ノート:伊勢神宮

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内宮・外宮への記述の分離[編集]

スタブ状態ながら皇大神宮豊受大神宮を作成しました。内宮・外宮それぞれのみの事項については皇大神宮豊受大神宮へ移動し、伊勢神宮からは除去もしくは簡単な説明のみにした方が良いと思いますが、どうでしょうか。「教義・経典」、「神宮125社」、「毎日の祭事」、「交通」あたりが該当すると思います。nnh 2007年10月29日 (月) 07:15 (UTC)返信[返信]

スタブの作成にも反対しませんし、「内宮製材所」などのデタラメな記述にも反対しませんし、道連れで削除されてもよいのであれば転記にも反対しません。著作権も内容もあやしい百科事典をお望みであればどうぞ。手をかけたあげくに著作権侵害などの理由で削除されてしまうのは私はもうこりごりです。私はこのノートで様々な提案をしましたが、どなたからも相手にされないばかりか、管理者さんに消されてしまいました。伊勢神宮の構成を見直さなければ皇大神宮と豊受大神宮の記事など書けるはずがなかったのですが、独断で行なうと抗議がありそうでしたから、どなたかの同意がなければ手を出せない状況でした。--N yotarou 2007年10月29日 (月) 10:29 (UTC)返信[返信]

慣例破りは特筆事項?[編集]

初詣の記事の本意は首相及び農水大臣が国民の代表として、その年の五穀豊穣と国民の衣食住の無事を祈る神社が「伊勢神宮」という事実が分れば良いと思います。しかし、村山富市首相及び赤松広隆農水大臣が、正月恒例の参拝をしなかったことは神道上からは特筆すべきことで、また事実衆議院の委員会での質疑応答がされることからも、記事本文又は少なくとも脚注として載せるべきだと判断致します。ただし、ご指摘の災害は事実とは言え、現代社会では迷信という考えもあるでしょうから、その部分の削除には同意いたします。修正したものを追加編集しましたので、ご確認下さい。尚、数時間後にはネットにアクセス出来ない場所へ行きますので、万一お返事頂いた場合に、それに回答出来ない場合もありますので、あらかじめその旨、ご了承下さい。--大和タケル 2010年5月23日 (日) 04:11 (UTC)返信[返信]

当初参拝する予定でスケジュールを組んだものの体調を崩して直前でやむなく取りやめになった村山総理の場合と、海外でゴルフしていたから最初から参拝するつもりがなかった赤松農水相の場合とでは、事情が大きく違うと思うのですが。村山総理は翌年には9人の大臣とともに参拝してる。--イヒ 物 語 2010年5月23日 (日) 04:55 (UTC)返信[返信]
村山首相の事情については出典を所持しておらず、私は明記しておりません。過去に体調を崩して1月4日に参拝しなかった総理はおられますが、二日後の6日には参拝されております。神宮では1月中に参拝すれば問題ないと考えられています。1月中ずっと体調を崩しておられたのでしょうか? 翌年の参拝は明記しています。赤松大臣の事情は、ゴールデンウイークでの噂と混同されてませんか?--以上の署名のないコメントは、大和タケル会話投稿記録)さんが 平成22年5月23日 (日) 05:13 (UTC) に投稿したものです(基 建吉(MOTOI Kenkichi)による付記)。
1月6日といえば、既に国家公務員の仕事始めから何日か経過していますから、公務が本格化してると思うのですが、そんなに簡単に首相の日程をずらすことってできるんでしょうか。それに、1月17日以降は伊勢まで出かけるのはほぼ不可能でしょうし。赤松大臣の場合、海外旅行していたことは確かですが、お正月に現地でゴルフしたかどうかは不明ですね。すみません。でも、最初から行く気がない人と、行くつもりだったけどやむなく取りやめた人とでは、ちょっと事情が違うんじゃないでしょうか。--イヒ 物 語 2010年5月23日 (日) 05:35 (UTC)返信[返信]
イヒ 物 語さんは本日初ログインで、一時間もたたない内に複数のトークに参加されるなど熱心なのは良く分りました。ただし、最初は各種ガイド・ラインを良く読んでから、発言されることをお勧めします。個人の推測による個人の研究や質問をすることの是非も追々と理解できると思います。時間がないので短文で失礼します。--大和タケル 2010年5月23日 (日) 05:47 (UTC)返信[返信]
えーと。「村山首相の事情については出典を所持しておらず、私は明記しておりません」といいつつ「日本社会党委員長であった村山総理が、それまでの慣例を破り1995年(平成7年)1月の伊勢神宮への参拝を無視したが」とかかれているわけですが。事前に計画されていたのに「参拝を無視した」までいっちゃっていいんでしょうか。あと百科事典なのになぜ人名に敬称?--イヒ 物 語 2010年5月23日 (日) 05:51 (UTC)返信[返信]
確かに、検証可能性が大事だと思います。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年5月30日 (日) 18:52 (UTC)返信[返信]

外部リンク修正[編集]

編集者の皆さんこんにちは、

伊勢神宮」上の1個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年9月25日 (月) 14:41 (UTC)返信[返信]

神宮の画像について[編集]

この編集で私の編集がOilstreetさんに差し戻されました。Oilstreetさんは自身の投稿した画像をテンプレート内に載せることに固執していますが、明らかに彼の画像は分かり難く、そして森が画像の大部分を占めています。神宮(豊受大神宮)といえば、ガイドブックや教科書、マスコミ等でも正面から拝殿が写っている画像が一般的です。伊勢神宮についてある程度の知識がある人なら彼の画像を見て神宮だと分かるでしょうが、百科事典は素人が見ても分かるように作られるべきです。Oilstreetさんの画像はギャラリーに挿入する程度にして、正面側からの画像にするべきではないでしょうか。--RSSFSO会話2019年10月14日 (月) 04:31 (UTC)返信[返信]

疑問点[編集]

●「古代においては宇佐神宮[7]、中世においては石清水八幡宮と共に二所宗廟の一つとされた」

八幡神については時代ごとに変遷があり、必ずしも古代から二所宗廟とされていたわけではない。鎌倉時代の「愚管抄」巻7でも鹿島神、春日神と同等に扱われており、それ以上のものではない。また出典も八万神側のものとなっているため第三者的な客観的な資料の出典を求めたい。--エボシ御前会話2023年8月26日 (土) 07:33 (UTC)返信[返信]

國學院大學日本文化研究所編『神道事典』(1999、弘文堂)の「八幡信仰」(佐藤眞人執筆)の項目(327p)に、
「のちに石清水は二十二社に加列して、伊勢神宮につぐ第二の地位を確立し、十一世紀末には伊勢とともに「二所宗廟」と称えられ、皇祖神として位置付けられるようになった」
とあり、岡田莊司編『日本神道史』(2010、吉川弘文館)に
「後三条朝には石清水放生会が公祭となり、院政期に入ると、伊勢と八幡とが「二所宗廟」と呼称され皇位守護の神とされた」(21p)
とあることなどから、院政期の11世紀末以降に石清水八幡宮が伊勢神宮と共に二所宗廟ととされたことは定説と認めてよいと思いますが、ご指摘の通り「古代において宇佐神宮と伊勢神宮が二所宗廟とされた」という記述は所見がなく、神社に対して「宗廟」という語が用いられるようになったこと自体が古代には例がないとされているので(高橋美由紀『伊勢神道の成立と展開』)、当該箇所の「古代においては宇佐神宮、」という部分は削除してもよいかと思います。--竹野和貴会話2023年9月4日 (月) 07:20 (UTC)返信[返信]
  • 賛成 エボシ御前さんに賛成します。 途中から失礼します。「二所宗廟」ということが言われていたのは事実だと思いますが、主に石清水八幡宮から言われていることで「伊勢神宮」のページに書かれてあるのは不適切のように感じました。--杉谷善住坊会話2024年1月5日 (金) 09:34 (UTC)返信[返信]