ノート:多田佳子

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本当に堀口弘治門下だったのか[編集]

本記事には、「堀口弘治門下。」と記載されております。出典はありません。 しかし、以下の理由により、多田氏が堀口弘治門下であったとは「常識で考えて」おかしなことです。

  • 多田氏は1942年生まれ、堀口氏は1961年生まれで、20歳近く師匠の方が年下となります。
  • 多田氏が女流棋士1期生の一人としてプロ入りしたのは1974年ですが、堀口氏が四段になったのは1982年。
  • 女流棋士1期生のうち、関根紀代子は、アマチュアから直接プロ入りしたため師匠がいない(出典あり)。多田氏も、「女流棋士1期生として、アマチュアから直接プロ入りした」点では関根氏と同じです。

角界では「師匠のない力士は土俵に上がれない」という明文のルールがあるようですが、将棋界では、少なくとも男性棋士については、同様の暗黙のルールがあるようで、加藤一二三九段が、棋士になった後に剱持松二九段門下に変わった例があります。一方、女流棋士については、師匠がいないことについて出典のある例が2つあります(関根紀代子、渡部愛)。関根紀代子氏が、プロ入りから現在まで「師匠なし」で特に問題ないのですから、多田氏も同様であったと考えられます。

多田氏は連盟からLPSAに移籍し、引退後にLPSAを退会して現在は所属団体がありませんが、LPSA在籍時のプロフィールには師匠についての記載はありません。ただし「(1)「師匠なし」とは書いていない。」「(2)LPSAは伝統的に「師匠」を重視しないため(2019年現在でも、「所属棋士プロフィール」に師匠の記載がない)、あえて師匠についての言及を省いた可能性がある。」とも思われ、これをもって「多田氏は師匠がいなかった」とは言えないでしょう。

どなたか、多田氏の師匠について出典をお持ちの方はおられませんでしょうか?--Pooh456会話2019年4月1日 (月) 13:39 (UTC)[返信]

2003年12月時点での情報を見る限り、「いない」と結論していいと思います。--PuzzleBachelor会話2019年4月1日 (月) 15:32 (UTC)[返信]
さっそくコメントを頂き、貴重なURLをお教え頂き、誠に有難うございます。連盟在籍時のプロフィールに師匠が書いていないということは、関根紀代子氏と同様だった可能性が高いですね。--Pooh456会話2019年4月1日 (月) 16:14 (UTC)[返信]
PuzzleBachelorさんに頂いた情報を手掛かりに、2002年6月前後の、連盟公式サイトの女流棋士プロフィールを幾つか参照しました。
PuzzleBachelorさんのご指摘の通り「多田佳子氏は、1974年に女流棋士制度が発足した際にアマチュアから直接プロ入りしたため、師匠がいなかった」と結論して良さそうです。
--Pooh456会話2019年4月4日 (木) 12:00 (UTC)[返信]
報告 議論の提起、議論活性化のためのコメント依頼から10日ほど経過しました。PuzzleBachelorさんから情報提供とコメントを頂いた以外はご意見がありませんので、「多田佳子氏は、1974年に女流棋士制度が発足した際にアマチュアから直接プロ入りしたため、師匠がいなかった」と結論し、本文を書き換えます。--Pooh456会話2019年4月15日 (月) 04:31 (UTC)[返信]