ノート:伊藤勘作

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人物(伊藤勘作)の分割が必要[編集]

ここでの記述で、明治19年生れの伊藤勘作が網勘製網の中興の祖であることは理解できるが、複数人物の記述がこの一つの記事に書かれており、分割記述が必要と考える--Ucheniitza会話2014年4月18日 (金) 03:13 (UTC)[返信]

  • コメントコメント依頼から来ました。結論から言うと、私は分割不要、むしろ良いスタイルと考えます。理由は2つ。1つ目は、分割した場合に記事がひどく小さなものになってしまうこと。2つ目は、ここに記載されている方々は「単にたまたま同姓同名の他人」ではなく、それぞれ有機的につながりがあり、1記事にまとまっていることに合理性があること。「伊藤勘作」というのが代々襲名される一種の称号のようなものと考えると、たとえば「イギリス王」みたいなもので、1記事に歴代王が記載されていることは読者に知るべき情報が一目でわかり、便利です。検索する場合にも、よく知らずに個人名のつもりで「伊藤勘作」で検索してみたら、これが個人名というより地位を示す称号のようなものとわかったほうが便利でしょう。もちろん、「イギリス王」なんかは歴代の人物に書くべきことがたくさんある結果、分割に至るわけで、内容が充実した暁に分割することは構わないと思います。
  • これを踏まえた上で、記事のスタイルとしては、冒頭に「伊藤勘作とはアミカンの社長が代々襲名する名前である」「これまでに襲名した人物は下記の通り」としたうえで、人物ごとに節を分かればいいかなあと思います。
  • 「大言壮語的」に関しては、「信条は誠実。横顔は温厚・篤実・寛祐の円満な人格者である。」ってとこだろうなと思うのですが、ご丁寧にこの部分には出典があります。個別的にこの出典を私自ら確認していないので想像で言いますが、紳士録に書かれる信条とか“横顔”というのは要するに自称でしょう。出典としては不適当か、表現を“紳士録では「信条は誠実」「横顔はどうの」と書かれている”とするとかするべきでしょうし、もっと言えばこの記述は削除します。別の第三者が執筆した人物評などで「誠実な人物」と書かれていればよろしいと思いますが、その場合でも“Aさんは伊藤さんのことを誠実だと伝えている”というような表現が望ましいと思います。別の観点からは、出典節・参考文献節の文献の書き方が不十分なので『三重県紳士録』なる文献があるのかどうかがよくわかりませんから、訂正が必要と思います。--零細系統保護協会会話2014年4月18日 (金) 04:10 (UTC)[返信]
  • コメント零細系統保護協会さま。コメント、ご提案、ありがとうございます。なるほど、一人の人物記事とせずに一連の伊藤勘作としての役割を解説する記事にしていこうと、ナットクできます。ただそうすると、Category:xxxx生れの人物 のカテゴリは外すべきですね。自分もこの人物に詳しいわけではありませんで、ただ単にWikipediaのスタイルに照らし合わせると問題があるかなぁと考えたわけです。記事分割を強く主張するわけではありません。その方向で、編集をしてみてもいいかもしれません。
  • 「大言壮語」の部分(「信条は..」)は、たとえ出典(三重県紳士録?大正4年発行のものは存在しそうです。そこに大正3年生れの人物の記載があるとは考えにくい)があってそこの記述にあろうとも、Wikipediaでは不要であると思います。これは編集で削っていけば良いと思います。
  • なんにせよ性急に編集の方針を決定しなくても、ちょっとづつ改定していけば良い記事になると思います。ありがとうございます。--Ucheniitza会話2014年4月18日 (金) 05:52 (UTC)[返信]
    • とりあえずこの記事を「代々襲名する名前」の解説として整理しました。信条、性格などの部分はコメントアウトしました(大言壮語的になるため)。後の編集によって、良記事になることを期待します--Ucheniitza会話2014年4月19日 (土) 05:03 (UTC)[返信]
      • 構成を変えられたのですね。私が思っていたのはまさにこういう感じです。ググっただけのものですが、こんなもの百五銀行の刊行物・HRIレポートのPDFがありました。3ページ目にアミカンのことが書かれています。そこには「現社長の祖父で6代目勘作氏」としてあるので、よくわかりませんが想像で言うと、「伊藤勘作(網勘製網創業)」が6代目なんでしょう。ということは、それよりも前から「伊藤勘作」という“肩書”(というか屋号みたいなもんでしょうかね)があるんでしょうね。紳士録の件は、大正4年ということは、そこに載っているのは「伊藤勘作(網勘製網創業)」のことなんじゃないでしょうかねえ。あくまで想像ですけども。--零細系統保護協会会話2014年4月19日 (土) 05:13 (UTC)[返信]
        • ありがとうございます。良いですね、その百五銀行のPDF。それを参考リンクにしておきましょうか。ま、三重県紳士録は大正4年のずっと後(昭和とか)にも出版されたかもしれません。Wikipediaでは四日市の歴史についてかなり多くの記事が立稿されています。伊藤平治郎は良記事だとおもいます。--Ucheniitza会話2014年4月19日 (土) 09:03 (UTC)[返信]