ノート:山上憶良

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出自[編集]

改善すべき点が色々あるように思います。とりあえず問題と思われる点を以下の通り指摘します。

  • 「その名称は大和国添上郡山辺郷の地名を由来とする」は、おそらく最有力説だと思われるが、誰もが認める通説というわけではないので、例えば「~を由来とするという説がある」のような言い方にするべき。
  • 中西進の説は、「父親と百済から逃げてきて甲賀郡に住み着き、その縁で、地元の有力氏族であった粟田氏に徐々に従属するようになっていった」ということなので、「粟田氏に従属し近江国甲賀郡を本拠としていた百済系渡来氏族出身」という表現は、ちょっと不正確。
  • ドナルド・キーンのSeeds in the Heartは、日本語訳が「日本文学史 古代・中世篇一」[1]として出版されているのでそちらを見ていただきたいのだが、「この説が正しく、憶良が本当に百済人で、三、四歳で日本に渡ったのだとすれば、その事実の文学的意義は小さくない」(p245)と言っているにとどまる。キーン自身が渡来人説を主張しているわけではない。
  • リービ英雄のYoutubeの公演は、自分の師匠(mentor)である中西進が憶良渡来人説を唱えたということを紹介した上で、外国人でありながら日本語でものを書く作家となった自分自身と憶良とを重ねて、その文化的な意義を語っている。しかし、リービ自身が専門家として渡来人説を主張しているわけでない。
  • アレクサンダー・ボービンは「色々な理由から中西説が正しいと思われる」と言っているだけで、「いろいろな理由」の内容を一切明らかにしていない。これを「信頼できる情報源」としてカウントするのはいかがなものかと思う。憶良渡来人説に対する歴史学者からの批判は1960年代からさんざん議論されているのに「最近,山上憶良を粟田氏の支族とする仮説も出されたが(森2008)」などと言っているところも、先行議論をちゃんと把握していないことを窺わせ、専門家としての信頼性を疑わせる。
  • 日本古典文学大辞典[2]、日本古典文学大事典[3]、日本古典文学研究史大事典[4]の「山上憶良」の記事を見ると、中西進等の憶良渡来人説に対して、佐伯有清、青木和夫らの歴史学者から反論があったことが出ているので、その旨を記載すべきと思われる。逆に、「日本国外出身の日本文学研究者の支持」に言及する「信頼できる情報源」(二次資料)はおそらく無いと思われるので、そちらは記載不要と考える。--Dwy会話2014年3月30日 (日) 07:52 (UTC)[返信]
Dwyさんのご意見は概ね了承いたしました。個別に以下意見表明いたします。
  • 1つめ。「誰もが認める通説というわけではない」ことについて、情報源を保有していませんので、当方は修正いたしかねます。ただし、Dwyさんご意見の趣旨に従い修正することは反対いたしません。
  • 2つめ。「憶良について、天智天皇の時代に父の山上憶仁ととともに百済から渡来して近江国甲賀郡に住み着き、地元の有力氏族であった粟田氏に徐々に従属するようになっていったとして、百済系渡来氏族出身とする説を唱えている」のような表現ではいかがでしょうか。
  • 3~5つめ。当方門外漢のため、コメントいたしません。
  • 6つめ。3-5つめのご指摘が事実であれば、当面の対応として「この説に対しては~支持している」の文章を全削除でいかがでしょうか。将来的には『日本古典文学大辞典』『日本古典文学大事典』『日本古典文学研究史大事典』に基づく追記を行うべきですが、当方余力が乏しく当件に関しては(1年-2年とかならともかく)当面執筆できそうにございません。Dwyさんほか諸兄の執筆を強く歓迎したいと思います(大変無責任な発言で恐れ入ります)。
--Snap55会話2014年3月30日 (日) 10:08 (UTC)[返信]