ノート:奉神礼

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神聖な奉仕。ラトレイア(ギリシャ語)ではなかったか。コイネーで、伊藤--61.207.170.199 2010年1月15日 (金) 04:06 (UTC)[返信]

出典を付与しておきました。--Kinno Angel 2010年1月15日 (金) 04:30 (UTC)[返信]

古儀式派と奉神礼形式史[編集]

古儀式派関連の記述を「教理と奉神礼の関係」節から削除しました。文章を推敲中ですが、そもそもこの節は「教理と奉神礼の密接な繋がり」がメインテーマです。なぜこのように取ってつけたかのように古儀式派の記述を放りこまれるのか理解出来ません。--Kinno Angel会話2012年3月19日 (月) 13:29 (UTC)[返信]

どうしても利用者:3fa6yf3m345236さんは古儀式派のことを書かれたいようなので、何とか「教理と奉神礼の関係」というテーマを崩さないように、最低限の文章に止めました。
しかしながら古儀式派について書きたいのであれば、節「奉神礼の形式史」を新設して書くのが適切でしょう。「教理と奉神礼の関係」には不要です。
また「奉神礼の形式史」について書くのであれば、7世紀から9世紀にかけてのコンダク形式の衰退とカノン形式の発展や、ストゥディオス修道院と聖サワ修道院におけるビザンティン奉神礼発展史の方がメインに据えられるべきです。なぜなら10世紀~12世紀までのビザンティン奉神礼の形成期にはかなり大幅な奉神礼の成長拡大が起きているのですが、17世紀のロシア正教会においては、古儀式派も主流派も、ビザンティン奉神礼の形成期ほどには大差無いのですから。
大差無い方を「奉神礼」の記事に書きこむのであれば、ビザンティン奉神礼の形成期にどのような変化が起きていったのかという「大差ある成長」の方を書かなければ、大いにバランスを失しています。
それと、16世紀の百章会議に古儀式派の認識のベースを求めるのは、古儀式派の主張を矮小化していませんか。彼らは中世ロシアオリジナルを守ろうとしたのではなく、あくまで彼らの信じるところの使徒から継承された形を守ろうとしたのですから、「ローマやトルコからの影響を受けることなくロシアの地で守られてきたのち、1551年の百章会議において公式に確立された伝統的な奉神礼が正しいと考え」のような、一文に「百章会議」を入れるのは一般の誤解を招きかねません。
利用者:3fa6yf3m345236さんは古儀式派について大いに情熱をお持ちのようです。それは正教会に情熱を持つ私も、気持は解る部分が御座います。しかしながら、書くのであれば、全体のバランスを失しないように配慮することも不可欠です(だからこそ正教のみならず様々な教派の出典を揃えて、机の周りに積み上げて加筆に取り組んでおります)。--Kinno Angel会話2012年3月19日 (月) 13:51 (UTC)[返信]