ノート:天然理心流

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天然理心流は失伝した流儀です。(まず近藤勇五郎師範は近藤勇より理心流を学んでいません、そして近藤勇没後も他の師範より学んだ形跡がありません。(地元には調布に原田忠司・八王子に西村一平の両師範が現存し天然理心流の道場としては町田の小島家・青木家、日野の佐藤家などあるが、ここで学んではいません。(実際發雲館の高弟だった方の家の伝承では理心流の型は伝わってないとはっきり言っておられます。(この家では近藤新吉先生の出した切紙が残っています、つまり剣道の段位の変わりに出したものです。(加藤伊助氏は發雲館の正式な門人ではありません、三鷹の剣友会の所属であり、たまに發雲館に来ていただけに過ぎません。(近藤勇没後90年の大会で地元に天然理心流が伝わっていないのはどうかという話になり加藤氏と發雲館の一部の門人で表木刀の型を作りました。実際、今行われている表木刀・陰撓の組太刀と居合は天然理心流の各師範家にある型の覚書と全然違います。つまり増田蔵六の八王子系、桑原永助の神奈川・埼玉系、近藤周助系の三系に残った資料と一致しないという事です。

この三系の資料はほぼ合致しており同じ技術を伝えていた事がわかります。(つまり全くのデタラメということです、嘘も三代続くと本当になるといういい見本です。

井上才市系についても、ある神社で演武を見ましたが表木刀に関しては加藤系とほぼ同じ流れで本物だとは思えません。 陰撓についても型の覚書と一致しません。(それにHP上で序目録を伝授していましたが天然理心流で序目録を出したのは初代の内蔵之助だけであり三助以降は目録です。大塚氏は内蔵之助に習ったのでしょうか?(実際、井上才市の門弟の家にあった型の覚書を元にしているという話も聞いた事がありますし、本当に伝承しているというのなら証明していただきたい。

口だけなら何とでも言えます。(大塚氏が受けているはずの伝書なり井上家で伝わっていることの証明なりが出てくるのであれば、みんなが認めると思いますがいかがでしょう? -- 61.203.74.240 2005年10月27日 (木) 11:02の版

お持ちの資料と比べて違うのでデタラメだと決め付けていらっしゃるようですが、その資料なるものが正しいとなぜ言い切れるのでしょうか。その資料の存在を、誰が確認していますか。すべて、自分の論だけが正しく、他は間違いと言いたいのでしょうか。荒らし行為は、やめていただきたい。-- 219.2.128.100 2005年10月30日 (日) 00:36の版
上の方に申し上げますが、貴方の方こそ反証もあげず、こちらの資料が間違っていると独善的に決め付けています。貴方の方こそ荒らし行為ではないでしょうか?最初に書いています、各師範家の資料であると!お分かりになっていないようなので申し上げます。各師範家とは過去に天然理心流の指南免許を持ち道場を開き門人を集めた人のいる家のことです。当然ながらそういった家は各自治体の市史編纂の過程で調査され市史の中に紹介されています。その師範家に伺い古文書を見せていただき写真に収めてきたものであり、当然ながら信憑性のあるものだと考えています。私はそういった師範家を含め免許類を保持している家、あわせれば三十件ほど訪ねました。ちなみに私が伺った家は大抵過去に小島資料館の小島館長が調査されています。これで資料の正当性が分かっていただけたと思います。上の方ももうちょっと勉強してください。
型の覚書についても書いておきます。私が所持しているのは8軒の師範家にあったものの写真です、時代も違うし伝系も異なっています。つまり近藤三助の門人近藤周助系、増田蔵六系、桑原永助系の三系統の師範家に残ったものです。内容的には80~90%の合致が見られます、この三系統でほぼ同じ技術を伝えていた事がわかります。この型の覚書と今の理心流を名乗っている人たちの型が全然違うと言っているのです。言い換えるなら近藤勇の時代の型と今やっている型には何の共通点も無いという事です。反論されるなら、ちゃんとした証拠を提示して反論していただきたい。 無理でしょうが! -- 61.203.77.104 2005年11月1日 (火) 14:39

ノートページや会話ページへのコメント記載の後にはチルダ4つ(「~~~~」)記入して署名しましょう。他の人のコメントにレスをつける際には段落の頭にコロン(「:」)を挿入してインデントを下げます。でないと誰が何を書いているのか第三者からは分からなくなります。Hermeneus (talk) 2005年11月1日 (火) 05:51 (UTC)[返信]

師範家の文書というのが本物だと、誰が検証していますか。どこにも発表されていないし、見た人もほとんどいないのではないでしょうか。上の方も書いていますが、あるあると言うだけならなんとでも言えます。頭から否定しているわけではありませんが、無条件に信用することもできない状況です。 2005年11月4日 (金) 04:45 (UTC)

調べもしないでいい加減なことを言わないでいただきたい、師範家の文書については市史編纂の過程で専門家が当然調べています。
どこにも発表されていない? 勉強してください。
三十一人会で過去発表されています、それ以外にも去年新撰組の展示会でも展示されていましたし、秘伝という雑誌にも紹介されていました。
前回も書きましたがもう少し勉強してください。61.203.77.104 2005年11月4日 (金) 07:19 (UTC)[返信]
少し書き足します、上から二番目と五番目の方、同一人物か分かりませんが申し上げます。 私が集めた資料の信憑性について言っていますが上から三番目で書いています、偽者であると言いたいのなら市史編纂で専門家が調べ本物であると認め、市史に天然理心流を伝承した家と紹介され、資料所在目録等に掲載され、自治体における郷土資料館等で展示され、研究家も認めている資料のどこが嘘なのか御教示いただきたい。 自分が見た事も無いという不勉強を棚に上げ偽者であるかのように書き込むのは反論ではなくただの言いがかりです。 あなたの言い分に納得できるならこちらの意見をいつでも取り下げます。 きちんと論理的に反論してください。61.203.77.104 2005年11月4日 (金) 14:54 (UTC)[返信]
師範家から出た文書というと、知らない人は天然理心流の師範が書き残した文書だと思ってしまいますが、実際には師範が書いたものではなく、後代の天然理心流の師範ではない人が書いたものですよね。2005年11月7日 (月) 04:31 (UTC)


正真正銘、その時代の師範が備忘録として書いたものです、上の人そうやって知らない振りして書き込んできますが無駄な抵抗だと思いますよ。 資料には間違いなくその師範の署名、落款、花押が書かれてます。 回りくどい言い方して真実をごまかそうとしているみたいですけど、そろそろ嘘もばれる時期だと思いますよ。 61.203.77.104 2005年11月7日 (月) 06:56 (UTC)[返信]
よくそんなことが言えますね。残っている形解説の資料は、作者や年代が不明なものか、師範家の子孫ではあるが技の継承はしていない人が聞き書きしたものです。嘘をついているのは、あなたです。2005年11月8日 (火) 15:46 (UTC)

だから、それを証明してくださいと何度もいってるんですけどね。61.203.77.104 2005年11月9日 (水) 11:50 (UTC)[返信]

郷土資料館等に展示されたと言っても、単にそれだけのことで、その資料の真贋について何ら証明するものでもないし、誰も責任はとってくれません。あくまで嘘ではないと言い張るなら、自分で証明して見せなさい。2005年11月11日 (金) 04:10 (UTC)
あいも変わらずの反論ですね、何度もいいますが郷土資料館で偽者を展示したという証拠を説明してくださいよ。 こちらはすでに証明してますよ、本物であるという根拠は何度も書いてます。 そんな小学生の言いがかりみたいなことはやめて偽者であるというちゃんとした証拠をみせてくださいよ。 あなたは一度として偽者であるという証拠を提出してませんよ、いつも口先だけじゃないですか、私は偽者であると認めたらいつでも自分の意見を引っ込めると言ってるんです。 いい加減にしなさいよ。61.203.77.104 2005年11月11日 (金) 07:21 (UTC)[返信]
あなたは、一度も意味のある証明などしていないし、根拠として挙げているものも全て薄弱なものばかりです。それでは、誰も納得できないのではないでしょうか。

あなたの言っている事の方が誰も納得しないと思いますけどね。 あなたの言っている理論では日本中の古文書が全て偽者という事になってしまいますよ、私も古文書の中に偽者があるという事くらい知ってます。 ただし、それは研究者が偽者であるという証拠を提示しているからです。 あなたが偽者だと言うのなら、あなたが証明するべきじゃないんですか? 意味のある証明? 専門家が調べているだけで十分だと思いますけど?  あなたの言いがかりに付き合ってるのは馬鹿馬鹿しくてしょうがないんですけどね61.203.77.104 2005年11月12日 (土) 10:18 (UTC)[返信]

言いがかりはそちらの方です。屁理屈をいくら重ねても、無駄です。いい加減にしなさい。2005年11月16日 (水) 06:00 (UTC)
今回も証明せずですか、あきれてしまいますね。 お話にならないです。ここはこちらの意見に対してきちんとした反論をする場です、理由をあげて反論できないのなら参加しないでください、はっきり言って迷惑です。 あなたのレベルでは討論になりません。61.203.77.104 2005年11月16日 (水) 06:35 (UTC)[返信]

あの、お互いが求めている証拠ってのがどういう証拠かはっきりさせれば、お互いに「証拠」のだしようがあると思いますよ。それも、研究者が誰で、いつ発行のなんという雑誌のなんという論文で発表した見解であるかということまで出典を明記しないと根拠とはなりえないでしょう。--222.14.160.79 2005年11月20日 (日) 13:33 (UTC)[返信]

天然理心流が失伝していて今あるのは嘘だ、などという珍説を主張するのであれば、きちんと納得のいく証明をするべきです。どこで展示されたのなんのという、すべて他人まかせの意味のない事を挙げるだけで、何一つ自分では証明できないで、屁理屈を書き込むだけでは荒らし行為と同じです。珍説は、結局珍説で終わりです。2005年11月21日 (月) 05:56 (UTC)

議論について[編集]

もう、議論は終了しているんですよね?Pluto 2006年4月4日 (火) 19:30 (UTC)[返信]


初めて書き込みします。 私も新撰組が好きで、先日初めて土方歳三資料館や井上源三郎資料館・日野市ふるさと資料館等に行って来ました。 と言っても皆様ほど詳しい訳でもなく、単なる新撰組好きで天然理心流にも興味が湧き、こうして書き込みしているような訳です。 さて、件の理心流の継承云々の件ですが、やはり近藤勇以降の天然理心流は正当なものでないというのが結論ではないでしょうか? 前述のふるさと資料館(日野市営ですので怪しげなものではないです)でも天然理心流の系統図にハッキリと書かれていますし、近藤周斎は四術の内剣術のみの指南免許ですが、増田蔵六は四術全ての指南免許を受けていますし。 ましてや近藤勇は市ヶ谷の道場を京都に上るために閉じていますので、その時点で、天然理心流は一度終わったと考えるのが妥当だと思われます。 また、佐藤彦五郎(土方歳三の義兄)が近藤勇が京都で新撰組として活躍していた頃に、師範として免許を乱発していたとの史料もあるようです。

これらのことは別に思いこみでも嘘でもなく、公的な史料として公開されています。

新撰組を愛する気持ちは重々分かりますが、愛するあまり盲目になってしまっている部分もあるのではないでしょうか?

議論をなさっていた方々のお返事が頂けない状態ですので、ご覧にはなっておられないのだろうと推察致します。初めての書き込みとの事。もしよろしければ、簡単ですので、ログインなさってください。まず、画面上で「ログイン」をお探しください。細かい事についてはWikipedia:ガイドブックをご参照下さい。一般の掲示板とは違うので、編集などに慣れるのに1ヶ月くらいはかかると思います。さて、継承の問題ですが、議論を再発させたくはありませんので、簡略に述べさせて頂きます。仰るとおりであると推察致します。

では、ログインをご検討ください。Pluto 2006年5月31日 (水) 03:26 (UTC)[返信]

現在存続している団体の正統性が問われる問題なので、残念ですが「新撰組を愛する気持ち」では解決は難しいと思います。
議論の再燃は望みませんが、この記事の保護が解除されたら議論はいずれ再燃すると思います。Himazin 2006年6月4日 (日) 15:41 (UTC)[返信]

まあ、伝承が一旦途絶えた事は周知の事実のようですので、大丈夫だと思います。ただ、強烈なファンにとっては、信じたくない事実でしょうから、「歴代宗家」の項目に口伝について書いておくだけで良いと思います。Pluto 2006年7月5日 (水) 22:00 (UTC)[返信]


理心流⇔正しい道理の武術⇔仕留めと早縄が先にあってそれに結び付ける他 天然理心流⇔理心流の研究班--175.104.16.236 2014年10月30日 (木) 12:11 (UTC)[返信]