ノート:岐阜県


    野口五郎岳は、富山県と長野県境の山で、岐阜県には接していないので、削除しました。(2005/6/4)

    岐阜が中国由来の唯一の県と言われているが、道州制を敷く中国に倣って命名された北海道はまた違うのでしょうか?

    外部リンクについて[編集]

    Gifulogさんは2006年11月12日 (日) 04:33 (UTC)の編集で、下記のサイトへの外部リンクを張っていらっしゃいます。返信[返信]

    このリンク先については、

    1. 2006年11月5日 (日) 10:18 (UTC)に 125.174.88.31さんにより岐阜県・岐阜市に加筆され
    2. 2006年11月6日 (月) に211.1.193.192さん(1週間ブロック済)により岐阜県内17市に同じリンクが次々に張られたことから
    3. 2006年11月6日 (月) 13:39 (UTC) Knuaさん、Los688さんにより差し戻されました (rm spam)
    4. その直後、2006年11月6日 (月) 23:41 (UTC)に再び125.174.88.31さんが同じリンクを加えられましたので、
    5. が2006年11月7日 (火) 05:27 (UTC)に直前のKnuaさんの編集へ差し戻しました。返信[返信]

    このように、件の外部リンクについては追加と削除を繰り返しています。ついてはこの外部リンクを加えるべきかどうか、ノートページで検討したいと思います。一旦削除の上、この節で、追加/削除についての意見交換をお願いします。--F.ぽち 2006年11月12日 (日) 09:15 (UTC)(修正--Knua 2006年11月12日 (日) 09:57 (UTC)返信[返信]

    はじめまして、ギフログです この度は申し訳ございませんでした 岐阜の情報掲載・岐阜を盛り上げると言う意味でリンクを貼らせて頂いたのですが 不適当と判断されたのであれば申し訳なく考えています ギフログの説明をさせて頂きます ギフログは、岐阜県在住や岐阜県出身で県外に在住するユーザー、岐阜を好きなユーザーを対象にした無料ブログサービスであり、これまでの地域情報サイトと異なり、運営側からの一方的な情報発信ではなく、ユーザー参加型の「みんなで作る情報サイト」であります 運営側は、あくまで岐阜在住あるいは、岐阜ゆかりのある方々にブログを書く場を提供する立場で、 ユーザーのブログが当サイトのメインコンテンツと位置づけます。 これにより、県民の目線によるタイムリーな情報発信が可能で、 また、岐阜に特化した情報が集まるため、独自のコミュニティを形成できると考えております。

    よろしくお願いします--以上のコメントは2006年11月19日 (日) 07:38 (UTC)に Gifulogさんによる書き込みです。F.ぽち補筆

    Gifulogさん、コメントをありがとうございました。Gifulogさんが意図されているところはおおよそ理解できたと思っております。その上でボクの印象を少し述べると、この外部リンクを書かれているのは岐阜ゆかりのある方々にブログを書く場を提供する立場で、当該サービスの広告・宣伝をされているように見えます(あくまでも、ボクのうけた印象です)。当該サイトのリンクを書き込まれた経緯に関するKnuaさんの解説から見ても、あまり適切なサイト紹介とは受け止められませんでした。宣伝・広告は書かないようにしよう、っていうのがガイドライン文書のどこかにあったように記憶していますので、このサイトへのリンクは削除する方が「より適切」なのではないかと考えました(現在もそう考えております)。
    ただし、具体的なガイドライン文書へのリンクも示さないままに書いているボクのコメントは、ある意味かなり情緒的で具体性を欠いているとも自覚しておりますので、「削除しなければならない」と、さも決定するかのようにいうつもりはありません。このようなケースにおいて、適用すべきガイドライン文書(Wikipediaのルール)に詳しい方がいらっしゃいましたら、是非、具体的な関連文書(ルール)をご教授下さいますよう、よろしくお願いいたします。--F.ぽち 2006年11月19日 (日) 08:23 (UTC)返信[返信]
    コメントありがとうございます。ギフログに関してはWikipedia:ウィキペディアは何でないか#ウィキペディアは演説場所ではありませんの7、「広告の場ではありません」にあてはまる可能性があります。広告かどうかの判断は、その記事の内容が充実しているかということで、岐阜県にゆかりがあるかどうかの問題ではなく、「岐阜県に関する十分な情報の有無」というわけです。ブログの場合、岐阜県に住んでいるからといって岐阜県の情報ばかり書くというわけではありませんよね。
    とわいえ、このサイトを載せることに全面的に反対しているわけではありません。「岐阜県に関する県民の目線による情報」というものは貴重なものがあります。もう少し、岐阜県の情報特集みたいなものが充実していれば良いのですが。。。--Knua 2006年11月19日 (日) 09:38 (UTC)返信[返信]

    『岐阜のクチコミポータルサイト』について[編集]

    以前、掲載について意見交換を行った岐阜県に特化したブログサイト★ギフログと似た岐阜のクチコミポータルサイトつーさんによって追加されましたが、上記の経緯をふまえて一旦コメントアウトさせていただきました。私は、当該サイトが★ギフログと非常によく似たサイトであることから★ギフログと同じく掲載することを否定的にみていますが、特に掲載すべきという意見があればお聞かせいただきたいと思っています。逆に、掲載しなくて良いという意見もお聞かせいただければと思います。よろしくお願いいたします。--F.ぽち 2007年1月12日 (金) 13:37 (UTC)返信[返信]

    はじめまして「レッツぎふ」運営者のつーです。レッツぎふは、岐阜県内のグルメ&レジャーなどのスポットが2047件登録されており、またスポットに対するクチコミレポートも962件登録されています(07/1/15現在)。クチコミレポートは、県内のスポットに対してしかできませんので、岐阜県内のみの情報となり、「岐阜県に関する十分な情報」と思い登録をいたしました。情報量についての皆様のご意見をお聞かせ願います。--つー 2007年1月15日 (月) 04:00 (UTC)返信[返信]

    先月にWikipediaのガイドラインとなったWikipedia:外部リンクの選び方が参考になるかと。「Wikipedia:外部リンクの選び方#掲載すべきでない外部リンク」の2,8,11に引っかかりそうです。個人のクチコミということで検証できない。岐阜県関連だが、「グルメ&レジャー」の項目がないので関係はない。といったことになってしまいそうです。--Knua 2007年1月15日 (月) 21:53 (UTC)返信[返信]
    皆様がおっしゃるようにガイドライン(運営者からの自サイトへのリンク掲載)に抵触するようですので、今回のリンク掲載登録は、取り下げさせていただきます。今後も「レッツぎふ」には、岐阜の情報をどんどん掲載していきますので有益な岐阜の情報と判断された場合は、ぜひ掲載をお願いいたします。--つー 2007年1月24日 (水) 08:26 (UTC)返信[返信]
    つーさん、コメントをありがとうございます。今回の外部リンクの追加についてご了解くださいましてどうもありがとうございます。僕自身、指摘しておきながらその根拠を明示することができず、ガイドライン、方針等の読み込みが十分でないことを反省しております。ガイドラインの提示をしてくださったKnuaさんにも感謝します。--F.ぽち 2007年1月24日 (水) 10:00 (UTC)返信[返信]


    県名の由来について[編集]

    「1級史料の信長公記から引用。織田信長が、美濃国を攻略した際に、稲葉山の城下の井口を岐阜と改めた。」
    は、事実が書かれているだけで「岐阜」という名の由来とはちょっと違う様に感じます。
    Knuaさんの
    「「岐阜」の由来は諸説。。。」
    の方が的を射てると思うのですが。--Hide-sp 2007年8月26日 (日) 12:40 (UTC)返信[返信]

    織田信長の命名は説ではありません。史実です。一応、出典不明の諸説ものこしておきました。

    あのですねえ、尾張名古屋人に命名されたのが気に入らない岐阜人が諸説を言い出したとしか思えませんが。 諸説の出典を、明示してください。独自研究は困ります。--梁山泊智多星呉用 2007年8月30日 (木) 06:50 (UTC)返信[返信]

    あのねえ、あなたね、信長公記を読んでください。信長以前は、岐阜は稲葉山と記載されているんですよ。岐阜の由来は、信長が改名して以来なのです。

    思い込みだけで、いいかげんなこと言わないでほしい。--梁山泊智多星呉用 2007年8月30日 (木) 07:07 (UTC)返信[返信]


    出典は、これですか?岐阜市史って、岐阜市が作成したものですよね?1次史料の出典ありませんけど。 信長公記には、政秀寺開山沢彦など出てきませんけど。明らかな作り話ですよね。--梁山泊智多星呉用 2007年8月30日 (木) 07:20 (UTC)返信[返信]

    岐阜市・羽島市・柳津町・武芸川町・笠松町・北方町・岐南町 【合併検討協議会】 岐阜市 永禄10年、織田信長は、稲葉山城を攻略し、井ノ口の地名を「岐阜」へと改称した。この際、政秀寺開山沢彦が「周の文王が岐山より起り、天下を定む」という中国の故事にちなんで岐阜と名付けることを進言し、これに信長が従ったと伝えられている。 しかし、岐阜の呼称は、信長によって初めて用いられたのではない。室町時代の守護土岐成頼画賛に「岐阜」の名があり、また、戦国時代の禅僧の語録に「岐陽」などの用例も見られることから、「岐阜」の呼称は、織田信長以前にも使用されていたものでもある。(岐阜市史参照)


    http://wwwopac.komazawa-u.ac.jp/e-lib/cgi-bin/retrieve/sr_detail.cgi?U_CHARSET=EUC-JP&CGILANG=japanese&ID=YA00020129&SUNO=20070401000000&HTMLFILE=sr_y.html

    著者名(よみ) 東陽英朝 (とうよう えいちょう 1428-1504)著 出版年 1630[1706] 和暦等 寛永7年[寶永3年刷]刊

    江戸時代刊行の本ですので、信長公記よりも後です。信長公記に、東陽英朝など登場しません。中国の岐山由来についても記載ありません。

    史料批判もできずに、出典不明の諸説を丸ごと岐阜市史から転載するのは、やめてください。--梁山泊智多星呉用 2007年8月30日 (木) 07:28 (UTC)返信[返信]

    いやねぇー、ここは百科事典なんですよ。いい加減分かってくださいね。どちらの主張が正しいとかは関係ありません。自分をウェブページを立ち上げるなりしてください。そういう意味では岐阜市岐阜県の編集は少し良くなりましたが。
    毎度の事ながら喧嘩腰でノートに不満をぶつける姿勢は感心しませんね。いくら正論を言っても反発しか招かないとしたら、あなたにとっても損ですよ。--Knua 2007年8月30日 (木) 10:28 (UTC)返信[返信]


    ※岐阜市役所の主張する出典の成立年代や史料価値の信憑性は、現在精査中です。今のところ、うさんくさいという感じを抱いています。江戸時代の学者が、岐阜の由来説をひねり出した可能性が高いと感じています。

    信長公記という当時の政府が作成した史料の岐阜の由来を覆すような史料はないと思いますが。--梁山泊智多星呉用 2007年8月31日 (金) 13:11 (UTC)返信[返信]

    • 横槍失礼。岐阜の土岐氏由来説は勝俣鎮夫氏の説ですね。同氏の『戦国時代論』(岩波書店・ISBN 978-400002997-1)で拝見したことがあります。--水野白楓 2007年8月31日 (金) 13:18 (UTC)返信[返信]
    • ノート:小牧市の方にも書きましたが、梁山泊智多星呉用さんの記述は間違った事を書いていません。ただ、ここだけの話ではなく梁山泊智多星呉用さんの編集を見て思うのですが、なぜ「一級史料」だけの記述だけ残して他を削除してしまうのでしょうか?それでは「一級史料」に記述されていない事以外は何も判らなくなってしまうのではないでしょうか?「一級史料」に記述されている事実は限られます。記述されていない事は「一級の資料」や「史料」で補ってもいいのではないかと思います。そうでないとウィキペディアはただの一級史料の写しになってしまいます。--Hide-sp 2007年8月31日 (金) 16:51 (UTC)返信[返信]
    • あと、梁山泊智多星呉用さんに判って頂きたいのは、ウィキペディアは歴史学史料批判をする場所ではないということです。それが判らずここに参加されることはトラブルメーカーのレッテルを貼られるだけで、貴重な梁山泊智多星呉用さんの記事が活かされなくなってしまいます。--Hide-sp 2007年8月31日 (金) 18:29 (UTC)返信[返信]
    • 出典が一級史料以外は、禁止だという規定がウィキペディアには、ありましたでしょうか。他の人がなした記述を「一級史料」にないという理由だけで、執拗に削除を繰り返し、編集合戦に陥れるのは、荒し行為です。また岐阜市役所のなした著述・記述を精査して、公表するとなると、それは意見表明の場であり、独自調査となり、禁止行為なはずです。例えば岐阜市役所の記述によると~~、信長公記によると~~、『戦国時代論』(勝俣説)によると~~、整理して解説するまでが、ウィキペディアンのお仕事なはずです。--黄麗 2007年8月31日 (金) 17:44 (UTC)返信[返信]
    • 一級史料なるものが唯一絶対で、岐阜市史など2次史料が間違ってると史料批判するのは、Wikipedia:独自の研究に当たります。岐阜市史の説が間違ってると批判している出典を求めます。--Monaneko 2007年9月1日 (土) 03:33 (UTC)返信[返信]

    だから、出典が岐阜市史ではダメでしょう。信長公記の記述のほうがはるかに古いわけで、江戸以降の学者の作り出した説ですよ、ネットで各サイトを巡回して主張を読んでみましたが。

    信長公記が正論であり、その他はすべて異説・異論に過ぎません。

    稲葉山城→岐阜城。井口→岐阜。これ信長からですから。

    岐阜市の地元愛の郷土史家と岐阜市役所が、歴史の決定権があるわけではありません。

    それから、岐阜は、岐山からですから、発祥は中国であり、室町時代の禅僧ではありません。--梁山泊智多星呉用 2007年9月1日 (土) 04:03 (UTC)返信[返信]


    http://homepage1.nifty.com/nagaragawagarou/hurusatoniomoukikousyu.htm


    仁岫録=成立年代不明です。

    梅花無尽蔵=室町末期の写本で成立年不明。さらに、所有者が幕末の塙保キ一。幕末になって突如登場した書物です。

    「増補岐阜志略」明治初期に編纂。

    安土創業録 山下道三〔著〕 江戸中期写 旧蓬左文庫所蔵(尾張藩の所蔵です。)


    ※この中で、一番信用のおける古い史料は、安土創業録です。

    ゆえに、これの否定に必死になる。

    岐阜人(住民) VS 尾張人(命名者)の構図がおわかりでしょうか?--梁山泊智多星呉用 2007年9月1日 (土) 04:15 (UTC)返信[返信]


    当該サイトにある岐阜志略は、間違いでこちらが正しい呼称のようです。 『濃陽志略』 別称「濃州志略」 10巻 松平秀雲著 宝暦6年成立:尾張藩士の著者が、宝暦初年から美濃国内の尾張藩領を巡回して書上げた地誌

    信長公記、安土創業録、濃陽志略。すべて信長命名とあります。著者は、すべて役所の人間が編纂しています。

    増補岐阜志略というのは、恐らく、これと思われます。

    タイトル 岐阜志略 タイトルよみ ギフ シリャク 責任表示 長瀬寛二著 出版地 岐阜 出版者 長瀬寛二∥ナガセ カンジ 出版年 明18.11


    ※明治以降に、岐阜人が、岐阜の命名者は信長ではないと言い出した沿革が見て取れます。--梁山泊智多星呉用 2007年9月1日 (土) 04:31 (UTC)返信[返信]

    だから、岐阜市史だめで、信長公記がいいというのは貴方の主観ですよね?Wikipedia:独自の研究をご覧下さい。--Monaneko 2007年9月1日 (土) 04:58 (UTC)返信[返信]


    ※岐阜県庁に確認しましたが、岐阜県庁のHPにもあるように、信長命名を支持されています。岐阜市役所の信長命名以前説に首を傾げていました。

    よって、岐阜市役所の岐阜市史、明治発行の岐阜志略、岐阜市地元の郷土史家による明治以降に信長命名以前説が提唱され出したことは、広く支持されているものではありません。--梁山泊智多星呉用 2007年9月3日 (月) 10:06 (UTC)返信[返信]

    コメント梁山泊智多星呉用様、ノートを拝見し非常に見識もあり調べ物も徹底して行われていることは、行間からにじみ出ております。大変素晴らしいと思います。
    私は偉そうなことを言えた義理では無く「自発的蟄居謹慎」をしたことがあるようなウィキペディアの問題児です。ただ梁山泊智多星呉用様の書き方は、合意形成を目指しておられるのでは無く「知識と調査能力でねじ伏せよう」としておられるように傍からは見えてしまいます。ウィキペディアの良いところでも有り、まどろっこしいところでもあるのですが「真実」より「検証可能性」を重視するのがウィキペディアの基本方針の一つであることは貴殿もご存じと思います。
    基本方針である以上、それを遵守するのがここに参加するものが守るべきことだと思います。「異説・異論」であっても検証可能性が満たされていれば掲載出来るのがウィキペディアです。逆に「異説・異論」という理由で排除しようとするのは「独自研究」になりかねません。正統な説があり異説・異論が併記されていることで、正統な説がより正当性を増すケースのほうが多いと思います。
    それから「あからさまに、尾張ひいきの史料を否定しているのが、岐阜人です。」といった発言はひかえられたほうが、よろしいかと思います。こういった発言は梁山泊智多星呉用様の主張に賛同する人間にとっても、あまり心地の良い響きではありません。また、無用な編修合戦の発火点にもなりかねません。
    長々と書きましたが、梁山泊智多星呉用様の努力が無駄にならないよう、ここは冷静に対処されるのがよろしいかと思いコメントさせていただきました。ウィキペディアでは若輩者でコメントを述べる立場では無いことは理解しておりますが、ウィキペディアがより良きものになるようにという思いで敢えてコメントさせていただきました。--Earthbound1960会話) 2016年8月11日 (木) 19:24 (UTC)返信[返信]

    県名の由来の段落の記述の仕方[編集]

    「県名の由来」の段落ですが、どこまでが何からの引用に関して述べていて、どこからがそのほかの説を述べているのかが、わかりません。--221.190.251.233 2008年1月22日 (火) 02:10 (UTC)返信[返信]



    梁山泊智多星呉用について[編集]

    User:梁山泊智多星呉用User:オタスケマン関連のソックパペットとして無期限投稿ブロックされました。--Emergency Center 2007年9月16日 (日) 11:40 (UTC)返信[返信]


    リンク先が移転しています。修正しました。

    歴史追加[編集]

    コメント皇太子行啓と御嶽山噴火を追加しました。--Hmori1960.earthbound会話)2016年5月12日 (木) 23:20 (UTC)
    返信[返信]

    財政[編集]

    • コメント財政の平成20年から26年を加筆しました。--Hmori1960.earthbound会話)2016年5月13日 (金) 1:05 (UTC)
    • コメント財政に財政力指数以外に歳入、経常収支比率、実質公債比率、将来負担率、ラスパイレス指数、起債制限比率を追加しました。Earthbound1960会話) 2016年5月18日 (水) 11:37 (UTC)返信[返信]
    • コメント財政力指数のグループ分類及びグループ内順位の参照先を追加しました。Earthbound1960会話) 2016年5月19日 (木) 00:09 (UTC)返信[返信]

    岐阜県下の郡の合併日付の修正に伴うBot作業提案[編集]

    Portal‐ノート:日本の都道府県/岐阜県の方で提起すべきか迷ったのですが、岐阜県下の町村関連の少なくない記事に影響するのでこちらで提起します。

    2016年7月現在、岐阜県の町村関連(市町村合併で廃止された町村も含む)の多くの記事で、所属している郡の合併日付を「1896年(明治29年)4月18日」と記載しています。しかし、『法令全書. 明治29年』 - 国立国会図書館デジタルコレクション(内閣官報局)を御覧頂くとお判りの通り、この日付は岐阜県下の既存の郡を廃置分合するための法律である「岐阜県下郡廃置及郡界変更法律」(明治29年4月20日法律第86号)が裁可された日に過ぎず、実際の合併期日は附則に記された「明治30年4月1日」であり、正しくは「1897年(明治30年)4月1日」と記載する必要があります。

    今更ながら日付の修正に着手しようと思ったのですが、「1896年(明治29年)4月18日」で検索すると434件ヒットし、手作業で修正するには流石に多すぎるのでWikipedia:Bot作業依頼#岐阜県下市町村の郡制施行期日の修正で依頼したところ、議論が不十分と指摘されました。

    古い記事だと10年以上も間違った日付で記載されており、インターネット百科事典として名折れですので、2週間ほど意見を募って異存がないようでしたら、改めてBot作業を依頼するように致します。ご意見をお願いします。--SRIA会話) 2016年7月15日 (金) 17:20 (UTC)返信[返信]

    質問 Bot作業依頼から参りました。Bot作業依頼では「岐阜県下で郡制が実際に施行されたのは「郡制」の記事中にある「明治30年8月1日」であり」とSRIAさん自身が書き込まれていますが、修正する日付は8月1日ではなく「1897年(明治30年)4月1日」で良いのでしょうか?この手のことには詳しくないので、教えていただけると助かります。--にょきにょき会話) 2016年8月1日 (月) 13:51 (UTC)返信[返信]
    返信 初めましてにょきにょき様。SRIAと申します。ご質問の件についてですが、「郡の設置日」と「郡制の施行日」とそれらに関連した法律の施行日を、当方も含めて過去の執筆者が勘違いしたのがそもそもの発端です。
    郡制の記事中に「郡役所と郡長(官選)が置かれた。」と書かれていますが、この郡役所を設置した日が「郡制の施行日」です。岐阜県の場合は、明治30年7月2日岐阜県告示第111号(岐阜県令達全書. 明治30年)「内務大臣ノ指揮ニ依リ明治三十年八月一日ヨリ本縣管下ニ郡制ヲ施行ス」に基づき、1897年(明治30年)8月1日に施行されました。
    郡制の目的は郡制の記事中にもある「府県で処理するには小さく、町村で処理するには大きい事務を処理させるため」ですが、そのために既存の郡を統廃合して適切な規模(人口)に再編する必要がありました。そのための法律が「岐阜県下郡廃置及郡界変更法律」(明治29年4月20日法律第86号)で、施行期日は同法附則にある「明治30年4月1日」です。
    例として羽島郡の過去の記事(2016年2月4日 (木) 02:09)をご覧頂くと分かるのですが、記事中に「1896年(明治29年)4月18日の郡制施行の際に両郡は合併して羽島郡となった。」とあり、羽島郡にリンクする町村関連記事の悉くが「1896年(明治29年)4月18日 - 羽栗郡と中島郡が合併して羽島郡となる。」と記載されています。
    しかし前述の通り、羽栗郡と中島郡が合併する根拠となった「岐阜県下郡廃置及郡界変更法律」(明治29年4月20日法律第86号)の施行日は1897年(明治30年)4月1日であり、1896年(明治29年)4月18日時点では、まだ羽島郡は存在していません。
    これら「郡の設置日」を正すため、Bot作業依頼では「1896年(明治29年)4月18日の郡制施行」と書かれていたのを根拠に「Wikipedia:Bot作業依頼#岐阜県下市町村の郡制施行期日の修正」という名称で依頼を行ったのですが、本来は「岐阜県下市町村の郡の合併日付の修正」という名称で依頼を行うべきでした。ですので、修正する日付は「郡の設置日」である「1897年(明治30年)4月1日」で問題ありません。改めてBot作業依頼をする際は「Wikipedia:Bot作業依頼#岐阜県下市町村の郡の合併日付の修正」で依頼致します。--SRIA会話) 2016年8月1日 (月) 16:40 (UTC)返信[返信]
    コメント ご丁寧な解説ありがとうございました。大変わかりやすく説明していただけたおかげで、群の設置日と郡制の施行日について理解できました。作業依頼の提案に賛成です。また少し調べたところ、寺内村相羽村岐阜市立柳津小学校のように、西暦が誤って記載されているものもあるようです(1897年(明治29年)4月18日で検索すると25件あります)。私が作業することになれば、この辺りも加味して作業したいと思いますが、作業者が私とは限りませんので、ご依頼の際に考慮いただければなと思います。--にょきにょき会話) 2016年8月2日 (火) 15:07 (UTC)返信[返信]
    Kanjy です。私も賛成です。正解は「1897年(明治30年)4月1日」と理解しました。また、にょきにょきさんご指摘の西暦誤りは要注意ですね。
    ところで、言うまでもありませんが、郡の設置日という事実には出典を明記して検証可能とする必要があります。ボット作業依頼ページでも申し上げましたが、日付を修正する際に併せて出典を書くことも考慮したいですね。 --Kanjy会話) 2016年8月2日 (火) 22:56 (UTC)返信[返信]
    SRIAです。御返答が遅くなり申し訳ありません。作業依頼の提案に賛成頂きありがとうございます。Kanjy様が挙げられた「郡の設置日」に関しては、岐阜県地方課から発行された『岐阜県町村合併史』(昭和36年発行、昭和62年再販)を見るのが確実だと思われますが、当方地方在住の身のため、当該書籍を有する図書館へのアクセス手段がありません。デジタル化資料も探したのですが、国立国会図書館デジタルコレクションの当該書籍は館内限定閲覧のため、外部から閲覧することが出来ません。
    何かないかと探したら、養老町の電子書庫に『養老郡志』のPDFがありました。探せば見つかるものですね。それを見ると1、10、16頁に明治30年4月1日に合併して養老郡に改称した旨が記されています。この史料では「明治三十年四月一日郡制施行」としています。
    更に探したところ、国立国会図書館デジタルコレクションの『美濃国稲葉郡志』の11頁に明治30年4月に合併して稲葉郡を設置した旨が、『揖斐郡志』の292-295頁に明治30年4月1日に合併・改称して揖斐郡を設置した旨と明治30年8月1日に郡制を実施した旨が記されています。記述を比較する限り『揖斐郡志』が当時の岐阜県下の郡名を網羅しており、詳細な日付も記しているので、これが出典として使えそうです。問題が無いようでしたら、週末を目処にBot作業依頼を申請致します。--SRIA会話) 2016年8月4日 (木) 15:40 (UTC)返信[返信]
    Kanjy です。 SRIA さん、早速のお返事、有難うございます。ただ、もし私の言葉が足りず SRIA さんを(さらには皆さまを)混乱させていないかと心配になりましたので、念のため確認させてください。私は出典明記の必要性を指摘しておりますが、8月2日に新しいことを要求したつもりはありません。当初bot作業依頼の場でも7月14日に二つ提案しましたが、その二つめの提案と同じことを8月2日にも繰り返し申し上げただけです。日付の出典を(提案の根拠として示すだけでなく)各記事内に明記する必要がある、と一貫して申し上げているつもりです。この点について認識が一致していればよいのですが。
    いずれにしても、合併・改称の経緯を踏まえ、当初の出典(明治30年7月2日岐阜県告示第111号)よりも、より良い出典として『揖斐郡志』を採用すべしと理解しました。そしてbot作業によって、例えば「 [[1897年]](明治30年)4月1日<ref>...</ref> 」のような感じで出典を明記すればよいかと思います。いかがでしょう、皆さま。 --Kanjy会話) 2016年8月6日 (土) 22:48 (UTC)返信[返信]
    SRIAです。出典の明記についてなのですが、Kanjy様が挙げられた方法を採用した場合、既に脚注節がある記事は問題ないのですが、脚注節が無い記事の場合、記事の最下行に出典が表示されるので、レイアウト上よろしくありません。Bot作業の仕組みがあまり分からないのですが、文字の置換以外に脚注節が無ければ追加するという機能もあるのでしょうか?
    脚注節がある記事に関してはKanjy様が挙げられた方法を採用し、脚注節が無い記事に関しては出典の明記は無くても良いかもしれません。取り急ぎ必要なのは「1896年(明治29年)4月18日」という間違った日付を「1897年(明治30年)4月1日」に正すことなのですから。なお、消滅した郡を含めて全ての郡の記事には参考文献として『揖斐郡志』または必要な出典を追記しますので、内部リンクを辿れば問題ないように致します。--SRIA会話) 2016年8月7日 (日) 00:15 (UTC)返信[返信]
    Kanjy です。脚注節が無ければ追加するという作業は、少々面倒ではありますが、何とかなるだろうと考えています。
    このような事実の訂正に関し、出典の明記は極めて重要であると私は考えております。その理由は『 Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」 』に書かれているとおりです。この方針の趣旨に則るなら、単に参考文献を記事末尾に示すだけでは十分に検証可能とは言えないでしょう。間違った日付を正すことが取り急ぎ必要という SRIA さんのお気持ちは理解しますが、しかし訂正を急ぐあまり検証可能性をおろそかにしては『X理論のたとえ』と同じ過ちに陥ることになると思うのです。 --Kanjy会話) 2016年8月11日 (木) 10:42 (UTC)返信[返信]

    (インデントを戻します)SRIAです。脚注節が無ければ追加する事が可能なら、レイアウト上の問題は解消されるので当方も異論はありません。それでは出典として前掲の『揖斐郡志』を使用するという事で、以下の内容でBot作業を依頼しようと思います。最初の2つは当初予定の内容に出典を追加したもの、後の2つはにょきにょき様ご指摘の西暦和暦の対称間違い分です。

    • 依頼内容:Category:岐阜県の市町村及びCategory:岐阜県の市町村 (廃止)(それぞれ下位カテゴリも含む)に含まれる記事
      • 1896年(明治29年)4月18日 → [[1897年]](明治30年)4月1日<ref>『[{{国立国会図書館デジタルコレクション|1019725/177}} 揖斐郡志]』、揖斐郡教育会、1924年12月、292-295頁</ref>
      • [[1896年]](明治29年)4月18日 → [[1897年]](明治30年)4月1日<ref>『[{{国立国会図書館デジタルコレクション|1019725/177}} 揖斐郡志]』、揖斐郡教育会、1924年12月、292-295頁</ref>
      • 1897年(明治29年)4月18日 → [[1897年]](明治30年)4月1日<ref>『[{{国立国会図書館デジタルコレクション|1019725/177}} 揖斐郡志]』、揖斐郡教育会、1924年12月、292-295頁</ref>
      • [[1897年]](明治29年)4月18日 → [[1897年]](明治30年)4月1日<ref>『[{{国立国会図書館デジタルコレクション|1019725/177}} 揖斐郡志]』、揖斐郡教育会、1924年12月、292-295頁</ref>

    問題無いようでしたら、当初予定よりも若干遅れましたが、Bot作業依頼を申請するように致します。--SRIA会話) 2016年8月12日 (金) 04:44 (UTC)返信[返信]

    Kanjy です。大筋、異論ありません。修正前の年月日については、ご提案の4パターンのように西暦と和暦とが併記されたパターンに加え、西暦または和暦の片方しかなくても同様に「 [[1897年]](明治30年)4月1日<ref>...</ref> 」に修正すべきものと理解します。
    また、修正元の記事に {{Reflist}}, <references />, <references> といった脚注表示マークアップ(大文字小文字や空白の有無といった揺らぎも考慮)が含まれていなければ、出典の節を挿入すべきものと理解します。宜しいでしょうか。 --Kanjy会話) 2016年8月18日 (木) 08:38 (UTC)返信[返信]
    SRIAです。御返答が遅くなり申し訳ありません。西暦または和暦の片方しかないものに関してはどうすべきか迷ったのですが、Bot作業で一括して行えるのであれば修正漏れも無くなるのでお願いしたいと思います。また脚注節に関しても、無い記事に関しては追加して頂く事で問題ありません。Bot作業依頼ではそれらも追記して申請するように致します。--SRIA会話) 2016年8月19日 (金) 22:55 (UTC)返信[返信]
    SRIAです。当初予定より3週間ほど遅れましたが「Wikipedia:Bot作業依頼#岐阜県下市町村の郡の合併日付の修正」でBot作業依頼を申請致しました。--SRIA会話) 2016年8月22日 (月) 16:19 (UTC)返信[返信]

    外部リンク修正[編集]

    編集者の皆さんこんにちは、

    岐阜県」上の4個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

    編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

    ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年10月3日 (火) 07:00 (UTC)返信[返信]