ノート:名越隧道

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改名の提案[編集]

正式名で、リダイレクトになっている名越トンネルに改名すべきでしょう。 移動を試みましたが不可能でしたので改名提案に出します。 くれぐれもコピペはしないでください!--Kansai explorer 2007年5月3日 (木) 11:10 (UTC)[返信]

統合提案[編集]

とりあえず、初版投稿者が地元民でも間違えやすいところを間違えていらっしゃるようですが、逗子マリーナ近くにあるのは、小坪トンネルではなく、小坪海岸トンネルです。小坪トンネルは、ちゃんと小坪隧道としてちゃんと名越隧道近辺にありますので、記事名は「小坪トンネル」あるいは「小坪隧道」に改名すべきです。

しかしながら、それ以前にもともと小坪トンネルというものが執筆されていますので、そちらのほうに統合を行うべきであるということで、統合を提案します。

あわせて、小坪トンネルを正式名称の小坪隧道に改名すべきかも議論を行いたいと思います。-- 2007年5月4日 (金) 03:28 (UTC)[返信]


RE:統合提案[編集]

ご連絡ありがとうございます。 もう少し正確に申し上げると、逗子マリーナに一番近いのは、通さんご指摘の通り、「小坪海岸トンネル」ですが、すぐその東に新国道(湘南道路)の通称「新小坪トンネル」=「飯島トンネル」があり、さらにすぐその東の旧道にあるのが、本来の「小坪トンネル」です。これら海沿いの「飯島・小坪地区間」にある3トンネルを総称して広義「小坪トンネル」といいます。地元では、小坪は海沿いの町のイメージです。

一方、ここから山側に約1.3キロ離れた「名越切り通し」(名越・久木地区間)には、総称「名越トンネル」があり、具体的には、名越トンネル(鉄道:横須賀線)と、前述したとおり道路の3隧道です。このうち一番逗子よりのトンネルも、町名上は小坪の町の端に僅かに引っかかっていることから「小坪隧道」と名づけられておりますが、これは名越トンネルの一部と見るべきでしょう。因みに、道路トンネルのすぐ山側にある鉄道トンネルは、地上部による分断がなく、一本のみですが、当然名称は「名越トンネル」です。

さらに、「お化けトンネル」を、「小坪隧道」(狭義:名越・久木地区間)に統合すれば、前述の考証のとおり、本来の心霊スポットである狭義「名越隧道」とは、異なる定義になってしまいます。さらに、同一名称でかつ地元において一般に「小坪トンネル」と認識している「小坪隧道」(狭義:飯島・小坪地区間)と紛らわしくなります。

以上の結果、お化けトンネルは、広義「名越トンネル」もしくは、狭義「名越隧道」とすべきと考えます。 :名越住民--以上の署名のないコメントは、124.100.68.80会話/Whois)さんが 2007年5月4日 (金) 07:47(UTC) に投稿したものです(による付記)。

すいません、地元ネタでもう一つ質問しますが、検索をかけると、「住吉隧道姥子台入口」と出てきますが、これは京急バス飯島~姥子台間のトンネルと考えて間違いないでしょうか?-- 2007年5月4日 (金) 09:05 (UTC)[返信]

通さんへ :初版投稿者=名越住民より[編集]

「住吉隧道姥子台入口」が何を指すのかは、私は承知しておりませんが、京急バスの鎌倉・逗子間の小坪経由下り線が通る飯島の先のすごく狭い旧道トンネルこそ、本来の「小坪隧道」です(トンネルの上と入り口脇の定礎にも刻字されています)。蛇足ながら、バスの上り線は、「小坪海岸トンネル」経由です。

ただあえて申すならば、地域の歴史・文化・地理に無知蒙昧な道路管理者による道路・トンネル等の安易な命名(お役所仕事)が、後世の議論の混乱を招く元凶かとも思います。 EX:名越トンネルの逗子側3番目のトンネルにも重複して「小坪隧道」と命名、あるいは、「新小坪トンネル」とすべき湘南道路のトンネルを「飯島トンネル」と名づけたこと等。

通さんとの建設的な議論を通じて、気づいた私見を折角の機会ですので、付言しておきます。

鎌倉は、3方を山に1方を海に囲まれた地形で、陸路で外部に出るには、山を越えるしかありません。これが所謂鎌倉の7口・切通しです。このうち鎌倉から三浦方面に向かう道(三浦路)は、横須賀の走水から房総半島に渡る「古東海道」の一部です。

三浦路は、鎌倉幕府により、名越の切り通し(名越路)が開かれるまでは、小坪路が、本来の古東海道でした。今も光明寺裏の第一中学の横から小坪に下る細い谷道が残っております。この細い峠道を回避して作られたのが前述の「小坪隧道」「飯島隧道」「小坪海岸トンネル」です。地元では、当然のことですが、「小坪路」の各トンネルこそ広義「小坪トンネル」と認識しています。

一方、名越の切り通しが開かれてからは、「名越路」が「古東海道」の本道と見做されるようになり、鎌倉の7口の一つとなりました(このため、ヤマトタケルも通った由緒ある「小坪路」は7口には入っていません)。この名越の切り通しの通行利便のために、近代になって作られたトンネルが、広義「名越トンネル」です。鉄道・道路管理上の名称は、横須賀線「名越トンネル」、道路下り線の鎌倉側から順に、「名越隧道」「逗子隧道」「小坪隧道」と、後に複線化のために作られた上り線の「新名越隧道」「新逗子隧道」「新小坪隧道」です。ここでまた、安易に「新小坪隧道」などという名称を採用したことから、湘南道路建設の際に、「新小坪トンネル」とすべき湘南道路のトンネルを「飯島トンネル」などと名付けざるを得なくなる自縄自縛に陥ったものと思います。

序に心霊スポットを巡る議論の混乱についても、若干敷衍します。

数年前に、テレビの番組で再三「お化けトンネル」が取り上げられた際に、地元のこと(当然「三浦路の変遷」、本来の小坪トンネルの存在等)を良く知らないテレビの取材陣が、名越えトンネルの一番逗子側の道路管理上のトンネル名の刻字だけをみて、ここが「小坪トンネル」と思い込んでしまったものと考えます。元々の名越・小坪の住民から見ると、余りにも自明の間違いなのですが、こういった「通俗番組」に興味を示さない人種が多かったためか、今まで放置されてきたものかと思います。

また、鎌倉住民ならば、誰でも知っていることですが、実は「旧鎌倉中どこもが古戦場」で、有名な簡易裁判所敷内やその近くの「サザエさんの家」のみならず、今でも庭先を少し掘れば古人骨が出てきます。いわば「鎌倉中すべてが心霊スポット」ともいえるかもしれません。また「名越トンネル」のみならず、「小坪トンネル」の工事でも多くの犠牲者が出たようで、光明寺裏の飯島側の「小坪隧道」口にも工事犠牲者の慰霊碑があります。また、源平盛衰記の古戦場「小坪坂」や、北条早雲が攻めた「住吉城」あともすぐ近くです。

こうなると、名越えトンネルも小坪トンネルも全てお化けトンネルといっても間違いではなくなりますが、川端康成にも取り上げられた文学史上のお化けトンネルということでは、名越えトンネルに軍配を上げるべきでしょう。

ご参考まで。--以上の署名のないコメントは、124.100.68.80会話/Whois)さんが 2007年5月5日 (土) 02:45 (UTC) に投稿したものです(による付記)。

私は、92年くらいから名越住民なのですが、(笑)小坪トンネルとマスコミで取り上げられたときは、幼かったので、その記憶は全くありませんでした。また、飯島姥子台間が小坪トンネルというのは確認したことがありませんでした。
ちなみに、住吉隧道と調べるとわかりますが、新小坪トンネルの真上に近いところを横切るトンネルみたいですね。
さて、かなり複雑になってきましたが、どう統合するか、とてつもなく妙なことになっています。私の案だと、
  • 名越隧道、逗子隧道、小坪隧道に関しては、おそらく一括して記入するのが望ましいと思われる。Wikipedia:記事名の付け方#正式な名称を使うことに従い、この3つのどれかを記事名にする必要があるが、このページの議論から、名越隧道が最も適切な名称と思われる。また、お化けトンネル、名越トンネルに関してはこの記事へのリダイレクトとする。
  • 現状の小坪トンネルは、小坪隧道へ移動(WP:MOVE)。当記事、名越トンネル (神奈川県)は、名越隧道へノートページごと移動する。その上で、両者を統合。(統合先は、上記議論の結論次第。)
  • 小坪トンネルは、3つの使われ方がある。(①本来の小坪トンネル、②小坪トンネル・新小坪トンネル・小坪海岸トンネルの3つをあわせたもの、③名越隧道、逗子隧道、小坪隧道)ということで、小坪トンネルは、山手線方式にして、①と②をそこで説明する。
  • 残ったリダイレクト、名越トンネル (神奈川県)はリダイレクトの削除依頼に提出。

という形で、かなり複雑ですが、大丈夫でしょうか?統合の手順が著作権に絡むなど、複雑なので、もしよかったら私のほうで処理を行います。-- 2007年5月5日 (土) 04:28 (UTC)[返信]

通さんにお任せします :初版投稿者=名越住民より[編集]

通さんのようなお若い方に、鎌倉に興味と愛着を持っていただき、大変嬉しく思います。 中高年が少しでしゃばり過ぎたかと恥じておりますが、こうした地名の問題等は、ほっておくと何時しか正誤不明になりかねないと危惧したまでです。

本件、要すれば、極めて単純な話で、

  •  小坪路を通るトンネルが「小坪トンネル」であること(本来の「小坪隧道」がある)。
  •  名越路を通るトンネルが「名越トンネル」であること(この内に紛らわしい同名異種の小坪隧道が含まれる)。
  •  所謂鎌倉の「お化けトンネル」は「名越トンネル」であること。

以上です。

なお、通さんご指摘の「住吉隧道」のこと、思い出しました。本来の「小坪隧道」の小坪側出口からすぐ右に住吉城跡への上り路があり、これを上って新小坪トンネル=飯島トンネルの上を通って湘南道路を横切ったところに、小さな人道トンネルがありました。これのことだと思います。抜けると住吉神社・住吉城跡にでます。下ると逗子マリです。

またまた、蛇足ながら住吉神社のほこらの裏に、深いやぐら穴のような洞窟トンネルがあり、城の抜け穴とも言われています。まだ、私も抜けてみたことはないです。

天気が良くなったら、散歩がてら行ってみたいと思います。

逗子マリーナへの鎌倉方面からのルート(名越隧道経由)について[編集]

昭和51年より亀が丘団地に実家を持つものです。

平成4年に大学入学による移動で私自身は引越していますが、現在も名越隧道は帰省時に通行しています。

以下の記述は少なくとも現時点(2008年3月時点)では一般的ではありませんので 「一般的である」旨の記述を過去形に変更(もしくは削除)した方がよいと考えます。

>川端康成終焉の地である逗子マリーナに鎌倉方面から向かう場合、名越隧道を出てすぐ右折するルートが最短かつ一般的である

現在は名越隧道=逗子隧道間はガードレールによって右折不可能になっています。 当然ですが名越隧道の右折レーンもありません。 (右折レーンは次の逗子隧道出口の右折レーンです) 参考となる現地写真のあるwebページ

例外的に年末年始の市内交通規制時(12/31 22:00~1/1 17:00,1/2,3は8:00~17:00) のみ、緑が丘入口方面から進入してくる「許可証を持っていない車両」を逗子方面に戻すために一時的にガードレールが取り外され、通行可能となります。ですが、一方通行扱いとなってるためやはり名越隧道出口での右折は不可能です。

新逗子隧道はこの規制期間中(12/31~1/3)は入口を閉鎖するため、逗子方面から新名越隧道経由で鎌倉市内へ進入しようとする車は必ず緑が丘入口に一旦出てから新名越隧道へ進入する形となります。

いつ頃からこの形になったかは記憶が定かではないのですが、2000年頃の大規模トンネル改修後は現状のようになっていたと思います。 --Steinberger 2008年3月4日 (火) 15:17 (UTC)[返信]

2つの小坪トンネルについて[編集]

これまでの版は「本当の小坪トンネルは別に存在する」という論調でしたが、ここで扱っている小坪トンネルも、材木座のほうにある小坪トンネルも、両方とも正式名称は「小坪隧道」であり、どちらが本当の小坪トンネルとは言い難いので、そのような表現は書き直しました。また、ここで扱っている小坪隧道がもともと名越路にあり、材木座のほうが小坪路にあるのは確かですが、隧道の歴史としては、明治前半に作られた名越路の小坪隧道のほうが先のようです。--Kaba-maru 2008年9月6日 (土) 17:58 (UTC)[返信]