ノート:埼玉郡

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

すいませんが埼玉郡は明治時代の町村名と江戸期の町村名が混在しています。 春日部は江戸期は粕壁宿。江戸末期・明治初期の旧春日部市の区域は埼玉郡は内牧村、梅田村、豊春村、武里村だと思われます。 江戸時代には旧春日部町も粕壁町も存在しません。 明治時代の旧岩槻市の区域は岩槻町・太田町・川通村・慈恩寺村・河合村・柏崎村・和土村・新和村です。 そのほかもかなり江戸期には存在しない地名が書かれてます。 右側の書かれてる地名はいつの時代の地名で書かれてるものでしょうか? 参考: 粕壁春日部市岩槻区の歴史の部分を参照。

範囲については現在の行政区画が基本に記述されており、その法則に則って一部地域のみが該当する自治体については他の郡域を含まず全域が埼玉郡に属していた最終的な自治体を記しました。Bururururu 2006年10月1日 (日) 12:22 (UTC)[返信]

Bururururuさんの埼玉郡の供述は廃藩置県の頃の地名を書かないと時代の整合性が無いと思われます。右に書かれてる町村名が昭和19年ごろの町村合併の地名表記と昭和29年頃の町村合併の地名が混同しています。江戸期から明治初期の詳しい地名は新編武蔵風土紀稿に書かれてます。明治期から昭和29年の合併の経緯は埼玉県監修の埼玉県市町村合併史(昭和37年出版)に書かれています。埼玉郡を名乗っていた時代は江戸期から明治初期(明治4年ごろ)までそれから北・南埼玉郡と分かれます。

あくまでも現在の区域を想定し、補足として他の郡域を含む自治体に関しては埼玉郡域に該当する地域を取り出しているので混同はしていません。埼玉郡の町村を記すことに反対はしませんが、そうなった場合は私がコメントで述べた全域が及ぶ所の詳細は記す必要はないという訳にはいかないので、町村が存在した時期を特定するといった配慮をした上で町村を例外なく記載するようにすべきだと思います。Bururururu 2006年10月6日 (金) 23:23 (UTC)[返信]