ノート:子貢

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「孔子に愛されなかった」とありますが、それは孔子のどの言動を指しているのでしょう?? 私は子貢は孔子に厳しくはされていましたが、愛されていたように思っていたのですが。--Houkun 2006年12月4日 (月) 07:56 (UTC)[返信]

まったく仰られるとおりだと思います。書いたのは私ですが何か修正案がございましたらそれを参考にして書き改めさせていただきたいかと存じます。Kuro-hato 2006年12月4日 (月) 15:09 (UTC)[返信]
Kuro-hato様、お世話になっています。

駄文ですが、最後の一文を『孔子は彼の能力の使い方に難色を示していた。しかし彼の才気換発さを愛し、厳しく反省を促しながらも時に励まし、愛情のこもった指導をしている。』という感じの文に代えるのはどうでしょうか? 私の論語の解釈ではこういうスタンスをとります。しかし、例えば孔子の子貢評である「瑚璉」を役立たずの皮肉ととるか、(私は賛同しかねますが、そういう意見もあるようです。)立派な器なのでひとかどの人物ととるか、大事な儀式に使われる「瑚璉」の機能は単なる器の機能を超えているので君子ではないが君子に近いところにいる人物である、ともとれます。ですから、難しいところではあると思います。--Houkun 2006年12月7日 (木) 05:11 (UTC)[返信]

ご丁寧にありがとうございます。孔子の死後、弟子たちを纏め上げた裁量といい諸国に与えた影響といい、孔子一門で世間に最も影響力があったのは間違いなく子貢であったと思われますが、実際のところ孔子の子貢評は顔回などと比べて随分と辛いものがあるのもまた事実ですね。ご進言を受け、改定させていただきます。Kuro-hato 2006年12月8日 (金) 14:19 (UTC)[返信]