ノート:小菅修船場跡

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

改名提案「小菅修繕所」→「小菅修船場」[編集]

初稿では文中「小菅修船場」だったのが、「文化財指定名称に」とのことでこの版から「小菅修繕所」に改められています。しかし国指定文化財等データベース長崎県の文化財長崎市の文化財等、みな「小菅修船場」であり、WEB検索結果でも「小菅修繕所」とするものはWikipediaの本項目及び長崎市とそれを基にしたかと思われるページがほとんどを占めるようです。よって、項目名を「小菅修船場跡」に改め、他の「小菅修繕所」記述も同様にすることを提案いたします。

なお読みは長崎県のページでは「こすげしゅうせんじょうあと」、文化庁のデータベース、解説文では「こすげしゅうせんばあと」とあり、厄介ですが、WEB検索結果では「ば」を採るものは文化庁のみ(及び、これを基にした九州・沖縄の史跡一覧)ですので、地元では「じょう」と呼ばれているのではないかと推測し、原案「こすげしゅうせんじょうあと」にしたいと思います。こちらもご意見下さい。--КОЛЯ 会話 2008年8月19日 (火) 12:15 (UTC)[返信]

КОЛЯのご提案通り、改名に賛成いたします。--Sonic883 2008年8月24日 (日) 12:50 (UTC)[返信]

ご賛同が得られましたので、「小菅修船場跡(こすげしゅうせんじょうあと)」への改名を実施しました。--КОЛЯ 会話 2008年9月2日 (火) 14:17 (UTC)[返信]

修正が必要なようです[編集]

長崎市の説明に加え、観光ガイドの人に資料などを見せて貰って確認したところ、現存する船台は昭和期に使用された電動式のもので、明治期は中央部のレールにあった蒸気式の船台を使用していたようです。今日は現地の写真などを撮っただけなので修正に必要な情報源を確認していませんが、今後の編集に役立つよう、参考として記しておきます。--Marine-Bluetalkcontribsmail 2022年12月11日 (日) 13:33 (UTC)[返信]