ノート:太子信仰

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

良質な記事選考で寄せていただいたご意見について[編集]

主執筆者です。過日、本記事を良質な記事に選んでいただき有難うございました。寄せていただいたご意見について、選考期間中に返答できなかったので、改めて本節でお答えします。ご意見は当該ページから引用しています。ご了承ください。

  1. 導入部の「そうした人物は他に居ないと言ってよい。」は、4つの注の内、どの出典の何ページに基づくものなのか、明確にして頂きたく存じます。
  2. 注釈2の「史学史学者」は歴史学者の誤りでしょうか。
  3. 『細字法華経』キャプションの「こうした伝承は事実ではない。」には注が必要です。
  4. 各宗派への波及節の「真宗寺院の本尊はほとんど太子像であると記録されており」は、注の4タイトル、全てに記されているのでしょうか。
  5. 太子信仰への批判と再評価節、「廃仏毀釈の影響もあって扱いは低かった」。神仏分離の動きは、明治5年に停止する(神仏分離#明治時代の神仏分離)のですから、適切な認識ではないと、私は思います。
  6. フェノロサは明治後期でなく、前期ですよね。
  • 返信 記事の修正有難うございました。1.ですが、手元に参考文献がないのでいったん保留とさせてください。2.仰る通りの意味をタイポしました。より出典の文意に近い「文献史学者」に改めます。3.これも参考文献が無く確認できていないのですが、田中の書籍だと記憶しています。一旦これを出典としておきますが、確認して誤謬があれば修正します。4.正確には、「南北朝」「近世」「現在」の3つの記述はそれぞれ出典が異なり、それらを参考にひと段落に纏めました。近世は出雲路英淳(2004)であることは確認できますが、それ以外は手元にない資料なのでいったん保留させてください。5.ご意見は承りますが、この記述については参考書籍の内容の通りなので、そのままにします。なお法隆寺献納宝物は明治11年に献納されており、神仏分離が停止してからも影響はあったと私は思います。6.仰る通りで、フェノロサの影響がでてくるのが明治後期という内容なのですが、文章からはそう読み取れませんね。フェノロサの法隆寺訪問年について加筆し、文章を整えました。

1.編集全般において、User:あずきごはんさんの執筆スタイルとして、複数の出典からの情報を合成し一つの段落としている文章が多々見受けられますが、これは後ほど(加筆修正する際)にどの記述がどの出典に依拠しているかわからなくなってしまい不便と思います。

この問題が最も顕著に出ているのが「さらに「和」の精神は臣民間の和と解され、国民が一丸となって戦争を戦い抜くために強調されるようになっていった[12][114][115][116][117][118]」という部分です。この後ろの出典がすべてこの記述の典拠となっているのでしょうか。単純な事実ならば複合でもよいと思いますが、このように中立的に書くべき内容となると問題があると思います。
実際には、この記事は後ほど加筆修正の必要はほとんどないため支障はないと考えますが。これを改善するためには、情報合成の時には一文一文に出典をつけるか、Template:出典範囲(最近作成されたそうです)を用いるとよいと考えますが、前者は読解に支障が出て、後者は範囲指定が面倒など、どちらも不便な点が存在します。この点については悩みどころと思います。この点では今からの改善は全く必要ありません(出典確認では記事を書き直すのと同じ労力がかかりますので)
これに関連して、「石川知彦は、太子像の多くは以下の6つに分類できるとしている[186][46][187][188]」とあるうちの[186], 榊原史子 2021と[188], 杉山二郎 1965も「石川知彦が太子像を6つに分類していること」を示しているのでしょうか。そうでない場合は出典位置を調整したほうがよいかと。

2.難読漢字が多いので、ルビを振って頂けると助かります。「三経義疏(さんけいぎりゅう? ぎりょう?)」「幷流(へいりゅう? へいりょう?)」「補闕記(ほけつき?)」などなどです。ルビを振る際ですが、この場合はフリガナであることが明白ですのでかっこでもよいですし、ルビでも構わないと思います。私はルビなど積極的に活用してもよいと思うのですがね。

3.「吉田は~としている」など著者を挙げる際、Template:Harvtxtを用いますと吉田 (9999)のように参考文献にリンクが張られ、しかも年もわかるため利便性が高くなると思います。ご活用ください。

4.電車の中で読んだのですが、そのとき誤字・文法の誤りを見つけたにも拘わらずどこだかわからなくなってしまいました。すみません。見つけなおせたものは版番90164466と版番90177276の差分にて修正しましたので、もし意図と違いましたら修正入れてください。

5.(年号)何年 と書くとやはり大体どの時代かわかっていいですね。私も参考にし積極的に西暦を付記するようにしたいと思います。

6.『四天王寺縁起』赤手形について、「権者の聖蹟(根本本)を秘す」の意味がよくわかりません。後醍醐天皇は、この本が元の本ではないということを強調したかったということでしょうか。

7.「太子講」節の導入部分では宗教講と職業講が挙げられていますが、その次の段落では「太子講とは~職業講である」と断定してしまっています。さらに、職業講の内容に重複が見られます。整理が必要と思います。

  • 返信 記事の修正有難うございました。1.出典は以前は一文づつ出典を付けていたんですが、今回纏める形にしてみました。Falcatedさんの指摘にもありましたし概ね不評のようですね。次回の執筆から気を付けます。2.ルビについてですが、基本的に内部リンクがある場合は、リンク先を見ればよいので不要と思っています。内部リンクが無いものは()で加筆しましたが、正直私は読めてしまうので至らないところはまだあるかもしれません。不足があれば改めてご指摘ください。3.ご教授ありがとうございます。ハーバート方式は知っているのですが、私の執筆スタイルでは使いづらいのでご面倒でも参考文献を見てもらうようにしています。具体的にどのように執筆しているかというと、最初に最新かつ参考文献が多い資料を読んで大枠を抑え、それを元に原本の資料をあたるという方法を取っています。なので、「吉田は〇〇としている」という文章は、たとえば榊原(2021)で吉田の説が引用されており、それを元に吉田(2011)でそれを追確認するため、榊原と吉田の本の両方が出典となります。こうするメリットは、吉田本で本来の吉田説を確認すると共に、後の榊原本が出版された時点で吉田説がどうとらえられているか(追認・否定など)という事まで情報として盛り込める事です。古代史は定説がよく変わりますし、jawpには古い説に拘りをもって執筆されるかたもいらっしゃいますから、中立性を保つために古い説も紹介しつつ「定説になっている」「否定されている」などの現在の情報を記述することは無駄な編集争いを避けるためにも大切になってくると思っています。4.ありがとうございました。5.いつも和暦(西暦)としていますが、正直これが正解なのか良く分かっていません。一応jawpルールでは西暦(和暦)となっているのですが、これだと旧暦と新暦のズレに跨っている場合、表記が1年前後する事があるので原資料に基づく和暦を強調して和暦(西暦)にしています。つまり西暦は参考程度の意味合いです。一応ルール上も認められています。6.「権者の聖蹟(根本本)を秘す」は原本ママなのですが、本来の意味は「太子真筆(根本本)を秘蔵して、(これからは自分の写書(後醍醐本)を公開するように)」という意味です。ただ、実際は根本本は太子真筆では無いのでそのように書くことを躊躇い、そのまま記しました。権者の聖蹟という表現に後醍醐の太子信仰も見て取れるという意味もあります。7.修正しました。--あずきごはん会話2022年6月26日 (日) 08:05 (UTC)[返信]

出典の不備について是正の報告[編集]

このたび、良質な記事選考の折りに指摘いただいていた出典の付け方について是正を試みたところ、かなりの部分で出典の不備が確認されましたので是正しました。おそらく執筆時にciteテンプレートの書き込み(正確にはソースをコピペ)する際に不備があったのだと思います。申し訳ありませんでした。併せて十七条憲法とすべきところを憲法十七条と書き間違えていた事も直しています。--あずきごはん会話2023年9月4日 (月) 21:15 (UTC)[返信]