ノート:小野政直

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ページ名について[編集]

この人物の息子・政次について、「より信頼できる出典に基づく名称に改称」と「小野政次」から「小野道好」にリダイレクトを残した上で改称していますが、それならこちらも道高にした方が良いのではないでしょうか。ちなみに、『女城主井伊直虎 その謎と魅力』(石田雅彦著 井伊達夫監修)では、当該人物を「小野和泉守道高」と書かれており、その後の括弧で(政直)と書かれています。そして、その息子・道好(政次)については「道好」と書かれていました。大河ドラマでも「小野政直」「小野政次」と親子で統一的な名称の使い方をしています(もう一人の息子・朝直については「玄蕃」と表記されていますが……。)少なくとも、親子二代で同じ史料でどちらが信頼できるかということであれば、一文字共通した名称がある以上、「道高」「道好」か「政直」「政次」になると私は考えています。--連綿会話2017年1月7日 (土) 18:29 (UTC)[返信]

賛同します。「道高・道好」か「政直・政次」いずれをとるかは難しいところですが、当代史料は「道高・道好」のようですから、「道高」に変えてしまってよいのではないかと思います。--えーす会話2017年5月9日 (火) 08:09 (UTC)[返信]

讒言とするのは徳川史観[編集]

確かに小野政直の密告は主君井伊家に対する裏切りとなる行為ですが、直平の代で今川氏と対立はしましたが、直盛の代で今川家庶子筋より妻を迎え直虎を生んだので今川家筋と言えますし、直平の娘も一説によれば今川氏傍系の関口親永に嫁いだとされます。結局今川家筋ではない直満の子直親に家督を譲ろうとしたのを井伊家の主家今川家に対する反逆行為と捕らえて密告したのであれば一方的に讒言と言うこともできずPOVです。--Junkietester会話2017年1月16日 (月) 07:19 (UTC)[返信]

ブログではそのような記述はありましたが、良質な資料からは讒言以外の記述は見当たりませんでした。出典なしに「誅殺」と記載することこそ、問題があるでしょう。もし明確に讒言ではないといえる資料や、誅殺と明確にいえる資料が見当たったなら、その出典を明記してください。--連綿会話2017年1月16日 (月) 16:08 (UTC)[返信]

出典について[編集]

「末裔に伝わる系譜史料」って誰でも参照可能な出典になっているんですかね・・・そう書いている出典がある、なら書けると思うのですが。 ○○によると××である、という注釈にも出典が必要なので、注釈・出典・参考文献でなくて、出典で頁数付きで紐づけてほしいところなのですが、投稿者がしばらくログインしていないようですね。--49.107.30.218 2017年4月5日 (水) 04:15 (UTC)[返信]