ノート:仮面ライダーディケイド (キャラクター)

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出典のつけ方について[編集]

問題があるなら、1つ1つ解消していきましょう。まずはこの議題から。

「タグの使用自体に義務はありませんがすでに存在しているものを除去してまで改変するというのも理解いたしかねます」[1]というのは、たとえば<ref name="超上24">{{Harvnb|超全集 上巻|2009|pp=24-27|loc=「ライダーカード図鑑 カメンライド」}}</ref>みたいな出典節にあったタグをのきなみ除去したことに対する疑義だと思いますが――当方としてはこのやり方こそ理解できなくて前々から訊こうと思っていたのですけれど――タケナカさんはどうして1ページ単位で出典を指定しないのですか?

記事の閲覧者が内容の検証を試みて、記載された出典に当たったときのことをお考えください。上の例で言うなら、「ライダーカード図鑑 カメンライド」というセクション名が書いてあっても、あまり有用ではありません。ライダーカードの情報が、ライダーカードのセクションに記載されているのは自明ではありませんか。本の目次を見れば済むことです。それよりも、「XXカードの情報は25ページ」と書いてくれたほうが、探す手間が省けます。より精度の高い情報を提示するのが、よりよい記事とは言えませんか?

まあそれでも、2, 3ページくらいをひとまとめに扱うのは理解もできます。よくわからないのが<ref name="仮面俳優5">{{Harvnb|仮面俳優列伝|2014|pp=5-22|loc=「第1章 Mr.平成ライダー&Mr.レッドの軌跡 01 高岩成二」(東映ヒーローMAX vol.27・28掲載)}}</ref>ですね。"pp=5-22" とのことですが、本書を確認したところ『ディケイド』について述べられているのは "pp=16-18" でした。どうして記事の主題に関係ない部分まで含んだものを出典として提示しているのでしょう。

セクション単位で出典を記載することの利点が思い至りませんでした。だからページ単位の記法に置換して、無効となったタグを除去しました。タケナカさんはそれを問題視されたわけですが……上記の問いに、お答えいただけますか?--禁樹なずな会話) 2019年12月28日 (土) 16:30 (UTC)

コメント 議論をご提起いただきありがとうございます。
まずご質問のなぜページ単位にしないかということについては、正直なところ適切な情報が提示されているのであればどちらでも構わないと考えております。この辺についてはお互いに出典提示について何を重視しているかというところの違いから来る齟齬であるものと思います。当方としてはページ数だけでなく章題・見出しなどの必要な情報を提示しつつ、容量の削減や作業の簡略化を図った結果、現在の記述スタイルをとっております。
まず大前提として、Wikipedia:出典を明記するなどで複数ページ指定の例示があったり、各種出典テンプレートで「pp」「pages」などのパラメータが設定されているように、出典に複数ページを指定することそのものは禁じられているものではありません。他方、出典元の章題・見出しなどは提示が義務化されているものではありませんが、やはりこれも「loc」や「chapter」などのパラメータが設定されていますので加筆が推奨されるものといえるでしょう。
おそらく当方と禁樹なずなさんの出典の提示方法の違いとしては、章題・見出しの加筆の有無にあるものと思います。単独著者による単一テーマの文献であれば内容の区分についてさほど重視する必要もないかとは思いますが、我々が用いているようなサブカルチャー系の資料は劇中設定の解説なのか制作関連の言及なのかインタビュー記事なのか一冊の中でも様々なテーマがあり、書名だけでは内容の提示としては十分と言い難く、見出しのみですべての説明になりえているとは思いませんが最低限必要な情報であろうと考えております。「ライダーカードの情報が、ライダーカードのセクションに記載されているのは自明ではありませんか。」と仰られますが、それは実際に参照したから言えることであり、表記がなければそもそも何を書いている項目なのか判断することはできないでしょう。
しかしながら、これをページ単位で記述しようとすれば必然的に見出しの被る項が出てくるもので、これをすべて表記しようとすれば相当な分量となってしまいますので整理が必要になってきます。ここにおいて、章題・見出しが必要と考えている当方はページ数をまとめて見出しを表記することを優先し、ページ単位での記述を重視されている禁樹なずなさんは見出しを書かないという方法をとられているという違いなのであろうと思います。そちらが『オフィシャルパーフェクトファイル』で試みられているように参考文献節に見出しも含めてしまえば、本文での提示は必要なくなりますが、これは一冊につき1,2項目しか該当しないものが多いから通用するものであり、一冊丸々1作品を扱っているものについてはこの手法は難しいと言わざるをえません。(なお『仮面俳優列伝』については高岩氏の項しか該当しておりませんが、これは分割前に加筆したものですので編集が追いついていないことはご容赦ください。)
ただし「作業の簡略化」も理由の一つに挙げているように、限られた時間の中で作業するにあたり効率化の手段として用いたことも事実ですので、これを手抜き等と批難されても否定はできません。
当方個人としましては、手段そのものにこだわるつもりはなく、より良い方法があればすり合わせ取り入れていきたいと思いますが、とはいえ議論・検証なく一方的に排除されることは遺憾であることは申し上げさせていただきます。--タケナカ会話) 2019年12月28日 (土) 23:54 (UTC)
返信 まずは素早いお答えをいただきありがとうございます。
「議論・検証なく一方的に排除されることは遺憾である」とのことですが、これはまったくもってタイミングの問題です。実のところ「以前ルパパトの記事でそれとなくメッセージを送っても反応が無かったし[2]、井戸端に挙げて多くの人の意見を仰ごうか」と考えていたところでした。
当方の想定とは違った形になりましたが、このノートページにコメント依頼を掛けて、第3者の声を呼び込んでみますか? その前に、ここまでが結構長文になったので、論点を表にまとめておきましょう。認識の相違などありましたら手を入れてしまってください。--禁樹なずな会話) 2019年12月29日 (日) 04:06 (UTC)
ユーザー 出典における章題・見出しの付記 出典のページ指定
タケナカ 有用。書名だけでは内容の提示としては十分と言い難いため  ページ数をまとめて見出しを表記することを優先
禁樹なずな 無用。検証の際に本の目次を見ればわかる情報でしかない  個別のページを指定することを優先
コメント ご検討いただきありがとうございます。コメント依頼の提出に賛成します。論点についても異論はありません。--タケナカ会話) 2019年12月29日 (日) 04:27 (UTC)
コメント まず、大前提としてウィキペディアが求めているのは「検証可能性」であって、その具体的方法として「出典の明記がある」という前提でコメントいたします。
ここ半年程、銀河英雄伝説の記述整理を行っていますが、原作から引用する場合、章ごとで提示しております(ここでいうタケナカ氏のやり方)。これはあえてやっていまして、何故かというと銀河英雄伝説はたくさん版元があるからです。大本はトクマ版なのですが、愛蔵版の合冊もあれば、徳間デュアル版の分冊もあり、ここ近年に流通している創元版は構成こそトクマ版と同じですが、1ページ辺りの記述量の違いなど、ページ番号は全然違います。例えばヤンの年齢について徳間デュアル版を基に逐次出典でページ番号で示されている時に、トクマ版や創元版を所持している人間はその出典の妥当性がわからないという馬鹿なことが起こるのです。
これと同様にハードカバーから文庫版になる、あるいは電子書籍として流通する、そうした時にページ番号にズレが生じるというのは普通にありえるわけで、「検証可能性」の理念とは何かという点を考えた時に、章題を付さず、ページ番号のみ付すのが、より正しい、ウィキペディアの理念に沿ったものというような考えは、いささか誤りではないかと考えます。また、類似情報の逐次出典についても、あくまで章などで自明であることは、ページ番号でピンポイントで当てずとも、ページ範囲を広く取って、出典節で一切まとまっている方がわかりやすいでしょう。
ただし、ページ番号でピンポイントで指定した場合が適切な場合もあるでしょう(ようは上記に該当しないパターン)。今回のケースではどれが適切かは、私は知識がないのでわかりませんけれども、あくまで一般論で言うのであれば、それぞれに理があって、ケースバイケースで考えるべきものなので、単にどちらが優れた手法かで争うことは無益であると思います。--EULE会話) 2019年12月29日 (日) 10:14 (UTC)
コメント コメント依頼から参りました。
EULEさんの仰るとおりケースバイケースだと思います。どちらかが正しいとするには読み手への配慮を欠いている気がします。“必要な場合に「出典における章題・見出しの付記」を表記し、1ページ単位で記述する”などでは駄目なのでしょうか。
私などはEULEさんの例でも、スタイルガイドなどで不要とされていない限り代表例として所持する版とページ数も記載すると思います。--デタラメ歯車会話) 2020年1月5日 (日) 01:32 (UTC)
返信 おふたりとも、コメントありがとうございます。
EULEさんが挙げられた例以外にも、出典が電子書籍のときにページ指定できない場合があり得ますね。とは言え「第〇章」みたいな示し方はやはり大雑把に過ぎますから、なんとか工夫を凝らして情報の所在を絞り込みたいところです。
そして、デタラメ歯車さんの述べられた「章題を付したうえでページの個別指定はできないか」ですが……やろうと思えばできますね。脚注のタグを増やせば、いけるでしょう。今度試してみましょうか。--禁樹なずな会話) 2020年1月5日 (日) 12:16 (UTC)
コメント コメント依頼から来ました。どちらが優れているか以前に、ページ番号は明記しなければいけません。なぜなら、出典を示す義務は掲載を希望する側にあるからです。ページ番号を求められた際、執筆者はそれを明記する義務が発生します。でなければ、{{要ページ番号}}など存在しません。この要請に従わないのは方針違反です。--Client-nojs会話) 2020年1月6日 (月) 12:52 (UTC)
コメント 遅ればせながら、皆様ご意見賜りありがとうございます。当方としても改善できる箇所については取り入れて行きたく思います。
ただClient-nojsさんに申し上げさせていただきますが、本件において「ページ数を記載しない」という意見は挙がっておりません。今一度争点のご確認をお願いいたします。
当初より申し上げている通り、手段のすり合わせを行っていくことについては異存ありませんので、禁樹なずなさんが上記ご意見でご納得されているのであれば具体的手段の試案に同意いたします。コメント依頼継続の可否についても依頼者側にお任せいたします。--タケナカ会話) 2020年1月6日 (月) 13:09 (UTC)
コメント ページ番号は参考文献として利用しているか、引用文献として利用しているかで決まります。参考文献として利用した場合、タケナカさんのように"pp=5-22"と章全体のページを指定します。章全体を読み終え、それを参考に着想を得て執筆したからです。これに対し、引用文献として利用した場合、禁樹なずなさんように章全体ではなく"pp=16-18"とします。ページ番号をどこまで指定するかは、それが参考文献として利用されているか、引用文献として利用されているかによります。「Cである」という文字そのものを検証可能としたい場合は"pp=16-18"ですが、「AはBであり、よってCである」という事実の裏付けを検証可能としたい場合は"pp=5-22"です。「AはBである」という論証なくして「Cである」という結論は導けないからです。「AはBであり、よってCである」という事実の裏付けを検証可能としたいのか、「Cである」という文字が書かれていることのみを検証可能としたいのかの違いです。章題はWikipedia:出典の明記にある事項ですから、{{Full citation needed}}などで要求されれば書かなければなりません。Wikipedia:出典の明記#個別参照法をとるのであれば、章題は参考文献内にあればよく、あとはページ番号のみで構いません。--Mid9t Luv会話) 2020年1月7日 (火) 10:20 (UTC)
返信 いやいや、「着想を得て執筆」ってWikipedia:独自研究は載せないの方針に反するのでは? Mid9t Luvさんのお話はどうも「Wikipediaへの投稿」と「自身のレポート編纂」を混同しているような……。
それはさておき、今後の方向性も見えたところで、この議題はクローズしましょう。コメント依頼も終了させておきます。--禁樹なずな会話) 2020年1月8日 (水) 13:21 (UTC)
コメント コメント依頼継続の判断を委ねるとは申しましたが、その後の利用者:Mid9t Luvさんのご意見は明らかなご自身に対する反対意見であるにも関わらず、一方的にそちらの意見を述べたのみで相手の応答も待たずに議論自体を打ち切られてしまうのはいかがなものでしょうか。
ご指摘の「着想を得て執筆」という点について反対意見されること自体に異論はないのですが、他方、下記単一の出典についてのご発言における「『超全集』だけに頼った編集ではない」というのは、そのままMid9t Luvさんの仰る「着想を得て執筆」ということと何ら変わるものとは思えず、むしろ具体的出典を一つのみしか提示されずにそのようなご意見をなされるというのは、当方に対するページ数の指摘よりも問題があるものと思わざるをえず、いずれのご意見にも矛盾を感じます。
方法論のみで済むのであればそれに越したことはなく、コメント依頼でも意見を募るとのことでしたのであえて申し上げませんでしたが、本件の根本的な問題はどの方法がよいかということではなく、ご自身の方法論を過信しそれにそぐわないものを排除しようという独善的な編集姿勢にあり、直近の上下ご意見を拝見しても同様の問題が継続しているものと思わざるをえません。--タケナカ会話) 2020年1月8日 (水) 14:02 (UTC)
返信
  1. 「『超全集』だけに頼った編集ではない」というのは「執筆にはほかにも参考文献を使用している(そのうえで例示した箇所には『超全集』が最適と判断した)」という意味であって、「『超全集』の記述に自分の着想を混ぜ込んで投稿している」わけではありません。そんなことするわけありません。
  2. Mid9t Luvさんのコメントが自分に対する「明らかな反対意見」とは思っておりません。結局Wikipediaに投稿するためには余所(信頼できる情報源)から記述を引っ張ってこないとならないわけですから、「文字が書かれてあること」を検証できればいいのではないですか。
  3. 独善的で自信過剰なのは、お互い様でしょう。こっちは既存の記事に不足(あるいは過剰)を感じたから手を入れたのだし、タケナカさんはタケナカさんでその編集がダメだと判断して差し戻しを行ったわけですし、何か違いがありますか。
  4. もう記事のノートページでする話でもなくなってきているので、利用者に対するコメント依頼を挙げてはいかがですか。当方から促すのもおかしいですけれど。
  5. でもひとつだけ、この場で確認したいことがあります。「どの方法がよいか」という議論は、もう続けられるおつもりはないのでしょうか?--禁樹なずな会話) 2020年1月9日 (木) 12:45 (UTC)
返信 返答が遅くなりましたが、やはりそちらのご意見には疑問点・矛盾点を感じざるを得ません。
参考文献を複数使用していてそれを提示していないというのは出典の明記に反するものでしょう。確かに超全集の出典のみが提示されていて実際に検証すれば文章そのままでないことは確認できるでしょうが、それが執筆者の着想のみに基づいた改変なのか他の出典を複合したものなのか、他の出典の提示なくどうして判断することができるでしょうか。記事内容の充実と出典の過不足はまったくの別問題です。当初のページ数のご意見を拝見した段階では、方法論の是非はともかく検証可能性を重視されているものと理解しておりましたが、「単一の出典」についてのご意見はこれに矛盾するものであり、ご自身の主観・都合でしかものを仰られているように思われるということです。
利用者:Mid9t Luvさんのご意見は、あくまで参考文献と引用文献における出典の提示方法の違いを述べられているのであって、独自研究を推奨するような意見ではないでしょう。これを「着想を得て執筆」と表現することには当方も若干の引っかかりを感じましたが、それはあくまで表現の問題であり、「自分の着想を混ぜ込んで投稿している」と解するのはいささか曲解がすぎるのではないでしょうか。
禁樹なずなさんのご意見・投稿内容そのものは、ウィキペディアの充実を図るためのものであることは理解しており、先にも申し上げた通り、方法論のみの議論で済むのであればそれに越したことはないと思っておりますが、どうにもここまでのご意見を拝見する限り出典の提示や検証可能性のありかたを誤解・曲解されているように思われますので、コメント依頼の提出もやむを得ない状況であろうと考えております。--タケナカ会話) 2020年1月11日 (土) 11:19 (UTC)
返信 「出典の提示や検証可能性のありかたを誤解・曲解」というのとは、ちょっと問題が違うと思うのですけれどね。方針をきちんと順守していても、それだけで良い記事になるわけではない。言い換えると、投稿内容や参加姿勢の問題がすべて方針の無理解に帰着するわけではないんじゃないでしょうか。
コメント依頼については、上でも述べたとおり、提出を厭うことはありません。--禁樹なずな会話) 2020年1月12日 (日) 13:46 (UTC)
禁樹なずなさんへ 「着想」ではなく「要約」と言うべきだったかも知れません。何故「着想」と述べたかというと、Wikipedia:原典のコピーはしない#検証可能性との関係のガイドラインがあり、検証可能性の方針は「資料を書き写せ」という意味ではないからです。引用ではないんだよ、と言いたかった。つまり、ウィキペディアのほとんどの記述は要約であり、引用文献として用いていないかぎり、"pp=16-18"とするのは違和感があります。章を最後まで読んでいないのに何故要約できるのかという謎が残るからです。両立するのであれば、参考文献節では"pp=5-22"と章全体のページ数を記し、脚注節(引用文献節)では"pp=16-18"と記すことだと思います。--Mid9t Luv会話) 2020年1月12日 (日) 17:59 (UTC)
例えば、参考文献節で一章"pp=5-22"であるところを"pp=16-18"と記した場合、これは一章のうち「16〜18ページしか読まずに書いた」という意味になってしまいます。章全体を読み切って理解した上で書いているのであれば"pp=5-22"としなければなりません。そこから個別に16〜18ページを参照したい場合は、以上のように参考文献節でpp=5-22と書いた上で、脚注内で"pp=16-18"と個別参照するはずで参考文献節内の"pp=5-22"を削ることはできません。-Mid9t Luv会話) 2020年1月12日 (日) 21:30 (UTC)
返信 (Mid9t Luvさん宛) まずはわざわざ戻ってきていただき、ありがとうございました。上で補足いただいたので、今回はMid9t Luvさんの主旨を誤解していないと思っています。
ただやはり、お考えに完全には同意できません。自分では「いろいろと目を通した結果『この箇所』に情報源としてふさわしい記述があった」という意図で可能な限りページの絞り込みを行っているので、"pp=16-18" では「そこしか読んでないのでは?」と見なされることを懸念するという発想はありませんでしたから。
それに、原典を読んで要約して投稿へと至る思考の流れを踏まえて一章分の余地がある "pp=5-22" として提示するのは「記事執筆者の視点」であり、もっと言えば「記事執筆者の都合」であって、閲覧者、検証者には関係ないのではありませんか。情報源へとダイレクトに飛んでいけるほうが、検証を試みる人の利益になるのではないでしょうか。
まあ方針で求められているのは検証の可能性を満たすことだけであり、「なによりも検証者の利益を念頭に置いて執筆に臨め」みたいなことはどこにも書かれていないので、無理に賛同は求められません。ただ異論として呈するのみです。--禁樹なずな会話) 2020年1月14日 (火) 13:46 (UTC)
禁樹なずなさん 無論、当方としてもただルールに従えばいいと考えているわけではなく、必要であれば方針自体を改めることも行っていくべきでしょうが、それにはまずそれが何を目的として定められているかということを認識していなければ、よりよい方法になどなりようがありません。少なくとも本件において禁樹なずなさんの主張される「良い記事」のあり方はウィキペディアの目指す良い記事のあり方と照らし合わせて疑問の残るものであり、その点のすり合わせなく方法論のみを論じても噛み合いようがないものと考えております。
ひとまずはMid9t Luvさんのご返答がありましたので、そちらの応答を待ってコメント依頼提出を判断させていただきます。--タケナカ会話) 2020年1月13日 (月) 01:39 (UTC)

「単一の出典」について[編集]

次の議題は、タケナカさんの「単一の出典のみに基づいた情報も推奨されません」という発言を受けて。

これはおそらく

クウガをクウガゴウラムに変身させる[出典1][出典2]。 — 編集前

という箇所を

仮面ライダークウガを、巨大クワガタメカ「クウガゴウラム」に変身させる[出典1]。 — 編集後

に変えたことを指しているのだと思います。[出典1]が『超全集』で、[出典2]が『超辞典』ですね。

確かに脚注の数は減っていますが、そもそも編集前の文章には不備がありました。実はこのページに、「クウガゴウラムとは何か」という情報が一切載っていないのです。記事を分割した副作用で断絶が起きているのです。

そこで『超全集』に基づいてクウガゴウラムに関する最低限の説明を付記しました。そして本文が『超全集』準拠になったので、『超辞典』の脚注は切り捨てました。本文を書き換えたのに脚注がそのままだと、両者の内容が乖離して、虚偽の情報を提示することになってしまうからです。

だいいち『超全集』だけに頼った編集ではないことは、通読すればわかると思うのですが。「複数の出典を用いて執筆する」というのは、「脚注の数を増やす」という意味ではないでしょう。それよりも記事本文の充実を気にかけてほしいと願うものです。--禁樹なずな会話) 2020年1月8日 (水) 13:21 (UTC)