ノート:小金牧

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東葛飾高校の土塁[編集]

推定情報で本文に書くほどでもないのでここに書いて後で本文削ります。 東葛飾高校、流山街道沿いの土塁ですが、当時学校軍隊の周りの土塁は珍しくない、という事実もある一方、柏の昔の写真集をみると、1.建設前の道よりやや高い所にいる県の視察団の写真、2.土塁と道の間の隙間、3.土塁を築いたにしては妙な正門のつくり、4.街道沿いで土手がある場所に該当、あたりから、土塁が土手の可能性があります。ただし、二重土手に見えるにある写真は土手と植栽です。校舎があって確実に土手がない写真があれば否定できますが。--仕事中の 2010年7月9日 (金) 23:35 (UTC)補足すると、校舎があって土手が少しだけある写真はあります。--仕事中の 2010年7月31日 (土) 00:39 (UTC)[返信]

その後、東葛の創立記念誌を見る機会があり…結果、野馬土手がある旨書かれていたので、本文も合わせ中です。ただ、同校のホームページなど見ると、2013年末現在、校名の葛の字の字体さえ統一されてないという状況で、同校だけではないのですが、どうも、書道を含めた文系の教員が地域の文化財にあまり興味がないのか?と思います。高校関係から記事に役立つ資料を期待するのは厳しいようです。--仕事中の会話) 2013年12月29日 (日) 08:17 (UTC)[返信]

わかりやすい記事を目指して[編集]

小金牧についての情報量、すごいですね。同じく小金牧に興味を持つものとしてうれしく思います。

しかしながら、情報量の多さが災いし読みにくいとも感じました。

この記事では、沿革や共通する項目についての解説にとどめ、小金牧内のそれぞれの牧については、記事を独立させたほうがよいのではないかと思います。いかがでしょうか。

--HidE会話) 2013年3月14日 (木) 12:10 (UTC)[返信]

ご意見ありがとうございます。実はおっしゃる通りの事で、どうしたものかと思ってました。むしろ、記事を立ち上げて(引継いでというか押し付けられて)以来の悩みの種です。自分が、野馬土手マニアのため、生じた問題点でもあります。次のような策を考えました。

1、地図にする…自分も編集しにくいし、文中に学校名がやたら多い事でお気づきでしょうが、期待している地元の方の「いついつまで土手があった」等の情報が入りにくいというのが難点です。見やすいが書きにくい、というところでしょうか?
2、各牧を分ける…上の方で(ある記事の分割ついでに)一度、提案したのですが、地図を作って下さった方(故人)から、反対され、全面的な分割は見送りました。各牧は少し手を加えれば、独立できるようにはしてありますが、完全独立は極端かと思います。
ゆえに、次の案のどれか、と思いますのでご意見をお願いします。
3、各牧の中に、「野馬土手」の節を設け、読み飛ばしても良いようにする…今の「地誌」で準備中です。書き方もいくつかサンプルをお見せしています。下野牧の形を、もっと、簡略にしても良いかとも思います。
4、「小金牧の野馬土手」という記事を新設する…土手マニア以外、面白くも何ともない内容になりそうです。

よろしくお願いします。--仕事中の会話) 2013年3月16日 (土) 09:04 (UTC)[返信]

私も(無責任ですが)思ったことを一例としてあげておきます。一つのアイデアと思って聞いてください。
(1)節をもっと細かく分け、各節の冒頭に短く概要を述べる。仕事中のさんであればおそらく記事の内容について熟知してらっしゃると思いますが、よそから来た人がパッと見て記事の内容、全貌を把握するのは難しいです。ボリュームと情報量が多いので。なので、細かく節をわけ、トピック毎に一文程度の概要・まとめを書き、各節の冒頭の一文だけをパッパッと読んでいけば、全体の概略が大雑把に把握できるようにする。概要を書くというのはしばしば難しいことで、内容を細かく精通している方でないと難しい場合が多いですが、仕事中のさんにとってはきっと楽勝でしょう。節を細かく分けるというのは、見映え的な点で好まない方もいるかもしれません。私はむしろ節が細かく分かれている方が好きです。最近私がつくった北海道の神社の歴史は4万バイト弱で、小金牧の5分の1ぐらいのボリュームしかありませんが、節は倍ほど細かくなっています。(私の記事がすばらしいお手本ってことじゃあないですよ!節の中には2、3文しかないものもありますし、こんなに無駄に細かくしやがって、って思う方もいるでしょうしね。)
(2)写真や図を増やす。物理的に容易かどうか(要は時間とか費用とか意思とかとの兼ね合いで撮影しにいく可能性があるのかどうか)はわかりませんが、各牧に1枚づつ程度、現在の様子を撮した写真があったとしても、写真が多すぎるとは思いません。もちろん、規模が数百メートルからキロの単位で広がっていて、しかも遺構がほとんどない、あるいは、どこにあったのかもはっきりしない、なんてものの「現在の様子」を撮影しろというのはいささかムリな話なのかもしれないのですが、たとえば「現在の◯◯付近の様子。住宅街が広がっている」みたいなキャプションとともに住宅街の写真があったとしても、私はいいと思いますね。最高に理想的なのは、文字では伝えにくいことをパッと視覚的に表現できることであり、その次には文字による説明を補う資料としての写真なんですが、私は、画面全体を文字列が覆うのを回避するためのちょっとしたワンポイント程度の役割で適当に写真がパラついていてもいいと思います。あるいは、図書館あたりで(著作権には入念なチェックが必要ですが)古い写真を探してきて(あくまでも実際には個別的に確認は必要でしょうが、昭和初期頃までに発表された写真は、既に何十年も前に著作権が切れています)、これを掲載するという事もできます。--零細系統保護協会会話) 2013年3月16日 (土) 10:28 (UTC)[返信]

零細系統保護協会様、いつもご指導ありがとうございます。節を分け、わかりやすい見出しと冒頭の説明を入れる、あたりで進めてみようかと思います。数年前だと、量の多い記事だと開くのが大変でしたが、今なら大丈夫と思いますし。

下野牧のような書き方だと、編集方針に反するかと思いますが、どうなんでしょうか?

皆様、ご意見よろしくお願いします。あと、忘れていた改行をいれました。ご了承下さい。--仕事中の会話) 2013年3月17日 (日) 00:40 (UTC)[返信]

       ・
       :\ 
       ┃
・‥‥‥‥━‥・五香十字路
子和清水   :
       |
‥痕跡もない所、-痕跡が認められる所、━土手が残る所

本格的な地図だと自分が編集しにくいので、こんなサンプルを考えてみました。あくまで牧の部分部分を示すもので、斜線など未解決の点が多いのですが。--仕事中の会話) 2013年3月17日 (日) 08:16 (UTC) さらに追記します。実は10年くらい前、個人的につくった、空中写真に重ねた土手の地図を持ってます。空中写真をもとにつくった地図もあるのですが、編集を繰り返すうち、jpeg特有の問題が出てきました。手書き風の味が出て良い、と言う向きもありますが。ほかの方が編集しにくいというのが最大の難点です。ここにあるぞ、とか、いつまであったとか、です。とちあえず、見出しをつけて少し分けようと思います。--仕事中の会話) 2013年4月7日 (日) 01:37 (UTC) 地図、入れて見ました。100年以上前の地図を基に、目分量で作ったので著作権には触れ(ようが)ないと思います。その後の更新がうまくいかないほか、いくつか問題がありますが、とりあえず、本文バッサリを考えています。--仕事中の会話) 2013年8月1日 (木) 04:40 (UTC)[返信]

地図、携帯経由で入れたせいか、今ひとつですね。だれもが、編集修正できると良いのですが。--仕事中の会話) 2013年9月21日 (土) 07:54 (UTC)[返信]

見出しなしにここに書かれた内容(最初署名も無し)[編集]

  • 可能性や、考えられるなどの執筆者の個人的感想が多分に含まれる内容はどうなんでしょう。西暦・年号は『1999(平成11)年』という書き方ではなく、『1999年平成11年)』です。--megatron会話) 2013年11月9日 (土) 16:14 (UTC)[返信]
とりあえず、「承諾」は感想ではないので、理由のない削除と同等であり、「荒しについて」に従い、復元します。今後の同様の編集についても、「荒しについて」に従い対処します。「可能性」等の表現については、とりあえずの対処後に。--仕事中の会話) 2013年12月1日 (日) 13:52 (UTC)[返信]
↑段下げ追加しました。逆順ですが、まず、年の表記。1.「スタイルマニュアル」「表記法」には「推奨されるが絶対に従う方針ではない」旨、書かれていたはずです。2.このうち、記事の立ち上げ時、「スタイルマニュアル」には年月日の書き方は未記述でした。()は全角か半角かも議論中。3.資料とすることが強く推奨されている研究者による論文では、半世紀前から今世紀まで、・・(・年)式で書かれており、同じ表記の方が、僅かに、無用の混乱を減らし、参照を容易にし、4.容量を減らします。『年』の記述がはるかに少ない小金原御鹿狩では・・年(・年)にしてあります。「誰でも編集できる」ウィキペディア、置換によりごく簡単に編集できますから、誰かが変更するのは別に止めはしません。ただし、論文の原文引用部分まで変えると、間違いになります。--仕事中の会話) 2013年12月2日 (月) 14:54 (UTC)[返信]
西暦と和暦の表記については、過去に相当な議論があって、Wikipedia‐ノート:表記ガイド/過去ログ9#西暦和暦併記についてをみても分かる通り、完全決着はしていません。要するに、最近の話ならともかく、西暦(グレゴリオ暦)採用前(=明治6年以前)や、グレゴリオ歴採用前(1582年以前)の内容を記事に含む時は、とりわけ注意が必要になります。表記ガイドでも<原則として西暦を先に表記します。しかし旧暦を採用している時期などで、出典から正確な西暦の日付を特定できない場合などには、それ以外の暦を先に表記することができます。>とあります。
本記事はまさにこれらの時代を横断する記事でして、出典との兼ね合いで日付の取り扱いにはよくよく注意が必要です。(仕事中のさんにとっては言うまでも無いことだと思いますが)往々にしてこれらの地代に関する文献、特に戦前に書かれたような文献・原典には、和暦表記しかありません。実際、原典となりうる文献は間違いなく和暦のみで書かれてきたでしょうから、それを引用するにあたっては和暦で書いておけば間違いはないのですが、うっかり西暦に直すと、いろいろ間違いが起こる可能性があります。
個人的には、特に日付まで特定できるような場合には『明治5年11月9日(1872年12月9日)』のように書いていただくとカンペキ、安心です。これを『1872年(明治5年)12月9日』とか『明治5年(1872年)11月9日』のように書かれると、不安になります。んー、これどっちだろう、と。うっかり『1872年(明治5年)11月9日』みたいに書くと完全に間違いなわけで。(このへんも参照。)
仕事中のさんがおっしゃるとおり、表記ガイドは「絶対に従う方針ではない」わけで、参考文献・出典が和暦しか表記していない場合には、和暦<ref>出典は○○</ref>(西暦…西暦部分は記事執筆者が換算)という表記のほうがむしろ望ましいとすら思いますね。出典に西暦が併記されているような場合には、ひとまずそれをそのまま転記してもいいだろうと思いますが、出典の精度には注意が必要でしょう。(だいたい、地域史みたいなものを書く方はそこらへんの細かいことにはこだわりがある人が多いので大丈夫なことが多いのですが、もうちょっとマルっとした本の場合には旧暦時代の西暦変換が怪しいのが結構あります)。
あとは、この時代の文献をよく読むような人でないとわからないと思うのですが、西暦で書かれるより和暦で書かれたほうがわかりやすかったりするんですよね。1894年?えーと、なんだっけ、明治廿七年の戦役?ああ、日清戦争か、みたいな。出典が「明治20年代のはじめごろ」とか書いてあると西暦に置き換えるのを悩んじゃったり。
できれば記事の冒頭や注釈などを利用して、「本記事では日付の表記はこれこれに基づいて行なう」とかって宣言してもらえると気が利くなあと思います。--零細系統保護協会会話) 2013年12月3日 (火) 01:22 (UTC)[返信]
零細系統保護協会さん、いつも、ご指導ご支援ありがとうございます。「本記事では…行なう」気がつきませんでした。是非、実行したいと思います。
さて、放置していた、「考えられる・可能性」等の表現です。記事の内容をきちんと理解された方には不要と思いますが、今後の編集の方向性のため、書いておきます。これこそ、ノートに書くべき内容でもありますので。
確か(に)「という可能性がある」等は避けたい表現にあります(?)が、独自研究(説の合成も含む)を載せない・壮言を書かない方がより上位にあります。「考えられる」と書く理由は次の通りです。
1.編集方針として引用が推奨される二次資料である複数の論文に半世紀前から今世紀まで使われている。ある程度の読解力があるか引用元を参照すれば、個人的感想でないことは容易に理解できるというより、個人的感想とは最初から「思わない」でしょう。英語だと、be considered toでよく使われます。表現を変えると整合性が失われます。むしろ、英語直訳調の表現の多用の方が問題なくらいです。
2.独自研究を載せないため。例えば、中野牧捕込に一本椚牧捕込と書かれた資料があります。名称が一本椚牧捕込だったのは確かですが、ここが一本椚牧だった(と個人的独自研究では思いますが)とは断定できません。「一本椚牧捕込と書かれている」だけでは、一本椚牧であるという独自研究に誘導することになります。独自研究を載せないなら「一本椚牧であった可能性がある」と可能性にすぎないことを明記すべきです。
3.論理的にそのようにしか考えられない内容。迅速図に書かれており、現地に土手が残る場合などです。ただし、迅速図(と県教委の地図)では、100メートル程度の誤差は当たり前なので、「と考えられる」となります。資料に「上野と日暮里の間の駅」とあっても、鶯谷とはないので、「鶯谷と考えられる・の可能性がある」でないと、資料の改竄に当たります。まだ、ほかの理由もありますが、いずれにせよ、ある程度の読解力があれば、容易に理解できる話です。--仕事中の会話) 2013年12月14日 (土) 05:38 (UTC)[返信]

なお、本当に個人的感想にあたるところを「めがとろん」さんが見つけたとしても、一度、理由にならない理由で白紙化をしてしまった以上、よほどのことがない限り、どのような理由をつけても、同様の行為は理由の後づけになり、今度は確実に「荒らし」になります。荒らしによる白紙化の復元をしたら、警告タグをつけなけらばならないので、方針に従おってつけようと思います。--仕事中の会話) 2013年12月14日 (土) 05:38 (UTC) わかりやすい記事を目指してにあったわかりにくい記述をわかりやすくすべく見出しを追加しました。--仕事中の会話) 2020年11月15日 (日) 08:49 (UTC)[返信]

外部リンク修正[編集]

編集者の皆さんこんにちは、

小金牧」上の1個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年10月2日 (月) 17:25 (UTC)[返信]

修正について[編集]

問題の多い編集を修正しました。理由と概要は次のとりです。 1.著作権を明示していた場所がかなり消されていました。また、異なる著作者に脚注をつけるなど、著作権関係の問題があまりに多い部分は、できるだけ元にもどしました。2.近世中期などの曖昧な時代区分を元に戻した。近世の始まりについては3つくらいの説があり、小金牧の始まりは中世から近世の過渡期にあたります。また、特に小金牧については、アラビア馬で、フランスでは近代、日本では過渡期といった問題があります。3.制定と牧士任命など、密接な関係、あるいは同じ事象を切り離し、結果として意味不明で重複の多くなっていた場所を元にもどしました。4.「牧の範囲」など、記述内容と合わない題等は修正しました。5.出典のまったくない部分は削除しました。5.いずれの編集も「要約」がなく、編集意図がまったく、編集箇所もよくわからず、余分に削除した部分もあると思います。著作権、出典、内容に留意の上、有用な編集を行ってくださった方々には、とばっちりによるご迷惑をおかけし申し訳ありません。お詫びとともに再度の編集協力をお願いします。--仕事中の会話) 2020年10月25日 (日) 06:14 (UTC)[返信]

分離についてご意見を[編集]

記事が長いし見づらくなってきたので、「小金牧」は全体に関わること+各牧の概要、として、庄内牧~印西牧を分けようか?と思うのですが、いかがでしょう?以前、話が出たことでもありますが。各牧の記事の名称、小金上野牧、上野牧(小金牧)、上野牧、どれが良いかなどご意見を。もちろん、見出しを細かくつける、もありです。

  • 利点は全体がすっきりし、逆に小金牧全体に関わる情報は増やせること、各牧について細かく書けること
  • 欠点は、~については~牧参照、が増え全体像がつかみにくくなること、です。--仕事中の会話) 2020年11月24日 (火) 01:04 (UTC)[返信]

方針を少し変えて小金原開墾を立ち上げて明治以降の分散した記述をまとめて持って行こうと思います。--仕事中の会話) 2021年3月24日 (水) 07:29 (UTC)[返信]

編集と地図に関して[編集]

編集.有用な編集を行っている方、ご苦労様です。一点だけ、Wikipediaは何が正しいかではなく、どこにどんな事が記されているかを書くように、のような注意があったと思います。出典と切り離したり、出典と違う表現にならないようご注意を。

地図.掲載地図、自分で言うのもなんですが、かなり間違っています。一応、訂正版を準備中です。--仕事中の会話) 2021年10月14日 (木) 06:46 (UTC)[返信]