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ノート:伊勢神宮

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最新のコメント:2 年前 | トピック:疑問点 | 投稿者:杉谷善住坊

疑問点

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●「古代においては宇佐神宮[7]、中世においては石清水八幡宮と共に二所宗廟の一つとされた」

八幡神については時代ごとに変遷があり、必ずしも古代から二所宗廟とされていたわけではない。鎌倉時代の「愚管抄」巻7でも鹿島神、春日神と同等に扱われており、それ以上のものではない。また出典も八万神側のものとなっているため第三者的な客観的な資料の出典を求めたい。--エボシ御前会話2023年8月26日 (土) 07:33 (UTC)返信

國學院大學日本文化研究所編『神道事典』(1999、弘文堂)の「八幡信仰」(佐藤眞人執筆)の項目(327p)に、
「のちに石清水は二十二社に加列して、伊勢神宮につぐ第二の地位を確立し、十一世紀末には伊勢とともに「二所宗廟」と称えられ、皇祖神として位置付けられるようになった」
とあり、岡田莊司編『日本神道史』(2010、吉川弘文館)に
「後三条朝には石清水放生会が公祭となり、院政期に入ると、伊勢と八幡とが「二所宗廟」と呼称され皇位守護の神とされた」(21p)
とあることなどから、院政期の11世紀末以降に石清水八幡宮が伊勢神宮と共に二所宗廟ととされたことは定説と認めてよいと思いますが、ご指摘の通り「古代において宇佐神宮と伊勢神宮が二所宗廟とされた」という記述は所見がなく、神社に対して「宗廟」という語が用いられるようになったこと自体が古代には例がないとされているので(高橋美由紀『伊勢神道の成立と展開』)、当該箇所の「古代においては宇佐神宮、」という部分は削除してもよいかと思います。--竹野和貴会話2023年9月4日 (月) 07:20 (UTC)返信
  • 賛成 エボシ御前さんに賛成します。 途中から失礼します。「二所宗廟」ということが言われていたのは事実だと思いますが、主に石清水八幡宮から言われていることで「伊勢神宮」のページに書かれてあるのは不適切のように感じました。--杉谷善住坊会話2024年1月5日 (金) 09:34 (UTC)返信