ノート:伊佐野城

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参照方法タグについて[編集]

初版執筆者が作成した矢板市内に存在した記事のすべてに共通していえることですが、文中で矢板市史などの資料が挙げられており、それらに基づき記述しているだろうことは間違いないでしょうが、資料名を挙げた部分の前後以外の文には引用を示す記述がされておらず、筆者の独自見解が区別されずに紛れ込んでいるおそれが多分にあり、{{独自研究}}ではなく{{参照方法}}タグの貼付としました。思いっきりローカルPOV?な記述は読んでいて面白いのですが、記事の正確性を損なう裏づけの曖昧な記述の紛れ込みに関しては改善していただきたい。--WikipReview 2008年10月28日 (火) 12:36 (UTC)[返信]

記事名について[編集]

唯一参考文献に挙がっている『矢板市史』ですが、このなかで「伊佐野城」は「堀之内館」としてあり、伊佐野城とは書かれていません。また、「城のようなもの」とあり、塩谷氏時代には川崎城と鳩ヶ森を連絡する中間点の館があったところとされており、「城郭」としていいのか疑問があります。「伊佐野城」という名称の出典は何なのでしょうか。出ないならば「堀之内館」(ほんのうちやかた)への改名も考慮すべきかもしれません。--KurmUmy 2009年8月22日 (土) 11:47 (UTC)[返信]


Re:記事名について[編集]

伊佐野城の名称についてですが、矢板市の遺跡地図に明記されている名称であり公的なものです。参考資料として遺跡地図に関連する説明を記載しなかったのは、執筆のミスなので、それについては謝罪します。ただ、要出典を乱発する特定のIDの方がいるようですが、きちんと参考資料として明記されている資料を読まれているでしょうか? このWikipediaでは、何ページの何行ということまで明記しなければならないのでしょうか? 資料をきちんと確認していないのに要出典を乱発されても、答えようがありません。また、要出典の中には「無いものを証明せよ」とするようなものもあり、どう出典を説明して良いのか分からないものもあります。無いものを証明することは出来ません。要出典も、乱発するのではなく、整理して提示してもいただきたい。すでに出典について説明しているものや、支離滅裂な要出典については削除させていただきましたが、その主旨が理解できず、要出典を張り続けられている様で残念です。まずは、提示した資料をきちんと読まれる事をお勧めします。。--Y_mon 2009年8月22日 (土) 22:00 (UTC)[返信]

要出典をつけた者です。Y_mon様、利用者の会話ページでも指摘しましたが、一応ここにも書きます。勘違いされているようですが、参考資料として記事末に挙がっているだけでは出典明記にはなりません。センテンスに対して付けられている要出典ですから、「『矢板市史』では~~とする」「~~~である(『矢板市史』)」とすれば十分です(頁指定必須ではない)。それが無かったので添付させていただきました。また、ある記述を記載しようとする場合、出典を明示すべきなのは執筆者のほうです。「きちんと参考資料として明記されている資料を読まれているでしょうか」とのことですが、それでは「参考文献を見ろ。そうすれば分かる」という意味になってしまいます。Wikipediaは栃木県の人間のみが編集するものではありません。全国各地、また日本国外の人も執筆に参加します。そのような参考文献入手・閲覧が難しい場合も考慮してください(例として「遺跡地図」は栃木県・矢板市の公共機関にしか所蔵していないようです)。
(追記)なお、「すでに出典について説明しているものや、支離滅裂な要出典については削除させていただきましたが」とのことですが、貴殿のタグ除去理由をお聞きしたのはこのノートが初めてです。「要出典を張り続け」ていたのは出典明示無きタグ除去の差し戻しです(参考文献にあるという指摘もありませんでした)。原則的に~~説と考察的部分に添付したのですが、分かりにくい添付であればすみません。ただ、要出典で疑問に思ったのであればノートページで具体的に指摘していただければ修正や添付意図説明などを行います。宜しくお願いします。--KurmUmy 2009年8月22日 (土) 15:04 (UTC)文章一部修正--KurmUmy 2009年8月22日 (土) 15:34 (UTC)[返信]


出典について[編集]

Wikipediaは栃木県の人間のみが編集するものではありません。全国各地、また日本国外の人も執筆に参加します。そのような参考文献入手・閲覧が難しい場合も考慮してください(例として「遺跡地図」は栃木県・矢板市の公共機関にしか所蔵していないようです)。

Wikipediaは、原則的に日本だけに限らず、世界的に公開されているものですが、KurmUmy様の主張で言えば、極論すれば、世界中の人が閲覧できるような出典でなければ出典にはならないということになります。特に、例に挙げられている遺跡地図というのは、ほとんどの自治体で置かれている、その自治体にしかない資料であり、それを例にして出典に値しない、考慮して下さいなどと言うのは、歴史的資料というものが何たるかということ自体、理解されていないのではないでしょうか? 出典は、飽く迄も記事の事実や論理の根拠を示すものであって、閲覧者が、それを閲覧できるかどうかというのは、別問題であり、これを問題とするのは筋違いだと思います。

それでは「参考文献を見ろ。そうすれば分かる」という意味になってしまいます。

…などということも言っておられるようですが、まず、参考文献を見て、書かれている事が事実かどうかを第三者から見て立証するかどうかは、閲覧者の自由であって、執筆者から強制することではありません。また、執筆者は、論拠となる資料や事実を提示する以外には、論拠を示す方法が無いことも理解して下さい。当然ながら、資料であっても、そこには著作権があります。それを基にしても、その文章を丸写しする事は出来ず、著作権を害さないように加筆・修正してWikipediaに書き込む必要があります。また、場合によっては、論拠たる文章を掲載できない場合もあります。その場合は、「参考文献を見てください」としか言い様がありません。それとも、著作権を害してまでWikipediaに文章化して立証しろとでも言うのでしょうか? 「参考文献を見ろ。そうすれば分かる」というあなたの表現は、皮肉めいていて悪意に満ちています。

出典は、飽く迄も出典元の著作権を害さない範囲で、論拠となる資料を提示する以外、その論拠の証明は出来ないものです。その点、よくご理解ください。--Y_mon 2009年8月23日 (日) 11:54 (UTC)[返信]

全く見当違いです。まず、Y_mon様はこのノートで回答されるまで、要約欄にさえ、{{要出典}}に対する出典が参考文献に載せたものだとは回答されていません。私は、参考文献のどれなのかを聞く意味で添付したのです。また「執筆者は、論拠となる資料や事実を提示する以外には、論拠を示す方法が無いことも理解して下さい。」とのことですが、出典とは、説の論拠を示すものだけではありません。その説を主張している文献の提示を含めて「出典」です。説の妥当性・有力さを証明することは求めていません。「ある説を導き出している過程が記載された」または「説の存在を紹介する記述がある」文献・論文・書籍などの「出典」の書誌情報を求めているのです。提示の文献が「出典に値しない」などとは言っていません。単に記事内の記述について、どの部分はどの資料に拠ったのか詳しく教えてくれといっているのです。「参考文献を見ろ。そうすれば分かる」も、貴殿が先ず、「きちんと参考資料として明記されている資料を読まれているでしょうか?」と発言したことへの解釈です。ここで閲覧側に立証を求めていますが? 私は記述除去がしたいのではなく、情報源が明確なより精緻な記事にしたいだけです。
また、参考文献が主張していないが、参考文献内にある事柄を執筆者が解釈したものは独自研究となり記述できません。wikipediaは新たなアイデアを記述できませんので、どうか出典明記をお願いします(「参考文献にある『**』に記載」と要約欄に書かれた除去でも構いません)。--KurmUmy 2009年8月23日 (日) 04:31 (UTC)[返信]
鈴木右京と「川崎塩谷伯耆守実録」の伊佐野右京之介が同一人物という推測を行ったのは何の本の中ででしょうか? もし執筆者が同一人物の可能性を提示したのなら独自研究です。「定かではない」をつけても新しいアイデアを紹介することになり記述できません。伊佐野右京之介の紹介に留めるよう修正しましたが、鈴木右京と伊佐野右京之介を同一と「推測・仮定」した出典明記をお願いします。--KurmUmy 2009年9月3日 (木) 13:09 (UTC)[返信]