ノート:印象主義音楽

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印象派#音楽はここに移動すべきでしょうね。-- 2006年10月3日 (火) 14:20 (UTC)[返信]

野田さんへ

「印象派」でも音大では通じるかもしれませんが、業界用語や業界の常識を書くのはウィキペディアに相応しくありません。論文としての文体や内容をもっとよく勉強してください。わたくしの持っているちゃんとした本では(たとえばあなたの好き?なグリフィス)、「印象主義音楽」となっています。それに印象派だと、さだまさしのアルバムとの混乱も招きます。
だいいちリャードフは印象主義音楽の先駆者として、そんなに重要だったでしょうか(独自の研究は書かない、とのウィキペディアの方針に抵触しています)。また、印象主義音楽がドイツ語圏では影響力がなかったというのも、正しくないのでは(シェーンベルクのことを当時は「ドイツのドビュッシー」と呼ぶこともあったのは、ご存知ないのでしょうか)。そもそも、ロマン派以降の音楽は、音楽語法だけではなく、美意識もが問題になるので、「語法の類似」だけを理由に、ブゾーニにもアイヴズにも「印象主義(ふうの)音楽がある」と言い切ることは問題でしょう。(もしそういう独断を書いて良いならば、「ブーレーズは、本人は否定しているけれども、ジョリヴェの作風に似ていて、影響されたことは間違いない」とウィキペディアに書くことも同じように認められるべきでしょう。でも、そんなことを書いたら、出典の明記を要求されること請け合いですね。)
ついでに主観的なことを言いますが、ドビュッシーの自作自演のピアノロールのCDを聴いたことがありますが、ラヴェルやコルトーの演奏に比べても、決して下手ではないと思いましたよ。---間久部緑郎

印象主義音楽の定義とは[編集]

この記事では、”音楽界の「印象主義」と美術界の「印象派」は相互に関連がある芸術運動ではない。両者の名称の一致にとらわれすぎることは、おおむね正しいとはいえない。” と述べられている一方 ”印象主義の音楽とは、美学的に言うと、...印象主義者はこの実現のために、...ちょうどクロード・モネの画風に見られるような「気だるい」効果を作品にもたらす” とあるが、前者は音楽と美術の印象主義が異なるとの前提だが、後者は同じである事を前提にしているように見える。
この記事は印象主義音楽という主義についての記載する事を意図しているのなら、少なくとも音楽と絵画における印象主義とはそれぞれ誰がどのように定義したか、両者の類似点と相違点が何であるか、その上でなぜ絵画と音楽で同じ印象の名称が用いられたかの説明がなければ辞書として不十分ではないでしょうか?--Alghemist会話2012年9月8日 (土) 13:32 (UTC)[返信]