず、「根こそぎ削除」と表現されるのは論点のすり替え、もしくは「反対」とのみ叫んでいるだけで議論が成立していません。すべての箇所について、きちんとした「反論」がなされていませんし、なぜ反対かという根拠がまったく書かれていません。簡潔に言えば利用者:Dalaibaatur氏は「自分がたくさん(本を見ながら)書いたのにごっそり消すのは許せない」というのに対し、私は「関係ない内容は別のところに書いてください。関係ないという理由はこうです」と述べました。しかし、「ごっそり消すと言ってる!許せない!」と書かれても、何の反論にもなっていないということです。--Greywagtail会話) 2022年7月14日 (木) 02:45 (UTC)返信[返信]
    • コメント コメント依頼から失礼します。ノートの内容および河内春人『倭の五王』(2018)の記載を一通り確認しました。結論を先に書くとGreywagtailさんの行った検証の内容に概ね賛成です。河内(2018)で「要するに讃は幕府を開いたのである」とあるのは指摘されている通り一般向けの書籍として読者がイメージしやすいようにするための例え話であり、明らかに歴史学の用語としての「幕府」の説明ではないです。差分も確認しましたが、削除編集の内容は適切であろうと思います(というより削除すべきだと思います)。問題になっている内容は記事主題に対して記述の内容と出典の選定が適切ではないと言わざるを得ず、検証可能かどうかよりもその不適合のほうが問題です。また、出典が付されていることは削除編集を妨げるものではなく、「検証可能性を満たす典拠を有する」ことや「根こそぎ」と言ったことはこの場合、編集の是非とは関係がないだろうと思います。
    • 日本語で幕府と言えば普通まず征夷大将軍による武家政権を指す用語であることに疑問の余地はなく、記事自体はまずこれを中心として記述すべきという指摘も正しいものと考えます。諸外国の「幕府」の用例を本記事内で取り扱うのが適切なのかは判断できないですけれども。河内(2018)で説明されているような古代東アジアの将軍府の説明は本項ではなく適切に記述すべき記事が別にあります。用語としては府官制などでしょうか。--TEN会話) 2022年7月30日 (土) 17:43 (UTC)返信[返信]
      コメントありがとうございます。ご賛同いただきありがとうございます。お返事が遅れ申し訳ありません。現在、削除はせずに記事の前後を入れ替え、日本の幕府についての記載を大幅に拡張しています。現在の版で「東アジアにおける将軍府」節以下に、削除すべきであると考える内容を盛り込んでいます。なお、諸外国で「幕府」と呼ばれたものは中国の柳営しかないように思われますので、ここまでは「幕府」名称の起源としても、記載を残して良いのではないかと考えています。--Greywagtail会話) 2022年8月10日 (水) 12:53 (UTC)返信[返信]
    • コメント コメント依頼からきました。私も『倭の五王』を確認しましたが、Greywagtailさんの指摘は適切で除去編集も問題ないと思います。ただ、本記事を日本中心にするという点については、WP:JPOVの観点から違和感を覚えます。すでに中国の幕府については幕府 (中国)がありますので、本記事の幕府#日本における「幕府」呼称を中心に幕府(日本)などに移行して、本記事は曖昧さ回避として残すのがルールに即した方針に思えます。--あずきごはん会話) 2022年8月6日 (土) 01:38 (UTC)返信[返信]
      コメントありがとうございます。編集方針にご賛同いただきありがとうございます。お返事が遅れ申し訳ありません。WP:JPOVの観点についてのご指摘ありがとうございます。ただ、「幕府」という用語について、日本の「征夷大将軍による武家政権」は歴史的にも重要なものであり、英語でShogunateという特別な訳語があるものであること、一方中国の幕府はそれに比して小規模なものを指すと考えられることから、「幕府」という語の最も重要な用例は日本の幕府と言ってもよさそうだと思います。また、Wikipedia:曖昧さ回避では「その「項目名」で最も代表的だと考えられるトピックにその名前を割り当て、それ以外のものを「項目名 (分野)」にします」というルールになっています。日本の幕府を「幕府」の代表として扱うことはWP:JPOVに反しない、と考えますが、いかがでしょうか。--Greywagtail会話) 2022年8月10日 (水) 13:04 (UTC)返信[返信]
    • 返信 ちょっと仰る内容からどうしてその結論に至るのかよく分からないのですが、結論としている「日本の幕府を「幕府」の代表として扱うことはWP:JPOVに反しない」という事はあり得ないと思います。この話は、「日本語版ウィキペディアを利用する大多数が日本人であり、日本人が「幕府」を検索する際のニーズは日本の幕府である」という(おそらく)現実的ユーザー目線に即した編集方針と、「日本語版ウィキペディアは「日本人だけに提供される百科事典」でも「日本の事物だけを本来の対象とする百科事典」でもないということを認識することは重要です」というウィキペディアの理念の相違であり、この二つはどちらもある意味で正しく、そして決して同時に満たすことは出来ない事です。結局、どちらを優先しますか?という事にしかなりません。ゆえに話し合いで決めるしかないのです。その上で、当初のGreywagtailさんの問題提起、あるいは私が返答したコメント依頼の趣旨は「Dalaibaaturさんの記述された内容は「幕府」に書くべき内容なのか?」という内容だったはずです。成り行き上、本ページの編集方針についても言及しましたが、これとそれとは話が別だと思っています。いったん、この場所を閉じて、改めて本ページの編集方針についてのコメント依頼をしませんか?そこで私も意見を出させていただきますし、そこでの決定には従います。その上で絶対に譲れない条件を先に申し上げますと、本記事にある中国の幕府についての記述は、ある程度出典もあり、記述される内容もおおむね間違いのないものだと思います。この有意な記述を本ページから単に除去する事には明確に反対します。適切なページに(ある程度)意味のとおる形で移動することが譲れない条件です。以上、ご検討ください。--あずきごはん会話) 2022年8月12日 (金) 05:12 (UTC)返信[返信]
      すみません、どうしてその話になるのかよくわからないのですが、とりあえず問題提起については合意に達しているということをお伝えした上で、新たに提起されたJPOVについてお答えしたつもりでした。つまり、「先の削除は適切であった(つまり、「幕府」の項としては適切ではない内容だった)」ということになると思います。ここはその理解でよろしいでしょうか。
      そして、現時点の版では、削除するのが適切であろうと思われる内容(アジアにおける「将軍府」)を後段に移しました。そこで「後段を削除(もしくはTENさんのおっしゃるように「府官制」に編集)」することで、当初意図した内容になっていると思います。ただ、ここで中国の「幕府」と呼ばれるものの内容については、「幕府 (中国)」へのリンクも含めて「語義」の項にそっくり残していますので、「この有意な記述を本ページから単に除去する事には明確に反対」という点については、そもそも意見の相違がなかったと考えます。
      JPOVについての見解についてはあずきごはんさんとは相違していると思いますが、それについては別件で話し合うべきであるという点にも同意しますので、ここではこれ以上触れません。ひとまず、現在の版における「幕府#東アジアにおける将軍府」以下の部分を削除するのが適切、ということについては同意できているということでよろしいでしょうか。
      「幕府 (日本)」という項目を立てるか否かという、新たに提起された議案については別立てにすることに賛成します。--Greywagtail会話) 2022年8月14日 (日) 07:25 (UTC)返信[返信]
    • 返信 前回までの私のコメントは、Dalaibaaturさんの記述は全て河内(2018)『倭の五王』を出典とした部分と錯誤しており、それを前提として発言していました。結果として、議論を混乱させてしまったことにお詫び申し上げ、前回までの発言を撤回させていただきます。改めて、私が確認したのは河内(2018)だけなので、それを出典とした削除(移動)には賛成です。しかしそれ以外を出典とした部分、たとえば 渡邉義浩(2009)・井上秀雄(1972)・坂元義種(1981)・高橋富雄 (2012)・およびコトバンク「倭の五王」については、内容を精査していませんので、コメントを保留します。(反対ではありません)ただし、これらを出典とした、あるいは無出典部分の記述については、TENさんも、おそらくGreywagtailさんも検証されていないように思います。(見落としていたら申し訳ありません)検証なく、削除(移動)して問題ないのか?という懸念は表明しておきます。その上で、Dalaibaaturさんの記述を除去(移動)した結果、日本の幕府の記述しか残らなかったのなら仕方ないと思いますが、本記事の編集方針を日本の幕府を中心とした内容にするという件については改めてJPOVの観点から反対を表明します。これは適切な内容であれば中国の幕府についても本ページに記載するべきで、たとえばピンインについては残すべきだという意味です。別途の議論については合意いただいたと思いますので、よろしくお願いいたします。--あずきごはん会話) 2022年8月16日 (火) 13:23 (UTC)返信[返信]
    • コメント 私としては記述の削除にあたって常に全ての出典を確認しなければならないとは思わないです。適切でないと判断される記述は適時変更も削除もされるべきですし、そうでなくてもより良い形にどんどん変更されるべきだと思います。本記事についてはそもそもなのですが、古代東アジアの将軍号の除正をもって設置された官位秩序を幕府と表現するのが一般的ではないと思います。関連する時代の日本史・朝鮮史・中国史の書籍や論文はそれなりに目を通していますが、幕府という用語でこれらを説明しているものをほぼ見たことがありません。将軍号の取得とその権威を背景にした序列構造を利用した各国内の体制強化などは普通、「府官制秩序」などの用語で表現されますし、幕府 (中国)の方の記載を見ると、中国の「幕府」として出典付きで説明されている内容は明・清代のもので、古代の将軍府と制度的な関連性は無さそうです。本記事の該当部分は記事主題と関係のないことが長文で説明されていることが問題なのであって出典以前の問題のように見えます。井上秀雄(1972)は持っているので確認はできますが、同書の中で「幕府」の説明はされていないです。また、坂元義種(1981)にしてもコトバンク「倭の五王」にしても、「幕府」という用語の説明にあたって『倭の五王』というタイトルの書籍が出典として用いられること自体に疑問を感じます。--TEN会話) 2022年8月16日 (火) 14:17 (UTC)返信[返信]
      コメントありがとうございます。
      1)『倭の五王』を出典とした部分を削除することには合意がとれたと理解しています。
      2)TENさんの「古代東アジアの将軍号の除正をもって設置された官位秩序を幕府と表現するのが一般的ではない」という見解に完全同意します。つまり、「 渡邉義浩(2009)・井上秀雄(1972)・坂元義種(1981)・高橋富雄 (2012)・およびコトバンク「倭の五王」」を出典とする部分については、「幕府」の説明ではないという説明を行ってきました。つまり「本記事の該当部分は記事主題と関係のないことが長文で説明されていることが問題なのであって出典以前の問題」という見解に完全に同意します。
      したがって、繰り返しになりますが、現在の版における「幕府#東アジアにおける将軍府」以下の部分は、(『倭の五王』を出典とした部分も含め)「「幕府」についての記載ではない」という理由で削除する(+適切な他の項目に移動・加筆する)のが適切と考えますし、この点はTENさんと私が合意している内容ということになります。いかがでしょうか。--Greywagtail会話) 2022年8月20日 (土) 12:28 (UTC)返信[返信]
      あずきごはんさんの発言の「その上で、Dalaibaaturさんの記述を除去(移動)した結果、日本の幕府の記述しか残らなかったのなら仕方ないと思いますが」について、結果としてその通りになると考えています(他の将軍府の記載は「幕府」についてのものではないためです)。ただし、日本だけでなく、「語義」の部分(もともとの中国での用法)ならびに「幕府 (中国)」の内容は残ります。とはいえ、世界史レベルで見ても中国の「幕府」の重要性が日本の「幕府」の重要性よりはるかに小さいと見なさざるを得ないため、「幕府」の内容が日本のものを中心とした記載になるのはやむを得ないのではないかと思います。
      なお、ピンインについてですが、中国の現代史以外のものについてはピンインは不要と考えます(たとえば律令など)。--Greywagtail会話) 2022年8月20日 (土) 13:04 (UTC)返信[返信]
    • ありがとうございます。私は最初に書いた通りですがGreywagtailさんがまとめた検証の内容が妥当なものだと思いますし、実際に行われている記事自体の編集(削除)の内容も記事品質を向上するものだと思いますので、Greywagtailさんの編集方針に同意します。記述を削除するにあたって既存の記述の維持努力義務は最終的には存在しないと思うので、「+適切な他の項目に移動・加筆する」については本当に必要だと考えるならば実施するというだけで良いのではないかと思っています(それを実施するのが削除編集を行った人である必要もないと思います)。--TEN会話) 2022年8月21日 (日) 10:00 (UTC)返信[返信]

    「幕府」と無関係な内容の削除を実行します[編集]

    意見の公募を行いましたが、TENさん、あずきごはんさんとの議論の中で、「倭の五王」その他の内容が「幕府」とは関係ないために削除・整理することについての合意が取れたかと思います。一方の当事者であるDalaibaaturさんは他の項目への編集を行っていらっしゃるにも関わらず、このノートにおいて約3か月まったく意見の表明がありませんでした。したがいまして、ここでの編集については反対されないものと判断し、編集を実行したいと思います。なお、最近、編集が行われたようですが、これについては当方も関知しておりませんので、あらためてノートでの議論に基づく形での編集を行いたいと考えます。--Greywagtail会話) 2022年11月14日 (月) 07:25 (UTC)返信[返信]

    根こそぎ削除された場合は、復帰します[編集]

    私としては、私の投稿した文面が、記事名「幕府」の文面ではなくなったとしても、記事として残るのであれば妥協する用意がありますが、いままで改名なり分割なりの提案はまったくなされておらず、前節・前々節での議論なるものでも「改名・分割」という手法で記事に残す方法についてはまったく検討されておりません。したがいまして「根こそぎ削除」が強行された場合には復帰したしまして、さらなる議論を促します。そのようなご提案ならば、私も1試案を示すことが可能です。 ~ --Dalaibaatur会話) 2022年11月19日 (土) 07:04 (UTC)返信[返信]


    Greywagtailさんの主張と私(Dalaibaatur)の希望を両立するアイディア[編集]

    ・「純粋に日本の幕府についての文面だけにしたい」というGreywagtailさんの主張
    と、
    ・「私の投稿した文面の根こそぎ削除には反対」
    を両立する素敵なアイディアとして、記事の分割と、記事の改名を行います。 Greywagtaiさんの希望する「純粋に日本の幕府だけを叙述する記事」としては「幕府_(日本)」という記事をたてます。 東アジア・漢字文化圏における「幕府」については、私自身はこのままでよいという立場(日本をふくむ東アジア・漢字文化圏全体の"幕府"について述べる内容である。(2)個別の3幕府については既に独立の記事がある)ですが、前節・前々節では他の方からも"このまま"に反対する意見が寄せられたことに鑑み、こちらの記事については「幕府_(東アジア)」あたりの記事名でよいかと考えます。--Dalaibaatur会話) 2022年11月19日 (土) 08:33 (UTC)返信[返信]

    幕府_(日本)」と「幕府_(東アジア)」の分割を実施しました。--Dalaibaatur会話) 2022年11月19日 (土) 14:23 (UTC)返信[返信]
    • コメント 若干出しゃばり気味にはなりますが、コメント依頼等通じて出されたコメント等の経過を一切無視し、数か月の間反応を返さずにいた後でいきなりこの編集はないと思います。既に指摘されていることですが、そもそも普通古代東アジアの将軍府を幕府という用語で表すことはありませんし、記事名の重みづけとして日本の幕府と他が同じになる点にも全く合意がないです。議論を促すなら、まず一旦11月14日段階の状態に戻すべきでしょう。--TEN会話) 2022年11月20日 (日) 04:16 (UTC)返信[返信]
    合意に基づかない利用者:Dalaibaaturさんの乱暴な編集に抗議します。まず、私の希望を「純粋に日本の幕府だけを叙述する記事」と述べられましたが、そのような事実はありません。話を捻じ曲げないでください。再三申し上げているように、「「幕府」と呼ばれていないものについての記述の「幕府」項目からの除去」を求めています。日本の「幕府」以外にそのように呼ばれたものは幕府 (中国)に記載されたものを認めています。しかし、利用者:Dalaibaaturさんが強引に戻された「東アジア・漢字文化圏全体の"幕府"」もしくは「幕府_(東アジア)」に該当する「幕府」なるものは「そう呼ばれた事実が存在しない」と申し上げております。
    議論の方法として、自身の意見については「主張」、当方の意見については「希望」という表現を使い分けされることは、不適切な印象操作であると考えます。そして、上記の議論の時期には何も意見を述べられず、これらが「幕府」と呼ばれたという証明もないまま、論点をずらして強引かつ乱暴な編集をされたことに強く抗議します。
    以上により、利用者:TENさんの「一旦11月14日段階の状態に戻す」べきであるという提案に強く賛成します。ただし、「幕府 (東アジア)」とされた内容を「将軍府」という項目名にし、本文でも幕府という言葉を一切用いない(「倭の五王」を「幕府」とはしない)ということであれば、賛成する余地があります(ということはこれまでにも再三述べています)。少なくともこの項に書かれている内容は「幕府」ではないということについては合意済みのことですので、その点をご理解いただければと思います。
    とにかく「自分が書いた内容を消すな」とだけ主張されても困ります。「あなたの書いた内容は「幕府」にはそぐわない(他でどうぞ)」というこちらの主張をいい加減理解してください。--Greywagtail会話) 2022年11月22日 (火) 06:26 (UTC)返信[返信]
    再三にわたって述べており、すでに他の方々の間では合意が取れている内容ですが、貴殿が引用されている部分は「わかりやすく説明するために特定の書籍のごく一部で用いられたたとえ」にすぎず、倭の五王もしくは他の将軍府が「幕府」と呼称されている事例は存在しません。すでに終わった議論を蒸し返す荒らし行為はおやめください。
    なお、「他でどうぞ」という点について、具体的に「幕府 (東アジア)」とされた内容を「将軍府」という項目名にし、本文でも幕府という言葉を一切用いない(「倭の五王」を「幕府」とはしない)と提案しております。具体的な提案を無視して「"根こそぎ削除"」という表現で巻き戻すのはご遠慮ください。--Greywagtail会話) 2022年11月23日 (水) 23:42 (UTC)返信[返信]
    この議論はすでに #幕府の定義部分にて論証済みであり、この件(つまり『倭の五王』に書かれた「幕府」という表現をもって、倭の五王もしくは他の将軍による政権を「幕府」と呼ぶのは妥当ではないこと)についてはすでに合意が取れております。すでに合意のとれた内容についてゴネるのはおやめください。--Greywagtail会話) 2022年11月23日 (水) 23:44 (UTC)返信[返信]
    >普通古代東アジアの将軍府を幕府という用語で表すことはありません
    以下は、Greywagtailさんも前々節で引用した河内,2018の一節です。
    ::要するに讃は安東将軍として幕府を開いたのである。一般的には日本では鎌倉幕府が最初の幕府として認知されているが、それは天皇が任命した征夷大将軍の幕府である。宋皇帝が任命した安東将軍の幕府も構造的には同じである。
    というわけで、私自身はこの記事名でまったく問題ないと考えます。いくらどなたかが実在するものから目をそらす合意なるものをなさったところで、河内,2018では東アジア諸国の将軍府を幕府と呼んでおります。
    ただし記事名について、他の方からの何らかの提案について拒むものではありません。かねてより【根こそぎ削除についてのみ反対】とのみ表明していたのもこのためです。--Dalaibaatur会話) 2022年11月23日 (水) 23:21 (UTC)返信[返信]
    ですから、前後の文脈からそれは「幕府にたとえた」のであって「幕府と呼んでいる」事例には当たらない、ということで合意が取れております(あなた自身の個人的見解として固執されようとも、「河内,2018では東アジア諸国の将軍府を幕府と呼んで」いるという断定は事実として認定できないわけですし、「構造的には同じ」にすぎない上「本書では紛らわしいので、以下は将軍府と呼ぶことにする。」と「幕府」呼称を放棄されているわけです。都合のいい部分的抜粋によって引用元の趣旨を改竄することはおやめください(という点についてもすでに合意が取れております)。
    記事名について、当方からの提案を拒絶し、「他の方からの何らかの提案」に限定される理由も不明確ですし、すでに「将軍府」等への解明についても他の方からの合意が得られております。
    Wikipediaは合意によって編集されます。あなたの個人的意見によって編集をゴリ押しされたいのであれば、ご自身のWikiを立ててご随意に編集されることを強くお勧めします。--Greywagtail会話) 2022年11月24日 (木) 00:15 (UTC)返信[返信]
    ところで、当方の編集による、現「幕府 (日本)」では、末尾に「なお、河内春人は5世紀前半の倭の五王に関し、中国宋朝廷から安東将軍に任命された倭王讃の政権は「天皇が任命した征夷大将軍の幕府」と「構造的には同じ」だと説明している。」と記載しています。貴殿のご希望を盛り込んだつもりでしたが、このような配慮もすべて無視して「根こそぎ削除!根こそぎ削除!」と叫ばれるのは到底理解できません。--Greywagtail会話) 2022年11月24日 (木) 00:18 (UTC)返信[返信]
    改めて申し上げます。私は「根こそぎ削除」をしようとしているのではなく、「幕府と呼ばれない内容(たとえられたものを含む)を「幕府」の項に記載することは不適切である」と一貫して述べています。ご理解の上、独断に拠らず、同意を得られた編集方針に沿って編集されることを強く求めます。--Greywagtail会話) 2022年11月24日 (木) 02:31 (UTC)返信[返信]
    • コメント 記事の編集内容についてGreywagtailさんのコメントにほぼ同感で私から付け加えることはないのですが、Dalaibaaturさんはまず、自らの責任において11月19日の編集前の状態に(新たに追加された記事を含めて)戻していただきたいです。ちょっと確認しましたが、元々の幕府の記事は改名によって幕府 (東アジア)に変更され(旧来の編集履歴はこの記事が継承)、一部は分割によって新規記事として幕府 (日本)に転記されています。これらの編集の際、Wikipedia:ページの改名に記述された改名提案もWikipedia:ページの分割と統合に記述された分割提案も行われておらず、各種ガイドラインは完全に無視されています。議論があることがわかっている記事についてこのような編集を加えられているような状態で正常な合意形成は困難ですし、意図してなのかわかりませんが改名跡地の幕府は曖昧さ回避ページへの変更によって独自の履歴を持ち、差し戻しが非常に煩瑣なものにされています。まず、これらの原状復帰を行っていただかないことには、本記事の内容についてではなくDalaibaaturさんの編集姿勢について確認させていただかなければならないと思います。--TEN会話) 2022年11月24日 (木) 11:59 (UTC)返信[返信]
    コメント 10日たってもDalaibaaturさんから全く反応も無く、一旦完全に記事を元の状態に戻してはどうかと思います。自信がないですがもとに戻す場合以下の手続きになるでしょうか。
    ひょっとしたら幕府の削除依頼が先に必要かもしれませんが、とりあえずこれで一旦11月14日時点には戻せるのではないかと思います。--TEN会話) 2022年12月4日 (日) 14:52 (UTC)返信[返信]
    TENさんの提案に賛成します。11日14日時点への巻き戻しという趣旨が明確に伝わればと思います。また、このページでの合意に従わず、独断的な編集を行ったにも関わらず議論に参加しないDalaibaaturさんの態度は、Wikipediaでの編集について大きな問題であると考えます。--Greywagtail会話) 2022年12月5日 (月) 06:03 (UTC)返信[返信]