ノート:川添象郎

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ミュージカル「ヘアー」日本版は「当時画期的なロングラン公演」だったのか[編集]

「イベント・プロデュース」の小節には、1969年の記述として、

  • ミュージカル「ヘアー」日本上演。当時画期的なロングラン公演となる

とあります。ヘアー#日本でのヘアーの記述を見る限り、ロングラン公演であったとは思えません。それとも、当時は数ヶ月で「画期的なロングラン」といえる状況だったのでしょうか? 現時点では、どちらの記事にも出典がなく、判断できませんが、とりあえず積極的に「画期的なロングラン公演」出会ったことを明記しているこちらの記述に要検証を付けました。情報をお持ちの方からの、ご協力をよろしくお願いいたします。--山田晴通会話2012年3月15日 (木) 10:08 (UTC)[返信]

大言壮語的な記述になっています。というタグについて[編集]

「大言壮語的記述である」というタグがつけられていますが、 投稿されている記事は全て中立的な客観的事実のみで、虚飾性はありません。 現時点での川添象郎についての記述は客観的ファクト(事実)ですので大言壮語的記述ではありません。 故に、この「大言壮語」タグを除去すべきです。

--Hirotsugu.blake.kawazoe会話2012年4月10日 (火) 21:05 (UTC)[返信]

宣伝広告的であり、中立的な観点で書き直す必要があります。というタグについて[編集]

表題の件ですが、一体どの記述のどの部分が宣伝広告的であるか議論すべきです。 既に書き込まれている記事を見る限り、全て事実としての記述のみであり、そこに宣伝広告的要素のある記述はないとお見受けします。 --Hirotsugu.blake.kawazoe会話2012年4月10日 (火) 21:07 (UTC)[返信]

「独自研究」タグについて[編集]

「独自研究」についてタグをつけるのであれば、ノートページにて「どの部分の記述のどこが独自研究に抵触するか」を明記し中立的観点に基づき検証するべきです。 それらの手続きなしに「独自研究」タグをつけるのは避けるべきです。 --Hirotsugu.blake.kawazoe会話2012年4月10日 (火) 21:29 (UTC)[返信]

タグについて[編集]

「川添象郎」の記事冒頭にいくつかのタグがつけられていますが、それらはノートページによる何の検証もなしにタグをつけられています。 もし、何らかの問題があるのであれば、そのタグに抵触するであろう具体的箇所を明記した上で中立的観点に基づき検証する必要があります。 それらの検証なしにタグを記事冒頭につけるのは「川添象郎」個人に対する悪意が見られます。 タグをつける際は事前に具体的箇所をノートページに明記した上で記事の下部につけてください。 --Hirotsugu.blake.kawazoe会話2012年4月10日 (火) 21:32 (UTC)[返信]

はじめまして。山田と申します。
タグについて連投されたコメントを拝見し、少し危惧するところがありましたので、以上の4つのコメントに対してまとめて思うところを申し上げます。Hirotsugu.blake.kawazoeが剥がされたタグを貼付けたのは私ではありませんが、具体的な記事の改善なしにタグを剥がされ、編集合戦に近い状態になった責任の一端はHirotsugu.blake.kawazoeさんにもあると考えます。
このタグは、3月中旬に段階的に貼られたものですが、タグを貼る側がノートで特段のコメントを残さずにタグを貼ったとしても、いきなり剥がすのではなく、なぜ大言壮語、宣伝的などと判断されたのかをノートで問いただすようなワンクッションがアあった方がよかったように思います。特に、一度、剥がした後に再度タグが貼られた時点でそうしてあれば、よかったように思います。3月下旬の利用者:JapaneseAさんとの編集合戦では、先方が要約欄に「タグを除去する際は、要約かノートに適切な理由を書いて下さい」と2回記しているにも関わらす、4月10日までそのような対応がないままだったのは適切な対応であったとはいえないと思います。
いずれにせよ、上記のコメントを書かれてタグ削除の理由を説明されていることは好ましい対応であり、歓迎します。しかし、4月10日の一連の編集(ノートを含む)には、誤解されている部分もあるように思いました。以下、箇条書きにします。
  • 「現時点での川添象郎についての記述は客観的ファクト(事実)ですので大言壮語的記述ではありません。」とのことですが、まず、ウィキペディアでは「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」が重視されます。真実、あるいは「客観的ファクト(事実)」であっても、「アクセシビリティ」が担保された「信頼できる情報源」に基づいて記事が執筆されることが求められています。
    • 現状では、この記事は、当人のブログが外部リンクに挙っているのと、注記として1カ所、母親の伝記が示されているだけです。つまり、記述のほとんどについて、記述を検証可能にする出典が十分に示されていない状態であると思います。私は50代ですので、川添象郎の活躍は同時代人として断片的には承知していましたので、この記事の現象すべてが「大言壮語」とは思いません。しかし、当時の事情を知らない多くの若い方々にとっては具体的な検証がなければ誇大と感じられる記述も含まれていると思います。
    • また、私自身、このノートの一番上にある記述(ミュージカル「ヘアー」日本版は「当時画期的なロングラン公演」だったのか)については、妥当性に疑問をもっておりますし、「大言壮語」に当たるように思いますが、ひと月近くたっても記事の改善が見られないことは残念であると思っています。このほかにも、違和感のある記述はありますが、どう対処するかは、個別に考えて行こうと思います。
  • 「広告」的であるとする観点には、私個人は賛成はしません。この記事は、川添象郎の現在の事業を宣伝するような内容ではないと思われます。しかし、これまでの事業家としての実績を「大言壮語」的に記述していると読み取る読み手にとっては、実績の宣伝であり「広告」的だと感じられても仕方ない部分もあろうかと思います。
  • 「独自研究」が疑われるのは、当然であると考えます。記事の記述量に対して、明確な典拠が少なすぎます。あるいは、外部リンクになっている当人のブログに典拠となる記述があり、参照方法にも問題があるだけなのかもしれませんが、当人のブログだけが典拠という記述が多いのであれば、それはそれで問題です。自主公表された情報源:公式サイトは「その情報が重要であり、過度に自己を美化するものでなく、また第三者によって公表された信頼できる情報源が存在する場合はその情報と矛盾していない限り」という但し書きの上で「情報源として使用することができます」。現状では、見方によって「過度に自己を美化するもの」あるいは「大言壮語」といえる記述も含まれているのではないでしょうか。
  • 以上を踏まえ、改めて「存命人物の出典明記」と「独自研究」のタグを復活させます。また、記事を精査し、特に検証が必要と思われる記述について要検証範囲を指定した上で、それが複数に及ぶようであれば、「大言壮語」の復活もその次の段階として検討します。
  • なお、最後になりますが、Hirotsugu.blake.kawazoeさんは、もっぱらこの記事関連でのみ編集をされておいでですし、ハンドルは川添象郎の次男を連想させるものとなっています。これが単なるシャレというか、実は無関係の方であるならよろしいのですが、実際に川添象郎に関係の深い方でいらっしゃるならWikipedia:自分自身の記事をつくらないにある記述を是非ご覧下さい。たとえば、「自分の関係していることの記事についてどうしても編集したい場合は、一度ノートページでご自身が記事の主題となっている本人であることを表明した上で提案を行って、合意を得てから編集することが推奨されます。」という記述は、自分自身の記事についてだけでなく、親しい身内(親子、夫婦など)についても準用されるべきであると思います。
以上、縷々述べましたが、こちらでも現在の記述に適切な典拠を探してみますし、また、特に問題があると判断した箇所については問題提起をして行きます。Hirotsugu.blake.kawazoeさんにおかれましても、記述の典拠となる出典の提示に努めていただけますようお願い申し上げます。この場での議論を含め、編集作業を通して、この記事がより良い記事となることを期待しています。--山田晴通会話2012年4月11日 (水) 02:15 (UTC)[返信]
山田晴通様に賛同致します。当記事にはいくつか特徴があります。存命人物の記事かつ、個人ブログしか出典がないかつ、当記事の人物は実業家でありかつ、知名度が高いとは言えない(失礼ながら知らない人の方が多いと思います)。この状態でその人物を有利にさせる内容が書いてあると、その人物を知らない人はどう思うでしょうか?この時点で「独自研究」です。表現もこのような感じ「空間プロデューサーとしても活躍」では、「大言壮語」や「広告的」とする人もいるでしょう。中立的表記にするのであれば、「~としても活動」です。なお、私が既に駆除[1]しましたが、このよう記述もありました。--JapaneseA会話2012年4月11日 (水) 13:11 (UTC)[返信]
コメントありがとうございます。上の議論でも述べましたように、私のような50代で、若いころから日本の音楽シーンやファッション界などの「業界」に関心のあった者にとっては、川添象郎が「伝説」的存在であった、あるいは、ある種の特権的な文化エリートであったことは間違いないと思います。ですから、ここで当時のことを知らない読者に「大言壮語」と見えることの中にも、典拠さえ示されればそのまま記述が残せる事実も多々含まれていると考えています。
残念ながら、様々な事情があって川添氏については公に語られないこと、記事として記述すべきでないこともありますし、同時代から「伝説的」だったのですから、今となっては検証が容易でない部分もあるのかと思います。現時点でウィキペディアにおいて行われるべきことは、典拠の掘り起こしと、記述の検証を丁寧にやって行くことであることであると思います。引き続き、宜しくお願いいたします。--山田晴通会話2012年4月11日 (水) 13:29 (UTC)[返信]

要検証範囲を付けた箇所について[編集]

記事中の記述をひととおり点検し、個人的には事実であろうと判断したものの、典拠がなければにわかには信じがたい「大言壮語」に見えるかもしれないという箇所には要出典範囲を付しました。それとは別に、記述に誤りがある、ないしは、誤解を招く表現があると判断したものについて要検証範囲を付けました。以下、後者について、項目ごとに論点を展示しておきます。

  • 「ラスベガスのデューンズ・オーテルで上演されたビッグショウの舞台監督助手として、本物のショウビジネスを体験した。渡米6ヶ月目には舞台監督に昇格し、ショウビズユニオン公認のステージマネージャーとなる」
    • 「デューンズ・オーテル」はen:Dunes (hotel and casino)を指すのかと思いますが、日本語表記がこれで良いのか疑問です。「ホテル」を「オーテル」と記す必然性があるのでしょうか?
    • 「ビッグショウ」は一般的な意味での大規模な見せ物という意味なのか、特定のショーの名称なのか曖昧です。以降の記述についても、「無体監督に昇格」したのが「ビッグショウ」のそれなのか否かははっきりしませんし、「ショウビズユニオン」が何を指すのかもこれだけでは明確ではないと思います。
    • いずれにせよ、記述について典拠が示されるべきであると考えます。
  • 「1960年、ニューヨークにて、カウンター・ヤング・カルチャーの波に揺れる激動の時代[要検証 – ノート]を...」
    • 「カウンター・ヤング・カルチャー」という表現は、Googleで検索しても日本語ではこの記事に関連するものしかヒットがありませんし、英語で "counter young culture" を検索してもヒットは皆無です。この用語は何を表しているのでしょうか? どのような二次文献でこの語が使われているのかを明示していただかないと、こうした用語の使用自体が独自研究に当たると思います。
    • 一般的な意味で若者の反主流文化といった含意でこのような記述がなされているのだとしても、1960年の時点におけるニューヨークのシーンが特に「激動」と評価できるものであったかどうかは、その前後の時期と比べて議論の余地があるのではないでしょうか。
  • 「この時期にスペインに渡り、日本人初のプロのフラメンコギタリストとしても活躍した」
    • 「この時期」がかかると思われる直前の記述は1964年です。それは日本で開催されたイベントへの言及ですから、渡西はその前後いずれかであるはずですが明確にされていません。現状の記述では「プロのフラメンコギタリスト」がそれまで日本国内にはいなかったと理解すべきなのか、本場スペインでプロとして活躍した日本人の「プロのフラメンコギタリスト」がいなかったと述べているのかがはっきりしません。いずれにせよ解釈にぶれが生じないよう表現を修正していただきたいと思います。
  • 「ちなみにアルファレコードの前身にあたるマッシュルームレーベルは日本初のインディーレーベルである」

川添象郎の7回目(?)の逮捕[編集]

川添象郎がまた覚醒剤で逮捕されましたが、これは記述してはいけないことなのでしょうか?

川添と同じような薬物累犯者である清水健太郎岡崎聡子の記事では、過去の犯罪歴が記されています。Wikipedia:存命人物の伝記を読む限り、川添の犯罪歴が(過去の分も含めて)「信頼できる第三者的情報源によって文書化」されている以上、記事に含めるのが妥当ではないでしょうか。--スコブル会話2013年7月8日 (月) 03:44 (UTC)[返信]

信頼できる第三者的情報源を伴う記事であれば、その事実関係を記載することは原則可能です。ただ、一過性の報道のみを出典とする場合、今後の情報の出具合等によっては除去されることもあり得ると思っておいた方がよいと思います。その後証拠不十分であっても後追い報道ってのはなかなかされない傾向も見受けられますので。とは言え、現段階では記事に含めておいても差し支えなさそうです。--ろう(Law soma) 2013年7月8日 (月) 05:51 (UTC)[返信]

「ネガティブな加筆は出典を付して下さい」とのことですが、もともと出典つきでネガティブな加筆がおこなわれていたのに、身内の人間(かつ仕事上の部下)が出典ごとネガティブな加筆を消してるんですよね([2] 利用者‐会話:Hirotsugu.blake.kawazoe)。こういう場合にはどうすべきでしょうか。--223.135.109.117 2013年7月8日 (月) 13:09 (UTC)[返信]

その身内の方は活動を停止しているようです。活動を再開し、かつWikipediaのルールに反する除去を行った場合に、対応を考えれば良いと思います(身内の記事でも、根拠のない誹謗中傷などの除去は問題ありません)。--JapaneseA会話2013年7月8日 (月) 13:21 (UTC)[返信]

身内の人によると、川添象郎は「大麻はタバコより害がない」と発言していた旨を『週刊文春』に報じられて「事実無根の部分が殆どであり迷惑千万」と言っていたそうですが、ブログを見ると確かにそういう発言をしていることがわかりますね。--223.135.109.117 2013年7月8日 (月) 13:43 (UTC)[返信]

大麻所持で4回目の逮捕です(報道記事に基づき加筆)。“大麻は害が少ない、だから吸っていいんだ”とか、氏のこういう自己正当化は頂けませんね。--101.128.164.180 2013年10月8日 (火) 07:05 (UTC)[返信]

次男によるあらし?[編集]

本文中に「(次男と思われるユーザーにより本項目の内容が「事実無根」として荒らしを受けた)。」とありますが、仮にあらしが事実としても、本文に書く内容ではないでしょう。特に異論がなければ削除します。 --忠太会話2014年2月6日 (木) 14:39 (UTC)[返信]