ノート:塩尻峠の戦い

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出典について[編集]

‎準緑様、加筆ありがとうございます。加筆は大変有り難いのですが、出展がいわゆる歴史系のライターさんによるものなのが少々気がかりです。ライターさんの業績に疑義を唱えるつもりはないのですが、武田氏の信濃侵攻に関しては、専門研究者である平山優氏による『川中島の戦い』が定本であって、こちらを出展としたほうがより記事の信頼性を確保できるのではないかと思います。平山氏の『川中島の戦い』は現在絶版で手に入りにくいのですが、当方の手元にあります。いつになるかはわかりませんけど、典拠を確認でき次第改稿しても構いませんでしょうか?--でここ会話2014年3月11日 (火) 13:00 (UTC)[返信]

(追記)ちょっと申し上げにくいのですが、準緑様の採用なさっている河合氏の著作は、あまり典拠として採用すべきでない文献に思えてしまいます。歴史系ライターさんのお仕事はそれですばらしい価値あるものであると繰り返し断っておくのですが、やはり歴史系ライターさんの書かれるものは一般向けに読み物として読まれることを目的としたものですし、専門的見地から妥当なものであるかどうか検討されたものではないのですよね。準緑様の加筆部分の、河合氏によるものであろう評論的部分が、ちょっと気になります。wikipediaが読み物として楽しまれることを目的としたプロジェクトであれば歴史系ライターさんの書かれた文章や、その評論的部分を取り入れることもありかなと思うのですが、やはりwikipediaはそうではなく信頼性の確保された百科事典を作ることを目的としたプロジェクトですので、正直典拠文献として採用することはどうであろうか、と疑念に感じたことを申し上げさせていただきます。

平山氏の『川中島の戦い』で言及されている塩尻峠合戦の部分は端的に記されているので、改稿すると減筆になってしまうので、事前にお断りさせていただきます。--でここ会話2014年3月11日 (火) 13:24 (UTC)[返信]

返事が遅れて誠に申し訳ございません。まず、でここ様が加筆して頂ける事には何も異論はございません。私の手元には平山氏の書籍は無いのでお願いいたします。次に、ライターさんとされていますが、著者紹介の項におきまして河合氏はライターであると同時に歴史研究家となっています。ただ、気になったので手元にある小和田哲男氏の書籍で確認してみると、長時が晴信を5度破った記述はありませんでした。この点に関しましては反省して修正いたします。なお、信頼性に追求するのは理解していますが、歴史とは多くの人の見解で異なることもあると思います。ただ、河合氏と平山氏ならどちらが採用・信頼性があるかは私にもわかります。この点は誠にもうしわけございませんでした。--準緑会話2014年3月15日 (土) 15:03 (UTC)[返信]

準緑様、返信ありがとうございます。河合氏のお仕事を否定するつもりはないのですが、管見の限りでは河合氏は『武田氏研究』をはじめ専門研究誌において論文を発表されていたことはなかったと思いますし、また武田研究において引用されていることもないと思われます。やはり河合氏の文章というものは、読み物としての性格が強いのではないでしょうか。平山氏の『川中島の戦い』は一般書の体勢ではありますが、武田の諏訪侵攻の背景などいくつもの新見解を含み、引用されるケースが多いです。
平山氏は最近、長篠合戦論の本を刊行されていますが、歴史学において「戦史」という分野は一般的関心度が高いわりに敬遠されがちで、タブー視される傾向もあったようです。ですから戦史や合戦に関して文献を集めようとすると、どうしても作家さんやライターさんの書かれたものが入ってきてしまいます。そういう本には読み物としての面白さを追求した物語的表現や評論みたいなものが含まれてしまいますし、そういう部分を記事の執筆において採用してしまうのは、信頼性のある百科事典を目指す姿勢からしてどうであろうか、と思った次第です。
本記事において、具体的な軍事行動が『高白斎記』や『神使御頭之日記』といった、どういう史料に基いているのかを補筆しておくことは必要ですね。この点は課題にしておきたいと思います。--でここ会話2014年3月16日 (日) 08:59 (UTC)[返信]

合戦地について[編集]

ところで私は小和田氏の著作にはまだ目を通していないのですが、合戦地を塩尻峠ではなく勝弦峠としている根拠は何なのでしょうか?小和田氏の著作にはおそらく何かしかの根拠があっての説であろうと思うのですが、そのあたり記しておいたほうが良いように思われます。--でここ会話2014年3月17日 (月) 12:04 (UTC)[返信]