ノート:国鉄キハ07形気動車

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このページのデータだと、戦時中に行方不明になったキハ42025が、後に茨城交通でケハ302として復活したことになってしまいます。これは誤植か何かでしょうか?--220.208.113.230 2006年12月11日 (月) 11:49 (UTC)[返信]

車両番号の対応について[編集]

キハ07 29 > 鹿島参宮鉄道キハ42503 > 関東鉄道キハ42503 > 関東鉄道キハ601 > 鹿島鉄道キハ601 キハ07 32 > 関東鉄道キハ42504 > 関東鉄道キハ602 > 鹿島鉄道キハ602

ですが、

> 鹿島参宮鉄道(→関東鉄道(鉾田線)→鹿島鉄道)へ払い下げられ、 > 最終的に鹿島鉄道キハ600形となった2両(キハ42029、42032。1936年/1937年製)

と記述されています。 キハ42000形時代は車番は0から始まっていますが、キハ07時代は1から始まっています。 他項の記述によって例を挙げると、 キハ07 1はキハ42500から、キハ07 43はキハ42542から称号変更・改版されています。

また他項目の車歴とつき合せてみると、 キハ601←キハ07 29←42528←42205←42032(1935年度川崎車両製) キハ602←キハ07 32←42531←42207←42036(1936年度大宮工場製) となるはずです。

鹿島鉄道キハ600形の該当記事の追加執筆者の方、ご覧になっていますでしょうか? どうか、机上の作業に留まらず、文献、実車等を精査・調査され、 事実確認をお願いします。--以上の署名のないコメントは、218.219.245.209会話/Whois)さんが 2008年4月6日 (日) 11:28 (UTC) に投稿したものです。[返信]

ガスタービン試作車について[編集]

鉄道ピクトリアル誌1972年6月号に詳しい記事が出ていたので、それに基づいて加筆修正を行いました。初期の汽車製造東京製作所での改造年月が1969年2月となっていましたが、鉄道技術研究所での台上試験は1968年度なので何かの誤りだと思われます。この部分はとりあえずコメントアウトしてあります。他に、既存の内容でRP誌に載っていなかったことがありますが、とりあえず文章の都合上適宜織り込んであり、脚注による出典がない記述が脚注による出典明記の中に紛れてしまっているのでこちらに明記しておきます。

  • キハ07 204が大垣機関区で廃車になったこと
  • 設計最高速度は150 km/hであること
  • 鉄道技術研究所で連続153 km/h性能試験をしたこと
  • キハ07 901になったのが、本線試運転の際であること
  • 1971年に再除籍されたこと

以上のことはRP誌の記事ではわかりませんでした。--Tam0031 2011年12月17日 (土) 15:52 (UTC)[返信]