ノート:学制

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とりあえず参考になるリンクを書いておきます。双方とも少し情報不足の部分はありますが、時間があればさらに分かりやすい図を作るということで。難民 2004年8月27日 (金) 20:18 (UTC)[返信]


メモ。使えそうなら誰か使ってください。野田義夫『明治教育史』、育英舎、1907年より。学制において規定された学校とその実数について、大学は明治10年段階で構想の8に対して1つ完成、明治12年段階で中学は構想の256に対して107(私立のぞく)、同年段階で小学校は構想53760に対して28025(p.32)。構想の数字は改正前のものを使っている模様。

大学について、学制以前の大学東校は学制によって東京医学校となった(これは学制における専門学校)。同じく大学南校は「第一大学区東京第一番中学」(学制における中学校)になり明治6年4月に東京開成学校に改称して法学、理学、工業学、諸芸学、鉱山学に学科わけした(これも専門学校か)。東京医学校と東京開成学校とをあわせて明治10年にやっと学制に規定された理学、文学、法学、医学の四学部を持つ大学校として「東京大学」ができた(pp.30-31)。