ノート:北海道大学

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

2006年1月のエピソード除去部分について[編集]

今日、222.2.49.87さんによって公的証明がないとして削除されたエピソードは、北海道大学総合博物館の常設展示でも紹介されています。--ウミユスリカ 2006年1月30日 (月) 13:29 (UTC)[返信]

Boys, be ambitious[編集]

Boys, be ambitiousが本当ではないという追記がこのところなされていますが、Wikipedia:検証可能性を満たすソースをご提示下さい。一週間待ち、提示のない場合には削除致します。以上の問題点があるため、出典の明記を張りました。--秋の虹 2006年9月19日 (火) 11:20 (UTC)[返信]

Boys, be ambitiousについて、ちょっと書いてみました。分量的にバランスを崩していなければよいのですが。本文に記載した他にも、最後に"like this old man"と言ったとか、キリスト教的な言葉が入っていたなどの説もありますし、後に続く語はもっと短かったなどとする説もあります。クラークの故郷の軽い挨拶だとする説もありますが、開校の時にambitionという語を使っている(これは北海道大学公式HPに載っています)ことから、かなりの信念があったようです。Boys be ambitiousと本当に言ったかはわからないというのは、これは挨拶程度の意味で言ったので、本当に「大志を抱け」という深い意味で言ったのかはわからないという北海道大学教授の感想がどこかで一人歩きをして、意味に関わりなく言葉自体を「言ってない」というように一部で誤解されている、という話を聞きました。「Boys, be ambitious」自体を言ったことは間違いないようです。--Almain 2006年9月24日 (日) 09:19 (UTC)[返信]

よろしければその辺のいきさつが書かれた文献(Wikipedia:検証可能性を満たすもの)をご呈示頂けないでしょうか。全てが書かれたものでなくてもこの部分はこれに載っているなどと提示して頂ければ、以後「いっていない」に関しては荒らし行為とすることが可能となります。よろしくお願い致します。--秋の虹 2006年9月24日 (日) 09:23 (UTC)[返信]

秋の虹さま。「開校の時にambitionという語を使っている」のは、前述した通り北海道大学のHPに載っています。本文に書いた長文バージョンは、巷に流布しているものです(中学・高校の教科書に載っていたそうで、出典は稲富栄次郎著「明治初期教育思想の研究(昭和19年)」)。他説についてはネット上での検索により検索可能です。「言っていない」との説の端緒は、どうやら「北海道大学図書館報『楡蔭』No.29」らしいのですが確証はありません。
http://www.lib.hokudai.ac.jp/collection/ClarkBibList/ambs.html
なお、これを読まれても分かりますように、Boys,be ambitious自体については、疑問が呈されているわけではないです。
ただし、この話と、ニューイングランド地方では挨拶だったという説が絡まりあって、Boys,be ambitious自体も言っていないという説ができあがったのではないか、というのを北海道大学法学部の教授に聞いたことがあります。
なお、ニューイングランド地方での単なる挨拶説(ウィキペディアのウィリアム・エス・クラークの項でも言われています)につきましては、信憑性がないものと思われます。なんとなれば、ニューイングランドのボストンにあって、当地の語用をよく知っている日本領事館が単なる挨拶とはせず、クラークの言葉に重要な意味を認めているからです。
http://www.boston.us.emb-japan.go.jp/eng/ja_ne/ma.html
また、Boysとの呼びかけが変だ、50才程度の自らをOld Manと言うかなどの疑問も呈されていますが、いずれも言葉自体を否定するものではなく、ニュアンスを問題にするものです(もっとも、当時の平均寿命を考えると50歳では十分Old Manですし、途上国の若い学生をBoysと呼ぶのはおかしくないでしょう...蛇足ですが)--Almain 2006年9月24日 (日) 09:55 (UTC)[返信]

Wikipediaでは「正しいかどうか」ではなく「検証可能か」が問題となりますので、ご呈示頂いた資料を「出典」としたときに現状の表現ならば全く問題ないと思います。一定の編集経験を持つ方から猜疑が付かない限り、この件は、2006年9月24日 (日) 09:04; Almainさんによる版をもって、「検証可能な文献が提示された上、さらに中立的で出典を利用した内容となっている」としたいのですがいかがでしょうか。--秋の虹 2006年9月24日 (日) 13:18 (UTC)[返信]

問題なさそうですのでこれで合意と致します。--秋の虹 2006年10月4日 (水) 11:38 (UTC)[返信]

寮歌[編集]

寮歌の節に書き込まれた内容が関係者以外には意味が全く判らない上にソースが提示されていないため、百科事典としては問題があります。どなたか情報がありましたらご提示頂けますでしょうか。--秋の虹 2006年9月25日 (月) 14:00 (UTC)[返信]

上記理由により、出典の明記・正確性・観点を張りました。--秋の虹 2006年9月25日 (月) 14:03 (UTC)[返信]
どなたからも回答がありませんでしたので削除致します。なお、出典などのテンプレートも同時にはがします。--秋の虹 2006年10月4日 (水) 11:37 (UTC)[返信]

沿革欄の記載について [編集]

沿革欄に開拓使仮学校を入れてはどうかとの提案がありました。仮学校については、起源年に2説あったり(一旦閉鎖されたことの捉え方の違い)、後につぶれた女学校が併設されていたりと、記述する場合の深度について議論が必要だと思われます。ノートでの議論をお願いします。北海道大学公式ホームページでも触れられていますので、記述すること自体には問題はないかと思われますが。ただし「札幌農学校を起源とする」との一般での認識などとの関係もありますので、この部分の議論もかまわないとも思います。--Almain 2006年10月3日 (火) 20:59 (UTC)[返信]

追記。年表部分の仮学校記述については、検索者のために残してあります。--Almain 2006年10月3日 (火) 21:01 (UTC)[返信]

北海道大学としては、札幌にあった札幌農学校と北海道帝国大学について、直接的な歴史の繋がりがあるとの見解から「札幌農学校を起源とする」としていると思います。しかし、歴史的繋がりでは、東京にあった開拓使仮学校を前身としていることや、仙台に本部のあった東北帝国大学の分科大学であったことは無視できないと思います。また、札幌農学校となることや北海道帝国大学となることは決定事項ではなかったため、期間が短くとも、当時の情勢を見れば仮学校と東北帝大が単なる腰掛ではないことは確かだと思います。仮学校の創立年について2説あるなら、但し書きすればいいのであって削除対象にはならないと思います。また、仮学校の創立年が不確かだからといって、東北帝大の部分まで削除する理由にはなりません。たった8ヶ月の在任だったクラーク博士のことは強調し、一般に知られていないから仮学校と東北帝大の部分を削除する、というような編集は百科辞典的ではないと思います。 もね~るmoner 2006年10月11日 (水) 05:23 (UTC)[返信]

削除したのではなく、議論していただきたいので、付言したように一旦戻したのです。例えば、仮学校については、設立年起源と閉鎖後再開年のどちらかを正統とみるか(或いは単なる付随事情とみるか)について説がありますが、1説しか記載されていない場合、百科事典としては正確ではありませんし、両説記載の場合は煩雑となり、また仮学校の項目ではないためこれも百科事典的とは思われません。ちなみに、年をかかずに記載する方法もありますが、これだと起源年が不明で「より百科事典的ではない」と思われます(この場合沿革欄に記載がありながら、起源年についてはリンク先をみなければならないという不自然な状態にも陥ります)。また仮学校については、他帝国大学の予科的性格も見込まれるとの考え(仮学校生徒は札幌に移転時に試験が必要でした。また札幌農学校では、他学校からの入学者も多い)もあり、農学校が後継であったとか起源とする説が必ずしも固まっているわけではありません(在野の研究では後継というより上級学校ではなかったかとする考えもあります)。それらを踏まえた上での記述をお願いしたく、議論をお願いしたのです。また、東北帝国大学の分科大学であったことの記載の必要性についても議論していただきたいのです。沿革の記載については、腰掛けであったかどうかは関係ありません。腰掛けであろうと沿革に必要であれば記載するのが必要ですし(履歴書における職歴等には腰掛け就職であろうと記載しますね)、必要でなければ長い期間を占めていても記載しない判断もありえます。本件においては、百科事典としての簡潔な沿革記載に鑑み必要かどうか吟味した上での記載をお願いします。例示しますと、九州大学の沿革においては、京都帝国大学福岡医科大学であったことは概観欄には記載されておらず、年表欄には記載されている取り扱いとなっております(他学校の合併もありますが、分科大学時代は7年間に及び、北海道大学の11年と比べても決して短いとはいえません)。百科事典としては、他項目とのバランスをとることも必要かと思われます。記載すること自体に反対しているのではありません。現に年表での記載は九州大学等とのバランスに鑑み残してあります。なお、クラーク博士については、それが北海道大学の知名度における重要度においてかなりの部分を占めていることに異論はないと思いますので、言及することは問題ないと思っております(ただし、本文の履歴欄を見ていただくとお分かりのように、発言の真偽について荒らし的リバートが行われていたため、補強のためかなりの量を書いたという事情がありますので、いずれ、簡素化するつもりではおります。)細かい項目ではありますが、深い議論をお願いします。--Almain 2006年10月14日 (土) 12:35 (UTC)[返信]

年表にある「仮学校」名称について[編集]

年表で

  • 1872年 - 東京府・芝の増上寺内に開拓使仮学校設置。
  • 1875年(明治8年) - 北海道石狩国札幌郡札幌に同校札幌学校が発足する。
  • 1876年(明治9年) - 開拓使仮学校札幌学校を札幌農学校と改称。7月にクラーク博士が教頭就任。8月14日札幌農学校開校式挙行(北海道大学開学記念日)。

となっていますが、これは奇妙ではないでしょうか。『開拓使事業報告 第4編』663頁では「仮ニ農工諸科ノ学ヲ東京ニ設ケ後是ヲ北海道ニ移ンヲ請フ」、同書408-409頁でも「東京芝仮学校ヲ札幌ニ移スノ議決シ(中略)札幌学校ト名ク」とあるのですから、東京にひとまず設けた学校を「仮学校」と呼んでいるのであって、札幌に移転した後はもはや「仮」ではないはずです。『札幌区史』546-547頁でも、北海道大学150年史編集室の記事でも、「開拓使仮学校札幌学校」という名称は登場しません。--C2BK会話2022年3月21日 (月) 17:16 (UTC)[返信]

北海道大学150年史編集室「資料でたどる北海道大学の歴史」に基づき修正しました。--C2BK会話2022年4月4日 (月) 06:37 (UTC)[返信]

略称について[編集]

冒頭では「北大」、記事の末尾では文科省による略称を紹介し「海大」となっております。冒頭にて略称に触れるなら、同じパラグラフで文科省による略称についても記述した方が、記事がばらけず、すっきりすると思います。--Sheiham 2007年4月8日 (日) 14:36 (UTC)[返信]

大学の略称として「海大」を挙げていますが、過去に「大学の略称」として使用した例があるのでしょうか。公文書では「海大」となりますが、これは文書処理規定における文書記号であって略称とは性格が異なり、この文書記号をもって「大学の略称」の例とするのは不適当と思います(他の官公庁も同じ。2006年5月8日 (月) 06:00の編集で当方が修正したとおり)。
過去に「海大」の使用例がなければ該当する個所は削除したいと思いますが、いかがでしょう?--Kosk 2007年9月22日 (土) 02:36 (UTC)[返信]
「海大」ですと「海上保安大学校」あたりをイメージしますね。--Tokyo Watcher 2007年9月22日 (土) 06:41 (UTC)[返信]
北海道大学の略称として「海大」を使用した例は特にないようなので、本文を修正しました。--Kosk 2007年10月16日 (火) 14:16 (UTC)[返信]