ノート:大航海時代

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記事のタイトルについて[編集]

船で遠征した歴史は各国にあります。なので、西洋中心歴史観から脱却するために、「大航海時代」を「ヨーロッパの大航海時代」に変えるべきです。

寡聞にもヨーロッパのそれ以外をさして「大航海時代」という表現をしているのを聞いたことがないのですが、実際に他地域の海外進出をそう表現することは多いのでしょうか?--ウロボース 2009年9月5日 (土) 08:03 (UTC)[返信]

すみません。わたしの高校時代の歴史の授業では、「大航海時代」を、「地理上の発見」などというつまらない非詩的文章に変えようという動きがあったため、妥協点として、「ヨーロッパの大航海時代」を提唱しているのであります。ヨーロッパ以外に、「大航海時代」といわれた例を知りませんが、外交界時代並に海外に植民地をつくった例は、イスラムや中華にあると思います。

そういうことでしたら、変更する必要はないでしょう。西洋中心歴史観とは無関係に「大航海時代」といえばこの記事に記載されている内容と一対一で対応しています。ヨーロッパ以外に植民地を広げた例はいくらでもありますが、それにはまた別の名前が付けられているはずです。(あと、署名をよろしく)--ウロボース 2009年9月6日 (日) 09:29 (UTC)[返信]

「大航海時代」という表現は増田義郎氏が、当時の史料、記録をまとめた選集を出版するときに自然と生まれたと、自著「大航海時代」(河出書房新社)のあとがきで書かれています。 D.Naka 2010年4月8日 (木) 08:52 (UTC)[返信]

コロンブスについての記述を除去した理由[編集]

2012年8月25日 (土) 08:30‎ UTCの版において、コロンブスについての記述を除去しました。その内容は、コロンブスの航海がスペインにもたらした価値あることは何もなく(原文:交易に値するものもほとんどなかったからである)、スペイン王はコロンブスの能力に疑いを抱き、反乱や原住民への虐待を理由にコロンブスを獄に繋いだ。コロンブスは失意のうちに死んだというものでした。そのような記述は、この記事が出典としている増田義郎『図説 大航海時代』に書かれている内容を信じるならば、間違いであると言えます。『図説 大航海時代』68頁の一部を引用してみましょう。(引用)コロンブスは黄金島ジパンゴを目指したのに、金がみつからなかったので失望し、スペイン王室からも疎んぜられた、といわれるが、それはまちがっている。第一回航海でエスパニョラ島のシバヨからは金が出るとわかったからこそ、第二回航海にあたっては異常な人気が盛り上がって、1500人もの人々が参加したのである。(引用終わり)『図説 大航海時代』によれば、スペイン王室がコロンブスを疎外した理由は、「交易に値するものもほとんどなかったから」ではなく、反乱や原住民への虐待があったせいで行政能力を疑われたとされています。王室がコロンブスを疎外した理由として、現地の反乱・原住民への虐待は、単なる名目ではなく、本当に主要な理由であったということです。--Lentejas553会話

塩野七生氏の説を除去した理由[編集]

2012年8月25日 (土) 09:27 UTCの版において、大航海時代という名称の意味についての記述を除去しました。理由は、情報源(出典)が、塩野七生氏の著作とされていたからです。塩野七生氏は、「ローマ人の物語」のシリーズで広範な読者を得た非常に優れた書き手ではありますが、御本人によれば、その著作は「歴史書」ではなく、「歴史小説」であるそうです。「ローマ人の物語」は私も読みましたが、ぜんぜん小説という印象ではなく、ふつうの歴史書のような体裁です。ただ、御本人がおっしゃるのですから、一見歴史書のようにみえる彼女の著作は、本当は小説なのでしょう。おそらく、一般の歴史書に比べると、書き手の自由な想像が織り込まれているということではないでしょうか。このようなことを鑑みると、塩野七生氏の著作に価値があるとしても、Wikipediaの出典としては不適当であると考えます。ふつうの歴史書を出典とするべきです。--Lentejas553会話2012年8月25日 (土) 09:39 (UTC)[返信]