ノート:山本浩二

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「あわや」の使い方が間違っている。

2006年4月の編集保護[編集]

あれだけ戦力不足の状況下でよくぞ役を買って出たと逆に評価する人も少なくない。確かに監督采配で負けたという試合もあったが、ほとんどの負け試合は駒不足による勝利の方程式を立てられずじまいで喫したものばかりであり、山本の責任というよりも補強を拒否しつづけたフロントの責任という声が多いのも現実である。むしろ、前田智徳緒方孝市を主力に育て上げたという点で高評価する人も多い。

という文言を巡って編集合戦が起こり、編集保護となる。この編集を参照。--経済準学士 2006年4月28日 (金) 08:41 (UTC)

関連項目について[編集]

山本浩二の関連項目の節ですが、関連性の明確でないものを削除し、整理を行いました。削除した関連項目はこの文章の下に転記してあります。以下のうち、強い関連性を示せるものはイチロー#関連項目もしくは本記事の最後のストライクのように説明を横につけて本文に復帰させてください。この編集はWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 野球選手#関連項目について(2)での議論にもとづいて行われていますので、そちらも参照してください。

--チェアドア 2007年9月5日 (水) 11:06 (UTC)

略歴の記述について[編集]

1986年:10月27日西武に1分け3連勝するも4連敗で日本一を逃し、現役として最後の試合になる。翌日引退を表明し、

と、記述されていますが、これでは日本シリーズ後に引退発表をしたみたいに受け取られてしまいます。実際には夏頃にそのシーズン限りでの引退を表明(とある試合中に報道陣に「明日、山本浩二に関する重大発表がある」と連絡があり、翌日引退発表を行った)し、その年の最終公式戦や日本シリーズは現役最後だとファンも認識していました。
--のりとー 2007年11月13日 (火) 12:07 (UTC)